はてなキーワード: CGMとは
https://anond.hatelabo.jp/20190717110227
伝えたいこと(つってもただの愚痴なんだけど)が伝わってないなと思ったんで改めて書きたいんだが、
件の画集の販売を中止にしろとか、そういうことを言いたかったわけではないんだ。
なおかつ、かなりつっこまれたけど、自分は著作権だ親告罪だとか、フェアユース法()だとかに詳しくない。
それで今後その絵師が困ったことになろうが、どんどん人気を得て発展していこうがどうでもいい。
もう一個ついでに言うと、トレス元に問題がない(自分で撮った写真だったとか、フリー写真素材、購入した素材写真集の写真とかさ)写真を
絵師が写真をトレスして描いていようが、出来上がりがいいなら別にいいんじゃない?そういう手法なんでしょ。とも思ってる。
ただ、
「他人の写真作品(=今回でいう、恐らく無許諾の写真)を、ほぼそのまま丸トレスし、
被写体の顔だけキャラにした絵を「自分の作品」とし、それが悪いことだとも思わない絵師」と
「その絵師を取り囲み、「バレなければOK」「みんなやってる」なんて都合のいい法律を挙げて絵師に吹き込むファン」
の構図に悲しくなった、というだけの愚痴だったんだがな。
あとすまんが、元の内容で書かなかったことも書く。
初音ミクの二次創作は公式でガイドラインはあるもののOKとされているので一旦「そもそも二次創作なんだが?」という話は置いてくれ。
こと初音ミクって、「CGM(消費者生成メディア)の象徴」とか言われてきてさ、
だからこそ、初音ミクを作り上げる界隈全体が、1人1人のクリエイターや作品を尊重して大切にしてきてた印象だったんだよ。
作品1つ1つが初音ミクを作り上げる要素だった。(と思ってた。)
あんまり主語を広げると怒られるな。自分はそう見えていたって話な。今回で「もう違うんだな」思ったけど。
自分の言う「クリエイター」って、音楽作る人、絵を描く人、モデリングする人文章書く人、写真撮る人、コスプレする人…
件の絵師も初音ミクが好きで初音ミクを描いてるクリエイターなわけで、
それを取り囲むファンも当然初音ミクのファンたち。中には、かなり古参のファンもいた。
それが余計に悲しくてさ。
彼らにおいては、「元の写真を撮ったクリエイター」への敬意とか、何もないじゃん。
その首をミクや他のボカロキャラにすげ替えた絵が魅力的なのって、元の写真がそれで魅力的だからなんだよ。
元の写真が素敵に、魅力的に撮られているから。わからないかな。
絵師も、元の写真がいい雰囲気だったから、キャラに置き換えて描こうと思ったんでしょ?
それを放っぽり出して、
やれ「バレなければOK」「法的には問題ありませんでした!ご心配おかけしました!」って、
写真を撮る人間として、写真というものが軽視されているのも悲しいし、
初音ミクファンとして、他人の作品をこんなに軽視しているクリエイターや初音ミクのファンがいることが悲しい。
「初音ミク」を囲む創作の連鎖の中で、誰かの創作物や作品に対しての敬意みたいなものが生まれていてほしかった。
それこそ、過去にも同じような騒動はたくさん起こってきたはずだ。
長くなってしまったけど、そういうこと。
まぁ、初音ミクに関係ないところでも、やっぱり無許諾写真をそのままほぼトレスして(画像検索で元写真が引っかかるレベルのトレスだしな)
著作権に興味があるのはそれを使って何らかの利益を得られる者だけだ。(誰かの著作権違反をネタにマウンティングすることも含む)
一握りのスターしか著作権によって富を得られない状況では、多くの人にとってそんなもの守る意義が薄い。
本来消費者であるはずの人たちがコンテンツを作りアップロードするCGMの世界観は、本来決してなれるはずのなかったクリエイターの立場に消費者を引きずり込む画期的な仕組みだ。
そしてYoutubeやニコ動がクリエイターに報酬を払うまでは素晴らしい筋書きではなかっただろうか。
後は誰でもコンテンツで儲けられるようになれば完成だ。
床屋政談が盛り上がるのは、その結果が予測できないから、と言える。
ニコニコ動画にインフラ整備を求めるのは、ビジネス面から見れば荒唐無稽にしか見えない。
例えば「ニコニコ動画がインフラ投資をしていれば」「お金を払ってCDNを使えば」という予測は、
『無料会員でも快適に視聴でき、ライブ配信も満員にならず、少しのノイズもなく配信できる』
という状況に繋がる。
ユーザーは、大変に嬉しいだろう。視聴に限ればabemaTVがコレに近い。
月額課金の形態で品質が高いものには、NetflixやHulu, Amazon Prime Videoがあるだろう。
さて、ニコニコ動画がabemaTVと同じ状況になったとして、有料会員は増えるだろうか。
減るだろう。激減するだろう。
無料で快適に観られるものにカネを払う客は、少なくともニコニコには居ない。
現在のニコニコ動画の有料会員は、「ライブ配信にスムーズに入れる」「視聴環境が良くなる」「タイムシフト再生ができる」等の、ユーザー体験にカネを払っている。
簡単に言えば、家でダラダラ動画を見る時に、イライラしたくないことに月500円払ってるワケだ。
さて、他の月額課金の動画配信サービスは、何に対してカネを払うだろうか。
名探偵コナンの一挙放送?ブレイキング・バッドの新シーズン?The Grand Tour?
