はてなキーワード: こじつけとは
今日は結婚式のマナーについて書いていきます!是非、読んでいって下さいね!
さて、そこのあなた、結婚式の祝儀を包む際、奇数枚(1万円札×3枚など…)で渡したりしていませんか?
奇数枚で渡すということは「割り切れない」関係を暗示し、夫婦生活の軋轢を意味しているのです。
事によると、新郎新婦を呪っていると捉えられてもおかしくありませんね。
偶数枚(1万円札2枚、5千円札2枚など)で渡すことで、円満な家族関係を願う意味を込めることができますよ!
もうこれで、ご祝儀の枚数で迷うことはありませんね♪
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みたいな、ニセ風習(縁起や作法)を広めるスキーム作ったら面白そうだなって考えてる。
こういうのってたいてい誰かが言い出したこじつけ程度の根拠しかないので、上記のような形で明らかに既存の風習と矛盾するカウンター的なニセ風習をこじつけ付きで広めることで、読んだ人が「どちらが正しいのか」と考える過程で、こじつけの馬鹿馬鹿しさを自覚するきっかけになるんじゃなかろうか。
風習は「私はあなたと同じ価値観を持っていますよ」という対人関係の円滑化の手段として必ずしも無意味なものではないけれど、そのために馬鹿馬鹿しい根拠で不合理な振る舞いをさせられるのは性に合わないので、できるものは相対化されてほしい。
ここ数年でいろんな作品にハマってきた。大学生になり、それまでと違って使える時間もお金が増えたこともあってゲームもイベントも沢山参加していた。
しかし、その作品たちの多くに浮上してきたもの、それが構図のトレス疑惑や素材等の著作権違反問題だ。
まず1つ目は刀の擬人化。ゲーム内のアイコンに全くの他者が作った素材をトレスしたものを使用していた。これに関しては公式側から謝罪があったが、更に一番大好きなキャラ二人の立ち絵にトレス疑惑が浮上していた。「刀の持ち主の流派の写真を参考にしただけではないだろうか」と心のどこかで思っていたものの、マイナスのイメージが一度でも付いたキャラを好きでいることに後ろめたさ、心苦しさを感じる様になり、段々ログイン回数が減ってそのまま離れてしまった。
2つ目、数字をモチーフにしたアイドルグループが活躍するジャンル。ある時、キャラクター達が某有名アイドルジャンルのキャラクターの外見や性格などの設定を丸パクリ、あるいは継ぎ接ぎして作られていること、またゲーム内カード絵、CDのジャケ絵などの構図がその他様々なジャンルの構図をパクっていることをかなり辛辣な言葉で指摘しているアカウントを見てしまった。そのいわゆる「ラレ側」には、今までハマって来た作品がいくつもあった。そこで気になり始めてしまい、作品アンチのアカウントを覗くようになった。「いくらなんでもそれはこじつけだ」と思う意見もあれば、「言われてみれば確かに」と思ってしまうような意見もあり、「自分はこの作品を好きだと胸を張って言ってはいけないのではないか」とどんどん暗い気持ちになってしまった。それからは1つ目の作品の時と同じようにログイン回数が減っていった。この頃「ラレ側」の作品の一つにもかなりハマっていたことも在り、その作品を好きでいる以上もうこのジャンルに関わってはいけない、と思うようになり、アプリをアンインストールした。
3つ目は、フィギュアスケートを題材にしたアニメ作品。最終回を目前に控えたある日、メインキャラの部屋が海外のアーティストが撮った写真と全く同じデザインであること、その作品の使用許可は出ていないことを知ってしまった。他にも背景やED映像に著作権のある写真や本当のスケーターの動画を許可なしで使っているのではないかという問題が浮上していた。これに関しては、今までの2作品で疲弊していたこともあり、アニメの終了と同時に熱も冷めた。
4つ目は、今まさに頭を悩ませていることだ。有名アイドルゲームシリーズの男性版で、本当に好きなユニット、キャラクターがいる。ゲーム配信時からどんどんコンテンツが進化していき、ついにアニメ化もした。大好きなキャラが動いて喋ることが嬉しくて、このジャンルにはまって本当に良かったと思った。しかし、最終回も近くなってきたある回の放送で「かっこいい」と純粋に思っていたカットと似た写真が既に存在していることを知った。こじつけだと思いたかったが、ポーズは全く一緒、何なら着ている服もほとんど同じ。「この作品でもか」「またなのか」という感情でいっぱいだった。また離れられれば楽なのだが、今度の問題はアニメの話だ。今まで離れてきた作品と違って、コンテンツの大元とは違う場所で起こっていることなのだ。どっちでも同じだろう、と思う人はいるかもしれないし、私の頭が無理やりそう思わせて逃げているだけかもしれない。しかし、今度は離れるには原作への熱量があまりにも大きすぎたのだ。はやく公式が何かしらのアクションを起こしてほしいと思いながら、せっかく買った円盤も開封できないままでいる。
これまでの事はすべて私の気持ちの問題で、人によってはこういった問題を目にしても気にせずその作品を好きであり続けられるのかもしれない。パクリだと騒がれているものの中にも、法律には何も反していないような事例もあるのだろう。それでも、ルール違反でなければ何をしてもいいわけではなく、トレパクという問題が浮上することで着いた暗いイメージに嫌悪感を覚える人ももちろんたくさん存在している。こういった問題が起きることで離れていく人を「元々そんなに好きじゃなかったんだろう」「本当のファンだったらそんなことはするべきじゃない」と批判する人もいるが、他作品が作り上げたものを何の敬意もなく、横から取って作品を作っている側の人達は「何をしても許す、あるいはスルーしてくれる人」のためだけにコンテンツを作っているのだろうか。
