はてなキーワード: そろばんとは
当時は気づかなかったけれど幼い頃は割と裕福な家庭でした。バイオリンにスイミング、書道、英会話スクール、塾、そろばん、アート、バレエetcとほぼ毎日のように習い事に通っていました。どれも自分がやりたいと思った習い事です。習い事帰りには母がデパートに連れて行ってくれ、その度にブランドの服を買ってくれました。毎年家族で海外旅行に行く決まりがありました。
ある子は、習い事の帰りは道路に並んだ複数の高級車から好きな車に乗って帰り、
ある子は、まだ年齢が片手で数えられるくらいの年齢なのに近所(都会)のお店は子供1人で入っても全てツケで生活してたり、
ある子は、誕生日パーティーには結婚式場を貸し切りにし、パーティー後には招待客を皆ディズニーに連れて行く(チケット代のみでなく、ディズニーのホテル代も全て主催者もち)
ある子は、お互い親子一緒に食事をしている際にその子の母親にかかってきた電話が都内の一等地のマンション丸々一棟売りに出た連絡で、その場で購入決定、
などまぁドラマに出てくる金持ちみたいな子が多かったです。今は普通の生活(むしろキツキツな方)をしている私はたまにあれは現実だったのか不思議に思うほど…
近頃私の周りにいるお金持ちもなんだか凄い生活だけどこの話はまた別の機会に。
ただ今思うことはお金持ちの方がいつも心に余裕があったなと言うこと。世の中に一着しかない服を一回しか着ずに生活するような人ほど自分の生活の事よりも社会の事を考えている。(環境とかは頭にあまりないかもしれないけど)
人間お金よりも大切なものがあるとか聞くけどその大切なもののために時間なりお金をかけるのだから結局お金か1番大切なのだと思う。
裕福っていいなって話💰
ピアノを習える程度に収入があって、そろばんや塾と違って将来に何の足しにもならない習い事を許容できる程度に教養のある、そしておそらく両親のどちらか/両方が幼少期にピアノを習っていた上流階級の家庭に生まれた幸運な人だよね。
そりゃそれだけお金と時間があれば中学受験にもお金掛けられるし、結果的に優秀な学校に進める。
私の通っていた高校(非エスカレーター式)では冗談抜きに3人に1人以上の割合でピアノが弾けて、生徒会長の経験者の割合も3割程度あって、15歳なくせに留学経験ある生徒もクラスに1人以上居た。何なの?馬鹿なの?死ぬの?音楽の時間に代わる代わる英雄ポロネーズ弾かないでよ。
そうしてみんなお金あるからいくつも私立大学受験して、早慶の適当な学部に進学してる。一流企業に入ってバリバリ働く人もいれば、一般職で入ってしっかり稼ぐ人とくっついて寿退社する人もいる。いいなあお金持ち。私もお金持ちの家庭に生まれて人生イージーモードしたかったな。お金持ちの連鎖はきっとこれからずっと続くんだろうね。
面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校卒→東大理Ⅰのケース。
・家庭環境
電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。
田舎町なので私立小中学校などというものはなく、受験は高校から。
小学校入学前からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。
両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。
・小学校
選択肢も何もなく近所の市立小学校へ入学。国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的な頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース。大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。
うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子はソフトボールかサッカー、女子はミニバスケットボールか合唱、しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。
自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。
運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道の同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。
・中学校
選択肢も(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋でゲームやって帰ってくる生活。
英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。
高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校が偏差値的な意味でトップ、私立はすべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。
受験はすべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。
・高校
進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風はリベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。
部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器は中学校のブラスバンド経験者が占めているため、素人は必然的に弦楽器担当。ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。
2年生で文系・理系のコース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義はスルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。
科目としては数学と化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初の力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。
中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学は最初は東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。
センター試験の自己採点は720点ぐらいで、足切りはクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケー、レベル。(理Ⅲは知らん)
2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式がちょっと特殊なので、トラディショナルな形式の京大工学部を受験することにした。大学受験も私立すべり止め無しの舐めプ。
初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰの合格ラインは2.5〜3問。残りの化学・物理・英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調で普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。
結果、現役で一発合格。
・その後
地方のお山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業、就職してエンジニアやってます。
それはアレよ。AKBのメンバーの名前とかプロフィールをどこまで覚えるか問題と言えばいいか?
