はてなキーワード: 池袋とは
9:30
別れたいって連絡して連絡先消してもうかかわりをなくした状態って別れたのと同じでいいのかな?
なんか変な感じだ
昨日まで毎日のように思い出して、悩んで、傷がえぐれてあんなに泣いたのに別れようと送った今日はまだ泣いてない。
現実味がなさすぎて、理解できてないのかもしれない 自分がしたことなのに
関係がごちゃごちゃになって、距離を置いてからもう1か月くらい経つ
その間に何回か会話したけど全部私から「別れよう」って連絡したときだけ。
もう3回目くらいの「別れよう」って連絡 でも前回は「次無理だと思ったら本当に別れる」と言ったから今回こそ本当にお別れ
最初に別れようって言った時は大変だった、3時間くらい電話がひたすら来続けてびっくりしたけど本当は嬉しかった
そのまえはいったん別れるのを受け入れてくれそうだったのにしばらくしてから「ごめんやっぱり一緒にいたい」って連絡が来た それも嬉しかった
私は多分今も、今日も、今回もそうやって追いかけてもらえるのを待っている
きっともうそんなことはないのに
元彼氏になったきみへ
距離を置いてる間に髪の毛切った 長さはそんなに変えてないけど前髪めっちゃ重くしたよ
あとなんか姫カットみたいになった 美容師さんに「中学の時みたいに戻ったね」って言われて確かにこれが私らしいなって思った
こんななら、きみが好きなボブにしてやればよかった 付き合ってる間はタイプだったって言ってた元カノと同じになりたくなくて意地でしなかったから当てつけ
ロングの私のこと大好きになってもらって タイプさえ変えてやりたかった
前髪重くしたからボブじゃないけどまえよりはきみの好きそうな髪形になったな だった
ネイルも変えたけど、会社の面談あったしワンカラーしかできなかった
しかもネイリストのおねえさんが嫌な感じの人でさいあくな気分で1時間以上過ごした
し、お姉さんおすすめの色にしたらぜんぜん似合わないし好きな色じゃなくてこれもまた最悪
みんなセンスなさすぎってイライラしながら帰り道大盛りラーメン食べて帰った
まえ一緒に行ったところね カウンターの目の前の店員さんめちゃくちゃ見てきて気まずかった
あー早く変えたい でも見せたらきっと「でもこれもかわいいよ」って言ってくれたんだろうなって思う
最後に会った日はのびのびの不格好なネイルだった あのまま会わないでさよならしちゃうの超後悔してるよ
でもこの色よりはましかも 前のリボンのやつお気に入りだったから
あれかわいかったよね
ようやく涙がでてきた10:08
あと買おうか迷ってたキーボードとかぜんぶかったよ
白くてかわいすぎる ヘッドセットもいい感じ
無線マウスってこんなに使いやすいんだって驚いた これ直接言ったら時代遅れとか笑われそう
PC周りかわいくしたらゲームもうまくなるかと思ったけどぜんぜんそんなことなくてモチベ下がった
でも新しいキャラ練習してちょっと使えるようになったよ まだときどき敵にフラッシュ入れるつもりが味方に入れたりグレ投げミスって自分のところに飛んできたりするけど
まつパ予約したり今美容に命かけてる
きみのお誕生日までには「やっぱり一緒にいよう」って言うつもりだったから
12月頭 会った時かわいいネイルとかわいい私で会えるようにギリギリの11月26日 まつパとネイルの予約取った
私ほんとうに大好きだったからきみで推しネイルしようとしてたんだよ
驚く顔も声も想像つく ええ、って驚いた後にかわいいねってありがとうって言ってくれたはず
いつもそうやってずっと可愛がってくれた
きみと会う以外であまり人に会わなかったからきみと一緒にいなくなったら私ほんとどこにも行かないよ
ネイルとかまつパしても意味ないかもとか思って全部やめてやるってひねくれたけど、逆に続けてやる
コスプレ してみたかったけど今まで恥ずかしくてしてこなかったからきっかけくれてありがとう
今は毎日のようにコスプレの衣装の通販サイト見てどれ買おうか悩んでる
サンタさんとかいろいろ買うつもり 見せたかった 本当はクリスマスお泊りのときに着てじゃじゃーんってするつもりだった
やっぱりしたいこと しようと思ってたこと 全部にきみがいる
けどそれさえもいつかなくなると思ったらそれはすごくさみしいと感じる
もっともっといろんなことあったはずなんだけど、どれも日常の取り留めない出来事だからおぼえてない
今までは忘れる前にきみに全部話してたから、それもしょうがない
