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はてなキーワード: 観劇とは

2023-09-10

水曜日ソワレ(夜公演)をやってくれ!!!!!

新型コロナパンデミック仕事プライベート多忙が重なり、ここ数年観劇から遠ざかっていた。

最近になってやっと時間ができたので、数年ぶりにまた劇場に足を運ぼうかといくつかチケット予約ページを開いたのだが、

ごく一般的初老の勤め人にとっては、驚くほど予定が合わない。

ソワレ(夜公演)が少ない!!!

以前は1日にマチネ(昼公演)とソワレの両方をやっていたような劇団劇場でも、昼か夜のみになっている。

平日の1公演がマチネソワレのみなっている。

うん、これはまあ仕方ないだろう。

休日の1公演がマチネのみだったりする。

土日はゆっくり寝てから出かけたいんです、13時からなんて間に合いません……。

以前はゆっくり寝て、掃除洗濯をすませてからでかけて、ソワレを楽しめたのに……。

さらになんといっても、水曜日マチネのみというケースがつらい。

水曜日こそ、多くの企業がノー残業デーに設定しているんだからマチネをやってください!

ノー残業デーなら大手を振って行けます

お願いしま!!!

明らかに公演数が減っているし、以前なら即完だったろうチケットいつまでも買える状況を見ても、

客足が遠のいたまま戻らないことは想像がつく。

客が少ないなら公演数を絞るのは当然のこと、水曜ソワレを削るのも合理的理由があるのだろう。

ただ私個人わがままを言わせてもらえば、

水曜日は夜こそやってほしい。

ちなみに私が行くのは池袋芸術劇場とかパブリックシアターとかKAATとか

パルコ劇場とか本多劇場で長くやれる劇団とか、なんかその辺りです。

劇場主催公演をよく見るタイプなので、制作のみなさん、お願いしま!!!






と書きながら、「前後両隣がノーマスクだったらいやだなあ、

もしも隣人が咳き込んでいたりしたらチケットを捨てて帰る覚悟で行く」

という姿勢なので、どうしても腰が重くなり、そもそも観劇予定数も激減しました、ごめんなさい。

『橋からの眺め』@東京芸術劇場プレイハウス

を観てきた。

主演の伊藤英明ビジュアルと、数年前の大河ドラマ麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである

あらすじは公式ホームページにあるが、

https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge

ステレオタイプジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟マルコ和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である

で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。

 

なぜなら、伊藤英明徹頭徹尾棒読みからだ。

 

冒頭は、狂言回し弁護士高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。

棒読みだ。

言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。

キャサリン帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みセリフが流れ落ちていく。

劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだである言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。

高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラル嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。

ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。

ドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ

しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。

そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇なだれ込んでいく。

  

失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。

エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。

ただひとたびセリフを発すると、演劇空間位相が容赦無くズレ出してしまう。

 

パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラー脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題女性の自立・連帯問題からみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。

ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士モノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである

繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。

そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚しかないという不条理はいや増していく。

そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。

 

それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。

あるいは、棒読みの彼こそがリアル人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。

人間感情言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味空疎言葉コミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。

この姿が、あらゆるイズムに囲まれ現代人の戯画でなくてなんだろう。

 

まりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである

 

幕が降りた後、私はい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。

それが演出家の狙いだったかはわからないが。

2023-08-23

低級労働者の子女がやれ舞台観劇だやれ海外旅行だって知識層や富裕層の真似事してても滑稽だし浪費にしかならなくね?

