はてなキーワード: こじつけとは
今回は少年ジャンプ+
サンのアグニに対する信仰は偶像に近いんだけれども、それが軽薄ではなくて確固たるものだということを読者にも分かる理屈で説明している。
「人は信じたいものを信じたいように信じる」と語られているが、実際それがままならないことがよく分かる。
物語を追っている読者目線で見れば、どちらが正解を言っているかは明白なんだけれども、その前提がない立場だと主張を信じてもおかしくないような論理が展開されている。
メタ的に見れば、本作の能力における説明の粗探しを逆手にとっているとも言えるね。
社会通念に対して、中々に優れたバランス感覚をお持ちだなあと思った。
公衆のベビーカーのスペース問題や、赤ん坊の泣き声問題について正当な権利を主張しつつも、それをウザったいと思う人間の気持ち自体を否定はしていないのが良い。
もし論理の殻に閉じこもった社会不適合者だったら、「正当な権利を行使しているだけで何も間違っていないのだから、ふんぞり返ってればいい」なんてことを言ってたかもしれない。
作家自身がそう思った経験もあり、思われるような立場になって、経験をつんだからこそだってのが伝わってくる。
社会において重要なのは許容と順応で、それを育むのに杓子定規な正論はむしろ害悪だってことを、経験者だからこそ理解しているんだと思う。
「そういうのに寛容でいられない人間は愚か者」となるのではなく、「そういうのに寛容でいられる人間は偉い」のほうが健全だもんね。
意見を押し付けることはよくないことだが、どうせ押し付けるならポジティブであってほしいし。
上手いこと繋げたなあというか、こじつけたというか。
説得のためにすげえ尺使ったなあとは思うけれども、実際問題として人間が長年積み重ねてきたものは本質ともいえるもので、ちょっとやそっとのことじゃ変わりたくても変われないだろうからね。
メタ的に見れば、「生まれてから宇宙に飛ぶまでの十数年の人生」と「宇宙に飛んだ後の数十日間の人生」の戦いなわけで、後者が勝る説得力を持たせたるためには必要なドラマだったとは思う。
それにしてもアレだね、『ナルト』しかり古今東西のドラマにおいて、主要人物が体の一部を失うことによる絵的な力は凄まじいよね。
今回、「もうどうしようもないんだ」のシーンのくしゃくしゃな表情も中々よかったけれども、ラスト付近の見開きが個人的に効いた。
「そこに見開き持ってくる!?」と思ったんもん。
まあ粗探ししようと思えばいくらでも思いつく場面ではあるけれども、それで持っていかれた。
あー、あの作者のかあ。
『デッド・オア・アニメーション』は「やりたいことは分かるんだけれどもなあ……」みたいな作品だったが、そのあたりの作家性の問題点を担当がちゃんと指摘しているところが良いね。
それをメタネタにして、「氷コーヒー」だとかいう話の本筋と全く関係ない情報に1コマ割いている箇所が、あんまりちゃんと機能していないのも良い。
そんなつもりで描いていないならそれはそれでネタだし、そのつもりで描いているのならさほど面白くなっていないのが、これまた担当の指摘を裏付ける構成になっている。
そもそも「中堅漫画家が色んな人に話を聞いて学ぶエッセイ漫画」は割と“鉄板”になっているんだよね。
近年だけでも『ジャンプの正しい作り方! 』などのサクライタケシ氏の企画モノ、『大亜門のドンときいてみよう!』、『中川いさみのマンガ家再入門』とかあるわけで。
特にコンセプト丸かぶりな『中川いさみのマンガ家再入門』とは確実に比較される。
あの漫画、色んなクリエイターの言ったことを読者にも何となく伝わるよう落とし込んで説明するのが上手いからね。
有名な漫画家に話を聞いているだけでも面白いけれども、それだけだと作家の手柄じゃなくて担当など企画を持ってきた人間の力が大きいよねってなっちゃう。
