はてなキーワード: 稽古とは
(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)
.
.
.
別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル兼役者さんを見かけたと思ってほしい。
そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。
期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。
.
「ほんとかぇ?」と最初は思った。
その劇団、サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。
旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美系女優でキャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。
.
で、その女優さん。
いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。
あるときまでは。
.
ところがね。
とあるライブのゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。
そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。
.
もうね。
ダンサー。
超ダンサー。
.
ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。
スタイルとしては、最初は土方巽的な暗黒舞踏の系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。
.
でも、それにしてもね。
ああいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーとかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。
そう思ってチャラっと調べたら。
母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、
.
個展で踊る
有名ミュージシャンのMVで踊る
ミニマルミュージックのセッションでゲストパフォーマーとして踊る
そして、誰からもお座敷がかからないときは自主活動として踊る。
.
踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。
(いやマジメな話、ソロのフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)
.
ほかにも。
その女優さん、最初は普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームでプロに撮ってもらった宣材写真があって。
もうね、肩甲骨の自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。
いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。
完全に本職のダンサー。
.
というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。
.
もうね。
シンガー。
超シンガー。
.
少しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチとアインザッツをガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。
ほぼ本職のシンガー。
.
ところで、ここまで劇団の女優、女優と書いておいて、演技に一言もないのは。
だから、客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。
(在学中に自主制作の映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)
.
・ただし、所属の劇団でガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。
実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。
少なくとも、演技といえば映画とTVしかみたことのない俺にはそう見えた。
.
という感じ、なのかなぁ。
(ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的)
ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。
まだ今のところは。
案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。
.
劇団の公演自体はおおむね満足。アートでビザールで猟奇的な感じ。
そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。
.
で、見てきた印象を簡単に書くと、
.
・ダンスを見て、
やはり動きのキレすさまじき。
チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!
.
・ダンスが終わって
話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。
.
もともと芝居好き。
劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまい。キャリアとか。
.
・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。
.
というあたりで。
……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。
自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?
あれだ。
何が楽しいかというと、若い人たちが劇団やライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。
大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、
_人人人人人人人人人人_
> スッゲー楽しいの <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
.
そしてね。
この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。
夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本の猟奇的な世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。
これがねぇ。若い人が過去の作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代の新宿的世界をガチでやろうとしているのが面白くて。
.
ほかにもね。
その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。
誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャルの集団とか。
どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人と助手たち」みたいな架空のストーリーでコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。
.
みんな“何か”になりたくて、
“何か”をしたくて、
でも、それが“何か”はっきりしていなくて。
.
みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。
.
おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?
いいねぇ。じつにイイっすねぇ。
.
この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、
.
・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、
・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか
.
どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。
.
この女優さんにしてもね。
.
っていう流れに乗る前に、
っていう流れに乗る前に、
.
多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家に師事して、それをテコに国内でも海外でもいいから名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。
その後は、
.
・一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師のゴーストから経験をつむか、
.
・彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政とかに売り込みをかけるか、
.
・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャーに一定の需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。
.
……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。
.
でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。
(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)
.
ま、ともかく。
独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分の生活が彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。
この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言。
.
タイトル通りです。
正しく言うと、メジャーデビューできる『選抜メンバー』に選ばれませんでした。
この記事はオタクの戯言を書くだけで、特定のグループ名は出しませんが分かる人が見れば分かります。記憶違いや私の個人的な思い込みとか主観ばかりなのでもうめちゃくちゃです。
生まれて初めてアイドルを好きになりました。ジャニーズJr.のようなグループです。
これまでアイドルなんて無縁だった私にとって突然の沼落ち。
でも、私の推しは決して王道系アイドルじゃないし、グループに入ったのは後の方で、人気がとてもあるわけじゃない。
ソロパートが沢山貰える分けでもなく(むしろ貰えることがほぼない)、いつも後ろで踊ってる。ファンとの交流でも自分から積極的に沢山話せる訳でもないしリアコ対応をする感じでもない。学業との両立もあって、イベントに沢山参加できるわけでもありませんでした。(当時)
それでも、私は推しが好きでした。これまでも、きっとこれからも大好きです。
推しを応援している間に沢山のお友達もできました。同担、他担と様々。現場に行けば友達がいる、友達に会いたいからイベントに行くという日もありました。
なんとなく、ずっと楽しい日が続くような気がしてイベントに通ってました。そりゃあもちろん、メジャーデビューしてほしいという思いもあったし、いつかできると信じていました。決して人気があるグループとは言えなかったし過疎りまくっているイベントも多くて……でも兄貴分グループのバックだけじゃなくて彼らだけのイベントも沢山増えてきて、メジャー流通シングルも出すことになって、もうすぐデビューできるんじゃないかとファンの間でも噂されていました。
これからも全員でライブをやっていきたい、メンバーがそう語る中で、選抜メンバーでメジャーデビューすることが決まりました。もう意味が分かりません。『選抜』?
