はてなキーワード: 時代考証とは
個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛な愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞が聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。
ちなみに主人公の独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです」。……バレましたか。
自分が日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫の小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。
この作品は、太陽の表面に異星からの物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的に自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。
ちなみに日本のSF作家をより広く読むようになったのは大森望と日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝。
三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公。結婚の約束をした女性からは婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い。
ところでトルコという国は、女性がスカーフを被るかどうかだけで政治的な立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。
映画オタクのゲイと政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話劇であると同時に、ゲイがお気に入りの映画を語るときの調子は推しについて語る幸せなオタクそのものである。安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。
大学時代、年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタのメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。
彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガンの絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代の小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。
就職のために架空の宗教団体によるテロをでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間とクレーマーとおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康の作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチも基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチのギャグが結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。
ムーミンシリーズ以外のヤンソンの文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。
児童文学や短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的な人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。
全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニール・ヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有の僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。
嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽな存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生の航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。
これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位も財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこらの悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。
猥褻だということで昭和時代に裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。
性表現は露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかなヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。
最強のファーストコンタクトもののひとつで、ネタバレするとオチは「意識やクオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論。人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。
基本的な構造は「宇宙のランデブー」の変奏で、未知のエイリアンの遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患を一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学の知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配。
それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿の遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼やゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?
以上。
実写畑の人が脚本だったが、エアレースやラストの展開など、アニメならではのことをしたいという気持ちは伝わってきた
それはさておきこの作品の最大の問題点はせっかくのオリジナルなのにネトフリ先行配信という点である
オリアニは先の展開が分からないのが利点でありそこで話題性を獲得しなければならないのに、caseごとに先行配信していたらそれが全て潰れてしまう
ネトフリで見てもらいたいなら地上波先行で話題にして後追い組をネトフリに入らせたほうがいいのでは
男が体操するMAPPAのオリアニということで体操をテーマにしたユーリ的な腐女子向けアニメに思えるが、実は腐女子向け要素は全くと言っていいほどない
そしてメインテーマはおそらく親子愛であり、体操要素は1話時点の期待よりも少なめ
体操選手の内村航平を宣伝に使用してるのを見て体操アニメを期待するとおそらく違うものが出てくることになる
体操シーン自体は3Dを活用して気合が入っていたし、出来も悪くなかった
また、キービジュアルにいる男3人がOPを歌っているあたりこの3人をメインに女性向けとして売り出したかったのだろうが、このうち1人はメインキャラとは言い難い存在である
とにかく内容と売り出し方にズレを感じ、このズレがなければもう少し話題になったのではないかと思う
売り出し方を抜きにすれば中身はしっかり面白く、11話で綺麗にまとめた優等生アニメ
キティチャンはぽっと出なのに全く嫌な感じがせず華麗に帰国していった良いキャラだった
テーマといい全11話といい妙にノイタミナっぽかったがテレ朝のNUMAnimationという枠である
イエスタデイをうたって→エヴァ再放送→体操ザムライと、ノイタミナ的な比較的一般向けの枠を目指したいのかと思っていたが、その次がワートリ2期で早速方向性がブレている気がする
やってることは最悪だったが最後に平然と拠点に来てヘスティアに蹴られたのですっきりした
作画は手を抜くところは抜いてアステリオス戦など要所でしっかり気合を入れていて良かった
2話のモブラップが良かったのにそれ以降は一切なくて残念だったがそれ以外はとても面白かった、ギャグとして
横浜は海しかないのか?というぐらい横浜のシーンで海しか出なかった気がする
ハマではヤクの取引が盛んということを学んだ
最終回は良い感じに一件落着したところで切るのかと思ったら普通に次回もありそうな感じで終わったのでぜひ2期をやってほしい
無料分だけ原作を読んだが結構トリック部分を改変していて驚いた、改めて時代考証でもしたのだろうか
室田絵じゃないのは個人的にはすっきりして今時な絵柄になり良かったと思う
無印1期の時点ですでに課題だったが、1クールで9人を描ききるのは若干無理がある
その点を除けばかわいくアイドルしてそれぞれにライブシーンがあって歩夢と侑の関係しっかり解決させてとても面白かった
例の11話はもちろんそれ以外の回も贅沢な画面の使い方が目立ったように感じる
ラブライブやアイドルアニメに興味がなくても11話は見て損はないと思う
本放送時に見ていてとても面白かった記憶があったが内容を全然覚えていなかったので再放送を見た
やっぱり面白かった
見覚えのないキャラが出てきて、たとえ面白いアニメでも7年で人の記憶はこんなにも失われてしまうのかと恐怖を感じた
呪術は想像以上に女性に人気が出て円盤もかなり売れていて驚いた
鬼滅とは方向性が違うのでポスト鬼滅にはならないだろうがどんなアニメでも話題になるのは嬉しい
ひぐらしは見たことがなかったので見ていたがどうやら原作と違う展開で原作を知らないと完全には楽しめないらしい
最初のアニメ化がされた2006年にはまだ生まれていなかったりアニメオタクではなかったアニメオタクもたくさんいると思うので普通に原作通りにやってほしかった
でも原作ファンとしては新作を見たいだろうし難しいところである
冬アニメはまだどれも見ていないが竹輪とかエクスアームとか気になる話は色々ある
WAVEは新作オリアニかと思ったら実は去年映画を3本上映していてテレビはそれの完全版らしい
グレプリは各キャラをしっかり掘り下げして詐欺もひねりがきいており2クール楽しめたが、それでも1詐欺5話、最終caseに9話というのは週1で放送するアニメとしては長く感じた
削ると掘り下げが浅くなるし配信一気見ならそこまで気にならないかもしれないので、ネトフリアニメならこれが正解?
