はてなキーワード: そろばんとは
ストリートファイター5やってみようかと思ったけどAbemaでやってる対戦動画を頻繁に見てたら飽きてきた。
同じキャラばかりだし、美少女がいない。CV遠藤綾のキャラはちょっと気になるけど顔がかわいくないね。日本のオタク向けには作られていない感じ。キングオブファイターズのほうはかわいいキャラいるけど、あっちは盛り上がってないっぽいね。
まあそれはともかく、格ゲーだとストリートファイターか鉄拳という感じみたい。
格ゲーって要するに反射神経大会という感じがする。極端なことを言ってしまえば超人たちによる超人じゃんけん。じゃんけんで絶対に勝つ方法は相手より後に出すことだ。ルール上は同時に出すといっても人間は完全に同時に何かをすることはないので、超人同士のじゃんけんでは先に出したほうが絶対に負けることになる。格ゲーもそれに似てる。相手の動きを見てから超反応で正確にガード及び回避、守りきってから確実に反撃。投げもからんでくるわけだけど、基本的にはじゃんけんと同じ。超反応で適切なコマンドを入力することが求められている。もっと雑に言ってしまえば、「すごい速さでボタンを押すゲーム」なわけだ。
反射神経を競うという意味ではスポーツと言えなくもない。でもその分ゲーム性がないので見てるほうはすぐに飽きる。何というか、100メートル走で号砲が鳴ってからスターティングブロックを蹴るまでの反応速度を競っているだけのようなゲーム性。単純すぎて戦略性がない。
eスポーツというのだからスポーツ性を押してるんだろうけど、超速度のコマンド入力というものにロマンを感じられる人ってどれだけいるんだろうか。キーボードのタイピング速度を競ったりもするし、電卓やそろばんなどもあるし、別にそういうジャンルがないとは言わないけれど。
なんというか、結局のところボタンを押してるだけなので、競技自体にスポーツとしての創造性がない。そこが飽きる原因かなあと。たとえばテニスなら単にフォアハンドといっても打つ状況によって毎回違ったフォアハンドになる。プレイヤーによって癖が違うということだけではなくて、同じプレイヤーでもひとつのゲームの中で毎回違ったフォアハンドを繰り出している。一方、ゲームでは立ちパンチは毎回同じ立ちパンチでしかない。弱中強などの打ち分けはあるのかもしれないけど、弱は何回打っても同じ弱でしかない。同じ速さ、同じ高さ、同じモーションの同じ弱でしかない。この性質がまさにeスポーツのゲームの部分だと思う。
ゲームであるためにスポーツとしては創造性がなく、スポーツであるためにゲームとしては単純すぎる。そんなジレンマがあるような気がする。
大学に入って一か月、ずっと思ってることがある。
周りの奴ら、講義中もうるせえ!
おまえら喋っててええんか?ここ大学だけど職業訓練校やぞ?仕事できるんか?
教授も注意してくれや、って注意しない教授だから喋ってんだなお前ら。こりゃ一本とられた。
喋ってるやつら、お前らは卑怯もんだよ。
なんでって「この教授は怒る」「この教授は怒らない」なんていやらしいそろばん弾いて喋ってっからだよ。
もっと言うとさ、学校にとって自分たちが客だって分かってんだろ。
いやらしいよな!
あいつらが就職して、社長の訓示とかでおんなじ態度取るかっていったら取らねー
なんでって会社やめさせられるからな、学校はやめさせられないからナメてんだろ。
社長も教授も目上の人だと思うよ俺は、だからおんなじ態度取るべきジャン。
なのにあいつらは今日も弁舌がはかどっていらっしゃる。何しに大学きたの?
うちの学部は中退率6割って入学式で言ってたな、もう6割がだれかってのは見えてるよな!
俺はお前らの教授でもなけりゃ親でもないから怒ってなどやらん。
そして唯一矯正させられる可能性のある「怒る教授」の前じゃ、お前らは蚊より静かだ。
だからお前らが自分で気づくしかないんだよ。がんばってくれよ。
そうでなきゃ早くやめちまえ!
