はてなキーワード: 玉石混淆とは
斎藤元知事に入れなかった兵庫県民有権者ワイの思考たれながしご無礼つかまつる
テレビは居酒屋に置いてあるやつか、たまに帰る実家で阪神戦と大河ドラマを見るくらい
youtubeほぼ昔のライブ映像とかスポーツ名場面とか芸人しか見ない
・選挙前
なんか県知事によるパワハラとかおねだりだので盛り上がっているらしいがテレビを見ないのでよく知らない。
周囲では挨拶代わりみたいな感じで「いつ辞めるんだろうね」みたいな会話されていた。
ワイに訊かれても知らんて。
↓
百条委員会とやらが始まったらしい。昔、猪瀬直樹が呼び出されてたやつだ。
これで何らかの結論が出るだろう。
↓
県議会が全会一致で辞めさせた。時期尚早じゃない?
・選挙期間前半
え、斎藤さんも出るの?無茶じゃない?
うわ立花ログインしてきた。ポスター掲示板がやたら増えてるのそのせいか。
・選挙期間後半
なんかえらい選挙が盛り上がってる・・・のはいいんだけど、空気が不穏。
周囲の人ら(30~50代男女)の会話でいうと
「やっぱハメられたんやって」「死んだやつ不倫しとったんやろ?」「稲村なんか外国人参政権やろうとしてる極左やからアカン」「なにがホンマかわからへん」
一様に言うのは「動画で見た」
立花が何かやってんのこれかぁ~
↓
https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/index.html
全部読んだ。玉石混淆だが、知事周辺の空気感を概ね掴むには使えそう。
本人が思い描く「県のトップ、県の顔」として周囲が尊重しその通り行動しないと不機嫌になるタイプらしい。
そのくせ、あまり職員と丁寧なコミュニケーションをとろうとしていないらしい。
上司にしたくはない感じだ。
再選させることもないな、絶対県政の混乱続くし。
↓
稲村さんに投票
・開票当日夜および翌日
勝ったからには頑張ってください。リーダーは大らかなほうがいいと思いますよ。
百条委員会もうムリだろこれ。
・雑感
とにかく終盤の空気が異常だった。
「あれくらいは指導の範囲でパワハラじゃない」とか「それでも政策や改革に期待できるから斎藤さん」とかなら理解できる。
自分の周囲で言うと、斎藤さんはハメられた被害者だから応援するのが当然で、他に入れる奴はマスコミに騙されてるかわいそうな奴、もしくはサヨク。
もちろんそういう人らも政策など加味して投票したんだろうけど。
(稲村さんが知事になると福原(ソープ街)が潰される!と危惧するおじさんを3か所で観測)
とにかく、どちらかが「正しい」どちらかが「間違い」、それを自分で選び「正しい側」に行こうとする。
そして延々おすすめされる似たような動画やコメントを見ることで、自分が主体的に選んだと思い込む。
選挙に限らずあらゆる社会問題についてこういう空気になってきたのかと今更ながら実感した。
ダルいわ~
だから予備選挙でいいじゃん。上位○位までとか全有効票の○%の得票とか選挙ごとにラインを設けて。予備選ではポスターもウグイス嬢も無し、官報のみぐらいの地味選挙にしとけば売名目的の奴も一発で消える。
2024/06/23
官報のみで正しく選べるなら
もしそれはダメだというなら
このアイデアは単に新規勢力や泡沫候補からチャンスや露出を奪いたいだけ。
民主主義に向いてないっつーか
こういう人ら、
これでもし野党支持の反権力みたいな自己意識持ってたらだいぶ厳しいよね。
いちいちそんなカイロプラクティックコスト払えないし
その種の指摘はされる側も逆上か耳を塞ぐことおおい。
日本のリベラルや左派って元より全然リベラルや左派でもないんだけど
時間とともにポーズすら繕えなくなってるように見えるんだよね。
「常識で考えろ」みたいな保守のおじいさん風の気持ちが強くなる。
見知った政党の人間や見知った政党が応援する「ちゃんとした候補」以外検討したくなくて
玉石混淆の石だらけの候補に目を通すことを民主主義のコストと思えず
「自分の視界に入らないところで雑に切ってくれ」という気持ちになりそれを堂々と言ってしまう。
せめて
既に脳の体力的に民主主義がつらくなっている
くらいの自覚は持ってもらえると
この人達は要するに
なんで外山こういちや麻原彰晃でも政見放送出来る仕組みなのか、
これなんかに似てると思ったらフィクションの滅亡後世界ぽいんだ。
高度文明の遺跡を意味わからないまま利用する流浪民みたいというか。
「この装置意味わかんないし効率悪いからとっちゃおうぜ」になってる。
文明が何度も滅びてるのって当たり前っちゃ当たり前なんだな。
ってやらないと文明は危ういんだと思う。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。
『あの子もトランスジェンダーになっているSNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の発売中止騒動周り。
私はトランスについていわゆるアライ(理解者・支持者)というのか過去にもトランス擁護の増田を書いたりしているけど本の出版はまったくの自由だと思っている。
事実誤認、デマ、トンデモの出版はダメだと批判する人たちは本屋に足を運んでいるのだろうか?
