2015-03-15

見合いしろと言われて

見合いというか、仲人みたいな人と一緒に食事しろって言われただけなんだけどね、

1回会うだけでもいいからとか、あっちから断られるかもしれないからいいだろとか言われたけどね、断った。

婚活らしきことを今年の夏から始めるつもりで、貯金をしたりたまにファッション誌を見ながら準備をしていた。

美容室に行ったら、あんまりにも適当過ぎる手入れの仕方をしていたもので、馬鹿にされたり説教されたりする始末。

巷で言うところの女子力というものほとんどない。

学生時代の友人が次々と結婚していって、子どものいる人だって珍しくはないけれど、焦りは感じなかった。

私は私でそれでいい。平日に仕事して、休日は書き物をしたり、絵を描いたり、運動したり、身の回りのことをしたり、ぼんやりとして過ごしていければ満たされる。

恋はほとんどしたことがない。好きになった人がいたけれど、さっさと結婚して他のところに行ってしまった。

あー、これで私は嫉妬とか肉欲とかそういう煩雑で処理が難しい諸々の感情から解き放たれて、私だけの世界で安穏と暮らしていける。失恋の日にはそう思った。

それでも、女一人だけで生きていくには辛い世の中だからとか、両親を安心させたいとか、とどのつまり正規雇用ではない身分から経済的不安も少なからずあるからと思って、婚活を始めるつもりでいた。

家にお金を入れているとは言え(予防線のような書き方だな)、いつまでに実家にいるわけにはいかない。

祖父母は全て亡くなり、両親は老いた。いつまでも私の傍にいてくれるわけではない。

今でも、婚活をするつもりでいる。

恋愛感情だけで結婚するよりも、最初から己の現実晒しから話すお見合いの方が合理的だと思う。

だけど、両親が持ってきた見合い話のようなものを、私は拒絶した。

結婚したくないの? 夢はないの? 家庭を作りたいとは思わないの?

行かず後家と言われたいの? 私たちの老後は誰が見るの? 

あなた幸せを思って言っていることなのに?

母はそう言って悲しんだ。私は主に価値観の違いだと返した。

結婚したくないわけじゃない。夢はISBNのついた本を一生のうちに1冊でもいいから出版することだけど、文才がないから余命宣告でもされたら文芸社に連絡を取るよ。

家庭を作りたいなんて、とても思えない。もし結婚するとしても、二人だけの夫婦でいるつもりだ。お父さんとお母さんはそろそろ孫がみたいだなんて言うけれど、我が家精神病質で、私たちの弟や従姉妹なんかは統合失調症だし、自律神経失調症の親類なんか山ほどいる。優生思想はいけないと教わったけれど、もしかしたら自分だって狂っているかもしれないのに、その血を残したいなんて私はとても思えないよ。

そしてね、お母さん。お母さんの思う幸せと私の思う幸せは明らかに違うものだ。

お父さんとお母さんの思う「私の幸せ」は、ほとんど同じものだろう。

嫁いで家庭を築き上げてこそ、女は幸せになれる、そんな旧態依然とした考えなのだろう。

から、兄や弟には何の家事も教えないで、成人しても茶碗ひとつ片付けない男に仕立て上げた。

兄弟らが茶の間テレビゲームをして遊んでいるのに、私は台所で食事の準備。どれだけ理不尽に思ったかあなた方は分からないだろう。

私は反抗期のない子どもだった。優等生でありたかった。能力がなかったから、優秀な人間にはなれなかったけれど、それでも両親にとってのいい子でありたかった。

受験の時もあなたたちの言うとおりにした。お金がないから、確実に入れる公立高校に行けと言われたからそうした。浪人してでも行きたい大学があったけれど、結局は現役で入れるところに行った。その選択に関しては、両親が正しいとは分かっている。おかげで私は、奨学金を背負わずに済んだのだから

たぶん、従順女の子が欲しかったのだろう。普通女の子を娘に持ちたかったのだろう。

家事を手伝い、父や兄弟らを立て、少女時代は反抗することもなく従順で、成人すれば自然結婚して、外孫を見せてくれるような女性に育てたかったのだろう。

子ども時代は兄のお下がりを好んで着ていた。兄らと粗暴な遊びをするのが好きだった。小さなから男女平等という言葉に焦がれた。

一度だけ、何故私にばかり家事をさせて、兄らは自由にさせているのかと尋ねたことがある。

男女平等とされている世の中だけれども、家庭に入って家事をするのは、結局女性なのだ、そのときに困らないように家事をさせているのだと、両親は答えた。

絶望した。

働き始めて話す時間が減ったせいか、両親とこういう話題で言い争う機会は少なくなった。

それは両親の諦めかと思っていた。

私がもし結婚するとしても、両親のためじゃない。

私は私の人生のために結婚したい。たとえ見合いだろうが婚活だろうが、誰かに宛がわれたものではなく、自分自身で決めたのだという確信が欲しい。

理解なんていらない。私は私が望む私でいたい。

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