はてなキーワード: 不和とは
数学や科学などの用語を日常的な文脈で暗喩として用いるのはやめてほしい。ものすごく頭が悪そうで、見ている側が恥ずかしくなる。
公共の場所で、「ウチの地元でタクさん知らない人なんかいねえよ。三中のフジモトとタメ張ってたからね」なんて言ってる人がいたら、学の無い人なんだなあ、と思うだろう。それと同様。
人事部長という役職名ではないが、似たような名称のポジションだった。
問題のある社員への指導教育だったり、人間関係のトラブルに決着をつけたり、罪を犯した人間を罰したりする機能だ。
それに比べれば、勤怠管理だの、給与の支払いだの、社会保険の手続きなどは子どもの遊びに思えてくる。
今でも夢に見る。
後悔がある。どうしてあの時、もっとやれなかったんだろう、やらなかったんだろう。
どうして、あの人の心に寄り添うことができなかったんだろう。どうして、自分の思う正しさを貫くために上位の役職者を説得しなかったのだろう。
そんな後悔を吐き出したくて、はてな匿名ダイアリーに投稿することにした。
事案は4つある。そこまでぼかしてはいない。私自身と向き合うためには、真実を吐き出さないと意味がないからだ。
彼女は現場の仕事をする職種だった。現場といってもそこまで肉体労働ではないけれども、専門職なのは間違いない。
ある年から、その仕事を外注に出すようになった。このままでは失業することになるが、組織として無責任だということで事務職に職種変更となった。
結果は想像のとおりだ。てんで話にならなかった。
料金計算を間違えた請求書を送るし、システム上の顧客情報を誤編集するし、よく交通事故を起こすし、難しい質問がきたら硬直して動かなくなるし、気分の浮き沈みが激しい。
職種変更してからは、1年毎に様々な部署をたらし回しになった。当時の私は人事部長でも何でもなかったけれども、1年毎に異動するパターンの人なんだな、というありきたりの感想だった。
こういうタイプの人は、適合する部署が見つかると十年単位で同じ部署に磔になる。いい部署が早く見つかってほしいな、と思ったのを覚えている。
4つ目の部署だったと思う。この部署は、基本的に事務が主体だが、肉体労働の仕事もあった。
彼女は、あろうことか肉体労働のポジションに充てられてしまったのだ。木を切ったり、ごみを運んだり、池に浮かんだ鳥や鼠を回収したり…
一度だけ、見たことがある。ごみ処理場のダストシュートに軽トラックが止まっていて、60から70くらいの老人達(シルバー人材センターの会員だと思う。派遣労働者ならもっと若いことが多い)が伐採くずをダストシュートに投げ込んでいたのだが、その現場で彼女も仕事をしていた。
泥まみれの作業服。トラックの荷台の上で、えっちらおっちらと伐採くずをダストシュートに放り込んでいた。
ひどい話だろう。でも、当時の私はそうは思わなかった。その部署には肉体労働ができる男性が足りていなかったので仕方がない。そう思っていた。真奈美さんの上司は男性だったけれども、管理監督職がそんな仕事をすべきではないと素朴に考えていた。
労働組合の女性部が人事研修課に怒鳴り込んできたのを今でも覚えている。「どうして女性社員にあのような仕事をさせているのか」、「あなたたちには法的な正しさ以外は理解できないのか」といった内容だった。
その後すぐ、真奈美さんの職場を覗きに行った。上司に怒られている最中だった。周りの社員は何も言わないでいる。むしろ失笑していた。仕事が早いわけでもなく、制度が高いわけでもないので当然の結果だったのかもしれない。
翌日、私は課長に相談に行った。「真奈美さんはあのような状況ですし、肉体労働で女性の社員がケガをしたらうちの課の立場が悪くなります。今年度末で異動させた方がいいと思います。早ければ来月にでも」といった内容だった。課長は、「急ぎの案件ではない。そのうちまた検討する」と言っていた。
それが12月の初旬だった。この3週間後に真奈美さんは死を選んだ。死因は延べない。
今でも夢に見るのは、課長に相談をした場面だ。どうして、「うちの立場が悪くなる」という理由を述べたのだろう。「真奈美さんの健康が心配です。大事になる前に手を打ちましょう。今すぐに異動させるべきです」となぜ言えなかったのだろう。
なぜ私は、正しい行いができなかったのだろう。
事案2 結衣さん(当時18才)
性格は明るめだったと思う。高い声の人で、社内で大声で笑い過ぎて注意を受けることがあった。
配属されたのは債権管理の部署だった。知能テストで理数分野の点数が高かったのと、定型的な業務が中心の部署なので、新人に相応しい配属先だと判断された。
問題が起こった。配属されて3か月が過ぎた頃、人事に連絡が入った。「あの子は服装が派手過ぎる。あれではお客様の前に出せない。試用期間中なのにあれはひどい」というものだった。
先輩や上司が注意しても直す気がなく、それどころか、注意した男性の先輩をハラスメントで人事に訴えると威嚇したという。
結衣さんのいる部署の前を不定期に通ってみると、いくつかのことが判明した。
実際、派手な装いだった。髪は金髪だったし、ピアスをしていたし、ひらひらのスカートを身に着けていた。
