「本来のあなた」と言われて思い浮かべる「自分」とはどういう人間だろうか
多くの人間が「素直さ」から離れてなんか拗らせたアイデンティティを確立しちゃう時期は大体思春期・青年期だ
だとすると、混じりけのない己というのは幼少期の自分…と捉えていいだろうか?(つーかどの時期だって間違いなく「本来の自分」だけどな。他の誰かなわけねーし)
そういうことにしとくとして
自分の幼少期について思い出してみると
「なんかしらんけど地面とかをほじくったりしていた」
イメージだ
その1
親戚の家の隣は空き地だった。その空き地にはもともと家が建っていたそうだが、火事で全焼したそうだ
ほんで建物は無くなったが綺麗に整地されていたわけではなく、タイルの残骸とかがあった
稚い増田が親戚の家に遊びに行った際は、そのお隣の空き地でタイルを掘り返す作業を熱心に繰り返していた
親からは勿論「危ないからやめなさい」と言われていたけれども。ほじくり返すのがマイブームだったのでこっそりとやっていた
その2
自宅の裏には庭があった
砂地だったので、いろんな容器に砂を入れては何らかのごっこ遊びをしていた
ある時、砂に小さな穴ぼこが開いているのを見つけた稚い増田は、とりあえず穴を埋める作業を行った
穴の中に砂を落とし込む
するとどうでしょう
いま埋めた穴の部分がモゾモゾと盛り上がってくるではないですか
ぢっと観察していると、砂を押上げて地中から何かが姿を現し始めました
顕現したのはなんと蜂でした
地蜂というやつでしょうか?
ブブブブと可愛らしくお尻?を揺らしながら地上に向けて掘って上がってきたのです
砂を被ったお尻は薄緑の縞に見えました
その後の展開はお察しの通りです
待ちます
蜂が出てきます
以後ループ
といった具合に、大変迷惑な遊びを喜々として繰り返しておりました
蜂、健気
ごめん。蜂
その3
稚い増田は大体2階でお昼寝をしていた
母親が階下に降りてしまい暇になると起き上がって部屋の隅へ這っていく
部屋の隅っこの床と壁の間にはなんか隙間があり、そこには埃が溜まっていた
ほじくりチャンス到来である
一人黙々と埃をほじくり出す幼児
愉しい
といった具合に、なんかほじくったり埋めたりしていた
なんだそれ
つーか、ほじくってないだけで生産性無いところは今も変わらんわ
ワイも砂場で穴掘って水を貯めることに熱心になっていて、 ほぼ毎日、黙々とやってたわ あれ公園の管理者の人が直してくれてたんだろうな 次の日来ると貯めといた水がいつも無くな...
同志! というか同志いっぱい居そう みんな「なんかほじくってうめる」のが「本当の自分」なんだろうな だからなんだそれ
お気に入り(?)のおもちゃを土に埋めるのも好きだった しかしおおらかな時代だったと思う 砂場に深い穴掘ってビニールとか敷き詰めて水を溜めて帰る(ほぼ毎日)とかハイパー迷惑客...
同じ掘って埋めるにしても手が込んでるなあ。賢そうなお子さんだ 良い人生を送っていそうだ でも、大人になってしまい地面に真摯に向き合う時間が無くなったのは幸せとは言えないか...
たし🦀 穴を掘らねば