それを今後どうするかってのが課題だろうね。
少し前に出会い系サイトを漁っているという報告をしていた俺こと21歳童貞だが、今日はなんと弄ばれてしまった。
その人は同じアプリに登録している24歳の女性で、多くの人が自分の自撮り写真をプロフ画像にしている中、彼女は某アニメの画像を使っていた。
俺はそのアニメのファンだったので、彼女とは話題が途切れることなくトントン拍子で会話が続いた。
気がつけば2週間以上やり取りが続いている稀有な人になりつつあった。俺は張り切って童貞テクニックを駆使しなんとか会おうと試みた。
その結果LINEを入手するまでの仲には至ったが、会うことを提案するとのらりくらりと躱されてしまう。
そして俺は数カ月磨いた出会い系テクニックを使いなんとか会う約束をこじつけた。
他ならぬ今日だ。
俺は新品のパンツを開け、着て、るんるん気分で待ち合わせの場所に向かった。
俺は目を疑った。なんと、待ち合わせ場所には男が4人、女が2人いたのだ。
事情を聞いてみると彼らは某地元大学のサークル仲間で、このアプリを使って誰が一番早く男や女を呼びつけられるか競争していたというのだ。
「そんなの、そんな漫画みたいないたずらありかよ……」
それが彼らには予想外に受けたようで、普通に飲んで連絡先も交換してしまった。
結果は「事実がないのに悪評書くほうが悪い」ということで会社勝利
でも悪評書けないとなると転職サイトへの書き込みに対する萎縮につながるのではないかという懸念がある
子供名義の貯金について子供にたずねられて、少ししか入ってないと答えた
理由は、投稿者友人が、子供名義の通帳のお金を自分のために使おうとして子供と喧嘩になった、ときいたことが頭をよぎったから
自分の老後のために使うのが結局子供のためになるんじゃないかと思うから子供名義の通帳でも子供には基本渡さない
昔オカルト研究みたいなことしてたけど結構そこらへん考えると結構面白いんだよねぇ
よく言うのは「赤鬼は外国人の事」とかで時代考察したりしてこじつけてるとなんかワクワクするよね
なので遠い未来、今のことがいろいろ風化したり歪曲しておかしな妖怪になってると思うとワクワクするけど、残念なことに自分はそういうのを知ることはできないんだよねぇ…
俺はモバマスでは日下部若葉ちゃんのPをやってる。元々アイマスSPが好きで貴音Pだった俺は悪名高いコンプガチャの始祖「貴音の華」で若葉ちゃんと出会う。
もちろん貴音のイラストは素晴らしい物だった。最高。当時は若葉ちゃんの性能が高いからデッキに入れるようになる。
そして、春香さんを最後に助っ人だった765アイドルはモバマスから徐々に居なくなり、俺に残ったのは若葉ちゃんとこれ以上発展がない貴音だけだった。
そこから「モバマスでは若葉Pです」と友人に「なに初心者宣言してんの?」と言われるような名乗りをすることになるけど、人間不思議なもので最初は性能だけだった若葉ちゃんと一緒に過ごす内に今では夢中になって今に至る。フロントで話しかけてくれる若葉ちゃんは他のPには失礼だけどモバマスで一番キラキラしている。
わかるんだよ。若葉ちゃんがこの先、全人類に魅力が伝わったとしても、それは俺Pの手腕ではない。
サイゲの方針であり、結局すべての人気はユーザーが作っているのではなくサイゲが誘導している。そんなこと、とうの昔に知っている。
だからいきなり別人になったように感じるのも当然。自分が見たかった光景じゃないのは当たり前。
新しい若葉ちゃんのストーリーも、サイゲが俺に見せている幻想。
俺は子供扱いされて拗ねる若葉ちゃんが好きだし、若葉ちゃんって呼ばれたくない若葉ちゃんが好きだし、すこし大人を匂わせる若葉ちゃんが好きだ。LMBGに入ることをすこし不満に思いつつそれでもがんばる若葉ちゃんも、ネタ枠扱いされてマンドラゴラをする若葉ちゃんも好きだ。
