はてなキーワード: 不和とは
一人でワンルームとかに住むんなら全然なんとかなる 毎日掃除するとか服をたたむとかそういう部分をカットすればかなり楽
食事にしたって冷凍食品も惣菜もかなりいいものが結構安く売ってる
そもそもいらねえ!こんな世に、しかも俺の子として生まれる子供がかわいそうだ
むしろ一人の人間と同じ家の中でずっと暮らすということの方に不安がある よっぽど相性よくないと不和が生じるじゃん 家に帰って気持ちよく一人になれないってなんだよ
もう結婚してないとダメって風潮もだいぶ薄れてきたし、俺が今でいう結婚せんといかん年齢になるころにはほぼ意味なくなってそう
したい相手が既にいるならまあやればいいと思うけど、わざわざ結婚するために相手を探そうとまでする動機が少なくとも俺にはない
仲が良かった友人の、身内鍵アカウントから断絶されていたのに今日気づいた。
初めて会ったのは2019年の1月だった。Twitterで仲良くなり始めたのは…いつだったっけ。ずいぶん前だったからもう覚えてないけど、1回会ったら何回も遊ぶようになって、お互いがお互いといる時間が楽しいなと思うようになって、6月には相手の家に泊まりに行って、私は初めてお酒を飲んだり深夜にコンビニに行ったり、友人はベースを買って一緒にスタジオで演奏もした。
まず私は人からの好意を素直に受け取るのが苦手な上に自己主張をしないたちで、向こうも伝えるのが苦手だったし、あんまり自分の内側の話を面と向かって話さないけど一緒にいる空間をここちいと思っていた。私だけだったのかもしれないけど。
共通の友人も増えた。それこそ一緒にスタジオ練だとか、カラオケだとか、大学が終わったその足で家に行ったり、何人かでご飯に行ったり。言って仕舞えば当たり障りのない関係というか、仲良いよね〜私たちいい友達だね!と言い聞かせてるみたいで、でもその形に当てはめられているのは不快ではなかったし、私としては好都合だった。
三ヶ月くらいしてから、妙によそよそしくなった。私がいたら喋ってくれなくなった。露骨に裂けてるなー、と判る態度を取られて、それってつまり悪者にしたいわけだね?と悲しくなった私は、本人は見えないけど共通の友人がいるアカウントに@tosという便利な機能で愚痴を書いた。無視はひどくなった。内通者の存在がわかりやすいなー、と思いながら、個人のラインに直接「なんでそういう態度をとるのか」聞いて、向こうの認識と私の振る舞いの相違があるなあ〜なんて考えた。一度壊れかけたものは頑張って戻しても不和がちらつくようになるから、もう無理だと思った私は話を着地させてそれ以来話すのをやめた。友人は私より人気者であり、話題に上りやすかったので、私も仲良くしたかったのにな〜〜〜〜〜とか考えたくないので名前やら渾名やらをぜんぶミュートワードに入れた。
先日、共通の友人のうちの一人と腰を据えて話す機会があった。お酒をゆっくり体に回しながら、自分の人間性の話や、聞きたくもない自己分析を聞いて、その流れで仲違いした友人の話になった。
「相談乗ってたんだよ」と彼は言って、「もともと君もあの人もスタート地点が違っていて、仲がいいと思い込んでいた。けど、そうじゃないって気づいて、踏み外したところから直ろうとした(からこうなった。)」と続けられた。友人はその意見に納得したらしく、正しいものであると繰り返し主張する彼に腹が立った。
結局ここまで打ってもわたしはまだ彼女とまた仲良くしたいだけで、かなわないことが悲しくって考えていることがまとまらないにちがいないのだ。新しい環境に入っていく彼女はきっと素晴らしい人間に囲まれて、持ち前のカリスマ性でのしあがっていったり、彼女なりの幸せを過ごしていくのだろう。私のことは忘れていくのだろう、 ああ〜でもやっぱさびしいなあ 仲良くしていたかったな〜〜どこで間違えたんだろうなあ 許さなくていいからあと1回だけでも遊んで欲しかったよ 次の夏は私も混ぜていっしょに花火しよって言ったじゃん 8月から9月の間になにがあったんだよ さびしいよー
最近Twitterでやたら見掛ける映画がありますね、そう、ミッドサマーです。
「カップルが観ると死ぬ」「観て別れたらセラピーを保証して貰える」など、カップルで観るなランキング2020の1位を独走中の映画ということで、観に行くことにしました、カップルで。
とは言え監督も「固い絆があれば大丈夫だよ!」と言っているみたいですし、これで観た後に破局となったらと思うと興奮しますね。ちなみに両者共にアリ・アスター監督作品は初見です。
と言うわけで、カップルでミッドサマーを観に行った感想文です。知識が無いので有用で目新しい考察とかは全く無いです。
このご時世ですが国内旅行を嗜んでいる中、ミッドサマー鑑賞会を決行しました。ロケーションは某県市内、上映している中で一番行きやすい映画館を探してみるとミッドサマーともう一種類しかやっていないという中々に硬派な劇場(経営大丈夫?)でした。