こうやって話したかったこともわすれて、きみのいない生活にもっと慣れて、悲しいとも思わなくなっていくのを私は知ってる
けどこんなに好きなまま人と別れるなんてはじめてだから、時間はすごくかかりそうだよ
きみはこの1か月どんなことがあったんだろう
でもそれを理解しながら、一緒にいるうちにちょっとずつ大人になって
あまったれ社会人の私にできることなんてなかったかもしれないけど 一番近くで大人になっていくきみを見たかった
池袋のカービィのポップアップストア お弁当箱みつけて「一緒に住んだらまいにちお弁当作るね」って言ったら「ほんとに?」って笑ってた
「だからお弁当箱これでいい?」って2段のカービィのお弁当箱 ピンク色
指さしたら「それ以外がいい」って言われた ごめんねカービィ 可愛いお弁当箱
全部きみがいてどこに行っても涙が出る ずっと思いだす
数か月前までは笑ってそこにいた 今と何が違うんだろうってずっとかんがえる
一緒に食べたラーメン 家の近くのフルーツサンド マック つくってくれたカレー ピザ ハンバーグ オムライス
一緒にやったゲーム
私を呼んでくれる声 寝顔 笑い方 泣き顔 イライラするくらい優しい髪の毛の乾かし方 顔に直接つけられた泡の洗顔フォーム だっこ 手の大きさ
ぜんぶ思い出せてこまる
きのう少し外に出たら右手がさみしくてびっくりした
今は抱きしめてもらえないからだがさみしい
こんなことを思うのは人生で初めて
そういえば来月できみと出会って1年になるね お兄ちゃんのお誕生日に出会ったから運命だと思ってた 可愛らしい勘違い
きっと12月26日を迎えるたびにお兄ちゃんよりも先に思い出す ごめんねお兄ちゃん
たった1年なのに誰よりも一緒にいた 誰よりも好きになった 初めてこんなに好きだと思った
だからこんなにさみしくて悲しい
ひどいこといっぱいしてごめんね
次もいつかもないかもしれないけど、もしもまた縁がつながる時が来たらたくさん話をしましょう
何も恨んでなんかない ただ大好き
結局これ、池袋の危険運転したおじいちゃんが逮捕されなかった、みたいな話なんだよね。
法律の面からいくと、逃亡や証拠隠滅のおそれがなかったあのおじいちゃんが逮捕されなかったのが正しくて、なんでもかんでもどんな微罪でも逮捕するという一般人に対する運用の方が間違ってる。
でも、一般人からすると「俺たちは逮捕されるんだからお前も逮捕されろ」になる。
表現の自由の観点からは、エロありBLがゾーニングもせずに本屋に陳列され、エロありBLの広告トラックが公道を走る状況が正しくて、男性向けエロマンガが暖簾の向こうに追いやられ萌えアニメのポスターやら広告やらが地方議員や国連といった権力からバッシングされるのが間違ってる。
でも、後者の愛好家からすると「俺たちは規制されバッシングされたのだからお前らも規制されたりバッシングされたりしろ」になる。
つまり現状のBLは一部の人たちからは「上級国民」に見えてるってことなのよ。
池袋のおじいちゃんやBLは当然の権利を享受しているだけなのだから、奴隷根性で権利を奪おうとするのはダメだよね。あいつらも俺たちと同じように扱え、じゃなくて、俺たちもあいつらと同じように扱え、と言わなきゃ。
226事件の幸楽→小沢専七郎→米軍→ホテル・ニュー・ジャパン→プルデンシャルタワー
ここまで変わるかってぐらいだな
(追記再掲)
圧死事故が起きたイテウォンの通路脇のハミルトン・ホテルにはかつて
スポーツ用品のアンダー・アーマー(米国ボルチモア)と化粧品のラッシュ(イギリス)の店舗が、大通りに面して入っていた
おそらくホテルは西系資本で出来たのだろうが、違法建築を無視していたんだろうか
何度も書くけど鉄鋼・造船業ボルチモアの議員が上院議長ナンシー・ペロシ(旧姓ダレサンドロ、硫黄で栄えたイタリアの移民の子孫)
米軍が手放した土地にあったホテルニュージャパンも、防災設計になっておらず大火災で死者33人
そうすると注目すべきは、米軍の山王ホテル跡にある「山王パークタワー」もである
「63人乗りという日本初の大型かごを用いた三菱電機製の高速シャトルエレベータ6機」
これ、いつか墜落か圧死事故が起きるのかね
その日池袋で推しの現場があるらしいので、その前のスキマ時間に会うことになり、ランチをする約束をした。
メイン+ドリンク+デザートの予算は?と聞くと、1500円〜2000円と。
そうか、と。
