はてなキーワード: コアタイムとは
『お願い。ADHDの人と残業原則反対派は一呼吸置こう』からの続き。
ここに出ている疑問および答えの一部は、残業問題に関する一連のエントリの内容・コメントから私が拾い上げたものです。
しかしながらこれは私個人の見解として記載するものであり、残業に反対する皆さんの総意を示すものではありません。それぞれの質問も別個で繋がりはなく(一つの質問から連想して私が作っています)一律規制反対派の総意ではありません。
A1. はい、そうです。
ただ、多種多様な環境で実際に全員が残業なく帰宅するなんてことは当然不可能です。何を言いたいのかというと「赤信号は視覚障碍者であれ例外なく止まる必要がある」の例で出たように、「原理原則として残業は一律禁止と考える。原則を守らない会社には罰を与える。例外は「原則」ではなく「補足」で個別に検討する」という"認識"を皆に共有してもらいたいんです。
「原則が禁止」であれば、補足を使って大幅に改悪を行うと「さすがにそれは原則に反するからダメです」とストップをかけることができます。逆に「原則に抜け道を作る」とその抜け道を縛る根拠を持ちませんので反論しにくくなります。ですので「原則禁止」にしておくべきなのです。
A2.「一律禁止」をしない場合、例えばADHDの人は除くなど。ここで危惧するのはその例外を正しくない方法で使われることです。
「おまえ全然仕事できねーな。障碍者かよ。そうだお前みたいなやつは障碍者だ。だから長時間仕事をさせられても仕方ないのだ」
こういう論法を使ってくる会社が必ず出ます。役所が調査に来たら本人に障碍者手帳を無理やり取らせるくらいのことはするでしょう。だから「原則として、(ADHDの人も含めて)一律禁止」にしておく方が安全なんです。
A3. そうですね。今でも基本は「1日について8時間を超えて、労働させてはならない」です。しかし今の原則には抜け道があります。なので現実的には「今ある抜け道を塞いでいく」という進み方になると思います。
例えば労働基準法32条で1日8時間、週40時間という上限を設けていますが、同時に36条が抜け道となっています(36協定。特別条項を付けることで一月に120時間残業することも可能)。ですので「もう少し厳しく、せめて月100時間にしましょう」という話が進んでいます。
また38条・41条を使い、裁量労働者・管理者等の規制を緩めることができます。裁量労働制・コアタイムはうまく使えば多様な働き方を提供でき有用ですが「名ばかり管理職」として悪用もされていますので、対応を考える必要があります。
抜け道を完全には塞げないかもしれませんが、小さくしていく努力が必要です。労基法より厳しい国際基準であるILO条項が一つの目安になると思います。
繰り返しますが「一律でどーん」となんて非現実的な気はします……。それでも「やっぱり抜け道はダメ」「原則禁止」という”考え方” ”認識”をなるべく多くの人が共有してくれることが大事なんです。今はまだ「一律禁止という考え方そのものが正しくない」との認識も少なくありませんので、「やっぱり一律禁止がいい、なぜなら」と理屈をつけていってる段階です。
「残業禁止」という原則を全員が意識し直せば「別に仕事はないけど周りがまだやってるから帰りにくい」という人たちを帰宅させやすくなります。日本人には「建前」「お膳立て」が結構有効です。帰るに帰れない人たちは決して少なくありませんので、それだけでも随分違うはずです。
A4. どうしよう…。破ったら罰則を与える基準が厳しくなることは、意味があると思います(弱気)。訴えやすくなりますし。(回答不足です。引き続き考えていきたいです。ボソッ)誰か助けて
個人の意識、社会の意識含めて、あらゆる手段でそれに対抗する必要があります。今回の残業規制もその一つです。法律をギリギリでかいくぐるブラック会社に社員が集まらなくなるなど綻びが出始めている現在、法をかいくぐる、法を守らない会社をフルボッコにする気概を持ちましょう。(我ながら曖昧すぎる。回答不足)
残業規制がADHD排除の論理なわけないじゃん - bottomzlife’s diary http://bottomzlife.hatenablog.jp/entry/2017/02/27/031107
で産業革命後の労働者改革について触れてくれています。子供が働かなければいけなかった時代から、そうでない時代への移行がありました。日本でも昔は12時間労働が当たり前にありました。そこから多くの社会運動により徐々に改善していったんです。
交通規則でも「信号を守らない人はいるけど、その人に合わせてルールを破るよりはルールを守っていた方が結局自分の利益になる」という認識ができています。やりようはあるはずです。
現実に即した法と、皆が考える理想はズレが出ます。それは別に悪いことではありません。身近で実現可能な目標を立てるというのも大切ですが、同時に、理想・目指す方向というのは分かりやすい方がいいんです。「残業禁止だけど、こういう会社とかこういう人とかあれとかこれとかはセーフ、を目指す」と言われても腰が上がらないでしょう。
A5. 中小企業を10年ほど経営したことがあります(現在はバトンタッチして転職)。一概には言えませんが、そもそも一人分、家族分の食い扶持を稼ぐだけならなんとかなることが多いんです。小さな会社で代表の私だけ夜遅くまで残業しまくっていても労基署にバレるわけがありません。自由に残業できます。
しかし、ここで欲が出ます。「あー、1人で(または夫婦で)残業残業はさすがにしんどいわ」。もうすこし大きな規模なら「二店舗目、三店舗目を出せば、自分はオーナーとしてゆっくりできるかも」ITベンチャーなら「スケールアップして上場したい」等々。
人を雇おう。これは良いことです。そして雇った人に8時間働いてもらって給与を出す。すばらしい。しかし、そこから「社長の俺が働きまくってるんだからお前も働け」となるのは社長のわがままです。(やはり回答不足です)