ここまではサイゲが用意してくれた若葉ちゃん。
そして、俺が若葉ちゃんと一緒にモバマスという時間を駆け抜けてきたことは間違いなく俺と若葉ちゃんのストーリー。
若葉ちゃんが登場した時、ユーザー殺しの門番や、群馬の珍獣やら言われて、最初は俺は君を笑った。
それでも一緒にイベントをこなす内に、君はセンターから外れることもあったけど微課金の俺のフロントには君が居て、いつかのイベント5012位を取った時に頭が真っ白になりながらフロントを見ると君はいつものように夢を語る。そこからはもう夢中になった。
他のモバマスPと「今月末若葉ちゃんSSR来ますわ。覚悟しとけよ。」と冗談で言い合って本当に実装された君は、大人の格好をしていた。
アニマスが始まってモブ扱いされた。それでも俺には君が煌めいて見えた。
シルエットが公開されて「間違いなく若葉ちゃんですねこれは…」と検証(こじつけ)画像を作ったし、本当に来た時は心臓がバクバクした。
こんな俺と若葉ちゃんのストーリーを他の若葉Pが味わえないし、俺は提供してやることもできない。
でも、このストーリーは俺が一番知っている若葉ちゃんのストーリーで、サイゲすら知らないからサイゲはこの若葉ちゃんをゲームに組み込むことはできない。
ゲームのアイマスでは、まだデビューしていないアイドルのPを担当する時、最初のファンの表示が「1」だ。
俺は残念だけど、モバマスというゲームのプロデューサーとしては「若葉ちゃんファン一号」とはいい難いスタートをした。形だけのファン一号だろう。でも、一号でよかった。
嫌いになるっていうのは、担当アイドルからファン一号が居なくなる事。
今回は少年ジャンプ+
そもそも「漫画の面白さ」ってのが抽象的なテーマなので、作中で説得力のある説明をどのように表現するか。
かつ本作の内容自体をエンターテイメントとして良質なものに昇華させなきゃいけない。
といったことを踏まえて今回の感想を書くなら、その課題はクリアできていると感じた。
展開される理屈は「分かってる感」のくすぐり方が丁度良いと感じたし、絵もテーマに合わせて演出をきかせることで飽きさせないようにしている。
投球による駆け引きと、野球漫画のテーマ選びについてちゃんとこじつけているしね。
こじつけっていい方はアレかもしれないけれども、漫画とかではそのこじつけは結構大事。
明らかに自覚的であろう不自然なプロット、それを前提にしたギャグ。
一応、のっぴきならない状況に対して説明はあるんだけれども、その上で「いや、おかしいだろ!」ってツッコませる感じ。
ジャンプ+には他にもエロコメがあるけれども、本作はよりバカバカしい方向に振り切っているね。
客観的にみれば、あの事件は誰が悪いだとかそういう話ではない。
それがかえって罪悪感を募らせ、たらればを考えずにはいられない。
トーマの涙は試合結果に対する諸々もあるだろうけれども、太一に業を背負わせてしまった申し訳なさとかもあるんだろうかね。
創作におけるアイデアは随分と前から出尽くしていて、後はその組み合わせや、それらをどう表現するかが大事ってのはよく言われるけれども、こういうのを読んでいると改めてそう感じるね。
「中小企業のドラマ」という、別の媒体ではちょくちょく見られるものをテーマに、ファンタジー要素を突っ込んで漫画にしたっていうのが惹かれる。
ファンタジー要素がくっついてはいるけれども、あくまで価値観は現実に則っていて、茶化したりもせず大真面目に話を描いているのが良い。
●はじめに
私は昨日、大好きだったゲームを削除した。
今の時点では過去形にすることに抵抗がある程には大好きだった。
・A3!
