はてなキーワード: 直ちにとは
https://twitter.com/ojimakohei/status/1603955048752746502
「colaboの件。所管の福祉保健局としては、直ちに契約要件に抵触するものではないが、一部、不適切な処理が認められ、指導を行ったとのこと。住民監査請求も出ているので、この後は独立機関「監査委員会」にて本格的な調査が行われます。また、国の「会計検査院」の検査も入ります。また経過報告します。」
「監査委員会」って書いてあるけど、「監査委員」ですね。都議であるなら、同じ都議が監査委員になっているわけだから、ここを間違うのはツイートの全体的な信頼性を疑います。監査委員のお一人は議員と同じ党ですね。
https://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/kansazimukyoku/index.html
「監査委員は独任制の機関です。これは、それぞれの監査委員が独立して職権を行使する、ということを意味します。教育委員会や選挙管理委員会や人事委員会といったほかの行政委員会と違って、委員会制をとっていないため、監査委員を対外的に代表する委員長もいません。」
会計検査院は国の機関で、国のお金の使い方を検査する(必要的検査対象)機関ではありますが、国は地方(もちろん東京都を含む)にお金を出すことが多いので、その使い方がどうだったかという視点で、地方自治体も検査をしています(選択的検査対象)。議員が後に「会計検査」について「定期的」と触れたのは、多分地方公務員の会計検査についての認識そのままで、選択的検査対象が地方自治体に対して定期的に行われていることを指していると思われます。感覚的には2年に1回とかかな。どの自治体に入るとかどの事業を検査するとかは事前に公表されていなくて、大まかな流れだけが通知されて、直前にこの自治体のこの事業を検査します、となる。
地方公務員として生きる上で、避けたくても避けられないのが会計検査です。国庫補助金を受ける時は必ず「会計検査、当たりませんように!」と思いながら、当たったときのために保存する書類を整備する。会計監査があるおかげで、地方自治体の仕事はキッチリしていると言っても過言ではない。
では、地方自治体が会計監査を受けるときの実際はどんなものか。まず、諜報がすごい地方自治体全てが一体となって、「どこの都道府県でどんな検査があったか」を必要な地方自治体で共有します。会計検査員が今どこにいて、どこに向かっているかを共有します。今日の検査で何を聞かれたかを共有します。何を聞かれたかを知った時、次の地方自治体では同一事業や類似事業で同じことを聞かれてもいいように想定回答を考えます。会計検査では「会計」という名前のイメージとは違って、「この事業はどんな目的で行われ、どんな効果を出しているか」という費用対効果を重視して検査されます。これは検査結果を発表する時に、枝葉末節を見ているのではなく、ある程度やってるアピールができるように、ということもあるのではないかと想像します。そういった意味では、直近ではコロナ交付金が記憶に新しい。
https://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/4/r041017.html
「地方公共団体が実施した個々の交付対象事業の効果検証と検証結果の公表がどのように行われているかなどに着眼して検査しました。」
このように、どんな効果があったか、またその効果をどう検証しているか、が重視されている。
地方公務員の一大イベント、会計検査について、全く意識せずに仕事をしている職員は、採用歴が浅い職員を除いてほぼいない。会計検査が入れば全庁に対して「会計検査中はこのフロアで私語厳禁」というお触れが出たり、紙資料をコンテナ何杯も会場に持ち込んだりする。何かの形でこれを目にする地方公務員にとっては、いくつかあるお祭りの一つといっていい。
それに対して、「情報提供を受けての会計検査」というのがどのように行われるか、多くの地方公務員は知らないと思われる。あくまで選択的検査対象として、一連の流れで検査されるということであるなら、情報提供された1件のみについて特出しで行われるということはないのかもしれない。通常、検査の対象は社会的に話題となる事業(コロナ交付金のように)が多いと思われるが、もちろんどのように選ばれているかは地方公務員は知り得ない。
大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事にブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。
はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?と増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。
1. 大阪駅に掲示された麻雀ゲームのエロイラストは法的には問題ない
3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない
記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかけから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的な詭弁術である。
裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan
市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決で問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的なポスターを掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送で性的な広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。
ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝が表現の自由の保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。
およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。
本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。
