はてなキーワード: お下がりとは
北の増田家(一)が謀略によってあっさり滅亡したことで増田家(四)は周囲から孤立した。
さいわい増田家(八)が増田家(五)との戦いに集中していることは、いろいろな情報源から明らかになっている。
控えめにみつもっても二倍の国力差を埋めるべく、増田家は用意周到に戦いの準備を整えた。
増田家(三)も戦の準備を着々と整え、戦う前に勝負は決まっている状態を作って南下をはじめた。
なお、増田家(五)を増田家(八)と折半する戦略は、増田家(五)が好意的な態度を示していたことから否決された。
増田家(四)を併合して増田家(三)が圧倒的な存在になれば、増田家(五)は戦うまでもなく屈するはずだった。
せいぜい、敵に滅ぼされない程度に耐えてくれていればよい。
総兵力六万を号する増田軍は自慢の鯖街道を伝って一路、南進。国境を越えた増河のほとりで、
「背水の陣か……」
敵軍は増河が馬蹄形に屈曲した部分の内側に立てこもっており、カーブする上流と下流が約1kmまで最接近した部分に戦列を連ねていた。
側面からの攻撃は難しく、まずは正面から攻撃するしかない。その点では利に適っている。
だが、すいすい背水の陣は危険な戦法だ。兵は死力を尽くして戦うかもしれないが、負ければ河に退路を塞がれて壊滅は免れない。
この一戦に負ければ後がないとの増田家(四)の覚悟が伝わってくる。
当主は足止め部隊を残して敵軍を無視して先に進む妄想をもてあそんだが、
ここは海岸へ向かう重要な渡河点の近くであり、足止め部隊が負ければ、背水の陣になるのは自分たちの方だ。
敵がゲリラ戦に走らず、雁首そろえて出てきてくれたことを幸いとして、叩き潰すにしくはない。
増田軍六万は敵軍の前に堂々と展開した。
右翼には裏切りによって味方についた旧増田家(二)一門を中核とする増田勢、
中央にはもっとも頼りになる譜代勢、そして左翼には本領の国人衆と北の傭兵軍団。
前衛には降伏直後で信用されていない旧増田(一)勢が配置された。
秘蔵のカラトラヴァ騎士団は全軍の後方に配置され、名にしおう増田騎馬軍団の出現と、両翼部隊の万が一の裏切りに備えている。
それも旧増田(一)勢を使いつぶしにして波状攻撃をしかけることで最終的には数の優位を活かせる算段だ。
増田家(士)が増田家(十)攻めに使ったのと同類の戦法である。
一方、増田軍は二倍以上の敵を前にして多くの兵士が脱糞を済ませていた。
おかげで、はらわたを刃物にえぐられても感染症で死ぬ可能性が低下した。大量のうんこも背水に排水できた。
増河は赤く染まる前に茶色く染まった。
下っ端には到底勝てると思えない状況なのだが、当主は泰然自若としていた。
それがブラフなのか、本当に秘策があるのかは、火蓋を切るまでわからない。
戦いを先にしかけたのは劣勢の増田軍であった。すべての敵を視界におさめておきたい事情は彼らも同じだった。
激しく銅鑼をうちならし、一部の兵が増田軍前衛に突っ込んでくる。
昨日までの敵にむりやり戦わされている前衛部隊はそれでも勇敢な兵士たちであり、敵の攻撃を真っ向から受け止めた。
しばしもみ合い両者が離れた時には、大地は両軍の血で汚されていた。
「追えーっ!」
前衛部隊から誰かの声があがり先制攻撃をしかけて来た敵を追う。釣られて六万にのぼる増田軍全体が動き出した。
迎え撃つは増田軍の歩兵戦列。堅固に隊列をくみ、長柄の先をそろえた彼らは肝を据えて、馬蹄形陣地の栓になった。
増田軍の第一波はおしかえされ、前衛の指揮官は冷や汗を流しながら、まずは弓と投石で敵を崩そうとする。
飛道具で狙われた長柄兵は置き楯の後ろに隠れ、増田軍(四)の弓兵が応射する。
味方の支援の下に増田軍前衛が突撃すると、矢の雨が止んだ一瞬をついて、長柄兵が再配置され敵を押し返す。
その繰り返しは増田家(三)当主を苛立たせたが、確実に敵の体力を削っていった。
「両翼からも弓兵を寄騎にまわしてやれ!」
噂の手銃がたくさんあれば……と当主は唇を噛んだ。
いよいよ損耗が深刻になってきた増田軍の第一線は大量の矢を浴びながらやっと後退する。
だが、後退は交代であり、すぐ後ろには第二線の歩兵が穂先を連ねていた。
しかも、第一線と二線の間には浅い溝が掘られていて、いきおいをえて突撃した増田軍前衛は転んだところを刺されて大損害を被った。
「下がらせよ」
不機嫌そうに当主は言い捨て、こちらも前線にたつ部隊を変更させる。
両翼と中央から抽出させた精鋭部隊だ。さらに両翼の部隊には一部に増河をわたらせて敵の側面や背後に出るように命じた。
直接攻撃するにはもう一度、河を渡らなければならないので実害を与えるのは難しいが、心理的に与える影響は大きい。
もっとも増田軍は敵の迂回を歓迎していないらしく、渡河部隊は岸にたどり着く直前に伏兵の攻撃を受けた。
増田軍の中から悲鳴があがる。川岸に展開した増田軍の騎兵は水中で身動きの取りにくい敵を、馬上から次々としとめて行った。
同じ騎兵が相手をしようとしても武具が水を吸っていて分が悪い。何よりも渡河中で相互支援ができなかった。
おかげで両翼での戦いも思うようには進展しない。