彼女は推しに会うために来てるからランチを抑えたいのは分かるけど、わたしはそのためだけに千葉から池袋に行くわけで、わざわざ化粧して、交通費かけて、それでどこにでもあるようなチェーン店でランチか、と思うと悲しくなってしまった。
1500円のランチが嫌なのではない。それこそランチをした後にどこかへ行く予定ならわたしだってランチは抑える。ただわたしにとっては「ランチ」が目的なので、それを1500〜2000円と言われてしまったことが悲しいのだ。
相手が10代や20代ならいい。むしろ奢るのに。今回は相手が10歳上の40歳なのでモヤモヤした。
40歳でも子供がいるとか、専業主婦でお小遣いが決まってるとかならまだしも、実家暮らしで子供もいないので、独身で一人暮らしの10も年下の自分より予算は多いと思ってしまった。
事実、彼女とは同じジャンルでオタクをして知り合ったのだが、推しにかけるお金は自分よりも多いので余裕があると思っていたんだ。
2000円は多い方だろう、と思う人もいるだろう。ただ現実問題、池袋で2000円でランチ+ドリンク+デザート(ゆっくり滞在する、という意味も含む)で過ごせるところは多くはない。
この2000円までというのも税を抜けは1800円だし、そもそも予算ギリギリの2000円の価格帯のところを提示するのはマナー違反な気がしてしまうから余計狭まる。
結局1500円の価格帯(ちょっとオプションをつけて2000円行かない程度)になってしまうのだ。
安く抑えたい、という気持ちは尊重するけども、2時間ちょっと友人の都合の良い場所と時間に合わせて会いに行くのに軽んじられたような気持ちがして遣る瀬無い気持ちになった。
結局、一度お店を決めた後、濃厚接触になったとドタキャンしてしまった。こうして友達が減るんだろうなと思うし、こういう自分にも嫌気がさしてしまった。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
すごく神経質で攻撃的ですが,表向きはいつもニコニコ過ごしていました。
○月○日 妙に色々食べてしまう時あり おなかすいてないのに食べてしまう
○月○日 腹痛あり ここのところ腹緩し
○月○日 胸が痛い 腹痛
○月○日 ひどい腹痛と下痢 腹痛による嘔吐 冷や汗 悪寒が止まらず 下痢終了と共に痛みは治まる 寒気 以降しばらくスープしか飲めず
○月○日 ヨーグルトしか食べられない 胸が痛い そういえば誕生日だった 夫からのメールで知る まめで優しい男だ
○月○日 おなかは問題なし 胸が痛い 腹がつる 眠気。情緒不安定 育児へ対する不安,仕事への不安 家に帰り家事するが,いったん外出する。
買い物して駅前で座ったまま,死にたくなる。ベンチで人波を眺めながら泣く。お腹にもう一人生きている人がいると思うと死ねない。でも死にたい。「死にたい」という言葉でしか自分の辛さを表現できない。
そして「このまま死ねばひとりぼっちじゃないまま死ねる」という言葉がこの世に存在することについて考え泣く。家に帰り,夫を心配させたことを知る。すまない。
○月○日 腹痛 腹がつる 眠気
○月○日 腹痛 背中 腰が痛む しかし時折。生理痛に似た痛み。旧姓使用について職場で揉めて疲弊する。また死にたくなる。
母から誕生日プレゼントが送られてきた。ありがたい。夫に愚痴って少し回復する。肉を食べる。
○月○日 旧姓使用について職場で渋られて最悪の気分 引き続き乳痛し
数日前久しぶりに固形のものを食べたため,腸の痛みなのか妊娠初期症状なのかいまいち判別がつかない。
早く寝たため終日わりと元気。ものが沢山食べられず,食べるとすぐ満腹になる。胃が変
○月○日 引き続き乳は痛い すぐおなかいっぱいになる
昼にタイカレーはぺろっと食べてしまったが,夕飯時に何か食べると気持ち悪くなるのは変わらず タイカレー以外しょうもないものしか食べられない
流産に関する記事ばかり読んで不安になる。夫に相談するが得に良い効果なし。嫌な気分になってしくしく泣く。
そうなったら責められるのは私なのだ。
買った小さな靴下や哺乳瓶、かわいい小さなおもちゃを処分するのも私なのだ。
流産したら自殺する事に決める。そうすれば流産した時のことを心配しなくて済む。
遺書を書いた。
○月○日 目が覚めたら多少まともな頭になってきたが,体全体がだるく熱っぽい。
腹はぼちぼち痛むが弱いもの。頭がふらふらして重い。大丈夫なのか?