接客態度もお世辞にもよいとは言えなかった。お客にため口になったり、自分1人では手に負えないのに先輩に相談せずに不動産会社に怒られていた。
人によって態度が違う。若手社員に対しては強気だが、お父さん風(?)の優しい雰囲気の社員の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
結衣さんに対して研修室で面談を行った。当時は役職がついていた私と、課長(事案①と同じ人)と、結衣さんの直属の上司がその場にいた。
本人が言うには、
・変な格好で来ているとは思わない
・仕事に来る服装は自分で選びたいし、他人が口を出すのはおかしい
・この格好が自分らしい。学校でも、アルバイト先でも文句を言われたことはない
結衣さんは、最後には「努力します」と言ったけれども、金髪が直ることはなかった。服装は大人しめになった気はしたが、私にはファッションのことはわからない。彼女と同年代の女性社員に廊下でやんわりと聞き取ったところ、「反省する意思はない」とのことだった。
私は反対したが、すでに人事のトップである総務部長まで話が通っていた。あとは役員級が承認するだけだ。
さて、当時の手帳を見ながらこれを書いているわけだが、その中には彼女に対する個人的乾燥として、こんなことを書いていた。
自分の意志があって動いているように見える。高校生で3年間アルバイトをしながらうちの入社試験に通ったのはすごいし(※当時の弊社の高卒入社倍率は30倍程度だった。おそらく今でも)、3人の年配社員に囲まれても自分の意見を貫いたというのも尊敬できる。うちの娘や息子を見ていても思うが、彼女は優れている。ぼんくらじゃない。うちの子ども達が情けなくなってくる。でも、うちの会社とは相性が悪い性格なのは否めない
結衣さんは、その後どうなったと思う? ここに記している時点で読み手は察しておられるだろう。
久保になったのだ。試用期間で切られた。
あの時、研修室で「あなたを本採用できない」と伝えた時の彼女の面持ちは今でも覚えている。一瞬、歯ぎしりをしたように見えた。眉間に皺を寄せたと思ったら、すぐに平時の顔つきに戻った。淡々とした声の調子で、「わかりました」と言っていた。涙を浮かべるのを我慢していた。
…それから、私は結衣さんを首にしないために何をしたと思う? なにもしなかった。
『まさか、総務部長やそれよりも上の人間が、高卒の子を半年で切るという意思決定はしないだろう』
手帳には記していないが、私は当時、こんなことを考えていた。情けない。今でも結衣さんの顔が脳裏に浮かぶことがある。
そのことがあってから、「別の会社でうまくやれていたらいいな」とずっと考えていたし、ずっと祈っていた。
真奈美さんと違って、結衣さんの夢は見ない。良い知らせがあったからだ。政令指定都市の職員として働いていることがわかった。
知ったのは偶然だ。回覧物に閲覧済のシャチハタを押している時、偶然に名前を見つけた。
あの時の安堵を言い表すのは難しい。心の底から安心できた。この日は早く家に帰る予定だったが、変更して居酒屋に寄ることにした。
事例3 和也さん(当時20代後半)
発達障害と呼ばれていた。私には診断能力はないが、周囲の評価はそうだった。
ある時、彼が直属の上司を怒らせてしまった。その上司は、一般市民その他の重要人物が観ている前で怒鳴り声を上げたのだ。私も見ていた。イベント会場だった。彼が指示を守らなかったのが原因のようだ。
その上司と和也さんは偉い人から大説教を受けた。後日、彼の指導教育を人事で受けることになった。
事前の報告書によると――まず、空気が読めない。他人が喜ぶとかイラつくとか、そういったことを予想できない人だった。
会話能力が低い反面、言語での表現能力は高い。文書ドキュメントの作成能力は社員の平均を超えていた。特に、プログラミング能力が秀逸であり、エクセルの帳票データを改良しては、これまで半日かかっていたものを20分で~みたいな改革を進めているとのことだった。
文章やレイアウトのこだわりが非常に強く、人が気にしない箇所でも時間をかけて修正する。かと思えば、オフィシャルな文書で使うべきではない表現(見積りあざッスヽ(^^)など)をメールにしたためることもあり、取引先からやんわりと注意を受けることがあった。
彼と面談した頃は、人事研修課長と呼ばれる立場になっていた。実際に面談してみて感じたのは、論理性が高いということだった。すべての言葉に理由を付けようとする。とりとめのない理由もあれば、よく考えているものもあった。
「職場の和が乱れるのはどうしてだと思う?」という質問に対しても、「理由は不明です。非常識なことはしていません。でも、ほかの人と自分の感じ方が違うのはわかります」と答えていた。
ほかにも多くのやり取りはあったが、どうにもおかしい点があった。
彼の発達障害についてだ。当時は発達障害という言葉が流行り始めていた。今ほどには一般的な言葉ではなかったと思う。
彼は発達障害なのか?という疑問を持った。というのも、発達障害に関する書籍を読んだところ、真の発達障害では弊社の面接を突破することは不可能だと確信したからだ。
彼との面談では、イラっとすることはあったものの、怒りの感情とまで呼べるものは湧いてこなかった。彼はその実、他人に配慮することができるのではないか?