推しはきっと選ばれない。直感でそう思ってしまいました。でも、心の中でもしかしたら選ばれるんじゃないか、もしかしたら選抜といいつつ全員デビュー(ユニットを分けてとか)できるんじゃないかと考えている私もいまし。
まあ、現実は甘くなく推しは選抜に選ばれませんでした。選ばれるであろうメンバーが選ばれなかったりとファンは大混乱。メンバーがオタクに気を使って一生懸命言葉を選んでいるのを見ることがとても辛かった。でも、選抜メンバーの発表とともにメジャーデビュー組はレギュラーも発表され明るい未来が待っているように見えました。
不安を抱えつつ、今までと変わらず全員で活動しているメンバーを見ていたら、もしかしたらユニット的なものでこのまま全員で活動してくれるのかなと淡い期待を抱いたりもしました。今思うと何あまっちょろいこと考えてんだって感じだよね。
これまで一緒だったブログは分かれることになり新しいブログができました。公式HP、Twitter、色々なものが新しくできました。アー写も変わりました。新しい衣装に身を包むメジャーデビュー組、彼らがいなくなってしまって殺風景になってしまったインディーズ組。
リリイベにはインディーズ組も参加しています。『自分たちの代わりに先にデビューして頑張るメンバーを応援したい、力になりたい』彼らはそう言いました。
推しに会うために推しが歌わないCDを沢山買いました(MVには少しだけ出ているけどその発表が死ぬほど遅かった)。
そして、そのうちイベントも別々に行われるようになりました。もう、彼らがメジャー組と一緒に歌うことができるのはあと何回なんだろう。
オタク同士の人間関係も少し変わりました。グループが分かれたことにより現場が被ることが少なくなって疎遠になった子も、辛いとオタクを辞めた子もいます。
とんでもない回数のリリイベをこなすメジャーデビュー組、死ぬほど頑張っている彼らを見るファンの子からみたらデビューできなかった子達はどう見えていたんだろうな。『○○のファンはお金かからなくていいよね。』きっと彼女の言葉に悪意は無かったんです。毎日のリリイベでオタクも疲弊しての本心だったと思います。『私の推し稽古しかしてないんだけどww』笑って推しを貶して、その場を乗り切って、何をしているんだろう。
正直、なぜ彼らがデビューできなかったのかを感じることもありました。でも、毎日のように稽古して、彼らの中で話し合って、自分のキャラを模索して、少しでもファンの子を楽しませるにはどうしたらいいかと考えて、一回一回のイベントを一生懸命こなしている彼らを見ていたらファンとして一回一回全力で応援するしかありませんでした。
ある日のイベントでメジャーデビュー組が沢山ある新しいレギュラー番組や次のイベントについて話していました。そんな中、ずっと前を向いている子、下を向いている子、コソコソと横の子と話して顔を曇らせた推し、それを見たときなぜが涙が止まりませんでした。私はファンとして何をしてあげたらよかったんだろう、何をしたら今彼らにこんな表情をさせずにすんだんだろう。
どんな気持ちで彼らの後ろで踊っているんだろう、彼らにエールを送っているんだろう、ブログを書いているんだろう。
グループが分かれてから人数が減って、今まで後ろで踊っていることの多かった推しがインディーズ組のイベントではメインで歌うことが多くなりました。司会として場を回すことも多くなりました。1人1人が自分について話すことも多くなってこれまで知らなかった彼らについて知ることもできたし、少しだけ本音を漏らすメンバーもいて。
彼らはデビュー組に負ける気なんてありません。自分たちだって前に進んでいる、目指すものは同じだからこそいつか頂上でまた会える。
彼らは私みたいな器の小さいオタクとは違ってずっとずっと大人で、前を向いていたんです。
デビュー組が華やかなデビューを飾ってから少し経ったある日、彼らがインディーズでCDを出すことになりました。
推しにソロパートがあります。これまでソロパートがなかった子にソロパートが割り振られています。以前よりもとても綺麗な歌声、きっとこれまでの稽古の積み重ねの結果です。
新曲のダンスのラストには『応援しているファン』のスペースが空けてありました。
ただただ、涙が止まりませんでした。ファンである自分が勝手に焦っていたんです。私の大好きな推しはずっと魅力的なままで、選抜に選ばれなかったという現実を受け止めてしっかりスキルアップして歌って踊っています。そして自分たちを応援してくれているファンのことも何よりも大事に思ってくれていました。
だから私も彼らを、彼らのこれまでの努力を信じなければいけません。
いつか推しがデビュー組のように華やかな舞台に出れるように、一ファンとして少しでも貢献できますように。
多くの人を魅了するボーカリストなるという夢、叶えてね。
ティッシュ配りって歩合制?時給制?
知らないけど、新宿とかのティッシュ配りだとその道のプロですか?みたいな人いるよね。
このまえ、東口から出てすぐの交差点のとこに三人いたんだけど、全員自分のスタイルを確立してた。おっさんとおっさんとおばさん。
共通してたことは、なんて言ってるかよく分からないことと、貰われても貰われなくても一定のリズムで渡し続けるところ。
正直ちょっと感動したよ。日本には柔道とか茶道とか、色々と「~道」があるけど、それに加えてもいいんじゃないかと思った。「ティッシュ配り道」。
道場には師範がいて、日々弟子たちにティッシュ配りの精神を教えている。たまに道場破りがきたときは、一番弟子同士の決戦。相手のティッシュをもらった方が負け。負けた流派は看板をおろして、稽古につかうはずだったティッシュで涙をふく。
人間のすごさを感じた。この無駄な洗練。機械にとって代わることができるのか?
で、ティッシュ配りは歩合ですか?時給ですか?
