はてなキーワード: 領域とは
法律は改正され変動する。法律の前に社会的合意があり世論がある。環境型セクシャルハラスメントなんて概念も、昔は無かったからね。
ここで考えるべきは、そうした社会的合意のエッジ部分だ。現在の法で罪に問われなければなんでもいいのか?被害者となる人は本当にいないのか?では誰かや自分の感じる違和感は、気持ち悪さは何なのか。
話がずれてるのはそっち。はじめから法律や罪の話ではなく、傷つく人がいることが有り得るという思いやり・マナーの問題。ゾーニングが不十分な領域で「イキりオタク」的なクリエイティブが世間の目に触れ続ければ、いつか規制の対象にもなり得る。自主的にゾーンを判断して無駄な指摘を回避すべき。
コンサルタント業界に知見がある人ならご存じな話だけど、今はコンサル大量採用時代だ。
Big4と呼ばれる総合コンサルだったり、アクセンチュア、ベイカレント、さらにはMBBとして括られる外資系戦略コンサルまで
以前では考えられないくらいにどこの会社もたくさんの新卒、中途を採用している。
そんななか、その波に乗って日系企業から大手コンサル会社に転職したのが私。
◾️苦しんでいる理由
1.周りのレベルが高すぎる
前職までは中小企業にいたから、スピード感や求められる質の高さについていくのに必死になってる。
2.業務コンサルで入ったけど、システム導入案件に一人アサイン。
部下や後輩の指導をしたり、とある業務の責任者もやってたけど、ここでは役に立たない。
上司は近くにいないから客先に一人で常駐し、ITの知見がないため役に立たず、コンサルの経験もないから資料づくりや有益な示唆出しなんかもできない。
これは、自分の実力不足が大きいところにプロジェクトの問題も重なっている。
前職までは職場に不満を抱きつつも、仕事自体は面白いと思って働いていた。
仕事内容が変わったり、職場が変わってもその気持ちは変わらなかったから、自分は仕事が好きな方なのだとばかり思っていた。
転職したらどうだろう。
ついていくのがやっとだし、これまでまったく関わりがなかったIT領域で一人揉まれている。
コンサルの基本動作を叩き込んでくる上司もいなければ、見習うべき先輩もいない。
身近にいるのはクライアントだけ。
クライアントから学ぶことは多いけど、それはクライアントの組織内の御作法。
コンサルは高級派遣なんて言われることも多いけど、今の私はまさにそれ。クライアントの金食い虫だ。
最近は、朝起きると吐き気が止まらないし、寝ても夜中に何度も飛び起きるし、仕事へのやる気が失われつつある。
ちょっと危ない気がするから、素直に上司にリリースしてほしいと言うべきか。
アサインからまだ半年も経っていないからもう少し頑張るべきか。
ここが頑張りどころという気持ちはあるものの、ここにいては成長はできてもコンサルとして通用するレベルには至らないという気持ちも大きい。
綺麗な資料づくりだけうまいと言われるコンサルもいるけど、私は資料すら作れない。
大量採用下で、周りでも似たような人をよく見かける。
みなさん、くれぐれも体調には気をつけて。
私が言えることではないけど、健康第一です。
個人ってとこがミソだよね。
これが企業とかだったら「女性への支援をCSRに掲げている企業があるんだなぁ」
ってなるんだけど、個人から1億ってなると話が変わってくるよね。
個人の有象無象が寄付したとして800万は想像しやすいけど、それが増えたとしても1億って到底行きようのない領域だよ。
未曾有の災害とかでYahooで募金とかしないと1億とかに到達しないよ。
24時間テレビで8億円だからね。その1/8とはいえ個人で1億円寄付を頂いてるというのは規模がすごいことっていうのが分かったと思う。
ここまでつらつら並べててピンときた方は非常に頭が回るお方だと思う。
1000万単位でポンと投げられる人とかが複数いないとこの額を達成するのは無理。
表では女性を守るために奔走する姿を見せながら、裏では "太い" 個人と繋がっていたってなるとめちゃくちゃ矛盾してるよね。