そう、コンテンツに対してカネを払う。
快適な視聴体験は当然の前提であり、「コンテンツを観ること」に月1000円前後払っている。
じゃあビリビリ動画やYoutubeみたいな、無料でCGMやってる他のトコロは?
ビリビリ動画は「無料で公式のアニメが観られる」ことに価値があると説得でき、
Youtubeは「考えられないほど広大なロングテールに広告を載せる」ことに価値があるとみなされ、
いずれにしても、投資家からカネを巻き上げるか、広告主からカネを払ってもらうかが、儲け方になってる。
ニコニコ動画は、とてもカネを払いそうにもない限定された客層からカネを巻き上げる、世にも奇妙なビジネスモデルになっている。
だって、「品質は悪いが無料で観られる」と「カネを払うとまだマシになる」の状況で、カネを払ってもらえるんだから。
面白く演出されたカビキラーの動画を観るために月500円払うわけじゃない。これは強調しておきたい。
投稿される動画の偏りから、広告主を集めづらく、大規模な契約が得られない
適当なことをやって資金調達が出来るほど、運営主体が小さくない。
月に10億のオーダーで収入があるおかげで、辛うじて動画配信サービスの元締めでいられるニコニコ動画が、
リア充御用達の動画ばかりにして広告主を集める集金マシーンになるところも
小さな子会社に落ちぶれて、華やかなビジョンで株価を上げ続ける資本主義の権化になるところも
どうなるにせよ、ニコニコ動画はニコニコ動画では居られなくなる。
他人の動画にコメント載っけて流すみたいなネットミームもどきが、
曲がりなりにも合法化して、摩訶不思議な課金形態でそこそこの規模の集金をし、
未だにゲームの実況配信だの素人コンテンツ動画だのが結構な頻度と物量で更新される
恐らく世界最大規模にうまく行ったコンピュータ部の継続して行われている部活動状態ってのは、
日本みたいな強烈に締め付けの強い地場で上場企業の中で一部サービスとして行われてるってのは、
これは一瞬で消える流れ星を流すつもりがデケエ流星痕が残ってんな―という状況なのが正しいのではないか。
面白く演出されたカビキラーの動画を観るために必要なのは、4K画質とスムーズなローディングじゃない。
それは人類には早すぎた動画を集める名伯楽だったり、人類には早すぎた動画を作成する暇人だったりする。
そして、綺羅星の如しユーチューバーでは眩しすぎるし、人生を切り売りするほど覚悟も持てない人が、
思いつきで動画を上げて、必死で作成して動画を上げて、知恵と勇気と技術を注ぎ込む壮大な「場」だろうと思う。
ここで敢えて名前を出さないのは個人的には好きになれないからだが、N高や超会議やカクヨムを見ていて思うのは、
オタクという単語で括るには特殊な分類の、しかし間違いなくある種の人間が集まる場所を、
継続して維持するために、キチンと稼ぎ続けて次に繋げ続けている人が音頭を取っているのは、大変に幸運だと思っている。
Ustreamが潰え、Justin.tvが消え、ニコニコ生放送がまだ生き残っているのは、やはり何度考えても奇跡みたいなものだ。
ある種のヘボコンさを残したまま(ある種の人にとっては)とてつもなく価値の高い動画が生まれ続けるのは、「場」があるからだろう。
ジェフ・ベゾスみたいにeコマースだと思ったらクラウドサービスも販売しまーすみたいにならない限りは、
果てしなく分の悪いマラソンを延々続けていくだけだろう。
だって考えてもみてくれよ。まだ200万人も500円とは言えカネ払ってんだぜ?