上映後即入れ替え制でしたが、観覧後らしい女子大生が得意げなドヤ顔で「えーこれくらいのグロ余裕だよぉ」「ヘレディタリーはもっと凄いよ〜笑」みたいに語っていた為、この映画はひょっとすると『そういう』層ばかりが観ているのではないかと不安になりました。勿論、鏡の中の私もその一人だからです。
ですが昔の人は言いました、人の振り見て我が振り直せ、そんな訳で襟を正して場内へ。
私は映画館に行ったらポップコーンを頼むのは様式美、映画館に対して表するべき敬意であると常日頃から考えているクソデブですのでポップコーンを購入。二種類あったので当然二種類頼みます。ミッドサマーは上映時間が2時間を超えるらしいので、お茶やコーヒーの類を頼み膀胱への刺激は最小限に抑えます。
さて、開始早々にメンヘラ不穏メンヘラ不穏不穏メンヘラヘラヘラ不穏みたいな流れに困惑、しかしこれはきっと明るく楽しい狂気の下地なのでしょう。分かれる寸前のカップルか?(そうです)みたいなカップル内不和を堪能し、こういうのがじわじわ来るカップルもこの中に居るのかなぁって思ったらなんだかとってもドキドキしちゃいましたね。
随所にグロテスクな映像やホラー的な表現はあるものの、概ね「まぁそうなるよね」と予想のつく流れが多い。なのでこう、ビックリしてドーンがバーンでギャーみたいな感じはない。そういう面で言えばドッキリ系ホラーが苦手な人でも安心して観れるんじゃないでしょうか。
後から公式の解説ページを読んでみたのですが、「あーやっぱりそうかぁ」もあれば「ホァ!?」ってなった部分もあったので、全体の雰囲気に流されて細かい狂気を見逃したり、一瞬の狂気をきちんと理解できていなかったりする部分があるんだろうなぁと思いました。
個人的に血の鷹は後からヒョェって感じです。ただ、なんで彼がそんな拷問のような仕打ちを受ける役回りになったんでしょうね?立ちション白人がやられるならわかるんですけど。細かく描かれていないだけで、儀式的な必然性があるんですかね。
あと結構セックスが云々って話題になってたので、もっとセックスシーンがエグいと思ってた、予想してたのは「あの緑の傘みたいなのは子宮のメタファーであの木の下で大乱交素ファック(ゴム無しの意)ブラザーズ(穴兄弟の意)」とかだったんですけど。
本当に申し訳ないと思っていますがミッドガルの花屋の登場シーンみたいだなって思いました。
さてラストに差し掛かって、熊が炎上するじゃないですか。そこで「あーあの子せっかく種貰ったんに15分でパパ居なくなっちゃうんだなぁ」って思っていたのですけれど。これ、そもそも違うんですよね。異邦人はホルガのコミュニティの一員ではないんだから父親ではない、アメリカからやって来たデリバリー精子でしかないと気付いたのは半日位経った後でした。
この感覚の違い、普段うんこちんちんで面白おかしく生きているつもりになっている自分がいかに平凡な一般人であるかを思い知らされる大変に良い経験だったなぁと思います。この映画の色んな部分に「?」を感じている時点で私もあなたもホルガの民ではないってことなのでしょう。安心ですね。
普段から物語に(特にホラーに)触れている人間なら絶対に「最後にこの女は死ぬな」って予想すると思うんですよ。スタッフロールの後、この黒い画面が転換したら次はこいつだろうなと、でもそんなものは無くて、ミッドサマーはここで終わる。
観賞後に「最後絶対死ぬと思ったのに」「ねー」なんてやり取りをしていたけれど、そりゃ死ぬわけないんですよね。
ミッドサマーはちょっとグロや理解不能な演出が多いだけで、きっとホラー映画やサスペンス映画じゃないんですもん。
老人も異邦人も村人も死んだ、けれどそれは必然で、必要だから死んだっていうだけなんですよね。死んだ、殺した、そういう観点ですら無いんでしょう。だからダニーは死なないんだなぁって、それが凄くこの映画らしい終わり方だなぁって思いました。
私はミッドサマーはホラー演出が多いだけでホラー映画ではないとはっきりと言い切りたい、ちょっとトラウマを刺激する可能性があったり観ている人間を不安定にさせたり不快にさせたりグロテスクな表現があったり理解が難しかったりするだけの、ホルガ村ドキュメンタリーなのでは?って感じ。
映像は物凄く綺麗で、狂気は往々にして美しいものだよなぁとひしひしと感じました。
ところでペレの親が炎に巻かれて死んだって言うのはかつて供物に捧げられたってことですかね?って思ったけどこの祝祭90年に1度しかやらないんでしたっけ。この点と点を結ぶ発想も一般的な思考だなぁと感じます。
深読みして考察して理解しようとするのもまた、意味の分からないものに飲み込まれないようにするための防衛の方法なんでしょうね。
解放とカタルシスのハッピーエンド、というのは本当にその通りだと思います。
最終的に二人で感想を分かち合った所、「いや流石にクリスチャン可哀想では……?」で意見が一致したので、どうやら我々はミッドサマーのせいでは別れずに済みそうです。鑑賞日が29日で肉の日だったこともあり、この後二人でホルモン焼肉に行きました。完全な悪ノリですね、美味しかったです。
さて、メンヘラ女とはなる早で別れろ、というのが総まとめの映画でした。