突然僕は感動してしまった。忌まわしい僕の歪んだ想念の被膜をはぎ取った、ありのままの世界はこんなに静かで美しいものだったのか。ため息が、胸の中にあった何か固く苦しいものを一瞬で砕いてしまった。
いや、本来そういうものだとは想像していた。生きていることが素晴らしい、そういって涙を流す人の顔に噓の匂いは感じない。ただ、それは僕よりもっと立派で賢くて善良な選ばれた人間だけが味わうことを許された特権で、僕みたいなどうしようもない人間には縁がないものだと思っていた。僕には何一つ純粋で美しい感情はなくて、何を見ても心は泥のように無反応で、ずっと鬱屈した暗くて醜いものだけを心の中に育てて生きてゆくのだと思っていた。
生まれたこの方、自分以外の人間との間に常に漂う「気まずさ」が嫌だった
それは同僚であれ、知人であれ、友人であれ、恋人であれ、家族でさえも
透明だけど不透明な質感の、ぶよぶよとしたゼリーのような雰囲気が、たまらなく嫌だった
大人になれば、そうした人との間にある距離感は自然と消えてなくなるものだと思っていた
気付けば、私の周りには誰もいなくなっていた
私という惑星を中心としたこの領域には、私しか存在していないようだった
光子の1つ1つが、膨大な時間をかけて星々の生き死にを伝えてくれる
遥か彼方には、どうやら互いを重力で引き寄せあうような星系があるらしい
私には、関係のないことだった
恋愛はいいけどセックスしたい〜とか経験としてしたい〜とか言っているのをよく見かけるが、実際のところセックスは喪女が考えているようなものじゃない。
セックスとはただ自分が気持ちよくなるためのものではないし、そもそも一回ヤッたくらいじゃ気持ちよくなんてなれない。
鍛錬とコミュニケーションを繰り返して初めて気持ちよさと幸福感を得られる。
喪女で過激なBLやレディコミばっかり読んでいる人は勘違いしているかもしれないが、性器を入れられても別に心は満たされない。
セックスしてて気持ちよさそうで幸せそうなのは、“恋愛”をしているからだ。相手に心を開かなければ、触診と何ら変わらず、きっと何も得られないと思う。(百選練磨のビッチとか好きな人がセフレとかは知らん)
誰とやっても気持ちいい、というのは鍛錬と経験を重ねて己の体とテクニックを積み上げた先にあるものであって、喪女には到底無理な領域の話だ。
喪女にとっては、”体だけ“というのは恋愛よりも遥かに難しいということを覚えていて欲しい。
むしろ、性行為をしたことでホルモンバランスが変わりネガティブな方向に情緒不安定になることだってある。
そして、もしどうでもいい人で処女を捨てた場合、妬みの対象が非処女から好きな人で処女を捨てた人に変わる。結局告白→恋愛→セックスという流れを汲んでいない自分は、目に映る人々以下であり、何もかわることはできない。
自分の中で、「彼氏居ない歴=年齢の喪女」という括りから、「非処女だけど彼氏居ない歴=年齢の恋愛をしたことがない人」にクラスチェンジはする。でも、上に上がることはできない。隣の席に移るだけだ。
だけど、処女を捨てることがデメリットしかないかと言われればそうでもない。
ラブホに入ったことがない、とか、男性の部屋に入ったことがない、とか知らないことがひとつ減るだけで、未知への恐怖は薄れる。
一度ヤッてしまえば、ハードルは大幅に下がる。例えばマッチングアプリで何人とも会えば会話やメッセージのスキルは嫌でも上がるだろうし、何より耐性がつく。
最近はアセクシャルというものもあるし、言い訳は無限大だ。でも、それを自分が他者とのコミュニケーションを拒む言い訳に使うのは後々後悔する日が来る。
結局何が言いたいかと言うと、「穴の状態が変わった程度で人は変われない。相手を棒ではなく、同じ人間としてちゃんと認識しろ。」ということだ。
追記:
20代後半で焦って適当な男とヤったら、後に彼氏が出来た時死ぬほど後悔したっていうだけの話。
彼氏が出来るまでの間も処女じゃないことが嬉しいっていう気持ちと「こんなのじゃない」っていう謎の罪悪感で情緒不安定だった。
結局誰にも言えないから架空の初彼氏がいたことになってるし、学生時代から付き合ってて結婚したカップルとか羨ましくて私はずっと苦しいよ。