大金かけて製作されたドラマシリーズを大量に有する動画配信サービスの会員数と匹敵するぐらい
面白く演出されたカビキラー動画とか、良く判らないテニス合宿ゲームの実況配信がウケてるってことなんだぜ。
これは誇って良い。
オレが家でダラダラと動画を見続けるにあたって、ゲーム実況だの、タイヤが転がり続けるのを追いかけるドキュメンタリーだのが、
Googleの謎の超技術で「オマエの脳波的にこう言う動画が良かろう」とリコメンドされる未来が来たときだと思う。
(あと、YoutubeLiveとTwitterが4chanと魔合体して、ゲーム実況主がこぞって移籍して視聴者とゆるく対話が出来るようになったとき)
ドワンゴがカドカワだまくらかしてなんか面白いことずっと続けていけるのは、実務面での超技術だと思うんだよね。
エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか という記事が話題になっていて、色んな人がいろんなことを言っていた。定期的にこれ系の話が出てるような気がするけど、結局人それぞれだと思う。
業務時間外に勉強するような人はプログラミングやら何か作ったりするのが好きな人が多いんだろうけど、その理由も人によって様々だと思う。自分の場合はどうだろう。
自分がプログラミングの勉強とか、何か作ったりとかそういうことをするようになったのは、ざっくりいうと学生時代に飲食店バイトとかコンサート会場の設営とかせずに図書館でパソコンかたかたして金が欲しいからだった。結局Crowdworksで請けた仕事をして何万円か稼ぐくらいが精一杯だったけど。
勉強はそこに至るための準備だったり、あとは趣味的な部分が大きかった。また、過程をブログにでも書くと誰かが有難がってくれたりするので、そういう楽しさもあった。
当時はなぜかベンチャーでバイトするとかいう選択肢がなく(馬鹿だし独学で無理だと思ってた)、思いつくのがウェブサイトのアフィリエイト収入とCrowdworksくらいしかなかった。今思うと、ベンチャーでバイトよりよっぽど難易度高いような気がしなくもないけど、当時は意識高くて賢い人達に囲まれた環境に週何日も通わないといけないバイトの方が不可能に思えた。
ウェブサイトのアフィリエイト収入を得るにはウェブサイトなりブログを運営すればいいんだけど、自分でおもしろブログを書けるとも限らないので、ユーザーが投稿してくれたコンテンツが広告収入につながれば美味しいと思っていた。
そんな浅はかな理由でCGM(Consumer Generated Media: ユーザー投稿型のウェブサイトなどの総称)を作ろうと思ったり、iOSアプリを有料で販売したいと思ってiOSのプログラミングの勉強も少しした。結局続いたのはウェブサイト作りの方だった。
当時のスキルで請けられる仕事なんて少ないので、ソフトウェアエンジニアとしてお金を稼ぐにはもっと勉強しないといけないと焦っていた。とにかく勉強してスキルを身に付けてソフトウェア開発でお金稼ぐんだというモチベーションが強かった。接客や肉体労働が得意だったら、そんな焦りもなくもっと明るい学生時代を過ごせたような気もする。
そのため基本は仕事をもらう → 勉強する ではなく、勉強する → 仕事を請ける という順序だと思っていたし、今でもそうだと思っている。そんなことを書くと真面目な雰囲気がするけど、ある意味これは、業務であたふたするのが嫌だから先に勉強したい、馬鹿だから先に予習しないと無理、みたいなネガティブな考え方から来てる。
もっとポジティブであれば、学生のころからベンチャーに飛び込んで「一生懸命がんばります!」とか言えたのかもしれない。要領が良かったりポジティブな人は仕事をもらってからでも勉強できるし、自分のようにネガティブな人は仕事をもらう前から勉強して臨まないとストレスに耐えられない(と思い込んでいる)。
そうやって振り返ってみると、業務時間外の勉強は当たり前だ。しかし仕事に自分の人生の全てを注ぎたいと思っているかと言われると、そんなことはない。できるだけ働かず、日中読みたい本でも読んでいたい。個人運営のウェブサイトの広告収入で暮らしたいなんてことはもう諦めているけど、仕事する時間を減らしたり、自分の立ち位置を少しでも有利にするには、結局スキルを身につける必要がある。そのための勉強はどう考えても必要だし、学ぶ楽しさみたいなのは今のところ感じられているので、勉強は趣味としてやりたいことの一つでもある。