なんなら皆が死んだのは一年前の時点で別れておかなかったクリスチャンのせいとすら思います。この映画の隠されたメッセージは「やるべきことを先延ばしにし続けると取り返しのつかないことになるぞ」ではないでょうか?いやぁグズには刺さるメッセージですね。だからインターネットランドも含めて爆発的に流行ったのかもしれないですね!
瞬間最大恐怖で言うと、CATSの方が怖かったです。
おわり
竹島:あの頃は人間扱いしてくれなかった。エベレストに登らされたとき、この仕事を請けたのは失敗だと思いました。
この時の『Mの活劇』の撮影について、Mのスタントである竹島秋雄はこう語ります。
竹島:監督のこだわりと言えば聞こえはいいですが、どちらかというとワガママでしょうね。たった十数秒のシーンのために、わざわざ実際に登る必要はなかった。
監督:初期の『Mの活劇』はショート作品だったので、とにかくインパクトが大事だと考えていました。
この制作スタイルはシーズンごとに落ち着き、起承転結を意識した構成になっていきます。
監督:脚本が完成しないんです。大まかなプロットは複数あって、ストックも常にあります。しかし、それを物語として構築する作業にとても時間がかかりました。
脚本家:1話ごとの放送時間が延びたのが主な原因でしょう。通常、こういう作業には複数の脚本家がチームを組んでやるのですが、元はショート作品だった『Mの活劇』では監督との二人三脚なんです。
そうして完成しても、予期せぬ障害が発生したことも珍しくありません。
監督:意図せず時事ネタになってしまった時は頭を抱えました。編集も終わってた段階だったので、かなりショックでしたね。
そう苦笑しながら、お蔵入りとなった台本と記録媒体を我々に見せてくれた。
監督:この話自体が、当時放送できなかったフィルムを探すって話だから皮肉なもんです。
そのストーリーとは、諸事情で封印された「幻のエピソード」を現スタッフたちが追い求めるというもの。
なんとかフィルムは見つかるのだが、火の不始末によって燃えてしまう。
中身を見ることなく、結局は「幻のエピソード」となってしまうという展開でしたが、このシーンが問題視されました。
監督:現実で、とあるスタジオがマジで火事になっちゃって、不謹慎だからって放送局に拒否されましたよ。
脚本家:そこまではいかずとも、周りで話題になっていることと制作中のテーマが似てしまうなんてのはよくありました。
監督:こちらとしては乗っかっているつもりはないし、そういう風に思われたくもないから時期をズラしたりしてるのに、なぜか再燃して結局はカブるという。
そうした予定外から生まれる急ピッチ制作は、作品の質にも表れます。
テーマが前のめりすぎたり、尻切れトンボなエピソードが出来ました。
監督:枚挙に暇がないけど、くどいというか説教臭いというか。主張がセリフに落とし込めていない感じが今でもする。
脚本家:特に試行錯誤していた中期は、その傾向が強い気がしますね。
他にも課題はありました。
役者たちとの連携が上手くとれず、現場では何度か不和も起きたといいます。
それが世間に認知されたのは、出演者の一人が書いた暴露本でした。
「それ面白い?」
「少なくとも眠くはならん」
皆は口々に「えー」と声を洩らす。
これを持ってきた時、既に年を越していたのが問題だった。
時計の短針は1の数字を指しており、食べるタイミングとしては完全に手遅れだ。
「別に年を越した後に食ってもいいんじゃないかって思うんだよね。“年越し蕎麦”って呼ばれてるんだからさ。年を越す前に食べるか、後に食べるかなんて、この名前だけじゃ確定しない」
そんなこと言い出したら年越し蕎麦自体、どうしても食わなきゃダメってもんじゃない。
しかし出された以上、食わないわけにもいかないので、俺たちは番組を尻目に麺をすするしかなかった。
転職して1ヶ月
適応障害?みたいな激しい気分の落ち込みと
中2のときは同じ部活の同期や後輩とすれ違いが起きて半年以上一言も喋らなかった
誰にも相談せずに表面上は普通に過ごしてたけど、毎日自殺するか相手を殺すかどっちかっていう心理だった
その後関係は回復し、高校には進学したが、高1のとき学校の勉強がまったくわからず、定期テスト前日に家の風邪薬全部飲んだけど死ねなかった
https://anond.hatelabo.jp/20170830220835
未来のことを考えるとメンタルが病むことがわかって、このときくらいから将来の夢とか長期的なビジョンとか考えられなくなった
たまたま好きな科目があったから勉強して文系の大学に進学できた
大学ではゼミも入れず単位だけとって卒業して、特に勉強した気がしなかった
100社以上の就活
https://anond.hatelabo.jp/20150829234225
http://anond.hatelabo.jp/20160119225411
https://anond.hatelabo.jp/20190703101028
辞めた
そして今回の転職後の鬱