ふとしたことでその作品にどっぷりはまるのと同じように、何か一つでもマイナスになるようなことがあれば簡単に熱も冷めてしまう。もちろんそれはその人の勝手だが、決して1人2人という程度ではない。作品を支えたり、応援する人の何割かがごっそり減ることだってある。自分の好きな作品やキャラクターが、他の誰かが苦労して作ったものをあたかも自分達のものだと言わんばかりに使って称賛されていることが、どんなに苦しくて辛い事か考えてみて欲しい。
・ 黒田日銀は執拗にインフレを求める。2%の持続的物価上昇を「達成する」ことを至上命題として何でもやるといってきたし、実際凄まじいことをやり続けてきた。
・ その実は国家間通貨安競争に応じての、円安誘導が最大の目的であったと理解している。これはうまくいった。株価も上がった。支持する。
・ 次にはインフレ誘導による持てる者から持たざる者への価値の移転である。インフレで得をするのは借金を抱えている者だ。日本で最も多額の借金を抱えている者とは政府だ。
・ デフレは悪という論は、賃金の下方硬直性が失業者を増やし、消費志向の債務者(いいかえれば浪費家)の負担増が消費を減らし景気を冷やすという主張を根拠としているが、それはどうなのか。こじつけ感が強い。
・ 結局、経済学者は為政者の主張を補完することを最大の目的としている。本人たちがどう考えているかはともかく、為政者はそうとらえて御用経済学者を多数囲ってきた。私は経済学を専攻し、学び続けてきた者だが、経済学はアカデミックな世界における売春婦であるという評に反論できずにいる。
・ 結局、物価の安定という従来、中央銀行が掲げてきた使命・大義が最も公平であり、国民の幸福に資するのではないか。そういう意味では現在の0パーセント台の物価上昇率は中央銀行の良い仕事ぶりを表す。政府サイド(あと多額のローンを抱える人々)は評価しないかもしれないが私は(借金のない)一国民として評価する。黒田総裁は不本意かもしれないが。
『彼方のアストラ』が最終話だから感想書こうと思ったけれども、細かいこと言い出すなら色々とあっても結論としては『良い作品だった』ってことになるから、まあいいや。
ド派手なアクションシーンで楽しませながら、終盤にちょっとしたオチ。
まあ終盤のオチは、あれがないと単なる「巨大生物に立ち向かう戦士たちのヒューマンドラマ」になって月並みだから、ちょっと捻ってみましたっていう印象のほうが強いかな。
もちろん設定とかもちゃんとこじつけてはいるけれども、大筋の描写がしっかりしすぎているが故の弊害かもしれない。
『マッチョグルメ』の人が原作だってこと踏まえると、ある意味で納得。
ややもすると真面目に描きにくい話を、大真面目に描いてストーリーを成立させるっていうスタイルだからね。
いや、「良くも悪くも言うことない」ってのは、つまり評価していないってことになるか。
前半の話に読者を引き込んでくれるようなものがないし、後半はタイトルにもなってる『鬼の影』についての解説がほとんどだし。
坦々としているというか、陳腐というか、「設定垂れ流しマンガ」みたいになってしまっている。
「実は主人公は……」みたいなパターンも定番だし、その展開も読んでいる途中ですぐに気づく。
展開が読めること自体が悪いとは一概に言えないけれども、それが作品の面白さとは何ら関係ないってのは欠点だと思う。
絵も基本的に拙いけれども、鬼の影が登場する場面は割とサマになっている気がする。
カラーの力が大きいだけかもしれないが。
ストーリーものってサクッと読めないから感想書きにくいけれども、テーマが最初からハッキリしていると、それだけで読みやすくて助かる。
粗探しをするなら、ニケはキャラクターとしては出来ているけれども、ストーリー上の役割としては舞台装置的でしかないって点かな。
超常的な存在なのに大したことをやらせないから、展開としてはあまり盛り上がらない、役割としての必然性が薄い。
もちろん主人公の心境が少しだけ変化するキッカケにはなっているけれども、その程度だったら別に似たような人格の登場人物でも良いって思ってしまう。
“ハートフルコメディ”らしいが、コメディ要素に関してはそこまで楽しいと思える要素が少ない(ハートフル要素に関しては異論はないけれども)。
とはいえ描きたいことは理解できるし、作風と演出そのものにケチをつけるようなところはないので、総じて手堅く纏まっているって印象。
回想の代わりに動画の記録という演出を取り入れて、その演出がちゃんとストーリー上でも意味があったと分かる構成が良い。
この手の話ってオチが読めたり、判明した後だと途端に白けるんだけれども、本作はそれが分かった上でなお読ませる構成になっているのが上手いと思う。
オチを理解したうえで改めて読み返すと、カメラに映っている登場人物たちの言動とか、視点が見下ろしになったところとか、色んな箇所に恐怖を覚えるっていうね。
もう一度読み返したくなるっていう意味では、今回感想を書いた読み切りの中では一番印象的かな。
難点は、ちゃんと読み込まないと話を理解しにくい構成なのが一長一短といったところ。
色々と工夫しているのに、それが分かりにくいのは勿体無いと思う。
余談。常々思っていることなんだけれども、はてブでホッテントリになる漫画って、いまいち基準が分からないことが多いんだよね(面白いかどうかって話じゃなくて、面白いマンガの中からホッテントリになるのはどういう類のものなんだろうって話)。ただ、今回のに関してはまあ分かる。やっぱりプロットにキャッチーさがあると強い。
特定のシーンとかしっかりキマっていて、絵の迫力も中々なのに、話の流れとか展開が不自然なところが多くて悪目立ちしてる。
セリフ選びのセンスというかセリフ運びもぎこちなくて、そっちが気になって目が滑る(深読みするなら、一応この不自然さにはちゃんと理由があるといえなくもないんだけれども、ほとんどの登場人物のセリフがぎこちないから、ちゃんと機能しているといいにくい)。
テーマは犯人のセリフからして明瞭ではあるけれども、ただ喋らせているだけって感じ。