・刀剣乱舞
seller:DMM.com
●やめた理由と経緯
私がこれらのゲームを削除した第1の理由は、この二つのゲームにUIのパクリ疑惑(後者に関してはパクられた?側がそれに言及する文章を発表済)が出ていることを知ったためである。
現在Twitter上ではA3!のファンが同ゲームを えすり と呼称している。そして現在Twitterの検索で えすり と入力すると えすり パク というサジェストが表示される。このワードで検索し、出てきた呟きを読んだことで私はA3!にはUIのパクリ疑惑が出ていること、また呟き主の他の呟きによって、刀剣乱舞にもまたUIのパクリ疑惑が出ているのだということを知った。
そしてそれらの呟きを読んだ結果として、私は、この疑惑は恐らく疑惑には留まらず、実際に上記のゲームはUIのパクリを行ったであろうと考えるに至った。
・アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ
私がUIをパクることがいけないと考える理由は、UIは著作物だからである。著作物には著作権が存在する。その権利は侵害してはいけないと法的な観点からも、個人の思想としても考える。
UIをパクることで被害を受ける(と考える)ユーザーは少ないだろう。場合によっては、優れたUIをパクる事で操作性が高まっていると考える人もいるかもしれない。だが、UIをパクることで被害を受ける人々は現実に存在するのだ。
このことはもし、自分が何かを創作した場合にその著作権を侵害されたら、もっとくだけた言葉でいえば作ったものをパクられたら、どの様な気持ちになるかを少し考えるだけで分かるであろう。そしてその被害は気持ちだけの問題ではなく金銭の問題に関わるのである。
●1ユーザーとしての考え
上記二つのゲームで現実にUIのパクリが行われたと断言することは出来ない。
UIのパクリが行われている疑惑もゲームをプレイしているだけでは知ることは難しいだろう。
また前項目で述べたように、UIのパクリによってユーザー側が受ける被害は恐らく少ない(だから許容すべきと考えるかどうかは前項目を受けて各自自由にご判断を)。
そんな中で、1ユーザーとしてこの疑惑を知った私がすべきことはなんであろうかと考えた結果、私は自分自身がそれらの権利を侵害した疑惑のあるゲームを支持することを辞め、かつ多くの人にその疑惑を知ってもらい、この問題について考えてもらうよう促すべきだという結論に至った。
●私が他ユーザーに期待すること
ただ私は上記2つのゲーム作品にUIのパクリ疑惑が出ているということをユーザーに知ってもらいたい。それはただの疑惑に過ぎないと考えるのも自由であるし、事実であると考えるのも自由である。また1ユーザーに過ぎない(正確には過ぎなかった)私が他ユーザーに上記ゲームのプレイを行う権利を侵害するつもりは全くないし、非難するつもりもない。ゲームを行うのも自由であるし、やめるのも自由だ。またそれだけでなく、それらに関わる創作や何もかも行うかどうかは個人の自由であるだろうとも考える。
ただ知って、考えてほしい。繰り返しになるがそれだけだ。
疑惑に対して、それが事実無根のものであるとするならば、パクられた?疑惑が出ている側にその事を示させること。
事実であるならば、その事を明らかにした上で、制作側にとって最大限の誠意ある対応を行うこと。
※以下は気がむいた人だけ読んでください
●私について
A3!
A3!,刀剣乱舞の2つのゲームを楽しくプレイさせて頂きました。また両者の展開するメディアミックスに関してもとても楽しく視聴させていただきました。疑惑が事実無根のものであるならば、かつて楽しませて頂いた立場として嬉しく感じます。
●やめた理由その他
A3!/
刀剣乱舞/
別にPVにケチつけんななんて言ってない。こんな短文すら歪めてくる?愛豚が性的表現しょっちゅうするのは百も承知。だからって関係ないものまで無理にこじつけんなって言ってんの
期限当日。
俺たちの成果を、他のグループの前で発表する日ということだ。
他のグループの発表はというと、自分たちの住む町の歴史だとか……まあ何も言うことはない。
みんな課題をこなすことに必死だったし、他人の成果物に目を向ける心の余裕はなかったんだ。
そして、長いような短かったような時を彷徨い、いよいよ俺たちグループの番がきたのだった。
「英雄リダイアはこの町で生まれ育ったことは周知の通りです。リダイアは当時としては画期的な建築技術を発明し、この町の発展を大いに助けたとされます。ですが、これはあくまで彼の英雄たる理由の一つでしかありません」
このあたりはエビデンスがとれていることもあり、滞りなく進んだ。
「次に彼はアマゾンのとある集落にて、住人たちと槍を取り、侵略者から守ったという記録が残されています」