今家ではFHDの24インチのモニタ使ってるんだけど、UWQHD(3,440×1,440)のウルトラワイドモニタに変えようか迷っている。
買うだけなら簡単なんだけど、今使ってるモニタを処分することを考えるとちょっとめんどくさい。
設置スペースの問題(机の両サイドにメタルラック置いてる)で、モニタを2枚置くことができないからウルトラワイドにしようかな、と思ってるけど、ちょっと整理してスペースを捻出すればいいのかな、とも思っている。
ついに結婚されたお二人だが、ほぼ同世代であるアラサーの私的には「反対とか賛成を言える権利はない」というスタンスだ。
(まぁ友人から「こういう人と結婚しようと思うんだけど」と相談されたら祝福しづらいけど)
色々な疑いやあれやこれやがあるのは承知だけど、心穏やかに過ごせますようにとは祈っている。
世間では、某妃みたいにインタビューであることないことぶっちゃけたり、王子みたいにわけわからん暴露本出したりしやしないかと危惧されているけど、
あのお二人はそんなケチな真似しないと信じたい。
信じたいけど、個人的に一番いやだなぁと思うのが「お子様の皇位継承権」だ。
皇室典範に則れば、お二人の間にお子様が生まれても、その子は生まれながらに一般人で男子だろうが継承権はないことになっている。
ただ、人権がどうとやかましいアメリカの熱気にやられて、「女系の子供にも平等に継承権がないのは差別だー」とか騒ぎ出したら、あの後手後手の宮内庁には手に負えないかもしれないという気がする。
国内で勝手に騒ぐならまだしも、遠く離れたアメリカから、声のクソでかい人権団体をバックに「日本は差別国家!時代遅れ!」とかギャーギャーやられたら、
今更SNS運用がああだとか言っているおじいちゃん達が適切に対処できるはずがない(と思う)。
この一連の騒動で、女性宮家とか女系天皇論は下火になったと思うが、本当に炎上するのはこれからかもしれないと思うと、ちょっとゾッとする。
(個人的には、女性差別とかそういうものを超越した”神聖にして侵すべからず”の領域だと思っているので)
お二人には穏やかに幸せに過ごしてほしいと一国民として祈りつつ、アメリカのこうした団体に祭り上げられたりしませんように……と祈ってしまう自分は心配性なのか、余計なおせっかいなのか。
ああいうの難しいというか、面倒くさいよなぁ、と思ったり
雑想ノートみたいなのちまちま描いて、
緻密な設定は後で役立つこともあるので、案外バカにできない
それより、大人になってみると面倒くさいというのが先に立つ気がする
士郎正宗の殺陣とか、エロ一枚絵描きになる前は、空間認識力はスゴいと思う
読者が気にしない領域まで、損得で考えれば無駄になってしまうんだけど、
いちいち考えてるのが偉いというか、
よく考えられたカンフー映画の格闘シーンを漫画なり絵コンテなり動画で描く感じ
主に面倒くさいから
イマジナリーラインぐらいは考えるけど
あと、絵コンテだと簡単に描けてしまう、というのがあると思ってて、
例えば、「ここでコルドバが180度回頭するやろ」
今はCGがあるから楽だけど、下請けイジメにしか思えないところもある気がする
というか、あれって佐藤元さんなんだっけ
今になって観てみると、CGにはない歪みというか、
なんか生き物っぽく、クジラとかそんな感じに思えてきて、
CGのような硬さを感じないのが逆に新鮮に思えたり
(ゲームは無理だけど
シンエヴァみたいに、プリビズとか元に手で描けば、
頭悩ませる必要もないし、寧ろ楽な気もするんだよなぁ
まあ、労力が格段に増えるだろうけど
手描きの良さってのも再考したい気がする
安定株としてNTT株触ってるんだけどさ。
澤田くん体制下でなんかぐるんぐるん組織をいじってて、ドコモ中心にビジネス体系を組み替えたいんかな?って感じなのはわかんのよ。
でも、法人領域って叫んでるけど、NTTグループ、グループ内みんなが法人領域で稼ぎたすぎて、めちゃくちゃカニバりすぎてるよね。
俺はデータとcomはド安定だと思ってるんだけど、東西も土管屋やっときゃいいのに下手に法人!法人!って言ってるじゃん?