https://anond.hatelabo.jp/20170624074840
https://anond.hatelabo.jp/20170629064401
昨日までで、娘は駒の動きと並べ方、そして詰ませ方や禁じ手などを覚えた。
……覚えた?覚えたのかな、たぶん覚えた、きっと。
取り敢えず、これだけ覚えれば対局出来ないこともないわけだ。
しかし私としては、このまま覚えた事のおさらいをするだけの日々を半月位続ければいいんじゃないかと思っている。
飽きない程度に、毎日覚えた事を質問され、分かる、出来る、嬉しい、楽しい、を積み重ねていけばいいのでは。
だが夫は「何言ってんだ実戦しないでどうやって強くなるんだよ」というし、娘本人もうんうん頷いていた。それで、結局私が基本を教えた後に夫が稽古をつけるという流れに。
夫は十九枚落ちだったが、娘はこてんぱんにされて泣いた。容赦なさ過ぎだろう……。
何度やっても夫が勝ってしまうので、
「じゃあ飛角で玉を追わせるあれやってみれば?」
やっぱりまだ戦うのは早いのでは。
取り敢えず、娘は将棋を覚えるという目的は果たしたので、あとはもうのんびりでいいような。簡単な詰将棋や定跡など、泣かずにやれる事もあると思う。
が、夫は自身が父親から実戦を通して教わったから、自分も子には同じように教えたいらしい。
(続きはまた後で)
小林麻央さんが亡くなってからというもの、TVでは毎日のように彼女の報道がなされている。
でも、正直何がそんなに大変かって、元女子アナの綺麗なお嬢さんが夫と子供を残し若くして死んでしまったことよりも、あの成田屋の若奥さんが亡くなってしまったことだ。
歌舞伎を知らない人はわからないかもしれないが、とにかく成田屋は300年以上続いていて、歌舞伎の家の中でも名門だ。上手いこと例えられないが、日本の車メーカーで置き換えてトヨタとしておく。
で、海老蔵はそこの社長になるわけだ。それで、梨園の妻って何してるかって、世間は悠々自適な主婦生活じゃなくて、劇場に挨拶回りして、チケット売りさばいて、お茶だの花だの着付けだの、江戸か明治のお嫁さんかいなって言うくらいの芸事を覚えて、夫に栄養のいいもの食べさせて、不祥事があれば謝り、跡継ぎを生んで育てるって、まぁとんでもない量の仕事がある。非常に言い方が悪いが、夫は商品で、妻は、営業、総務、アフターケアから新人研修まで一人でやってるってことだ。
つまり、歌舞伎界のトヨタの営業、総務、教育係がいなくなってしまったと言うことになる。
だからと言って、「はい、もう続けられません。成田屋は廃業です。お疲れ!」とは言えない。
成田屋は、前述の通り300年以上続く老舗の歌舞伎の一門であり、最近は成田屋は不祥事が多くて、中村屋が結構真面目に頑張ってたから霞んでる部分もあったが、家の格で言えば一番である。
その証拠に、麻央さんの力があったとはいえ、あの遊び人の海老蔵が、先代の團十郎が死んでから熱心に稽古に励んでいると言うではないか。
あのヤンキーが恐れおののいて真面目になるだけのお家だと言えばわかりやすいかもしれない。
つまり、今まで通りにお家を存続させるためには、妻かその代わりになる人の力が必要と言うことだ。
今までは海老蔵の母親が、麻央さんの代わりにその仕事をやっていた。でも、誰でもわかることだが、お母さんだっていつまでも元気なわけではなので、その代わりにも限りがある。
でも、息子には未来の團十郎になるための一種の帝王学を教え、娘には梨園の女としての教養を身につけさせる役割は誰がやるのだろうか。
もし海老蔵がやるならば、彼は團十郎になるための時間はとれるのだろうか。
もし再婚するとするならば、そして、その女がエゴイズムの塊で跡継ぎを生むことに執着したなら、そして生まれてしまったら、成田屋にお家騒動が勃発するかもしれない。
そうであるなら再婚は避けるだろうが、あの成田屋の團十郎に妻がいないこともそれはそれで問題ではないか。
ただの俳優ならこの純愛を貫き通すのが粋なのかもしれない。なぜ歌舞伎はそれが出来ないのか。そんなの理屈なんてない。
海老蔵もきっとわかっているだろう。
だからこその、あの涙の会見だったのだろう。
きっと、海老蔵は麻央さんをこれからも大事にし続けていくだろう。それと同時に、麻央さんが大事にしてきた成田屋を守っていくためにも、新しい奥さんをもらわなくてはいけない…。
世間はもしそうなっても海老蔵を(もしかしたら團十郎になっているかもしれないが)叩かないでほしい。
それが、一般人には理解できない、成田屋の当主としての務めになるのだから。
できることなら、麻央さんに海老蔵が團十郎になって、息子が海老蔵になって、夫がまたちょっとした不祥事を起こして麻央さんが謝ってるのを見て、おい旦那、ふざけるな、とか言いたかった。
とはいえ、今までも応援している俳優や声優やアニメなど様々あったが、どれもこれもにわか、茶の間ほどの本人達には一銭にもならないような応援をしていた。
学生なりに舞台には最低一公演必ず都合をつけて入ったし、個人ブロマイドを買えば少しは俳優のお財布が潤うと聞き買ったり、写真集は特典に釣られたけど6冊買った。
今までの茶の間でいた自分とは比べ物にならないくらい、頑張っていたように思う。(まだまだというのはわかっているが)
これら全ては俳優が大好きでこれから売れて言ってほしい期待を込めて、出演していれば買った。
それなのに、最近配信されるファンの前での彼の様子に違和感を覚えた。
中身のない、薄っぺらい、喋りなんだか、彼を目当てに当たり前だが見ているのに、なんなんだこの体たらくは。今までもこんな調子だったら別に何も言わない。だけど、前は違ったのだ。どうファンを楽しませよう。面白くさせよう。と言う気持ちが喋りにも出ていたのに。
ファンの前だから、こんな風に手を抜いても別にいいように見えてしょうがない。
舞台の稽古が忙しいなら、配信はそもそもなくていい。もしやるとしても彼が生き生きとした表情で喋ってくれるだけでいい。
毎日ブログを書いたりするもの、大変なんだなって思うくらい。大変なのは分かっていた。
それは事務所的にいけないのだろう。
配信はする。それはそれでいいと思う。
だけど、なんだか、腑に落ちない。
疲れて無理に楽しそうに盛り上げる彼を見て、私も疲れてしまった。
それなのにこの現状は悲しい。
もう辞めてしまいたいけど、思い出があって、代わりになる誰かともなれない。
また彼に余裕ができて、楽しそうに話してくれる配信がまたみたいな。
NHKで毎場所やっているし、いまはyoutubeなんかで昔の取り組みを見ることができる。浮世絵とかでも登場する。
でもたまに、こいつらなにやってんだ? みたいにアホらしくなってしまうことがある。
まず、裸に廻し一丁の格好。おいおい。ほとんど裸じゃねーか。
そして太っている。いや、わかるよ。分厚い筋肉が内包されているのは。でもむっちり、だ。
そしてぶつかる。clash! 押し合い圧し合いである。そしてあの廻しが取り組みに重要な役割を果たす。
廻しを取れば有利になる奴がいたり、廻し取られたら不利になる奴がいたり。
髷を結ってるし。
そして単語使いもなぞだ。
そして一番意味不明なのが仕切りだ。
それをちょっぴりやって見せるだけでフラフラフウフウしててまともな人だとは思いません。
ところで黒田鉄山という名前が出ましたが、あの人は甲野善紀さんとは似ても似つかないです。
あの人はビシーーーッとしてます。
あの人が刀で斬り合いをしてどれぐらい強いのかは知りませんが
まともな体系の稽古を毎日やってる人であるのは間違いありません。
運動家としてちゃんとしてますし、舞踊として見ても大変に美しいです。
あれほど明確にモノが違うのにあなたの中では2人は同列なんですか?