どうせどの職場にいても、みんなに優しくしていただいても鬱になるのだろう
将来の夢とか長期的な展望がないから、今年はそれを何としてでも埋めるために旅行に結構行ったが、もう行きたい場所がなくなってしまった
正社員でとってもらったのに
こんなんじゃどこで働いてもダメだろう
とりあえずこのあたりだけ読んどけばええやん。
なんかよう分からん奴らが振り回すよう分からん理屈を鵜呑みにしてみせる必要はないやろ。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に, 日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が,一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています
http://www.moj.go.jp/content/001184402.pdf
専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するものに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど,本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として,本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/hate-speech
人種、宗教、性別、性的指向(=同性愛者であるという事実など)に基づいて、人またはグループに対する憎悪を表現する、または暴力を助長する公開発言。
ヘイトスピーチって何ですか?
ヘイトスピーチの国際的な法的定義は存在せず、 「憎むべき」 ものの特徴付けについては議論があり、論争もある。この文書の文脈では、ヘイトスピーチという用語は、人やグループの宗教、民族、国籍、人種、人種、肌の色、血統、性別、その他のアイデンティティー要素に基づいて、人やグループに関する軽蔑的または差別的な言葉を攻撃または使用する、発言、文章または行動におけるあらゆる種類のコミュニケーションとして理解される。これはしばしば根付いており、不寛容と憎しみを生み出し、ある状況では屈辱的で不和になることもある。
自殺した児童生徒 最多の332人 昭和63年度以降で | NHKニュース
この記事で文部科学省の発表で、自殺の6割の原因が不明ということで多くのブクマカが異議を唱えている。
いじめ問題は皆が注目し、よくニュースになるので自殺の原因はいじめだろうというバイアスを持っている人は多いが、実際の自殺の原因は文部科学省の統計ではなく、厚生労働省や警視庁の統計を見れば分かる。
この朝日の記事を見ても分かるが、実際の自殺の原因は「親子関係の不和」、「学友との不和」、「学業不振」が多く、いじめが原因で自殺する人は多くない。
https://www.asahi.com/articles/ASM6F323JM6FUTFK005.html
もちろん統計に現れないイジメもあるだろうが、それ以上に他の原因で自殺する人が多いのだ。
特に近年小中高生の自殺が増加しているのは「脱ゆとり」教育のためである。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H6D_Y6A120C1CR8000/
遊ぶ時間が減り、勉強する時間や成績について悩む時間が増えストレスを感じ自殺する小中高生が増加しているのだ。
また児童生徒の自殺者数のグラフは、平成25年度以降に高等学校通信制課程の生徒の自殺が加わっている。NHKの記事では説明されていない事に留意したい。
イジメによる自殺は非常にセンセーショナルでニュースになり多くの人の目に留まるが、実際は「家庭内の不和」や「学業によるストレス」で自殺する若者が多いのだ。
一旦終了
再開
このあいだ「ALL OUT!!」が3巻まで無料とかやってたから読んだんだけど。
まーぁ、実に女性が描く男性たちのスポーツって感じで、とってもホモホモしいなぁと思ったんだ。
女性の描く漫画全てかどうか知らんけど、この漫画は「感情。感情。感情。」とにかく、彼ら登場人物の心持ちが大事で、自分の中の葛藤が解決すれば現実の問題点もすべて解決、チームメイトとの不和も解消、自分の実力も100%発揮、あの強敵にも一矢報いて万々歳。
うーん。
けっしてつまらない漫画だとは思わないんだけど、なんかそこが気持ち悪いというか違和感あるというか。
でもけっしてそれが間違いではないとも思い、こういう表現もありなのかなぁと言う気がしないでもない。
そもそも自分だって、昔は彼氏彼女の事情を読み、有馬君の家庭環境に涙し、それが自分にとっての大きな癒しではあったんだよね。
こうして増田にいるから、女性憎しの考えに染まっていってるだけなんでしょうか。
ああいう、なんていうか感情重視の描写も一つのエンターテイメントで、思想に染まっていない男性なら面白おかしく読むことができるんですかね?
