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はてなキーワード: 内定とは

2022-07-26

anond:20220725175949

よっぽど直前とか会社費用研修受けたとか、そういうのじゃない限り、内定承諾後の辞退も訴えられたりとかないし。

なんか引っかかるならもうちょい転職活動続けてみるとええで。

もし他社に行くなら、内定出した会社にはまあ迷惑かけることになるけど、自分人生に対して会社責任取ってくれるわけでもないからね。

anond:20220725175618

転職活動日記(5回目)

応募したこと自体忘れかけていた会社から書類通過のお知らせが来た。

割と前のめりっぽいとこから書類通過のお知らせがきた。

今週~来週で6社面接予定。

A社 ベンチャーストックオプションあり。めっちゃ忙しそうだがやり甲斐はありそう。行っても良い。

B社 某業界中堅。しっかりしてそう。1番志望。

C社 地元中小自分をすごい欲しがってくれてそうな雰囲気だが、どれだけ裁量を与えられるかかなー。ぶっちゃけ他社より落ちる。

D社 某業界中堅。勤務地と待遇面で自分に都合がよさそう。2番志望。

E社 ベンチャーめっちゃ忙しそう。とりあえず話を聞いてみるか。

G社 地元中小としてはまあまあの規模感。自分を欲しがってそうだがやっぱり待遇面がなー、という感じ。

エージェント氏によると、一般的書類通過率が10%~15%くらいで、1次2次の面接通過率がそれぞれ30%くらいらしい。

もう何社応募したのか覚えてないけど、60社くらいかな? 書類通過率的にはまあこんなもんかなって感じ。

確率的にはこの6社の内どこかに内定貰えそうだが、とりあえず面接対策しないとなー。

A社、B社、D社なら内定貰えれば行きたいかな。

頑張ります

35歳男、大手企業から内定もらった(泣)

リーマンショック直撃世代MARCH卒業し、新卒で入った会社も2社目も社員200名に満たない中小企業だった。

2社目の現職で社長上司理不尽要求に耐えられなくなり6月から転職活動を開始。

大した資格も持ってないし、役職も付いていない。全然自信なんてなかった。

エージェントからは「どうせ(書類選考で)落ちるんでバンバン応募しましょう!」(意訳)とアドバイスをもらった。

なんてひどいこと言うんだこのやろう、と思ったけど僕の世代書類選考の通過率ってマジで1〜2割程度らしい。

そんな厳しい世界なんだ・・・ビビりつつも職務経歴書大学同期の友人複数人アドバイスをもらい何度か修正

かに書類選考はかなりの難関で、応募した40社中、通過したのは10社程度。

通過率が比較的良かったのは間違いなく書類ブラッシュアップに協力してくれた友人達のおかげだ。

新卒の頃は多分見向きもされなかったであろう大手企業が、面接に呼んでくれてとても嬉しかった。

思えば自分就職してからずっと、大手企業に勤めたことがない自分コンプレックスを持っていた。

大学同期の友人達は皆優秀で、リーマンショックのなかでもしっかり大手企業に入っていて、

大手企業ってちゃんと見る目あるんだな」と、当時感心していた。

大手企業に対して漫然とした憧れがあった。ただミーハーなだけだと思う。

規模が大きいから、社員が多いから、なんなんだ。でも楽しそう。やりがいありそう。大手企業で働いてみたい。

とはいえ日本新卒至上主義新卒で入れなかったらもう大手企業で働くチャンスなんてよほどのことがないと巡ってこない。

そう思っていたけどチャンスはもらえて、経歴がマッチしたようで社員5000人以上の東証プライム上場企業から内定をもらえた。

年収は350万→500万に大幅アップ。転勤は当面無い。

泣いて喜んだ。まだ働いてもいないのにはしゃぎすぎだとは思うけど、

一生抱えて生きると思っていたコンプレックスとは、お別れできそうだ。

2022-07-25

1社内定でた

転職活動中。他は選考進んでないので

ここになっちゃうかなあ。

anond:20220725120206

おっさんであるところの俺は、

決められただけの仕事をしたくないとかいって

大学でたあとせっかく内定とった優良企業を即抜けて

結局バイト派遣で生きてるやつ何人も知っている。

 