記事はここまで一応は法律論にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧なものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告を批判した内容についてではなく、批判したという事実そのものを非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内の民間の活動は経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから、国会議員は憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間の活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。
記事は広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である。
また、松井茂記教授(ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現が女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争の犠牲者やテロ行為の犠牲者の写真や映像も、公表できないことになろう」と解説しています(松井茂記『インターネットの憲法学 新版』(岩波書店/2014年)169頁)。
このように、「ジェンダー構造を再生産する」とか「女性の人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由を制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。
記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告を鉄道の駅に掲示することは現在でも自主規制の対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである。性的な広告を鉄道駅に掲示することの是非は、その自主規制のラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論を必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。
記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。
なお、国会議員等が、与党の解釈改憲や検察庁法の改正問題を批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家の意見を尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場と意見が合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。
常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から「広告表現は憲法で強く保障されている」という通常と真逆のメッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。
はてなブックマーク[B!]新着記事・評価 - はてなブックマーク
盛り上がった話題があるとメタブに動きがあるから、一過性の釣り記事にモヤモヤだけ植え付けられたくないならオススメ。
② メタブのケンカを流し見しつつ、ツッコミの入れられてる建設的な人気ブコメを読む
はてなブックマークで人気になっている意見でも、必ずしも諸手を挙げて賛成できるとは限らない。
中には、スターを付けてるやつが一体全体何考えてんだか理解不能なコメントもある。
俺とは違う文化圏にいる人々を見つけた瞬間だ。
③ 捕捉したくなったり、反論したくなったりするので、増田を書く
同じような腑に落ちなさを抱えている匿名諸氏の目に留まれば、共感が得られて孤独感が癒える。
俺は一人じゃなかったんだ…。と安心できるんだ。
多少不快な気持ちになろうとも、未知の界隈の考え方を知れるキッカケにはなる。
そこから学びは深まっていくかもしれない(あるいは只の時間の浪費かもしれない)。
なお、増田は書き上げたら投稿前に一旦ページを閉じる。上部の Hatelabo::AnonymousDiary を押して増田トップに戻り、右下の ✏️ アイコンを押すと、さっき書いた日記が復活するので直ちに「この内容を登録する」ボタンを押して投稿する。この意味不明に余分なワンクッションはタイトルが半端に切れて一覧に入るのを防ぐためだ。
たまにこうなる。自作自演でレスをしようと思うときもあるが、前にやった経験を思い出してやめる。
Youtubeでとぐろを巻いたり昔の漫画を読み返したりして、合間合間にF5を押しに戻ってくる。だが反応はない。ブクマ数が3userを越えると
はてな匿名ダイアリー[B!]新着記事・評価 - はてなブックマーク
に載るのに。ここを窓口に増田を巡回してる人が多いらしく、増田新着に入ると一気に人が流入してくる!のだ!
⑤ ネタを引っ張り出そうと足掻く
何でもいいからレスを貰える可能性があるネタを探して、増田のログや1userブクマされた日記を巡る。
昔バズってた話を再燃させるのはどうだろう? 消化不良のネタはないか? モヤモヤされたまま放置された話題はないか??
→ ①
Colaboの件で、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」というような批判を見かけるが、普通におかしいと思う。
たとえば弁護士は懲戒処分を受けると弁護士としての営業ができなくなるので、どれだけ悲惨なDV被害者の裁判を受け持っていたとしてもその裁判から抜けないといけなくなる。これは仕方ないことだ。あるいは、国内屈指の凄腕の外科医が人を殺したら逮捕されても仕方ないし、そのせいで手術を受ける予定だった患者さんが手術を受けられずに死んじゃっても、犯罪の追及が悪いということにはならないと思う。
同様に、仮にColaboが何らかの不正をしていたとしたら、Colaboへの処罰(よくわからんけど解散させられたりすんの?)は、Colaboが匿っている家出少女たちの保護よりも優先されても仕方ないでしょう。それでもし家出少女が路頭に迷ったとしても、それは不正をしていたColaboの責任であって、不正の追及者や追及者への賛同者が責任を負うような話ではない。刑事は凄腕の外科医を逮捕するときに患者に配慮する責任があるのか?