深酒のすえに女子高生に危害を加えてしまった某アイドルのせいでアル中に注目が集まっている模様。
アル中というと思い出すのは母方の祖父のことである。といっても、祖父は私が産まれる8年ほど前、母が高校生の頃に亡くなっているので、私は遺影と祖母の持っていたアルバムでしか祖父を知らない。
祖母がしばしば私の事を祖父に似ているとほめちぎっていたけれど、顔はあまり似ていない。ま、血は繋がっているのでパーツパーツに似たところはあるんだけれども配列の妙で私は祖父の様な美貌にはならなかった。
祖父の死因は祖母や母がいうには「チュウキ」とかいう病気だったらしい。辞書によれば「中気(チュウキ)」とは脳卒中とその後遺症の事をいうらしいけれども、祖母と母の説明では「手がこうずっとぶるぶる震えるのが止まらなくてしまいに死んでしまった」という事なので、脳卒中というよりはアル中に命を取られたのかもしれない。じわじわと寝たきりになって衰弱していった様な話だったし。
アル中というと壮絶なイメージがあるけれど、祖母や母や伯父伯母が祖父を悪く言うことはなかった。定職につけない風来坊でどうしようもない人だったから自慢出来る様な人ではないけど、と苦笑いで語られる祖父は、私にとっては謎めいたヒーローなのであった。
祖父はとても手先が器用な人で、気まぐれに子供たちに絵を描いてみせたり包丁で野菜に細かい彫刻をほどこしてみせたという。若い頃はいわゆるフーテンで、あちこちをふらふら旅して回ったとか、どっかの置き屋から連れ出してきた美人を最初の妻にした(後にその女性は病気で早逝したようだ)とか。自分の住む家を自分で設計して自分で建てちゃったとか。
そして祖父は非常に子煩悩であり、特に末っ子である私の母の事を溺愛していて、貧乏にもかかわらずそろばんを習わせたり地元の名門高校に通わせてやったりした。といってもその資金を出したのは、虚弱体質とアル中が原因であまり働けなかった祖父ではなく主に祖母なんだろうけど。
祖母は若い頃かなり猛々しい性格の人だったそうで、家庭を支える為にバリバリ働いていたし、伯父の奥さんが怖がって口をきけないほどだったんだけど、どうも祖父には甘かったようだ。
伯父がいうには祖父はよく隠れて酒を呑んだのがバレて祖母に怒られていたそうなのだが、その時の事を語る祖母の口調にはあまり深刻さがないというか、「うちのとーちゃんはほんとしょうもない」と笑って言ったものだ。
祖父が呑んでいるところを祖母に見つかった時の口調を伯父が真似して見せてくれた事があった。
「呑んでない、呑んでないよ。これ水、水水」
祖父は酒豪の果てのアル中だったが、呑んで暴れたり人に暴力をふるったりするタイプではなかったらしい。ただ淡々と顔色変えずに呑んじゃうザル。従兄弟と私の妹がそういうタイプだが祖父も同じなんだろう。祖父の血を継いだ子供や孫達はあり得ない程の下戸の私を除いて皆大変酒に強いが、皆飲むとやや機嫌のよい感じで寝転がっている。
そういう穏やかな酒癖のせいで、アル中になるほどとことん呑んでしまう、というのもあるのだろう。祖父がまさにそれだった訳だ。
ただのほほんと機嫌よさそうにしてるから良いという訳ではなく、それでも酒の毒で手は震え、次第に体が衰弱していってしまったのである。
祖母は、私によく祖父の面影を見付けては喜んでいた。魚と梨を好んでよく食べる事や、絵を描いたり工作をするのに熱中していた事に。
私があたり目やきんぴらごぼうをむしゃむしゃ食べているのを見て、祖母は「やっぱりとーちゃんの孫だ。大きくなったら飲んべえになるぞぉ」と暢気に言った。酒が祖父の命取りなったというのに酒無くしては祖父にあらず、なのであって、祖父の生まれ変わりとも言われる私が酒豪にならないなど、祖母の中ではあり得なかったのだ。
だがしかし、私は祖父のほうではなく父の家系に似てしまって、酒は全くといっていいほど飲めず、お陰さまで酒の上の失敗とも永久無縁なのである。やらかす前にぶっ倒れて死んじゃうので。
祖母は私を祖父の生まれ変わりと言いながら、もし祖父が今も生きていたらという話もした。あれだけ私の母を可愛がっていたのだから、私の事も目にいれても痛くない程に可愛がっていたはずだという。
つまりもう一人の私に可愛がられる
私、とは。私は幼児のうろんな頭なりに考えた。仏壇の中にいる、私にはとても似ていないのに私と同じ魂を持った人の事について。
もしじいちゃんが生きていたら、どんなに楽しい遊び相手になっていた事だろう、と。でもそれはあり得ない事なのだ。私がここに存在している以上は。それなのに祖母や母の中にはまだ生きている人の様に存在していて、しかし絶対に意思を確認することの出来ない不思議な人なのだった。
じいちゃんは本当に私を可愛がってくれるの?
( https://anond.hatelabo.jp/20180425085648 からの続き )
現代版ルパン。ダークウェブを舞台に仮想通貨を盗んだりする話。このあらすじでもう既に面白い。
何より嬉しいのが、過去作のことを並行宇宙ではなくちゃんと過去の出来事として認めていること(スライドショーみたいな感じでパラパラと触れている)。なので、ルパンたちのセリフ一つ一つにすごく厚みがあってめっちゃ痺れる。過去作のオマージュもたくさんあって嬉しい。
作画の気合もすごくて、まさか2018年にルパンシリーズで手書きのカーチェイスを観られるとは思わなかった。この時乗ってる車もカリ城のやつだし。ちなみにカリ城が公開されたのは1979年らしい。約40年前…
大野雄二による音楽は「ルパンシリーズの変わらない所」の象徴のようで、多少キャラデザや声が変わってもルパンはルパンなんやなぁ、って。
過去作と変わった点として、銭形のとっつぁんが上司と部下に別れた点。熱血で先走っちゃう性格は部下に、有能なところは上司に。
イカジャム。SAOのスピンオフ作品で、作中のゲームを遊ぶ日常アニメ。本編とは独立したストーリーらしい。イカジャムっていう呼び方って、スクワッド→スクイード→イカってこと?