A6. 違う。社員に沢山働いてもらわないと自分がしんどいからそうしたんだ。社員に沢山給与を払うと自分の会社がつらいから時給900円にしたんだ。その責を社員に負わせるな。
このように管理者としての責任を果たさず、会社としての責任を果たさず、その責を巧妙に働く側に擦り付けてくる輩がいるからこそ規制が必要になる。(回答不足)
A7. これには役員・社員だけでなく、関係会社もろもろみんなの意識を変える必要があります。「やらなくていいことはやらない」「80%の完成度を目指す」などです。(ズレた回答だな…)
「私のところは100%のクオリティーだからこそ競合他者と渡り合っていけるんだ、手なんか抜けるか」等が問題になるか…。Q13でも追記します。
A8. 少子化にストップをかけるには出生率2.1は必要だと言われており、それは残業規制だけでは成しえないでしょう。ただ、次の例を考えてください。
「ウフフ、今日も二人でイチャイチャ// のつもりだったけど疲れた…。今日は寝る」そうでなくとも「お気に入りの動画でウフフ」なんて考えるどころじゃないくらい働いた日があなたにもあると思います。
「終電が満員になる社会で子は増えない」https://togetter.com/li/997974 にも多くの同意が寄せられているように「疲れ」は性生活に大きく負の影響を及ぼしています。
A9. 会社員を辞めて独立する自由もあるし、空いた時間で副業をする自由もある。残業規制には個人の自由時間を縛る力はないんです。自分を高める時間を8時間以上取りたいのであれば、溢れた部分は家でやりましょう。仕事の話ではありませんよ。自分をさらに高めたい人についてです。
A10. 家でやりましょう。趣味で四畳半をシスコのルーターとラックマウントサーバーだけに使ってる人も沢山いるんです。
冗談です。会社が「在宅ワーク」を指示したのであれば、それに必要な機材は会社にそろえてもらいましょう。またはリモート接続を許可してもらいましょう。
会社の指示ではなく「自分のために会社の機材を使いたい」のであれば「会社のルール」に従う必要があります。会社のルールは「社会のルール」に沿って作られます。よって会社の資産を使いたいが社会のルールには従いたくないというのは通りません。
社会のルールはフェイルセーフ、安全側に寄って作られる必要があります。つまり「能力のある人にはもっと会社で働く自由を」ではなく「働きたくないのに働かされてる人を守る」方が選ばれます。
A11. 無茶な要求は聴かないようにしましょう。これには顧客側の意識改革も必要です。でも大丈夫です。残業が減って、皆がいつよりゲームをする時間が増えれば、必然今よりも多くのゲームをプレイし、一つのゲームに集中する必要もなくなるからです。待ってくれるようになりますよ。
A12. それはもう「働く側を守るルール」ではなく「会社を守るルール」です。
そうはいっても色々あるでしょう。ですので「原則」ではなくて「補足」で、そのような人たちについて考えましょう。繰り返しますが、この場合の補足は主に「原則に例外を設けていく作業」となります。これは容易に「抜け道」とされますので十分に注意が必要です。
Q13. 前回最後の一文『「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ』は正しいか?
A13. 次のような経験を例に出します。同僚「〇〇さん、ここが分からないんですけど、教えてくれませんか?」と聞かれた。しかし私はそのとき他の案件で手が離せず(うー…とりあえず…)「こうこうこうすれば動きます。」と回答をした。確かにその場はしのげたが、これでは同僚はなぜそのようにしたら動いたのか理解はできていないだろう。後でフォローする時間がないなら尚更である。みんなにも似たような経験があると思います。
ADHDで職場で苦労している借金玉氏のブログでも「部下がミスをした」「私が怒られた」「上司の指示が足りなかったせいなのに…」とはいったものの「そもそもそんな時間も心の余裕もない」からであり仕方がない。と、似たような事例が発生しています。http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170218/1487428178
時間の無さは、誰かを助ける余裕を即座に奪っていきます。夜22時まで自分も働いているのに、その中に仕事が遅い人がいて後2時間くらいかかりそうだとなったら助けに回れるでしょうか。逆に17時定時がいつものルーチンと分かっていれば、助けようと思う人がきっと出るでしょう。そもそもなぜ仕事ができない人が皆が仕事を終えてもさらに2時間も仕事をする羽目になるのかというと、終わりが決まっていないからです。好きなだけ残業をできるから、会社も好きなだけ残業をさせる気だから、帰れないんです。残業禁止であれば、わざわざ残って助けるまでもありません。次の日に回すんです。(「締め切りがあるんだよ!!!」に反論できないのですが……)
そして、この時間の余裕は上司のパフォーマンスにも影響を与えます。上司が個々の能力に合わせてうまく仕事を振れないのも、上司自身に全体を見渡す余裕がないからです。中小企業であれば、人を雇うのにまず「時間的余裕」が必要になります。社長のワンマンで採用をこなす場合も多いので、社長が「人は欲しいけど、今自分のことでいっぱいいっぱい。もう少し時間が取れたら考える」となると、雇われる人が仕事ができるできない以前の問題で止まるんです。採用の第一歩に入りすらしない。
現在かなりの人手不足です。大抵の会社は首を切ってる場合じゃないんです。「忙しい」→「人員逃げる」→「さらに忙しくなる」の負のスパイラルを逆回転させるなら今がチャンスです。(それでもやはり中小企業にしわ寄せがくる→日本企業のほとんどは中小企業である→不況に逆戻り。等、不安は尽きませんが)