「ワタシたちが出ましょうか?」
カラトラヴァ騎士団グランドマスダー、アトビーノは増田騎馬軍団の出現を受けて、当主に進言した。
「……しばし待て」
増田騎馬軍団に河を渡ってくる力がなく、迎撃に専念するなら、突破力のあるカラトラヴァ騎士団は中央での決め手として使いたい。
両翼にはせいぜい騎馬軍団を引きつけてもらおう。
増田家の当主はそんな判断で両翼の渡河作戦を続行させたのだけど、それをみた増田家の当主はわずかな焦りをみせた。
「やむをえぬ……我が自ら出るぞ。馬廻衆は続けぇ!!」
彼は第二線の直後まで本陣を進めて、盛んに督戦した。
「大将首だ!」
「ヒャッハー!!」
著名なションベンタレ(魚類、別名タカノハダイ)の前立てを目撃した増田兵が戦場の中央に殺到する。
その先から屈強な怖いお兄さんたちに追い散らされても次々と新手が押し寄せてくる。
血と泥と汗の渦、その中心に増田がいた。先に脱糞していなければ、脱糞していたかもしれない。
激闘は数刻の長さに感じられたが、実際には太陽はほとんど動いていなかった。
「御館様!これ以上は!!」
敵を刺して折れた槍を捨て、太刀を抜いて馬廻りが叫んだ。
同士討ちの危険を無視して弓矢が当主の近くまでびゅんびゅん飛んでくる。
「おのれ!ここまでか!?」
増田軍は第三線への切り替えをめざし、二度目の後退をはじめた。
「もらった!つっこめぇーーッ!!」
敵が下がるのを知った増田家当主は中央の譜代衆に命令をくだした。
最大の手柄は自分たちが収める。複数の地域を支配する家ならではの狡猾さが現れていた。
下がる増田軍は一気に圧力を増やされ、今度は思ったところで踏みとどまれなかった。
後ろは河なのにずるずると下がり続けてしまう。それをみて、敵は嵩にかかって攻め立ててくる。
もはや増田軍は風前の灯火。ついに殿をつづける当主を見捨てて、武具も脱ぎ捨て河を泳ぎ渡る兵士が出没しはじめた。
忠誠心の期待できない増田家(六)出身兵の行動だったが、動揺は増田軍全体に広がっていく。
「もうだめだぁ」
「お助けを」
武器を捨てるもの、敵の慈悲にすがるもの、戦意を失ったものがパラパラと現れる。
「御館様、ここはお下がりください」
「敵の勢いが激しすぎます」
「ここで生きながらえて意味があろうか。死中に活を得ん!」
最前線に躍り出て、鞘を抜き放つと、太刀を陽の光にかざして叫ぶ。
鎮北将軍といえば、かつて増田家(六)の血筋が東北の支配に任じられた極めて高位の官職であり、
増田家(六)の血筋を奪ったことで無理矢理名乗っているのであろうが、当主にとっては非常に不快である。
「あの僭称者の希望通りにせよ!首をとった者には一城、いや一国を授けるぞ!」
「「おおっ!!」」
目前に高価な肉をぶら下げられて六万人が一人の殺害に心を合わせた。
まさに殺到が起こり、圧死者が敵味方に発生する。もはや人の津波である。汗の蒸気が霧になり、戦場を覆った。
ちなみに戦場の喧噪の中で鎮北将軍は、ちんぽこ将軍と聞こえた。
もはや六万人の大半が馬蹄型の内部に入り込み、隊列の入れ替えも難しい状況だった。
目端の利く指揮官は川沿いを走らせることで、敵の側面攻撃を狙った。
太鼓の乱打音を受けて対岸に配置されていた増田軍(四)投石機部隊が偽装を撤去、全力射撃を始めたのだ。
「せーの!」
数十人が力をあわせて綱を引き下げると、腕木が旋回し、反対側にくくられた飛礫が高速で飛翔していく。
敵だらけなので狙いを付ける必要もない。ただ発射速度を優先して撃ちまくる。
綱を引くだけなら戦闘訓練なしの人材でも行える点も便利だった。
増田軍は決戦のために領内の投石機をかき集めていた。新造もおこない三十メートルに一基の密度で砲台を築いている。
さらに吊り井楼まで投入され、一挙に高所にあがった精鋭弓兵が対岸の的を射まくった。
増田兵が吹き飛び、苦悶の声をあげて倒れ、死体が折り重なっていく。射撃から逃れる遮蔽物といえば、その死体しかない。
増河屈曲部は地獄絵図と化した。
増田家(三)の当主は絶句する。ただ配置するだけではなく、偽装も完璧とは信じられない。
最近の設置であれば動きを察知できたはずだ。自分たちの進撃路は完全に読まれていたと言うのか。
「やつは海から一日行程以上離れない。そして、ここの先には有名な漁港がある……」
賭けに勝った増田家(四)当主はひとりごちた。長年にわたる地道な諜報活動のたまものであった。
東北で勝ち抜いたのが、以前から国境を接している増田家であることが幸いした。
他の二家であれば、ここまでの情報は集められなかったはずだ。
射程三百メートルを超える投石機の猛射撃によって増田軍はやむなく馬蹄型空間の中心に集められていった。
当初はひとりあたり六平方メートルあった空間が一平方メートルになってしまい、
武具や馬の存在を考えれば満足に体の向きを変えることさえできない。
本陣だけは馬廻りのスクラムで空間が確保されていたが、押しつぶされるのも時間の問題に思われた。
「ワレラが退路を切り開きもうす」
「よし、いけ!」
カラトラヴァ騎士団は蝟集する味方を吹き飛ばして後方へ走った。
だが、そこには敵の視界外から長駆して進出してきた騎馬軍団が展開を終えていた。
