はてなキーワード: シュプレヒコールとは
あの金髪のおじさんが「俺らを敵に回すとかアート界隈で生きていけないよ?w」(意訳)と言ったことで有名な表現の不自由展
名古屋の市長だか知事だかが「こんな内容だとは思ってない、大多数はこういうの認めない」(意訳)と判断して中止になった表現の不自由展
その中止を受けて「表現の自由が妨げられている!許されない!オタク共!これが表現の自由とやらの真実だ!」とはしゃぎまくってる人達
会場にガソリン携行缶を持って行こうとするよくわからない生き物
あともう一つ
そこでよく表現されている本国の方はどうなっておられるのでしょうか
盗っ人猛々しい(誤訳との噂がある)と発言をされてからまだ二日ぐらいしか経っておりませんが
高々敵国に『あの国は頑張ってたけど最近キナ臭いからホワイトじゃないよ』って判断されたぐらいでピーピー言ってたのに
またそれもこれもごちゃ混ぜにしてシュプレヒコールされるのでしょうか
馬鹿らしいなぁ
馬鹿らしい
お前らの言う表現の自由ってそれだけじゃん
オタク達が求めてる表現の自由とお前達が求めてる表現の自由を一緒には出来ないじゃん
オタクは二次元の少女を汚すけど、お前達は実在する人間を貶してるじゃん
オタクの方を「こんなこと実際にされたらどうしよう…」(なお、体は三次元なので彼等の趣味趣向とは相容れない)って考えるのと
お前達の方を「こんなこと実際にされたらどうしよう…」(なお、血筋は皇族ではない為彼等の批判の標的ではない)って考えるのとどっちがリアリティがあるんだよ
あ、ガソリン携行缶持ってくって言った奴は普通に脅迫だから震えて待てな
表現の自由の手足を短くしてるのはお前らじゃん
「これは政府に規制されるので許されませんねー(キチ顔)」してるのはお前らじゃん
政府じゃなくてお前らが知事やらにこういう挑戦的なアートがしたいってアプローチできなかったからじゃん。
誠実じゃないのは誰なんだよ。安倍じゃねえよ、っていうか安倍をすぐ入れる文面やめろ。一度精神を見てもらえ。
実際の公的資金は400何万で、寄付金の方が多い!だろうと、そこでこういう表現をしますっていう場所貸してんのその市じゃん、県じゃん、国じゃん。
そんでよぉ〜、なんだよお前今気付いたけど中止になった原因
「不快になる人が多いから」とかじゃなくってさっきから散々言ってる
「ガソリン携行缶を持ってくる奴がいるかもしれないから」じゃねえかよ
お前よぉ〜、そこなんだよぉ〜、だから中止になるし、その被害も考えられないからお前ら左翼もネトウヨも平和ボケしてんだよぉ〜
本家本元のテロの思想だよ、今の日本人にそんな根性あるなんて思わないでやるなよ、もうヒントは揃ってるんだから後は持ってってはしゃぐだけで大体の地獄絵図は作れるだろうよ
本家本元の表現の自由の侵害が来ることを予想してないのもヌルい考えだわ
詐欺師相手に長ドス持ってカメラの前で始末付けた国の警戒体制とは思えない
思想を揺るがすってことはそこまで根幹を揺らがせるってことだろうに
それなのに何故本当の被害が来ないと考えられない?