「アマゾンといえば、アマゾネス。しかし、そこでリダイアはこれといった人間関係のトラブルがなかったことが、記述内容から判断できます。つまり、リダイアは実は女性だったのではと推測できます」
聞いていた他のグループがざわつきだす。
一応の辻褄は合うものの、はっきり言ってとんでもない説だからだ。
念のため言っておくが、これは俺ではなくメンバーの一人であるタイナイが提唱したものだ。
それっぽくこじつけてはいるものの、タイナイが最近読んでいた漫画の影響をモロに受けていることは俺からみれば明らかであった。
さて、これが一つ目の策だ。
タイナイ、カジマ、ウサクでそれぞれ持ちよった説を全て統合して、後は無理やり辻褄を合わせてやろうというものだった。
当然そんなことをすれば、いずれ綻びが生じる。
そこで俺はとある説を用意しておくのだが……まあ直に分かる。
「戦乱の世が平定。落ち着きを取り戻し始めたころ、リダイアは医者を志します。今度は人を救う存在になりたい、と考えたのかもしれません。それから彼は西の島にて、医者として多くの命を助けました。汎用性の高い薬を発明したのも、この当時であると考えられます」
「医学が進歩しだしたころ、リダイアは芸術の分野で多彩な活躍をします。我らの町では建築技術、別の地方では絵画といった具合に」
周りのざわついた音は徐々に大きくなっていたが、意に介さなかった。
「そのように八面六臂の活躍をしていく内、またも世は戦乱の気配を漂わせていました。そこでリダイアは、再びその身を戦火の中へと投じていくのです」
説明も終盤にさしかかったとき、とうとう俺たちが予想していた言葉を一人のクラスメートが発した。
「ちょっと待ってくれ、さっきから色々と語っているが滅茶苦茶じゃないか。現実的じゃない」
当然の疑問だ。
そこで、俺たちは二つ目の策……いや、説を提唱することにした。
「仰るとおり。いくらリダイアが人並み外れた力の持ち主と定義したとしても、このとき既に64歳。現役を退いている上、当時の平均寿命を越えている。仮に生きていたとしても、物理的に有り得ない」
「我々はリダイアの活躍が書かれた文献をしらみつぶしに調べました。長生きの一言で済ますには、些か無理がある活躍の記録があることが分かりました」
「文献のいくつかは彼を英雄視する人々が作り上げた、偶像物語だと考えることもできます。ですが、それを踏まえてなお整合性のとれない話も多々あったのです」
「そこで、ある説が浮上します。リダイアというのは個人ではなく、各時代、あらゆる場所に複数いた、名もなき英雄の俗称ではないかと」
これこそが、俺の考えた方法……いや、説だ。
「あらゆる時代、あらゆる場所で活躍する英雄が多くいました。リダイアが様々な方面で才能を発揮したとされるのも、そもそも別人だと考えれば自然です」
「なぜ、それらがリダイアとされたかは、彼らに関する詳しい文献が個別に存在しない、つまり名もなき英雄だったことに他なりません。そこで当時の人々は、ある種の英雄の理想像としてリダイアを作り上げ、そこに実在する英雄を投影させました」
「時には自称し、時には伝聞によって。事実、真実、伝承入り混じり、『リダイア』という英雄の集合体が形作られたわけです」
一応の整合性こそ取れるものの、その実は文献の真偽を分別することを放棄した、苦肉の策だったからだ。
それでも課題を未完成にして出すよりは、それを完成品にするために帳尻を合わせるほうがマシだと考えたのだ。
昨今、強姦への刑罰が重くなったり男女の性のあり方についていろんな問題定期があるみたいですね
なかでもセックスの同意に関しての議論はナンパ氏としては非常に興味深い話題。どうやら男性に同意の形成プロセスを学んでもらうことで性被害を減らしていきたいなんて狙いもあるみたいですね。
ただ、いちナンパ氏から言わせて貰うと全く実践性のないばかばかしい話だなという感想です。だって、男ってみんなセックスをすることが自体が目的化してるじゃないですか。運動を頑張るのも勉強を頑張るのも頑張って仕事をするのも全部セックスの為。ご飯をおごったり優しくするのもセックスの為。あの手この手を使ってなんとかセックスにこじつけるそれが男ってもんです。
ある意味、男はセックスを売りつけるセールスマンみたいなもんなんですよ。女性にとって理想な同意形成があるのは理解しますが、男にとっては別にそのルールに従う理由ってないですよね。
当然、自分が有利になるように立ち回るってもんです。悪い奴なら別に真剣に交際する気がなくても付き合うというだろうし、結婚する気がなくても結婚をほのめかすかもしれない。法律にさえ引っかからなければ手段を選ばずにセックスを引き出そうとするものです。後から騙されてたなんて気づいても遅い。セックスはクーリングオフ出来ないんですから。
だから、セックスに対する合意なんてものより男にとってセックスとは何かを女性に教育したほうがよっぽど実践性はあるんじゃないですかね。
俺前にもこれ言ったよね?