自分のことばかり書いてしまったけど、一番上で参照させていただいたブログ記事を読んだ感想も書いてみる。
ブログ記事を書いているのは雇われる側のエンジニアではなく、雇う側の方なので、あのブログ記事は「うちの会社には、勝手に勉強してくれるエンジニアが入ってきてほしい」というアピールというか想いみたいなものなのかなと受け取った。
あの記事はあまり勉強できてない人が嫌な気持ちになるだけで、勉強たくさんしてる人が来たくなるかというとよくわからないので、もっとこう社内の本棚の充実具合をアピールするとかそういう方がいいんじゃないかなと思う。たぶんバズらないけど。
Game8 (Gunosy), AppMedia (ベンチャー), GameOpera (運営不明) をはじめとしたお前らだよ。
てか、おまえらWikiじゃないこと自覚した上で「攻略Wiki」って銘打ってるよね。
別に攻略サイトという存在自体には異論ないのよ。正しくやるなら。
この構図、Welqと同じなのよ。
ブログとかWikiって「CGMです」っていうニュアンスが入っているのね。
だから内容も、ある意味でお察しだし、画像にしても日本には概念が無いとはいえフェアユース的な感覚の逃げがある。
Twitterにパクり画像あげてもアメブロにニセ科学の記事書いても一定許されてるのはUGCだから。
Naverまとめの逃げの根拠は、違反報告による削除可能性がある前提で、一定のモラル違反が許容されるUGCということになってるから。
でもお前ら攻略Wikiの実態は、自分達で、お金でしこしこコンテンツ作ってるじゃん。
そう、Welqが即死したのは、UGCのふりした自社コンテンツだっただから。
てことで同類。
つーか、UGCじゃなきゃ、スクショ加工したバナーとかアイコンとかアップしてるの全部真っ黒じゃね。どうせ運営に許可なんて取ってないんでしょ?
プレイ動画については一悶着あったけど、動画プラットフォーム自体が限られていることもあり、そことの間の交渉もあったし、一定の解決はなされたと思ってる。
メーカとのコネに強いファミ通なんかは、ちゃんと交渉しているかも。むしろメーカから依頼されるレベル?
では、ベンチャーや運営会社不明のサイトは……そこんとこどうなん?
てか、攻略メディアに限らずではあるんだけど、何らか交渉しているなら、その旨分かりやすく明記してほしいよね。
よくあるなんたらマークみたいな。
この記事は「#音ゲーマー達の発信所 (1枚目) Advent Calendar 2016」の参加記事です。
http://www.adventar.org/calendars/1448
当時の会社を辞めてから随分経ったが、最後の仕事で作詞した曲が収録されたと聞き、久々にゲームセンターを訪れ、数年振りにアーケードの音楽ゲームをプレイした。ユーザーカードのログインに間誤付く、オプションの付け方もわからない。弱いユーザーになったものだ。幸いにも(現在は立場上この表現が許されている)待っている客は少なく、ギャラリーは居なかったので、タイミングの勘が全く戻らないGOOD連発プレイでも心苦しくなる事はなかった。
初めて遊んだ時から10年以上も経ったが、あの頃と何ら変わらず、リズムに合わせてボタン押すだけで楽しかった。
ゲームセンターと、音楽ゲームと、その周辺の人達による、空気感が好きだった。駅前の古いゲーセンは薄暗く、筐体に付属するハロゲンランプの光が眩しく瞬いている。客はいつも変わらない面子だし、動画サイトは当時無いから、曲を聞き入るには筐体前に居るしかないし、上手い奴は偉い(偉い以外に表現が難しい)ノートにはメッセージが、コルクボードにはイラストが、気怠げな店長、客上がりでボタンメンテに熱心な店員、そんな歳とは思いたくないけど、スマホも無い頃にぼんやりと順番待ちをしていたあの頃も、良かったと思っている。
そのまま好きが高じて、音楽ゲームの制作に携わる事になった。心持ちとしてはミーハーさが大部分ではあったけど、残った誠実や矜持を言葉で表すとするならば、自分が作るゲームによって、人と人とが繋がって欲しいと思っていた。自分が感じたあの空気感をもっと多くの人に伝えたい。オンラインゲームが台頭し、mixi/TwitterといったSNSサービスによって人の繋がりは変わっていくけれど、同じゲームで遊ぶ時間と、ゲームセンターというリアルな空間によって人が繋がる事で、かけがえのない感動を与えられるのではないか、と。