本屋にはそんな本が普通に並んでいるしオカルト本も詐欺みたいな本もあるし新聞の一面にはそれらの広告も堂々と載っている。
韓国籍・中国籍の人やその血縁は日本におそらくトランスの人よりたくさんいるというのに。
審査されエビデンスもあり素晴らしく正しいものが出版されるのではなくもともと玉石混淆。
「間違っている(と私が思う)から出版してはいけない」は自由の否定だ。
もちろんもし「○ね」「××を△せ」のような直接的な攻撃や扇動だったら出版は難しい。
しかし件の本は原書を読んだ人の紹介を見る限りそうではなさそうだしなにより伝聞や憶測で批判されている状況はあまりに恐ろしい。
先日、友人にLGBTについてのネット記事とコメント欄を見せて、
「こういう話題について、みんな全然関心ないんだな。がっかりするわ」
というような話を振ったところ、
「ネット使える人間の知的水準が全員高いと思うな、そういう発言にいちいち引っかかって時間もメンタルもすり減らすのはもったいない。スルースキルを身に着けたり、ネットから離れるという選択肢も考えろ」
と返されてしまった。
俺にとっては関心があっても、向こうにとっては関心のない話題についてグダグダ話されるのが不快だったのは理解している。
ただ、友人の言い分については納得がいかなかった。
俺は反論や否定的な意見についても、理があるのかどうかを検討して、自分の意見をより明確にする材料にしているだけなのだ。
その結果、自分が一時的に怒ったり凹んだりすることは必要なコストだと思っている。
何より、そういった自分の糧にできる可能性のあるものを「頭が悪い人の意見かもしれない、読むに値しないもの」と断じることに強い違和感を覚えた。
「そもそもの正義が違うのだから平行線のまま諦めた方がいい」のならばともかく、「相手は何も考えてないバカ」だと思うのはさすがに驕りすぎではないのか。
俺の要領が悪いということは承知している。
しかしなにも、直接レスバしているわけでも、何時間も何日も粘着しているわけでもない。
自分がどんな話題に興味関心があるのか、世間にはどういう意見の人がいるのか、自分はその中でどういうスタンスなのかを少し確かめたいだけなのだ。
不機嫌に話題を振られるのが不快だから、自分以外全員バカだと思ってスルーしろというのはお門違いだろう。
「その友人とは縁を切るべき」という助言は除いて、意見を聞かせてほしい。
回答ありがとう。
結論から言うと、「俺の意見にも友人の意見にも、正しい部分も間違っている部分もある」と思ったよ。
その上で、俺はこの友人をかけがえのない存在だと再認識した。俺の側も態度に気を付けて、この友人のことを今後も大切にするよ。
以下得られた知見ね。
その友人はお前とは縁を切るべき
こういう「議論になんの意味もないコメントは精査する必要もない」と判断できる程度のスルースキルは俺も持ち合わせてるみたいだわ。
その他、俺がめんどくさいコミュ障だとか、わざわざ茨の道を進むアホだとかの指摘も、
そもそも「設問を読み解けていない」「内容を確認してるだけ」なので、スルーできている。
つまるところ、友人側は俺の能力をちょっと過小評価してるきらいがあるんだろうね。
それについて俺が凹む必要はないみたい。
対して、俺の出した議題に対して有意義な意見を提供してくれたのはほんの一握り。
友人の意見はある意味で正しく、ある意味で間違ってたってわけだ。
世の中の半分はIQ100以下だぞ
会話って自分の意見を投げつけるもんじゃないよ 相手が興味持ちそうなことを話したり、どうしてもその人に話したいなら興味持ってもらえるように話すんだよ