しかも本人はろくな大学も出ていなければ大した給料も貰ってないのに。

貯金もせずに老後生保護まっしぐらだろ、最後まで他人たかる気なのかね。

2023-07-31

東京が持っている文化を細分化してみた

1.日比谷有楽町周辺に集まっている西洋式演劇劇場

東京けが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか

帝劇日劇(今は無い)、東京宝塚日生劇場などが該当する。

有楽町の近くには銀座繁華街もあり、演劇繁華街文化を楽しむことが出来る。

有楽町観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。

ちなみに帝劇は数年後に取り壊されて再開発が行われるらしい。

2.国立公立美術館博物館

台東区にある上野恩賜公園美術館博物館の宝庫となっている。

東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館東京美術館上野の森美術館民間)など。

2016年に東京美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。

ちなみに若冲展の動員数は近年では過去最大だったらしい。

また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。

3.大企業が行う文化活動メセナ事業

メセナ事業とは、企業資金提供して直接的な見返りを求めず、文化芸術活動支援することである

東京には大企業が多いので、必然的企業運営する文化施設が多い。

サントリー運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館

東武鉄道創設者が作った根津美術館など。

4.大相撲歌舞伎落語・能・狂言などの伝統芸能

伝統芸能に関しては、東京一極集中状態と言っていいのではないか

大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪名古屋博多は1回ずつ。

落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。

能と狂言についてはよくわからない。

5.秋葉原文化サブカルチャー

はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である

黎明期においては、演劇美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。

転換点の一つとして、2014年に政府クールジャパン戦略採用したことだろうか。

政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。

6.JR中央線沿いの漫画アニメ産業

秋葉原オタク文化と被るかもしれないが、あえて分けておく。

漫画家やアニメクリエイター人材も、東京一極集中状態である

中央線沿線中野杉並武蔵野周辺には漫画家が多く住んでいて、アニメスタジオも集中している。

友人との縁の切れ目

数年来の付き合いの友人。

最近どんな本読んでるの?と聞かれて

この人のこういうタイトルの本が面白くて〜て答えると

「その作家つまんなくて1冊読みきれなかった」

と笑いながら言われる。

お互い芝居好きで劇場にもよく通っているので

最近どんなの見た?と聞かれて答えると

「あの役者SNSでよく炎上してるよね。性格悪いなと思って見てたw」

と笑いながら言われる。

こっちから最近どんなことしてるの?と聞いても

イベントに行ったけどつまんなくて途中で帰った」

話題になってる飲食店行ったけど冷食の味だった」

「人付き合いである人のライブに行ったけど歌下手すぎて途中で帰った」

半笑いで、そんな話しか出てこない。

何を言っても否定自分したことでも否定。嫌われてるのかな? と思ったけどそういうわけでもないらしい。しょっちゅう遊びに誘われるから

でもそういう話をしている時、楽しそうなんだけどすごく口が歪んでるんだよね……口元がへの字で、顎も突き出ていて。

このまま一緒にいたら自分もそうなってしまいそうだからちょっとずつフェードアウトしていくことにした。

遊びに誘われても断るようにしていたら、最近やっと気づいたのか、

9月○日空いてる? チケット取ったか観劇しよう」

LINEがきた。

○日は予定があるのでNGというと、じゃあこの日は? この日は? 平日でも会社早退できるでしょって。なんであなた勝手に取ったチケットで私の予定を決めるのよ。

正直もう一緒に遊んでいても否定否定で楽しくない。明るく、前向きな会話ができる友人たちともっと同じ時を過ごしたいって言ったら、キレた。

あんたも他の人と一緒だね!だって

ずっと自然体で、正直な気持ちありのままに述べてきただけなのに、今更そんなこと言うのはひどいって。

これまでずっとそうやって生きてきたから、友達も離れていくって泣いてる顔のスタンプと一緒に送られてきた。

私は最後友達だったみたい。

そういうところがみんな嫌だったんじゃないのって言ったら、いたくプライドが傷ついたらしく、返信は来なくなった。でもブロックはされていなかったので、こっちからブロックした。

お互い、40代独身

仕事はぼちぼち。

年金もらえるまでは頑張って働いて、お互い楽しい老後を過ごしたいねって言ってたけど、もう無理。

世代で似た境遇の友人たちはみんな明るく楽しく、たまに愚痴りもするけどいい酒を美味しく飲めてる。

自然体で正直な気持ちありのまま話したら否定悪口いちゃもんしか出てこない同世代なんて、この人一人しかいない。私の周りでは。

とりあえずLINEブロックで終わる程度の関係性でよかった。

自宅も住所も知られていないし。

もっと早くこうすればよかった。

今の解放感が凄くて、ずっと私は彼女との付き合いが辛かったんだなと気づいた。

2023-07-30

anond:20230730183206

観劇落語美術館スポーツ音楽ライブ毎日行くわけでもないし関西ならたまに大阪にいけばあるやんという話

田舎文化はあるけどない

東京まれ東京育ち。40歳で前職を辞めて単身関西圏田舎引っ越した。1年住んでわかったのは文化的ものはない。観劇落語美術館スポーツ音楽ライブお笑いも、なにもない。全てのカルチャーの卵が育たないから生まれてない、そんな感じだ。

しかし都会では享受しえない体験があるのも確かだ。バカかい駐車場に車を停めてバカかい激安スーパーで買い物するワクワク感。家から5分歩けば雄大な山の景色に海が見える多幸感花火なんて高い建物がないから家から見えるし、釣りなんでどこでもそこらじゅうで出来る。

まり文化的な物の種類が違う。ただ誰もアンダーグラウンド演劇映画ライブなどを知らないだけなのだもっと言えば必要がないのだ。必要なのは友達に自慢できる改造車であり、地元しか行かない秘密キャンプ場であり、新しくできたチェーン店なのだ

まーこれはこれで文化だなーと思いながら楽しんでる。

2023-07-28

東京の人ってそんなに文化享受できてるの?

かに上野は混んでいるけど、それ以外の美術館ガラガラだよね

東京都現代美術館何回行った?いい展示してるのにガラガラだよ

他の美術館人口考えると本当にガラガラじゃない?

上野でやらないようなやつで、かつ巡回展をやっているのなのだと、東京地方人口に対する入場者数で東京ガラガラなのか、ガラガラなのは印象なのかはっきりするからデータがあれば教えてほしい

美術館以外だと図書館がプアだと思う

人口考えたら図書館の数少なすぎない?

新宿駅利用者数を考えたら、40階建てのビル一棟まるごと図書館新宿にないのがおかしくない?

音楽とか演劇は確かに東京享受やすいと思うけど、この一年演劇何回見た?

毎月3回は見ているって都民はたくさんいると思うけれど、平均した時に東京都民観劇は多いのだろうか?

伝統芸能ジャンル分けされるのだと都民の方が少ないかもしれない

もちろん東京にも伝統芸能的なものはあって、例えばおしゃらくってのがあるんだけど、そもそもおしゃらく知ってる?