○月○日 終日しんどいがいくらか家事をする 夫に風呂を沸かしてもらうが,ぜんぜんちゃんと風呂釜が洗えてない
姑か私は。
散々私をなじった姑は、息子に家事も教えなかったんだろうか
デカい息子のようで本当に世話が焼ける
○月○日 立っても座ってもつらい。電車もつらい 母に電話してすこしおちつく 互いの夫の悪口を言いあってすっきりした。
すっきりしたところで夫が帰ってくると罪悪感からかよい人に見えた。事実良い人なのだろう。
夫に尻をポリポリかかれてそのまま寝てしまった。カピバラと同じレベル。
○月○日 通勤つらい だるい 熱っぽい ここ最近ずっと黄色い鼻水が出る
なんとか仕事は進んだのでよしとする。早く帰りたい。貰ったぶどうがおいしかった。でも帰ってぶどうを吐いた
○月○日 妊娠出産は漫画にしようと決意 今日から先輩主催のラジオ体操休むことにした しんどい
○月○日 昨日の怒りのせいかあまりつわり感じず,収まったかと思いきや結局ゲロしそうになる。
頭が重い。しかしつわりが止まると途端に不安になるからこれはこれで安心。
ボスと女性社員にしか妊娠を告げてなかったので,そろそろ男性社員に妊娠を話す。元気なのでラジオ体操した。
○月○日 検診2回目 順調。 母子手帳をもらうこと、産院をはやく決めるようにと指導があった
○月○日 新しい仕事をベテラン上司に教えてもらうも途中で座っているにも関わらず貧血起こして座っていられなくなる。
動悸,眩暈,立ち眩み,ひどい吐気。しかしベテラン上司がまるで気づかないし,独身のオッサンには言い出しづらくて仕事は続行。
トイレと言って抜け出し,ゲロして少しマシになる。おそらく空腹のせい。こんな無理する必要ないのに,休みたいと言えない。
○月○日 このままでは電車通勤時に倒れてしまうと思い、実家へ帰る。
暖かく清潔な家で清潔な風呂に入りふかふかのふとんで寝る。
不潔な家に住み,訳の分からない料理を食べているであろう夫へ罪悪感を感じる。
○月○日 また吐く 実家からだと通勤が非常に楽になった。座れること、混んでいないことが本当にありがたい。
お腹が痛く、便秘気味 倦怠感はあいかわらず夕方風邪のような症状 絶対に風邪なんかひきたくない
咳やくしゃみしてる奴全員殺人未遂者に見える。私も風邪を押して仕事していた時にばら撒いた菌が誰かを殺したことがあるのかもしれない。業が深い。
近くを自転車や車がすれすれで通り過ぎたりするのも怖い
これでぶつかって流産したら…流産したら死ぬことに決めてたんだった。
自殺の方法を調べると、相談窓口がでてくる。無視して調べると睡眠薬と首吊がよさそうだ。
○月○日 今日も吐いた 最近よく吐く 過敏性腸症候群なのか、便秘なのに下痢のような腹痛がある。
お腹がつっぱるような痛み 倦怠感がつよく、夕方はへろへろになってしまう
夜は将来と夫のことが不安だったが、母に話を聞いてもらって楽になる
○月○日 気持ち悪い 最近は電車からおりるたびにすぐ駅のトイレでえづいたり吐いたりしている。
気持ち悪いがご飯は気持ち悪いなりに食べたほうがいいようだ。それでも立っててもすわっててもしんどい
○月○日 育休がとれないとの連絡がくる。想定内の出来事だったにも関わらず,世界中の悪意を背負い込んだようなダメージを受ける。
今まで他人に対して行って来た善行が全て無駄だったように感じてくる。
○月○日 朝から昨日の「育休とれないメール」のことがあたまからはなれない。
部屋でびーびー泣いて夫に電話する,夫は明るく励ましてくれたが、通話を終えると更にしんどくなる。
泣きつかれて夕方まで死んだように眠る。起きてまた泣く。どうしようもない。
母に少し憂鬱だと話し,考えすぎだと言われて多少楽になる。
育休は産休直後にとれないものの,育休取得可能日まで休職することにする。
それでもだめなら辞めればいい話だ。
○月○日 比較的元気に過ごす 10週に入ってつわりが少し楽になったか?