こういうのは事実でブン殴ってるだけで、議論させてくれってお願いしてる俺に対してはコミュ障ムーブなんだよね。
真理は突けてるんだけど、あと一歩足りない感じ。俺と同類だね。
俺は「友人に自分を理解してほしい」と言っているわけじゃないからね。こういう「惜しい」意見もあった。
これらの知見は「高尚なお友達」との付き合いでは得られないものであって、俺がネットの議論なんてものにコストを払っているのは、こういう場面が見たいんだと改めて気付けたよ。
玉石混淆の中から、宝石を見つけた時の喜びって、やっぱりいいものだね。
最初の頃の反応を見て、フェイクの入れ方や情報の端折り方を間違えたなあと思ってたんだけど、時間が経つにつれていい意見も多くなっていったのが観察できて、非常に興味深い時間を過ごさせてもらった。
フェイルセーフとかフールプルーフとか詳しいみなさまにシステムの構築に関して
お伺いしたいです
配布は毎日ではなく内容は玉石混合です
一番下は教師からリマインドが入るようで期限ギリギリまたはオーバーしてから探し始めて渡してきます
おそらく子供の中で優先度が高いです
私にとって優先度が高いのは2番目ですが
子供はとにかく全て渡してくれればいいのです
ファイルを渡してあるので、
受け取った手紙は全てそこに入れる
優先順位は親が決める
現状は
ファイルに手紙は入ってない(ランドセルの底や学校の机を探す必要がある)
実際は手紙は数ヶ月後に置いてあったりなくしたりしている
状態です
何度もお願いしても改善されません
【以下追記です】
沢山の反応ありがとうございました
玉石混淆 ご指摘ありがとうございます。訂正して以後気をつけます
言われてみると娘は単語に対して私と違うものをイメージすることが多いです
さらに先生から直接など別ルートで情報を得る案が確実だと思われるので、検討いたします
本人が嫌がると思いますので、罰的にうけとられることに多少の抵抗があります
本人に気づかれないように段取りするのが良いでしょうか
子育てめんどくさいです
気持ちはわかるのですが「じゃあ自分でプリント出そう」とは娘はならないのです
小さなジップロックなど試しましたが、最終的にはハンカチもティッシュも持たないようになりました
ハンカチは持ってよ
私もプリントぐちゃぐちゃにする子供でしたが、現在の私の対処法では娘に通用せず中学進学後が心配です
子育てめんどくさいです
沢山の反応ありがとうございました
増田がイライラするのは当然だと思うし、お互い時間がないのも仕方ないと思う。ただ今現在は、お互い敵と認識(毎日怒鳴り合うってそういうことだ)するくらいに関係が悪化しているので、その段階で嫁に対して精神科受診を薦めるのは精神的DVと取られて拗れる可能性がある。
増田にも言い分はあるのはもちろん分かってるけど、今はもはやお互い協力関係と認識できてないの。
嫁も増田も相手に変わって欲しいと願ってる状態だから、増田の提案は責任転嫁と取られやすい状況なんだよ。そうなったら相手はもっと意固地になる。
それを踏まえた上で、自分はまず増田自身の精神科受診→カップルカウンセリングへの移行→低用量CBDを始めたらいいんじゃないかと思った。
増田自身の精神科受診は、増田に病名をつけることや増田の投薬が目的じゃない。増田が大変精神的に参っていることを、嫁に対して客観的に納得させる必要があるから行く。
精神科や心療内科はそんな簡単に病名つけたり処方もしないから安心してくれ。