本当の増田騎馬軍団だ。両翼に伏せていたのは増田軍(四)の騎兵にすぎない。内通者によって、その誤認は導かれていた。
彼らは重騎兵との正面衝突をさけ、騎射でもっぱら馬を狙った。
「卑怯者ガ!!」
増田典厩は騎士の主張を鼻で笑う。彼らは戦場からの脱出を試みる敵をことごとく網に掛けていった。
そうこうしている間にも増田軍本隊は末期状態に陥っており、三国の出身者が混在しているせいで同士討ちさえ起こっていた。
「まて、拙者は増田軍だ」
「どの増田軍だ」
「味方だ」
「俺がどの軍か分かるのか」
「増田軍だ!」
もはやグダグダである。一部の兵士にいたっては自分の空間を確保するためにあえて味方を殺傷していた。
「降れ!降れ!」
「勝負はもう着いた」
もっともな勧告が正面から聞こえてきて、傷つき疲れ果て恐怖のあまり脱糞した増田軍はついに武器を放棄した。劇的な逆転であった。
カラトラヴァ騎士団のみが何とか組織を維持して戦場を離脱する。
増田家(三)の当主は三国の太守から一転、毎年サバ一年分の捨て扶持を与えられる身になった。
「おのれ!我が青ザリガニを大事に育てていることがバレるとは!!」
……そんなことは誰も知らなかった。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160611095343
次回
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
*
同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
*
それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
*
受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
*
高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
*
思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
*
その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
*
今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
それでも昔よりはマシにはなってるんだろうけど、それもデフレで安い服のレベルが上がったからってだけだ。
単なる地域差だよ。
デフレが原因なら、それは地域差よりも時代の差のほうが大きいのでは?
収入の格差は広がってても、小奇麗に見えるようにするノウハウ、情報の格差自体はファストファッションとネットで小さくなっているとは言えるしな。
単純に、昔に比べて「普通の人」として見られるために求められる身だしなみの水準が上がってるんじゃないの?
同じくアラフォーだけど、うちの母親は服は子供服含めて常にデパートで買ってて美容院も定期的に行ってたし
周りも鳥の巣みたいな母親だの鼻水たらしてボロいお古来ている子供だのはいなかったよ。
勿論当時の服は(今の基準で言えば)ダサいし美容技術も発達していなかったから、今よりはダサいけども。
でも田舎に行けば、今でも鳥の巣は居ないがプリン頭ならいるし、安っぽくどう見てもお下がりな服来てる子もいる。
それでも昔よりはマシにはなってるんだろうけど、それもデフレで安い服のレベルが上がったからってだけだ。
単なる地域差だよ。
暗かったし音楽流してたから最初は気づかなかったけど見るとはげたおっさんが「開けろやー!開けろー!」ってめっちゃ起こってる
気づかずに事故しちゃったのか!?と思って窓開けると「ハイビームやめろや!」と怒鳴りながら腕突っ込んできてヘッドライト消された
すいませんと言うと「眩しいんじゃボケェ!」と怒られた
山道でハイビームにして戻し忘れてたんで自分が悪いんだけど、それよりも見ず知らずの車に怒鳴り込めるおっさんの度胸がすごいと思った
ハイビームでなくとも「音楽うるさいんじゃボケェ!」とか「急ブレーキ踏むなボケェ!」とか怒鳴れたらうらやましい
関係ないけどこの前向かいのトラックがセンターラインはみ出しながらすげぇクラクション鳴らして来た
プァーーーーーーってすごい鳴らしてて電車の警笛思い出した
黄色い線までお下がりくださいじゃねぇよお前が下がれよって思ったけど怖かった
http://anond.hatelabo.jp/20151118184300
ページが移動しないから書き込めてないのか?と思ったけど、クロームなとこうなるのか
お騒がせしました
ケンカをしている罵声を聞きながら、我が家に借金の額がいくら残っていて、父親と母親の収入がそれぞれいくらを、幼いながらに知ってしまった。
旅行など行ったこともなかった。
奨学金で大学へ行ったが、家の借金の返済ができず、諸々あって私が肩代わりすることとなり、中退した。
夜の世界に足を踏み入れたこともあったが、どうにも向いてないらしく3回クビになったところであきらめた。