いい加減覚えてくれないかな。
何も考えずにアニメ化するとどうしてもメディアの違いによって原作の面白さはある程度目減りするわけよ。
まず作画な。
原作は作者やイラストレーターが1枚1枚頑張って描いてるからすげー作画いいけど、アニメ化すると枚数の多さからどうしてもクオリティ下がる。
それを埋めるためには、動画としての魅力を重視した画作りをしないといけない。
そこで上手くやれると原作を超えられる。
動いてるというメリットを活かさないなら、美味しい所だけ切り抜ける漫画や挿し絵の魅力に勝てない。
作ってる側が分かりきってる事は視聴者も分かりきってる事を再確認するためにあえていうぜ、何もすげー動かすってだけが動かすことによって生まれる魅力じゃないぜ。
コマの抜き出しではなく連続した一連の動作として作品世界が描き出されることによって生まれる存在感ってのを出せればいいんだ。
駄目な作品は全く出来てないわけじゃないけど足りてないって話な。
完全なゼロにはまずなりえねえってのは視聴者も分かってるから。
次に話な。
原作の話をそのまま垂れ流しても尺のとり方の違いで魅力が出し切れねえのは当然だよな。
話の取捨選択をすると原作信者が暴れだすけど、それを回避しても描写の取捨選択は出来るし、それすら原作信者が怖いってなら尺のとり方の再調整は出来るわな。
映像化すると間延びする部分ってのはどうしてもあるし、長さの割合は一緒でも感覚的にダレて感じたり話が唐突に感じる部分ってのはある。
それをどうにか上手くやりくりしてくれないと見てる側はノレないんだな。
まあ分かりきってる話だろうけど、やっぱその辺は視聴者も分かりきってるんだわ。
つうかまあ原作信者は気にせず思いっきり話の取捨選択しちゃっていいと思うわ。
1クール2クールで程よく終わるためにオリ回やオリキャラ入れるのも別にいいと思うわ。
でもそれで何を描きたかったのか見失うと全部おじゃんなのは忘れないでくれよ。
アニメの原作ってのはアニメ化するレベルでは売れてるわけでさ、そうなるとどこかしら奇跡的に上手くいってる部分あるんだわ。
削るだけなら案外何とかなっても足すと一気に崩れるんだわ。
その辺は原作が何で売れたのか頑張って考えてくれ。
「なんでこれが売れてるのか分からねえ」は無しな。
そういうのある程度は伝わってくるから。
まあ今日はこれぐらいで。
声も大事。
ストーリーやキャラデザよりも一番原作通りにやった方がいい部分だと思う。
原作に存在しないのに原作通りって何だよって話だけど、まあつまりは原作の空気や作風に全く逆らわず完全に流されるままに作ったほうがいいんじゃないかなって話よ。
何言ってんのか俺もよく分かんなくなってきた。
駄目だな。
結局は素人の戯れ言だわ。
日常生活で「ありがとうございました」と言われたら「こちらこそ」みたいなことを言うのが礼儀だ。
テレビで進行役が「ありがとうございました」と言ったとき相手も「ありがとうございました」と返すことがある。これが状況によって違和感がある。
進行役の「ありがとうございました」は「出演してくれてありがとう」というようなことであってこれはわかる。
相手が著名人のゲストだとしたら「テレビに呼んでくれてありがとう」というニュアンスになるだろう。これはいい。
災害が起きた自治体の担当者に、電話で現地の様子を伝えてもらったときなどが問題だ。
ニュースキャスターの「ありがとうございました」に担当者が「ありがとうございました」と言うのはちょっと変だ。
テレビとしては「視聴者のために様子を伝えてくれてありがとう」ということになり、これは理解できる。
そう言われた担当者が「ありがとうございました」と返すのは、こじつけると「自治体からの情報の周知に協力してくれてありがとう」ということになるのだろうか。
じゃあ電話の向こうが一般の人だとしたらどうか。災害ではそういうこともある。キャスターが「大変なところありがとうございました」などと言ったのに対して「ありがとうございました」はさすがに変だ。
でもどう返したらいいんだろう。「とんでもないです」?