入社3年目くらいだっただろうか。新規ゲームの制作プロジェクトに参加する事になった。音楽ゲームというのは1度作ると、その後はガワを変え、曲を入れ替え、時々新機能追加を何年も続けるという事が多く、完全に新規のタイトルを作る事は中々出来ない事だった。USTREAMでDJが曲を回し、ニコニコで初音ミクがアイドルとなり、コミケで東方アレンジが同人音楽を席巻していた時期でもあった為、CGMをキーワードにユーザー参加型のコンテンツを、というコンセプトのゲームの制作が始まった。その辺りにドップリ浸かっていた当時の自分は、きっと『俺達の考える最強の音楽ゲーム』になるぞこれは、という期待が高まっていた。
が、0から1を生み出す苦労をまだ、この時の自分は知らなかった。
仕事量は現在に至るまでで一番厳しかった。震災があってナーバスにもなったし、人とブツかるし、思い通りにならない事が多くて、このゲームのソフトアップ後の年明け早々に、自分は泣きながら上司に会社を辞めたいと話をした。色々理由は自分の中ではあったけど、振り返ってみると出来上がったものに満足出来なかったのだと思う。やりたい事が全部出来なかった。力量不足の塊が形として残ってしまうのは本当に辛く、情けなくなった。見るのも嫌になって、ゲーセンに足を運ぶ事は無くなった。
この心境には確信があって、更に数年後に大体同じ理由で本当に会社を辞めてしまうからなんだけど、この時は上司に引き留められた事で退職は未遂に終わった。
引き留められたからといって、心境が大きく変化した訳ではなかったけど、リリース後の当面はバグフィックスや機能追加を淡々と行うだけだったから余裕が出来て、辞めてからどうするか、が考えを上回った事で前向きにはなった。特別なユーザーにアイコンを与えるカードデータを仕込んだり、大会の最中に遠隔操作で新曲を開く仕組みを作ったり、収益を考えずに人が目の前で驚いてもらえる施策を入れられたのは、自分個人には良いカンフル剤になった。公式Twitterの更新は変な頭捻るから辛かったけど……
また、夏を越えた頃にはユーザーの声も良く聞く様になり、上々な反応も返る様になった。緩い通信対戦のお陰でプレイヤー同士がお互いの認識を強くした。盛り上がった事で、同人のオンリーイベントが開かれたり、ユーザー参加型を謳った事で、ユーザー同士がオリジナルの音楽CDやイラスト集を作ったり、ゲームとは関係なしに普通に遊びに行ったりする様が、ネットでも、ゲーセン以外でも見れる様になった。
もう一度言うけど、自分は自分が作るゲームによって、人と人とが繋がって欲しいと思っていた。同じゲームで遊ぶ仲間を作って、いつかゲームは遊ばなくなってしまうだろうけど、繋がりだけが残ってくれれば、それでいいと思っていた。
今では、作って良かったと、心からそう思っている。
季節外れのインフルエンザだよ!
カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。
(下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね)
カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。
勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。
カドカワにとっては、美味しい漁場ね。
という企画書になってるハズ。
Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数の「視聴者」が居るから。
Twitterとか2chとかでTV番組のコメント拾うとソコソコ的確なデータが揃うのも同じ。
ということはだ、カクヨムの場合は「読者」中心に設計しないといけないはずだった。
が、ニコニコとかがあると、どうあっても「作者」寄りに設計するよな。
そこがマトモにシミュレートしてねえよなって感じる所。
まあ、「読み専」って単語そのものが既にして判ってねえ感満載なんだが、
繰り返しになるけど、評価者が中心に来ないとまずい。
誰も評価しなかったらどうなるか?