もしColaboが潔白で、なんの不正もしていないというなら、処罰を受けるようなことにはならないはずだから堂々としていればよい。暇空茜氏がしているのはあくまで「Colaboへの支出に関する都への監査請求」であって、Colabo本体への法的措置ではない(少なくとも現段階では)。
仮に何もやましいところがなくてもあれこれ探られるのは不愉快だ、という気持ちはわからないでもないが、公金を使うというのは情報公開の責任を負うということなので、ある程度公文書を漁られるのは甘受するべきだ。森友学園問題で黒塗りの公文書を出して平然としていた安倍晋三氏のような恥知らずな人間――生きて監獄にぶち込まれるべきだったのに、凶弾に斃れてしまったのは実に残念だ――になりたくないのなら、公文書を可能な限り開示することに協力しなければならない(もちろん、たとえば被保護者の個人情報とかシェルターの位置に関する情報とかは黒塗りでもやむを得ないし、おそらく暇空氏も納得するだろうが、定款すら黒塗りにするのは異常と言ってよい)。市民には主権者として行政を監視する権利と責任がある(っていう正論を言うのが共産党の役目だと思ってたんだけど、なんで今回は追及に反対してるんですかね……)。
もちろん、「いや、いかなる場合であってもコラテラル・ダメージには配慮すべきだ」という道徳的立場はありうるだろう。
しかし仁藤夢乃氏やその他の「表現に意見を言う」フェミニストの人たちは、コラテラル・ダメージに配慮してきたのか?
温泉街の町おこしの一環なのだから、あんまり強い批判をすると地域経済にダメージが……のような意見はいくつもあったと思うが、仁藤氏はそのような意見に耳を傾けてきたのか? 献血量が減ったらどうするんだ、という点に配慮して献血ポスターに「意見を言った」フェミニストはどれくらいいたんだ?
当たり前だが、『温泉むすめ』へのバッシングによって温泉街の売上が落ちようが、『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボへの批判によって献血量が減ろうが、それは直接的に仁藤氏やその他のフェミニストの方々に責任がある話ではない。それは正しい。彼女たちにコラテラル・ダメージへの責任を求めるのは間違いだ。彼女たちにはそれらの表現を批判し、少なくとも主観的には正当な追及をする当然の権利があり、権利行使にあたってコラテラル・ダメージに配慮する必要はない。
だったら、別に彼女たちを批判し追及する側もコラテラル・ダメージを気にする必要はないんじゃないか? 少なくとも主観的には正当な不正追及をしているに過ぎないのだから、その権利行使にあたってコラテラル・ダメージへの配慮は不要だ。彼女たちだってそうしてきたじゃないか。彼女たちの対立者が同じことをして何が悪い?
だいたい、彼女たちが保護しているのは家出少女だろう? 赤ん坊でも重度の火傷患者でもない、つまりしばらく放り出されたことで直ちに生命の危険が生じるようなことはない。Colaboには多くの支援者がいるんだろう? もしも仮にColaboの不正が証明され、もう家出少女たちがColaboに頼れないような状況が生まれたとしたら、支援者の皆さんからカンパを募ってビジホにでも泊まったらどうだ? 支援者の企業で清掃のバイトでもさせてもらえばいいんじゃないか? 沖縄や韓国で座り込みやデモに参加できる程度には健康体なんだろう? そんなのは不正の追及にあたって配慮されるべきコラテラル・ダメージではない(仮に重い症状で枕から頭も上げられないというなら行政や医療に助けを求めるべきだ)。
以上の2点から、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」式の批判にはまったく賛同できない。
そーいえば、イージス・アショアで防衛省が地元住民に舐めた態度を取って計画が頓挫した件で、ネトウヨ諸氏が「これで国防が危機に瀕したらどうするんだ!」って大合唱してましたね。いや、そんなに国防上大事な施設なら、地元を舐め腐って反感買うような真似はよしなさいよ、仮に国防プランが大幅な再検討を強いられたとしてもそれは住民の責任じゃないでしょ、って増田は思ってたし、多くのリベラル派の人たちもそう思ってたはずだと思いたいんだけど、なんで対象がColaboになるとリベラル派の人たちがネトウヨの皆さんみたいな理屈を振りかざすようになるんですかね……っていうか、森友学園の件でマジギレしてて、選挙権を得てこのかた自民党には入れたことがないアンチ自民マンのワイからすると、あんな海苔弁公文書が出てくる時点でありえないんですけど。あんな市民の知る権利を侵害する気マンマンな公文書出してきてどこが都民ファーストだよ。さすがは関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認する歴史修正主義者がトップにいるだけあるわ。あーやだやだ。もっと公文書をきちんと開示する「普通の国」になってほしいよ。
コロナワクチンの副反応が微妙にしんどくて気を紛らわしてたら変に思考が回ってしまい,最弱の男性のペルソナを思い浮かべてしまった.