やっぱアート界隈はアホばっかりだわ
人間は元から獣だってわかってるなら、怒りと思想の正義に任せて地獄を作り出すのが人間だってわかってんだろうに
何でもかんでも煽っていい訳がないだろうよ
「この作品を作ることによってある思想を持った人たちは悲しみ、怒るかもしれない。そうなった時にそれを抑える為にどういう措置を取ればいいのか」を考えてないから本当の馬鹿の暴走を受け止めきれなくなるんだろ
アイツらは死んでいい人だと判断したら死ぬまで制御が効かなくなるんだから
どっちかなんだよ
「暴力に屈して表現を取りやめる」か「暴力に屈しない為に万全の状態で表現をして、暴力をすることすら馬鹿らしいと思わせるか」なんだよ
政治思想への利用なんだよ、アートの力なんてない、暴力に屈するためのアートなんだ。即堕ち2コマって奴。しかも2コマ目に「アォン!おかしな思想を持った存在に中止に追い込まれましゅ!安倍政権!表現の自由!ガソリン!アォン!」って台詞言いながら負けてるので「お、また安倍政権かぁ〜」ってなる奴
今は慣れた人も多いから2つ目の表現の自由に引っかかってるけどね
でも最強の人が多い世の中で、先月爆破事件が起きた要因がまだ規制入ってなくて、最近ホワイト国から外される問題行動の多い国がよくやってる表現の展示を、アート界隈の力を使って無理矢理認めさせようとするなら、
『この悪党を懲らしめる為にどういうことをしてやろう』なんて考えるヒマな人も多いって
だけどそれで怒りに任せる人がいることも考慮するのがアートだろ
屈強な人でも横におけばいいじゃん
火が出るかもしれないなら消火器でも大量に置いておけばいいじゃん
気楽に政権批判したい〜!でもお前らは怒んなよ〜!これはアートなんだからな〜!
じゃなくて
今から政権批判をしますが、不愉快な方は帰っていただいても結構です。おかしな行動をしようとされる方は屈強な軍人が横におりますのでどうか穏便になさって下さい。では、行きます!
ぐらいじゃないと人の教育とかその根幹を揺るがしかねない表現はやらない方がいいよ
人間ってのはつくづく弱いんだよ
賢くないし場当たり的だし正義もその時々によって変わるんだよ、そんで、思いもよらないことで感情が昂ぶるんだよ。
お前のアートへの感想にガソリン携行缶を持って行くと決めたのがそいつのアートへの感想なら、お前はその感想に館内は持ち込み厳禁です、感想は金属探知機に反応しない手紙でお願いしますって伝えてやらなきゃお前は芸術なんて語れなくなるだろ
ここまで長々と書いたけど
金髪のやりたかった表現とやらは不快だし、それを咎めた人に権力振りかざしたのなんか最悪の心境だったし、
名古屋がやらないって決めたのを不快に思う人がいるって理由ならそれは認めた時点で悪いって言うし、こんな表現だとは聞かされてないなら金髪も悪いってなるし、
ガソリン携行缶持ってくるってFAX来たから中止になったならやっぱり開催しようとした金髪の見通しの甘さ、それ以上にそんな脅迫をする犯人が無茶苦茶悪いってなる。なった。
御堂筋線のデザイン案が発表されて早々に方々から叩かれまくっていますね。アレね、ほんとうに何とかしてほしい。
俺は維新の会に対して、選挙で票を投じたことはないものの、大阪万博の開催には賛成しているし(だって、楽しみだろうカジノ)、賛否ある諸々の政策に関しても、ネットで悪し様に言われるほどの拒否反応は持っていない。「いいところも、いくつかあるよね」ぐらいの立ち位置。
そんなおれでも、今の維新の会率いる大阪のデザインに関しては「ほんまに終わってる」「誰か止めてくれ」という認識です。
例えば万博招致のモニュメント。「万博 招致 モニュメント」で検索してください。…しました?してない人に説明すると
です。
ひどいんですよ。マジで。公立中学で「万博のモニュメントをデザインしてください」って課題を出したとしたら、1クラスに必ず1つ上がってくるレベルなんすよ。それがついこの間まで大阪市役所の前に鎮座していて、その前を淀屋橋駅から降りた市役所職員、人権派弁護士、アメリカ領事館前でシュプレヒコールをあげるデモ隊が、日々通り過ぎていくんです。ちなみに、淀屋橋駅前には名物の丸坊主老婆ホームレスがいて、夜中によく花壇の脇で野グソしてるんですよね。それを皆、見て見ぬ振りして通りすぎる。そんな地獄が長く長く長く続きました。2025!握りこぶし!最近、あの老婆見ませんね。どうしたのかな?