誰が使うんだそのメディア。
今のカクヨムは、その状況。
まあ、面白い作品があって埋もれてる状況って、もったいないよな。
そうすると、例えば以下の手法がある
どこまで読んだかの栞、傾向の似てる作品のレコメンド、読んだ作品数の貯金。
あらゆる読者向けサービスで使われている書影(表紙画像)って記憶にダイレクトに効いてくるので、
pixivと連携して書影コンテストを開催するくらいのことはやって充実させる気概が欲しい。
コレがあるだけで、チョット読んでみようかって人が増える。
カドカワに人材居ないなら、それこそ日替わり編集長とか頼めばええがな。
目が多ければ問題になることは少ないんだよね。つまり、評価者が少ないのが問題。
だったら、「参考になったレビュー」と「参考にならなかったレビュー」をさらに評価するのが手っ取り早い。
(興味深いとか面白おかしいみたいな、スラド方式もあるけど、いきなり導入は難しかろうな)
まあね。
でも、そのレビュー評価で作品選んでんだから実は同じなんだよね。
星の合計数が出てるってのがそれ。他の人の評価で選ぶなら、他人の評価を読んでるのと一緒。
AmazonとかAppleが星の合計数じゃなくて「★★★が何人です」ってやってんの意味あるんだよ。
★5と★1にピークがあるなら人を選ぶ作品だってわかるし、★5が多いなら読んで損はしない。
知らず知らずのうちに人は評価者に影響を受けてる。
ちゃんと評価されればね。
なんでかって言うと、無名の1万人の作品を読む暇人は基本的には存在しない。
ニコニコ動画に「人類には早すぎた動画ランキング」がある理由を思い出そう。
ログイン後に強制的に玉石混交の作品を読まされるとかじゃない限り、人はランキングに頼る。
チートは弾くべきだけど、やるべきことは「互助会への加入補助」になるんだよ。
互助会ってワードが強すぎると思うなら、クラスタの生成とか、ニッチなクラブ作りでも良い。
ハードSF好きとか、スーパー攻め様だけ読む人とか、ネットは広大なのでニッチの組閣は必ずできる。
(設計的には評価者だけの組織化を促すべきなんだろうけど、難しかろう)
今は、「読者」間の繋がりを作る方法が全く無い。
まあ、そのうち週刊カクヨムができてピックアップされたり、
今週の短編のお題が出されたり、
そういう風になっていくだろ。
もう俺の作品は日の目が見ることはないだろうが、そんなのはどうでもいい。
俺だけでなく多くの人が期待をこめて飛びこんだカクヨムをこのまま潰さないでくれ。
そして、これを見たWEB小説に少しばかり興味がある人、どうか頼む。
多くの耳目を集めて準備期間も取った今のカクヨムには、面白い作品がかなり埋もれている。
俺もいっぱい出会った。それをなんとか探し出して少しでも延命してやってくれ。
運営がなにかしらの一手を打つまで、そこまで生き残らせてくれ。
この増田に触発されて書いたのに、元増田ですら作品名書けてない現状が全て。
何言ってもステマ扱いされるようなコミュニティは健全じゃないよ。
クックパッドでも(アレだけ揉めながらも)つくれぽが人気なのは、
現時点でコミュニティ作りが全くないのは致命的。
何に焦ったか知らないけど、見切り発車しすぎじゃねーかな。
多くの分野から物語を集めるタイプと、一つの分野のなかで物語のバリエーションを作っていくタイプだ。
ファミレスのガストと牛丼チェーンのすき家みたいな違いだろうか。
たとえば同じジャンル小説でも、
SFには、タイムトラベル、ディストピア、スペースオペラ、サイバーパンクにスチームパンクなど、さまざまな物語の形式があるが、
ミステリには、大雑把に言えば「事件が起こって推理して解決する」という筋書きしかない。
密室、倒叙、見立て、安楽椅子、刑事、怪盗、館、時刻表、日常の謎…。
「事件が起こって推理して解決する」というテンプレートをもとに、
膨大な変奏を生み出しているのがミステリというジャンルなのである。
話を表題に戻すと、だから「少女漫画は恋愛物ばかり」だとしても多様性が無いとは言えないし、それはWeb小説でも同じだということだ。
遠目に見て「どれも同じじゃないか」という感想になるのは仕方ないが、
街行く人々にも人生があるし、道端の雑草にだって名前があるということで、どうか一つよろしくお願いしたい。
そういえば、いまニコニコ動画で話題になっている「マリオメーカー問題」などもこれに近い。
ニコニコ動画では、何か「祭り」が起きるとそれに関連した動画が大量に作られて、ランキングを埋め尽くすことがある。
こうした二次創作的高速サイクルは、むろんニコニコ動画に限らないCGM全体の風潮であり、