黒田鉄山さんと甲野善紀さんの動きのあれほどの違いがわからないならもう何とも言いようがないんですが
たとえば横に一歩ステップ(って言葉は武術的じゃないんでしょうけど)しますよね。
黒田鉄山さんは余計なモーメントが全然無いんですよ。滑らか。上体は固定されてる。腰の高さもピターッ。
甲野善紀さんは余分だらけで行き過ぎて戻る体重移動があります。状態もフラフラ。腰も上下にゆっさゆさ。
それ以前に運動習慣っつーか、足腰の柔軟性や必要な筋肉すら養われてないように見えますよ甲野さんは。
出処が幾分かはっきりしてる甲野さんの方に注目が集まるのも無理はないわ。
由緒正しいなんかの宗家なんですか?それはしらないけど。
でもほんとかな?
歌舞伎の御曹司なんかは滅茶苦茶稽古するので動きがしっかりしてますよね。
そういうの全然無いんですけど甲野さん。
そのおじいさんのことはみたことがないので別に否定しませんが。
あれに疑いを持てない人と言うのは何かのスポーツを自分で考えながら必死に打ち込んだ経験のない人だと思います。
柔道とかボクシングとかレスリングみたいに筋肉や心肺機能の上に技がある世界の苦しい競争を避けて
なんか神秘的な技術で軽々とそういう人達の上を行きたいっていう邪念が動機としてかなりありますよね。
逆にあなたは何発想で言ってるんですか?
私も中学生の時に、現代体育よりずっとうえのすごい技術にアクセスして
現代体育で頑張ってる人を吹っ飛ばす超人になりたいと夢見ましたよ。
でもそういう甘えた考えを成人しても持ってるのは幼稚です。
「現代体育的な発想で言ってない?」とか言って何の根拠もなく見下しますけどね、
あなたは現代体育に身を投じて切磋琢磨し凌駕したうえで現代体育を見切ったんですか?
違うでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20170403231642
いやー怖い。とても怖い。話が通じない人ってこういう思考なんだなと背筋が凍る想いだ。
悪いと思うと言ったところで好きになる気持ちを止めることはできないし、それこそ他人にどうこう言える権利はない。
でも行動は違う。それは止められるはずだ。だって我々人間だもの。理性があるはずだ。
宝塚のように文化が出来上がっているならいざ知らず、通常どんな舞台やイベントでも禁止されていると思うのだが、
それを臆面もなく語る。というか、出だしの一文に書いてる。
この時点で普通の感性の持ち主であればドン引きである。この女おかしいぞと瞬時に察するが、更にホラーは続く。
現場にはすべて通い
熱心なファンだ。
プレゼントを山のように渡し
このあたりからどうも雲行きが怪しい。
彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優、演出家、プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。
ストーカーだ。
ストーカーだ、それ。
相手が俳優というのであれば、舞台に立たない「客」が俳優の存在を認知しても許されるのは、
お金を払って買ったチケットで観る舞台や、ファンクラブなどのイベント、テレビや雑誌のインタビューやブログ、Twitterまでだろう。
それなのに「プライベートな場」に顔を出し、周囲の人間にまでつながりを求めあの手この手で舞台上だけではない俳優を知ろうとしている。
恋ならば仕方ない。恋は盲目なのだ。恋しているのだから相手のことを知りたいと思う気持ちは普通だし、繋がれる人脈には繋がるし、ルール違反でも会える場所に赴いてしまうのよ、ということだろうか。
ふざけるのもいい加減にしろとちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちをぐっとこらえる。これぞ理性、すごいぞ理性。
彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファンに申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女にわたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。
そりゃあルール違反するようなファンとも呼べない層を嫌うのは当たり前の感情ではなかろうか。
それ以外のちゃんとした(=ルールを守る)ファンに対して申し訳ないと思うのはごく自然のことである。
というかなんで彼女に愚痴った内容まで把握しているんだというさらっと出てくるホラーエピソードは見てみぬふりをしよう。
全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。
んんん~~~~~~~~~~~~~~~~(絶句)
言いたいことは色々あるが言語化できない。
怖いもの見たさで「喧嘩」の内容が知りたい気もするのだが本当に怖い気がするのでやめておこう。
あまり全部引用してはきりがないので引用はこのあたりでやめておくが、万事彼女はこの調子なのである。
「わたしは」。全ての行動の基準が「わたし」なのだ。俳優の都合も他のファンも彼女の世界には存在していない。
「わたしと彼」という都合のいい世界でしか生きていない。だから、彼がいくら迷惑だと諭しても通じない。
出待ちをやめない。プライベートな場にも踏み込んでいく。だって、その言葉を受け入れてしまえば、彼には会えないから。
彼に会うためにはルール違反をしなければいけないのだから仕方ない。そういう価値観の元生きているのだ。完全に理性なき獣である。
少し話しはそれるが、最前列のチケットをそう何度も手に入れることは可能なのだろうか・・・?という疑問もある。
これは完全な推測であるが、得てしてそういう良席のチケットは高額転売されがちだ。もし、彼女が転売屋からチケットを購入しているとしたら?
