「建前と本音を学ぶところ」だという意見を聞いたことはある(勉強はタテマエ。理不尽さや集団や上下関係の機微の学習がホンネ。勉強できすぎて(そのふるまいにより周りを不快にさせて)いじめられる奴は、そういうことを見抜けない能力の低い人物だと。成績は、指導側にとり都合の悪い奴の粛清理由として利用される道具、およびハクをつけるストーリー(極論すればだけど))。
が、そうであれば、日本の学校で英語が(他の教科もね)できるようになろうとなるまいと、ホンネではどうでもいいことなのよ。
そうだとして、問題はそうした学校ムラ社会が、現在の実社会とかい離していることかな。時代の進化とリンクしていないところは、官公庁の諸問題と同じ根がある。たとえば、生徒にはタブレットだの配布しているくせに、教員の資料は紙だらけ。まず教員連中のIT教育をしろってことですよ。あと、部活だののサビ残奉仕とかね、ブラック企業かよと。嫌々残業している姿を見せられて、生徒はうれしくないと思うよ。