東京には美味しいパン屋がないって話題にも思ったけど、人口比でそれほど文化的なのかなって思うよ

美味しいカレーを食べたからってインド文化に触れたことにはならないだろうし

かに東京はある種の文化享受やすいとは思うけれど、人口比では文化享受やす環境とは思えないし、ある種の文化はむしろ享受しにくく、文化享受している(もしくは享受可能状態にある)人が多いとも思えないって話だね

2023-07-25

社会人にもなってオタク推し活してる奴

体力と精神力ありすぎの恵まれ身体すぎる

1日外出ただけでヘトヘト

仕事なんかしようもんなら他のこと何もできない(座り仕事なのに)

土日は丸2日回復にあてなければならない

体力なさすぎなのが悪いのかと思い運動で多少筋肉はついたが

外に出た日はストレスフルすぎて帰ったあとやはり何も出来ない

他人の出す音や話し声だけで100あった体力ゲージが3くらいになるのにそこから仕事したらもうどうなるか


正社員でもバイトでも無理すぎたか仕事全部やめて在宅弱小低収入フリーランス()の出来上がり

しか推し活・オタ活出来ている

本当に幸せ人生

生きるってこんなに楽しいことだったんだな


外で週5で仕事をしながら仕事後や休日オタクやってる人

マジで選ばれし超人すぎる

まれながらの勝ち組だと思う

仕事後に観劇とか正気の沙汰ではない

10000%寝るだろ

みんなほんとうにすごいんだぞ

なんでこのことに対して誰も自覚がないんだろう

普通」のハードル高ぇ〜〜〜〜〜

みんな元気ですごいよ

2023-07-10

俺の町には植物園がない

結局俺は、洒落ハイソな店でウインドウショッピングとか、立派な劇場で高尚な観劇とか、空いた時間ボルダリングとか、そういう都市的なアクティティには興味がなくて、ただ植物園に行ってウロウロして、でけえ温室に入りてえだけなんだよな

植物園って、人が並んでねえ入り口で高くて400円程度のチケットを買うところからもう始まってんじゃん

800円とか1200円とかじゃなくてさあ、300円とか400円とか、ヘタしたら温室入らねえならタダだったりするわけじゃん

その、やっすい入場料を払いながらよ、受付のある事務所に設営された、葉っぱの栞を作ってみよう!とか、まつぼっくりを拾おう!みたいな企画を目の端に捉えてさ、ヒア・イット・ビギンズ、俺の一日が始まるということになる

植物にそんなに言うほど興味ねえし、オフシーズンに来てるからさあ、実際園内に入っても、解像度はずっと低いままなんだよ

時期が良けりゃ花が咲いているんだろうなって感じの、特定の花、バラとか百合とか、そういうのをフィーチャーした花園があってさ、でもシーズンじゃないんで実際には4輪くらいしか咲いてなくてさ、ただエキゾチック名前の書かれた立て札と、茎と葉だけがあるわけじゃないですか

そういうのとか、あとはよくわかんねーでけえ樹、これはマジでデカくて、木ってでけえんだなみたいな感想自動的に出てくるんだけど、逆にいうとそれでおしまいなんだが、そういうものを見る 見るしかない

池なんかもあってさ、鯉ほどアトラクション性のある魚はいなくてさ、ただなんか、メダカかな?みたいな感じのちっせえ魚が、俺の影に反応して、すばしっこく逃げ去っていくのな アメンボがいたり、水草が植えられていたりもする 黒いビニールの、ヒダ状になった給水パイプが、ガサガサした質感をしている

意味のない小さい橋や、飛び石、小道、そういうものがある

そういう場なんだよな

そういう場をウロウロしたあとに温室に入るとさ、外の疎な感じに比べて、全体的に密でさ、珍しい、見たこともないような、綺麗な植物が、まあバンバン植わってるわけですよ

温室の天井は高くて、半透明で、そのガラス越しに弱い陽光が見えたりして、常に水音がしていて、しか本質的には静かな感じがするじゃない

そんで、人はあんまりいないんだ

ベンチなんかを独り占めしても、あまり問題だという感じはしない 人がいねから

から座り込んでジッとしたりするわけですよ

そうしてその静かさに慣れながら、メインの熱帯温室を出て、日本の花とか高山植物とかの、余韻系の部屋を通って、外に出たらさ、外はまあ冬の温度でさ、遠くからは車の走る音なんかが聞こえたりして、日光も直接当たってくるし、なんつうか、まあ、外なんだよな

それで帰っていくわけじゃん

そういう体験なんだよな結局

そういう体験がしたいんだ

2023-06-14

anond:20230613073718

騒ぎになっていた時は一切観劇しなかったけど原告の子の末路を聞いたらどうでも良くなった

2023-06-09

anond:20230608230929

思う。

俺は鬱状態だが、世間人間は全員が躁状態だと思う。

向精神薬を服用してぼんやりしている俺の方が真実で、健常者を名乗る人々こそが躁状態なんだと思う。

現在向精神薬を服用している。鬱状態で何も意欲がなく、毎日横になって過ごしているうちに一日が過ぎてしまうような日々を送っていたが、このままではいけないと奮起して心療内科に赴き処方してもらったものだ。このエネルギーを絞り出すのに数ヶ月かかった。そして処方を服用すると劇的に効果がある。