「AKB大好き」って名乗るためには別にメンバー全員の情報を知る必要は無くて推しが一人いりゃいいわな。
しかし、AKBのマネージャーだとしたら。担当アイドルの他にも何名かのアイドルは覚えておかないと仕事はできないだろう。
これのラズパイの話でいうと、「足し算」っていうタスクを片す場合には、「願いましては」って言う人をそろばん弾くラズパイが認識していればそれでいい。
この場合はラズパイの中に持つパラレル稼動のためのオーバーヘッド的要素は1x1000+1000x1だ。
このクラスなら答えとしては失格。
もうほぼ答えだけれど、「伝言ゲーム」タスクである場合は、ラズパイが持つべき情報は左の人と右の人で2だ。
つまり、2×1000だな。これも答えとしてはx
こういうので、ラズパイ自身が抱えなければいけない他のノードの情報がトータルで1,000,000を越えるような処理は具体的に何か? というのを考えてみてくれ。
学校で少しだけそろばんやる授業があったときに私はすでに3級持ってたし、
学校で英語の授業が始まる前から習ってたから授業内容はすでに知っていた。
授業内容が簡単だなと思ったけどそれでムカついたり、
教わってもいないテクニックを使おうともしなかった。
教わってない方法で答案用紙を埋めたらバツになるだろうなと思うし、埋めようと思わないし
仮に教わっていない方法で解いてしまって、それで「まだそれは教えてないから」って怒られても、減点されても、
単純に悪いことしたな、とか、(自分が)ミスったなと思うだけだろう。
最近そういう話題で憤慨している人たちを見かけるたびに(この人たちバカなのかな)と思う。
そして、こんなことで突っかかってこられる教師は大変だなぁ、と同情。
以下は約30年前のナウシカパロディ文書だよ。プログラマ向け。
----------------
Date : 5:32pm 2/14/88 From: pcs16761 (wat)
/copyright by hironobu@sra,junet
shouichi@jsd,junet,Hiroshi Maruyama
/いかなる、コピー、変更、再配布を許可します。一切の著作権利を拒否します。
Aho丸山
Hacker裕信
散乱したファイルの山、
倒れたメンバーたち。
またプロジェクトが一つ死んだ。
行こう、ここもじきに腐海に沈む。
れた荒れた大地に腐った海..腐海と呼ばれる、有毒の
そっちは腐海の中心よ、そっちに逃げてはだめ..
怒りで我を忘れてる。鎮めなくちゃ...
ここはおまえの場所じゃないの。戻りなさい。
男
王虫に光玉を投げる。閃光!
男
..閃光で王虫が目を回した。..虫笛?光玉と虫笛(dbx)
だけで王虫を鎮めてしまうとは...
風の谷の城の中
老婆
てつもない文明を持っていたそうぢゃ。ところが、ある戦い
が起ったのぢゃ。その戦いは火の七日間と呼ばれておる。
支えにして生きておる。
何なのですか、婆さま、その言伝えは?
老婆
。ただの古い言伝えに過ぎん。
虫は無闇に殺してはならない。
背後に王虫の子が隠れている。
お願い!!殺さないで!!
人々
やはり虫に取り附かれていたか
助けてあげて!!
女
プログラマーと虫は一緒には生きられないんだよ
女司令官
そなた達は、腐海のために滅びに瀕している。我等に従い、
再びこの大地を蘇らせるのだ。かつて人間をして、この大地
の主となした奇跡の技を我等は再びここに復活させた。私に
老婆
たちが幾度となくぢゃ。だがその度王虫の群が怒り狂い、
大地を埋め尽す大波となって押し寄せてきた。総ての町や
村を飲み込み、その暴走は幾日も幾晩も続いた..王虫が
力尽きて倒れるまでぢゃ。誰にもそれを止めることはでき
ん。そして、その王虫の骸を床に、胞子が芽生き、腐海は
それまでの何倍もの大きさに拡がったのぢゃ。
風の谷はトルメキアの連合に加えられた。
トルメキアの参謀
女司令官
火の七日間の前に作られたという話は本当か?