現代に蘇るハートマン軍曹。チュートリアルのシーンがとても好き。ハートマン軍曹だったら「Yesの前にSirを付けろゴミ虫ども!」って言ってた。実弾の音響にも強いこだわりを感じる。主人公がすごく楽しそうにゲームをやっていて、それだけでもう新鮮。それにしてもP-90ってやっぱりカワイイよね。ちょうど「GUNSLINGER GIRL」観ていたので。
会話ややっていることがサツバツとしているのだけれど、ゲーム内の会話って実際そういう感じだよね。とても優しい雰囲気のサツバツとした世界。
音楽家の生涯を描く作品。原作は完結しているけれど、全部で26巻もあるのでどこまでやるのか気になる。冒頭のシーンがそのあたりを明確にしているのだろうか(原作未読勢)。
とにかくピアノの曲と綺麗な運指が印象的な作品。監督はピクサーとかでCGアニメーション作ってた人なので、演奏シーンにすごくこだわっているみたい。「ピアノを演奏しているキャラクターの手元」ですぐに思い浮かぶのが「四月は君の嘘」だけど、あっちはあっちですごい。あっちを動の演出とすると、こっちは静の演出、みたいな印象の違いを感じた。
クラシックが好きな人や、ピアノの音楽を堪能するための再生環境がある人向けかも。
戦記モノ。男性声優大集合。ニコニコ動画で解説を見たけれど、とんでもなく壮大な物語が始まった印象。
戦争と政治がテーマだけれど、特に戦闘シーン。EVE Onlineみたい。ここまで大規模な戦争を見たのは生まれて初めて。しかもその動きは組織的で空間的かつ戦略的で、すごく面白い。
マッドハウスによるアニメ版朝ドラ。1話10分なのも見やすい。原作が子供向け文学作品らしいのだけれど、そのため子供向けの作品になっている。横手美智子による脚本はとてもテンポが良く、ギャグシーンに勢いがあって笑える。
主人公の声を、子役タレントでおなじみ小林星蘭ちゃんが担当しているのが非常に良い。マジで朝ドラ観てる気分になってくるのが不思議。
中国の漫画原作、中国のアニメスタジオ制作のアニメ。タイトルの意味は「モルモットにされた兄弟達」みたいな感じ。いい最終回だった。
マッドサイエンティストの子供はよく研究のためにペットと錬成されて犬人間にされたりする事があるけれど、本作はそこから始まる日常アニメ。高橋鉄男のようなメンターのいない「亜人ちゃんは語りたい」みたいな。
作品を通して、日本と中国におけるアニメ文化の違いや共通点が垣間見えるとこがとても良い。例えば尺。日本のアニメは30分、10分、5分あたりがメジャー(CM含む)だけれど、本作は15分(CM抜き)。当然30分アニメには30分アニメなりの脚本の書き方があり、10分アニメには10分アニメの脚本の書き方があるので、15分アニメという長さの本作はそのどれとも違う独特な感じがある。演出も他の作品ではあまり見ないような手法が使われてたりして、全然飽きない。いい最終回だった。
一方で、キャラクターの個性は「あれ、こんなかんじのキャラどこかで見たことある」と思わせるような部分も多く、日本独自と思ってたテンプレは存外普遍的に使われている手法だったんだなぁ、としみじみ。個人的な推しは長女アシス。天然系不思議ちゃんというか、自然(ロギア)系天然ちゃんかわいい。ちなみに本作でも犬役(長男)は浪川大輔である。
酒と殺しと男と女要素が少ない推理アニメ。カトリーがすごくかわいい。子供向けコンテンツの割に人間ドラマをちゃんと描いてる作品なので、2話とか泣いちゃった。とても後味の良い作品。
踏切で電車が過ぎるのを待つ人たちを描くショートショート。5分アニメ特有の、テンポの良い会話劇。BGMと踏切のカーンカーンカーンがシンクロしている演出がすごく好き。リアルではカーンカーンカーンのBPMは踏切によって違うらしいので、話によって違う曲が流れるのかな(しっとりした曲とか、アップテンポな曲とか)。そこら辺が楽しみ。
漫画家を題材にした、やさしいせかいの日常アニメ。福島県白河市での話かと思ったら、主人公の出身が福島県なのね。主人公の豆腐メンタルを見ていると先のアニメ「スロウスタート」を思い出すけれど、あっちと比べてテンポよくオチをつけていく脚本が印象的。怒涛の展開につきBGMが軽くカオス。でも豆腐メンタルを笑い飛ばしてくれる内容に、すごく元気になれる。また公式に脚本:待田堂子・横手美智子・花田十輝 とあり、とても強い。
背景美術(ヤマノススメセカンドシーズンでお馴染みムクオスタジオ)含め、漫画家としてのの日常を描く部分についての書き込みが非常に細かい。有り物としての漫画家を描くのがひとつのテーマなのかな。
フルダイブ版MMOアクションゲーム。アバン~OPで登場した機体名がザク以外分からないという偉業を達成してしまった。
フルダイブという仕様について。自分で作ったガンプラの機体を、リアルなサイズ感で見ることが出来、搭乗する主人公を見てるととてもテンションが上がる。お台場のユニコーンガンダム見てこようかな。音楽も非常に良くて、初ダイブする主人公たちの高揚感がすごく伝わってくる。絶対楽しいよこれ。
あと謎の女の子(CV.照井春佳)が言うセリフ「諦めないで」が、めっちゃヤバイ。魂が震えた。
今期はフルダイブ型MMOをテーマにした他作品にイカジャムがあるけれど、両者におけるゲームの位置づけが少し違う。イカジャムにおけるGGOは、日常(抑圧)に対する非日常(開放)なのだけれど、本作は現実とゲームの境界が曖昧というか、地続きになっていて、主人公にとってはどっちも現実の一部として描かれている感じ。ゲームシステム上、主人公は現実ではガンプラをいじり、ゲーム内ではそのガンプラに乗っているので、ずっとガンプラで遊んでいることになる。ガンプラってすごいね。久しぶりにまた買おうかな。
AbemaTVのみ。それにしても公式サイトが見づらい。「DEVILMAN crybaby」が地上波で放送できない永井豪のエログロとすると、こっちは地上波で放送できる永井豪のエログロ。
インタビュー読んだ限りでは原作準拠のシナリオらしいけれど、何もかもが斬新。他作品であれば「当時はセーフかも知れないけれど、今ならアウトな表現なのでここは変えよう」なとこを全力で攻めていて、キューティーハニー初心者としての感想は「なんかヤバイアニメ始まった」である。キューティーハニーの連載が始まった当時も相当のインパクトを与えたんだろうなぁ、と思いを馳せる。
作画熱量はアクションシーンを中心に非常に高く、アクションアニメとしてもすごく面白い。ハニーの能力について一切の説明がないので「え!そんな事もできるんだ!」と驚くさまはまさに、当時リアルタイムで漫画を読んでいた少年少女の姿そのものである。
公式の宣伝では「あなたはどのハニー?」みたいな感じでハニーの担当声優達を前面に出しているけれど、個人的に一番嬉しいキャスティングは”ラスボス CV.田中敦子”。絶対に強いじゃん!