高額なプレゼント、祝い花、観劇にかかるチケット代に交通費。それらは決して安いものではないということは、容易に想像できる。
それだけの大金をつぎ込んでいるという事実も、彼女の理性の箍をはずしている一因なのかもしれない。
このエントリーを書いた彼女は、文章化することで己の異常さに気付かなかったのだろうか。
仕事として「俳優」をしている人間のプライベートに食い込もうとするおかしさに、どうして歯止めをかけられなかったのか。
どんなに関係が深くても、それは変わらない。
いいや、それは違う。
俳優にプライベートを求めた時点で、もうファンですらなくなってしまっている。
それにすら、彼女は気付いていないのだ。
彼女が「好き」という度に身構えるという俳優が、自分が感じたものと同じ気持ちを抱えていないとは言い切れない。
優しくなったのではなく、刺激しないようにしているだけなのでは。シンガーソングライター希望の女子大生殺人未遂事件は、きっと誰の記憶にも新しい。
そしてそれをあろうことか、全て「下手に優しい彼のせいだ」と責任転嫁する呆れた幼稚さ。
それを恋と呼んではいけない。
そんな身勝手なだけの感情を、恋だなんて甘い言葉で片付けてはいけない。
とある若手俳優の出待ちを、もう三年間している。茶の間の期間を合わせたら、五年をゆうに過ぎた。現場にはすべて通い、プレゼントを山のように渡し、稽古場にも、プライベートな場にも顔を出している。彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優、演出家、プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。最初は驚いていた彼も、今はもう驚かない。「ああ、お前か」そんな顔でわたしと話す。毎月ある舞台に、稽古場。入り待ち出待ち。少なくとも月に十回以上話すのだから、致し方ないことだろう。
彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファンに申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女にわたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。最初はたくさんいた彼の出待ちは、塩対応に耐えかねて、どんどんいなくなった。
それでもわたしは彼が好きだった。全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。
泣きながら舞台を観て、何も楽しくないまま全通したこともたくさんある。
すべての現場に足を運び、祝い花を出し、プレゼントをしているのはわたしだけだった。わたしは意地になっていた。どうして一番お金を使っているのに優しくしてくれないんだろうか、という自己中な悩みを抱え、暗い気持ちで劇場に行っていた。
それでもわたしは、彼が好きだった。どんなに辛くても、彼の隣を歩きたかった。
朝、彼の姿を見ると世界がきらきらして見えた。どんな人込みの中にいてもわかったし、彼が乗ったタクシーですら感覚でわかった。どんなに遠い稽古場でも行ったし、何時間でも待った。一目見たくて会いたくて、どんな場所でも遠征した。どんなに出番が少なくても、会場にかけつけた。彼が舞台上に立って、輝いているのが大好きだった。どんなに嫌われても、大好きだった。
「どうして?わたししか出待ちいないからそう思うんでしょう?」
「平等?それ、本気で言ってるの?お金使ってる子が偉いのは当たり前じゃない!平等なんて求めてないって何度も言ってるよね?しかも、ちゃんと平等にできているなら、ファンの子揉めたりしてないよ」
彼は押し黙った。彼のファンは全体的にお花畑で、掲示板やツイッターがよく荒れているのは周知の事実だった。わたしは泣いた。それで、その日はおしまいになった。
一か月後、久々の舞台初日で出待ちをした。はじめて稽古場に行かなかったので、本当に久々に彼と話した。彼は喧嘩が嘘のように饒舌だった。わたしは面食らい、訊いた。
「…もう出待ちしていいの?」
「あー…」
「すごいしゃべるからびっくりした」
「俺もいろいろ考えたんだけどさ」
「うん…」
「お前来んなって言っても来るじゃん」
「来るね」
「え…」
「だからいいよ」
「…あのね、わたしも一か月いっぱい考えたの」
「うん」
一か月お互いのことを悩んでいたことに笑った。わたしは嬉しかった。ようやく、言葉が届いたような気がした。喧嘩をしたくないと言われたのも、わたしのことで悩んでくれたのも嬉しかった。
話してもいい日、彼は自らわたしの元へ近寄ってくる。わたしもダメなときに無理やり話しかけることをしなくなった。電話をしていても「ごめん、折り返すわ」と言って切ってくれるようになった。ほかの俳優に断ってわたしと帰ってくれたり、去り際に「さみしい」と言ったら戻ってきてくれたこともある。個人イベントで、同厨の中で息苦しくなったわたしを気にかけてくれた。こっそりファンサをくれることも増えた。仕事のことも教えてくれるようになった。プライベートのことも、向こうから話してくれるようになった。遅刻ぎりぎりで二人で走ったり、迷子になって笑ったり、オタクからのリプライを読んでいないって教えてくれたり、喫煙所で偶然会って笑ったり、たくさんたくさん思い出を作った。
そのたびに好きという感情が溢れた。わたしはどこまでもただのファンで、どこまでもガチ恋だった。
「付き合ってください」、そう、うっかり伝えてしまったことがある。隣にいた彼は驚き、「落ち着け」と言った。「落ち着け、今はまだ無理だ、まだ早い」わたしは驚いた。付き合う気なんかないくせに、なんていう回答をするのだろう。そしてわたしが本気であることも理解している。
クリスマスイブに舞台があった。帰り道、二人でイルミネーションの中を歩いた。わたしは再度告白をした。彼は曖昧に答えをぼかす。きらきらのイルミネーション、隣を歩く愛しい人、単純に泥沼だった。返事は先延ばしにされた。わたしは安堵した。どうしてだろう。
最近、「好き」というと、彼が身構える。わたしはそのたびに悲しくなる。
どんなに関係が深くても、それは変わらない。
でも、それでも、オタクをやめられないだろうな、とも思う。
同厨が知らないたくさんのことを知っているわたし、肯定と承認欲求。嫌になる。
下手に彼が優しいせいで、わたしはガチ恋をやめられない。彼のせいにしないと、わたしは自己を確立できない。不安定だ。付き合いたい付き合いたい付き合いたい付き合いたい。
終わらない。
わたしはどうしたらいいんだろう。
(1)甲の起こしたある事象Aに対し、それを批判してA'にすべきではないかと論じる乙(A→A')がいたとき、
(2)乙の立場に一定の理解を示しながらも、行き過ぎた部分があるとして甲を擁護する丙があらわれるのだが、
(3)丙が指摘する「行き過ぎた部分」は乙の議論(A→A')を宣言なく無視して丙の設定したもの(A→B)を前提としていて、
(4)丙による議論のすり替え(A'→B)によって乙に対する不当な印象操作が行われている
表面上は乙に理解を示しつつ、議論の前提をすり替えてしまうことで、
(A→B)という過大な要求を突きつけた、という濡衣を着せる論法である。
丙にとっては、悪意なく陥ってしまいがちな思考のワナという場合もあるが、
乙にとっては、感情のレベルでは肯定されつつも議論としては前提すら認められない、という
過酷なダブルバインドの状態に陥れられる、極めて破壊的な人格攻撃にもなりうる。
「隠し藁人形論法」とでも呼ぶべきか。
大好きな人
正確にいえば、大好きなアイドル。
あの子が所属事務所を離れるという噂が浮上したのは数日前のことだった。
そんな根も葉もない噂話を鵜呑みにするはずがない。
確かに、ここのところ最近のメディアには一人だけ不在だったりしていたが、
単に、本当にたまたま、欠席が続いただけだと思っていた。
なんなら、外部での新しい仕事が入ってそちらのレッスンや稽古に参加しているのではないかと舞い上がっていたくらいだ。
やはりあの子はすごい!すきになって良かった!