閑話休題。他にも、懐古趣味の阪急ビル。リノベーションと称して周回遅れのインスタ映えを狙い派手にスベる有象無象。投身自殺のあった大阪駅前で歌う路上のシンガーソングライター。特に芸術に対するリテラシーの低い全身ユニクロのリーマン(事務職)ですら毎日ゲロ吐きそうになりながら生活してるんだから、意識高い東国の皆々様は卒倒するんじゃないでしょうか。そして、そんな大阪に輪をかけて酷い我が故郷神戸。なんや、神戸タータンて。なんや、BEKOBEて。「ジャズの街神戸」ってキャッチコピー、ゲロ吐きそう。百歩譲って「黒田卓也を育んだジャズ街、芦屋」やろ。倒れろ、世界一のクリスマスツリー!(もう無い)
再び閑話休題。もちろん、大阪にだって、いいデザインする会社はあるはずなんすよ。でもあんまり前に出てこない。例えば新しい阪神百貨店はなかなかカッコいい。やるな阪神。そのまま真っ直ぐ突き進め、メッセンジャーが野球帽のツバのように。でも、例えば、俺の知っているレベルでいうと、大阪にある「graf」って会社は、いいデザインをすると俺(全身ユニクロ)は思うんですけど、ここは、今、奈良県のデザイン監修をやっている。今をときめく中川政七商店に、全部持っていかれてしまった。奈良は今、すごくいいと思う。奈良クラブを応援するから、graf返してください。マジで。
なんの話をしていた?そうそう、御堂筋線のデザインの話。とにかく、今の関西(除く奈良)のセンスはヤバいんすよ。ここらで全国にバレて、南青山ぐらい盛大にバカにされて粛々と軌道修正したほうがいい。それで、結果、満を持して安藤忠雄御大登場、となったら、もう、それはそれでしょうがない。そういうレベルにいます。今。
たいていの人は「ホモという言葉を同性愛者は差別語と感じる人が多いから使わないで欲しい」という「お願い」をされたら素直に従うよね。俺は従う。
もし「お願い」をされたのに「ホモにホモと言って何が悪い。ホモホモホモ……これから挨拶の代わりにホモと言ってやる!」みたいに切れる人がいたら、うへぇ……って引くよね。
このホモ連呼厨氏は次からパーティーに呼ばれない程度の社会的制裁は受けるかもしれない。
こういうマナーの問題で終わるならポリコレって大変結構なものだと思う。
「未だにホモという差別語を使い続ける連中が社会の日の当たる場所にいる、社会から同性愛差別を一掃するために奴らを引きずり降ろさねばならぬ、『何も仕事まで奪わなくても……』と庇う奴も同罪の差別主義者!」
とあくまで「お願い」だったはずの物を他人を殴る「棍棒」に変えて振り回すソーシャル・テロリストが出てくることにある。
俺は「ホモ連呼厨氏が来るパーティーには行きたくないよ」と思う程度に良識はあるはずなのだけど、「でも、ホモ連呼厨氏の頭を割った次にあの棍棒が振り下ろされるのは俺かもしれないし、俺とホモ連呼厨氏が務めてる会社の前で素振りして『あいつをクビにしろと』シュプレヒコールしてるし……」と心配になってきて、「ゲイの人には悪いけど今回はホモ連呼厨氏を庇うわ、俺個人はホモって言葉は使わないから許してね!」ってなっちゃう。
本当に、こういうのどうにかならないのかな?