ときおり出てくる独特な表現がプロットに馴染んでなくて、単なる賑やかし的な飾りにしかなってないのも気になるし。
演出意図が希薄なのに目立つ表現って、悪目立ちに近いから読んでると戸惑う。
作風は色濃く出ていて、一つ一つの要素を抜き出して評価する分には面白いんだけれども、それらが一つの作品としては噛み合ってないなあって印象。
こういうシチュエーションは、『言の葉の庭』を思い出すね(別にパクりって言いたいわけじゃない)。
『君の名は』でメジャー級になるまで、新海誠監督がいまいち大衆に認知されない理由を象徴するような作品だと思う。『言の葉の庭』って。
アニメーションと表現力は圧倒的なんだけれども、プロットが退屈すぎるからね。
主要人物のやり取りとかの繊細さ、空気感など、作り手の表現したいことを汲み取った上でなお退屈だった。
なんか『言の葉の庭』の感想になっちゃたけれども、なんでこういう話をするかというと、この漫画の長所も短所も大体同じだからだと思う。
身も蓋もないことをいえば、動きの少ない、劇的じゃない物語を面白がるのは難しい。
ましてや本作は漫画だから劇半やアニメーションがない分、漫画という媒体を存分に活かした表現や、よりプロットが重厚で繊細でないと厳しい。
キャラ漫画とかだと、キャラクター性に振り切ることで緩和されるけれども、地に足の着いた登場人物たちが現実的な世界観で物語を紡ぐなら何らかのフック、エンターテイメント性のある劇的な要素がないと、どうしても盛り上がりに欠ける。
漫画的記号のキャラであるゴッデスと、漫画的記号の取り巻きたちに、主人公がイライラするっていう要はメタフィクション要素の強い作品。
“こんなヤツ現実にいるわけがないし、いたとすれば絶対キャラでやってるだろ”っていう読者の共通認識をコメディの主体にしているのは、取っ掛かりとして良いと思う。
「キャラとかではなく、本当に忘れっぽいだけ」みたいなオチに逃げず、ゴッデスが最後の最後にやらかしたポカが、ネタを忘れるっていう展開なのも利いてる。
深読みするなら、結局ゴッデスがネタでやっているのか、素でやっているのか有耶無耶にしているとも解釈できるけれども、それだと話としてフワフワしすぎているから個人的にその線はナシかなあ。
それと、展開にもう一捻り欲しい。
漫画的記号に対するツッコミを主体にするなら、それこそゴッデスというキャラや、彼女を持てはやす取り巻きの不気味さとか掘り下げられる要素はたくさんあるのに、ただ表面をなぞっているだけのストーリーになっているのが物足りないかなあ。
先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。
数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。
そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。
そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス→成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。
福島では相馬市の松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。
そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的にろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。
そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。
割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。
旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーやチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。
美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。
そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。
石狩平野はドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。
そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプなキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インドや東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。
もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ。
しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問にざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。
コールセンターでWindowsのテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。
勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。
これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。
ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。
いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。
次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京はエンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。
そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅のホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます。
次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsとLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ、東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。
2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。
そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントにアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。
Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditやDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペイントボールやレーザータグ、協力プレイのアクションRPG風ゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。
そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。
Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムのアバターやワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期のニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムのアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラやロボットやモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊の電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。
しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールドインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人にドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様な国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルのダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ。夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。
でもいちばん印象深かったのはラノベの朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。
と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディング、リスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティング、スピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏のコミュニティで英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである。
あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。
国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。
こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。
でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバのフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。
先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。
やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。
特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。
人生に物語は要らない。
某アイドルグループはネオナチバンド(ナショナルソーシャリストブラックメタル)に見えたのと違う?
特に政治的主張がなくても、デザインがカッコいいからといって街宣車にのっていたらその手の団体と勘違いされるでしょ?そんなかんじ。
「思想がネオナチっぽいかどうか」「ネオナチが好きそうかどうか」かなあ。ナチス賛美とか、外国人排斥とか。
「はてさが叩きそうな作品」「ネトウヨが好きそうな作品」はなんとなくわかる気がするでしょ?