声に出して、ネットでどよめく噂をかき消していた。
そして昨日。届いたメールは数ヶ月後の新しいコンサートのお知らせ。
グループ名の表記はあるのに、メンバーの表記にあの子の名前がない。
ない
?
おかしいな、、という疑問は出てこなかった。
今まで耳をふさいで聞こえないふりをしていた噂がどんどんどんどん大きくなり、確定したわけでもないのに
「噂は本当だったんだね」
「今までありがとう」
「幸せになってね」
だの、、、
随分多くの方に愛されているわたしの推しは、とても幸せ者なんだろう。
だけど言わせていただきたい。
まだ辞めたことが決定しているわけではないからな。
あたかも、あの子が卒業したみたいな言い方をされるのが本当にそうなってしまうのではないかと、、
望みは少ないかもしれない。
だけど藁にもすがらせてくれ。
ずっと、ずっと大好きで応援してきた子なんだよ。
一目ぼれのような衝撃を受けてからずっと…
メディアで何かを発したらたちまち自分の中で名言となって心に刻んできた。
メンバーのことが大好きで、
そんなあの子が辞めるはずがないだろ。
雑踏を書き消せないから強制手段として大好きなSNSを辞めた。
今まで何をしていたんだろうか、というくらいにできた時間。
おかげさまで今はノンストレス。
ありがたいね。
あの子のこと
確証を得る方法なんてわからないけどとりあえずファンレターを綴る。
役はエキストラ的なもので、稽古に行っても、傍で見ているだけのことも多い。
だからあまり熱心には通っていなかったが、久しぶりに参加してみたら、やっぱりこう思った。
自分は踊らなくても、そのためだけに来てもいいと思う。
猫背の私とは違って、背筋がピンとしていて、体幹が通っているようにみえる。
私も練習に入って、一緒に踊っていても、同じポーズをしているのに格好良さがまるで違う。
喋るときおっとりな人が、踊りはじめるとキレッキレになるのもとてもやばい。
ダンスのポーズって、人間の身体の良さを最大限に表現している。ダンスに関して本気でひよっこの私が言うのもおこがましいが…
そしてそのポーズを、自分の身体の良い部分と動かし方を理解しながら、精一杯アピールすると、とてもエロい。
(手先とか腰とか足先とか……)
ダンスみたいに、踊るように、思うように、しなやかに体が動かせるんじゃないかなあと思う。
どんな風に踊るのか、みてみたい。私もそんな風に踊れるようになりたい。
一旦投稿
毬が転がった後の暗転が、すごく暗闇。DVD撮影日、最前列、と見たので、今まで実はそんな暗くなかった。
ほぼ最後尾だったので、暗闇がすごかった。
その暗闇から「不幸という言葉が…」という一説(長い)(日本どうこうまで入るよ)が聞こえると、井戸の中で亡くなったものの嘆きに聞こえます。
場所は紀州の孤島。「ここが最後の場所」と言う。物語の最後の場所であるらしい。
ちなみに舞台では紀州の孤島の諸戸屋敷を改装しているとやはり最後に言っている。
亡くなられた方が、私たちのいる現代に帰ってこられて、語られているようす。
鬼のことは姿が見えないという。
どうにも諸戸の最後の手紙に苦しんだという旨かのような発言に聞こえる。暗記できない…
なんというか簑浦と諸戸やはりお亡くなりになっていて一緒にいる。
私は学生時代の簑浦が「あつい手だね」と言ったこと、~`,+@~若いから嫌悪感なかったということなど、『私』の簑浦は諸戸との恋愛にどうしても繋げてしまう。
というか、学生時代の終わった恋の簑浦、諸戸との友情の箕浦というのは、状況的にはスッキリする。いや心理的にもそうなのだけど、後半の解釈がうまくゆかぬのだ…
箕浦「ここからは僕の物語」が、おそらくセリフとして正しいはず。毎日稽古しているようだけどセリフ変わってたらどうしよう…見る回によって難易度違うのは勘弁してほしい…
よくよく聞いてないと本当に流してしまう…
諸戸との再会は初代さんちで深山木さんもいる時でしたね。
作中で声が重なるのは4回。
「早くないですか」は、もっと諸戸と話したかった(のに邪魔された)という意味?
ヒグチは初代と秀子…あ~
言葉に二重の意味がある時に同時に話すのか? いや、私は原作からも「あつい手」を二人が同時に感じる相思相愛エロチシズム表現だと解釈している。これはハッピーエンドを目指すときに絶対に揺るがせない。
私>箕浦って世界への権力差は確実にある。これがな~どこまでを私とし箕浦とするか、というのが厄介にさせている。
いや逆か。おそらくどこかに数式の解があって、それであるならすべて説明可能になるように設定の証拠が上演されているのだ。
『私』と諸戸だと共犯関係のような雰囲気を感じるけれど、箕浦と諸戸は親しく親密にしていてもどこか絶対の別個体感があったんだけどなぁ。う~ん…印象に補正かけている気もする。
諸戸と箕浦に萌えるのって、それこそ不倫の恋のように感じて抵抗がある。初代から秀ちゃんに心変わりすることを「恥はないのか」と責めることと、まったく同じ事象が「箕浦が諸戸に心変わりした」という場面でも発生すると思うのだ。
諸戸と箕浦の身長差であるとか、近い距離感であるとか、激情を秘めた哀しみのHSK×鈍感素直な陽属性ノンケという組合せだとか、萌えなくはないのだけど…ってあーーーー!
これが「諸戸と簑浦は何かへんだぞ」か! そして箕浦は完璧なノンケの態度しかとっておらず、盗み見たり接触しようとしたり近い距離にドキドキしていそうなのは、変なのは諸戸の方だ!