ネットの政治運動って、サブカルの一環として政治に意見してるようなもんだよね。
アレはラッパーが相手をMCバトルでdisってるようなもん。サブカル同士の罵りあいやマウンティングの一環だよね。
参加者を見ると、もう完全にサブカルのご意見番だったりサブカルライターがわんさかいる。参加者の顔ぶれもそうだし、服装、音楽、シュプレヒコールに至るまで、すべてサブカル。
サブカルチャーの一環として政治にちょっかい出して、俺はわかってるやつなんだぞ、とポージングするのは90年代からずっとそうだったし、外国でもサブカルが妙なことを言い出すケースは多い。
銭や仕事を引っ張ってくる政治とは一線を画す、自己表現としての政治発言やパフォーマンスで、それ以上のものでは今のところない気がする。
久しぶりに平穏な一日だった。今日くらいはビールを飲んでもいいだろう。残り少ない缶ビール。
絶望ではない。恐怖だ。絶望とは未来永劫のことで、恐怖とは今現在のことだ。これを書きながら手が震えているのは酔っているせいではない。酔えない。
明日からどうなるかはわからない。できるだけのことはするつもりだが、何の保証もない。
これは万が一私が死んだときのための手記ではない。こうでもしていないと気持ちが落ち着かないから書いているだけのことだ。
この建物は包囲されている。投擲の音で目が覚めた。今日も生きていた。
この街で生きているのは私たちだけなのだろうか。それさえもわからない。
妻は落ち着いているどころか時々私を笑わせようとさえする。しかしそれが恐怖心の裏返しであることはわかっている。強い女性だ。
窓に衝撃が走る。トビウオだ。運良くガラスは割れていないが、ハマチが投擲されたらと思うと時間の問題だ。
今夜は危ない。ビールはとっておこう。
「無駄な抵抗はやめろ」いや、私たちは抵抗などしていない。「抵抗はやめて今すぐ出てこい、さもなくば」
カタパルトにマグロがセッティングされているのが見える。あんなものを放り込まれたらひとたまりもない。
コウジとよく遊んだのを思い出す。「肉食おうぜ」が奴の口癖で、私たちはよく焼肉屋に行った。妻とはそこで知り合った。
コウジは転勤で今この場所のこの事態を知る由もない。全てはあいつのせいなのに。
「何を考えているの?」妻が囁いた。コウジのことを考えていたとは言えなかった。
鯖人間が議会を牛耳ったのはたった1週間前のことだった。だからどうした、と私は思っていた。楽観だった。
その後、まず鯖の缶詰が街から消えた。だからどうした。練り物が姿を消した。そんなものに関心がなかった私はそれに気づかなかった。だからどうしたっていうんだ。
スーパーの鮮魚担当が次々と行方不明になっていると聞いて事件はリアリティに彩られた。鯖の缶詰は鯖だが、スーパーの店員は人間だからだ。
やがて街から人々は姿を消し、この家が殆ど最後の砦となったようだ。妻がいないことに気づいた。
「ごめんなさい。あなたのことを嫌いになったわけじゃないの。だけど、残していくことを許してほしい。
あなたはよく食べる人だったわね。カルビ1枚でご飯1杯食べてた。そんな人は初めてだったから、とても印象的だった。いつの間にかあなたのことばかり考えるようになっていたわ。
絵に描いたような幸せ。凡庸な私の人生が輝いていたのがはっきりとわかったので私はサングラスを買ったわ。あなたは君は太陽だよと言いながら日焼け止めを塗っていた。今考えると馬鹿みたい。でも、幸福って馬鹿みたいなものよね。馬鹿みたいに幸せだった。
でも、私はこの家を出ていく。カルビを焼きながら白米を頬張るあなたが好きだった。でも、私は鯖を食べたいの。さよなら」
運命ってのは本当にあるのだろうか。これが運命? だとしたらあまりにも理不尽だ。量子物理学は土下座をすべきじゃないのか。
激しさを増す。クジラが投擲されるのも時間の問題だ。この家はもうすぐ蹂躙される。引き裂かれる。
最後のビールを飲みながら考える。たった一人で死んでいく悲しみは、果たして悲しみと呼べるのか。誰一人悲しまない。自分ひとりだけの悲しみは水素よりも軽い。
私は死ぬだろう。トビウオが激しい。鯖人間のシュプレヒコールが止まない。妻は今ごろ鯖缶を貪り食っているのだろうか。コウジは残業か。
最後にこれだけは言っておきたい。この手記を読んだ者がいたなら、これだけは覚えておいてくれ。
明日、めふぇ
安倍政治を許さない、とはサヨクやリベラルがよく言うシュプレヒコールだけど
それどころか自民党そのもが糞で、その糞が国会を支配し糞国会運営をしていることを右も左もなく認識を一致するべきだ
麻生副大臣は「改ざんとかそういった悪質なものではないのではない」とかいうけれど
答弁に合わせた"書き換え"だって十分糞悪質だ
「無い」「破棄した」と言っていた森友学園の交渉記録は今更出てきた
稲田元防衛大臣も虚偽答弁が、財務省の黒塗りミスによって露呈した
「私は森友学園や籠池泰典氏の事件を受任したことも裁判を行ったこともなく、法律相談を受けたこともない」と断言していたのは何だったのか?