まぁみんなも読んでから語ってくださいよ。まだ無料みたいだから。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00CAPUEAE/
今思ったんだけど、
これが煽りなのかなんなのか判別はできないけど、こういう素朴な声が上がる可能性は十分ある。異文化を理解するというのは、こういうおぞましさを越えることだ。本当の意味で異文化がコミュニケーションしたら、当然こうなるのだ。「異文化」が「怖い」のは当たり前なことなんだよ。
些細なことなら、また一時的なことであれば、「片方が片方の文化のやり方に嫌々従う」形で見せかけの「交流」をすることは十分可能だ。たとえば力で(外交)、あるいは金で(経済)。だがそれはコミュニケーションでなくただ物理で殴っただけだ。そこにはどんな「理解」もない。戦争で勝った? 征服した? それで朝鮮半島の人々は日本を理解したか? 残念ながら、力は何も解決しない。そんなことは歴史を見ればよくわかる。では、どうすれば?
お互い「わからない」ことを前提とする世界で、初めて「ルール」が現れる。私たちは「ルール」を通して初めて異文化を「理解」することができる。そこで「ルール」はすなわち共通語として機能する。
日韓は、これまで共同の仮想敵(つまり北)を置くことで、見せかけの融和関係を保ってきたに過ぎず、本当の意味での共同ルールも作れていないし、従って外交関係も築き上げてこなかった。共同の「敵」がいる状態ならそれでもなんとかなった。むしろ、そのツケを払わないで済ませるために共同の「敵」を要請してきた。極東に橋頭堡を築きたい大国の思惑がそれを後押ししてきた。そうして極東の人々は構造的な不和の状態を日常にしてきた。そして、そこから得られる甘い汁は、私たち自身をもどっぷり浸している。
だが、もう無理だ。そういうごまかしは永遠には続かない。私たちはそろそろこの「不和」の真実に気づき始めている。その不和と直面しない限り、この極東の人々に未来はないということに。
【コラム】米当局者「なぜ我々が韓日の仲裁をしなければならないのか」
「助けを要請されるまでは難しい…両国が自分たちで問題解決すべき」
同盟に大きな意味を置かないトランプ外交、過去の政権と違い介入に消極的
「韓国と日本が助けを要請してくる前に、米国が両国の確執解決に乗り出すのは難しいだろう」
日本が韓国の半導体・ディスプレイ中核材料の輸出規制を予告した直後の2日に会ったトランプ政権のある高官は、「2015年の韓日慰安婦合意をはじめ、悪化した韓日関係を米国が解決するために水面下で役割を担うのは、韓日両国が米国に助力してほしいと要請してきたからだった。今はそのころとは違う。今回の確執は韓国と日本が自分たちで解決していくだろう」と言った。
日本が韓国に対する輸出規制を予告した1日、米国務省が韓日確執について見せた公の反応は「米国は韓日との3国間協力をさらに強化することに専念している」というものだった。だが、この高官が告白したトランプ政権の本音は「韓日が望んでもいないのに、米国があえて乗り出す必要があるだろうか」というものだった。
韓日関係が悪化しているのにもかかわらず、米政府が積極的に動かない状況は例外的と言っていい。先月初め、ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)での討論に出席したリチャード・アーミテージ元国務副長官は「私が遠くから観察したところでは、米国の外交が常にしてきたこと、つまり、間に入って静かに合意を勧告する役割を、我々がしていないということだ」と語った。韓日確執について沈黙を守るより、アジアでの米国の影響力を最小限にとどめようとする中国の戦略に対応するためにも、韓日関係改善のために乗り出すべきだということだ。
ブルームバーグ通信も4日、トランプ政権が沈黙を守る中、韓日の不和は危険な局面にさしかかっている」と報道した。米スタンフォード大学ショレンスタイン・アジア太平洋研究センターのダニエル・スナイダー教授はブルームバーグ通信に「北東アジアにある米国の2つの主要同盟国同士で緊張が高まっているのは、米国の国家安保利益に対する脅威であることを米国は常に理解していた。トランプ政権はその責任を放棄した」と語った。