以前、「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったのか?」http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20141114/p1 というエントリが話題に上がりました。
誰がこんな社会をつくったのか?もちろん、こんな社会をつくったのは「私達」だ。システムと「私達」の二人三脚が、現在をつくりあげた。
テキパキしてない店員は御免蒙りたい・愛想の悪い窓口対応にはクレームをつけよう・融通の利かない同僚とは働きたくない--そういった私達の欲望が寄り集まり、競争社会と個人主義の流儀に基づいて具現化したことによって、社会全体を覆う淘汰圧となって私達自身に跳ね返ってきたのだろう
テキパキしていない人、愛想も要領も悪い人が働く場が排除されることで成立するような社会は、たとえ便利で快適でも、理想の社会と呼んではいけないように私は思う。どこかで、新しいかたちで、揺り戻しがあって欲しい。
こんな社会をつくったのは「私達」だ。だからこそ、私たちの意識が変われば、社会の意識が変われば、もう少し誰にとっても生きやすい社会を作ることも可能だと思う。(回答不足)
米国では「完ぺきではない配送方法を受け入れる」という転換がありました。「日本もそうしろというわけではない」と書かれていますが、とても参考になります。http://news.mynavi.jp/column/svalley/697/
世界中から秀才が集まるわけでないし人口も減っている環境下において「有能が揃わないと勝負できない」では話にならないわけで、多様性を受け入れパフォーマンスアップを模索する議論が高まるのは「希望」だと思う。
なるべくならルールや規制なんて少ない方がいいんだよ。子供じゃないんだから自由にさせてくれってのも分かる。だけど、もうずいぶん長いこと自由にやらせてもらって来たんだよ。ここからは http://anond.hatelabo.jp/20170225005434 からの引用なんだけどさ、
なにより、皆「自分で好きに決めたい」と言うくせに「自分では決められない」のだ。
社員は「今日は早く終わった…でも周りが残ってるから…」と流される。
管理者は、部署には能力のある人・ない人どちらもいる。それを管理し全体としてうまく回すという役割を放棄し「できない奴が悪い」と社員に責任を転嫁する。または権限があるのに「でも社員が頑張りたそうだから…強く言って嫌われるの嫌だし」と流される。
会社役員は「社員を過労死なんてさせず、文化的な生活が可能な給与を与える」という基本的なことができない。「社員のことを考えたいが、ある程度もうけを出さないと株主に面子が立たない」と株主のせいにする。
これは仕方のない面もある。人は「社会」というものが存在する世に生まれたがゆえに、乳飲み子のころからあらゆるルールに縛られて成長してきた。あれやっちゃダメ。これやっちゃダメ。だからいざ「自由にしていいですよ」と言われても困ってしまうのだ。日本人は特に。
だから「ルールで決めてしまう」のが多数の幸福に繋がると思う。そして「効率だけを考えるとひずみが~」というが、何も一日3時間で帰れるように効率化しろなんて言っちゃいないんだよ。毎日12時間13時間じゃなく、せめて8時間で帰れるようにしようぜって言ってるだけじゃない。
個人事業主として、または中小企業の社長として、自分のところは現状「残業ダメは厳しいなー」と思うのは仕方がないけど、だから国全体も一緒に不幸なままでいてよってのはないでしょ。
確かに、一律で決めるのは難しいのは分かるんだよ。でもそうせざるをえないくらい現状がダメダメなんだよ。「優良企業」「大企業」が本当に優良で社員のことを考える社会だったらここまで仕事時間に批判は出ていなかっただろう。
でもそうじゃなかったんだよ。結局規制をしない限り会社は社員が過労死しようが意に介さず、日本のそうそうたる企業が「できる社員」を次々潰していく。
中小企業は社員の命を奪っても「会社が潰れたら社員も困るだろ?職がなくて自殺するよりいいだろ?」が通る。社員自身も自分の意志より周りの空気、自身の健康より会社の健康を優先する。怒られたって仕方ないでしょ。
もう20年以上「がんばれば日本はなんとかなります」って、聞き飽きたんだよ。それよりも「数千万人の余暇時間を毎日1時間増やしますのでがんばってください」の方がよほどやる気になるよ。
週末の借金玉氏(id:syakkin_dama)のエントリやそれを受けて書かれたわかり手氏(id:ganbarezinrui)のエントリ、http://anond.hatelabo.jp/20170227005158 あたりのブコメとか読んでいて、随分と世知辛いねえ、と思ったのだけれど、良い場所が無いので増田にこれを書いている。たぶん超長い。
俺はタイトルに書いてあるようにADHD(診断済み)だ。典型的な注意欠陥・多動性が認められ、一方でASDの症状はゼロという純正ADHDマンである。なので先のお二方のエントリは全力で泣きながら、共感しすぎてヘドバン状態で読んだ。でもわからない人には何が「なので」なのか本気でわからないんだと思うし、それで正常なんだろうということも理解している。
んで、一般的なIT関連の企業で管理職をやっている。それなりに多様な部下もいる。業界的にブラックな香りがするWeb開発関連の仕事だけれど、自慢じゃないがだいたいニコニコ定時上がり、サブロク遵守、月間平均時間外は毎月20時間以内に抑えることに成功しているスーパーホワイト課である。一点ウソついた。これは自慢である。
俺はこういう属性の人間なので、自分自身のことを照らし合わせて借金玉氏の主張は痛いほどわかるし、このような性質の人がいることを十分に評価、理解した上で全体的な労働条件の改善に努めたいと日々考えている。残業含め労働時間は減らしていきたいとも思うし、人の個性や多様性への対応と労働条件の改善は両立し得ると信じているので、ADHDの人のぼやきをイコール残業問題に結びつけて批判するのはあまりに極論に過ぎるというか、違和感を感じてしまう。皆がそれぞれのフレンズのすごいところを理解し合えるやさしい世界になれば良いのに。