女児向けYoutuber育成アニメ。シンデレラストーリーを踏襲した作品としてはアイカツ!シリーズに近いかも知れないけれど、テーマとして「誰でもプリ☆チャンデビューできる!」という、Youtuberの性質を受け継いでいる点でアイカツとベクトルが異なる。
1話では、誰でもデビューできるんなら私もデビューすっか!みたいな軽いノリで始めるも途中で引き返そうとする姿が描かれているのだけれど、大抵の人はこれと似た原体験を持っているんじゃないだろうか。私の場合は”ニコニコ動画!面白そう!→ゲーム実況動画おもしろい!→無料で投稿できるんだ!いっちょやってみっか!→無理だコレェ…”という原体験を持っているので、逡巡する主人公の姿はすごく刺さった。だから本作のシンデレラストーリーはすごくキラキラして見えた。
BGMが凄く良い。女児向けアニメなのになんでJazzyな音楽なんだろう。ライブシーンのアニメーションもすごく良いし、かわいい。日常パートもテンポ良くて見やすい。
本作の監督は今期「宇宙戦艦 ティラミス」の監督も兼任していて、命を燃やすのが最近のブームなのかも。
バカップルの可愛さを描く5分アニメ。話が進むほど他の子達も強烈で好き。
異世界モノ(なろう系じゃないよ)の飯テロアニメ。借金のカタに身売りされちゃった主人公が有名宿の大旦那の嫁にされちゃって…ではなく、自らの力で異界に居場所を作って自立するお話。ニル・アドミラリの天秤と並び、まだ見ぬイケメンたちがメインの作品なのかな。それにしても銀次がかわいい。けもフレの「すっごーい!」みがあって好き。
異世界にある調味料(和食)を使って作る飯テロが非常にツボ。オムライス(和風)とかリアルで食べたい。
バウンティーハンターを描くアクションアニメ。冒頭で戦闘システム紹介があるように、戦闘シーンが非常に映える作品。使う武器が”大剣+リボルバー+魔法+魔法の鎧”な時点で厨ニ心が燃える。独特な魔法の仕様も含めて、アクションRPGみたいなワクワク感がある。ゴッドイーターとか、モンハンとかに近いかも。狩るのドラゴンだし。
何より世界観が非常に独特。現代がモチーフになっているのだろうけれど、いつの時代かよくわからない特殊な世界。
コンクリート製の廃墟(未来かな?)→今風の車が街を走る(現代かな?)→ゴシック様式の大聖堂風建物で開かれる議会(19世紀の宗教国家かな?)→貧乏な主人公の家にカラーテレビ(平成かな?)→欧風な街並み(イタリアかな?)→そろばん(東南アジアかな?)→カメラを持つ新聞社の女性社員(20~21世紀かな?)→事件現場を保全する警察と、赤青のパトランプ(現代の警察(欧州)かな?)→半ばスラムっぽくなってる欧風な街(東ヨーロッパかな?)→中東風の音楽(イランかな?)→市庁舎前の掲示板が街の人達にとって速報として機能している(20世紀初頭かな?)→立派な市庁舎のビルと照明(現代かな?)→作中に出てこないIT機器(20世紀かな?)→EDに出てくるガントリークレーン達(現代かな?)みたいな。主人公がおしゃれなスクエアメガネ(つるなし)かけてるので多分現代かな。
ペルソナシリーズ。ペルソナ5(ゲーム)はクリアに100時間以上かかる作品らしく、手っ取り早く本シリーズに触れる手段としてのアニメ、という位置づけらしい。ペルソナシリーズは一度も触れたことがないので本作がP4以前とどう繋がっているか知らないのだけれど、時系列をわかりにくくした脚本は純粋に「先が気になる」と思わせる内容になっている。先が気になる。
ぞんぞんびより。原作はペル5と同様RPGゲーム。1話の展開が時系列を敢えてわかりにくくする演出になっているのはペル5とよく似ていて、ストーリーの魅力をいかに伝えるか、という作り手の思いが伺える。ゲーム面白そう。
不気味な予感はオカルティック・ナインにも通じる感じがあって、そういうところがRPG原作アニメの特徴だったりするんかな。
かわいい方の化物語。りょうしゃにおける妖怪(怪異)の描かれ方はよく似ていて、「どこにでもいるし、どこにもいない」「神様みたいなもの」「畏怖の対象」みたいな。そういうところは脈々と受け継がれるゲゲゲの鬼太郎の特徴なのだろう。化物語が「主要なキャラクターの心の闇というか、闇の心」をテーマにした作品なのに対して、本作は「現代の闇」みたいな違いがある。わりと社会派アニメ。
成績も良く絵も上手かったのでそこそこ慕われてる方だった
まあそれを鼻にかけてたところもあったかもしれないが