奴らはそう思っているようです。今度の戦に微用しますか?
女司令官肯く
女司令官
あの風使い(UNIX user)の娘、あれも参加するよ
うに申し付けよ。
わしらの手を見てみなされ。みんなタイプだこでこんなに硬
くなってしまっておる。亡くなったジル様もそうじゃった。
ゃというて下さる。働き者のきれいな手じゃというて下さる
あんたも姫様らしいが、わしらの姫様とは、少し違うようじ
ゃのう。
女司令官、鼻で笑って立ち去る。
ユパ様には、見ておいてほしかったの。もうすぐそれどころ
じゃなくなるから。
ユパ
大丈夫。害はないわ。でもみんなには言わないで。怖がると
のなんです。
ユパ
これを..自分で...?
ユパ(独白)
これをこの娘は、一人で見つけだしたのか。
う。
何が起るか判らないのよ。
女司令官
黙れ!!動くな!!
あなたは何を怖がっているの?まるで動検に立ち合っている
二年生のよう。
女司令官
何!!
向けた。音に驚いた虫たちが襲ってくるのを、腐海の底の王虫の
巣に隠れてやりすごす。
あの人だ。
メーベで飛び上がる。
あなたは殺しすぎる。もうdbxもきかない!!
彼等は、腐海の底までおちた。
ここは...?
があるなんて...。
ぼくはペディテのアスベル。きみは?
彼等はメーベで、その白い砂中から飛び立った。ペディテへ。
ペディテは、破壊しつくされていた。
アスベル
あのプロテクトが破られるなんて...!もう終りだ。
トルメキア軍を全滅させたって、なんにもならない。
トルメキア軍を全滅!?どういうこと、それは?
アスベル、目をそらせる。
教えて。アスベル。どうしてトルメキア軍を!
アスベル
虫に襲わせるんだ...。
何て酷いことを...。
ペディテの住人
アスベル!!生きていたのか!
アスベル
この人が助けてくれたんだ。それより、これは...。
ペディテの住人
ああ、ひどいことだ。だが、すぐ元どおりになるさ。腐海を
焼いて...。
ペディテの住人
この人は?
アスベル
風の谷のナウシカ。ぼくの命の恩人だ。
ペディテの住人
風の谷...。
お願い!!計画中止して!!
ペディテの住人
もう駄目だ。動きだしてしまった。もう誰にも止められない
たちがそれを押える。
お願い!!みんなのところへ行かせて!
ペディテの住人
もう手遅れだ..君の気持ちはわかるが...。
アスベル
どけ!行かせてやれ!!
銃を構えている。
有難う。
風の谷。
村人A
風が止った。
村人B
Vaxが止まるなんて、今までになかったぞ。(嘘だ)
村人A
一体何が起こる...
子供たち
婆さま、これからどうなるの?
老婆
おいで。
トルメキア軍の陣営
女司令官
まだ早過ぎます。
女司令官
たわけ、今使わずにいつ使うというのだ!
きている。
兵士達
あ、あれは!
腐ってやがる。やはり、早すぎたか。
女司令官
女司令官
焼きはらえ、なぎ倒せ!
女司令官
IBMが死んじゃったよ。
老婆
方がよい。
姫ねえさま、死んじゃった...。
老婆
我等のために命をかけてデバックしてくださったんじゃ
老婆
えておくれ。今ナウシカは...。
子供達
真青な服を着てる金色の野原に立っているみたい...
老婆
おお 古き言伝えは真だったんじゃ...
その時 風が帰ってきた。
村人達
おおVAXが立ち上がったぞ!
晴れた朝の空にメーベが舞う
FIN
....
というわけでした。お粗末さま。
「小さな四則演算を使う機会が日常にあるということ」は強く肯定も否定も出来ない気がするな。
でも「日本人は昔から、読み書きそろばんはちゃんとできる」ということは、含蓄深い気がしないでもない。
人間の欲望的にキャッシュレス決済への流れは避け難いと思うんだけど、増田のじーさんの意見を押すなら、もう少し複雑なロジックを組まないと無視されると思う。
と、海外経験の長いうちのじーさんが言ってるんだけど、実際どうなんだろう?