○月○日 連休最終日 朝元気 後に激しい腹痛と下痢 貧血 寒気がとまらない ひどい眠気
実家に夫が来たので将来の不安について語る 母の助言で多少楽になる
夫が地元の祭りに行こうというのでついていくも,具合がひどくてすぐに座りたくなる。
○月○日 疲労感 引き続き腹痛を伴った排便 朝吐いて,通勤中に買ったポカリも吐く
吐いて少し食べて,多少よくなる。しかし食べるとしばらくしておなかが痛くなって排便することになるので苦痛
○月○日 午後は早退して妊婦検診へ。11週。5cm。順調とのこと。
この日初めておなかの外から超音波を当てられた。何の説明もなかったので少し驚く。
職場から実家ではなく久しぶりに自宅へ帰るとひどい有様だった。実家がきれいな分余計つらい。
トイレットペーパーの芯がいくつも置いてある。居間は髪の毛と埃だらけで万年床が設置されていた。
怒りが頂点に達し,掃除する
まるで食欲はないけれど夫のために飯を作っておく。部屋の小物を片付け,シンクが汚いので磨く。
この時点でだいぶぐったり。多少マシになった部屋で休憩する。
ごはんを食べずに待っていると余計具合いが悪くなってきた。
お菓子をつまんだが,嘔吐。夫の帰りを諦めて先に食事をとるが,あまりおいしく感じない。
空腹の時間が長すぎたせいと,鼻炎のせいもある。なんとか胃に押し込んだ。
こたつでぐったりしていると8時に夫帰宅。家がきれいになっている事に喜ぶ夫。
家の不潔さに抗議するが,効果はない。彼は汚い部屋部屋への耐性が強い。
その後何度か吐いた。一日で計10回吐いた。
今までで一番吐いたかもしれない。
○月○日 土曜日 朝,夫を起こすも起きない。仕方なく先に食事をとる。
何を食べても美味しく感じない。起きた夫がしなびたトマトと豆腐のサラダを作ってくれた。
どんな顔をして食べればいいのかわからないが、感謝して食べる。気持ちが大事。
いつ変えたかわからないキッチンと洗面所のタオルを取り換えて洗濯機を回す。
夫に干させる。夫に掃除機をかけさせ,その後を床ぶきした。ほこりがひどい。
トイレの床も気になったので床を拭きに行き,そのまま便器も掃除した。吐きそうだ。
掃除の後,掃除したての便所で吐く。洗面所も掃除する。ひどい匂いだ。また吐いた。
風呂場からもひどいカビの匂いがする。日当たりが悪いせいで,おそらくこの賃貸は掃除してもしてもカビと縁は切れない。
次回徹底的に掃除することに決める。
今回は無理だ。
掃除すると多少マシになった。疲れて寝てしまう。夕方起きて,夫に買い物へ連れて行ってもらう。
しかし吐き気と倦怠感がひどい。すぐにでも吐けそうだ。トイレの消臭元とそのほか食材を買って帰る。帰り次第すぐ吐いた。晩御飯に煮込みうどんを作ってもらう。作り方がわからないというので教えた。
作るのが遅すぎて空腹でまた吐いてしまう。味付けのみ私がやった。あまりおいしいと感じない。
夫は喜んで山盛り食べた。将来の不安について話すと,今考えてもしょうがないと言われる。
正論である。正論だが,実際考えなければならない場面になっても結局私が解決しなければならないと思うと腹が立つ。
お皿は言わなくても洗ってくれた。
○月○日 日曜日 帰る気力がないので月曜まで自宅にいることにする。
今思えば土曜日に帰ればよかった。終日具合いが悪い。最悪の気分だ。
何を食べても気持ち悪さが治らず,便秘が再発して大腸が痛む 夫は友人と遊びに行った。
でも友人との出先でゲロ連発して座り込むのも悪くてできない。
みじめ。
吐く回数が多すぎるので,洗面器にゴミ袋をかぶせて居間に設置し,都度吐く。これならトイレに逐一行かなくて済む。
夜遅くに夫が帰宅する。頼んでいたアイスを買ってきてくれたが,起き上がって話を聞く気力もない。
何もしてやれない。夫が吐いたものを捨ててくれたようだ。優しい男だ。自分が情けない。