四年生辺りから不良化したやつらに調子に乗るなといって殴られるようになった
それで少し周囲に脅えるようになった
歯が折れるまで顔を殴られ血を吐くまで腹を蹴られレンガで何度も頭を殴られた
何度も忠告して殴って教え込んだのに分かってないからだと言われた
リンチグループの中にはそろばん塾の息子もいた議員や社長の親戚が沢山居る偉い血筋の家の子だ
俺は二週間入院するほどの大怪我をしたが誰も捕まらなかったし学校でもなにもなかったことになっていた
その後も事あるごとに因縁を付けられ小突き回された
中学に上がった時点で完全にカースト最下層に押し込められていた
人前で楽しそうにすれば殴られるんだ、誰も助けてくれないんだ
いつも怯えて猫背で縮こまり、誰かに話しかけられても誰かの機嫌を損ねないかだけを気する習慣が身に付いていた
俺を苛めるのは不良だけじゃなくなっていた、苛めても構わない側の欠陥人間のレッテルを貼られていた
そういうのが俺を含めてクラスに三人居た、一人は恐らく軽い知能障害で低学年の頃から人間扱いされてなかった子だ、円形脱毛症でいつも震えていてよくグランドで土下座させられて砂を食べさせられていた
俺もまともに笑ったり受け答え出来なくなっていたので同じ枠にいれられた
普段は存在しないものとして無視され腫れ物に触るような扱いを受け
苛めグループの誰かの気まぐれで吊し上げが始まると他のやつらも荷担した
囲まれて吐くまで水道水を飲まされ吐いて倒れて痙攣する俺を皆が、殺虫剤かけた虫みたいだと笑った、殺虫剤を俺の頭に吹き掛けるネタが一時期流行った
俺と少しだけ仲良くしてくれてた女子が、俺に強姦されてエイズになったと噂され登校拒否になった
文化祭、運動会、地元の祭り、行事の時は一番危険な役割を俺が自ら立候補したことにされ押し付けられた
怒られても脅えるばかりでまともに受け答えが出来ないので町全体から知恵遅れキチガイのレッテルを貼られた
思えば低学年からそうだったやつも、俺より先にそこに押し込められていたいただけかもしれない
親も気付いてるはずだったがなにも言ってこなかった、それが正解だったかもしれない、もし親に介入されてたら、俺が苛められてる事になっていない世界が何処にもなくなってた、そうなったらたぶん自殺してたと思う
登校拒否追い込まれた子は俺が孕らませた奇形児を自宅で生んで殺してゴミに捨てたことにされていた
結婚して娘も出来た
小さいうちは問題なかった
実家の近くのコンビニに入ると見たことある顔のヤツから生きてたのかと笑われ
盆休みにはどこかの重役かなんかになったそろばん塾の息子がやって来て地元の行事を手伝えと言ってきた
断ると教育してやったのを忘れたのかと怒鳴り付けられた
それでも娘が小さいうちは俺がサンドバッグになるだけだった
娘が小学生になる頃には俺の地元でも人間関係が形成されるようになっていた
友達が出来、祭りに顔を出し、親戚に会う以外の理由でも連れていってくれとせがむようになった
俺も世の中舐めてた、もう昔のことでどうこう言われようと大人なんだから関係ないと思ってた
今住んでる都会からそれほど遠くないこともあって娘が高学年なる頃は一人で遊びに行くようになった
そうして俺がいないとこで地元の大人からいろいろ吹き込まれるようになっていたらしい
「おまえのせいで田舎の人達からバカにされる大切な親友も居るのに田舎に行きにくいおまえが苛められていたからだお前のせいで親友を失う事になるお前のせいで大人の男の人から変なことをされた全部お前のせいだ苛められていたヤツの子供になんか生まれたくなかった」
泣いて喚き散らされた
何らかの性犯罪被害を受けたのは間違いないとわかったが、地元のやつらにたちむかえなかった、俺が半殺しにされたときも町ぐるみで何もないことにされたから
それ以来娘は俺を毛虫のように避けるようになった
今は娘も大人になり家を出ていった
妻とも別居して離婚の準備を進めている
もう俺の人生は終わった
辛さを緩和するためにロボットを導入する、というのは人類がとりあえず目指すべきところだと思うんだけど、
あと数十年くらいしたら手が届く範囲になってだいぶ自動化進むと思う。
雇用についてだけど、雇用を生む必要が本当にあるのか?と思ってる。
仕事がないから仕事を無理やり作り出すということ自体がものすごく愚かだと思う。
効率的ではない。
エクセルがあるのにそろばんでひとつひとつ計算してたらおかしいでしょ?