語弊があると嫌なので補足させてもらうが、コミュニケーション力が低いわけではない。
そんな私に、ある転機が訪れる。
そこで出会ったAさんは、それなりの成績を残している、稼ぎ頭のひとりだった。
自己愛が強すぎるのだ。仕事となれば、口八丁手八丁でうまく相手を丸め込めるが、プライベートとなると誠実さの欠片もない人間だった。
自分が一番正しく、自分が一番仕事のできる人間だと、信じて疑わなかった。
不思議なことに、この自身満々な態度は、ときおりビジネスにおいて良い作用をもたらすことがある。
めんどくさい人だな、と思いつつ、そつなくAさんに接していたら、どうやら気に入られたらしい。
派遣の期間を終了した後も、食事に誘われ、デートを重ね、交際が始まった。
Aさんのことはこれっぽっちも好きではなかった。
ただ、Aさんの背景にある札束に、私はどうしようもなく惹かれたのだった。
数年の交際を経て、Aさんにプロポーズされた。
Aさんが交際中に5回浮気していたのを知っていた。朝帰りをした日に、女物の香水が香っていたことも、咎める気はなかった。
お金さえあれば、子どもにお金が原因で揉める姿を見せなくて済む。
お金さえあれば、両親とも縁が切れる。
お金さえあれば、子供のころに夢見た真っ白なビーチを目の前で観られる。
お金だけがある生活をしているいま、何不自由なく生活を送れているいま、どうしようもなく、幸せを感じてしまうのだ。
就職後、付き合いでゴルフを始めて約一年。打ちっ放しには月に1.2回、ラウンドは既に3、4回回ったが、ラウンドで一度も200を切ったことがない。道具は親戚のお下がりだが、初心者本は買ったし、自分の打ち方も録画して研究?してる。打ち方のどこが悪いのかさっぱりわからないけど…。クラブを振ってもボールは2回に1回しかまともに飛ばない(60ヤードくらい飛べばマトモ判定)、5回に1回は空振りする。ドライバーで100ヤード飛んだことは一度もない。
こんな時こそ、はてなブックマークだ!とゴルフを人気順で検索すると、ゴルフダイジェストの他には、若者のゴルフ離れと将軍様のホールインワン記事しか上位にこない。はっきり言ってはてな民、ゴルフ興味無さすぎである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/08/19/022720
金無いとランドセル買うのがキツいってのは分かるけど、
祖父母がランドセル買う場合が多いのって、親に金が無いからではなく
親に金が無い場合、祖父母もあまり金なさそうだけど、大多数の祖父母は金なくても無理矢理捻出しそう。
3割が祖父母にガチで金が無いor毒親ってこたないだろいくら何でも。
うちは夫方と妻方のどちらに何を買って貰うかという調整が超めんどくさかったので
さっさと自腹で買ってしまい、「それ以外の入学用品も全部うちで買うから入学祝は現金でくれ」で落ち着いたけど、
自分の親には「ランドセルは祖父母が買うものなのに……」とぐちぐち文句を言われた。
どうもランドセル買うのはほぼ「祖父母の義務」と言う感覚らしい。買わない場合は学習机などの大物を買うとか。
引っ越し予定だから机もいらんと言ったらかなりがっかりしていた。
ついでにフィンランドの「プレゼント」も、その予算あったら現金最強だろとしか思えない。
帽子だの手袋だのガチで金なかったら要らない(他に優先すべきものが山ほどある)し、要るとしてもお下がり譲って貰うとかもできそうだし、
本当に生きづらいし、息が詰まる。
頼まれてもいないのに「おれやっときますよ!」みたいなかんじ。
まじめというか頑固で融通がきかない。視野が狭い。
これは、こうあるべき、と認識したら曲げられない。
昔、「社長やってる人はみんなしっかりしてて奇麗な格好をしている」という話をしたら、
友達と議論になり、「全員が全員そうじゃないでしょwいろんな人がいるよwお前ほんと頑固だなw」と笑われた。
今思えば友達がもっともだ。根拠のない理想の正義で、これはこうあるべき。と自分に言い聞かせていた。
こんなんじゃだめだ、もっと頑張らなきゃ、と常に思っている。
だから周囲にも過度な期待をしてしまい、勝手に裏切られたと思ってストレスを感じる。
自分から手をあげて引き受けた仕事ですら、「なんでおれだけ…」とか思ってやってる。
ここから母の話。
こないだ職場でこんな会話が聞こえて来た。
「周りにも押し付けようとするようなねー」
ここでは俺のことではなく、ある人のことを言ってたのだけど、
あー俺そうゆうとこあるなーと思って聞いてた。
すると。
「そうゆう奴に限って、自分の権利に関しては興味なかったりするんだよねー」
「そうそう、周りばっかきにしてねー」
ん?
「でもなんでそうおもうんですかー?」
「だって、これはこうあるべきって正義感で生きてるやつは、社会とか会社の言いなりで、誰々はこういってるし、とかって意見に左右されてるってことじゃん。だからどこにいても都合良く使われる搾取される側なんだよ」
ん?
「子供の頃に親からガミガミ言われすぎるとそうなっちゃうんだよねー」
ん?