どう考えても19世紀ロンドンを舞台にしたモリアーティが主人公のアニメのEDの曲ではない
陽気な曲に反して映像が意外と物騒なところは好き
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。
Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画。
度重なる賛否両論・罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter的現象と言って良いだろう。
ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。
(いや、Twitterの利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)
あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。
さて、この記事で問いたいのは以下だ。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
彼らからの返答はだいたいこうだろう。
上記の発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。
まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。
では言葉を置き換えてみよう。
※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。
なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題だからである。
国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色い帽子にランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。
まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。
※欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドールは販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。
下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。
「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」
「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」
FPSをプレイして楽しむのも、犬猫のぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。
問題なのは「まるで犯罪行為の入り口・捌け口としてそれらの合法行為に勧誘していること」なのだ。
先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人の言葉だとするなら、彼らは
・銃で人を撃ち殺したこともない
・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない
そしてあのアカウントは
さて、本題に戻ろう。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」
「本当に銃を持つわけないだろう」
その言葉は内輪以外には通じない。
まるで犯罪行為の入り口・捌け口のように少年ラブドールの体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?
「Twitterはレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である」
これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである。
かのアカウントは非常に直接的に言葉で児童の恐怖をあおり、子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。
ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。
実に直接的に、かのアカウントは
「まるで少年ラブドールを犯罪行為の入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」
のである。
たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。
「ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」
だが、男性同性愛者当事者は往々にしてホモを侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。
なぜその言葉を使い続ける?
この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?
「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉はごまんとああるのに」
繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。
我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。
とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナーな性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。