鉤十字とか、日本国旗とか、そんな表層的なものではないと思うよ。
二次創作のBL化、GL化が嫌いだ。凄く気持ちが悪いと思ってる。
これを腐女子に言うと「LGBTが云々、同性愛者差別云々」と顔を真っ赤にしながら言ってくる。
所謂商業BLだったり、そもそもの設定で同性愛者であるというものを指してる訳じゃない。
どう考えても同性愛の意識を持っていないキャラに対して「ここのシーン、ホモだった」「絶対付き合ってる」「これは実質セックス」とか言ってるその感じが嫌いなんだって何度言えば分かるんだ。
普段そうじゃない子が腐女子のフィルターを通してメスのようにさせられたり、無理やりこじつけで恋愛させられてる感じが気持ち悪い。
で、気持ち悪いって言うと冒頭に戻るけど即座に差別だ!!と言ってくるのも気持ちが悪い。
鍵かけて引きこもっててほしい。
私はUEC Advent Calendar 15日目の日記です。
UEC Advent Calendar(https://adventar.org/calendars/2376)というものがあるそうです。昨日も明日も誰かが記事を書くようです。
ところで、今日のAdvent Calendarにはテトリスとスイーツパラダイスの攻略法を平行に解説をされるらしいのですがそれは回答数が0のため(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14183239764)取りやめになったのでしょう。
ところで、【体験談】ヤクザと仲良くなったらJKとヤれた話(http://kimamamatome.doorblog.jp/archives/42838562.html)
ご飯大盛り無料など増せる時には必ず増すべきという理論。大盛りが多すぎた時はご飯を無料で増させる店が悪いので残せば良いから。
・布団理論
・最安最特理論。
特に飲食店では最安で済ませるの一番得という理論。すしざんまいでは一皿だけ食べても1000皿食べても水は飲み放題だから。
TVのお掃除テクニックみたいなコーナーで汚れを重曹で落とす可能性が高いという理論。同じことばっかりやってるから。
・スゴそう理論
字がたくさん書いてあるものはスゴそうという理論。頑張って書いただろうから。
・バキ理論
バトルマンガは早く読めるという理論。この前にバキの一巻を初めて読んだら意外と時間がかかったがそれでもバキはすぐ読めるというイメージがあるから。
バターたっぷりのサクサククッキーを作るより無益なことをするぐらいならバターたっぷりのサクサククッキーを作った方がいいという理論。おいしいクッキーが生まれることは良いことだから。
読むのが難しい漢字を一度心の中で間違って読んで間違っていることを確認してから正しい読みを思い出してしまいがちという理論。かばだんと読んでから違うと思ってふとんを思い出すからね。
SIMPLEシリーズのクソゲーでも通信対戦があると楽しいという理論。マリオカートだってそういうところあるぐらいだから。
・落寸号令雷理論
全てのものは何にでもこじつけられるという理論。生ハム、サイのエサ説だとか。
激辛料理は食べる人と作る人、食べられる料理、誰もが得をしないという理論。辛すぎると美味しくないから。
・死ぬ直前にドラッグをキメたいかそうではないかもっと話し合われるべき理論
死ぬ直前にドラッグをキメたいかそうではないかもっと話し合われるべきという理論。50%ずつで別れそうでもあるし別れなそうでもあるから。
・四角を見るな理論
牛角の看板の四角は吸い込まれるかもしれないから近づいてはいけないという理論。笑福亭鶴瓶も吸い込まれたことがあるぐらいだから。
丸いものは全て神が自分の金玉を見ながら作ったという理論。金玉のwikipediaを見てそうだろうと思ったから。
絶対安全なところから大喜利をやられるとそれだけでムカつくという理論。何であんなに偉そうにしているのかわからないから。
amazonはそんなに安くないとか言われたりするが、結局安いという理論。kakaku.comでも大体上位だから。
唐揚げ弁当は栄養のバランスが以外にいいという理論。PFCバランスが良いから。
別に三食カレーでも全く問題ないという理論。3食ぐらい連続なら飽きるというほどのものはない。
みんな何も知らないという理論。人類の90%はバックベアードを知らないから。
「そうか」、「そうだ」と映画のスタンプ(http://akane.website/wp-content/uploads/2015/06/IMG_6154.jpgの左、上二)のみで全てのLINEに返答可能という理論。碇指令もそうしているから。
ウ ン チ ー コ ン グ !