それとも素人目に重なってるように見えるだけなのかね?
東日本は登さんの件とかで、なんかいろいろやろうとしてんのかなーっていうワクワク感感じるけど、西日本はイマイチというか、昔に比べて業績はよくなってるんだろうけどピンとくるニュースもなくなってきたし、ビジネスチャットツールをグループで開発して売り出したけど、もうCMも見なくなって「え、チャットワークにまけた?」みたいな感じだし…。システムトラブルもやらかしてるし…。澤田くん印の社長が合わなかったのか?
根本的には、女性が財布をポケットに入れることが一般化するか、男性が財布をセカンドバッグに入れることが一般化すれば、女性差別としてのひったくりは無くなると思われる。
女性がひったくりにあう理由は、単に女性はバッグに財布を入れるのが一般的だからだ。
歩車分離 要するに歩道を設ける。
ひったくりの手口で多いのは、原チャ2ケツで後方から歩行者や自転車に接近し、バッグをひったくるというもの。
歩道を作れば、ひったくり犯は歩道を走行せざるをえなくなるので、犯行が困難になる。
防犯カメラなどを設置して、犯行や逃走経路などを見られるようにする。
バッグは壁側に持つ。
バッグはたすき掛けにする(転倒や引きずられるリスクがあるが)
偉い人の打ち合わせとかに出ると
「そんなのは売れない」
「利益が上がらない」
とかしかコメントしない人がいて、どんだけ市場規模とかサービス価格の話をしても最終的には
「俺はそう思わないから売れない」
になってアホかこいつとしか思えない
そりゃモノを作るのにはお金がかかるから最低限その分を稼がないとダメなのは当たり前だけど
だったらまずはスモールから始めればいいでしょ、という話なのにネガティブなことしか言わない
こういう奴ってサービスが失敗したら
って罵ってくるくせに逆に受けたら
って言って謝ることは絶対に無い
まぁ謝ってもらっても意味ないけどさ
やや自分語りだけど、俺は自分のことを会社員として無能だと思っている。ずっと前に広汎性発達障害と診断を受けたこともあり、おそらくそれが原因だとおもうが真相はなぞ。
勉強は、得意ではないけど一定水準は超えていると思われる。しかし仕事に関しては絶望的に無能だ。例えば予算に関する各種書類づくりもまるでだめだ。手順自体を理解していないし他人との打ち合わせ等もロクにできない。書類作成も鈍くて取っ掛かりも遅くて外部に問い合わせるものも後手後手になっている。会議の進行もグズグズ。自分の仕事なのに前任者に補助してもらわなければ何もうまく進められないし、なんならチェックして貰ってる担当外の人のほうがよくわかっている。自分の領域なのにわかっていないことが多すぎる。
いままでいくつもの会社を渡ってきたし部署も移動もしてきた。その全てで同じようなミスをして同じような叱られを受け同じ無能の烙印を押されている。
ただ、わかったことが一つだけある。
何らかの手順書として明文化され自分にもわかるようになっているものか、あるいは自身が興味を持って取り掛かったことに関してはスムーズに働くということ。決まりごととして明確に意図があり他人の考えが介在しないものやルール自体に直接アクセスできるものは難易度にもよるけど意外とできたりする。もちろん自分が理解していればの話。
無理なものは、個人の見解や意図を読む必要があったり、ネットで調べてもでてこないようなもの。あるいは明文化されず口頭で教えられたものや社会人として当然に備わっているとされるようなもの。報連相とかね。コミュニケーションが介在すると途端にグズグズになる。