「私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい 」
この糞啖呵で人が一人死んでいる
サービス残業を合法化する高度プロフェッショナル法案も、法案も審議も答弁も糞だ
データの捏造、二重集計、転記ミス、採決が延長されてないデータの異常が見つかる今日
安倍首相は過労死遺族に対して最初は面談して「過労死をなくす」と散々政治利用していたが
「過労死をなくす」とは、長期労働によって命が奪われる環境をなくすのではなく
裁量労働によって長時間労働の責任を労働者に負わせて「過労死として扱われなくなる」という糞
糞過ぎるだろう?
糞虚偽答弁、糞捏造データ、糞ご飯論法、糞国会に糞首相、そしてそれを支える糞自民、すべてが糞すぎる
与論調査を見るに、国民の30%はその糞自民にたかるハエだけれども後の有権者の大半は無関心だ
つまりは自分の敷地に糞が落ちていても、無関心だからほったらかしなのだ
こんなにもドでかい糞なのに、どういうことか政治フィルターを通すと見えなくなる
気温が上がってきて窓を開けていたら遠くから運動会のような音が響いてくる。
祝日にやる学校なんて無いだろと見下ろしてみるとデモ行進が始まったようだ。
晴海通りを北上してくるデモ、ああがんばってるなと眺めていたが、これは近所迷惑にしかなってないな。
変な節をつけて大音量でお題目唱えてらっしゃるが、誰に何を伝えたいんだこれは。オナニーでしかない。
以下うるさすぎて何も集中できないので憤りとともにただただメモする。
9条守れ 9条守れ
命を守れ 命を守れ
しんみんたんかーいますぐあげろ しんみんたんかーいますぐあげろ
労働法制改正はんたーい 労働法制改正はんたーい 労働法制改正はんたーい 労働法制改正はんたーい
xxxxxxxxxxはんたーい xxxxxxxxxxはんたーい xxxxxxxxxxxx
xxxxxxxゆるさないぞー xxxxxxxxーい xxxxxxxーい
みんなのxxxxx政治をやめろー xxxxxxxxxxxxxxxxxx
自民党野党のxxxxxxxxxxx xxxxxxxxxxxx
安倍政権はxxxxxxxxxxxx不正疑惑xxxxxxxxxxxx、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxいます
xxxxxxxxxxxxす xxxxxxxxxxxxxxx憲法9条をxxxxx xxxxxxxxxxxxxx xxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxx xxxxxxxxx 政府のxxxxxxxxxxxxxx 政権xxxxxxxxxxxxxxx xxxxxxxxxxxxx
9条守れ 9条守れ
9条守ろう 9条守ろう
日本のxxxxxxxxxいらない 日本のxxxxxxxxxいらない
日本のxxxxxにオスプレイらない 日本のxxxxxにオスプレイらない
xxxxxにオスプレイいらない
すべたのけんばでたいりょうはんたい すべたのけんばでたいりょうはんたい
9条守れ 9条守れ
9条守ろう 9条守ろう
日本のxxxxxxxxxいらない 日本のxxxxxxxxxいらない
日本のxxxxxにはオスプレイらない 日本のxxxxxにオスプレイらない
はんせんぎわくをてっていついきゅう
皆の力で政治を変えよう
9条を変えるな
憲法を変えるな
憲法をxxせ
オスプレイ飛ばすな どこにも飛ばすな
オスプレイ飛ばすな どこにも飛ばすな
みなの力で政治を変えよう
みなの力で政治を変えよう
xxxxxxxxxまもれーーー げんぱつxxxxxxxはんたーい
xxxxxxxxばんざーーーい xxxxxxxxはんたーーい
あべせいけんはxxxxxxxxろー あべせいけんはいますぐたいじんしろー
さきほどxxxxxxぼうさいこうえんで6万人のさんかでxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxあべせいけんxxxxxxx 9条xxxxxxxxxx わたしたちはxxxxすばらしさの 平和のxxxxx xxxxのためにデモ行進による
市民が力をあわせ野党とxxxxxx xxxxxxxまいりました
xxxxxxxxxxxしょー
もういっかいいきましょー
あべーせいけんのーxxxx
あべーそうりのーせきにんじゅうだーい あべーそうりのーせきにんじゅうだーい
けんこうxxxxゆるさないぞー