自分で自分の体調不良に疲れた。9月からもう2ヵ月ほど体調不良が続いている。
○月○日 最悪の体調。終日気持ち悪く,頭痛がひどい。なんとか仕事して実家へと帰る。
夫に家の掃除をまともにやるようにメールをする。あながち八つ当たりでもない。あの家は不潔すぎる。
以前私も不潔にしていたが,週末は必ず掃除していたのでなんとか大丈夫だったが今はそれがないのでひどい有様だ。
○月○日 昨日よりだいぶ良くなったものの相変わらず朝からゲロ。職場についてもゲロ。
自分にもしもお嫁さんがいたらしてほしいことと,今の自分にそんな体力はそもそもない事がせめぎ合って,結局無理して家事をしてしまったようだ。
ろくなことがない。
○月○日 体が重すぎる 午前中丸々休み、明日以降通勤緩和で出勤時間を遅れさせてもらうことにした。
午前中は比較的よかった。通勤中吐き気と倦怠感がひどいが、CCレモンでドーピングする。
職場へ行くと別の部署のおじさんがハイビスカスをくれた。素直に嬉しい。おばちゃんがカレー缶をくれる。人の親切が染みる。
でも七回ほど吐く。最近食べてもつわりがよくならない。おにぎりをたべると多少マシになる。
しかしあまり美味しくは感じない。つわりが収まっている一時的な元気を使ってマフラーを買う。
土曜日の散髪を決める。元気だったら行きたい。さすがに美容室でゲロしたくない。
○月○日 今日から通勤緩和 ゆっくり行けるのは精神的にも楽だ。実家にはすっかり甘え通しである。
なぜ夫には感謝する気が起きないのかわからない。たぶんこのつわりの半分は夫のせいなので、
何をしてもマイナスがゼロに近づくだけだからだろう。私は夫に期待しすぎている。彼には酷かもしれない。
事務の人に,調べもののお礼を言うと案外体調を心配してくれた。依然に感じた孤独感とか疎外感とか,
感じてた悪意とかがほぼ勘違いだったことに気づく。でも育休ぐらいそのまま採らせろよ。4年は働いてるハズだろ
○月○日 朝は元気 でも食後2時間で具合いが悪くなるのは変わらない。
昨日今日と,昼休みに少し眠れるのがありがたい。先輩のおばちゃんが出張でいないためである。
先輩おばちゃんは寝ている私を「大丈夫?」という声のもと起こすので,無理やり覚醒して低血圧で具合が最悪になる。
おばちゃんがいないとこんなにも楽だったのかと,初めて今までだいぶ気を使っていたことに気づく。
少しゲロの回数が減った気がする。しかし今度はおなかが痛い。明日のおでかけまでにはまた便秘になってほしい。
○月○日 池袋で散髪する 散髪中下痢もゲロしなくて本当によかった さっぱりした 切ってくれたお姉さんが世間話で普通に3.11の話出してきたけど,あの地震と津波で身近な人を亡くしたり,危険な目にあったPTSDの人もいるので安易に話題にしない方がいいのではないかと思ったが黙っておいた。他人に変化を望むのはあまり得意ではない。つまり冷淡だということだ。
○月○日 金曜日 職場から自宅に帰る 前と違って無理に夫と一緒に食事をとるのをやめて,先に食べることにするとだいぶつわりが改善された。以前より夫も色々と家事をしてくれているようで嬉しい。でも日曜日に帰る。
○月○日 新しい派遣の人が来るらしい。私の母親ほどの年齢の新人だ。もう既に気が重い。
○月○日 わりと元気。朝はだいたい元気。問題は魔の10時と夕方。いつもゲロ吐きたくなる時間だ。
吐けばまだ楽。職場ではまさかの大掃除。けっこうきつい。無理するんじゃなかった。
定時になってもへとへとで家に帰る気力がない。一時間ほどデスクで休んでやっと帰る決心がつく。
しかし気持ち悪い。駅につくなりゲロ,歩いて帰れそうにないのでついにタクシーに乗る。
タクシーで吐きそうになり,家についてもゲロ。 またゲロ生活に戻ってしまうのか。
○月○日 朝から体調不良 ずっと寝ていたい 目は覚めたものの起き上がれない