当てはまるところがありすぎる、というかまるで自分のことを言われているようで胸が痛くなった。
それと同時に、そうゆうことだったのか!と自分の性格の謎がとけた。
調べてみると、確かにそんなことがあるらしい。
うちの親が確かにうるさかった。
かなりヒステリックで、泣き叫びながら怒ったりするような人だった。
ひどい更年期障害だったんだと思う。
めちゃくちゃに殴られて育って、強い正義感と慈悲の心を植え付けられた。
誰も見てなくても、良い子でいないといけないんだと思ってた。
きっと誰かが見てくれていて、いつか評価されるんだと思ってた。
でも実際の職場ではそんなことはない。
でも長くはもたない。
どんな職場も長くもたない。
別に親のことは嫌いじゃなかったし、むしろちゃんと躾けてくれたと思ってたのだけど、
冷静に考えると色々とおかしい。
自分の心とは別に、自分の意志とは別に、根付いてしまった価値観に支配されている。
別に僕はこんな風になりたくなかったし、
こんなことしたくない、と思ってもやってしまう。
なんでこんな人生になってしまったのかと冷静に考えたりしてる。
正義とはなんぞや。
もし自分に子供が出来たら、何がなんでも自我を通せるようなめちゃくちゃわがままな子供に育てたい。
空気なんて読むな!と言いたい。
これについては兄がいたことも大きい。
人様には譲るもの、それが当たり前だと思ってた。
最高にうらやましい。自分もそうなりたい。
僕の意思とはなんなのか。
ホームではいつも以上に「お下がりください」という駅員の訴えが多いように感じ、それでやっと異常事態だというのを把握した。
東海道線上りのホーム途中で電車が止まっていて、下りのホームと乗った列車からほぼ全景が見えた。
消防士のような人が先頭でハシゴを持って待機していた。それがふたり。
挟まれている場所はそれよりかなり後ろのほうらしく、上下のホームが立ち入り禁止に。
走行中の下りの電車からは、ブルーシートで覆われていたが救助現場だったためどこに挟まれているかもわかった。
見たときは気付かなかったがTwitterでは先頭車両のガラスが割れてる写真も出回ってる。
ホームに入ってくる速度でも、先頭車両にぶつかってから巻き込まれてあそこまで後ろに行くものなのかと感じた。
横浜駅は点字ブロックから出て列車にかなり近づいて移動するのが常態化している。毎日危ないと感じることがあるし、落としてしまったら大惨事になるのに、ホームで電車側に人を押しのける人すらいる。
健康な人は想像できないかもしれないが、老人とか身体の不自由な人はとっさに避けるという行為のハードルが高い。
まぁなんだ、お互い気をつけような。
息子の担任は板書をしない。
どうしても何か手書きする必要がある場合は、ペンタブのようなものを使う。書いたものは電子教材が映るスクリーンに表示される。
「できるだけメモはPCでとってください」とは言うものの、紙と鉛筆を使うことも認めている。
もっとも、ほとんどの児童は授業でノートパソコンを使っている。
支給品でも5万円で買わされた端末でもない。児童というか親兄弟の私物だ。
「古いPCでもお下がりでも良いです」、「キーボードと液晶とマウス(トラックパッド)がついているものにしてください」、「購入する場合は『新品で一番安いノーパソ』を買ってください」と、学期始めの保護者会でアナウンスがあった。
それに新品を買っても3万円程度で済む。
塾代よりは安いし、学校で使わなくなったら他の用途に回せば良い。ノーパソは潰しがきく。
一応OAタップが教室の各コンセントから伸びており、随時充電できるようになっているが、利用する児童は少ないという。
プロセッサに負荷のかかる作業をしないからだろう。また、替えのバッテリーを持ってきている子もいる。それに体育や音楽の時間は使わないから、勉強中にバッテリーが切れることはまずない。
電子教材は授業前日までに担任の自宅サーバーからダウンロードしておくきまりになっている。忘れた子は当日に友達からUSBメモリーなどを介して"借りて"いる。
教室にネットワーク設備は無いが、授業中のネット利用は認められている。
モバイルWi-Fiルーターやスマホのテザリングで分からない言葉を調べたりしているようだ。
シャイな子はメールで担任に質問し、随時メーラーをチェックしている担任はその場で回答するらしい。
担任の話が面白いから、授業中ネットやゲームで遊ぶ子供はいないそうだ。
しかし話す内容の密度が濃く、ついつい聞き入ってしまう。スクリーンに映し出される教材も目を引く。
聞くところによると、担任は職にあぶれた博士出だという。文科省の大学院重点化政策も悪いことばかりではない。
また、計算ドリルや漢字の書き取りといった反復学習を授業中にすることはない(宿題には出す)
計算問題の解き方は授業中教えるが、「単純作業を学校でやるのは税金の無駄」というのが担任の言である。
閲覧するだけの教材はすべて電子データだ。他方、書き込みが必要な問題集やテストはペーパーである。
本当はすべて電子化したいらしいが、使い勝手の良いサービスがまだないらしい。
しかし子供というものは面白いもので、担任が言わずとも紙の教材をスキャンして電子化している子がいるという。紙のドキュメントの管理がいかに煩雑か、子供でも分かるのだ。
ところで私が「電子黒板やタブレットを導入する予定はないのですか?」と担任に伺ったところ、「公共事業をするつもりはありません」との言葉が返ってきた。
見合いというか、仲人みたいな人と一緒に食事しろって言われただけなんだけどね、
1回会うだけでもいいからとか、あっちから断られるかもしれないからいいだろとか言われたけどね、断った。
婚活らしきことを今年の夏から始めるつもりで、貯金をしたりたまにファッション誌を見ながら準備をしていた。
美容室に行ったら、あんまりにも適当過ぎる手入れの仕方をしていたもので、馬鹿にされたり説教されたりする始末。
学生時代の友人が次々と結婚していって、子どものいる人だって珍しくはないけれど、焦りは感じなかった。
私は私でそれでいい。平日に仕事して、休日は書き物をしたり、絵を描いたり、運動したり、身の回りのことをしたり、ぼんやりとして過ごしていければ満たされる。
恋はほとんどしたことがない。好きになった人がいたけれど、さっさと結婚して他のところに行ってしまった。
あー、これで私は嫉妬とか肉欲とかそういう煩雑で処理が難しい諸々の感情から解き放たれて、私だけの世界で安穏と暮らしていける。失恋の日にはそう思った。
それでも、女一人だけで生きていくには辛い世の中だからとか、両親を安心させたいとか、とどのつまり正規雇用ではない身分だから経済的な不安も少なからずあるからと思って、婚活を始めるつもりでいた。
家にお金を入れているとは言え(予防線のような書き方だな)、いつまでに実家にいるわけにはいかない。
祖父母は全て亡くなり、両親は老いた。いつまでも私の傍にいてくれるわけではない。
今でも、婚活をするつもりでいる。
恋愛感情だけで結婚するよりも、最初から己の現実を晒してから話すお見合いの方が合理的だと思う。
だけど、両親が持ってきた見合い話のようなものを、私は拒絶した。
結婚したくないの? 夢はないの? 家庭を作りたいとは思わないの?