そういえば昭和の頃は「外人には九九も暗算の引き算も苦手なバカが案外多いので、買い物をするとお釣りが出てくるのが遅いし、お釣りが間違ってることも多いので、ちゃんと確認しなければいけない」なんてことが、結構言われてた気がする。
引き算ができないので、お釣りの出し方が独特で、まず桁の小さい金額からお釣りを出していって、商品の金額とお釣りの金額を足した額が、もらった金額とちょうどになるように、足し算をしていくからお釣りをだすのに時間がかかったそうである。
じいさんによれば。
ま、いまではよほどの小さな店でもなければ人間が頭で計算することもないから、そんなこともないのだろうが、日本でもそうだが、昔は普通の買い物でもレジの機械がない店なんてのもあって、そうなると暗算というのも商売人には大切な技能ではあった。
うちの近所の八百屋もザルに金いれて、その場で計算してたりしたし。
あと、「760円のものを買うのに、ぴったりの額が財布にないので1010円を出してお釣りを250円にする(100円玉2枚と50円玉1枚の方が、240円より財布の小銭が減る)」ということが、外人には理解できないそうである。
というわけで、「なんどもピッピッと会計を済ませて、その場でお釣りの計算もしなくなると、ますます人間はバカになる。日本人は昔から、読み書きそろばんはちゃんとできるのだから、あんなものに頼る必要はない」と、じいさんはいうのだが。
一応ね、小中と、
「そろばん塾?みんなが行くから行きたい?ダメダメ授業でやるだろ」やるから先にならうんだよみんな
「わしの時代は参考書もなかった、参考書買ってやるだけ有難いと思え」
ジェネレーションギャップ?もうおじいちゃんのお守みたいなものだった。わがまま。
保育所いってる時から近隣の男の子も混じって遊んでると父が機嫌悪くて。
兎に角共学が嫌みたいでした。
公立は女子校がないし。クラス担任は私がいける公立を勧めてくれたんでほっとして
父に話したら「ダメダメ!そこまあんまり歴史がないしなにより男子が多い!」
結局「女子校なんてどこも同じ、まじめで早く帰ってきてほしい」と言われ
もともと男子が苦手だったので(なんか野蛮な気がしてただけで別に誰とも喧嘩してなかったけど、年賀も貰ってたし)
父にとやかく言われないことが第一だったので、「公立いけたのにな」
高校はそんな訳で進学クラス。希望してなかったけど成績で入れた。2年の時進路希望があり付属でいいなら短大進学コースのクラスに
行っても良かった。(逆は成績が悪いと来れない)私は短大でも良かったんで相談した。4大クラスは好きな美術が無かったので。
「4大進学クラスでいいじゃないか」「毎週制服で日曜に学校にいって業者試験受けるのもずっとだよ、4大行かせてくれるの?」「そのクラスでいい」
こんどは大学受験の話で先生が「この4大推薦どう?」嬉しかった。業者テストで全国10位にもなったことあるので
そのことを喜んで話すと「断れ。」「4大進学クラスで、希望の4大推薦だよ何が悪いの?」「女が4大行くと生意気になる。それにわしはもう
定年したい。退職金で、いまの建売の家の借りたお金を払うから、正直お金はない。悪いが4大推薦は断ってくれ」
「お前が20歳で短大卒で働けば、わしと交代。」
泣いた。高校進学の時も公立に行けと脅されてたのに、最後の最後に男子がおおいからと裏切られて。
こんどは休みの日もテストに通ったりもして、美術の授業もなかったのに、4大の推薦も断れとか。狂ってるよ。
先生は「4大進学クラスにいて、4大の推薦断る子なんて初めてだ。本当にいいのか?考え直せや。あなたの成績で、他の子に推薦を譲ることになるよ。」
クラスで比較的仲の良いK子の名前をきいた。彼女に私の成績で下駄をはかせて、推薦にするという。
父がお金がないという限り、4大は諦めねばならない。
数日間は悔しくてお風呂で泣いた。
もちろんK子は受かった。