もし小説など創作的なことをされている方がいたら自由に本設定のキャラを作ってください.
年齢:36歳
身長:165cm
体重:61kg
視力:裸眼視力は0.05であり,太い黒縁のメガネをしている.
容姿:思春期のニキビ跡により顔中穴だらけかつ苺鼻.表情筋は未発達でいわゆる不自然に幼いチー牛顔(かつタラコ唇).歯は歯石に満ちて黄色く出っ歯.6等身なほど顔が大きい.
服装:一張羅のスーツをクリーニングに出さず着続けている.休日は上下ジャージ.
家庭:
父親はアル中以外には疾病がない無職,いつもストロングゼロを昼から夜まで飲んでは中核派のような発言をして母親を叩いている.
母親はその実家含めカルト宗教の信者であり,専業主婦を自称しているがマルチ商法の会員として日々カフェで情報弱者をだまそうとしている(入会以降の収支は大赤字).
父親の実家については祖父が大日本帝国陸軍の軍曹でありシベリア抑留で死亡(遺骨無し),祖母は強度の認知症だが資金不足によりアパートで孤独に暮らしている.
父親は祖父の経歴を「アジア侵略に加担した者の当然の報い」だと息子であるMに幼少期の頃から言い聞かせており,安保闘争に参加して警察官にレンガを直撃させ後遺症を残したことに自信と誇りを持っている.
経歴:
中学まで地元の公立学校にて低いスクールカーストとして過ごす.一定程度の成績を残していたため自称進学校に進学するも落ちぶれる.1浪して地元のFラン大学に目的もなく入学し,第2種奨学金を借りた.
大学では単位取得をろくにせずに過ごし2回留年する.最終的には中退し,就職課の紹介で上記のような職場の非正規社員となる.
以後は人手不足に助けられて契約を更新し続けている.肩書こそシステムエンジニアだが社内雑用がメインであり,横展開可能なスキルは持ち合わせていない.
生活:
週休は不定期の1日で就業日は朝9時から夜9時まで勤務.自分は休みとボーナスを貰えるだけずっと良いと下を見て過ごしており,マクドナルドやコンビニの店員や介護士やAmazonの倉庫管理従事者を見下している.
特に店員が中韓の人であれば露骨に嫌な顔をし,日本人店員に対応されると聞き取れないボソボソ声で「やはり日本人が良いな」などとつぶやいている.
父の反動としてMはネトウヨと化し,今日も終業後はTwitter上で国士を自称して大日本帝国と大東亜共栄圏の復活を目指すと言いながら,排外主義的で支離滅裂な陰謀論をまき散らしている(ツイートの95%がRT).
毎日,朝ダチ処理と就寝前にマスターベーションをかかさない性豪.おかずは高校時代に3年間ずっと好きだったクラスメートの女性,或いはそれに似た女優が出演している制服モノAVで,レイプシチュを特に好む.
オタクの彼女がチャラ男やジョックに寝取られるシチュエーションは地雷であり,滅べと時々ツイートしている.度重なるオナニーにより男性ホルモンがやや過剰に分泌されており,腋臭はもちろん,朝に髭を剃っても夕方には無精ひげができるほど.