えずくが何も出ない。珍しい。いつもは吐く。 昨日の大掃除のダメージがきつい。
あまり食欲がない。けど食べなければならない。昨日の仕事。ミスしてたことに気づく。
エジプトで捕まったことのある先輩に相談しなんとかレスキューする処理をした。うまくいっていることを祈る。
朝食べたはずなのに気持ち悪い。10時に間食がとれなかったせいだ。
あわててバナナを食べるも,食べながら気持ち悪くてオエっとなる。
無理やり飲み込んだが,吐気は収まらない。表情が虚ろすぎて先輩に心配されてしまう。
普段はどんなにゲロ吐いても元気はつらつなふりして仕事してるけど今回ばかりは無理。
適当に休んですぐ作業再開。 昼ごはんを食べたら少しマシになる。しかし気力がない。
誰もやらないので明日来る派遣社員のために掃除しておいてあげる。私っていいやつだな…
○月○日 寝坊したのでリンゴとヨーグルトしか食べられなかった。仕方なく駅で飲み物とカロリーメイトを食べるが時すでに遅し
駅から職場に向かう途中で吐く しかし吐いたものを出すところもない 仕方なく呑み込んだ。
本格的に吐いたゲロを飲んだのは初めてかもしれない。若いと色々初めてのことがあるものだ。
折角掃除しておいたのに派遣の人は来なかった。上司の連絡ミスである。よくあること。
エジプトで捕まった先輩に「つわりがあともう少しで完全に終わりそうだ」と話すと、「楽でよかったね」と言われる。
楽で良かった
楽で良かった…
ゲロ吐きまくってついには吐いたゲロ飲み込んだ女に向かって言うにはピッタリな言葉ですね。
この男に妊婦への気遣いなんて求めたところで,人間に対して「肉眼で紫外線を察知しろ」と言うようなもの。
この程度の発言驚くに値しない。
若くて明るいお姉さんが来てくれると,たとえ日本語が通じなくても嬉しいものだった。
けっこう会話できたのがうれしかった。さみしい。
みんな子供の名前候補を滅茶苦茶に挙げてくる。応援がうれしい。
○月○日 新しい派遣社員の柔軟剤の匂いがきつい。吐きそうだ。席替えしたい。
彼女は見た目が…ディズニーの王様の剣の…マダムミムという魔女に似ている。
夕方くたくたで、帰る気力が出ない。
就業後帰るまですこしデスクで休んだ何がつらいって,私の具合が悪いことを職場では誰も知らないということだ。
でも具合が悪い時毎回申告してたら朝から晩まで具合が悪いといっていることになる。
ゲロ吐くたびにさっきゲロしましたと申告するわけにもいかない。弱音を吐いて何になる?
私だけつらいわけじゃない。みんな疲れている。
しかしながらどんなに平気そうにしていても,唯一ボスは声をかけてくれる。あの人は本当にいい人だ。
そういう時は私もボスの体調を聞くことにしている。そして大抵,お互い具合が悪いことを確認し合う。
○月○日 多少倦怠感が薄れただけで無理して夕方になると風邪のような症状
月曜から少しずつ体力を消耗していき、金曜で体力ゼロになってしまう生活
しかし妊娠初期からずっっっっと悩まれていた謎の黄色い鼻水が止まって何よりだ。
つづく
https://anond.hatelabo.jp/20220814165038 ←groupA
groupAの結果を俺なりに咀嚼したんだが、やはり望月聖の大躍進は読めなかったなぁという感想がでかい。傾向として、各グループ一人ぐらいはtop5にボイスが食い込んでくるんじゃない、という気もするのだが、信じきれず守りに寄った予想になってしまった。あまり大波乱の予感がしないグループで、誰が予想しても守りに寄るんじゃないの、という気はしている
Top5:一ノ瀬志希、佐藤心、鷺沢文香、橘ありす、五十嵐響子
Top15:諸星きらり、白菊ほたる、藤原肇、池袋晶葉、ライラ、浅利七海、鷹富士茄子、堀裕子、渋谷凛、相葉夕美
なんつーか美城のおばさんみたいな傾向になってしまった。
【追記】TOP5で3/5、Top15で12/15。ライラさんおめでとう!