そろばん時代では5人が1日がかりでやってたことが今は1人で5分で出来ちゃう。
時代とともに労働の在り方は変わっていくべきだし、今までもそうだったはず。
増田のいう「雇用はどうなるか」ということの心配の本質は、「生きていくための金をどうするか」ということだと思う。
それ以外は悪という価値観が我々には植え付けられており、労働をしないものは市民の敵というような構図になっている。
そもそもこれ自体遥か昔に意図的造られた構造なのでそろそろどうにかならないかなぁ。
ユーチューバーなんかは新しい職業だけど、新しいお金の儲け方のモデルとなってると思う。
他にはベーシックインカムに近い制度を作るなど、労働というものに縛られた生き方以外の選択肢が出てくるといいんじゃないかな。
自動車学校なら免許を取れば卒業(正確には逆だけど)で、それがゴールでいいよね。
子ども向けの、書道教室やそろばん教室、スポーツチームなんかは、学校卒業を以ってゴールとしてよいだろう。
でも、大人向けのカルチャースクールあるでしょ。例えば、料理教室とかフラワーアレンジメント教室とか。
そういうのって、いつまで続けるものなの?
老人向けのパソコン教室とかなら、毎回忘れちゃうから、半永久的に学び続けられるのだろうが、
主婦やビジネスマン向けの料理教室なんて、ある程度通えば一通り作れるようになるでしょ。
先生を追い越すのは無理にしても、そう毎回毎回教わるようなこともなくなるんじゃないだろうか。
その頃には先生と仲良くなっているだろうから「辞めます」なんて言いにくいよな。
いっそ引っ越しでもあれば、いい機会なんだけどさ。
どういうわけか小学生の息子が選挙演説を聞きたいと言ってきたので、まあ勉強になるだろうと思っていっしょに枝野さんの話を聞いてきた。
(その後、希望の党の小池さんと自民党の安倍さんの話も聞いてきたので参考まで
小池さん → https://anond.hatelabo.jp/20171015174223
安倍さん → https://anond.hatelabo.jp/20171019182506 )
政治家の演説をまともに聞いたのは初めてだけど、だいぶ感銘を受けたので書き起こしてみようと思う。
枝野さんの話、興味ある人も多いと思う。ぜんぶで20分くらいの話だった。
みなさんに背中を押していただき、党を立ち上げてよかったと思っています。
民主党、民進党の時代に積み重ねてきた原則、理念を改めてこの時代に大きく前進させて新しい旗を立てさせていただきました。
右でも左でもなく、そしてこれまでの政治が上からの政治になってしまっている、暮らしの現場からの、下からの、草の根からの民主主義を、暮らしの現場からの政策を下から前へ進めていく、新しい選択肢を国民のみなさんにお示しをさせていただきたい、そう考えています。
アベノミクス。豊かな人をさらに豊かにします。確かに株価は上がりました。大きな企業を中心として企業の内部留保、いわば企業の持っている預貯金は過去最高に登りました。豊かなものをさらに豊かにすれば、強いものをより強くすれば、そのうちその豊かさが国民の隅々まで行き渡る。安倍さんはそう説明しています。でももう5年経っている。
私はこうした、上から強くして行く、上から引っ張り上げるこのアベノミクスの考え方を、一概に全否定するつもりはありません。
実は日本の高度成長、戦後復興、20世紀の日本はこういうやり方で1億総中流、世界で有数の経済大国を作り上げました。若い皆さんはご存じないかもしれませんが、安かろう悪かろう、メイドインジャパンは値段が安い、世界にどんどんものを売って事業が儲かって、膨大なお金が日本全国津々浦々に行き渡って、今の日本の豊かさを作り上げてきました。
安倍さんはその成長体験に基づいて、同じことをやればうまくいくといまだに勘違いをしているんじゃないでしょうか。時代が変わっているんです。右肩上がりで人口が増える、アメリカヨーロッパにまだ日本が追いつき追い越そうとしていたその時代と、新興諸国から追い上げられる立場になった日本、少子高齢化で人口が減っていく日本、時代が違う社会が違うのに、過去の成功体験に引っ張られて新しい道が示せていない。
例えば、ただでさえ若い人が減っている。そんな中で奨学金と言う名のローンを組まないと進学できない若者が増えてしまっています。貧困格差の拡大によってぶ厚い中間層と呼ばれた、1億総中流と言われていた日本社会がどんどんどんどん分断されてしまっていて、遠心力が働いています。
これでは当事者のみなさんが困るだけではないんです。これでは日本の社会が前に進んでいけない。どんどん社会が荒れていく荒廃をしていく。
例えば、ただでさえ数の少ない若い皆さん。学びたいと言う意欲があっても能力があってもお金の問題で進学を断念する。そんな若者がたくさんいて、誰が日本の未来を切り開くんですか。それどころか親の世代の貧困によって、読み書きそろばん、最低限の社会生活、そうしたものすら身に付ける機会のないまま義務教育を終える、そんな子供たちがたくさん出てきてしまっています。これでは当事者のみなさんが困るだけではない、社会が誰を支えていくんだ、誰がこれからの社会を支えていくんだ。
景気だって良くなるはずありません。年収100万、150万いつクビになるかわからない、非正規雇用。若干数字が改善したと言いながらもまだ働く人の4割、そのうちの少なくとも半分は本当は正社員になりたいけれども残念ながら非正規で働いている。そんな若者がたくさんいます。
当たり前じゃないですか。年収100万、150万、いつ首になるか分からないからローンを組めない、これでは自動車離れは当たり前。買える力がないのに買おうとする意欲が出るはずないじゃないですか。