つまり、発達障害を装っているのだ。本来的には、別の何かであって、それが原因で周りとの不和が起きている。サイコパスとか、ソシオパスとか、反社会性障害とか、当時は色々と調べたが、素人に結論を出すことはできなかった。
ひとつだけ、わかったことがある。『演技』ができる人間だということだ。
彼の採用面接の記録を見たところ、今の状況とはまるで異なる印象が記されていた。例えば、個人面接では溌剌とした雰囲気だとか、グループ討論では司会を務めており、周囲と協調しながら自分の意見を主張できる~といった内容だ。
グループ討論というのがポイントだ。個人面接では、面接官との相性次第でどうにかなることもある。それが合否の大半を占めるといっても過言ではない。しかし、集団面接の相手は同じ受験者だ。その中でリーダーシップを取って、しかも面接官3人すべてから高評価というのは、これまでの彼の社内評価と矛盾している。
この問題については、根拠を示して解決できるものではなかったので様子見とした。彼は不和こそ引き起こしているものの、能力自体に問題はなかったからだ。小さいミスは起こすようだが、大きいミスの経験はないし、頭の回転も速かった。それに、弊社にとってプログラミングができる人材は希少だった。
彼と彼の部署は結局、不和を乗り越えることはできなかった。和也さんの態度にキレた別の上司が、彼に対して暴力行為を働いたのだ。それを見ていた一般市民が警察に通報し、社屋の前にパトカーが停まった。
半年後、和也さんは転職した。退職面談の記録によると、次に行く会社ではプログラミングの専門職のようだった。IT業界には詳しくないが、はてなブログでもたまに見る名前の会社だ。
彼にとっては、よい結果になったのかもしれない。でも弊社にとっては違う。あれから、社内インフラ等の整備に関する部署が新たに誕生したし、私が退職する間際も情報関係の業務ができる人材は常に足りない状態だった。
今思えば、電算管理システムを担当している総務課にでも異動させてやればよかった。そうすれば、あんな事件によって心が傷つくこともなく、今でも働いていたのかもしれない。
【追記】
昨日の夜にはてなブックマークの人気エントリーに入っているのを見ました。
今では、この日記を消したい思いでいっぱいです。
私は結衣さんのような人に憧れていたのです。
権威や、周囲の空気に流されずに自分を保ち続けようとする姿が羨ましかったのだと、日記を書いている最中に自覚しました。
誤字や脱字が多くなりましたが、修正はしません。このままにしておきます。
ご意見をいただいた皆様への感謝を込め、はてな匿名ダイアリーのコメントの一部に個別に返信します。
※全員へのコメントを考えていたのですが、やはりどうしても途中で切れるので一部としています。ご容赦ください。
長文なので0かな、と思っていました。
今は消したい思いです。
性別に関係なく、上司や周りに空気に逆らえる人間が眩しかったんだと思います。
ただ、若い子なので、自分の感情をぶつけて周りを不幸にすることがあったのは間違いないです。
死なないで。今すぐこの増田をプリントアウトしてもしなくてもいいから病院に行って。 あなたに必要なのは医療です。 読み物としては面白かった
もう少し考えたいと思います。
面白かったのなら幸いです。
彼は発達障害を演じていたのではなくて、定型発達の一般人としての振る舞いを求められて、都度学習しては演じていたのだと思いますよ 発達は本来の自分のままに過ごすと問題を起こ...
彼は頭の回転が速いタイプだったので、面接対策の本をよく読んで勉強していたのかな、とあなたのコメント読んでいて感じました。
突然久保になる結衣さん
日曜日の朝、「お前はなにをしてるんだ?」と恥ずかしさでいっぱいになりました。
率直な印象を書くと、自分ができることを過大評価している感じがするね。本人に起こったことは、本人の選択によるところが大きく、他人がしてやれることなぞはたかが知れているも...
でも、期待が働いてしまうのです。
例えば、ビリヤードの玉が転がっている最中に、横からちょっと力を加えると別方向に・・・みたいな。
自分の力で助けてやりたい、何とかしてやりたいと思うのです。
叶わないことの方がずっと多いのですが。
大事なところで失敗を繰り返してきました。
体力がそこまでないタイプの人でした。
とある中小企業で総務平社員(だった)も罪を告白してみる 人事部長さんの後悔を見て、自分の過去(数年前)がフラッシュバックしたので、総務平社員だった自分も勝手に懺悔の意味を込...
返信させていただいております。
昔の、たとえばサザエさんの波平とかが働いている会社では こういうった和也なんかはトンチの受け答えで 「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする ...