先ず、様々なことをするハードルが途端に低くなった。今まではアレもコレも片付けないと、あそこに問い合わせして状況を把握してそれによって対応を決めて…などと思うばかりだったが、とりあえず電話して確かめそれから考えよう、という風に動き出せるようになった。

物欲も湧いてきた。デジタル一眼のカメラが欲しいと前から思っていたのに動き出せなかったが、とりあえず値段だけでも調べてみよう、実店舗に行って実物を触ってみよう、そのような気持ちになった。難点は収入がないのにそのような高価な買い物ができないことだ。

些末なことでは部屋の片付けや掃除をすることができるようになり食事も摂れるようになった。

基本的楽天的になった。思い煩うよりも動いて確かめて壁にぶち当たってから考えればいいと思うようになった。物欲が湧いてきたと書いたが、あれを買えばこんな利点がある、きっと楽しいことがあるはずだと思えるようになった。

しかし、鬱の自分が頭の片隅で自分を見ている。お前は躁転しているだけではないのか?そう言っている。

けれども、もっと客観的に見れば、今の自分世間一般の人たちの行動とたいして変わらない。躁転しているとは言えない。

便利なものを欲しいと思い、それが手に入ればあれもこれも手間が省けるはずだと思う。投資をすればきっとリターンがあるはずだと思っている。どこかに出かければ楽しいことが待っているはずだと期待する。人と会えば楽しい会話ができると思っている。食事に行けば美味しいものが食べられるだろうと思っている。映画観劇ライブを見に行けばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと思っている。みんな楽天的で明るい未来を心のなかに描いていて憂いはない。

そう思うと、人類はきっと躁病なんですよ。

少し前に、結婚子育てのことを「みんな子育てを難しく考えすぎ」なんてエントリーがあったけれど、あれぐらいの躁状態じゃないと他人人生を巻き込んで新しい命に責任を負うことなんて引き受けられるわけがないのだから

資源を無計画採掘して経済が優先だと後先考えずに浪費する

中露の軍事的脅威があるのに目を向けない

環境問題科学者たちが訴えているのにそれを信じない

男女の差異があるのに平等を実現しようとする

差別があるのに関係いからと目を背ける

少子化が進んでいるのに個人自由を盾にして対策をしない

貧富の差は極端に大きくなっているのにそれに目を向けない。

何も物を作らず投資という名の金銭の移動だけで利益を得る。

どれもこれも現実から目を背けて、なんとかなる、きっとこの先良くなるはずだ、このシステムはしばらく崩れることはない、そういう楽天的な考えによって先延ばしにされ除外され目を向けず目を背け、なかったことにしている。みんな躁状態からきっと大丈夫」だと思い、懸念を示す人たちには「難しく考えすぎ」の一言で済ませてしまう。

何もやる気が起きないという鬱の状態は確かに異常だろうが、一般の人たちの楽天的で無計画で先行きに不安を感じてもそれを押し殺すことができる精神状態はかなりの躁状態だ。

現実は厳しく容赦ないもので悲観的未来しか予想できないのに、世界を真っ当だと思って楽天的未来夢想して無計画でいる人たちの方がきっと狂っている。

2023-05-18

anond:20230508222214

趣味嗜好なんて「なんか好きだから」「なんか興味ないから」以外言いようがないと思うけど…

あえて言語化するとしたら本能的な性差かな。

女の人は周囲の人間感情を1つにして楽しみたいという欲求男性より強いように感じる。それに由来してるんじゃない?

観客が自分一人しかいない舞台観劇に来たと想像してみて欲しい。多分貴方普段感じている楽しさを感じることは難しいと思う。

2023-05-13

anond:20230508222214

行ったことは何度かあるけど、映画みたいに見せたい情報だけに整理がされてないからめちゃくちゃ見るの大変なんだよな。見立て表現してる部分も多いから、観客側が頭の中で編集しなくちゃいけない。

から慣れるまでは本当に大変だし疲れる。

作品の傾向としても単館系映画みたいなアーティスティックな物が多いから、敷居の高さは他コンテンツの比じゃないと思うよ。

あと画ヅラだけ見るとマジでショボく見えるんだよな。宣伝用に加工編集された映像でも本当にチープに見える。

実際に観劇してみるとそんな事はまったく感じなかったりするんだけど。

ショボく見える割に映画の倍以上の料金だから、二の足踏む人が多いのは当たり前だと思うよ。

2023-05-12

anond:20230512111635

幾ら脊髄反射コメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。

ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。

>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画TVドラマ観劇音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<

どこ情報よそれ。ソースを示せコラ。

>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツナイター観戦がある。 <<

プロ野球セントラル・リーグ試合開始時間は18:00だ。

セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。

https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15

>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<

かに宝塚大劇場のスケジュール元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html

元増田無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り

https://www.honda-geki.com/suzunari/

見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?

(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)

なので公演内容も女性に偏ったものになっていく。

例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。

といった感じで。

そこには男性が好むような題材はどこにもない。

男が好むようなアクションバイオレンスは取り入れられない。

男性が好むような女優をメインに打ち出して男性客を取り込むようなこともない。

女性俳優メインなら女性が好む題材になる。

それによってますます男は遠ざかる。これが演劇男性客が少ない理由だね

元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?