xxxxxxxxxxx
xxxxxxxxゆるさないぞー xxxxxxxxゆるさないぞー
かけーぎわくをー てっていー ついきゅー かけーぎわくをー てっていー ついきゅー
xxxxゆるさないー
あべーせいけんをー かならずー たおそそー
みなんのーちからでーせいじをーかえよー みなんのーちからでーせいじをーかえよー
けんぽーきゅーじょーかいせーはんたーい けんぽーきゅーじょーかいせーはんたーい
かxxxxxxxやめよー xxxxxxxxやめよー
けんぽーをxxxx けんぽーをxxxx
せんそうはんたいxxxxxxxxx せんそうはんたいへいわにかいけつ
せんそうxxxxxxxxxxxx せんそうxxxxxxxxいらない
バニラ・エアの件、論点が増えすぎてうやむやになって終わりそうだったので、論点をいくつかに分類した上で私が思う問題点について書いてみます。
長いので結論だけ先にまとめておくと、車椅子利用者のみが自主的な事前連絡を求められていることはバリアフリーでなく、より確実なバリアフリーを目指すために航空会社がシステムの側で対応すべきということです。
ちなみに私は健常者ですが、中学の時にこのエントリと同じような趣旨で卒業レポートを書いたり大学で車椅子利用者向けのインターフェースについて勉強したりしていたので、どちらかと言うと車椅子利用者側の意見になっているかもしれません。
今回の騒動で話題になった記事は http://b.hatena.ne.jp/topic/300611893821289425 が割とよくまとまっています(おそらく自動生成ではありますが)。これらのエントリを見ると、論点は大きく4つに分けられます。
本エントリでは4つめについて主に述べたいのですが、一応私の立場の表明がてら他の3つについても軽く触れておきます。長くて読むのが面倒だという方は飛ばして次のセクションを読んで下さい。
その場の対応についてはバニラ・エア側も謝罪・対応しており、搭乗拒否したことが問題である点については多くの方が同意するところでしょう。「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明 : DPI 日本会議」でも、やはり搭乗拒否についてが問題として指摘されています。
「LCCに車椅子利用者対応を期待するのは過剰サービスだ」という批判も中にはあるようですが、これは障害者差別解消法でいうところの差別にあたります。コストの理由だけで搭乗拒否することは「合理的な理由」であるとは言えないでしょう。
報道の仕方については、やや見出しが過剰にセンセーショナルであったことは否めないように思います。
「【ラジオ書き起こし】荻上チキ×木島英登×石川准「誰もが暮らしやすいバリアフリー社会を実現するためには何が必要なのか(2017/06/29 TBSラジオより)- "シュプレヒコールを歌え" 」に、「あの、私は、階段を這って上ったことは、僕にとっては屈辱でも何でもなくて。 」とあります。つまり這って上る事自体は木島氏も問題視していません。
一方で最初に話題となった記事のタイトルは「車いす客にタラップはい上がらせる バニラ・エアが謝罪」でした(今は修正されたようです)。このタイトルからは「はい上がらせ」たことが問題であったようにとれる点で、そもそも論点がずれていたと言えます。結果として話題となったのは良いかもしれませんが、論点のずれによって初期の議論が迷走し、木島氏へのバッシングなども引き起こしてしまったのではないかと感じています。
3つ目の木島氏の人格についてですが、私はあまり問題であるとは思っていません。「プロ障害者」という批判があるようですが、当事者として声を上げられるのは当然当事者だけです。「 なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある 」にもある通り、「声を上げた」ことは他の車椅子利用者の方にとっても救いとなるのではないかと考えています。
一方で「本来必要とされている事前連絡をしなかった」という非が木島氏にあることはたしかで、この一点のために個人の責任を問われているところがあります。しかしながら、事前連絡が必要であることそれ自体に問題があるのではないでしょうか?すなわち、搭乗拒否が差別であることだけでなく、事前連絡の必要性もまた差別であり解消されるべきものであるということも、今回の件から考えるべきではないでしょうか?これについては次のセクションで詳細に述べたいと思います。