2022-07-23

仕事ができない奴になって辛い

仕事ができない奴になって辛い。

異動がきっかけで仕事ができない奴になってしまった。

いや、異動がきっかけで仕事ができない奴に"なった"わけではない。異動したことにより仕事ができないことが"ばれてしまった"のだ。



新卒入社してからはきはき明るく振る舞ってきた。新卒なんてみんな仕事ができないんだから元気にしてりゃそれなりに評価してもらえると思い、ひたすら元気に、時に悩んで仕事をしてきた。

仕事をしていくうちに、壁にぶつかりつつ、自分の中の軸のようなものが見つかると思っていた。壁にぶつかりながら実力をつけていくと思っていた。

入社7年目。軸が、見つからないのである。実力が、ついていないのである努力していないんだから当たり前だ。



うちの会社年寄りが多い。59〜41歳くらいの人間が多く、40〜30歳までの人間が極端に少ない。29〜の我々の世代から採用がグンと増え、砂時計のような年代構成となっている。

我々の世代は大量採用されたおかげで、変な奴が多い。しか会社的に見れば久々の20代。多少の欠点は目を瞑ってもらいやすく、元気があるだけでまともな奴、という評価を得られるお得な立ち位置であった。

異動するまでダメ上司に当たっていた。上司は誰か聞かれ、答えるだけで同情され、そんな環境でよく頑張ってるね、と言われていた。


もうだめだった。

もともと明るい人間ではないのに元気に振る舞っていられたのは緩い環境だったからで、環境が変わり実力を求められる場所では当然無理な話だった。

にこにこしつつ、壁やら困難を正面突破ではなくなあなあにしてきたツケが今だった。

すぐテンパるし、知識も乏しいし、詰めも甘い、仕事が雑。そんな奴の武器になり得るものは元気、明るさ、根性、みたいな話になってくるが、もうそんな元気ない。

仕事出来なくて辛い。

優しい先輩の苦笑いが辛い。

舐めてる奴に厳しい上司が呆れてる感じがして辛い。

叱咤も激励もされない立場が辛い。

怒られてるうちが華とはよく言ったものだなあとつくづく思う。




道は2つ。

転職する

②辛いけど頑張る

転職する

我が社は月残業10時間未満、有給消化率も高いホワイトJTCである。辞めたとて今よりいい待遇は多分ない。

転職するにしても、ニッチな業種のニッチ職種だったか職務経歴書に書いたところで内定貰えるとは思わない。

いっそブラック企業営業かになって1年泣きながら働いて実務経験積んで、ホワイト営業に転生するか?現状メンタルやられてる弱い奴にそんな芸当できるとは思わんけど。てかブラック企業も未経験お断りだろうな。

②辛いけど頑張る

辛いよ〜辛いけど頑張るのは辛いよ〜

でも頑張らなくちゃ辛いままだもんね。次の春までは同じポジションだろうし、頑張るしかないんや…

欠点を少しずつ無くしていって、恥を忍んで分からないことはきちんと聞いていくしかないんや…

それが出来ていたら今こんなことで悩んでないけど。




こんな舐めたことを会社で言うと、みんなの心の中でこいつ死んでくれないかな?とうっすら思われながら苦笑い対応されてしまうので増田しか書けない。

2022-07-21

お祈りメールの量がすごい。

これでさあ、一社内定でたら吟味せずに受けちゃうよね。

anond:20220721171055

転職と同じや

書類通過5件ぐらいで内定なしと同じやろ

そんなもんや

200社ぐらい受けて内定を得るんや

anond:20220719130305

転職活動日記(2回目)

もう3社書類通った。現時点で計5社か。

その内1社は改めて求人見ても全然行く気にならなかったので面接辞退。

これで現時点では4社残り。

しかし1日に4件面接が集中。マジか。

いくらなんでも無理なのでその中で1番優先順位低い1社に再調整依頼中。

この4社中2社は内定貰えるなあ是非行きたい感じなのでどっちかで良いから受かると良いなあ。

頑張ります

2022-07-17

anond:20220717114104

柔軟に契約条件を相談できる相手であれば」という一言収束する話だが、たぶんいまのエージェント界隈の仕組み上難しい

なるほど。これも多重中抜きビジネスの硬直性が原因なのね。

2022-07-17

Fw: Re: スクラム開発チームと業務委託エンジニアの相性が最悪だ(略)