数としてはまあまあだけど、なんか傾向を読み違えてる感もある。
日付 | 題名(トラバの場合は先頭行) | アーカイブ | 備考 |
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2022-04-23 | 可愛い女ってブスが多すぎ | ttps://archive.ph/6i9f9 | 初出 |
2022-05-01 | 今日もやばい女ばかり | ttps://archive.ph/4E16K | |
2022-05-04 | 女ってやばいな | ttps://archive.ph/mPuaw | |
2022-05-10 | 今日やばすぎる女がいた | ttps://archive.ph/aKKUb | |
2022-05-15 | いまやべえ女いたぞ | ttps://archive.ph/tPoa1 | |
2022-05-30 | すげえやべー女がいたぞ | ttps://archive.ph/vBY73 | 横浜 |
2022-05-31 | なんだこのやっべえ女 | ttps://archive.ph/JaAg4 | 新宿 |
2022-06-03 | うぜー女発見したわ | ttps://archive.ph/tXRYE | 池袋 |
2022-06-15 | 女のせいで気分悪くなった | ttps://archive.ph/hS8Ij | 銀座 |
2022-06-18 | やっぱ女って最悪だ | ttps://archive.ph/dZsgN | 墨田区 |
2022-06-24 | 今すげえヤバい女2人組がいた | ttps://archive.ph/GKLIe | 葛飾区 |
2022-06-26 | イライラする女がいた | ttps://archive.ph/4JYYb | 上野 |
2022-06-29 | 外道な女がいた | ttps://archive.ph/LmCCZ | 足立区 |
2022-06-29 | 誰だよオットセイ増田って? | ttps://archive.ph/SWdi6 | |
2022-07-10 | 女にバカにされてムカつく | ttps://archive.ph/Hac67 | 板橋区 |
2022-07-17 | 三連休の二日目の女がクソビッチだった | ttps://archive.ph/EO9CO | 栄(名古屋) |
2022-07-23 | 失礼な女と出会った | ttps://archive.ph/Us4Nd | 浦安 |
2022-07-31 | は?俺を無視してんのは女だろ | ttps://archive.ph/qjnFi | |
2022-07-31 | お前この間も俺のことをオットセイとか言いやがったクソだな | ttps://archive.ph/fz2t0 | |
2022-08-10 | エスカレーターの女がやばすぎた | ttps://archive.ph/gFG58 | 横浜 |
2022-08-17 | せっかく声をかけてやっても無視するクソ女が多いからだろ | ttps://archive.ph/tVzaN | |
2022-08-25 | とんでもない女がいた | ttps://archive.ph/o0ZbG | 世田谷 |
2022-09-04 | 最悪な女がいたぞ | ttps://archive.ph/soHGG | 栄(名古屋) |
2022-09-10 | ムカつく女がいた | ttps://archive.ph/fENyx | 江東区 |
いつかロバートの秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。
池袋の夜は華やかはあれど、昭和の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気。
バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
新宿の歌舞伎町が、かつて持っていた日本一のネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは池袋西口なのだろうか。
父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
この街は変わらないと。
目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。
東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である。
今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。
あぁ、大学一回生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。
それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガンのトムクルーズよりもカッコよく見える。
父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。
池袋駅西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。
お前が成人してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」
その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。
そんな私がなぜだか悔しかった。
コロナのこの時期に、池袋のセクキャバとガールズバーにいった。
嬢から会うなり「体調悪い〜」と早速の苦言。
ポケットの財布が当たって痛いと、苦言。
その後、3回転したが、塩対応ばかり。
3人が順繰りにきたが、特に3人目の女の子は見るからな整形顔。
増田を見るなり、表情が無表情となっている。
とにかく、自分は若い頃はもう少し女の子もキャピキャピと話しかけてきたと思う。
今では、本当に単なる汚いおっさんになった、だいぶ禿げたし。
もしかしたら、コロナでまともな女の子はみんなやめて、残ってるのはどうしようもない女の子ばかりになった説とかで必死に自分を慰めた。
だが、そうかあ。汚いおっさんにまで落ちてしまうと、こういうお金で女の子を買うことも成立しなくなるのか。
厳しい。