西澤保彦「レッスン中にお山登りをしようとして怒られた棟方愛海ちゃんが、街をぶらぶらしていると、森奈津子と出会うんですよ」
法月綸太郎「図書館の自由宣言を勘違いした棟方愛海ちゃんが鷺沢文香ちゃんのお山を自由にしちゃうんですよ」
京極夏彦「こう、コミュを読み進めるユーザーの指が、自然と色々なアイドルのお山を実は触っていたみたいなトリックがしたいので、テキスト表示窓の位置を変えるスクリプトありません?」
それとはすなわち
煉獄」
城平京「えーやだやだー、僕この棟方愛海ちゃんより、楓さんとか川島さんのコミュが書きたいのー、だいたい、愛海と書いて「あつみ」と読むのおかしくないですかあ? ゆうざきひよのだったんですよー」
魯山人「これに比べると棟方はんの器は山や」
(※魯山人はミステリ作家ではないですが、雁屋哲が一作ぐらい書いていてもおかしくないような気がしてならないと思いたい気持ちは否定できないから実質魯山人もミステリ作家、ミステリ作家なのである)
横山秀夫「なるほど、愛海さんのことはわかりました。ただ片桐早苗さんはどうして警察をお辞めに?」
宮部みゆき「そっかー! 女の子しか出てこない作品なら中居くんが主演することはないんですねー!
え? プロデューサー……」
小林立「お、お山を揉むなんて恥ずかしいシーン、私かけません!」
(※小林立はミステリ作家ではないのは重々承知なのですが、重々承知した上でこうなんかうまいことこじつけようと思い書きました。ただ、なんかうまいことこじつけた内容が全く思いつかなかったので、徹頭徹尾意味不明ですが、その意味不明さもまたメデタイのでよしとしてください。こう、ロケットの夏は)
(覆面作家の頃の)北村薫「お、お山を揉むなんて恥ずかしいシーン、私かけません!」
我孫子武丸「アイドルマスター? アイドルマスター…… アイドルマスターミリオンライブ…… アイドルマスターミリオンラジオ…… 伊福部崇…… ホタエナッ……
このかたにお願いすれば、私が書かなくてもよいのでは?」
大槻ケンヂ「アイドルマスター? アイドルマスター…… アニマス…… 高橋龍也…… 雫……
このかたにお願いすれば、私が書かなくてもよいかもしれないですけど、その場合はうだるさんも是非……」
大槻ケンヂ「アイドルマスター?アイドルマスター…… アイドルマスターミリオンライブ…… アイドルマスターミリオンラジオ…… 伊福部崇…… POARO…… おもちゃやめぐり……
よし! この南条光くんを主役にしよう!」
星新一「アイドルマスター? アイドルマスター…… アニマス…… 高橋龍也…… 痕…… 超先生のおまけシナリオ……
このかたにお願い…… え? ああ、そうでしたか、すいません、すいませんだけど、これよく考えたら私もですやん!」
山本麻里安「だから、幸子ちゃんへのプレゼントに時子Pを井戸に突き落とすんですよ!!!!!」
(※山本麻里安はミステリ作家ではないのでは? とのツッコミにつきましては、あの美貌はどう考えてもミステリーなので、実質ミステリ作家、実質ミステリ作家なのです)
まだ観てない人は読んじゃダメだよ。
今日見てきたんだが、設定を詰め込み過ぎ & 展開を端折り過ぎ。
総じて、尺の短さに無理があった。
これ宇宙船内のシーンで物語を始めて、地球に引き返してゴジラと一戦交えるまでの話なんだが、
・宇宙人が2種類(宗教的な奴と戦闘的な奴)が突然人類に加勢したけど、やっぱり歯が立たず3人類まとめてボロ負けし、宇宙船で地球から逃亡。
・20年彷徨ったけど住める星が見つからず、船内は物質的・精神的にかなり限界。
はっきり言って尺に対して設定を詰め込みすぎだが、問題は凝った設定にあるのではない。
凝ってるというのなら、スター・ウォーズの方が設定は凝ってるが、あっちは物語描写に注力してて余計な説明をしないので、「それは何か背景がある」って感じで細かい言及をしないで済んでるのだが、
ゴジラの方はそれが出来ずに細かい設定に言及しまくっているのである。