最初に、増田自身が病院で家族関係を相談したら、奥さんの心配をしてもらえるのがベスト。(つまり親身になってくれそうな通院圏内の病院を下調べしておくこと。逆にカップルカウンセラーをまず調べて、そこの提携病院へ行ってもいいと思う)
病院からカップルカウンセリングを勧めてもらい、カップルカウンセラーから妻の状態を心配してもらえたら、その段階で妻の通院って選択肢も見えてくると思う。
最初に相手の行動を変えようとすると逆に遠回りになるから、まず自分の変化を見せないと人は動かない。
CBDはカンナビノイドのことで、ヘンプ由来とホップ由来とかいろいろあるから、好きなのを選ぶといいと思う。
CBDは飲用とベイプを自分も試したことがあるが、ベイプの方が即効性があり、数十秒で苛立ちが消えて冷静になる。
精神安定作用や集中作用の他、頭痛や怪我などの痛みや月経痛、PMSも肩凝り冷え症も改善や軽減する。常習性はなく子供に悪影響もない。
人によっては食欲が増す。
まずは嫁に試してもらいたいところだと思うが、先に増田がやっていれば興味を持つし、聞かれたら嫁が興味ありそうなことを言えばいい。肩こりが楽になるとか、冷え性が楽になるとか、気持ちに余裕ができて作業が捗るとか。
多分嫁も使いたいとか、自分ばかり狡いと言い始めるから、そう言われて初めてプレゼントしたら押し付けにはならない。
ホルンの元増田さんが追記で「ディスったつもりはない」と仰っておりますので、この議論に関してはこれ以上反論も補足もいたしません。
ただ一点、元増田さんには「あのような書き方をすれば尺八(またはマイナーな民族楽器全般)がディスられたと感じる読み手が私を含め一定数居る」ということだけはご認識いただきたいです。
それより私が驚いたのは、はてなの中でどのようなきっかけであれ尺八という楽器にここまで注目していただいたということです。
特に「面白い」「勉強になった」「尺八吹いてみたくなった」等のコメントは予想外で本当に涙が出るほど嬉しく、励みになりました。
これが元増田さんへのツッコミという形ではなく単発のエントリだったとしたら、たとえ同じ内容でもここまで反響を頂けなかったと思うのです。
こんなチャンスはもう二度と来ないと思うので、今回の件をきっかけに尺八に興味を持っていただいた方に向けて、もう少し書かせてください。
尺八がマイナーな楽器であることは十分承知していますが、少しでも楽器としての魅力をお伝えしたく、なるべく専門用語を使わずお伝えさせていただきます。
流派によって多少の違いがありますが、基本的にカタカナで縦書きに表記されます。
基本となる音は5種類で、順に「ロ、ツ、レ、チ、ハ(リ)」となっています。
このカタカナは音程ではなく指使いを表しています。ギターでいうところのTAB譜に近い表記です。ですので同じ音程でも指使いが違えば表記も変わりますし、逆に表記が同じでも尺八の長さが変われば出てくる音の高さも変わります。
音の種類は替え指や特殊奏法を全部カウントするとおよそ30種類です。殆ど全ての音が西洋音楽の12音に対応していますが、中には五線譜では表現できない替え指や特殊奏法もあります。
尺八の音域はおよそ2オクターブ半ですが、ホルンと同じく音域の高い音は正確に当てるのが難しいです。
しかも、高い音の中にたった一つだけ、なんと足(正確には太もも)を使わないと演奏できない音が存在するのです!足を使わなくても音自体は鳴ることは鳴るのですが、ピッチが上ずってしまい使い物にならないのです。
指使いや首振りだけではこのピッチのずれをカバーしきれないので、太ももで尺八最下部の息の出る穴を塞いでしまい、首振りのくだりでご説明した「開口端補正」を利用してピッチを適正な所まで下げているのです!