https://note.com/s_semiya/n/n3bb0f927c725

https://terurou.hateblo.jp/entry/2022/07/16/161845

2つよんだ、ぜんぜん違うところが気になったので、じぶんの職務に影響のでないように増田に書く

そもそも正社員雇用ほど採用プロセスが丁寧にできないので選定をミスる

スクラムにせよ、アジャイルにせよ「プロセスツールよりも個人対話」なんだとは思うが、業務委託場合はいかんせん現場に入ってもらうまでの「個人対話」が全然できない。正社員は割と重厚プロセスを用意しても普通にできる。カジュアル面談からまり現場メンバー面談コーディングテスト、などなどいろいろな観点で人となりを知って正式入社してもらうことになる。

業務委託はそうはいかない、30分から1時間しかない面談一発勝負意思決定がおそくなると他の会社内定を取られるので時間との戦い。選考プロセス増やそうものならそれだけでお断り。チームにハマるかな〜?二回面接したいな〜?なんて悠長なことを言っていると採用プロセス中に他社に取られる、そしていつまでたっても人が採用できない。地獄

業務委託を「育てる」のはダメ

スクラムはチームで物事を成し遂げる形で作られている。故にメンバーを育てるという話に関してはもとの記事2つでも触れられています

元の記事では育つことで単価が高くなる問題がありましたが、そもそも論として会社からすれば正社員よりコストが高い業務委託。いわゆるジュニアメンバーもそこそこにコストがかかるのですが、会社からすれば「なんでヒヨッコいれて、育てなきゃいけないの?ボランティアじゃないんだよ?」などの感想を頂いたりします。

要するに「業務委託即戦力なので、育成コストがかかる時点で悪」という話になりがちなのです。元記事文脈とは若干違うとはわかっていますが、「育てる」というアクションが含まれ場合は「育てなくてもいいやつを探してきて入れ替えろ」になりがちだったりします。チームで成功をつかもうとするんだけど、その人の短所かばい合うではなくクビを切れと言われる。地獄

クビを切りを繰り返すとチームが劣化する

スクラムガイドには下記のようなことがある

スクラムチームは、ゴールを達成し、お互いにサポートすることを確約する。スクラムチームは、ゴールに向けて可能な限り進捗できるように、スプリント作業に集中する。

スクラムチームとステークホルダーは、作業課題を公開する。

スクラムチームのメンバーは、お互いに能⼒のある独⽴した個⼈として尊敬し、⼀緒に働く⼈たちからも同じように尊敬される。

スクラムチームのメンバーは、正しいことをする勇気や困難な問題に取り組む勇気を持つ。

こうあるが「面接時間短くて採用ミスっちゃったんで今月でサヨナラにします!チームのみんなごめんね!」を繰り返したら尊敬もクソもない。ただそれを繰り返す可能性が大いにある。

そしてこの繰り返しが続くと既存メンバー疑心暗鬼になるし、新しい人入れても「またいなくなっちゃうかもなぁ」みたいな気持ちになって全然モチベーションがあがらない。チーム崩壊まっしぐら地獄

以上。

元の文章が「優秀な業務委託ジョインする」という前提で書かれているように見えたので、そうでない業務委託が入る場合の苦悩も書いた。たぶんReで書かれた「業務委託であっても、柔軟に契約条件を相談できる相手であれば」という一言収束する話だが、たぶんいまのエージェント界隈の仕組み上難しいので、こことの折り合いをつけている人がいたら教えてほしい。

Fw: Re: スクラム開発チームと業務委託エンジニアの相性が最悪だ(略)

https://note.com/s_semiya/n/n3bb0f927c725

https://terurou.hateblo.jp/entry/2022/07/16/161845

2つよんだ、ぜんぜん違うところが気になったので、じぶんの職務に影響のでないように増田に書く

そもそも正社員雇用ほど採用プロセスが丁寧にできないので選定をミスる

スクラムにせよ、アジャイルにせよ「プロセスツールよりも個人対話」なんだとは思うが、業務委託場合はいかんせん現場に入ってもらうまでの「個人対話」が全然できない。正社員は割と重厚プロセスを用意しても普通にできる。カジュアル面談からまり現場メンバー面談コーディングテスト、などなどいろいろな観点で人となりを知って正式入社してもらうことになる。