上述したような立場とスキルの無さから,業績不振になれば直ちに解雇される候補の一人である.にもかかわらず,一切の自己研鑽をせずTwitterにかじりついている.親の介護のことは一切考えていない.
日銀が28日発表した4~9月期決算で、保有国債の時価評価が2013年の異次元緩和導入後で初めて簿価を下回り、含み損に転落した。米欧の利上げをきっかけに、日本でも金利上昇(債券価格は下落)が進んだためだ。満期保有が前提のため直ちに経営を揺るがすわけではないが、政府が発行する大量の国債を日銀が事実上無制限に引き受ける構図に、市場の厳しい目が注がれる可能性がある。
日銀は年2回の決算時に保有国債の簿価と時価を公表している。9月末時点の簿価は545兆5211億円、時価は544兆6462億円だった。両者の差額である8749億円が含み損となる。3月末時点では4兆3734億円の含み益だったが、半年で全額が吹き飛んだ。
長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは3月末時点で0.21%だったが、9月末には日銀が上限とする0.25%近くまで上昇した。日銀が長短金利操作の直接の対象としていない20年金利は0.3%程度上がって1%を超え、30年金利も0.5%近く上昇し、1.4%程度となった。超長期金利は足元でさらに上昇しており、含み損も拡大しているとみられる。
日銀は13年4月に始めた異次元緩和で国債を大量に購入して市場に資金を流し込んできた。現在は長期金利を上限の0.25%に抑え込むため、国債を無制限に買い入れている。ただ、やがて日銀が政策修正に追い込まれるとの思惑もあってヘッジファンドなどが国債売りに動き、日銀の購入額が膨らんでいる。QUICKによると、日銀はすでに発行済み長期国債の51.2%を保有している。
記事の宏光MINI EV全幅が正しいとして、広くする方は簡単。でも幅を狭くするのは自動車の設計の中でも一番難しい。フェンダやドアに膨らませてある要素があれば片側7mm痩せればよいけど、その寸法を考慮していなかったら相当に厳しいかな。トレッドまで変更するとなると車両の基本のディメンジョンを変更せざるを得ないし、記事内容ほど簡単には日本の車両法規制に対処できないかもしれない。逆に対処できて、相応の販売店、整備拠点を確保出来たら一定数が売れるかもしれない。
スペックだけでなく、販売後の部品供給などの問題も考えるとなかなか難しいのではないかな。
「軽」の枠にとらわれない小型・低価格のEVをもっと世に出すべきだ。とか
この記事書いている人は本当のEV車の実態を知らない人だと思います。日本のEV車は何度も耐久テストを重ねたりバッテリーの衝突事故の火災防止対策を念入りに行われていて日本のEV車が火災事故を起こした話はほとんど聞いたことがありません。海外のテスラ車も韓国のEV車も衝突事故による火災が頻繁に起きておりその真実を報道しないマスコミもだらしないです。それからEV車が中古で出回ることがほとんどないのは交換用バッテリーが高く採算が合わないからです。毎年中国や海外では数百万台の中古EV車の廃車が行われていることも知ってほしいです。
ことごとく安さが売りでしたが、品質も装備も微妙で販売台数は伸びず今では忘れ去られています。
今の海外勢は日本車と比べて遜色無いと言われていますが、最新のドイツ車ですら日本車よりトラブルが多いと避けられる節が今でもあります。
再進出したヒョンデも目の肥えた日本人相手に勝負するのは並大抵では無く逆に評価されれば世界でも通用出来るとコメントするほど日本市場は厳しい戦場のようですから、スマホと違って高価で命を預ける車はシェアを伸ばすのは大変でしょう。
まず気になる点は、衝突安全性。
前提として、平均的な軽自動車の衝突安全性を大幅に下回るレベルであれば、輸入を許可しないで頂きたい。
また、同様に高速走行に動的不安のある車体であれば、自動車専用道路での走行を禁じる等の制約を設けるべきであろう。
国土交通省と自動車事故対策機構による試験により、しっかりと合格レベルであれば何も言わない。話はまずそこから。