そうだ、二回聞いたなと思っていたのはここだ。学生時代の思い出語りで諸戸の友愛や親切に感謝していると『私』は言い募るのだ。セリフの仔細はちがうだろうけど、井戸で襲われかけている時も『私』はそう募る。
どうにも『私』は諸戸と恋愛できる可能性を抱えているように見えてしかたなく…やはり手を握り返さない箕浦に驚いて『私』を見るシーンの解釈が…
あれ?もしかして再会してから、諸戸が初めて『私』を見たのがあの時か!?
ねえそれなら、諸戸は「手を握り返されられない」ことに『私』=簑浦の中にある恋の種に気付いたのではないか?
だから諸戸に見られた『私』は顔を背けその瞬間箕浦は手を握るんじゃないか?
ああそうか、もし諸戸が自分の身を恋に燃えるイドと美しい友情の超自我に分けられたなら…
丈五郎に滞在していけと言われた時、諸戸は先に『私』を見て「だってさ。」と言い、それから箕浦を見ている。
秀ちゃんが吉ちゃんの手を自分の胸にやるシーン。あそこは死んでしまいたいというセリフだっけ? 井戸の中で諸戸と死ぬことを受け入れた箕浦は、抱き締める諸戸の手をどうした?
あの時は吉ちゃんは発情していなかった。だから胸に手をやるのは凌辱表現ではなく、秀ちゃんによる吉ちゃんの受容だったのでは。セリフはなんだったか?
《みのうら》している箕浦は、諸戸の回想とか見えていない。だから語っている諸戸を見ている。『私』には諸戸の回想が諸戸と同じように見えている。
そう、秀ちゃんに恋したところを見咎める諸戸、めっちゃ非難する諸戸、あれって諸戸よりももう一人の自分みたいだったんだ。ある意味箕浦に似ていた、諸戸とは少し違わなかった?
私、簑浦が同性愛を否定するようになったのはあの夜以降で、その倫理形成は諸戸だったのではと思うの。超自我は教育で培われるでしょ、簑浦の同性愛嫌悪はそのまま自己否定する諸戸のようだと思うの。
「君は嫉妬しているの?」ってセリフ、あれはああ言うしかない会話の流れででもそしたら嫉妬しているって答えるしかなくてじゃあ今こそ受け入れてくれるの?って流れになるに決まってて…って思うんだけど、そこでも簑浦は友情しか受け取らない…「うん秀ちゃんが無事で嬉しい」って言えばよかったの?
リリース直後からあんスタやっててイベストも全回収してずっとUNDEAD推しなんだけど、あんステのUNDEADがどうしても好きになれない。すごく残念で悲しい。
もともと2.5次元作品好きだから作演的に微妙でも好きなキャラがステージ上に生身で実在してるならと思って見に行っちゃったんだけど、あんステの中でUNDEADが見事に一番下手くそで悲しい気持ちになってしまった。
多少は改善されてるかなと思って懲りずにTYMも行ったけど、相変わらず登場全ユニットの中で最低レベル。マジ歌下手だからちょっとこの動画の黒い服着た4人組のパート見てみてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=zhy_iv5s-QA
流して聞いてるだけでもわかるくらい歌が一番下手。前後のどのユニット聞いてもUNDEADよりうまい。やばい。これで金取ってる。
公演前のブログとか見ても、芝居と踊りは稽古頑張ったとか言ってるのに歌頑張ったって誰も言ってない。歌ももっと頑張ってください。
なのにリーダー役の俳優は深夜にプライベートのLINE LIVEとかやってるし、四人ともやたら仲良しアピールのブログとかTwitter多いから、こっちはお遊戯会見に行ってんじゃないんだぞいい加減にしろって思っちゃう。
せめてある程度歌やダンスや演技ができて、そのうえでファンサービスとして共演者の仲良しアピールとか配信とかするくらいならいいけど、お前ら一番下手じゃん!!
次の日の公演に向けて体調万全にするとかしてちょっとでもマシな姿を見せるように努力してほしい。
一番いやなのは朔間零の俳優だけど、のんきにそのファンサに乗ってる他の俳優も普通にどうかと思ってるから本気で生身の推しユニットがいるのに全然幸せになれないし楽しくもないしUNDEADこんなんじゃないわーって思わないといけないのが嫌すぎる。
一応もともとの設定で三奇人の朔間零がいてほとんど活動してないけど強いユニット(アイドルに強いってなんだよって感じだけど)みたいな設定なんだから、実力不足でもなるべくそう見えるように努力してほしいのに全然そういうのが感じられない。
一番好きなユニットなのに、あんステでそのユニット全然好きになれないの本当に悲しい。
脚本もサブライターが書いてるのと同じくらいメインライターのキャラクターと解釈食い違ってるように見えるし、演出も暗転しないと場転できなかったり本来のストーリーの流れが見せようとしてるもの見せる気が全く感じられなかったりで悲しくなるくらいクソ舞台だし、UNDEADを演じる俳優がキャスト変更にでもならない限りは次回公演あってももう見に行かなくていいかなって思う。
ファンサに大喜びしてきゃーきゃー言いながら俳優囲ってるやつも大概にしたほうがいい。
そうやってやることやってるない俳優をキャラのつもりで持ち上げて囲んでると、単純にファンに媚びてればいいんだって俳優が勘違いして結果的にその俳優の芸能界での寿命を縮めるもとになるよ。
あのUNDEADに本気で満足してるならいいけど。
先日のクリスマスイブでは、予約のピザが提供できないドミノピザにて怒鳴る客がまあまあいたらしい。
「怒鳴る客って信じられない」と言いたいけど、私が最近そんな人になりつつあって震えております。
イライラの例を挙げると
・武道の稽古で組手してるとき、相手がちょっと痛いやり方をしてしまったのが嫌で、すごい勢いでそれ痛い!!やめて!!って大きめの声でキレだしてしまった
・就活の面接対策、予約の時間を30分過ぎても呼ばれない。さすがに指摘したけど、言われた先生がなんかヘラヘラしてるのにムカついてその後の面接練習ずっと不機嫌
みたいなことが続いて周囲に引かれているような気がしてきたので、何でそうなるんだろう?と考えた。
それでわかったこと、
すぐ怒りが沸いてそれを表に出してしまうのは「相手にバカにされている」「見くびられてる」と感じているからである。
もう30分も待たされている→前の面接が押している→みんな今の時期必死だからたくさん質問しているのかもしれない、私もそうだ→別に今日はこの後フリーだし確認してもう少し待とう
となればいいところを
もう30分も待たされている→時間通りに来たのに何でや→私の時間を奪ってまでして前の予約の生徒に時間かけたいの?私はどうでもいいの?→悲しい
→そんな悲しい気持ちにさせるこの人には私が受けたのと同じくらいの苦しみを味わわせても構わない→ブチ切れ
となる。
悲しい気持ち(もしくは辛い状況)
にさせられたというところがポイント!