恋愛をし、希望すれば結婚し家庭を持つ、子供を産み育てる、そのためには定職があって一定の安定した収入があって、その願いを、家庭を持つという夢を、子供を産み育てると言う夢を持てない、そんな人たちを増やしていてどうして少子化に歯止めがかかるんですか。
上からの経済政策ではなくて、格差をこれ以上広げるのを止めて、格差を是正して貧困を解消しましょう。これこそが21世紀政治と社会の経済再生です。
安倍さんは、規制緩和、自由競争そして自己責任、そうしたものを煽ってきました。しかし自由な競争には大前提があります。競争を煽るだけでは政治の役割を果たしません。自由な競争は公平公正なルールに基づいて行われなければなりません。ルールに基づいた競争を進めることが政治の役割じゃないですか。
競争を煽るだけでは政治の役割を果たしたことにはならない。公平公正なルールを作り守らせる、それが政治の役割。その本来の役割を、まっとうな政治を私は取り戻したい。
格差が拡大している背景には、例えば労働法制の行き過ぎた緩和があります。20数年前、派遣法と言うのはむしろ恵まれた、手に職持った技術を持っている特別な仕事にしか認められませんでした。それをあらゆる職種にどんどん規制緩和していった結果として、働くと言ったら正社員が当たり前だった、そんなまっとうな社会を壊してきたんです。
労働法制を強化しましょう。派遣法をもう一度元に戻していきましょう。段階的に戻していこうではありませんか。
安倍政権はこの選挙の前、残業代ゼロ法案をまとめています。ただでさえブラック企業、サービス残業、過労死自殺、働いてもそれに見合った給料がもらえない、おかしなことが横行しています。
残業代ゼロ法を作る前に、今のサービス残業、ブラック企業、過労死自殺を止める、長時間労働を規制する、労働法制を強化しなければならないんです。そのことによって働いたらまっとうに給料がもらえる、働くと言うのは基本は正社員として安定して働く、そのまっとうな世界を取り戻そうじゃありませんか。
そしてもう一つ格差を是正するために社会を下から支え押し上げていくために、典型的な例があります
おかしいですよ今。私たちの国は資本主義です。自由主義経済。価格、値段というのは市場で決まります。需要があって供給が少なければ値段は上がるんです。介護職員の数が足りない、命にも関わる責任の重い仕事、重労働にもかかわらず賃金が安すぎる。志を持って介護の仕事に就いた人が暮らしていけない。おかしいじゃないですか、供給不足なんでしょう。人手不足なら高い給料を払ってでも人を集める、それが市場原理のはずなのに、そうなっていないから、特別養護老人ホームには空きベッドが1万以上ある。でも待ってる人は一万人以上いるんです。ベッドはあるけど働いてくれる人が足りない。だったら給料払うのが資本主義です。自由経済。
保育所はどうでしょう。保育所が足りないのは土地や建物の問題もあります。保育士の資格を持っている人はたくさんいるのに、でも保育所の増設しようとすると保育士さんを集めるのが大変です。
なぜですか。
やっぱり重労働で責任が重いのに給料が安いから。資格を持っている人でももっと給料が高い他の仕事に移ってしまっている。だから人手不足です。おかしいじゃないですか。
需要があるんだから、値段が安すぎて賃金が低すぎて人が集まらないなら、その給料を上げる、なぜそんなことが起こっているのか、そこは政治の責任です。
保育士の給料も介護職員の給料も、広い意味で政治が決めています。介護保険の仕組みで例えば看護師さんは医療保険の仕組みの中で、保育士さんの給料も保育にどれくらいのお金を流すのかによって、保育士さんに払えるお金に上限があるから、人手不足でも給料が払えない。そうした需要があるのに、安過ぎる給料に限られた政治を直していきましょうよ。
増えたものは必ず消費に回るんです。そして需要がたくさんあるんです。人が集まってくるなら、どんどん雇用の場として広がっていくんです。そこに払った給料も消費に回るんです。こういうことによってさまざまな分野で所得を給料を下支えをして、底上げをしていこうじゃありませんか。そして最後、保育や、老後の安心や子育ての安心につながっていく。
二度、三度おいしいんです。
上からの株価を上げる経済政策ではなくて、こうして地に足つけて暮らしと結びついたところから、社会を下支えをして底上げをしていきましょう。右でも左でもなく底支えをして前へ行く、そうした新しい経済のモデルを、私は皆さんに自信を持って示していきたいと思います。
そしてもう一つは上からの問題。総理大臣はなぜ総理大臣なんですか。
安倍さんは選挙に勝ったからだと勘違いをしているんじゃないでしょうか。それは答えの半分でしかありません。ましてや選挙で勝ったら何をしてもいいと思っていたら大きな間違いです。
選挙は選ばれる人に白紙委任を与えるものではありません。そもそもが国会議員も内閣総理大臣も、与えられている、お預かりしている権限権力は、憲法によって決められているんです皆さん。
憲法で定められた手続きで選ばれているから、憲法で定められた範囲で権限をお預かりしている、その立憲主義の基本が分かっていないのではないでしょうか。
集団的自衛権。平和の問題としても深刻。しかし私はそれ以上に立憲主義、これを破壊する行為だと一貫して思っている。
集団的自衛権は行使しない、できない。その憲法の解釈は、誰が作ったのではありません。アメリカから押し付けられたわけでも、当時の野党が大きな声を出したから決まったわけでもありません。
歴代自民党政権自らが、政府自らが今の憲法9条の解釈をして、日本の領土領海が攻められたらそれは全力で守るけれども、日本が攻められてもいないのに戦争はしない。自民党自身が決めてきたルールなんですよ。