唯一ホッテントリ入りした
そこそこ伸びるが爆発的に伸びることはない
ほぼスルーされる。トラバとブコメあわせて5件もコメントがつけばいいほう
予想に反してあんまり伸びない。穏やかに書いたときの政治ネタと同じくらい。
これに関してはやんわりと書いた記事しかないので、いずれ過激な主張もしてみたい
時間帯によって伸び率が変わる。意外と深夜より終業間際のほうが伸びる(サンプルが少ないのでたまたまかもしれないが)
伸びることはまずないけど、幸せだったー的な記事を書くと必ずコメントが数件はつく。見てる人は見てるんだなーと思った。
・ブコメ欲しさに過激なことを言うのは創作でも精神的に疲れる。やめたほうがいい
・就活ネタは上から目線っぽくならずにアドバイス風の名言(のような自慢コメント)を言えるから伸びたのかなーと思った。
・最近むりやり政治の話にこじつける人が急に増えてきた。右にも左にもいるけど、体感としては左巻きの人の方が多い印象。
何かの商品のPRをするというよりは、クライアントの商品に関係なくおもしろおかしい記事を展開するスタンスのものが多い気がするんだけど、これってテレビのバラエティ番組とほとんど同じ構造だよね。
とにかくPR記事を踏むこと自体が嫌だ、PVに貢献するのが癪だと言っている人は、民放のビジネスモデルもNOなのかな?
あと、PR記事の最後の最後で、こじつけに近い形で何かの商品の宣伝文章が入ったりするパターンもあるけど(個人的にその強引っぷりがツッコミどころがあって面白かったりする)、商品の宣伝をあからさまにぶっこむことで優良誤認(=要するにステマ)と思わせない工夫となっているし、タグの「PR」とかを見るまでもなくPRだと分かって良いと思う。
そんなことよりもスマホサイトの無料ブログ記事とかでよく出てくる、誤タッチを誘発することだけが目的の上下に動くバナーのほうがよほど有害なのでなくなってほしい。
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/05/30/205952
このブログ記事で「嫁」を始めとした漢字の成り立ちが、現代にそぐわない思想であり違和感があると述べられている。
男尊女卑がおかしい、男女は平等であるべきという考え方に異を唱える気はさらさらないが、
そもそも「嫁」は「家にいる女」という意味でつくられたのだろうか。
紹介した記事内のマンガでは「初めて漢字をつくった人」という説明書きのされた人が「よめか……外にも働きにも行かず、ずっと家におるし女編に家でええやろ」と言っている。
ブログの筆者は「調べた」と述べているが、出典がないので確認はとれない。
私の方でもネットで「調べて」みると、
http://gaus.livedoor.biz/archives/6242769.html
のような記事が見つかり、別にずっと家にいる女だから嫁ではないことがわかる。
とはいえこんな出典では頼りないことは確かだ。しかし「家にいる女」という主張は同じ程度なのである。
「家にいる女」というのは、現代人が「女と家」そして昔は男尊女卑がひどかったという情報を結びつけて考えついた話ではないだろうか。
繰り返すが、男女平等に異を唱えたいわけではない。差別的な表現を変更しようということにもだ。
しかしその問題となっている語が本当に差別的表現なのか、こじつけなのかはよく見極めなければならない。
そうしなければ、もはやほとんどの言葉、特に漢字なんてものは使えなくなってしまうだろう。
同じブログ内の別の部分でおかしいと感じるのは、ブログ筆者の考案した「ひきこもり」の漢字(人偏に家)である。
“ちなみに作中で、家にいる人と書いて「ひきこもり」という字を作ってみたことで
お怒りになる方がいるかもしれませんが、
まさにその感情を世のお嫁さん方が持ったとしてもおかしくない漢字な訳です”
嫁については(成り立ちの前提を「家にいる女」だとして)問題点は「よめ」が家にいることが当然とする思想そのものを表していることである。
「よめ」(よめの語源についてはまた別の問題であるため触れない)は結婚している女性であり、この段階ではなんの問題もないが、
漢字が女+家で「女は家にいるもの」という思想が反映されているのでお怒りなはずだ。