そもそも、俺なんかは借金玉氏の記事を読んで「お前は俺か」状態になる性質であるものの、何とか自分を飼いならして社会をサバイブできている時点で生物として人より劣っているとは思っていないし、仕事も(やり方やプロセスにクセはあるのかもしれないが)たぶん人並みにはできる。つまり、おそらく自分は弱者ではないし、どちらかと言うと強者の側に所属していると認識している。id:p_shirokuma先生的に言えば「よく発達した発達障害」ということになるのだろう。もっともADHDと言っても程度の違いがあるのかもしれないし、ただ単に俺は運が良かっただけなのかもしれない。普通の人だって大小あれど皆それぞれモチベーションのムラとかはあるわけで、ブコメに付いた「ADHDマン=無能」、「世の中は正常と異常の二者択一」、「席を空けて退場するべし」みたいな言説を見るとヤバさしか感じないし日本大丈夫か?と思う。こういう「性質」の人が少なからずいることを正しく理解した上で適材適所の人材活用を目指すべきだし、だいたいからして発達「障害」という言葉自体が良くないんじゃなかろうかと思わざるを得ない。
自分語りが目的ではないのであくまでモデルケースとして。ちなみに年は先の方々よりたぶんちょい上くらい。
端的に言って俺は相当に運が良く、理解者のおかげで生きていられる。上司は何度も変わっているが、往々にしておもしろ重視の管理者とは相性が良く、労働集約型のマネジメントをするタイプの管理者とは相性が悪かった。
で、自分自身がこういう人間なので、定時内にピークタイムを持ってくることができない問題についてはフレキシブルに対応したいと考えている。
今後ありたい姿を考える前提として、俺の職場は現状こんなふうになっている。
基本は定時勤務だが、企画関連などの職務については裁量労働制も存在している。とは言え、裁量労働は会社側の論理で不当労働の温床になりがちなので、ホワイト企業的には定時勤務できちんとタイムマネジメントして、時間外が出たら残業代はきちんと払うよ、という当たり前の考え方を推進している。
ただし、職種的に均等な業務が苦手な人もいるので、カミングアウトしている人については個別対応もあり得る。当然ながら他のメンバーから「なんであいつ日中フリーズしてんの」みたいな白い目で見られると職場の雰囲気が悪くなるし、本人の健康管理の問題もあるので十分な配慮と周囲の理解も必要。
先述の記事のブコメにもあったけど、多種多様な人材を活用して成果を最大化するのはマネジメントの責任だ。「9時17時で時計刻みに動けない奴は居ね」っていうのもマネジメント手法のひとつかも知らんが、少なくとも俺んとこはそういうふうにはしたくないと強く願う、つーか俺自身が生き残れない。んで、職場のスロースターターにはこんなふうに対応している。
自分の担当にもちょっと該当しそうなメンバーがいるのでこんな感じでやってるけど、今のところまあまあうまく回っている。むしろ一番の問題は自分なわけなんだが、時間外付かないマネージャーなんで帰れないときがあっても勘弁してつかあさい。「マネージャーがいると帰りづらい……」ってことなら考えるけどウチのメンバーは俺がいても定時で容赦なく上がるので今んとこたぶん大丈夫。まあ、「あの無能上司、昼間フリーズしてて何もしてない……」と言われるとダメなやつなので、そうならないように自分自身も努力しなきゃならないけど、ある意味俺にとっての最大の生存戦略が「自分自身が管理者になる」だったかもしれないな。※もちろん、帰れる時は率先して帰ってるよ。
書いて読み返してみると、自分にとってはすごく一般的で普通のことしか書いてない気がするんだけど、先のホッテントリを見てて世間一般的に普通なのかどうかちょっと自信が無くなった。
よくスロースターターに対して「仕事は定型化するべし」「ルーチンで行動するべし」なんてアドバイスをするライフハックを見かけるんだが、本当の本気で大真面目にそれが体質的にできない人ってのがいるのよ。そして、そういう人がみんな無能かっていうと決してそんなことは無くて、そういう人が画期的なアイデアを出してきたり、ブレイクスルーを行うような機会ってのは実際に、ある。業務の種類や内容によっても正解は異なる。
繰り返すけど、出力にムラがあるなんてのは程度問題であって誰かしらあると思うんだよ。もちろん、定常定時に常に安定して均等なパフォーマンスを出せる人を尊敬するし、評価も高くなることに疑いは無い。でも「無能滅ぶべし」「健常者だけ揃えれば万事解決」みたいなことを言ってる人たち、本気か?はてなでそこそこホッテントリ取ってるブロガーでも「生産性の低さを一生懸命努力でカバーするのは結構だが、出来れば職場の外でやって頂きたい。」なんてツイートしてたりする人がいて、なんつーかこう地獄感しかない。
そりゃあ、安定マンのみでチームを構成できればラッキーかもしれんけど、世の中そううまくはいかないよ。どこも人材不足だ、いろんな人がいて、いろんな個性と悩みがあって、いろんな仕組みがあってその中で一番いいパフォーマンスと一番いい労働条件の両立を目指しましょうね、がマトモな議論なんじゃないのか。残業については言っていることはたぶん普通の人と同じだ。ただ、理解を深めて個人別最適な対応ができるようにしたいですね、長期的視点で皆にチャンスがあるようにしたいねと言っている。
何もポリコレ棒を持ち出してくるまでもなく、何も皆が必ず同じ時間軸評価軸で同じ定型定性で判断されるような職場がハッピーなわけではないし、単純に、多様性を認めない職場で働くのは俺は嫌だし、多様性を認めるための努力は惜しみたくないと考えている。けものは居てものけものはいないんだぜ。
そんな感じ。
増田は初めて書く。
だらだらと書くがご了承いただきたい。