相手は私を傷付けようとしてその行動を選んだわけではない。その人個人の性向とか、予約システムがクソとか理由が別にある。
そして別に悲しい気持ちにさせられたからと言って相手に同じだけの報復をしていい理由にはならない。
でも、どこからかその思考のクセがついてしまうともう止まらない。
まあそこまでわかったんだけども
今からもう2年前くらいの話になるが、若手俳優の追っかけをしていた。
追っかけをするようになったきっかけは当時若手俳優の追っかけをしていた友人のつきそいで舞台を観たら、その中の1人を好きになった。というわりとよくあるパターン。
別の日にも観劇予定だった友人にその若手俳優宛の手紙を劇場に預けてもらうよう頼み、数日経つと家に返信の手紙が届いていた。私が好きになった彼はそれが初舞台で、ファンレターも数通しかもらった経験がなかったらしい。
私が書いた手紙の内容に応えてくれていて、精一杯丁寧に書いてくれたであろうその手紙を読み終えた瞬間に、一生彼を応援したいと本気で思った。
元々のめり込みやすい性格というのもあり、舞台が決まればその作品の全通(=上演期間中全ての公演。)分のチケットをとって劇場に通い、感想をファンレターに書いて送り返信を喜々として読む日々を数年過ごした。
ある日、その若手俳優にある有名な2.5次元作品(=アニメ原作の実写化の作品。まだTV出演の望めない若手俳優は主に2.5次元作品で名前を売る。)の出演が決まり、ものすごい勢いで彼のファンが増え、Twitterで検索すれば今までにない量のツイートが検索に引っかかり嬉しかった。
稽古期間、上演期間、上演DVDの発売記念イベント....どんどんファンが増え、その間に新しい仕事が決まったりソロ写真集を発売したりもした。
写真集イベントにはゲストと称し仲の良い若手俳優を呼んではいたが、それでも一応半分は応援している彼のファンだったと思う。
私は自分が会場にいるファンの誰よりも応援している若手俳優にとって特別だという自信があった。
手紙を出して以降、全ての作品に全通していたので、もちろん認知(=俳優に顔を覚えられていること。)されていたし舞台のカーテンコールの時には顔が認識できる距離の席であれば目を合わせて手を振ってくれていた。
それに彼は私があげた服を着てるし、私があげたカードでスタバの新作を飲んでる。
彼からの返信の手紙は家に数えきれないほどある、きっと誰よりも多い数だ。絶対的な自信があった。
写真集イベントの最後に挙手制の質問コーナーがあり、当然指名してくれるだろうと思い手を挙げた。
残り3問、2問、ラストの質問。私が当てられることはなかった。
特別な私は一瞬にして消えてしまい、次の日には彼の出演が決まっていた舞台のチケットを全て手放した。
それから1ヶ月でその若手俳優に関してのグッズや雑誌も売ってTwitterアカウントやブログの更新通知も全て消した。思い出のつまった手紙も捨てた。
何かに取り憑かれたのか憑き物がとれたのかは分からないが、そんなこともあったな、なんて思えるようになっていた。
私が舞台やイベントに行かなくなってから数年経つと、見覚えのある住所から封筒が届いていた。
中を見るとチケットが2枚と紙が1枚丁寧に折って入れてあった。
Twitterで調べると、彼のファンが増えるきっかけとなった2.5次元作品はとっくに終わっていて彼の名前も、好きな俳優がたくさん羅列されているような定期(=Twitterの定期ポスト機能。自動で設定された内容がツイートされる。)ばかりが引っかかるだけだった。
人気がなくなってしまった後、とりあえず席を埋めてもらうためにチケットを送るなんてよくある話だったし、みんな魔法が解けたんだな、なんて思ってチケットは捨ててしまった。
中には紙が1枚入っているだけだった。
紙には携帯電話番号が二つ書いてあって2つ目には本人直通と赤字で書かれていた。
本人直通
彼の電話番号。
数年前、何よりも誰よりも特別だった彼の連絡先がA4のペラペラの紙に書かれている。
何度もその番号と彼の名前を反芻した。
発信ボタンを押す直前、質問コーナーの最後に当てられた人の質問を思い出した。
いままでで一番嬉しかったことはなんですか?
目を閉じれば今でも再生される。
こんなにもたくさんの人が俺のこと好きになってくれたことかな
そんな無駄に食う分があったらアフリカの子供に……という、いつもの理屈である。
なんでも、終わった後は吐いてるらしいから、確かに食べ物の無駄と言われてもしょうがない。
投書では触れられていなかったが、危険というのももちろんある。
しかし、よくよく考えてみると、食い物を無駄に消費するという点では、他のスポーツも同じだ。
例えば相撲の力士。体重別ではないため、基本的には太るほど有利なルールになっている。
だから、彼らは毎日のように、稽古をしては大量に食って寝る。太るのも仕事のうちだという。
小兵で活躍すればもてはやされるが、それはレアケースだからで、やっていくのは厳しいのだろう。
つまり、力士でいる限り、不必要に食うことがほぼ必要とされている。
みんなそんなことはわかっていて、でもまあしょうがないよね相撲だから、とごまかしているのだ。
けしからんからテレビ中継なんかやめてしまえ、という年寄りの話なんか聞いたこともない。
大食いとの差はただひとつ。その光景をテレビで直接見ずに済んでいるだけだ。
だからあの体を見ても何とも思わないのだろう。