落ちるといいっすね、拳骨(笑)
高校卒業して自立したいなら就職すればよい。住み込みの仕事もある。学校の進路室で相談しろ。
遠い地の専門学校に行くのもよい。学費は借金だと思ってこっそり借用証書を書いておけ。2年で専門職につける可能性があり自立には手っ取り早い。専門出てまで数百万を貯める自信がないなら、増田にはそもそも自立する能力も何もないってことだ。大人しく養われておけ。
どの道を選んでも親には色々言われるかもしれないが、どうせどんな進路を選ぼうと色々言われるんだ。それが自立ってものだ。
どっちにしろいまの増田に一番必要なのは、「いったん距離を置く」ことだと思う。
落ち着いて登場人物一覧を見直せ。どこにも「悪人」はいない。一人も。
相互に好き、嫌いはそりゃあるだろ。だが、あからさまな「悪人」と言えそうな人は、残念ながら増田を含めて誰一人見当たらない。
だから、これはいわゆる陳腐な「すれ違い」ドラマって奴なんだ。
ひょっとして一生かかるかもしれない。
おまけに増田は素直じゃない性格ときた。「素直じゃない」というか「勇気が足りない」。溜め込むタチだ。
正直、一生かかっても無理かもしれないな。
だが、怒っているうちは「和解したい」という考えがどこかにあるように、距離を置いている間はいつか近づければ良いと思っているということなんだ。だから「今は距離を置かせて欲しい。時間がほしい」とだけ伝えて、あとは距離を置くのがいい。自分が何に腹を立てているのか、自分なりに整理できて、言語化できるようになるまで。
〈赦す〉というのは難しいことだ。一生かかる仕事だ。だが、相手のためにそれをする(赦す)のではない。自分のために赦すのだ。あなたはあなた自身の人生を救うために、一歩前に進めるために、一生かかっても「赦す」ことを目指さなくてはいけない。ただ「私が我慢する」だけでは、永遠にあなたの地獄は終わらない。そしてあなたの地獄が終わらないということは、結局何一つ解決しないということだよ。どうすれば「赦す」ことができるかって、そりゃ人それぞれだ。だが、あなたがそうしたいと心の底から思うなら、あなたはいつかそれを「赦す」ことができるんだと思う。ただ、今はその時じゃないだろう。
距離を置くのは、傷が塞がるのを待つってことだ。今、近くにいたら、増田の心の傷は広がるばかりだ。傷を治したければとりあえずそっとしておくしかない。そして自分の回復する力を信じてじっとするんだ。余計なことをせずに。
ドラマやなんかで、劇的な出来事が起こって不和な人間関係が奇跡的に和解したりする話があるよな? 悪いけど、アレ嘘だ。心理的な問題があんな風に解決するなんて、基本的にありえない。ゆっくりゆっくり養生して、少しずつ回復していって、ほんとはもう回復していた、その最後のほんの一押しが奇跡に見えることはあるかもしれない。アルプスの少女ハイジに出てくるクララみたいにな。でもそれは「ホントはもう回復していた」って場合だけだよ。だからそれは奇跡じゃなくて、結局奇跡は起きない。人間はそんなに便利に回復しない。「気がついたら、思ったより平気になっていた」。一番よくてせいぜいこんな感じだよ。
何人かが「手紙でもいいから母親にでもそれを伝えたら…」ってアドバイスをしていたけど、正直おすすめできないな。それを渡された母親だって、それに適切に対応できるくらいならこんなことにはなってやしないだろう。母親に期待しすぎだそれは。母親だってどうしようもなくてこうなってるんだから、無理させても仕方ない。お互いに、お互いのことをやってくしかないんだ。
せめて、平和裡に距離を置けるまではニコニコとして過ごせ。不満を抱えて離れたくなってどこかにいった、ではなく、自分の意志で自立したのだ、とそう思わせておけ。無駄な負い目を相手に感じさせようとするな。それに不満はあるだろうが、とりあえず「距離を置く」ことを最優先に、自分を守るためにそうするのがいい。