Web小説の「異世界」はむしろこちらと同根の現象と見なすべきかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150429005010
アニメーターが貧乏なのはアニメ市場に金が入り込まないから。その理由は機械との競争が現実化しつつあるから。
言うまでもなくこの機械とはインターネットとモバイルのことだ。AIではない。
インターネット上には、表現したい欲求を持つ誰かによる無償のコンテンツで常に溢れかえっているし、
モバイルにはフリーミアムな見かけ上は無償のコンテンツが溢れかえっている。
アニメの市場が拡大しないのは、こうした無償のコンテンツと競い合うはめになっているから。
そしてアニメーターの低賃金は、無償のコンテンツの供給過多によるデフレーションによるものだから。追い打ちとしてグローバル化にともなう賃金の均衡化もある。
これはインターネットの性質からすると必然であり、対岸の火事と思っているおまえらの食い扶持だっていつこうなるかわからない。
これにやがてAIによって自動生成されたコンテンツが加わる事になる。
そしてそれらはコピーされフォークされ低コストにあるいは自動的に改変され情報生産コストは限りなくゼロコストに近づいていく。
kawangoはコンテンツは出し惜しみしろと言ったが、人間の欲求(消費したい/表現したい)がこれを許さない。
コピーや改変によって無償の富が溢れかえるのはインターネットの本質なので、アニメ業界を潰せみたいな考えを推し進めると
やがて情報に関わる全ての市場は無償の富か自動化されたシステムに代替されていくんだろうし、CGMをうながす機械やコンテンツを生成する機械を専有する資本家や事業者が富を独占するんだろう。
というか市場というもの自体が一種の人工的なシステム(機械)なので、我々はもうシステムを制御しきれず支配されて駆逐されつつあるといっても良いんではないだろうか。
その胎動みたいなのが、アニメーターみたいなコンテンツ生産者の貧困なんだと思う。
言えるのは、労働法のようなルールは、テクノロジ由来のこの動きに比べ動作が遅すぎるので無力だし、ナイーブに市場原理に任せて潰せはディストピアまっしぐらなので間抜けだということ。
やるべきことは、自動化されすぎた世界における富の分配というグランドデザインを早急に議論し検証し実装することなんだと思う。
そうしないと強いAIなんかが現れるよりずっと前に、世界は貧乏人で溢れかえるだろうし(すでにニートは6億人くらいいる)、貧乏人の中から出現するinsaneな人々が暴れまわる暴力の時代が出現すんだろうね。
「ローンで買わなかったんですか。」
後で別ルートから聞いた話だが、ローンがあればそれを盾に、給料を引き下げるつもりだったようだ。
お前うちに放り出されたら行くところないだろう、だから給料下げても働け、というわけだ。
PGは教えれば誰にでも出来る仕事だし、トップレベル以外は差がつかないので、
なるべく給料が安くて聞き分けのいい若者にやらせたがる。上流も一緒。
そんな会社だから、自衛策として自分でCGM系のWEBサービスをつくった。
これが大体月に30万円くらい。サーバー代はたいしたことない。
まあ時間は湯水のように使った。土日や連休、長期休暇はほぼヒキコモリ。
でも、家賃収入で月30万得ようとしたら、初期投資で3000万は必要だから、投資対効果はバツグンだ。
ちなみにいつ首になってもいいように、家も買った。中古の家を一括で。自分で好きにリフォームして住んでいる。
上の文章を書いた後、
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蜜を塗り虫を誘き出すように酔狂なフリーク達を集め、
彼らの相互作用の樹木(共同体的文脈)から生成される文化(果実)を
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運営が組織原理として安易に規模の拡大を目指せば崩壊へと簡単に拍車がかかる。
規模の拡大は運営側がフォーマルに改造を行う事で成される為に、
水清ければ魚棲まず。
そして、門戸を大きく開放した事により、
それを得る為に評価される事を望み、
愚にもつかないクローンを量産するという、
属性主義的な人々の参入も加速していく。(例:HIKAKINクローン)
良いコンテンツを掘り出すのも一苦労。
フリーク達も嫌気がさして移り住み、
運営は過去の遺産を使い回して食い潰すしかなくなる。(例:初音ミク)
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だからこそ運営側は上手く距離を取った上で管理していく必要がある。
枝分かれ(分散化)し過ぎたり、大きくなり過ぎたりすると、