現代の車に求められる事は、環境問題もそうだが安全性の確保。これを抜きに単純にEVだから軽を駆逐出来る訳でも無く、その意味では日本の車市場は甘くない筈だ。
普通の軽自動車規格に準拠しようとしたら、かなりの改造が必要です。その結果、重量も増え価格も高くなります。
なので、このような中国産EV車が、直ちに日本の軽自動車市場を圧迫するということは、ちょっと考えにくいです。
販売するとしたら、超小型モビリティ規格で販売されるはず。超小型モビリティは EVと相性が良い。超小型モビリティの利用が増えて来れば、通常の軽自動車もある程度の影響を受けるようになるかもしれません。
超小型モビリティは、これから普及してくるカテゴリーなので、これからどうなるかははっきり言ってわからない。
個人的には、75歳以上の高齢者は、自動的に超小型モビリティ限定免許にして欲しい。
宏光MINI EVを受け入れるような割り切れる国民ならば、そもそも「ガラパゴス」なんて状況にならない……。
そういう国民になるべきか否か、という議論はした方がいいと思う。
で、国民が「割り切り」をちゃんと受け入れるというならば、別に宏光MINIを受け入れずとも、日本人がそういうクルマを作れば良い。
議論から目を背け、革新したい勢がこういう「黒船」使って無理やりやろうとすると、様々な「副作用」で疲弊するんだよね。
自動車の安全性に関しては国際規格があり、日本だけガラパゴスになっていない。
東南アジア、中国では、予防安全、衝突安全の規格が不十分であり、この試験技術も遅れている。
バックミラーが片側だけなど部品が削れるところを削るのは、インドでも実施済。
それでも良いと価格重視で購入する購買層は、経済力の関係で各国にいる。
最近、中国BYDがEV車を生産し、日本で販売することを公表。この価格は400万円以上。
中国製品が、労働力等で低価格化しても限界がある。加えて安全性、走行性を確保するとなると欧米のシステム製品、センサーなどの部品を使用し、低価格化の限界がある。
この安全性、走行性を求めるとなると日本製品が、世界でも一定の市場確保は確実。
安全性の低いEV車は、ゴルフカートなどの限定された市場になる。
最近、この手の記事が増えているが、視点がズレているのではないか。日本でも、2025年から自動運転のタクシーの実用化がはじまるそうだ。まずは、電車のように遠隔で見守りしながらという事のようだが、それでも運転手が必要なくなれば、値段も安くなるだろうし、利用しやすくなるだろう。特に都市部であれば、自動車を持つランニングコストを考えれば、自動運転のタクシーを選ぶのではないか。これは以前から言われている事だが、自動車はこれから公共交通に変わっていくだろう。それもおそらく、10年以内位のスパンで急激に変わる可能性がある。ホンダとソニーの提携も、それを見越しての事ではないのか。日本メーカーが考えるべきは、交通システムとしての自動車であって、安売り競争に参加する事ではないだろう。
サクラなど軽BEVで、高速安定性だとか、走りや内装の質感だとかを無駄に?追求することが、価格高騰につながっているのなら、そういう部分を簡略化した、低価格な軽自動車を開発して欲しいし、それなら(場合によっては海外市場も含めて)一定のニーズはあると思うのだが・・・
宏光の車が日本でそのニーズを充足するかどうかは、微妙な気がする。一方で、これが実際に日本導入されて、そこそこ売れるようなことになれば、軽自動車が壊滅するとまでは思えないものの、まず軽BEVの将来は真っ暗なものになるだろうなとも思う。
「ガラパゴス」「黒船」みたいな結論ありきな言葉は止めて実質で評論して欲しいもの。
EVの地域適合性が普及の鍵となると思う。
寒冷地ではバッテリーの性能低下やエアコンに割かれる電力が問題になる。
車に拘りの無い一般の人にとって走りは当たり前に走れればそれで良いだろう。
寒冷地で残りの走行距離を取るか、暖かさを取るかの苦渋の選択を強いられるような車は避けられると思う。
近代のEVはオープンカーから出始めた事と無関係ではないと思う。