今はどこの会社も余裕がありません。
適合できない人が生き残りにくくなっています。
退職鬱の症状はなかったのですが、最近になって、当時のことが頭をもたげてくるのが苦しくてしかたがありません。
こんなことを試さざるを得ないほど苦しいのです。
各事例については、当然ぼかして書いています。
誤字なのです。この年になると、体調がいい日と悪い日との落差がひどいのです。
事例1~3を書いた日は頭の回転が鈍く、こんなことになってしまいました。
それ以後の内容については誤字が少ないはずです。
私は戦えていない。
最大のエールをおくりたいと思っているので
戦えてない人間がこういうことをいうのは
それは十分わかってるけど吐き出させてほしい。
超人的な先輩が
「子供出来たらほんとに何もできなくて
辛くて大変だった。
無理だった」っていうのを聞いて。
私が「お願いして」子供つくるのが正しいのか
悩む。
恋愛時の惚れたもん負けじゃないけど
育児のお金も当然かかるし、私のメンタルだってどうなるかわからないし
(いや、旦那は仏のようにやさしく、基本親切ではある。
ただ、現時点で子供をすごく欲しているわけではない。)
くらいのほうが妊婦として大切にされそうだなってすごく打算的に思う。
理想は二人ともが同じように待ち望むこと。
モチベーションだったり体調維持は
男側にこそ必要。
おたまじゃくしの数や運動能力を極限まであげるべく努力すべき。
蚊帳としての矜持くらい持っててほしい。
たとえ現実がそうじゃなかったとしても
すべての家事を担う」くらいの心構えは欲しい。
下手したらこっちは死ぬんだぜ。サウナとアイコスやめて亜鉛飲め。そんくらい自発的にしてくれ。ただ顔は好きよ、ふとした優しさも大好きよ。
34歳の私は旦那に「子供がほしいです、セックスしてください」と
年一回の現状の中、お願いすべき?
戦ってる人の話を聞いて
それは文字でのやりとりだったけれど
とても美しく。
傷つくかもしれないけれど
覚悟を決めた
彼女の前にどうか茨ではなく
お花の道がありますように。
手放しで喜べる
健全な心を私が保てるように
切に願う。
https://jp.pornhub.com/view_video.php?viewkey=ph5eff10d4d8705
理想的にはこんな感じのを
10日に一度くらいしたい。
あれも色々あったな〜。
ということで
筆を置く。
「教団には夫婦に関するルールがいくつかあります。例えば夫婦が喧嘩をしたら、24時間以内にそれぞれがなぜ怒っているのか理由を明らかにし、不満を解消しなければなりません。24時間を超えて喧嘩を継続したら違反です。そうなれば太陽の街に暮らし続けることはできません。しかしその前に、悩みを集会で告白して、隣人たちに解決の方法を仰ぐことができます。そこでも解決できなければ、教祖に助けを求めます。ただし、そこまでいくことは極めて稀です」
「離婚は人生における大きな選択です。人と人とが添い遂げようとするのはそこまで簡単なことではありません。教団は正しく離婚する方法を教えます。全ての手続きは教団を通して進めることになります。そうすれば、離婚後に元の夫婦が敵対心を持つようなことは絶対にありません。別れた後もよき友として付き合っていくことができます」
離婚の手引きまでしてくれるとは至れり尽くせりの教団ではないか。とにかく、この教団には不和反目を絶対に認めないという強い意思があるようだ。
はてブって昔からあるイメージあるけど、利用者側になるのは初めてだ。用途としてはチラシの裏みたいなことでいいのかな?
某SNSでしがらみを作ってしまい、好きなことを言えないまま「好きなこと言えよ」みたいな歪な状態で、言うに言えないことを言うためにここに来た。
文字数の制約なんかも狭くはなさそうだし、何度も投稿しなければ言い切れないようなことを、1度に言い切って溜飲を下げるにはうってつけのツールだとは感じた。
しかし実際こうやって書き始めてみると、実は言いたいことってそんなになくて、「誰かが見てくれてるかもしれない」という希望が欲しかったのかな、とも思う。
こうやって思ったことを書くだけで一種の思考整理というか、感情整理というか、手段はあるのに今までそういったことを自分があまりやってこなかったことに気付かされる。
世間が物騒で不穏な雰囲気を醸しているので、それこそストレス発散の選択肢が以前よりも持てなくなってきた。そんな中で以前と同じように働け、と言われても能率は落ち、根が詰まる。
そんなことを言い訳に使いたくはないが、今月から仕事を休んでいる自分がいる。
原因は上司との不和によるストレス性の精神疾患が主たるもの。一年ほど前に同上司にパワハラを受けた為、それがきっかけになっている。仕事を続けようと思えば続けられたのだろうが、精神が傷だらけな上に身体まで悲鳴を上げ始めており、その状態でコロナ堝ストレス堝に飛び込む道理もないだろうと妻に諭され、休職に踏み切った。
思えば半年前くらいから綻びは出ていたのだろう。しかし居酒屋で同僚や友人たちと酒を酌み交わしながら愚痴やら酒やらをこぼし合うことで取り繕っていた。
張り詰めた糸の緩めどころが無くなり、切れてしまったのが今月、という話だ。
