俺は典型的な多動性障害を持った子どもだった。コミュニケーションが下手な故のトラブルは絶えず、貧乏ゆすりは止まらず、目線は常にあちこちを飛んでいた。発達障害の子どもに多く見られる体幹が弱いっつー特徴も持っていたから、周りからはふにゃふにゃのがちゃがちゃの変なやつだと思われていただろう。冗談だか本気だかわかんないが、「背中にものさしを入れとけば」なんて言われたこともある。
そんな俺でも、幸運なことに、友人や学校の先生、家族には恵まれ、ある程度の自己肯定感を持って生きていくことが出来ていた。親が転職し、学童保育に預けられるようになるまでは。
オモチャがあって、マンガがあって、オヤツがあっても、あそこは俺にとって苦しい場所だったと思う。
仲良い子で学童に通ってたのが自分だけで、そんでちょっと虐められただとかか、学童のセンセイがイジワルだったとか、色々あったけど。
時間になったら、みんなオモチャを仕舞い、マンガを片付け、、席に着く。
センセイ達がオヤツを広げ、紙皿やスプーンやフォークを並べる。
そして、その日のオヤツ係が2人、窓際のホワイトボードの前で今日のオヤツを読み上げたら、次は、選別タイムだ。
長机に10人くらいずつ、それを何班か、分けて座ってるトコの、「お行儀のいい」班を選んで呼ぶ。
呼ばれた班の子たちから、オヤツを盛りに行っていい。そういうシステムが作られていた。
「あそこは、みんなせすじをよくしてるから、よぼう」
「あそこは、あのこがきたないすわりかたをしてるから、あとにしよう」
オヤツ係の2人が、そう小声で相談している。あのこってのは、俺のことじゃないだろうか。こわい、こわいな。ちゃんとまっすぐ、すわれてるはずだよな。そうだよな。息を止めて、まばたきをがまんして、キレイな姿勢を保とうと必死になる。前を見りゃ、対面に座ってる子も、同じ顔をしている。
そうやって、よく分かんねえ、けど確かにくそ重い重圧を、楽しい楽しいオヤツタイムの前に味わわされるのだ。
今になって考えて見りゃあ、なんとも残酷な事をしているなぁ、と思う。ジャンケンでもさせて、勝った順に取りに行くって方が随分マシだろと思う。
何が辛かったって、俺がふにゃふにゃがちゃがちゃになる時ってのは結構ムラがあって、そんな時は自分で頑張ろうとやってみたって、ちゃあんと座ることが出来なくなることだ。そんな時は、最後に呼ばれた同じ班の子たちから、恨みを買うことになる。
その子たちからしても迷惑だったろうが、そんなん俺が1番つらいんだよな。どうしろってんだよ。お行儀をよくするためのしつけなんだかわかんないが、ただそばで黙っているだけのセンセイ達は、冷たい目をしていた。
ある日、いい姿勢ってなんだっけ、まっすぐってなんだっけ、ってわかんなくなった。そんで、どうにか、首の角度、手の置き方なんかを調節していたら、がちゃがちゃしてると思われたのか、
「俺さん以外、行ってください」
とオヤツ係に宣告された。
覚えてねーけど。
つらかったな、って思う。
だから高学年になって鍵っ子にランクアップして、学童をやめた時は開放感が凄かった。鍵を忘れて家に入れなかったりしたこともあったけど。
あれから成長して、歩き方だの座り方だの、そういうのはだいぶマシになったと思う。たくさんスポーツをやって、人前に出るための努力もしたりして、もうふにゃふにゃのがちゃがちゃの子ではなくなった、と思う。
けど、やっぱ人間ってのは不安になってしまう生き物だ。ふと自分がマトモな人間であれているか、おかしいヤツに見えてないか、不安になってしまう時がある。今変な動きしなかったかな、今あの人に変なことしなかったかな、大丈夫かな、こわいな、ちゃんと出来てるよな。考えれば考えるほど分からなくなっていく。意識が溶けて、保てなくなっていく。
「俺さん以外、行ってください」って。
幼くて、残酷な声が。