研修の内容はOSI参照モデルの説明をせよといったものであった。
研修もそこそこの状態での出向はとても不安だったが、当時はそういうものかと覚悟を決めていた。
打ち合わせで飛び交う単語の意味がまったくわからないが、知らないとは言えず、また近くに聞ける上司がいないので笑顔で流し(時にはなじられ)ながら毎日e-wordsなどにかじりついて付け焼き刃的に調べた。
そうして雑用的なプロジェクトにいくつか参画した後、企業のシステム運用チームの常駐案件に参画し数年間従事した。
超過時間が多く当時はコアタイムが終わるたびにそれなりの達成感を感じていたが、これといったスキルは身についてはいない。
この時点で5年以上が経過していた。
その後次のプロジェクトへ、といった話が出た時に自身のスキルシートを更新し上司と営業へ出したところ、「これじゃ弱い」という事で経歴がサーバ運用からサーバ設計+構築経験などの技能に書き換えられた。
「業務内容の復習のために自宅で環境を構築した事はあるが、業務レベルでの設計や構築に関してはアーキテクチャを理解できていないので経験があるとは言えない」と言った。
返答は「まずは案件に入ってそこの現場で学習すれば問題ない。あとは君の努力次第だ」だった。
次の案件は今までと毛色の違う、とあるパッケージ製品の提案+製品をのせるサーバ導入+コーディング作業の案件であった。
理由はコーディングが全くできず、習熟の見込みも薄いためとの事だった。
何とかしなければと思い家で調べたりはしたが、付け焼き刃の知識では役に立たずタスクを振られる度に頭が真っ白になりコーディングの進捗はあげられなかった。
そもそも即戦力として求められていたので経験もなく自社のバックアップもない状態では当然の結果だ、と思いたい。
落ち込んだが、次に活かそうと踏ん張った。
その後またいくつかの雑用的な案件に参画し、現在とある基幹システムの設計、構築業務の二次請けとして従事している。
入る前は設計業務の補助という事であったが、実際は設計業務は丸投げに近い状態で担当者は体制図上に記載は無いが実質私になっている。
プレッシャーでずっと胃を掴まれている様な感覚を常に感じている。
前システムの設計書のフォーマットから見様見真似で書き出し、レビュー依頼を出し、日程調整をしても、当日になると何かしら用事ができた、との事で参加者0という事が多々あった。
※その用事は早退して飲みに行くという人がいた事も人伝いに知った
今まで受け身に仕事をしていたので自業自得なところもあるだろうが、
もうクライアントの顔色を伺い、ごまかし、仕事を続ける事が本当に嫌になってしまった。
今まで勉強会やイベントに出てみようかと思ったこともあるが、「知らない」と相手に伝わる事に恐怖を感じてしまい、出たことがない。
また、そもそも最低限のLinux/Dos コマンドが使えるだけでプログラミングができる、とかサーバサイドの設計ができるわけでもないので話にほとんどついていけない。
転職した当初はPCを組んだり、Linuxをインストールしたりする事にとても感動し、ウキウキしていたが、
業務ではとにかく否定や罵倒されることが多かったので、今はその手の話をする事によって自身の無知を知られる事が恐怖になってしまっている。
また、毎日の生活が本当にギリギリで、家事や子育て後に勉強しようにも気持ちが切り替わらない。
転職しか選択肢は無いが、はてなの技術系のホッテントリを見るたびに自身のスキルの無さに打ちのめされる。
打ちのめされている場合ではないが、どう動いて良いのかわからない。
まずはこの胸のつっかえをどうにかせねば。
取り留めないですが以上です。
失礼しました。
持病があって月イチでそこそこ大きい病院に通院している。
先日、いつものように会社を早退(正確にはフレックスのコアタイム外なので本来自由なハズだが……)して病院に行ったら、再診受付機に「お前予約してねーだろ」とエラーを吐かれまくった。
受付に申し出て調べてもらったら、最初はよくいる予約勘違いいちゃもん野郎だと思われて、来週が正しい予約日だからおとなしく出直せ的な雰囲気の対応をされたけど、
予約変更手続きがされた日付を確認してもらって前回来院より後であること、
予約変更されてる理由(お医者さんが学会に行くとかなんとか)についても記録が残ってたので、こちらから申請したことではないことが分かって、
「え、でも連絡一切きてないです……」と言うとようやく状況を調べ始めてくれた。
待合でボーっと座っていると10分ほどで、
「予約変更の手続きをした事務の者に聞いたところ、確かに増田さんにご連絡はしていないと言っておりまして……」
と困った顔で受け付けのお兄さんが中間報告してくれたけど、マジでどうしてそうなったし。
でもこの人に文句言ってもしょうがないもんなーと思って「あらら、そうですかー」とか言ってた気がする。
しばらくしたら「診療科の方からお話を伺いたいとのことですので申し訳ありませんが診療科の待合へ行っていただけますか?」と言われて、
お話を伺うも何もないだろうよ先生いないならどうしようもないし……と思いつつ行ったら、
ベテランっぽい看護師さんが出てきて「何かの手違いか行き違いがあったようで、ご連絡ができておらず~」と謝られた。特にお話は伺われなかった。
何かの手違いってなんだろう、そこがすげえ気になるなぁと思いつつ、この看護師さんがやらかしたのかどうかもわからないのでまた曖昧な返事を返した。
事務の人は予約変更とだけ聞いて診療科の人が連絡して既に患者(俺)が了承済みだと思った、
診療科の人は、事務の人が処理する前に連絡確認してくれると思ってた、みたいなことがあったんじゃないかと思っている。
どっちが悪いのかとかは内部のシステムなりルールなり次第だからよくわからんけど、
普通は「先生の都合がつかなくなったのでこの日に変更してもいいですか?」と予約の変更を実際にシステム上で処理する前に患者に打診すると思うんだけど(実際過去に何度かあった)、