行かず後家と言われたいの? 私たちの老後は誰が見るの?
母はそう言って悲しんだ。私は主に価値観の違いだと返した。
結婚したくないわけじゃない。夢はISBNのついた本を一生のうちに1冊でもいいから出版することだけど、文才がないから余命宣告でもされたら文芸社に連絡を取るよ。
家庭を作りたいなんて、とても思えない。もし結婚するとしても、二人だけの夫婦でいるつもりだ。お父さんとお母さんはそろそろ孫がみたいだなんて言うけれど、我が家は精神病質で、私たちの弟や従姉妹なんかは統合失調症だし、自律神経失調症の親類なんか山ほどいる。優生思想はいけないと教わったけれど、もしかしたら自分だって狂っているかもしれないのに、その血を残したいなんて私はとても思えないよ。
そしてね、お母さん。お母さんの思う幸せと私の思う幸せは明らかに違うものだ。
お父さんとお母さんの思う「私の幸せ」は、ほとんど同じものだろう。
嫁いで家庭を築き上げてこそ、女は幸せになれる、そんな旧態依然とした考えなのだろう。
だから、兄や弟には何の家事も教えないで、成人しても茶碗ひとつ片付けない男に仕立て上げた。
兄弟らが茶の間でテレビゲームをして遊んでいるのに、私は台所で食事の準備。どれだけ理不尽に思ったか、あなた方は分からないだろう。
私は反抗期のない子どもだった。優等生でありたかった。能力がなかったから、優秀な人間にはなれなかったけれど、それでも両親にとってのいい子でありたかった。
受験の時もあなたたちの言うとおりにした。お金がないから、確実に入れる公立高校に行けと言われたからそうした。浪人してでも行きたい大学があったけれど、結局は現役で入れるところに行った。その選択に関しては、両親が正しいとは分かっている。おかげで私は、奨学金を背負わずに済んだのだから。
たぶん、従順な女の子が欲しかったのだろう。普通の女の子を娘に持ちたかったのだろう。
家事を手伝い、父や兄弟らを立て、少女時代は反抗することもなく従順で、成人すれば自然と結婚して、外孫を見せてくれるような女性に育てたかったのだろう。
子ども時代は兄のお下がりを好んで着ていた。兄らと粗暴な遊びをするのが好きだった。小さな頃から男女平等という言葉に焦がれた。
一度だけ、何故私にばかり家事をさせて、兄らは自由にさせているのかと尋ねたことがある。
男女平等とされている世の中だけれども、家庭に入って家事をするのは、結局女性なのだ、そのときに困らないように家事をさせているのだと、両親は答えた。
絶望した。
働き始めて話す時間が減ったせいか、両親とこういう話題で言い争う機会は少なくなった。
それは両親の諦めかと思っていた。
私がもし結婚するとしても、両親のためじゃない。
私は私の人生のために結婚したい。たとえ見合いだろうが婚活だろうが、誰かに宛がわれたものではなく、自分自身で決めたのだという確信が欲しい。
理解なんていらない。私は私が望む私でいたい。
なんでitunesってあんな使いにくいのか。
WindowsPC&Androidスマホ&Kindle使いなんだけども(過去iPod所持)。
お下がりでipad2を貰った(相手が私とfacetimeしたかったらしい)。
PCには一度接続したきりで、音楽やブックはipadで直接購入していた(家族共有してたこともあって)。
ある時、ibooks内のブックがKindle端末で読める裏技を知り、2度目のPC接続。
まず、同期がやたら長いし終わらんし。なんでフォルダ開いて直接ポイッとペーストさせてくんないのかな。
後、やたらitunesってアップデートするのはなぜ?その度に使い方が分からなくなるのよ。
これが嫌でiPodも捨てた。
お下がり貰って文句言うなよって感じだけど、くれた相手はapple信者。
だから私がipadからfacetimeかけると全デバイスが鳴るらしい。
icloudを使えば同期も簡単らしいんだけど、ipadしか持ってなかったらクラウドもどーでもいいんだわ。
apple使いにとっては私がいい加減すぎるだろって話なんだろうけど、なんかしょうに合わないんだな。
解像度も横長は1920×1080で、四角は1280×1024で縦も横も横長のほうが画面が大きいじゃん。
って、開発のお下がりのパソコンをまわされてムカついたって話なんだけど。
↓↓↓追加
いっぱいブクマついてびっくりだわ
個人的には、開発の人たちは今だにメモ帳の背景を黒、文字を緑にして昔風の見た目にして仕事してるし、今風のやつは受け付けないんじゃないかって推測してる。
壊れたまま文句言わずに使っているのは3流。
『パソコン変えなくてよいです。』というのは、『僕は仕事の成果を出す自信がありません。』と、言っているに等しい。
こういう奴に限ってパソコン壊れた時に『大切なデータがあるんですがどうしたら良いでしょうか』と言ってくる。
古くて遅いPC使って、ちんたら仕事するより、変えるものは変えてバンバン稼ぎましょう。
前に勤めていた会社は上司が定期的に気を利かせて新しくしてくれた。
上司に言え。
必要あれば説得すべき。
説得できなければ2流。
言いもしない奴は3流。
マジレスすると元々プリキュア好きな女児は戦闘はあまり興味ない。綺麗な衣装に変身して戯れるのがウケてるだけ。
あと対象年齢も下がってるね。最近は下は2歳児くらいからになってる。