繰り返しになりますが、基本の尺八は指孔が5個しかありません。これによる最大のデメリットは「細かいパッセージが吹けない」ということです。
基本の音だけで構成されたパッセージなら吹けなくもないですが、半音や特殊音が混じってくると、かなり厳しいです。そう考えると5孔で平然とジャズを吹きこなすZac Zinger氏はマジで化け物です。
このデメリットを克服するために、指孔を増やした尺八が存在します。まとめて「多孔尺八」と呼んでいますが、メジャーなものは6孔と7孔で、多いもので9孔があります。
指孔が増えることで、本来であれば「首振り」や「指孔を少しだけ開ける」などの細かい動作を必要とする音も指孔の開閉だけで出すことが可能になります。
この多孔尺八を「邪道だ」と毛嫌いする奏者もいますが、私はこれにより尺八音楽の表現の幅が広がるのであれば良いのではないかと考えます。
プロの定義が曖昧なので何とも言えませんが、メディアに複数回登場したり、CDを出したり、定期的にリサイタルを開催している奏者に限定すれば、国内で100~150人くらいではないでしょうか。
最近活躍している若手プロはその多くが東京藝大の尺八科邦楽科尺八専攻出身です。https://hougaku.geidai.ac.jp/
そんな中、メディアへの登場頻度が図抜けて高い現役プロ尺八奏者が2人存在します。一人は「和楽器の貴公子」こと藤原道山氏、もう一人は「美人すぎる尺八奏者」こと辻本好美氏です。
辻本好美氏の演奏は、実は某テレビ番組で毎週必ず、それも何回も使われています。正解は以下の動画の1:55あたりから。
https://www.youtube.com/watch?v=2NfBpCQ5VYQ
お二人とも人気実力ともに申し分ないですが、私が個人的に一番好きなプロ尺八奏者は小湊昭尚氏です。彼の演奏がきっかけで尺八の世界に興味を持ったと言っても過言ではありません。
小湊さんがYOASOBIの「夜に駆ける」を尺八でカバーした動画は超絶オススメなので是非皆さんにご覧いただきたいです。先ほど紹介した「足を使わないと出せない音」や「首振り」も速いパッセージの中でバンバン使っていて、言葉がありません。
https://www.youtube.com/watch?v=LI0nzOKtTuk
尺八と聞いて多くの方がイメージされる「ブヒョ〜」という荒々しい音ですが、あれは口腔内や唇の形状を変えることで敢えて乱気流を発生させ雑音を含ませていて、専門用語で「ムラ息」と呼んでいます。
やり方は奏者によって様々ですが、基本的には舌の先端を下の歯の付け根あたりに巻き込んで通常より強めの息で吹き込むことで鳴らすことができます。
このムラ息、曲中であまり多用しすぎるとうるさい演奏になってしまいますので、ベースは綺麗な音で演奏し、ここぞという時に使用しています。ちなみに上記紹介の「夜に駆ける」動画の中では3:06あたりで使用されています。
本当はもっともっとお伝えしたいことがあるのですが、長すぎると逆に興ざめになってしまいそうなのでここまでにします。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
尺八に関する質問があればトラバやブコメにお寄せください!可能な限り追記で回答いたしますので。
2/26 追記
皆様ありがとうござます。これまでに頂いたブコメからいくつか回答いたします。
兎にも角にもまず楽器が無いと始まらないのですが、これには明確な回答がございます。
ズバリ、「プラスチック尺八 悠」の一択です。初心者用の尺八としてはこれ以外の選択肢は無いと言っていいでしょう。価格は約16,000円です(昔はもうちょっと安かったんだけどなぁ…)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00P2FXKRS/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_VR20JYRNZ0YEQJ2QWS28
ヤフオクやメルカリなどで中古の竹製尺八が売られていますが、初心者には高確率で地雷となりますので絶対に手を出さないでください。実家の押入れに眠っていた尺八も避けた方が無難です。
理由として、竹製は太さがまちまちで本人の口に合わない場合があること、手入れがされておらず割れていたり調律されていない場合があること、作者がわからないのでクオリティが玉石混淆なこと、などが挙げられます。