木島氏への批判の理由として、「本来必要とされている事前連絡をしていない」ことがあるようです。今回のケースでは連絡していても搭乗を拒否されていただけであろうことを考えると、この批判は当たらないようにも感じます。しかし一方で、木島氏は普段から事前連絡をしていないようなので、そのことを問題視する方がいるのも理解は出来ます。
特に「車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ」によって、航空会社側の安全管理上の都合が多くの人の知るところになって以降、その傾向が強いようです。
この航空会社側の都合とは、車椅子利用者の方があると事前に分かっていれば対応できるのだから事前連絡をして欲しい、ということのようです。対応できる事自体は素晴らしいのですが、この考えには飛躍があります。その飛躍とは、「航空会社が事前に把握するための負担を、乗客である車椅子利用者が負わさせられている」という点です。
少し話は逸れますが、他のケースとの比較を通じてこの問題点について考えてみましょう。
機内食についての事前連絡の必要性に関して、ベジタリアンや信教、健康上の理由から、マイノリティでも事前に連絡しているという意見がありました。バニラエアで確認してみると、機内食としてベジタリアン用の食事は予約時に選択できるようになっています。バニラ・エアのグループ会社であるANAで確認してみると、さらに多くの種類の食事が選べるようです。
小さなお子さんがいる場合も航空会社は把握する必要があります。この場合も、システムが利用者の誕生日を入力させることによって航空会社は把握することが出来ます。
すなわちこれらの2例では、マイノリティの存在を把握するための仕組みがシステムの中で事前に準備されているということです。
話を戻して、車椅子利用者についてはどうでしょうか?ANAでは「おからだの不自由なかたへの空の旅へのお手伝い|ANA 」にあるように、事前に電話で連絡する必要があります。今回問題となっているバニラ・エアではFAXまたはフォームからの連絡が必要です(「お手伝いが必要なお客様|ご利用ガイド | バニラエア Vanilla Air」)。すなわち、航空会社がシステムとして主体的に車椅子利用者の存在を把握しようとするのではなく、車椅子利用者の方から航空会社に自己主張をするという構図になってしまっています。
もちろん食のマイノリティや幼児に比べて車椅子利用者は少ないという数の問題はあるでしょう。しかし、だからといってその存在を例外として扱って良いわけではなく、存在するのが当然と見なして対応するべきです。マイノリティについて事前に把握する必要があるならば、そのコストは利用者側でなく航空会社側が負担すべきではないでしょうか。実際「障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省 | NHKニュース」でも、「搭乗前に乗客に聞きとる」という航空会社の主体的な行動が要請されています(この記事に対して、やはり木島氏は事前連絡すべきだったとする意見があるようですが、それには前述した飛躍があります)。
一方で、電話で連絡すれば搭乗がスムーズになるというのは、搭乗できないよりは遥かにマシでもあります。それ故この対応を「差別である」と切り捨てることもできません。
つまり重要なことは、「ある行動が差別であるかどうかは0/1で決まるものではなく、比較可能なものである」ということです。今回のような「比較的差別的」な状態は、「比較的バリアフリー」を継続的に目指すことで解決されると私は考えています。
差別が0/1で決まるものではないという話をしましたが、それは「バリアフリー」についても同様です。事前連絡をすれば搭乗できることは、全く搭乗できない場合よりはバリアフリーであるといえます。しかし同時に、事前連絡せずに搭乗できる場合よりはバリアフリーではありません。本当にバリアフリーな社会が目指すべきなのはこの、「事前連絡せずに搭乗できる」という状態でしょう。
1つのバリアフリーな手段が用意されていることだけをもって「バリアフリーだ」と言い張るのは簡単です。しかし、それによって既存のバリアフリー施設の問題点や改善点が見えなくなってしまうという新たな障壁もあります。そのような「なんちゃってバリアフリー」の状態に甘んじることなく、全てのバリアがない「真のバリアフリー」を目指すことが、社会全体としては必要とされています。