でも親としてはその歳の子に与えるならアンパンマンの方がいい。おもちゃ安いし、下の子にお下がりもやりやすい。
(プリキュアは下が男児だったら無理だし女児でもすぐ時代遅れとなるが、アンパンマンは時代も性別も問わない)
サンタさんのプレゼントも、本人がどうしてもプリキュア!と言い張るなら仕方なしに買うけど
「プリキュアもアンパンマンも両方好き」程度だったら大抵の親はアンパンマン選ぶだろう。
プリキュアはどうせクリスマス終わった途端に新番組となって子はすぐ飽きるのも親は当然知っている。
んで上の方、5,6歳になるとアイカツ以外に今年は妖怪ウォッチとアナ雪のヒットがあったから、当然食われてプリキュアは下がってる。
(ライダーや戦隊も妖怪に食われて下がってるらしいが、この辺は大人のマニアもいるからなあ)
妖怪ウォッチは手に入らないから子がどうしてもと言わなければ親も動かないだろうけど、アナ雪は親も巻き込んだヒットだったから
日本和装といえば、無料着付け教室を全国で展開して、CMも打ってるアレ。受講生に着物やら帯やらを売って、そのマージンで運営しているわけで、当然講座中にも「着物買え」っていう機会を設けている。それが「セミナー」。メーカーから問屋を複数とおすのが通常のところを、メーカーから日本和装一カ所を通すだけなので、呉服屋から買うより安い、たぶんメーカーも問屋への卸より上乗せしているんだろう。で、講座終わっても勝手知ったるところに頼む流れになるので、生徒は長らくお客さんになる、と。そういう商売なのである。
着付けを習う=初心者=着物仕立てたことはない、というのが通常想定されている。だから、いろいろ見せられ、呉服屋で買うより安いですよ、と言われて、せっかくだし一揃えはいいものを、となって買ってしまう。恐ろしいね、セミナー。
しかし、だ。
着物をどれだけ着るかは、まだ未知数の段階と言っていい。そもそも、’いい着物’ではなく気軽な小洒落た普段着として着物を選んでみたい、という程度の人もいるだろう。今なら、ポリエステルの可愛い柄の着物や半巾帯が気軽な価格で手に入るのである。むろん、正絹の方がいいに決まっている。だが、高価で手のかかるものを最初から持つことが良いとは言えないだろう。
それを、「いいものを持てば、着る機会を積極的に作るようになる」「ポリエステルは良くない」「自分への投資」などと言い立てて30万円の帯(おそらく問屋を複数通ったものよりは安いのであろうが、一般市民がぽんと払うにはやはり高い)、30万円の着物を買わせるのはいかがなものか。
なお、私は普段着としてポリエステル、ウール、デニムの着物(自宅で洗えるのは重要)と半幅帯や作り帯を愛用し(帯で腰が支えられているのは、楽なのである)、つい先日別ルートで着物と帯の仕立てを頼んだばかりである。つまり、セミナーだろうが何だろうが要らんのである。金もない。ただし、仕立ての件についてはセミナーの場では告げない。面倒なやり取りを増やす気はないのである。「自分に使える金はない。すっからかんである。」という設定を貫く方向で臨む。ルールはこれのみである。
今回のセミナーとやらは、着物界隈では有名らしい帯メーカーのもので、会場には色とりどりの帯が持ち込まれ展示されていた。帯のほかに着物や襦袢の反物もある。これがミソなのである。
午前中は西陣織の製法や糸などが紹介され、帯に触ることもでき、なかなか興味深く面白いものであった。置かれている帯はたしかに質がよく、思いのほかモダンでお洒落で大変魅力的である。
午後からは、この素敵な帯を中心としたコーディネート、と称した販売(いくさ)である。
まず、好みの帯を展示されたものから選ぶ。せっかくだからと二つ選んだ。
「どんな着物と合わせたい?」
では、とひとつ面白い生地があったのでそれを選ぶ(なお、帯、着物とも、私が仕立てに出したものと色合いを似せた(特色は全く違うのだが))。
さっそく反物を着せられる…着物はほどくと反物に戻る、というのがこういうときによくわかる。反物も帯もとても良い。おしゃれである。金があれば買うな。しかし今は金がない。うん、ないぞ、金は。
やはり、この色は良いよね、と数日前の自分の選択にも満足したところで、戦のはじまりである。
「どっちの帯がいい?」と当然買う前提で言われる。
こっちがいいが、今は買う金がない、という旨を述べると(自分の名誉のために言っておくが、着物と帯ふたつ買う金はある。がこれ以上着物に使う金はない。)、
「月にいくらなら払える?」と言われる。
何言ってんだこいつ。しかも勝手に計算始めてひと月なんぼの何回払い、と、おいおい着物と帯2つのお値段じゃねーか。
分割でも払う金はない、と言うと「実家ぐらしで余裕はあるはず」(そんなこと言った覚えはない)「月賦があるから仕事を頑張れる」(追いつめられてるだけじゃねーか、アホか)「この機会を逃したら二度と買えない」(毎季新作出てるから、別のものでも気に入ったものには毎年出会えるだろ)と、まあ、想定問答集くらい作ってあるんだろうなと思わせるやり取りが続く。
人に借金させることに何らの呵責もないのである。この人、何パーセントもらえるんだろう、とうんざりと考えながら、ヒトヤマ当てたら何ぼでも買う、と言っておく。
分割払いは借金なのである。債務である。服のために借金するか?必要でない服飾品の購入による債務負担は浪費であって、破産の場面では免責不許可事由として申立書に記載すべき事情である。生活を圧迫してまで着物を買う義理などないし、そんな義理があったらすでに色々ヤバい。弁護士か精神科医に相談してくれ。