「なんでそんなこともできないの」というかもだけど、普通じゃない人にとってはこんなことが障壁になる
じゃー具体的に何ができるのって言われたら、例えば料理がある。材料を用意してその中でレシピを探し、手順通りに作る。これは小学校の家庭科において基礎を学び、実際に味の違いや食材がもたらす化学反応や手順の意味を日々の生活の中で理解しているからだと思う。元々料理自体が好きだったこともあるかもしれない。特別なことはできないし大きなアレンジも無理だけど基本的なものはわかる。もちろん効率的に素早く作るのは苦手だけど、トライ・アンド・エラーの積み上げで結果もすぐに分かるから得意になった。なによりネットを調べるとあらゆる情報が載っているのが大きい。
DIYに関しても、手順やなぜそれがだめなのかが事細かくネットや書籍に載っている。そういう物を調べて時間を書けて自分の中で形にしていくことで人並みにはできるようになる。
だけど仕事場で他人と仕事の配分等を決めたり、事前に根回しをして書類を通したり、手順書なしに仕事をしたりってのは壊滅的にできない。もともと理解が遅くて興味あることにしか取りかかれないし優先順位が常に曖昧なんだよね。脳の働きが普通の人より制限されているんだと思う。これが広汎性発達障害によるものなのかは、正直わからない。
仕事なんだから興味あるとか関係なくやれ、ってのはそのとおりだ。でも俺は自分の中に根付いたことの周りにしか幹や枝を伸ばせない。その根が人より細かったり歪だったりする。
俺は一般企業の社会人としては全く使い物にならない。物事をきちんと理解して自分のものとするまで時間がかかり、適切な反復学習と意欲がなければ全く身につかない。こうやってどんどん人との能力に差が出てきており、いまはもう取り返しがつかない。逆に家庭の仕事は昔から反復をしておりある程度は身についている。なにより調べればきちんと知識としてでてくるし自分でアップデートしている。仕事なんだから我慢すればいいとはおもうけど、自分の性質が社会からは完全に出遅れたものである以上は周りの補助なしにこれ以上するのは危険だと思う。
それなら今できる主夫業のほうが全然向いている。料理だって凝ったものから時短までそこそこいける。アイロンや洗濯も訓練されてきたし自分で調べたりしてできるようになった。子育てが心配だけど自分で調べられる以上はおそらく大丈夫だ。
社会に出てないと世間知らずになったり技能が身につかない、という懸念はある。だけどいまやってる仕事は一般的な社会の中では随分と小さなことしかしていないし技術的なことに関しては初歩の初歩どまりなことがおおい。もちろん知識を蓄えればそれなりに仕事は回せるんだけど、そこに自分が至れるのは50年以上先だろう。だったら専業主夫となにが違うんだろう。
普通の人より知識も技能も知恵も劣る。だけどネットや家族を駆使してインプットとアウトプットをできる環境でなら活動ができる。おそらく俺は家やコミュニケーションが取りやすい特定の仲間内およびネットの中でしか生きられない。知識をアップデートして技術を磨く機会が家庭やゲームやネットの中にしかなかったからだ。それも普通の人には劣るんだろうけど、社会人として仕事をするよりずっとよくできる。
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
amematarou コロナ政策は自民が結果オーライで落ち着いたけどワクチン確保以外は評価できる所なんてない。この人は中華ワクチンは検討もしなかった政府のことどうおもってるんだろ?