上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?

「それってあなた感想ですよね?」だろ?ソースを示せよ。

知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ

anond:20230512111635

幾ら脊髄反射コメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。

ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。

>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画TVドラマ観劇音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<

どこ情報よそれ。ソースを示せコラ。

>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツナイター観戦がある。 <<

プロ野球セントラル・リーグ試合開始時間は18:00だ。

セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。

https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15

>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<

かに宝塚大劇場のスケジュール元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html

元増田無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り

https://www.honda-geki.com/suzunari/

見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?

(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)

なので公演内容も女性に偏ったものになっていく。

例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。

といった感じで。

そこには男性が好むような題材はどこにもない。

男が好むようなアクションバイオレンスは取り入れられない。

男性が好むような女優をメインに打ち出して男性客を取り込むようなこともない。

女性俳優メインなら女性が好む題材になる。

それによってますます男は遠ざかる。これが演劇男性客が少ない理由だね

元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?

上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?

「それってあなた感想ですよね?」だろ?ソースを示せよ。

知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ

anond:20230512105451

私は大学演劇サークルとか(古い例で申し訳ないが第三舞台みたいな)コントやってる人たちも演劇掛け持ちしてたりして

チラシとかで同じ人が客演で出てたり、脚本家が別の劇団シナリオ書いたりで観にいくきっかけになってた

劇団みてるうちに、じゃあ劇団四季みたいなのってどうなんだろうと劇団四季やら帝国劇場でやるようなレミゼラブルみたいなのにも行ったりしたけど

個人的には本多劇場以上になると私の感じる演劇の楽しさが減少してしまうので大箱のところには行かなくなった

ちなみに小劇団も一度通うのが途絶えてしまうと、これ行きたいなーにならずに今ではすっかり離れてしまった

結局今も観に行き続けてるのは歌舞伎だけになってしまった

劇団(というより観劇という行為というべきか)は自分にあうあわないがあるけれど、あう劇団見つけたら本当に観劇楽しいので数うちゃ当たる方式で行ってみてほしいと思います

残念ながらそもそも演劇男性客のことなど考えていない

anond:20230508222214

そもそもリアルタイム系のイベント女性消費者の方がはるかに多くて、最もわかりやすものだと映画館女性客の方が多い。

これは根本的に男性は8:00~18:00は労働に縛られていて、リアルタイムの娯楽を楽しむことが許されていないから。

対して女性は平日の昼間でも娯楽を楽しむことが許されている人が多い。

これは別に女性が働いていないとか言う事ではなく、女性仕事パートタイムであったり、専業主婦であったりで時間の融通が利くことが多いから。

1日くらいなら家事を翌日にずらしたりすることがしやすい。要するに女性フレックスタイム仕事をしてることが多いわけ。


特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画TVドラマ観劇音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。

なので、男性にある程度人気のある娯楽は平日でも夜間にスケジュールを組むことができる/やってる娯楽に限られる。

映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツナイター観戦がある。

こういうスケジュールを組むことでなんとか男性客を引き留めてる。


対して演劇スケジュールを見てみろ。

例えば宝塚はこんなスケジュールになってる

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『Lilac(ライラック)の夢路』 1時間35分

‐幕間‐ 35分

ジュエル・ド・パリ!!』 55分


※尚、終演予定時間は下記のとおりです。

11時公演 14時5分

13時公演 16時5分

15時30分公演 18時35分   

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https://kageki.hankyu.co.jp/news/20230418_005.html


まぁ元々女性向けの演劇からわかるが、こんなスケジュールで男がどうやって見るんだ?


歌舞伎もそう。

11時か16時のどちらかしかない。

https://www.kabuki-bito.jp/uploads/images/kouen/815/2305_kabukiza_hh_00dd00d4e0694719180849c4ae7cd317.jpg


もちろん土日には見れるけど、どうしても客数が限定されてしまう。

しかし男の多そうななんばグランド花月漫才)のスケジュールは19時スタートの部がある。つまりこれは平日仕事終わりの男の客も捕まえようとしてるのが見て取れる。

https://ngk.yoshimoto.co.jp/schedule/


男向けの演劇少女☆歌劇 レヴュースタァライトはなんと平日の19時スタートの回がたくさんあるのだ。

https://revuestarlight.com/musical/seiran_bg/


ここから見て取れるのはつまりそもそも主要な演劇男性客そのものターゲットに入れてない。

なので公演内容も女性に偏ったものになっていく。

例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。

といった感じで。

そこには男性が好むような題材はどこにもない。

男が好むようなアクションバイオレンスは取り入れられない。

男性が好むような女優をメインに打ち出して男性客を取り込むようなこともない。

女性俳優メインなら女性が好む題材になる。

それによってますます男は遠ざかる。これが演劇男性客が少ない理由だね。


レヴュースタァライトみたいに男性ターゲットに据えてる演劇はようやく出始めて、それは上で言ったスケジュールを見てもわかるようになんとか男を取り込もうとしてるのがわかる。