書き始めも書き始めだが、続きはまたその内。
30になってさらに数年経ったのに、自分の生き方も自分で決められない、自分はどうしようもないやつだ、と思っている。
上司が家庭の不和をなげいて、「同じ時間を過ごすことでしか楽しめないなら、結婚しても不幸になるだけ」「なにごとも相手に求めすぎてはいけない」と言う。
世間的に当然そうするべきだとあなたは言うが、それは、私が嫌だと思う事だから、私はしたくない・しないでほしい。
私が、嫌だから。は、どこまでが真実なのか? きっと常には正しくない。
私の判断基準は、私自身がそうであるように、一生一定であるということはない。
だけれども、自分で自分の人生を生きるということは、時にはまだ来ていない人生を決定づけるようなことも、決めなければならないのだから、やっぱり、この判断を後から正しかったと思うことも間違っていたと悔いることも可能性はそれぞれあって、確率の数字は出せない。
自分で自分の人生を生きるのは、きっと楽しい。と、おもえているのだから、たぶん、きっと、だいじょうぶ、たぶん、おそらく、あるいは。
周りに似た境遇の人がいなくて自分だけなのか疑問に思ったので、ここに書いてみる。
30もとうに過ぎて未婚かつ、それなりに田舎に暮らしているが、親から一度も結婚しろと言われたことがない。
その理由をはっきりと口にされたことはないが、なんとなく察している。弟のことがあるからだろう。
手帳をもらえるほど重症ではないが、学校で集団生活をしていると、確実に浮くレベルの障害だ。
高校は、名前さえ書けば合格して進学できる学校に無理矢理入れたので、一応高卒だが、就職は出来なかった。
今は、ボランティアという形である職業の手伝いをしている。もちろんボランティアなので、賃金はでない。
国民年金は親のパート代で支払ってもらっている。
弟を支えるため、一家一団となって頑張ろう!みたいな家族なら良かっただろうが、父は仕事が忙しいと無関心で弟に目を向けようとしなかった。
存在は認知しているけど、なまじ障害がそこまで重症ではないので、目をそらしているように見えた。弟の世話はほとんど母がやってきたし、今もしている。
父は仕事の借金があって、家も貧しかった。
今はなんとか借金は返したらしいが、蓄えが全くないので、未だに苦しい。
そんな状況なので、両親はずっと不仲だ。
よく離婚しないな、と感心していたが、離婚するとどっちの生活も立ち行かなくなるので、離婚できなかっただけだと社会に出てから気づいた。
これだけ揃うと、結婚=幸せという方程式が崩れて、結婚しろと言われなくなるらしい。
ちなみに父がお金を借りようとしたせいで、親戚から疎まれているので、親類からうるさく口を出されることもない。
障害がある兄弟姉妹がいる人は、結婚についてあまり親から催促されないんじゃないだろうか。
偏見はあると自覚しているし、非人道的な考えだと言われるだろうが、障害がある家族と暮らすのは、苦しかった。
弟のことで何度もイジメられたし、弟もイジメられていた。
母も、数えられないくらい弟の事で周りに頭を下げていた。なんとか弟が人並み暮らしていけるようにと尽力していたが、未だに就職はできていない。
そんな暮らしをしてきたのだ。家族がいるから幸せとはどうしても言えなかった
結婚して子ども産めば幸せになれるという謎の神話を信じている人が多いけど、こういう形の苦労を知ってるとなまじ勧められないんじゃないかって勝手に思っている。
私は母の苦労を見てきたし、「お前に迷惑はかけない」と言われたけれど、いずれは何らかの形で弟を養っていかなくてはならないことを考えると、結婚のことは考えられない。
コロナで親族が死亡で3親等以内となったときに家庭不和などが重なっているとなると、そりゃ場合によっては・・・まぁヒロポンのような薬を正式に医者から発行されることはありえる
その場合にコロナにもかかっている恐れがあるが異なる医療機関で検査された場合、とくに検査対象ではない、ヒロポンが検出される
この場合医療機関がことなるので、この事実はコロナの検査機関には通知されない
こういったケースに対応するためコロナの検査で、コロナ以外の薬物を検査することを認められているとは思えないし
逆に どこで処方されたお薬ですか?ってどうやって聞くんだ?常識的に考えて、医療機関で正規に発行されている可能性が最も高い
そしてそれを聞いた場合、3親等以内が直近でコロナで死亡したという事実を知ることに成るんだが、それは知る必要があった事実か?といわれると医療機関が個人情報保護違反という珍しい疑いをかけられる。
コロナで3親等以内が死去するというのは今現実に起き得るし、その場合様々な条件が重なると、精神に不調をきたすことは想像にがたくなく そばに鋳者がいるために緊急で薬が処方されることは起き得る
増田書くのはすごく久しぶりだ。多少フェイク混ぜつつだけど吐き出してみる。
昔から性欲は強かった。オナニー1日5回とか普通だったし、セックスへの願望がものすごく強かった。
だが、モテなかった。絶望的にキモいオタクが同世代の女性とセックスを成就できるわけもなく、学生時代も20代も恋愛に縁がないまま魔法使いになってしまった。