業務委託はそうはいかない、30分から1時間しかない面談一発勝負意思決定がおそくなると他の会社内定を取られるので時間との戦い。選考プロセス増やそうものならそれだけでお断り。チームにハマるかな〜?二回面接したいな〜?なんて悠長なことを言っていると採用プロセス中に他社に取られる、そしていつまでたっても人が採用できない。地獄

業務委託を「育てる」のはダメ

スクラムはチームで物事を成し遂げる形で作られている。故にメンバーを育てるという話に関してはもとの記事2つでも触れられています

元の記事では育つことで単価が高くなる問題がありましたが、そもそも論として会社からすれば正社員よりコストが高い業務委託。いわゆるジュニアメンバーもそこそこにコストがかかるのですが、会社からすれば「なんでヒヨッコいれて、育てなきゃいけないの?ボランティアじゃないんだよ?」などの感想を頂いたりします。

要するに「業務委託即戦力なので、育成コストがかかる時点で悪」という話になりがちなのです。元記事文脈とは若干違うとはわかっていますが、「育てる」というアクションが含まれ場合は「育てなくてもいいやつを探してきて入れ替えろ」になりがちだったりします。チームで成功をつかもうとするんだけど、その人の短所かばい合うではなくクビを切れと言われる。地獄

クビを切りを繰り返すとチームが劣化する

スクラムガイドには下記のようなことがある

スクラムチームは、ゴールを達成し、お互いにサポートすることを確約する。スクラムチームは、ゴールに向けて可能な限り進捗できるように、スプリント作業に集中する。

スクラムチームとステークホルダーは、作業課題を公開する。

スクラムチームのメンバーは、お互いに能⼒のある独⽴した個⼈として尊敬し、⼀緒に働く⼈たちからも同じように尊敬される。

スクラムチームのメンバーは、正しいことをする勇気や困難な問題に取り組む勇気を持つ。

こうあるが「面接時間短くて採用ミスっちゃったんで今月でサヨナラにします!チームのみんなごめんね!」を繰り返したら尊敬もクソもない。ただそれを繰り返す可能性が大いにある。

そしてこの繰り返しが続くと既存メンバー疑心暗鬼になるし、新しい人入れても「またいなくなっちゃうかもなぁ」みたいな気持ちになって全然モチベーションがあがらない。チーム崩壊まっしぐら地獄







以上。

元の文章が「優秀な業務委託ジョインする」という前提で書かれているように見えたので、そうでない業務委託が入る場合の苦悩も書いた。たぶんReで書かれた「業務委託であっても、柔軟に契約条件を相談できる相手であれば」という一言収束する話だが、たぶんいまのエージェント界隈の仕組み上難しいので、こことの折り合いをつけている人がいたら教えてほしい。

2022-07-14

転職活動大手から内定出てもそこで働く勇気がない。

中小でお賃金多いところのほうが余暇勉強したりできそうだったし、結局その選択をした。

しか同窓生への見栄で大手に入っておきたい気持ちもたまに脳裏をよぎる。

転職活動をすることになるとしたら、何年後だろうか。

それまでに方向性を固めておこう。

2022-07-13

anond:20220712182846

同じく30代前半の自分の実感を書く。

自分も同世代就職活動をした。サークルOBの繋がりが深かったため前後世代の状況もそれなりに把握しているつもり。ちなみに大学マーチ関関同立のどこか。

まず、30代前半と言っても年代で見えている景色が全く違っているはずだ。

はじめに2010〜2013卒の就活。今の32〜35歳くらいかな。

ちょうど民主党政権下だ。

リーマンショックの影響が大きく、増田が言うように数十社受けても内定が1社なんて当たり前の世界就活生はまさに地獄を見ていた。

民主党時代から失業率改善していたとブコメがあったけど、当時の学生からすれば「内定率」改善の実感はゼロだった。

一方で2014卒以降。31歳より若い世代

政府アベノミクスとか言い始めて、

企業人手不足が本格的に叫ばれるようになった(だから就活生も期待していた)くらいの時期になる。

ここは完全な売り手市場で、同じ大学サークルにも関わらず上の世代より明らかに就活が楽になっていた。

複数内定も当たり前で、有名企業大手企業内定も増えていた。

たった数年でここまで変わるのかと衝撃だったよ。

もっと安倍総理がどんなに有能でも一年や二年で内定率を大きく動かせるとは思えないので、

人口動態や過去からの流れもあるんだろう。

それでも学生からすれば自分たち世代で何かが大きく改善した実感は大きかった。

しろまれから日本経済はずっと下降気味だったのだから

その実感すら否定してお前が愚かで何も見えてないだけだ、と罵倒するはてブのおじさんは、

自分の行動が周りからどう見えるのか考えた方がいい。

2022-07-12

舌ピを開けた、大学4回生

4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。

本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。

ピアス病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコール煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープ飲み物豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。

