2014-03-23

おれもMacの昔話を書いてみよう

ここらへんでおれもMacの昔話を書いてみよう。

おれが最初Macintoshに触ったのは、91年の4月だった。配属された研究室Macintosh IIsiがあったのだ。OSは、漢字talk6.0.7.1だったように思う。

このころのソフトウェアに対するユーザー意識はひどいもので、不法コピーがあたりまえだった。今だから、そして、おそらくどの研究室なのかばれないと思うから書くが、使用するソフトはすべて出所の怪しいものだった。

エクセルマックライトII (Iを使っていたという話を聞いたことがない。マイナーだったのだろうか)、マックドロークリケットグラフコピーでなかったのはテキストエディタと端末ソフトだけだったのではないか。

その使い勝手はとにかくすばらしかった。マックライトIIの威力は、学会の要旨(一段組と二段組が混在すると当時の一太郎ではプレビューしないとま出来栄えがわからなかった。WYSIWYGという概念がなかったのだ)を書くときに思い知った。

それに貼る図は、クリケットグラフで書き、マックドローで修整してから貼り付けていた。これがほんの一年前には、一太郎で書いた要旨に手書きの図を貼り付けていたという。物理的にセロテープで貼っていたのである

…だが、それでどのくらい時間の短縮になったかというと、実はかなり微妙だった。そう、爆弾マークが出るからである

当時は何をやっても爆弾マークが出た。日本語入力英語を切り替えても出たし、ソフトを切り替えるときも出た。放置しているだけでも出た。ひどい時は、セーブしようとしたら出たときもあった。いったいどうしろというのか。

使い始めてすぐ、漢字Talk7が発表になった。なんだかもっさりして、爆弾が出る比率もそんなに替わらない印象があったが、漢字Talk7.1に糸井重里がつけた愛称おにぎり」はあまりにださすぎるので今でも忘れられない。そんな名前で呼んでるやつ一人も見たことないよ。

それとほぼ時期を同じくしてMacintosh classicやLCが販売されるようになった。classicは1000ドルパソコンといわれ、貧乏学生のおれも思わず買ってしまおうかと錯乱するほどの魅力的な商品だった。もっと日本では二十万円台後半だったように記憶している。

このあたりからApple社の迷走が始まる。

LC系やclassicは順当に性能向上を繰り返していたが、ハイエンドはひどいもので、92年にはCDROMを搭載したMacintosh IIviというモデルを発表しているが、これはなんとMac IIciよりCPUクロック数が低く、CDROM(当時はまだ使い道がなかった)を搭載したため無駄馬鹿でかく、もちろん定価もすごく高いというしろものだった。

「これを買うくらいならLC系を買うよねー」という人がおおかったのかMacintosh IIviは売れなかったので、数か月して価格改定されたらしい。らしい、というのはそのころパワーマックの噂が出始めて、68系のハイエンドマシンへの需要はかなり減少していたのでおれの記憶あやふやなのである

そして94年になると、いよいよパワーマックが発売されるのだが、これがまた遅い、高い、馬鹿かいという端にも棒にもかからない代物であった。

その他にもレーザーライターNTX-Jがなんと定価120万円で発売されていたり、フォント関係ライセンスのひどさはちょっと混沌としていすぎていた。

まあ、色々と書きたいことはあるのだがおれはおじさんであるのでここらへんが体力の限界だ。

誰か有志がおれのあとを継いでアップルのこっちの足元を見たぼったくり体制を批判してくれ。

それではおやすみなさい。

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