30代になってほんの少しだけ女性に優しくされた。免疫のないキモオタは舞い上がり性欲はより一層増幅され、こじれにこじれたセックス願望が暴走しかけた。いや、暴走したな。
無論、その女性とはできるわけもなく、無理やりとか妄想の中だけ。そんなヘタレの悶々とした思考だけはいっちょ前に出したいと、どこぞに本当に気持ち悪い文章を書いては嘲笑の的になったりした。
その文章を見た誰かに本気で気持ち悪いと言われ、インターネットでの死を迎えた。
相変わらず性欲は強いし、セックスへの願望…いや最早神聖化された儀式への熱望は消えなかった。
ある日、みくしーでとある人物と仲良くなった。マイミクくらいで舞い上がることはなく、単に同好の士が増えただけだと思っていた。ただ、普通と違ったのは2つ。やけに好感度が高いことと、女性であることだった。
その人物とチャットでやり取りすることも増えた。悩みも打ち明けたし打ち明けられた。なんだかよくわからない感情が芽生えたのもこのころだった。
それまたある日、二人でオフ会をしないかと言われた。住んでいるのも同じ県だったし、一度会ってみたいと思ったので二つ返事で了承した。
待ち合わせ場所にいた女性は想像以上に美人だった。こんな人が自分への好感度高いなんて逆に恐怖を覚えた。それでも逃げることはなく、普通にオフ会をした。焼き鳥屋でいろいろ喋っているうちにいい雰囲気になり外に出た。
公園のベンチで話をした。なぜか好きですと言われた。唐突だったのでかなり焦ったがこっちも好きですと言った。結果付き合うことになった。
齢30で初めて恋人ができた。程なくして魔法使いじゃなくなった。初めての感想はよくわからないうちに終わったというのと、人の肌は暖かく心地いいだった。
拗れたセックス願望は無事昇華され、そのまま消えてほしかった。実際ある程度消えていた。なにせ求めれば応えてくれるのだからもうそういうものは必要ではなくなった。ハズだった。
その女性とは程なく入籍し、結婚式も挙げた。自己肯定感も上がり、社交的にもなれた。キモイから若干挙動不審なフツメンくらいには変身できた。
夜の生活も上々で子供もできた、ならこんなクソみたいな文章書くこともなかっただろう。
ある日、セックスが苦痛だと妻に言われた。ずっとずっと苦痛だったと言われた。
自分に非があるのかと思い土下座した。しかしよく聞くとかなり根深いものだった。
生育環境から初体験、果てはセクシャルマイノリティの概念まで混じった相当やばいものが根にあり、ずっと言えなかったらしい。さすがにこれはどうしようもなかった。
週1回が月1回になり、最終的には妻から誘われるまでナシになった。
気が付いたらアラフォーになっていた。相変わらず性欲は強いままだった。2次3次なんでも大丈夫だし、なんなら画像すら必要ないくらい想像力豊かだ。
フリンもフーゾクもできず、テンガ様にお世話になってばかりだ。最後にセックスしたのはいつだっただろうか。もう遠い昔のように感じる。
嘘だよ。本当はセックスができなくてすごく苦しい。できなくて死にそうなんだよ。マジつらい。
20代くらいのセックスへの願望みたいなのが出てきている。サルかお前は。
家庭内の不和はない。むしろ滅茶苦茶夫婦仲は良い。信頼や相談もできているし、してくれる。
…セックスのこと以外はな。
フリンは社会的に死ぬし、フーゾクは金がないから無理。パパ活?顔を見てから言え。
さすがに精神科医師に相談したらオナニーで解消しろと言われた。それで解消してねーから来たんだろ。アホか。
完全にデッドロック状態になった。だけど性欲はあふれんばかり。セックスへの渇望は日に日に増大している。それで死にそうな顔しているんだぜ。バカみたいだろ?
今は去勢を考えている。金玉取れば少しはましになるかなと思っている。でも、この国では性不一致じゃないとそういう手術はしてくれないらしい。
そもそもそれを治療にしている場所はないみたいだ。精々男性ホルモンを減らすくらいしか手立てはなかった。
ちなみに妻との離婚は考えていない。人間として尊敬できるし、好きだもん。死ぬまでそばを歩きたいと思っている。
その前にセックスできなくて憤死しそうだけどな。
人間3大欲求の1柱を完全に押し殺し、生きていこうと思っている。
フリンもフーゾクもせず、にこやかに生き、夫婦仲は良く、仕事もそつなくこなして生きよう。
アラフィフくらいになったら自然と枯れるだろう。そう思おう。それでいい。それでいいんだ。
無理だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
セックスしてぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl
「もし“幻の10話”に、オレの指摘したリスクよりも大きなリターンがあるなら、封殺されるのはオレだったろう。オレのことをよく思っていない上役は、当時からたくさんいたしな。だが結論は、そういうことだ」
こうして、そのエピソードはお蔵入りとなり、“幻の10話”は幻となった。
「10話の放送は、本来11話だったものを修正して話の帳尻を合わせ、それを10話として放送することで事なきを得ました」