話の流れとはあまり関係ないけど、個人的には男性向けの演劇を増やすことで労働者(役者)の側に女性を増やすことができると考えてる。

これはようするにおたくカルチャーがやってることで消費者男性が増えると女性労働者が金を稼げるようになるんだよね。

レヴュースタァライトはもろにそうで、オタク向けカルチャーから発展したこと女の子がメインの演劇が増えた。

2023-04-27

観劇系の趣味を持ってるけど、SNSで「周りの席にいた人」の悪口書いてるアカウントは即ブロックしてる

自分とは関係ない会場だとしても、そういうこと言ってる奴を見るだけで気分が悪くなるので先回りしてブロックブロック

もちろんそのことはSNSには書かず増田に書き捨てて今日も楽しく日記

2023-04-19

2.5次元俳優ファンを辞めた

2.5次元俳優ファンを辞めた。

※「推し」という言葉が好きではないので、「好きな俳優」と書く。

※当日券で観劇できるレベル2.5次元舞台に足を運んでいた。

最前ガッツをしたり出待ちをしたり高価なプレゼントを贈りまくっていたりしていたファンではないので、そのような記述があるとは期待しないでほしい。

※ところどころフェイクを入れている。

コロナ禍で2年ほどファンをやっていた。

コロナ前は舞台後にお見送りハイタッチ会などがあったらしいが(そして今復活しつつあるが)、別に接触に興味がなかったのでどうでもよかった。

きっかけは自分原作を好きな作品にその俳優が出演したことで、その作品以降、他の出演舞台に足を運ぶようになった。

舞台有給休暇を使って全通したし、地方公演にも、もちろん足を運んだ。

最速先行でチケットを取り、少なくとも3分の1は最前に座り、後ろでも3列目以内には座っていた。

3分の1は最前にいる、というとすごく大変なように思えるが、一部の大人舞台以外では普通に最速先行でチケットを取れば、最前の席が本当に普通に取れる。驚くほど取れる。

取れないのは千秋楽良席だけだ。

下手すればキャパ800人近い会場が平日は300人しか埋まっていないこともある。

しか千秋楽公演はほぼ売り切れるので、大体の人は千秋楽だけ観劇に来るのかもしれない。

それで元が取れるように設計されているのならそれはそれでいいと思う。

毎月手紙を送った。舞台感想はもちろん、ニコニコ生放送YouTube番組ゲスト出演の感想も全部細かく感想を書いて送った。

誕生日には洋服プレゼントを贈り、SNSに載せてくれる着用写真を見てちゃんと届いたのだなと安心した。

悪しき風習と捉えられがちなランダムグッズも、SNS経由で交換してくれる人たちはみな優しく、

親切な人だと無料自分の好きな俳優ランダムブロマイドを譲ってくれたこともあった。

同じ俳優ファンの人たちとも数人と仲良くしており、一緒に全通もしてマチソワ間はお茶したり舞台感想を話したりしていた。

SNSリプライアカウントしか持っていなかったので、自分本人は聞こえるところで悪口を言われたり、見えるところで悪口を書かれたりすることはなかった。

非公開アカウントではもしかしたら悪口を書かれていたかもしれないが、見えない場所では好きなようにしてくれればいいと思う。

一度最前にいたときに、後ろにいたおそらく自分とは別の俳優を好きな2人組に「出席確認とかあるのかな」と言われて笑ってしまたことはある。

出席確認とは、俳優最前や大体前方に座っている自分ファンにチラッと目を合わせ、文字通り「出席確認」をすることである

そんなの気のせいじゃないのか、と自分も実際に最前にいつでもいる面子になる前は思っていたが、たしか俳優自分ファンたちを確認していた。面白い文化だ。

舞台に通ううちにハレの日がケの日になっていた。

チケットも最速先行特典付きだと12,000円くらいする。決して安くない金額である

特典はブロマイドや小冊子やチケットホルダーなど、大体要らないものが付いてくる。

多ステするオタクの中には普通に必要がないしゴミになるので特典を引き換えないオタクも多くいる。

12,000円×30公演だと36万だ。マルジェラの5AC ミディアムのバッグが買える金額である

最初は楽しみだった観劇が、義務のように思えてしまった。

チケットが売れていないから、自分が行かないとファンが少なくて可哀想から、と勝手自分義務を課していた。

ファンというのは身勝手で、自己中心的で、すべて自分意志で行動しているのだから本当はもっと早く好きでもない舞台観劇など辞めればよかった。

休演日で舞台の公演がない日はやっと休める、仕事に集中できる、と安心したこともあった。

そして自分は、舞台に行くよりもマルジェラのバッグが欲しいな、と思うようになった。

年収1,000万あれば舞台を全通をしながらマルジェラのバッグも買えるだろう。

しか現実は厳しい自分仕事内容ではせいぜい毎月の給料が上がったとしても年収1,000万円に届くことはない。

年代の平均年収よりは150万程度多い収入だが、舞台を全通しながらマルジェラを買えるほどの収入ではない。

また、大体の2.5次元舞台に出演するような俳優にはバースデーイベントファンイベントというものがある。

チケット代は俳優事務所によって6,000〜12,000円程度と幅広く、自分勝手に集金イベントだと思っている。

イベントも回数が多い俳優だと1日3部あるのだが、自分は毎回3部とも最前に座っていた。

これも無理してチケットをたくさん取っていたのではなく、本当に普通に最速先行でチケットを取ると最前が取れるのだ。

自分最前を取れていたのは運がいいだけかもしれないが、私が把握していたファンでは「いつでも何のイベントでも来るファン」はせいぜい私含めて5~6人だった。

書いていて少し悲しくなってきた。ファンの母数が本当に少なかった。

そしてバースデーイベントでは何かしらファンが揉める。ファンが少ないからこそ揉めるのかもしれない。

よほどの人気俳優ではない限り、1部2部3部と別の俳優ゲストに来る。

そもそもバースデーイベントの主役のファンが少ないのに、ゲスト俳優目当てでチェキだけ軽い気持ちで撮りたいオタクや、

数少ないファンの中でも大量にチケットを取り、「たくさんのお友達」を連れてきて「たくさんのお友達」に「○○ちゃんの紹介で来ました」と自己紹介させたいオタクはいる。

でもそのオタクが悪いとは思わない。チケットをたくさん買って運営お金を落としているのだから商売としては十分成り立っているし運営に貢献していると思う。

問題なのは会場での「お友達」の言動で、大声でイベント運営不手際悪口を話したり、とても褒められたような言葉遣いではなく俳優本人にも聞こえるような大声を出したりする。

自分は、知性と品性に欠けた彼女たちのお仲間でいたくないと思ってしまった。

直接彼女たちと関わりがあったわけではないが、この俳優を好きなままでいると、自分の格が下がってしまう気がした。

自分の身可愛さにファンを辞めたのだと言われればそうとしか言いようがない。

今は元々年間80本ほど足を運んでいた様々なロックバンド界隈のファンと、

大手事務所所属し、有名なブロードウェイミュージカルの主演の仕事が来る俳優名無しのファンとして存在している。

名無しのファン透明な存在になれていい。

コロナ禍で好きだった俳優には完全に顔と名前認知されており(ファンが少ないので当たり前といえば当たり前である)、

接触イベントで名乗ると「わかるよ、○○だよね」と言われていた。

わかるよってなんだよと思いつつ嬉しかったが、今は透明な存在に安堵している。

透明な存在不透明な悪意などを思いつつも。

2年という短い間だったが、思い出はたくさんあった。

ファンサがある舞台ではピンポイントファンサがあったし、接触イベントでは自分が話す内容に大笑いしてくれて、過去イチ笑ったわ、という言葉が聴けて嬉しかった。

自分はもう好きだった俳優舞台に行くことはないのかもしれないが、彼の夢が叶うことを陰ながら応援している。

どうか品性と知性を欠いた世界に彼が溺れてしまわないように、ファンを辞めて遠くに来てしまった自分でも願っている。

2023-04-15

贔屓(推し)が元贔屓(元推し)になるまで~好きと義務の間で~

※前書き

贔屓というのは宝塚で言う推しのようなものです。

分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。

◾︎本文

(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)

なぜ贔屓が元贔屓になったのか?

っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?

贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。

最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。

この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。

元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンピークは2番手時代~2作目あたりでした。

元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまりファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。

入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。

ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないか憶測が飛び交ったり。

しかも元贔屓はファンが少なかった!!笑

入出に来るようなファンしかり。

ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います

今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。