なぜそんな無茶をしたのかは明白で、主人公をあくまで「現代の日本人」という地に足の着いた存在にしたかったからだ。
未来の地球で未来の兵器使ってゴジラ相手に戦いたいけど、主人公は現代の普通の若者にしたい、という無茶苦茶な要求を詰め込んだ結果、
「宇宙船と兵器は宇宙人の技術があるからOK。主人公が普通の若者なのは、宇宙船の状況が割と切迫してるからって事でOK。地球が変わり果ててるのに主人公が現代人なのは、恒星間飛行で時間が何とかかんとかって事でOK」
と無理に理屈をこじつけてるので、その部分を説明しないわけに行かなかったのだ。
こういうのを自縄自縛と呼ぶのだろう。
しかも、お膳立てにこんだけ手間取った上に「変わり果てた地球」を描写したいもんだから、そこでまた植生の変化なんかを説明するのに時間が取られ、
更に2種類の宇宙人(1種類じゃないのは、多分何か伏線的な意味があるんだろうけど)の異星人っぷりを描写するのに時間を取られ、
トドメに「なぜ人類は核まで使ってもゴジラに勝てなかったか。そしてなぜ今回は勝算があるのか」という理屈を説明するのに時間を取られ、
当たり前のように無敵怪獣ゴジラの攻略に時間を取られた結果何が起こったかというと、
主人公もヒロインもいるにはいるのだが、前述のように設定開陳とゴジラ戦で時間取られまくってるせいで、
主人公はなんとか人物像や見せ場を作れたが、「フォースを信じるのだ」的な人間的な葛藤や成長を描く余裕はまったくなかったせいで、
最初から最後まで性格も主張も一切変わらず成長もしないという、ほぼ狂言回しな存在と化しており、
ヒロインに至っては出番の回数もセリフも、扱いが脇役並である。(俺は名前も憶えてない)
そこまで削りまくらなければ尺に収まらない影響は全編に出ており、本来なら一番盛り上がるはずの「日常が壊れるシーン」つまり、怪獣が出現する場面の描写は一切なし。
主人公は両親をゴジラに殺されてブチ切れてる設定なのだが、両親といるシーンも全くなし(というか両親は顔も声も出てこない)。
2種類いる異星人も、片方が理屈っぽくてセリフが長い種族なせいで、もう片方の種族の描写がほぼなし。
ゴジラは一体だけで大して速度も速くないので、倒せないにしても宇宙に逃げなきゃならんほど追い詰められるには相当な時間と経緯があったはずだが、その辺も一切描写・説明なし。
(っつーか、後半でビルならぬ山を崩してゴジラ埋めて動きを一時的にであれ封じるシーンがあったが、あれが通じるなら人類負けてない気がするんだよねー。)
まあその結果、映画本編は、前日譚の設定開陳がてら地球に戻る経緯を描写する序盤。
の3段階のみとなり、一観客としては「もーちょい何とかならなかったのか・・・」という気分でエンドロールを見ていたのであった。
っつーか、途中で「こんなヤバい惑星住めないから、月に基地作って物資だけ地球に取りに来れば良い」的な意見を言ったやつがいたが、
アテのない恒星間飛行に出る前にそっちのプランをまず検討するべきじゃなかったのかね。
残人口4000人って、それもう知識と技術の継承とか出来る人数じゃないし、最早勝とうが負けようが、原始生活に立ち戻る以外の選択肢が残されてない気もするしね・・・。
あえてリンクシェアしないけど、結婚はエラいエラくない云々の漫画を目にしたときに違和感の正体が分かった気がする~— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
作者の人、環境に恵まれてないのか他人から結婚しろ云々のプライベートな領域に踏み込まれて、きっとすごい嫌な思いをしてきたんだろうなとは思うんだけど、自分の身近で起こる嫌なことの原因を「一般的に」結婚して子どもがいる人をエラいと本気で思ってる人がいるせい、としてるのがまずおかしいよな— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、有象無象とか言ってるけど「結婚を本気でエラいと思ってる」のは自分自身だったりしてね。だから、違う人生を送っていることに深層心理では負い目があって、そのことを代弁して責めてくる他者を「敵」として批判・攻撃する対象にすることで、必死に自己肯定しようとしているように見えるよ— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