最近も主に考え方などの違いで気分が悪くなるような争いがある。
状況的には
・その際、母と仲の良かった母兄弟と離婚について諍いなったようで、30年近く音信不通。
・数年前、母兄弟の住む地方で災害があり、それをきっかけに、うっすら連絡をやり取りするようになる。
・現地最終日、母兄弟と連れ合いは、方々のお礼や所用に車を出してくれて付き合ってくれた。親族でなくなった父の見舞いにも立ち寄り、お見舞金と共に、母兄弟が連れ合いに内緒でお金を渡してくれた。
・不満を訴える。
・それを諭すと「離婚後の大変な生活を知っているのか!私の兄弟がどんな人間か知らないくせに!話はここまで!」キレられた。
よく言うと思う。
母親は自分が望んで離婚したのだから、大変になっても仕方ない部分があるではないか。
事の始まりは、自分の決断からはじまったことで、誰かが強いたわけではない。
何も知らないくせに!と言うが、そちらこそ何も知らないだろう。
就活期間は両親がいる前提で話されるので、面接受けるたびに落ち込んだ。
小学生から大人になるまで行き来があり、親友に近い友人に、親が離婚したことを告げると連絡が来なくなり、非常に傷ついた。
雪の降る夜。高熱を出したため、車を出してくれるよう頼んだ父に無視をされ、往復30分程度の行程を1時間かけて歩き、薬を買いに行った。
この時は本当にやばくて、薬局から帰る途中、足に力が入らずひっくり返ってしまった。
しばらく、人も車も行き来のない歩道に転がって、静かに雪の降る空を見ていた。起き上がる力がなかったから。
何かあるたびに、報告はしたものの「しかたない。あきらめろ」としか言わなかった。
慰めの言葉さえかけてくれない。
この人は、子に対してはそんな態度をとるくせに、逆の立場になると、何でもかんでも文句を言ってくる。
自分は頑張ったのに!
苦労したのに!
と。
教育を与えられ、奨学金を使わずに済んだので、何の負債もなく社会に送り出してくれたことは感謝している。
父が倒れても自分がどうにかねばならず、誰かと分担することさえできない。
幸い、関係各社の責任者は、事情を知って同情もしてくれて、色々な事柄に猶予を作ってくれた。
父の住まいはタバコの匂いがきつく、とても宿泊には使用できないので、宿も取らねばならない。
その全ては、私が望んだことじゃない。
でも「相談できるかもしれない誰か」の存在は、いるだけで心強い。
年を経るごとに、父は丸くなり、自らの過去の態度を悔いるようになった。
父は、両親に素っ気なく扱われたこともあり、自分はもらい子だと思っていたようだ。
母兄弟がお見舞いに来た時、父は感極まって泣いていた。
「◯◯は立派だ。心配しなくてもいい」と慰めてくれたのだった。
それに引き換え、母は外に外にと怒りをぶつけるようになった。
私の子供の頃は、そんなことは一度もなかったと言うのに。
あの頃は大変だった。誰も助けてくれなかった!…と訴える。
でも、私も同じだ。
誰も助けてはくれなかった。困った時、あなたは何と言った?
しかたない。
諦めろ。
私にはそう言ったよ。
私には忍耐を強いてきたではないか。
母兄弟が本当のところ、私にどんな気持ちを抱いているかはわからない。
体面を気にする人たちなので、よく思っていなくても仕方がないと思っている。
ただ、子供の頃は本当に行き来が多く、母の兄弟姉妹の中では、一番親しく感じる人たちだった。いとこ兄弟とも年齢が近く、よく遊んでもらったものだった。
みんな色々なことで傷ついて、苦しんでいるんだよ。
でも、そう言う気分の悪さを乗り越えて、みんな繋がり続けているんだよ。
いざとなれば私に頼ればいい。
借金する人は大っ嫌いだと言ったね?
お金がない時は、シーツや枕カバーが破けても買い替えないで、必要なところにお金を回した。
私はどこまでも母兄弟に頼るつもりはないよ。
何とかできるはずだと気持ちを新たにする。
そうして、どうにかこうにかやろうとしている時に、何でこの人は、いつもこうなんだろう?