日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリー死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。

その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。

2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。

追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンから批判は凄かった。

本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。

発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。

紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。

幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。

披露初日もムラまで行って開演アナウンストップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。

披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。

トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。

この頃の私は純粋ファンだったように思う。

でも思ってみればこの頃から色々とおかしくなっていった。

自分が好きで行っていた入出も途中から自分意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。

観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。

劇場東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。

そして私は上演作品が嫌いだった。

トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。

特に退団公演、観劇していて怒りが沸いた公演は初めてだった。

初日幕間のファン流れる通夜のような雰囲気、みんなが

「これが退団公演か……」

「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」

と思ったに違いない。

ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。

良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。

観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。

やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。

退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため

『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』

と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。

元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。

だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。

「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」

私は勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。

そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。

「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。

「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」

トップになって何がしたかったんだろう」

「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」

一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。

しか無駄ファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。

タニマチの事だとか、ファン派閥とか、、、

会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。

宝塚にいるの、辛かったのかな」

「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」

「仮初めでも演じてもいいか舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」

そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。

ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。

何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。

言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。

元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。

2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。

それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手トップ初期の頃とは少し違っていた。

目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。

「私が観たかったのはこんなのじゃない」と思ってしまった。

そう思った時に気づいてしまった。

結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。

退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。

それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。

周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。

あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。

ヨナラショーでもパレードでも泣けなかった。

観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。

結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。

うそれは好きだからファンからというよりもはや意地のようなものだった。

ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。

終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。

退団後しばらくは私はいから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。

パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっとからな気がする。

それとももしかしたら最初からきじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。

元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。

ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。

退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは

YOUは何しに日本へ?」だった。

ドイツ在住の宝塚ファンに密着したというもの

たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。

私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋ファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。

この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。

その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。

私が今とても贔屓が好きなのは反動もあるのかもしれない。

正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。

だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)