いやさ、卑しくも西側諸国の一員なんだから、安全保障に関わる領域で、しかも中国関与も疑われてる状態で中国のワクチン使うとかありえないだろう。
政府のクラウド関係のコメントについて、企業向けと同じ感覚のコメントが多く気になった。
別に詳しいわけではないので想像だが、政府と一般人や企業視点とは違うだろう。
米軍事企業から購入している武器の情報については、同等のセキュリティが求められるはずである。
「軍事向けの規格に合格しているクラウド業者に情報を置くこと」と契約に書かれた時点で、国内企業の選択肢はハードルが上がるのではないだろうか。
日本の民間企業は軍事に関わることを避けていること、規格に合格しているかどうかの判断が米国あたりがハードルだろう。
そもそも合格が取れるのか?取りにいったら全部の情報開示しろと米国政府から要求されるのではないだろうか。
一般企業が使っているクラウドの領域と、政府系クラウドではもちろん分けられているはずで、スケールメリットがないため、政府クラウドは価格が高くなると考えるのが普通だろう。
データセンターが日本国内にあったとしても、重要な部分は米国企業内で開発、ディスク不良といった手のかかる部分のみ日本国内から人員配置されるが、
イージス艦などを購入しているのだから、クラウド料金も追加で払うのも構わないという話もあるかもしれない。
防衛費がGDP1%を維持しているが、クラウドにかかっている料金は別会計で毎年値上げされるとか、いざ国内クラウド業者に移動となったときにデータ移行料をボラれるとか、色々あるだろう。
2つ目は、米国政府からの日本政府情報の開示請求があったときに、米国企業は断れるのか?
日本国内のデータセンターと米国内データセンターで常にデータが同期されており、米国政府からは丸見えというのは考えられないだろうか。
どうせ米国にはダダ漏れなのだから気にしてもしょうがないという意見もあるだろうが・・・。
3つ目は、税金使うならノウハウ持ったほうがいいのではないか。
いざというときに言いなりになるだろう。
40代、民間企業の研究者だが、今回の選挙は「政治に殺されないための選択」だったと思ってる。
ただの民間人なので、自分の専門領域以外で確信をもって要求に応えられる事柄は少ない。
外交、安保、ジェンダー、さまざまに議論されている話題に関しては個人としての希望や意見はありつつも、何が正しいと言えるものでもないとも思う。
従って、野党側の政策を全面的に批判できないとも考えていた、だが、コロナ対策に関してだけは違う。
比較的、自分の専門に近い話だけに、コロナ対策=感染症対策は「治療薬の安定供給」「ワクチン接種」「医療体制の確保」以外の正解は存在しないと断言できた。
検査や、ロックダウン(緊急事態宣言)、マスク義務化、などの措置は、感染拡大傾向への予防的対応になるだけで、感染症そのものへの対策にはならない。
ロックダウンは同時に経済への影響も大きく、経済の事も考えつつ判断しなくてはならない事が世界中で問題になり、それぞれの国で違いになっているけれど、
「治療薬の安定供給」「ワクチン接種」「医療体制の確保」を重視しない国はない。
コロナに関する判断ミスは自分と家族の命に直結するだけに、「政治家に家族を殺されない為に」、ワクチンに反対した立憲民主党ではなく、推進した自民党を選ぶしかなかった。
今でも立憲民主党への信頼は、俺の中ではゼロだ。別の同じ様に重要な局面で、彼らが国民を殺す判断をしない理由が見当たらない。
感染症対策ではなく、安保や外交、経済対策、大規模災害対応で彼らが下す判断も、同じ判断力から下されているなら、それは致命的な間違いを犯しているだろうと思える。
だから、この先何度選挙をやろうとも「政治に家族を殺されない為に」自民党を選ぶしかなくなる。
俺ほど強く拒絶反応を示してないながらも、近い感覚で立憲民主党のコロナ対応を批判し、信頼できないと感じた人は決して少なくはなかった事が選挙で示されたと思う。
もしも立憲民主党が、信頼を取り戻したいと思うのなら、以下の事をやるべきだろう。
長妻委員(立憲)「日本人で、人種が違いますから、欧米人と日本人は全然違いますから、効き方が。そうすると、第三相試験はすっ飛ばす、日本人に対する、そういうこともあり得るということなんですか、承認の前に。」