母には、母兄弟に似て、何を考えているかわからないと言われたことがある。
あなたみたいに、誰彼構わず牙を剥くほど私は考えなしではないし、人の痛みには敏感でいるつもりだ。
あなたは自分たちの離婚で、私が不利益を被っていたことなど知らないだろう。
相手ははっきりと言わないが、様々な場面で嫌な思いをしたし、それで結婚も諦めた部分もある。
私が受けた様々なことを知らないで、母兄弟を悪し様に罵るようなことを言われても、その真偽がわからない以上、私は、それに素直に頷くことはできない。
様々な人たちとの関わりの中で、私は自分の見たものを信じ、他人の語る悪評は言葉半分に受け止めることにしている。
それがもし、子供として薄情だと言うなら、私は薄情でもいい。
本当に疲れた。
けれど、私は大人になっていたし、母親のことを考えたら、それを反対するのは人間としてどうかとも考えたから、表向き賛成したのだ。
それなのに、今の旦那さんの頑固なところに辟易して悪口を言う。
私は、今の旦那さんは会ったことがないし、あんまりいいイメージを持っていない。
でも、この人は何を言ってるんだろうって思っていたよ。
完全な中年になった私は、自分が死んだ時、いかに処理をしてもらうか本気で考えている。
誰にも頼れないのだから、できる限りのことを考えて、やっておく必要がある。
もう疲れたよ。
仕事内容もそんなに悪くもない(そもそも自分にやりたいことがない)のになのに、会社辞めたい。
職場では、
人間関係ドライな環境で、居てもいなくても必要とも思われてないし、業務を機械的にやる事を求められるだけ。
基本的に会話をしない、全部スラック、業務の話をしようとしても噛み合わない感じがすごく辛い。まぁ、会話は部内でみんなしないからコミュ症が集まった部署なんだろうけど。
単純に私が人と合わないのが問題なのだろうかと思うけど、それはお互い様だろうな。
転職4回目ともなると、私の責任問題だけど、コミュニケーションの不和が一年半かけてじわじわ効いてくる。
30で資格も実績もないのに、人ともうまくいかないなんて人生詰んでる。チェックメイトで自死なんてしないけど、確実にメンタルがヒリヒリしてきてる。自分の考え方変えるしかないって、本とかブログで識者は言うけど、その前にアウトになりそう。 正直助けて欲しい。
自分の好意へのレスポンスが「善意」と言い切られるのって結構しんどいなという話。
ちょっと前から付き合ってる女の子。大体半年前くらい。俺の方から告白した。オッケー貰えたときはマジで嬉しかったな。
で、今日半年ぶりに会った。遠距離恋愛で、会いに行って告白してからずっと会えてなくて、でもやっとまた向こうに行く機会が手に入ったんだわ。ワクワクしたよね。そりゃ声は聞いてたけどさ、やっぱちゃんと会うのって違うじゃん?
でさ、いざ会うと何か違うのよ。場所選んでハグとかキスとかさ、やるわけじゃん。感じる彼女からの不和。
結論から言えば、「友達に戻るってこともアリじゃないか」って言われた。彼女すげー優しいからすげー言葉選んでくれた。俺が彼女のことめちゃめちゃ好きなの知ってるからさ。でも自分は気持ちを返せないし、そもそも人を好きになったことないし、返せる未来を思い描けないんだと。それが申し訳ないって。他にも色々デメリットや何やを言われたが割愛。
まショックだよね。そりゃ電話している間に温度差は感じてたよ。色々考えさせちゃってるなってのもうっすら感じてた。それでもさ、俺と友達として話すのは楽しいけど、抱きしめたりキスしたりするのを「(増田くんが私を好きすぎてしんどそうだから助ける意味合いの)ボランティア」って言われるの、わりと堪えたよね。
今彼女とさよならして飛行機に乗ってる。さよならって別れた訳じゃない。色々つらつら言われたデメリット、全部「ここはこうだから違う」つって、「君にとってメリットがそんなに無いだけならまだ縁を繋げたい、関係を続けることでマイナスになったり別に好きな奴ができたら潔く別れる」って説得した。食い下がりとも言う。無様だよな。でも好きなんだわ。「そこまで言うなら、不毛だけどずるずる行こうか」って言わせたよ。無理矢理。
何とか延命できた安心感、彼女の人がいいところをまた知って惚れ直す気持ち、やっぱり「善意」しかねえんだなっていうショック、彼女のためを思うなら別れた方がいいのにできない自分への情けなさでぐちゃぐちゃになってる。死にてえな。