もちろん「真のバリアフリー」は理想論であり、全てのバリアを一度に完全になくすことは現実的に不可能です。だからこそ、一つのバリアフリー施策を実施するだけでバリアフリーになったとするのではなく、既存のバリアフリー施策で足りないところを改善しながら一歩一歩「真のバリアフリー」を目指していくことが必要となります。この、漸近的に解消していくプロセスこそが合理的な配慮である、と私は考えています。
今回のバニラエアの場合は、例えば予約時にモビリティ上の特記事項があるか否かのチェックボックスを用意すれば、航空会社は車椅子利用者の利用を把握できる上、ユーザーの手間もそれほど変わらないでしょう。その上で航空会社がどのように対応するか、主体的に決めることも可能になります。多くの種類のマイノリティが存在する中でどれに対応するのかという問題はありますが、サポートする範囲を少しずつ広げながら、差別を減らしていけるはずです。
差別やバリアフリーを0/1で捉えるのではなく、連続的に改善していける社会になればいいなと思います。長い文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました。私より中立的な立場の方からのコメントや、車椅子利用者の方のコメントが頂ければ嬉しいです。
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
「アベノミクスは失敗で、だから駄目だって言うけど、じゃあオマエラはどうしたいんだよ?」
( http://anond.hatelabo.jp/20160720093730 )
ってのは、聞きたくなるだろうけど、それね「政治」として見ると、意味ないよ。
まあ、論点は多々あるけど、おおよそコレ。
「お前のかかってる医者ヤブだから!その治療方針は間違ってる!」
ほとんどアベノミクスと同じで、まともな反論としては「アベノミクスではまだヌルイ」
消費税を増税せよ!という政策がマトモじゃないのは、みんな理解してるだろ。
(というか、そういう空気感に強引に政権が持ってって、誰も反対できなくなった)
経済政策ってね、正解が無いのよ。
基本的には、徴税(カネを持ってく)と再分配(バラマキ)の綱引き。
なので人口構成、産業、地場、国策で大きく違う。(餓死者が出ても宇宙開発に突っ込むとかな)
で、「アベノミクスのやり方は正攻法だけど、まだ足りない」というのは反論にならないので害悪なの。
「アベノミクスは正攻法だけど、このへんが不足してるんで足してください」ってのは、追認になるの。
「自民党には政権を任せられない」というのが野党のスタンスだから、追認はできない。
よって、自民党に反対するには「アベノミクスが正攻法では無い」というスタンスが必要。
で、アベノミクスって要は日本円ガンガン刷って、投資にカネ突っ込んでもらって、企業に潤ってもらうのが基本。
それ以外の余録の部分が足りないって主張はいいんだけど、骨子のところを反対すると、
「市中に流れる金を増やすのを止める」「投資にカネ突っ込ませるの止める」「企業を締め付ける」のどれかになっちゃう。
だから、ぼんやりと「アベノミクスは失敗!反対!」ってシュプレヒコール上げるのが良いの。
で、「こういうところが足りないから失敗だ!」「こういうところのフォローがなってない!」っていうのが良いの。
アベノミクス路線+αを主張できないのは、「自民党に協力して行く」スタンスじゃなくて、「自民党に反対する」スタンスだから。
そりゃ超えられない一線があるからだろ。
でも、経済政策について自民党よりも効果のある政策は常に「自民党+α」になるから明確に出す意味が無い。
明確な経済政策スタンスを打ち出すと「自民党+α」になっちゃうので、
「じゃあ自民党で良いじゃん」みたいになると困る。
(というか、そういうの裏切りだと捉える支持者が多い)
そもそも、投票に行くのも陳情するのも積極的にロビー活動するのも
圧倒的多数が全共闘世代を経験してる連中なので、年齢的に「自営業」もしくは「経営層」が多数。
そういう連中は「理念」で動くので、「経済政策がマトモだから自民党から共産党に鞍替え」とか絶対にしない。
また逆に「弱者救済に注力しだしたから共産党から自民党に鞍替え」とかもアリエナイ。
よって、経済政策スタンスは、明確にしようが明確にしなかろうがあんまり大勢に影響なくて、
変に自民党追認じゃんみたいな雰囲気になって浮動票流れちゃうと困るので、明確にする方が害悪。