とはいえ「事なきを得た」という解釈は、あくまで側面的な話だ。
この“幻の10話”に携わったスタッフたちは、そうは思えなかった。
「そりゃあ、あいつらからすれば不服だろうな。理由があるとはいえ、せっかく作ったものを全部なかったことにされたんだから」
この出来事は彼らから反感を買い、シューゴさんとの間に不和が生じた。
「きっかけはオレの一言だろうが、実際このエピソードに不備があることは、最終的に誰もが認めるところだ」
だが、「シューゴ監督のワンマンぶりが、自分たちの努力と熱意の結晶を砕いた」という印象が強かったのだろう。
「界隈から“ちゃぶ台返しのシューゴ”って呼ばれるようになったのは、その頃でしたっけ」
「あの件を、オレのワガママみたいに言われるのは不服だがな。オレだって、飯に虫が入ってなけりゃあ慌ててひっくり返したりはしねーよ。ましてや後始末はこっちがやってるんだぞ」
「あの時の判断は間違っていなかったと今でも思う。けれどバツの悪さは否定できない。結果としてこのスタジオはシューゴさんと、従来の制作スタイルを選んだ。一作品の一話のために、一部のスタッフを追い出して……」
残った旧スタッフが気まずそうにしていたのも、それが理由だった。
初めまして。誰にも相談できなくて、というか相談してもどうしようもないので、書かせてほしい。
28歳女。引きこもりニート。12月に家の給湯器が壊れ、6か月風呂に入ってない。
気分次第で家の雰囲気を天国にも地獄にもする父親と、「育ててやってんだから文句あるなら出ていけ」が口癖の母親の間に生まれ、下には妹が1人。
高校生の頃に両親離婚、母と妹と暮らす。父はもうどこでなにをやってるか分からない。
大人になるまでに家族の不和について外部の人間に相談するタイミングはいくらでもあったが、家がガチのゴミ屋敷のため人を招く事も、家の事情を口外することも禁止され何も言えず。
挙句中学で面倒ないじめっこに目をつけられ、相談した教師には「本人に注意しといたからもう大丈夫」と返されるが大丈夫なはずもなく、卒業まで苦しめられる。(その言葉が「お前が俺にチクってきたことバラしといたぞ」の意だった事に気づいたのは大人になってから)
頼れる人間が誰もおらず、心によく分からない辛さだけが溜まり、朝起きれなくなり、学校に行けなくなり、ネットゲームに逃げるようになる。
典型的な引きこもりになりつつある私に対して妹は軽蔑し、母は焦っていた。2人は結託して私をこき下ろし、「家族の問題はこいつさえいなければ解決する」かのように仕立て上げた。私もそう思ってた。
ある日、友人が父親に帰りの迎えを頼んでいる電話を聞いて、「普通の家庭は父親となれなれしく会話しても怒られない」事を知り驚愕。
家は普通じゃない、このまま実家にいたらいけないと思い、紆余曲折あって県外に男を作って転がり込んだ。
さらに紆余曲折あって最終的には一人暮らしになったが、今思い出してもあの暮らしは楽しかった。
自分で決めた仕事を始めた事、自分で洋服を選べる事、お金の使い道を笑われない事、全部が楽しかった。最初は。
問題は仕事が全く続かなかった事。今までにいろんな仕事をした。コンビニ店員、生命保険のコールセンター、ゲーム会社のCGデザイナー見習い…。
どの仕事も怒られた事なんかほとんどなかった。顔色伺って生きてきたから、人が自分に何を期待しているのか良く分かったし、その通りにしていれば優秀と褒められた。(っていうか、妙に固くて生真面目で融通きかない上に話もサムい人っているじゃん。たぶん私はアレだった)
でも私のやりたいことではなかった。じゃあ私は何がしたいのかと考えても、もうその時には分からなくなっていた。
実家に帰りたくなくて、生活費を消費者金融に借金して就活した。バイトや派遣なんて中途半端な事してるから続かないんだと思い込んで、正社員になった。
インフラエンジニアの資格を取って、将来はああしてこうして、と計画した。
シスコだかっていう参考書が枕の高さくらいある資格だったけど、毎日勉強して1,2か月程度で取れる予定だった。養成学校のような所に入って(無料だった)、トップに近い成績を維持し、面接を受けた会社は一発合格した。親も講師もみんな喜んだ。でも入社1週間で「もう無理だ」と悟った。
結局、100万の借金を抱えて実家に頭下げて出戻った。妹には「うちにはお金がないのに、母親を殺す気か」となじられた。
戻ってからキャバ嬢の仕事を始めた。もうプライドなんかなかった。というか、だいぶ昔から頭が働いてなかった。
心療内科には高校生の頃からいろんな場所に通っていたけど、病院が変わるたびに病名が変わり、そのどれも薬が効いた例はなかった。医者が何でもいいから病名を付けただけにしか思えなかった。
心のわだかまりについてはカウンセリングの方が向いてるのだろうが、1時間で数万円。保険はきかず、貧困状態の私には払えそうになかった。
結局キャバ嬢も続かず、次の仕事どうしようと思いながら家に引きこもっている時、給湯器が壊れた。いつかこういうときが来ると思った。
一人暮らし中に片付いた家の健康さを知ってから、実家をどうにかしなければと思って帰省してすぐトイレと脱衣所とキッチンを片付けていた。