そこのフェーズが今回は綺麗にすっぽ抜けてしまったんだろうなーってイメージ。セクションが分かれてる大病院ならではかも。
そのあとは、頓服の薬がぼちぼち無くなりかけてたので、薬をもらっておきたいことを伝えると、
同科の別の先生が患者さんを診終ったあとの隙間の時間で2分ほど時間を取ってもらって、いつもと同じ薬を同じ量だけ出してもらえた。
次の通院が翌週だとスパンが短いので、変更された予約の日をさらに動かせるか一応確認してもらったけれど、
先生本人は学会行ってて不在だし、確認できる範囲では今抑えている枠以外は結構先まで自分が来られる時間はいっぱいだったので、しょうがないから来週再度通院することになった。
まあ起きちゃったことは仕方ないし、もう別に直接ミスった誰かをすごく責めたいっていうわけでもないんだけど、
期間をあけずに連続で早退()することになって割と風当たりが強くなりそうな職場のことが億劫で仕方ないので、せめてツイてなかったことを増田で愚痴ってちょっとすっきりしておこうと思う。
研究室に行くのがどんどん嫌になり研究室に行く時間も減っている
研究室鬱についても調べることが増えた。
コアタイムは無いし、毎週の進捗報告も特に進展が無ければ「特に進捗ありません。~している途中です。」で済まされる。
就活が終わってから研究を本格的に始めたが、正直最初から何をすればいいのか全然わからなかった。
わからないことがあれば教授や先輩に聞かなければいけないのだろうけど、自分の研究テーマは先輩たちとは多少分野が違ったので
自分が所属している研究室の教授は質問をしにいくと、まず「君はどう考えているの?」というように聞いてくる。
それに答えるとさらにそこから細かい部分について同様の質問が出てきて突き詰められる。
学生に考えさせたいという意図はわかるのだけどそれがプレッシャーとなり教授に質問をしに行くのが怖くなった。
質問をする前に考えをまとめるが当然わからないことがあり、でもそれを質問するのは怖く考えがまとまらない…という
悪循環になっていった。
研究室に仲のいい人がいないということもつらい要因の一つになる。
研究室の同期は俺に対してはビジネスライクな関係で、仲が悪いわけじゃないけどそんな気軽に話したりはしない。
俺以外の同期は元々仲が良かったため普段から話してるけどその輪に入れない。
研究室にいるときは基本話し相手がいなく、もくもくと研究を行っているのだが案外それが辛かった。
考えがまとまらないし話す人もいないのでストレスが溜まっていく。
実験をするときには自分以外に先輩を一人ついてきてもらわないといけない。
実験は3時間ほどかかるので先輩の時間を取ってしまうのが申しわけないと思い実験をするのを躊躇してしまう。
研究っていうのはそういうもんだし仕方ないとは思うけどこの感情は消えない。
この前の実験は失敗してしまいまた同じ内容の実験で先輩についてきてもらわないといけないのが憂鬱だ。
研究が進まず迷惑もかけて、自分はいないほうがマシじゃないかと思う感じる
比較的結果の出しやすいテーマと教授に言われて今のテーマにした。
ハード系の研究だが、シミュレーション系の研究の方が向いていたように思う。
研究がうまくいかずに自分の精神が変わったと思うことが3点ほどある
慣れないことや新しいことをし始めるとき、うまくいくか不安で先延ばしにすることが多くなった。
この日記もどっかしら間違えてそう。
対処としては小さな成功を積み重ねていくようにするといいらしいが、研究で小さな成功すら思いつかない。
家にいてゲームをしているときに、こんなことをしていていいのか、もっと実のあることをすべきじゃないのか。
無駄なことをしてはいけない、というような気持が出てくるようになった。
ネガティブなワードや人を馬鹿にしたり茶化すようなことが頭に浮かんだら
静止できずに言ってしまうことが増えた。
研究が始まってから研究関連でうまくいってることなんか一つも無い。
研究室選び、研究テーマ選び、研究室内のコミュニケーション、研究の進め方のすべてを間違えてしまった。
別の研究室やテーマならうまくいったのかと考えるけど、結局同じ道を行く気もする。
いまはただ卒業研究が終わってほしい。
以下のうち一つでも当てはまるとブラック研究室の可能性が高いので、避けた方が無難です。
・コアタイムが平日および休日の6-23時で、飲み会などで親睦を深めたり外部の人と接触したりすることを禁止されている。
・夜の1時にちゃんと仕事をしているかの確認の電話がかかってきて、翌朝までにこなすべき仕事を指示される。
・お前の研究には価値が無いからと言って、サンプルを目の前で廃棄される。
・5年や10年、飲まず食わずでサイエンスにサティスファイすることを要求される。
・「お前はもう研究をやめろ」と言われた研究員が、その翌日にとても綺麗なデータを出す。
・教授と准教授がお互いに「キチガイ」と罵りあって、取っ組み合いの喧嘩を始める。
・研究員が他の研究員を刺す。翌日にはその研究員は最初から存在しなかったことになっている。
・上記の項目が隠蔽されている。
なぜか。それは前提となっているコミュニケーションの型が違うからだ。
たとえばフツーのコミュニケーションにおいて大部分を占める個人(自分/他人)の体験談である。これはかなり独自性が強い。抽象化すればカテゴライズ可能かもしれないが、基本的には個別的で、「事前に共有されていないこと」が前提となる。なので体験談を話すときのフォーマットは自然「知っている人間が知らない人間に教える」形におさまる。
これがみんなの身体に刷り込まれているため、「あ、私その話知ってる」と言って情報の非対称を乱すような行動はあまり好ましくないわけだ。人は情報強者っぷりに酔えなくなるので、知ってるアピールを嫌うのではない。頭のなかにあるリズムや無意識にプランニングされた流れを崩されたからイラ立つのだ。
一方読書は流派が違う。その体験が「事前に共有されている」可能性を常にはらんでいる。なので「私知ってる」といってもコミュニケーションの型が完全崩壊することはない。むしろ、そこから分岐するのだ。