最後にもう一度。
神字書きになりたい。
私はあるジャンルに最近ハマり、ABというカップリングで二次創作小説を書き始めた。
原作が世に出て日が浅いというのもあり、当初はpixivの作品数も少なかった。
書かずにいられない衝動と、作品数を増やしたい欲求から、私はAB小説を書き続けた。
そして一か月も経つと、ほぼ毎日のようにABのイラストや漫画や小説がTLに流れてくるようになった。pixivの作品数も1桁台だったのが50以上に達している。
AB好きとしては嬉しい状況だ。
ABを書きたいという衝動は常にあるため、相変わらず私は頻繁に新作を書いては公開していた。しかし、キャラクターをしっかり描いている上に時代考証や構成もすばらしい数万字の長編がアップされていたりすると、自分の書いた浅くていい加減で大して文章も上手くない5000字程度の短編がみすぼらしく見えてくる。
見えてくる、ではない。みすぼらしいのだ。
書かずにはいられないし、書いたら誰かに読んでもらいたい。だからpixivやTwitterにアップする。
そして神がアップした作品を読んでは惨めな気持ちになるのだ。私はどう足掻いても、ABをこんなに素晴らしく描くことはできない。彼らの魅力を伝え切れない。
「枯れ木も山の賑わい」と自分に言い聞かせて書き続けてきたが、私の書くものなんてあってもなくても大して変わらないのではないか、という考えに囚われ始めると、泣きたくなってくる。
神の小説を読んで、私もこんな風になりたかったな、と思ってしまう自分に気付くと自己嫌悪が加速した。
神だってそれなりの努力をして、その領域に達しているはずなのだ。何もせずにただ毎日いい加減なものを書き散らしているくせに、能力だけを欲しがろうと言うのか。
そう考えた私は、AとBへの理解を深めるべく資料となる本を読み込んだり、二次創作小説の舞台として設定した場所について時間をかけて調べたりして、自分なりに努力をした。プロットも、以前より細かく作るようになった。
しかし、それでも私が生み出せるのは毒にも薬にもならない短編だけで、神は日々素晴らしい作品を生み出し続けている。
そうして自己嫌悪を募らせていたある日、私の書いた小説におけるキャラクター解釈を「彼らの感情や人間性を蔑ろにしている」と嫌悪していた人が、神の作品に救われているのを見た。こうなってしまうと、枯れ木も山の賑わいどころか、私の存在は害なのではないか。
小説を書くのも好きだ。自分で書くものも(恐らく「自分が書いたもの」というバイアスがかかっているのだろうが)それなりに気に入っている。
それだけで満足すべきなのだと、頭ではわかっている。わかっているのに、私は私の書いたものを嫌悪する人の言葉に囚われ、神と自分を比較して勝手に傷ついている。
神は私の書くものが好きだと言ってくれる。
私はそれをどうしても信じられない。
素直に受け入れて喜べばいいのに、あんな素晴らしい文章を書く人がこんなものを読んで面白いわけがない、いつも私が感想を送るから気を遣わせているんだとかえって惨めさが増すばかりだった。完全な独り相撲である。
毎日とても辛い。いっそ小説を書くのなんか止めてしまって、読む側に回れば楽になるんだろうと思う。でも私はまだ書きたいのだ。小説を書くという行為を通して、AとBの関係性の美しさ、二人の愛の尊さに触れていたい。
そうした欲求よりも辛さが上回ったときに、私はようやくこの苦しみから解放されるのだと思う。それまでは耐えるしかない。
そうなる前に割り切れたらいいのに、とも思う。
また教えてください。
☆今週読んだもの
推理小説を趣味で書くお父さんがその知識を総動員し、娘のために裏組織と戦う話。
今まで読んだミステリ?漫画中でもダントツに面白い。息もつかせぬスピード感と展開。読み終わるまで眠れない。
お父さんがすごすぎて悪漢がかわいそうになるレベル。絵が細密でうまいしキャラの性格に沿った描き分けがいい。
この作の方、推理小説とか書いてないのかな。最新刊読んだら検索してみる。面白い。
【異世界失格】
ハーレムというとそんな都合いい女いるかという気分になるが転生者が太宰治というだけで納得いく。
いやこんな女いるなー。私が間違ってた。絵は綺麗。内容はちょっと薄め。あんまり濃くできない理由はわかる。
同時期に太宰治が転生してると聞き検索して見たけど多分なろう連載小説かな?
こちらは文体から凝ってて読み応えありそう。一緒に読むと2度おいしくていいと思う。
書籍化は川端康成サイドとの折衝にかかってると思うけど難しそうな気はする。
【応天の門】
まだ学生の菅原道真と在原業平が今日の都で起こる問題を解決する推理もの。
大河ドラマの時代考証やってるプロがついてるらしく、挟まれる講釈がためになって面白い。
漫画としての面白さよりなんかこう、知的好奇心で読むと良さそう。エンタメとしては薄味?
絵はざっくりした感じで好みは分かれそう。
幼馴染が都会にでて歌手になるのに利用され、貢いで尽くした挙句捨てられた少女が自分もアイドルになって見返そうとする話。
エキセントリックで体当たりなヒロインが自力で成り上がる姿が清々しい(?)
この作者さん、全作通して普通の王子様を待つ少女漫画なぞ描かないわよ、という気概があって、あんま少女漫画好きじゃなくても楽しく読めてたんだけど、最近はちょっとヒロイン上げが鼻につくような。典型的はわわヒロインになってる気がする。
でも夢小説が大流行だからそういうヒロインの方が世間受けはいいのかもしれない。仕方ない時代の流れ。
【ゴールデンカムイ】
あらすじ書くまでもない人気漫画。
最新刊読んだ。杉本かっこいい。妙に乙女なおっさんなだけではないところをたまには見せてくれる。
敵味方入り乱れすぎて似たような顔のキャラはどこ陣営なのかよくわからんくなってきた。
【ファブル】
なにわ友あれの作者の漫画。前回タイトル間違えててすいません。
殺し屋ファブルがボスの命令で一時休業し、一般社会で一般人として暮らそうとする話。
正体を隠したファブルが悪漢に囚われた美女を救う話で、こういう話を嫌いな人間がいるだろうか、いやいない。
相棒の小悪魔美女が暇つぶしにヤリチン男をうんちに沈める回も楽しい。