それを合理的な説明もない、論理的な整合性もない、そんな形で勝手に変える。自分たちを縛っているルールを勝手に変える。それじゃあルールも何もあったもんじゃないじゃないですか。自らの権力権限の正当性の根拠である憲法を守らない権力は、権力そのものの正当性がない。
立憲主義と言うのは戦前でさえ言われていたんです。大日本帝国憲法、明治憲法のもとでも政友会、民政党という二大政党がありました。どちらもあの時期、立憲政友会、立憲民政党と言う名前だったんです。憲法に基づいて仕事をするんだと言うのは明治憲法のもとでさえ常識だったんです。それを壊してしまっている安倍政治は19世紀の政治です。
時代錯誤の政治を辞めさせなければなりません。立憲主義だけではありません。森友学園、自衛隊の日報問題。国民のみなさんに情報公開しない、そして開き直る。
情報公開だけでもありません。国民のみなさんにきちっと説明して理解してもらって、説得して賛成してもらうと言う意思、意欲をみなさん安倍政権に感じますか。
本当の民主主義はそんなもんじゃありません。確かに民主主義、多数決はつきものです。しかし民主主義と多数決はイコールではありません。民主主義と言うのは、主権者つまり国民のみなさんみんなで決める、これがほんとの民主主義です。
全員の意見が一致することはありません。だから選挙で議員を選ぶんです。だから最後、議会の中で多数決で決めるんです。
でもその前提はみんなで決める。できるだけ多くの皆さんに理解をしてもらって賛成をしてもらって、国民の理解の上で物事を進めていく。それが民主主義です。情報を公開してみんなが議論できるようにして、その上で最後の最後どうしてもと言う時に多数決で決めるんです。
初めから数があるから、由らしむべし知らしむべからず、俺たちの決めたことを言うことを聞け、こんな上からの民主主義は本当の民主主義ではありません。
私たちは本当の民主主義をこの国に作り上げたい。本当の立憲主義をこの国に取り戻したい。上からの政治ではなくて、国民のみなさんとともに暮らしの中から湧き上がる本当の政治を取り戻したい。そんな思いで党を立ち上げました
このままでは自分が所属できる政党がない。国民のみなさんも入れたくなる政党がない。そんな声をいただきまして10月2日に政党を立ち上げました。前にいる若い仲間からも背中を押されました。
正直迷いました。おかげさまで8期やってましたんで、まあ無所属でも自分の選挙区は戦えるかなあと思っていました。ふだんは大宮でマイクを握ってるんです。
でも多くのみなさんが背中を押していただきました。このままでは困る、このままではこの国の民主主義も立憲主義も困る。枝野なんとかしろ枝野立てと、みなさんが背中を押していただいた。
そのおかげで私は立つことができました。ですから立憲民主党を作ったのは枝野幸男ではありません。立憲民主党を作ったのはあなたです。あなたが作った政党が立憲民主党です。
本当はこの前に立っている仲間に一票を投じてくださいと、立憲民主党を比例代表で一票を投じてくださいとお願いをするべきなのかもしれませんが、お願いしません。
それはこの戦いは候補者や政党の戦いだと思っていないからです。私の背中を押していただいた、日本に本当の民主主義を取り戻そう、作り出そう、自分たちの声を届ける器をしっかり作らせようと思っていただいた、みなさんの戦いなんです。
政治を諦めている、どうせ変わらない、どうせどんな結果になったって俺たちには関係ない、そういって諦めてしまっている人たちが、みなさんの周りにはたくさんいるんじゃないでしょうか。
みなさん一人ひとりが当事者として、そうして諦めてしまっている人たちに声をかけませんか。いっしょにたたかおうと言いませんか。諦めないで立ち上がっていけば、それは大きな輪になるかもしれない。日本の民主主義の新しい一歩を踏み出せるかもしれない。だから周りで諦めている人に、しらけている人に、あなたが当事者として声をかけていただきたいんです。
一緒に政治に参加しよう、新しい民主主義を一緒に作ろうと声をかけていただきたいんです。みなさん、金もない組織もないなかで奮闘してくれています。お時間がある方は、余裕がある方は、30分でも1時間でもいいんです。それぞれの近くの事務所に顔を出してくれませんか。
そして一緒にビラをまいていただいたり証紙をはっていただいたり、一緒に政治をやりませんか。一緒に民主主義をやってくれませんか。
一緒に戦いませんか。
この戦いは第一歩です。私自身も24年国会に送っていただいて、永田町の古い常識に影響されていた部分があったのではないかと反省しています。でも新しい旗を立てました。自信を持って戦います。
これまでの永田町の、内側を向いた上からの政治ではなくて、あなたと一緒につくる新しい民主主義を、そして暮らしを下から底上げをして、日本の未来を切り開いていく新しい日本の社会を、しっかりと作っていく第一歩をこの選挙を通じて実現をさせていきたい。踏み出していきたいと思っています。
ぜひ一緒に戦いましょう。
これってギョーカイの人が自分らの仕事のやり方と利害構造をリスペクトしろって”ファン”に説教してる構図だよねえ。ちょっと笑ってしまった。
ま、ギョーカイの人的にはいままでずーっとそれでやってきてプライドとかしがらみとか諸々あるんだろーけど、結局そのスタンス自体が原因でここまで炎上しちゃったわけで、ビジネス的にも大失敗だよねー。ごしゅーしょーさま。
っていうか、こういう下っ端じゃなくて、ちゃんとそろばん弾ける偉い人に自分らの懐に入るお金が最終的にどこから来るか理解させるためにも、この件それこそ灰になるまで燃やしたほうがいいんじゃないのって思いました。