つまり、体験談とは違い、「互いに知っている状態」の先がある。
えてして体験談トークのコアタイムは体験談そのものに宿っているわけだが、読書はそうとはかぎらない。
もちろん、「知っている人間が知らない人間に教える」形も多くあるわけで、その場合はいかにあらすじをネタバレせずにおもしろおかしく語るかが重要になってくる。レビューのようなものだ。
ところが「互いに知っている状態」であれば、そのフォーマットがお互いどう読んだかの討論モードに変化する。ここでいう討論モードはかならずしも怜悧な評論・批評合戦のみを指さない。ゆるい感想の言い合いも含む。
ともかく「知っている人間-知らない人間」の場合と「知っている人間-知っている人間」の場合とでルートが分岐するのが読書コミュニケーションの特性であるといえる。別に読書でなくとも似たようなコミュニケーションが発生する流派はやまほどあるはずだけれども。
まだ3年目なので給与もそこまで高くはない。残業代込みの額面が400に届くかどうか、といったところだ。
20代前半の今はこの給与でまったく不満はないが、うちの会社は年次があがっても然程給料が良くなりはしない。
それでも離職率は非常に低く、また採用も(規模の割には)人気が高く、採用十数人の選考に500人以上が応募してくる。
それはなぜか。わかりやすい理由で、労働環境が非常に恵まれており、それを会社が前面に押し出しているのだ。
私服通勤・コアタイムなしの完全フレックス・自動販売機が20円で利用できる・書籍の購入は全額補助が出ることなど・・・
他の会社を経験していないからなんとも言えないが、少なくとも周りの社会人と比べると非常に恵まれていると感じる。
朝起きるのがつらければ13時出社にしても良いし、月の前半におもいっきり働いて、後半はまったく出社しない、なんてことも可能だ。
大学の研究室のような会社といえば少しどういうものか伝わるだろうか。
明らかに給与に見合わないスキル・知識の持ち主も多いが、なぜ転職することを考えないのか。
話を聞いてみると「この会社より働く環境が恵まれている会社がないから」だそうだ。
そこでは4年で研究室配属がされ、就活と同時進行で卒論にも取り掛かる。
就活が早く終わった人は3月に既に内定が出ているのでじっくり卒論に取り込める人とそうでない人が出てくる学科だ。
しかし、同時進行で4月から教授と話し合いや罵倒されながらなんとか10月まで卒論もしてきた。週2回のゼミにも必ずでていた。
しかし、11月の上旬にそれまでの疲れがでてきたのか約2週間ほどまともに大学に行けない時期があった。(ちなみにその時期はゼミも休みの時期だった。)
所属する研究室には特に連絡する習慣も慣例もなく、コアタイムが導入されている研究室でもないので私は体が全快するまで休んでいた。
復帰した日に教授からいきなり言われた「君はやる気がないのか」
それまで、週2回のゼミはもちろんの事、週5で10時~18時までは就活を除き来ていて吃驚した。他の方は来る人は来るがこない人はこない研究室では来ている方で自分では頑張っていたからだ。
パニックになりながらも、約2週間近く休んでいたのは熱を出し体調が優れなかったからですと伝えると
「もう知らん」
一日で2度目の吃驚だ。相手は教授だ。私立大学といえどとても優秀な研究者である教授だ。でも、大学で指導する立場だ。
私の研究室は発足一年目で院生が居ないのもあって教授一人で学生7人を見ている。教授本人の研究も大変なのは分かる。教授は博士課程からずっと国立大にいらっしゃって、偏差値の低い私立の生徒を指導するのは初めてなのも知ってる。
でも、私も20年以上生きてきて初めての研究活動だ。正直に言うとやり方が解らない。研究のやり方が分からない。とりあえず頑張るしかない活動だった。
理系学科で研究をしたことがある人には分かると思うのですが、大体卒論のテーマは教授本人に関係するもので新規でのテーマはあまりない。ぶっちゃけると教授が興味あるテーマ若しくは本人の研究のバイトが大多数になる。
私の研究は教授が興味あるテーマの中から自分で卒論テーマを決めた。多分、失敗はその時点から始まっていたと思う。そのテーマは教授本人も全くの素人だったのだ。選んだ時は「自分も一緒に勉強するから」と言っていたので私は単純に二人三脚で分からない所はお互いに補填していく形で卒論を書いていくと思っていた。アホだった。
そんな事は無かったのだ。実際は私が勉強したことを教授に教えていくスタイルだった。そこが一番厄介であった。私は他人に説明するのがとても下手な人間だったからだ。
私には人にはあまり言えないが発達障害の症状があり自閉症スペクトラム指数はいつも閾値を超える人間だ。普段はまともで社交性のある人間の振りをしている。声が聞こえる振りをして生きてる人間だ。
生きていく上では説明が下手でも生きていけるし問題はない。自分の事を一から十まで知ってもらう必要性もない。しかし、卒論を作成する上ではとても重要だ。2月には発表も待っている。とりあえず人に上手に説明するには技術が必要だと考え、図書館でコミュニケーション関連本や説明上手になるための本を卒論そっちのけで読みふけり教授に自分がその時どれぐらいまで理解しているのかを説明した。
「君と話していると宇宙人と話しているみたいだ」
典型的な言葉を言われた。私の人生では始めて言われた言葉でもあったが。
何回も教授と打ち合わせをしたが、私の言葉では分かって貰えなかった。最終的に言われた言葉は
「君は人に聞けばなんでも解決できると思っているのか」
「自分は頭がいいから、君がちゃんと説明してくれたら自分はちゃんと分かる」
「もう時間がないから(私の卒論)について勉強はしないし、きみのためにわざわざそんな事はしたくない」
11月上旬にもう知らんと言われてから約2ヶ月後の12月末の言葉だった。私も限界だった。どうしたら理解してもらえるのか全く分からない状況だった。正月には地元に帰省し、家族と過ごすと自分がいかに辛いのかを実感するだけだった。家族だからこそ自分の辛く情けない状況を言えなかった。