両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。

耳は高校卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止アルバイト禁止SNSアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校からそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。

一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。

両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。

前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。

髪を初めて染めたのもはたちすぎてからしかインナーの一部で殆どからいくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。

次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。

いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。

でもそういう意識が強すぎて早まってしまうこともある。

成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。

幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴール死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。

閑話休題

遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。

小説家イラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生プロレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。

研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学マサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。

研究者に憧れがある、科学者数学者天文学者宇宙の真理やこの世の理、最先端技術、未知の可能性、人類進化魔法区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。

頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。

国語勉強しなくても偏差値が取れた。小学生漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学理科ががくんと落ちた。相変わらず国語トップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法からきしだった。

高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。

でもそうでは無いのだろう。

本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。

私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社就職しようとしている。

昔はゲームなんて時間無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。

勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲ毎日時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。

ピアスタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。

白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学フランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーターコイズ二色で舌や唇にピアスが開いてて身体タトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。

そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。

そんな格好をしているバーアルバイトなんて山ほどいる。

そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。

私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。

大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。

桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルール説明した。自分も分かってないのに。

彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。

ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブ希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。

そんな気持ちからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い

シーシャも行った。今度葉巻もいく。

努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。

習い事もしてみたかった。音楽からっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。

そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。

スキースケートは好きだからフィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。

バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。

美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。

少しでもかわいくなりたい。自分死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。

アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近ミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。

でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。

でも人前に出ると勝手身体が震えて、平衡感覚おかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体勝手に震える。

人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手アイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。

女の子アイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子アイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。

先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手知識量や理解力に合わせて単語解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラット目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマン指導する方が向いているかもしれない。

でも一度家庭教師登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系理系学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。

他にもいろいろ夢はある。理想生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。

今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないかソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。

せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいものを書きたいと思った。

私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつ一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。

私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙低俗作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。

私は自分底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。

理想自分になりたかったと思いながら、今日自分ひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。

この文章最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。

どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。

最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。

それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitter投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。

何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味からなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから表現媒体としても面白いネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。

楽な方に楽な方に流れている。

今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。

ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。

楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。

本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。

普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分から治らなくていいと言っていた。

私は幸せになりたいか心療内科に通った。意味あんまりないけれど。

これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。

何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。

私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人ツイートを全部見たいタイプから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だからツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。

からひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。

舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章ストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。

そうやって楽な方に楽な方に流れている。

今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。

きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたい

2022-07-11

理系私大中退危機にあってもあきらめないで

最近の某事件犯人が、某私大理系学部経済的理由から中退していた、とネット記事で知りました。

私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活修士号取得について書きます

なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人擁護する意図はありません。

私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文歴史化学などの科目がひどい出来でした。

一方で、得意科目物理数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。

結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶関関同立といった私大理系学部合格しました。

入学手続きから高校卒業までの間に、なんと父がリストラに。

それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。

入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。

大学事務室授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャル奨学金に申込みました。

家庭の収入証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。

親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。

無事に奨学金審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料免除されました。

ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。

奨学金審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続採用されました。

この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。

からといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。

大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。

私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年さら修士課程でも奨学生になれるとは限らない。

そこで、より学費の安い国立大学修士課程検討しました。

その中で知ったのが、飛び入学制度です。

大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程入学できるのです。

もちろん入試を受けました。

志望先の研究室学生コンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格

おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。

さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程バイトなしで生活できました。

ときどき研究室先生TAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。

大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。

また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数大手企業内定をもらいました。

さらラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。

結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。

その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています

それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています

結婚もして子供もいて、平凡ですが幸せな日々です。

自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています

あのとき奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります

本当に感謝しています

経済的理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人相談したり、裏技がないか調べてみてください。

学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います

どうか諦めないで。

2022-07-10

外資と比べたら日本企業給与低すぎぃ!