その点「プラスチック尺八 悠」はその名の通りプラスチック製なので太さ、仕上がりが均一で、乾燥などによって割れる心配がなく、プロ尺八奏者による監修もされております。
もし竹製の尺八が欲しくなっても絶対に一人判断して買わず、信頼できる師匠、尺八奏者、製管師と一緒に選んでください。
尺八選びを間違えたために最初の段階でつまづき、「私には無理だ」「やっぱり尺八は難しい」と思い込んでリタイヤする人の何と多いことか。残念でなりません。
楽器以外に必要なのは譜面台、チューナー、露切り(管楽器でいうところのスワブ)、テキストくらいでしょうか。
譜面台は尺八用をお勧めします。蛇腹式で横に広がるので主に縦書きの尺八用楽譜を置くのに適しています。
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チューナーは一般的なものであれば何でも構いません。スマホのアプリでも大丈夫です。
露切りは購入すれば間違いないですが、自作で手ぬぐいやハンカチに紐とおもりを結びつけた物でも大丈夫です。
練習後に露切りで尺八内部に付着した水分を拭き取って終わりです。簡単ですね。これも尺八の魅力です。
不可能とは言いませんが、できれば信頼できる尺八奏者から直に教わってほしいですね。
オンラインレッスンを開講しているプロ奏者も何人かいらっしゃいます。レッスン料は講師によって千差万別です。
各流派の師範などの肩書を持った方もいらっしゃいますが、師範=プロではないので注意して下さい。実際にその人の演奏を聴いたり体験レッスンを受けたうえで決めた方が良いでしょう。
最近はプロ奏者がYoutubeで解説してくれている動画もありますので参考になるかと思います。
https://www.youtube.com/channel/UCzD1bRWJ6o9ECnHRUVGctMw/videos
初心者用のテキストですが、個人的なオススメは「鳴るほどザ尺八」です。
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著者の菅原久仁義氏は現役のトッププロ奏者で、多くの若手プロ奏者を育成した実績もお持ちです。
もしあなたが大学生であれば、「和楽器サークル」または「尺八サークル」に入会してください。懇切丁寧に教えてくれるはずです。
もし自分の通う大学にそうしたサークルが存在しない場合、近所の大学のサークルに相談するのも手です。
社会人になってから尺八に出会った私としては、同年代が集まって切磋琢磨できる環境と練習時間がある大学生が羨ましくて羨ましくて仕方ありません。
一緒に練習できる仲間って、本当にかけがえのない存在です。小中高の吹奏楽部での経験があるからこそ、尚更そう思います。
ホルンの知名度のくだりでも少し話題になりましたが、国内唯一の和楽器専門誌「邦楽ジャーナル」によれば、現在の尺八人口は国内におよそ2万人とのことです。
他の楽器の人口がわからないので、この数字が多いのか少ないのか、私には判断できません。詳しい方いらっしゃいましたら教えてください。
ご想像の通り、曲の調や音域に合わせて随時最適な尺八を選択しているからです。そのため、曲の中で転調があると動画のような持ち替えが発生します。
尺八は一寸刻みで長さの違うものがあり、一寸長くなると出る音が全体的に半音低くなります。
最も一般的な長さは一尺八寸(D管)で、次いで良く使われるのは一尺六寸(E管)、二尺三寸(A管)となります。
ちなみにこの「一尺八寸」が「尺八」という名の由来になっているといわれています(諸説あり)。
そうです。大甲のツです。
「夜に駆ける」動画では結構な頻度で使われていましたがこれは極めてレアケースで、通常の曲で使われることはほぼ無いのでご安心ください。
尺八が合奏用の「楽器」として使われ始めたのは明治時代以降で、それまでは禅宗の一派である普化宗の虚無僧が修行の一環として使う「法器」でした。
そのため、他の楽器と合奏することが禁じられていたのが原因と思われます。事実、虚無僧が吹いていた曲はそのほぼ全てが独奏曲となっております。
箏と三味線と尺八が合奏する曲がありますが、あの編成が成立したのも明治以降で、それ以前は胡弓という楽器が今の尺八のパートを担っておりました。
さらに、当時の尺八は現代の尺八とは違い管の内部が漆で整えられておらず細かい凹凸があったため、音程や音量が不安定でそもそも合奏に不向きだったことも原因かもしれません。