私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。

贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。

今、楽しくてしょうがない。

お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。

感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ

お茶会お話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。

握手をするときは緊張するし、そしてほとんど覚えてない。

文字びっしり便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。

そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。

そうだ、元贔屓を応援していた時だ。

私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ち応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。

そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。

元贔屓は確かに私の贔屓だった。

私は確かにあの人のことが好きだった。

誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。

長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。

「ずっと好きです」

いつまでも応援しています

元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。

それは嘘じゃないと思う。

2023-04-11

anond:20230409133840

現実の男がキモくなるのはしゃーないとしても、週3日しか働けてなくてよくそんなオタク活動に金と体力を使えたな?という疑問がある

稼ぎもそこまでないだろうし、そんなに体力がなければ観劇もきつくね自分とあるジャンルの追っかけやってるからわかるが、あれ結構体力と精神力使うよ。

2023-04-10

[]独身貴族になれなかった女より

追記

「同じ」に噛みついてる人いるけど

噛みついてる人全員、現実他人と会話してないだろう

別にこっちバカではないので例の人の方が給与高いとかハードワークしてるんだろうとか百も承知に決まってんだろアホか

「同じ」は普通に考えて、同じようにオタク消費活動エンジョイしてるとかそういうのだって

他人と話す時前提条件含めて100%微に入り細に入り伝える?伝えないでしょ?

日頃からそーやって揚げ足取りの為にちょっと考えれば埋められる省略部分を意図的無視して些細なワードに噛みついてたら対人コミュニケーション一切とれんだろアホか

行間を読め

あとあんコメントが人気コメントに押し上げられてるのはてなの住人層がアホ多めなの象徴してて残念なんだけど

・・・身の程をわきまえて貯金ちゃんしろとかはまだ、まともなコメントから納得もするが「同じというのなら同じ仕事収入を得た上で同じと言え」は日常会話困難の病気だろもう

追記ここまで】

はてな記法はわからんから例のエントリみたいな書き方はできないのは容赦してほしい。

まず私は結婚適齢期アイドルアニメで棒に振った。

昨今のアイドルアニメは同じ映画に繰り返し通わせる作品が多くて、私は様々なイケメンアニメ2.5次元舞台声優ライブに足繁く通った。

観劇は楽しく、25歳から35歳までの10年間で得たものは大量のグッズと共にイケメンを追う仲間だった。

そのコンテンツのもの嫌悪は無いが、1つだけ問題があって

他人の指毛やすね毛がダメになってしまった。

2.5次元キャラ達は鼻から下に毛がないんだ。

いよいよ婚期のタイムリミットという頃にコロナ禍が直撃したのもあるが、実際に会った時、指毛や腕毛の存在でおぞけ立ってしまって、私は結婚を断念した。

ここからが例の独身貴族との違いだけど、私は貯金が無い。

というか自分の周囲の人もみんな貯金は無い。

給与問題もそうだけど週休3日じゃないと働けないと思っていて、ハードワークをひたすら避けてきたのもある。

現実男性が結局嫌だったから夜の仕事をする気もない。

残されたのは貯金無しで将来に対して漠然とした不安を抱いた中年女性自分だった。

我が事なので哀れみはしないけど独身貴族を名乗ってる男性諸兄については単に羨ましいなと思う。

同じ事してるのに金銭的な余裕あるのって単純に考えて羨ましいなと。

この問題はここから何の発展もしたりはしない。

給与は上がらないけど様々な値上がりで家計は逼迫するから観劇絵師への課金を減らす方向性にいくと思うし今まで買い溜めBlu-rayゲームを再プレイするのでも案外楽しめる。

一番の不安自分の事がいてもいなくても同じだと感じられてしまう事だと思う。

オチは無い。

あと改行する方法さえもがわからいかアノニマスダイアリーは不便。1行開けてるのに反映されやしないわ。

ヘタミュが苦手すぎてTLの居心地が最悪

8年目くらいのヘタクラです

ヘタミュが苦手すぎるから、新しい舞台が始まってすごく辛い

評価が高いのは知ってるけど、三次元人間がヘタキャラを演じているのが本当に無理すぎて受け付けない

元々コスプレダメから2.5次元なんて画像を見るのも無理

昔、演者キャラになり切ってツイートしてるのも見たけど、嫌悪感しか湧かない。調子に乗るな、お前はそのキャラじゃないんだよ!と叫びたくなった

今はヘタミュ関係アカウントつぶやきブロックミュートを駆使して、できる限り目に入れないようにしてる

でも、時々フォロイーがブロマイド写真入りのグッズ、演者イラスト軽率にアップするから心臓に良くない

「ミュ」としか書いてなかったり、そもそも何も書いてないツイート対処のしようがない

下手に評価が高いから、ついったでもヘタミュが地雷、苦手、無理!って言いづらい

楽しみにしているフォロワーに水を差したいわけでもないから、観劇報告や楽し気な悲鳴にもじっと耐えるしかない

同じようにヘタミュが苦手な人と、こっそり愚痴を言い合いたい

いっそのこと、ヘタミュが駄作で大コケして黒歴史になればよかったのにと思う時すらある

早く講演が終わって、みんなの興奮の波が過ぎないかな…と思ってる

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