黒カビで染まっていた風呂場の床も、年単位で洗ってない壁も、一生懸命ブラシで擦ってカビ漂白剤を1本使い切った。
でもここの家に危機感を感じていたのは私だけで、住んでいた妹も親も、この生活に慣れきっていたから何も困ってはいなかった。
妹は風呂場の掃除の仕方が気に入らなかったようで、自分で後からやり直し、「あんたが帰ってきたからやらなくていい家事が増えた。」
更には脱衣所の服の山に手を付けた事に対して「私の物に勝手に触らないで」と怒られた。
母も最初こそ「床が見える。片付けてくれてありがとう」と言ったものの、いざ一緒に家を片付けようよという話を持ち掛けた途端不機嫌になっていき、最終的に「ここは私の家だ。私はあんたと違って仕事もできてるし、何も困ってない。私の物に触るな」と言われてしまった。
実は風呂が壊れた時にようやく「片付けを手伝え、この家と私を見ても何とも思わないのか」と言われたが、既に文句をいう元気も、片づけを手伝う元気も私には残ってなかった。片付けたいけど。
だから家は一生片付かない。家を片付けられないから、風呂を直せない。風呂に入れないから、仕事に行けない。
もう疲れた。何も考えられない。揉めたくない。何しても私のせいにされるなら、もういっそクズになろう。自己破産して生活保護を受けよう。
そう思って役所に電話で助けて欲しいと電話したら、「家を出たらどうですか、そうしたら生活保護受けられますよ(要約)」と。その金がないので、福祉に頼るのも諦めた。というか、全部諦めた。
もういいじゃん。クズなんだから。風呂に入らなくても、仕事しなくても、逃げてもいいじゃん。もう無理。知らない。
もう髪の毛も絡まってほどけないのも、キャバ嬢時代とは比べ物にならない肌の荒れようも、ぺりぺり剥がれていく皮膚の垢も、知らない。見ない。感じない。
きっとこの家はいつか火事になるし、そうでなくても母親を突然病で亡くすかもしれない。それまでこの家はきっとこのままだろう。
絶対に後悔することも分かってる。父親はどうでもいいけど、母親の事は一応好きだし感謝してる。恨んでないと言えば嘘になるけど、それとこれとは不思議と別で。だからこんな状態で何かが起こるのは絶対に嫌だ。でももう体も脳も動かない。その時が来るのを待つしかない。
同情引きたくて書いた訳じゃないから、アドバイスとかはいらないよ。
ただ書きたかった。
心が弱いから鬱になったって責められた話はよく聞くけど、骨密度が低いから骨折したって責められた人には会ったことない。心の強度に効くものは経口摂取出来ないけど骨密度を上げるものは経口摂取できる。
なぜ骨折したか、それは例えば階段から落ちたから、車に轢かれたから、余暇のスポーツの最中に。骨折したので数週間入院します、暫く腕を吊ります松葉杖を使います、検査のため早退します、出来ない業務が発生します。それは許される
なぜ鬱になったか、それは例えば上司からのパワハラ、取引先からのモラハラ、業務時間外の連絡、家庭内不和、親族の死。鬱になったので休職したいです。本当にあなたは鬱ですか?定型ですか非定型ですか?診断書は2つ以上の病院から貰うように、心療内科ではなく精神科、医師はベテランが望ましい。簡単には休ませられない、あなたにはあなたの業務がある。
骨折したなら少なくとも同じ部署の人間には周知する。あの人は不慮の事故で骨折したのでしばらく入院します、不便もあるから助けてあげてね。
鬱になったことを上司は隠したがる。悪く思う人もいるから、しばらく黙ってよう。よくなったらみんなで笑い話にすればいいさ。勤怠は少しなら大目に見るよ、有給あるでしょ?
弊社、制度外の方法で在宅勤務の無制限実施(強制)をしているので、その根拠を政府判断に基づいてるんです。
GW中に延長か解除の判断示すって言われても、休暇中に同じく休暇中である総務や現場管理者からちょっとした大企業レベルの人数に連絡出すのがどれだけ手間か、考えてほしい。
緊急事態宣言前なんて、在宅勤務無制限で推奨してましたけど、家にいたくないとかいう社員相当いたからね!
自分は家に通信環境がないからリモートできないとかいう社員にポケットwi-fi調達したけど、多分この中の何割かは在宅勤務したくないために嘘ついてたやつらだし、光熱水費分の手当よこせとかごねてきたやつなんて、「うっせー!通勤費返還させるぞ!」とか言って黙らせてるし。
ネットで声のデカい人達は引きこもりや、そこまで極端じゃなくても仕事以外ではほとんど外に出ないような人が多いから、外出自粛とか余裕だろみたいな空気が流れているけど、そういう人達は生活習慣レベルで外に出ない生活に心身を適応させているから余裕なだけで、日頃から外に出て健全な生活を送っていた人が急に外出できなくなると気がおかしくなるのが普通なんだよな。
精神がまいって病んでしまったり、攻撃的になって家庭内で不和を起こしたり、自棄になって思いっきり外出してしまう人が出るのも自然なことなんだろう。
お上は外出自粛の"撤退"を呼び掛けているが、マスクをして人混みを避けながら安全に配慮したほどほどの外出を適度にした方が絶対本人の健康のためになると思う。