プロパンガススタンドが主流でガソリンスタンドが稀ならプロパン車を買うし殆どのスタンドがチャージステーションになればEVを買うと思う。
例えば人手で扱えるバッテリーの規格が統一され、小型車は二個、大型車は六個とかの充電済みバッテリーを交換して短時間で満タンに出来るシステムの出現を期待したい。https://news.yahoo.co.jp/articles/62c99c84ff8ebb9aafd24d4ea8acfe5e5f01d578
なにも変わらんと思うぞ
前も書いたが本来、権威(アカデミア)をありがたがるのは、研究や試験や論文の評価の作業(数字やまとめに妥当性があるかなど)を省略出来るから
でも不正研究や日本の医者の怠惰(論文読まない・サブスペシャリティの放棄が許される)然り、
センセの言うことだからで何も考えず従ってたらロクな事にはならないぞ
ただ、人には『好き/嫌い』『出来る事/出来ない事』があるから、調べるのが嫌い・出来ないならしなくていい
調べるのがストレスなら何も考えず従っている方がストレスがなくてむしろ健康によかろ
人工甘味料でも似たようなこと書いた ↓
先進国の食品基準で安全性が確認されているから常用・大量摂取しなきゃ問題ないやで
問題は常用後
論文やレポートでは、人間は大丈夫、いや人間もダメだって、ずっと割れているよ
考えるべきは「リスクをとってもそれを常時食べたいか」だと思う
美味しい物はだいたい身体に悪いし、果物とかでも食べ過ぎたらアレルギーになることがあるし、
殊更人工甘味料がという話でも無いと思う
下記のワードに health をつけて検索すると欲しい情報が見つかると思うよ
ちなみにたまに食べる・飲むくらいなら全然問題ないよ。繰り返すけど先進国の基準で安全性は確認されている
saccharin
aspartame
neotame
sucralose
acesulfame K
選べるならわざわざリスクを選ばないだけだぞ
人工甘味料でも同じこと書いたわ
さまざま懸念や海外での規制はあるけど、一応、日本は先進国だぞ
性交同意年齢を16歳に引き上げ 公訴時効も延長 法務省、改正試案 | 毎日新聞
現在の刑法では、13歳未満との性的行為は同意の有無にかかわらず処罰対象となるが、13~15歳の中学生世代でも性的行為の影響を理解したり、相手に的確に対応したりする能力が未熟なケースがあるとの指摘があり、試案では処罰対象を16歳未満との性的行為に引き上げた。
ふむふむ。
一方で、若年者同士の行為を除外するため、13歳以上16歳未満との性的行為への処罰は加害者が被害者より「5歳以上」年上になる場合に限定した。
は?
同意能力の実態に合わせたルールにしようね、という話に突然、若年者同士の行為を除外するため、とかいう謎の目的が混入してきた。ナニコレ? 多数がやってるから犯罪にできないというならパパ活だって多数がやってますよね? どうして若年者同士だけ現状追認するのかな。
同意能力の高さでsexの可否が決まるなら、妥当な判断基準はこうなると思う。
同意能力ゼロとは誰もsexできない。同意能力未熟同士ならsexは免責。同意能力完成同士のsexは自由。
だけど審議会の試案の「若年者同士の行為を除外するため」を組み入れるには、同意能力の高さで線引きするのではなく、同意能力の差でsex可否が決まる、と考えなくちゃ筋が通らないだろう。
高さで線引きしてる現在は、同意能力は加齢とともにどのように向上するか? を深く考えなくても良かった。「義務教育と学校での社会生活を経て徐々に向上していくので、13歳を一応の足切りラインに設定する」。それでよかった。
新しい試案からは、直ちに次の関係が導かれる。「17歳の同意能力よりも20歳の同意能力は高い」高校に通っているかなどに関わらず。では20歳と50歳のsexでは? 加齢とともに成長する同意能力が、なぜ20歳でピタリと成長が止むのだろう。その歳に一斉に社会に出るというわけでもなし、20歳に一体何があるというのか? 今まで日本社会で共有されてなかった前提を導入するのだから、科学的根拠が必要になってくると思うが。