「ウールだとか木綿だとかは、ジャージみたいなもの。コンビニ程度にいくならまだしも電車に乗って出掛けるには論外」と人の持ち物をdisるdisる。うるせえ黙れ。
とっかえひっかえできる価格の範囲で、ポリのキュートな柄や、デニムやウールの素朴な風合いを楽しむのは、H&Mやユニクロの世代には普通の感覚ではないだろうか。そのなかで、一生ものと言えるような、自分の気に入ったものを買うこともあるかもしれない。だが、それを他者に強要されるいわれなどないだろう。
こんなことやってるから、和服廃れるんやで…と謎の関西弁を胸の奥で繰り返しつつ、右から左に受け流すこと数十分、私が頑に買うと言わないのでやがて売り役はスーッといなくなった。
ふう、やれやれ。
やっと解放されて、気になっていた草履を検分する。草履はなかなか足に合うものがなく、下駄と1000円草履でしのいでいたので、足に合えばこれを機にひとつ欲しいところではあった。まあ、現にはき心地もよく、台の色が選べ鼻緒も帯地のシャレオツなのを選べたので、5万と高額ではあったが買うことにした。草履ばかりはどこに行ってもこれ、というものがなかったのでよしとしよう。
さて、時間もなんぼかあったので、半巾帯を眺めていたら、またも帯を出してくる。いわく、両表の仕立てができるから、好きな柄を選べと。へーへー。片面10万ね。へーへー。でも、模様はシャレオツなのである。和柄スキーとしては眺めるだけで楽しいので、最後まで買うとは言わずじっくり眺めさせてもらった。最後には、金がないから、宝くじ当たったらな、と断ったが。すると、分割払いにして、宝くじ当たったら残額一括で払えばいい、と。てめえらの血はなに色だー、とレイの真似くらいしてもよかろうと思う。
個人的見解であるが、襦袢は普段着用なら自宅の洗濯機でガンガン洗えるものがいい。肌襦袢を着るとしても、こまめに洗いたい。絹では自宅の洗濯機で洗えないので、絹で襦袢を仕立てるとしたら、それは宝くじが当ったり石油王に嫁いだりして、洗濯ごときに煩わされないようになったら、である。肌触りやら着心地が如何に優れているとしても、洗濯という現実から目を背けるつもりはない。
と言うと、案の定
「ポリエステルじゃダメよ〜、襟の袷が決まらないでしょう云々」
あー、はいはい。言ってろ。デュポンの回し者ではないが、石油製品であるところの襦袢の洗えるという最大の利点に軍配である。
なお、いい着物用になる絹の襦袢はお下がりがあるので当面それをあてる予定である。
この頃になると、帯やら着物やらを見すぎて頭も朦朧となり、受け答えも面倒になっている。とにかく草履以外は買わねえぞコンチクショウ。
で、ほかの受講者は、というと。
私を含めて4名いて、2期以上受講している人はさすがに買っていなかった(既に数着買っている)が、少なくとも一人は買っていた。もうお一方は分からない。私はその行方を見届ける余裕もなく買え買え圧力と戦っていたからである。
要らないものは要らない。金はない。借金なんてもってのほか。という強い意志をもって臨まないと、ほわわん、としていくとつい買ってしまいそうであるおそろしや。
恐ろしいことに、これはたぶんクーリングオフ対象外となる…着物はクーリングオフ指定商品にはなっているが、店舗に消費者自ら足を運んで購入した場合は除かれる…セミナーに自ら申し込んでいるので、店舗に自ら足を運んだ形になっていると思われるのである。
クーリングオフではなくとも、強迫で何とかなるかもしれないが、なかなかハードルは高い。
なんかもうメンドクセーから、草履の代金払わないで講座の残りもばっくれちまおうかな…。と思わなくはないのである。だが、あの草履は気に入ったのであれだけ手に入れて、しかる後にばっくれるかな…。
1:マンネリ化が否めない
大人は大人で64時代を経験しながらもまともな社会人ならとっくに卒業済。
「スマブラ?ああ、懐かしいねえ」って同期とちょっと昔話に花を咲かせるぐらいが関の山。
2:古株友情出演にこだわりすぎ
今の子供にかぎらず、64直撃世代にパックマンなんてやったことあるやつほとんどいません。
ジバニャン出したほうがまだマシ。
3:操作しにくい
掲示板を見ると明らかだが、ガードと投げを逆にすべきだという意見が多い。
キーコンフィグがあるらしいが、そもそもユーザーがどういう操作をしているかシミュレートしたのだろうか?
4:既に本体を壊したという報告も
スライドパッドを酷使するゲームのようで、既に壊れたという意見が掲示板にたくさんあります。
本体寿命を縮めてまでしたいゲームですか?10月には新しい本体が出ます。
体験版を配信したというからやってみれば、使えるキャラは5体だけ、使えるステージは1つだけ。
みなさん、これが任天堂です。消費者をなめくさった暴挙。楽しみたかったら製品版を買えという上から目線が透けて見えます。
今どきゲームなんてのは基本無料なんですがねえ。そんなんだからスマホに打って出れないんですよ。
しかも発売から3日前配信のくせにプレイ回数制限が30回。バランス悪っ!
上記理由を持ってすればスマブラ3DS、大コケまちがいなしです。初週75万本は堅いでしょう。ミリオンに届かない。届くわけがない。
みなさんも目を覚ましましょう。