現在年収1200万。

エンジニアとして転職活動を行った結果、外資日本企業から複数内定GETした。


どこにいくか少し悩んだが、まず日本企業からオファー候補から落選した。

なぜなら、オファー内容が外資と比べて数百万違うから


面接時には

「とりあえず現年収キープしたいですが、能力、期待する役割に対して適正なオファーをしてください。」

と伝えていたんだが、その結果出てきたオファー


日本企業:1200〜1300万

外資:1500〜2000万


という内容だった。


別にアメリカ移住するとかではなく、日本国内で働く普通転職活動なんだが、国内でもこんなに差がつくものなのかとびっくりした。


他社からオファー内容を伝えて交渉すれば多少の金額変更は期待できるかもしれないが、ここまで差が大きいと交渉する気が起きないし、入社後の給与レンジも察しがついてしまうので、悩むにしても外資の中で悩むのみという思考にならざるを得ない。


とりあえず日本企業オファーはしょぼすぎる。

2022-07-08

公務員試験二次試験を控えている23卒だけど、もうこの時期ですでにかなりしんどいわ。でも8月内定もらえなかった時、まちがいなくそからが本当の地獄だよなあ。

一応7月が終わった時点で、これまで手を付けてなかった民間をチェックし始める予定なんだけど、出遅れてるダメージは少ないものではないよね。民間視野に入れてなかったことは別に後悔してないけど、これからもっと苦しくなると考えると本当にやみそう。

新卒人気企業ランキング1位のところに入ったが

入社したのは数年前で、今はもうとっくに辞めてる

当時から人気企業ではあったけど今どうなってるのかなと思って新卒向けサイト見たら人気企業ランキング1位だった

まあ他のサイトランキングだと順位下がってたけど…

かに年収かなり高いし福利厚生も充実してた、そこまで激務ではないとは思う

ただ社風が合わない人には地獄だと思う、私は地獄だった

一緒に入社した同期は全員スクールカーストの1軍って感じの人で、精神力も体力も無尽蔵って感じだった

あととにかく飲み会が多い、コロナ禍で減ったのかもしれないけど自分ときは週3〜4で飲み会してた、

みんな吐いて潰されてた 私もいっぱい吐いた

パワハラが横行してて、メンタルを病む人が本当に多かった 1軍の人でも病むことあるんだなって思った

私もうつ病になったし、今も治ってない

就活してたときに他にもたくさん内定もらってたのに、社風が合わないのに気づかず入社して壊れてしまった

人生最大の挫折だった

早く自殺して楽になりたいよ

2022-07-05

不登校 バイト 大学進学 うつ病

 今現在不登校に悩んでいる中学高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。

そんな思いで書いています

 成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。

 時を遡ると、高校入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスはいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。

 時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後ゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。

 このころ、母が国指定難病罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまたことは覚えている。

 体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道言葉を母に投げかけた。

「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校必死に通っていた。

 母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。

母が数か月後家に帰ってきたとき彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまたこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。

数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。

 朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。

 この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学テストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね馬鹿なっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。

 体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。

 こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズダニー・ボイルの(ユアン・マクレガー名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。

 結局、高校2年生の1年間はほとんど学校に行けなかった。

 詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。

 正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校ひきこもりになってしま未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。

 途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめ常態化していたクラスいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいか勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。

 あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史テストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)

 大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。

 心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。

 今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業チャレンジできる未来が見えている。

 それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。

 それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私もも20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)

 

 今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近うつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。

 それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまたこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。

 うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。

 どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。

 男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。

 いつしか心に余裕ができて、何かができるようになるかもしれないから。

クルマ免許を持ってない人はハローワークを利用しない方がいい件

クルマ免許を持ってない人はハローワークを利用しても書類で落とされる。

若者クルマ離れが深刻化してると新聞で書かれていても求人企業というのは、事務職にまでクルマ免許を求める。

ハローワークにおける求職者ジョブマッチングいまいち出来ていないのは、このクルマ離れから来る免許を取らない人が多いためであって、

それさえ解消されればハローワークと言う所には余程のことが無い限り就職内定スムーズになりやすい。

それほど、ハローワーク内ではクルマ免許を取得してる事が必須ということになる。

要するに資格取得が必須ハローワークでは最初の時点から求職者の切り捨てを図っているということだ。

すなわちクルマ免許を持たない人はハローワークを利用すべきでない。

45歳になりました記念に書く。

ネットで、「氷河期マウントはもういいよ」みたいなコメントをよく見るようになった。

思えば、氷河期ロスジェネなんてもう20年前、確かに大変だったろうけど、その間にリーマン東日本大震災コロナと、いろいろあったし

若い人が「氷河期いつまで擦ってんだよ」っていう気持ちになるのもわかる。

そんな俺は氷河期世代ではあるが、幸運なことに就職にそこまで苦労しなかった。

学歴は良くない。地方国立大学院出、2浪0留。

2浪に特にかっこいい理由はなく、単にだらけてただけ。

さすがに2浪して、やばいって思って受験学校勉強も頑張ったので、成績はよかた。

同じ研究室の仲間は教授推薦で地元企業就職したりしていたが、俺はそれしちゃうと断れないので、自力就活したけど

ES10社くらい、履歴書はたぶん5通くらいしか送ってなくて、2社ほど最終まで進んで、先に内定くれた今の会社はいって19年になる。

なので、ネットでよく見る氷河期残酷物語みたいのにはあまり共感がない。自分研究室の同期もそこまで苦労してる印象はなかったので。

この19年で結婚もしたし、子供もできたし、30年ローンで家も買ったし、バラ色ではないかもしれないけど、そこそこ楽しく暮らしているし

会社の同僚や仕事で知り合った同世代も、まあ似たような生活をしているので、40代非正規悲惨問題などはネットをしていなければ

ずっと知らなかったと思う。

氷河期世代一口にいっても、格差がかなりあると思う。俺は普通に暮らしていく上では、氷河期世代問題認識することはほとんどない。分断を感じる。

で、じゃあそんな40代非正規のひとをどうすべきか、みたいなことを考えるに、ちょっといい手は思いつかなかったりする。

自分もそうだが、40過ぎれば体力にも健康にも問題が出てくるし、40までまともなキャリアやら経験やらを積み上げていけなかった人を採用して

教育して戦力になってもらって、とやるのはちょっと現実的だよな、と思う。

自分家族犠牲にそういう人を救おうとも思わない。自分家族大事

きっと氷河期はこれからもいろいろと割を食っていくんだと思うけど、とにかく自分家族を守っていこうとしか考えていない。

コロナ影響で突然、失職してしまったご近所さんがいる。俺がもしそうなったらと思うと、恐ろしくて震える。家族と家のローンがあって

実家には老いた父がニートの妹と暮らしている。とても頼れない。

精々、リストラ対象にならないように仕事頑張るしかできない。どうしたもんかな。誕生日にこんなこと書く時点でもうダメかもしらん。

お前らも頑張って生きろよ。あばよ。

人に好かれるのってくだらねえなって思う

好かれないよりいいかもしれないけど

かといって仕事内定が出るわけでもないし(一次で通過しても、人事とか役員には好かれない程度)

仕事をもらえるわけでもない、恋人になるわけでもない

1000時間かけて面白いことした時に3000円ぐらい払ってくれる。みたいな

そいつにとって時給3円みたいな立場

この待遇で「あなたのことが好き」に大真面目に対応しないといけないって

そらもうめんどくせえ

 

仮にこれで絶望して自殺したりしたら

「たまに小銭を稼いでいて、人気があった、なぜ死んだかわからない」

って感じのこと言われるんだろうな。「私たち応援していたのに」みたいな。時給3円で。

2022-07-04

無職になったし、彼氏と別れようかな

仕事探しているけど無職である。私が。

まるで役に立たないが国家資格も持っている。私が。

 

彼氏は私が有名企業に勤めてないと自分に相応しくないって考えの人間

有名企業内定出なければ私と結婚もしないと思う

 

ご存知の方もいらっしゃるだろうが名の知れた企業リスクを恐れる

チャレンジングな採用は基本しない。仮に能力があってもダメである

もう転職は無理だと思っているし、頑張るの辛いから別れたい。

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