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009720320201111002.htm
天然痘やインフルエンザの例を見るまでもなく、ウイルスに対してワクチンと治療薬は、どちらが欠けても抑えることが出来ない重要な武器だ。
製薬会社が日本国内の感染状況から十分な治験が出来ない状態にあり、同時に海外では既に承認されているという状態であれば
海外で認可された治験データを審査して、可能ならば認可すべきなのは明白すぎるほど明白だった。
もしもワクチン接種が半年遅れたらどうなったか?特例承認に反対したことは、コロナ禍で政権を担う能力を持たない事を証明してしまっている。
自分たちの判断の拙さを認めて、政権交代後は上昌広などではなく、これまで最前線で闘ってきた科学者を引き続き信任することを示すべきだっただろう。
「国が直接乗り出すならば、むしろ検査の拡大に乗り出すべき」ワクチンの大規模接種センター設置に枝野代表 2021年4月28日
https://cdp-japan.jp/news/20210428_1284/
8月には病床はひっ迫していた。毎日5000人程度の感染者が出るだけでも、東京はパンクしている状態だ。
感染拡大だけでなく、補助金を出しても、補助金分の病床を医療側で用意しないとか、感染症指定2種用の病床を作ることの難しさなどの問題もある。
だが、努力が実らず十分な病床を確保できてなかったことは自民党の失策だ。その点は批判されていい事と思う。一方で、振り返って、もしもPCR検査を行いまくっていたらどうなったか?を考えれば悲惨だ。
当時の入院基準であれば、偽陽性が出たり、軽症者が多数出たりで、病床を圧迫してあっという間にパンクして、コントロールを失い死者を多数出すところだった。
これは専門家の指摘するところでもあったはず。この判断の間違いを認めてほしいし、何でこんな間違った判断が出来たのか説明して欲しい。
菅義偉首相が新型コロナウイルスワクチンの大規模接種センターを東京都に新設するよう指示したことについて「唐突感がある」と批判した。
https://www.sankei.com/article/20210427-V7V3OUHIORO7LKBP77OP6AM6I4/
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20210527-00240088
既に知られているように、1日100万回接種も年内に集団免疫成立するだけの接種率の到達も達成できた。
ワクチンが全てではないが、現在感染が抑え込めている理由の一つにワクチンがある事は明かだし、そうなるという可能性は集団免疫理論から高かった。
1日でも早く国民の7割くらいには打ち終える日を迎えるべきであったことは、接種開始した日から分かっている事であるのに、これに反対していたことはあり得ない。
もしも未だにワクチン接種率が30%というような状態であれば、もっと感染者や死者は増加していただろう。その中の1人が自分の家族でないという保証は誰にもできない。
政治家の不正や汚職が問題であるとか、弱者保護が大事であるとか、貧困問題を解決すべきとか、誰かにとって正しい結果は、それ自体は大事なことだと思う。
だが、その為に誤ったコロナ対策によって自分と家族を殺されるならば、選ぶことは出来ない。今回は、選択次第では政治家に家族を殺される未来を恐れる選挙だったし、この結果にはホッとしてもいる。
この先も、「政治に家族を殺される」未来を回避する姿勢は変わらない。だからこそ、立憲民主党や共産党が政権交代をと望むであれば大きく変わるべきだ。
多数の国民を犠牲にしかねなかった判断の過ちは、別の問題が起こった時に繰り返される事だけは分かってる。
もしも変わらないのであれば、間違えようがない判断を間違えた立憲民主党を、俺は信頼できないままだし信頼する理由もないだろう。
まずは党首を交代して、過去の過ちを認める所から始めるべきではないか。国民の命を守る事を担うに足る判断力を備えていることを示されない限り選択肢には上がらない。