私はあれの一コマ目で家族の姿が邪悪に描写されてるのがすごく嫌だったし、子もちであることを否定されたと感じたよ。だから三コマ目で「子どもがいるからこそ得られる幸せ…は、確かにあるのだろう」とか書かれてるの見て「こいつ多様性を認めてるフリしてんな」って気付いちゃいましたバレバレです— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、素直に「独身を否定してくる俺の回りの数人ウゼー!家族とかいらねーよ!エラくなんかねーよ!羨ましくもねーよ!ほっとけ!」とだけ叫んどきゃ良かったにな。一般論にこじつけて幸せのカタチ(キラキラ)みたいなものに言及したせいで、考えの浅さと自分の中の矛盾がバレちゃったよ。— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
イマジナリーフレンドなんじゃないのかな?
どっちがそうなのかは分からないけど。
イマジナリーフレンドを知らない人に説明すると、架空の友達っていうか妄想の中のもう一人の自分みたいな奴。
端的に言えば実態を持たない近距離自動操縦型スタンドみたいなもの。
遊戯王やヒカルの碁みたいな別の人間が取り憑いてるんじゃなくて、自分の中から生まれてきた別人格みたいな。
多重人格の十歩手前みたいな。
この作品に出てくるコイツがまさにソレ!って言えたら楽なんだけどパっと思いつくやつだとどれも深刻なネタバレになってしまうから言えないので説明が難しい。
以下はなんでそう思ったのか
肉体担当と頭脳担当でバランスが取れすぎている。1人の人間が自分の中にある動的な部分と静的な部分を2つに切り分けたんじゃないかってぐらいに。
単独行動をしていない。1人の人間が1人で世界を旅している時に、その側に他の誰かがいる妄想をしているじゃないかと疑ってしまう。
我ながらこじつけも良い所なのだけど、もしもこの先どちらかがイマジナリーフレンドだと判明したら、題名が単数形とも読み取れることでアハ体験するのを狙っているのではと推察
↓の記事を見て思った
http://eikaiwa.dmm.com/blog/26789/
(この記事はあくまできっかけで、以下の内容は上記記事のみに対する反論ではない)
以下のようなことを書いてある記事をたまに見かける。
何故、外国の人の反応を気にして主義主張を曲げないといけないのか?
2に関しては、これが当てはまる日本人も確かに少なからずいるとは思う。
が、当てはまらない日本人も多数いると思われ、1の主張を補助するためのこじつけ感が否めない。
大多数の日本人が正月に神社にお参りに行くのが、大多数の日本人が神道を信仰している証拠だ! とか言われる。(ちょっと極端にしてるかもしれないが)
だけど、本当にそうなのか?
確かに、お参りに行ってお賽銭投げて手を合わせたときに、心の中で本当に真剣に神様にお願い事をしている人に関しては、「意識していないだけで神道を信じている」と言えるかもしれない。
でも、ただの付き合いだったり、お正月暇だったり、「ただなんとなく毎年行っているから」という理由で初詣に行って、特に真剣にお祈りすることもしない人たちも大勢いるはずだ。
それを「初詣に行っているから、神道を信じている」というのは、「クリスマスパーティーをやっているから、クリスチャンだ」というのと同じくらい暴論だと思う。
日本人の文化や倫理観に、神道や仏教の影響が強いことは否定しない。
が、それが即ち、平均的日本人の多くが神道や仏教を信仰している、としてしまうのは、宗教がないことを恥じた故のただのこじつけだ。
一昔前ならどうだか知らないが、少なくとも現代の日本においては、あまり正しいとは思えない。