私はこの状況を変化させるには2択あるとずっと考えていた。自分が変わるか教授が変わるかのどちらかだ。自分ではこの4月からずっと自分の方法で自分を変えようと頑張ってきたが無理なのと時間が差し迫っていた。なので学生相談室に行って、カウンセラーに方に的確で具体的な方法を聞いてみようと実行した。
主任教授から「君が変わるより、相手が下に降りてきて君の話を聞く方が簡単だから、ねっ。僕から(私の担当教授)先生に君の状況とかを簡単に説明しておくよ」
と決着がついた。個人的に主任教授は私と担当教授の関係をよく分かってくれたと思う。その点には安心していた。 翌週、なんとなく、戦々恐々の気持ちで研究室に入った。扉をあけるのは簡単だった。学年主任から担当教授に説明は済ませたよと連絡は来ていたのでどう話を切り出せばよいのか頭はパニックだった。
部屋に入ってから30分ぐらい経過した時だった。教授から「増田さん、何か僕に話す事はないの」と言われた。頭の中で何回もシュミレーションしていた言葉がすらすら言えたのは奇跡だった。しかし、「私が説明上手になるか先生が降りてきて聞いてもらうか~」と言っている時に言われたのは
「十分優しくしてるじゃない」 だった。
つくづく強者の言葉でなければ弱者の主張は通らないものだと実感した。学年主任がなんと言って担当教授に説明したのかは分からないが、結局、私の状況を理解してもらうのは無理だった。締めくくりの言葉は
「君の好きにしたらいい」
と目も合わさず、PC画面に向かったまま言われた。
私が説明が下手なのが悪いと言われてしまえば、はいそうですね、で終わる話だ。私は教授から何を学びたかったのだろう。それこそ、どうすれば人に伝わるのかが知りたかったのかもしれない。
今回の話は私も悪くない。でも、先生も悪くない。コミュニケーションの齟齬の問題だった。
卒論制作をしていく上でのただの愚痴が2500字以上になってしまった。あと数日で私が好きにしてやっている卒論の概要を出さなければいけない。
とりあえず頑張ろう。
修士から外部の院に進学して、共同研究先にも半年通ったが学部時代も含め全てブラックだった。
月に400時間ほど実験してるのに学費を半期で26万円ほど払わなきゃいけなかったり、
4、5日睡眠無しの時期があったり、そのくせポジティブな結果がほぼ出なかったり。
奨学金として、実質借金も500万ほどあった(学費免除になってなかった)。
自分が外部の院へ進学した理由は上記で述べたような労働時間や大学のネームバリューでなく、
助教が研究室内で独り言を言い続けていたことや、教授が女子学生だけを甘やかすから、というものだった。
自分が研究を主導的に進められるようになった後、基礎系の研究室は信じられないような
海外ポスドクの契約が切れて帰国後、しばらくぷらぷらとニートみたいな生活をして、
近所の猫にまたたびを与えて遊んだり、図書館に篭って読書をしたりしていた。
だがある日、知り合いに呼んでもらい、任期付准教授になることになり、ポスドクを雇う立場になってしまった。
ほとんど好きなことをやらせてもらえるので、自分の経験のある基礎系の研究をするのだが、
人を雇う時に、これまで自分がポスドクしていた時と同じ実験時間を求めて雇った。
しかしあるとき、異分野(医学部や歯学部)の教授や助教たちと飲む機会があって、
冗談ぽく「悲惨だねー」と言われたが、そのセリフは冗談などではなく本心であり、
その後、その医学部の助教のうちの1人と何回か飲みに行って聞いたのだが、
・そのほかの時間は臨床医として、アルバイトなどで高額に稼いでいる
(妻は奥様方とお茶会)
(※金額に関して本人は満足はしていないようで、アルバイトで1千万以上稼いでいるらしい)
・大学の助教になって給料が激減したから、助教職だけでは家族を養えない、という
けっこうカルチャーショックだった。医者にとってはこれが「普通」なんだなと。
そして僕は自分の研究室の環境を、誰にでも言うようなものでは無いものだと知った。
それから、うちもコアタイムを撤廃し、土日もなるべく休ませるようにした。
そうしないとなんとなく、あの医学部助教のメンバーに責められる気がしたからだ。
その後色々あって、誘ってくれた先生が栄転して、運営していた研究室は3年もたずに解散することとなった。
私は連れて行ってはもらえなかった。
仮にポスドクの待遇がブラックのままだったとしても、連れて行ってはもらえなかっただろう。
僕の力不足が原因だったと思う。
そしてまたポスドクに戻ることになったんだけど、
そこで思うのだが、こういうのは研究者としてはある種の仕方がない事なのだろうか。
もちろん、探せば基礎系の研究室でもホワイトもあるかもしれないが、それは限定的だ。
このポスドク問題を考えるとき、みんなは「一般論」として多くを語るが、もしかして
当社はコアタイム開始の11時までに出社すれば「遅刻」にはならない。
残業で退社時刻が遅くなりがちで、自然と出社も11時ギリギリになる傾向。
朝の会議やどこかへ立ち寄る場合、出張なんかの日は当然、指定の時間から勤務するが
内勤の場合、私のいる部署はみんなそんな感じの遅めスタートである。
友人知人との会話で「何時ぐらいに出社してんの〜?」となったとき
(そもそも、なんでこういう会話がよく出るんだろう…)
昔、正直に「11時」って答え、あまりの遅さに友人からドン引きされたので
「知人や目上の人レベルでは尚更ギョッとされるだろう」と考え、なおかつ
雑談程度の話題で嘘をつくのも何なので
以来は曖昧に
「直接出社しないで外出する業務もあるので、日によってバラバラなんですよ」
という感じでぼかしているのだが
正直に答えたらドン引きしそうな人に限って
「え〜、でも、増田さんは外回り勤務じゃないから、出社する場合のほうが多いんでしょ。何時なの?」
などと案外、食い下がる。