その構成組織(構成員)がネタ・ストーリー(共同体的文脈)を"追えなく"なり、
共同体意識・コミュニケーションが喪失、組織崩壊を起こして倒壊する。
支え木、整枝、他の木を育てる為に光が届くような気配りも必要だ。
そこで初めて安定的に収穫が出来る。
だから化学肥料(金)を振りまけば、木が生えるなどと甘く考えてはならない。
それは責任や拘束を伴うし、相互関係を阻害する物でもあるからだ。
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作り直さなければならないという状況に確かにニコニコは陥っている。
公式アニメや転載物という外来コンテンツがランキングを多数占める様を見れば分かる。
このままではyoutubeなどと差別化出来ず、顧客を奪われて行くだろう。
だからコンテンツを作り出すプロを呼び込もうと運営側は焦っているのかもしれない。
しかし、本当にそうならその場しのぎにしかならない事に気が付かねばならない。
それは一方的な"供給"であり益々ニコニコを「ただ見る場」にしてゆく行為に過ぎないのだから。
本当に必要なのは「集まって簡単に楽しくワイワイ何か出来る場」なのだ。
ユーザーはそういう"経験"が出来る"場"こそを求めているのだ。
そしてその場を地道に作って行くしかない。
自分にとって関わりも物語も何もない第三者のコンテンツならテレビで見られる。
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ステータスを狙って繕う事と口先だけ回す事が上手な人々が横入りして、
実際"物"を作って来た現場主義でエゴイステックな情熱馬鹿の人間を「融通が利かない」と追い出し、
組織原理に追従して先人の遺産を食いつぶし落ちぶれていく様は良くある事だ。
そして、落ちぶれて行くのに気づいて焦り、某ナルドの様に明後日の方向に疾走していく事も。
かつての空き地は、もはや無い。
しかし、かつての空き地に立つソレもまた好ましい物であってほしい。
かつての空き地の住人は昔を思ってそれを眺める。
about CGM
消費者って、ソフトウェア「初音ミクを」などの購入者、ユーザー。イラストレーターでもフォトショップでもいいんだけど。
消費者じゃないじゃん。製作者じゃん。そりゃ、大工もトンカチ屋さんからすれば消費者なんだけど、普通は製作者でしょ。
家とか作るんだし。
ミュージシャンも、楽器メーカーからすりゃ、消費者だろうけど、製作者ってイメージのほうがよっぽど強いよね。
飯が食えるかどうか、プロかアマかは別として、作ってるんだったら製作者だろ。
日曜大工が趣味の人間が製作者っていうイメージは弱いけど、単純な消費者じゃないよね。
ディアゴスティーニとかを買って作る人は製作者じゃなくて消費者だろうけど。
キットを作ってるだけなら消費者かもしれない。プラモデルとか。
そこに改造を加えていくような人は、単純な消費者っていうイメージが薄れていく。
アニメのワンシーンをジオラマで再現してるような人は、製作者じゃないかな?
たぶん、「『消費者』が作るメディア」っていう言葉の「消費者」という言葉。
そこに強く違和感を覚えて気持ちが悪いんだろうな。
あちらこちらで騒がれているアニメ会社過労死の件について。アニメーション制作は大変らしいが、外部の人間としてはどれだけ大変かが分からない。自分はアニメに無知なので、まずはアニメの案件がどれくらいの規模なのかを調べてみた。パラパラマンガを見た事がある人ならわかるように、アニメーションは、複数の静止画(コマ)を動かす事で成り立っている。ここで調べた事を要約すると、
と、アニメは大まかに3つの過程に分けて作られるようだ。さらに詳しい工程は「アニメ制作工程2」に譲るとして、ここからは自分がこのアニメのコマの監修するして思った事を話そう。
まず確かに上記の要約から考え、1で1コマの各素材を書き分けるためキャラクターの動作、背景と違う人が書き分けやすいし工数削減出来そうな手法だ。ここで1秒間に30コマ書くと仮定し、24分放映すると仮定するならば、1話当たりに用意するべきコマの総数(コマ) =30(コマ/秒) * 60(秒/分) * 24 (分) = 43,200(コマ)と仮定できる。さらにこれを5日間で書くと仮定すれば、1日当たりに書くコマの数(コマ) =43,200(コマ) ÷ 5(日) = 8,640(コマ/日)とかなりの数を書くことになる。
計算をしてみて思ったが、こんなの誰がやるんだと思ってしまう。これだったらアニメの広告枠の売買をしてる方が儲かりそうなものだ。ここからは下請けの業界が何故見なし残業になりやすいかについて話す。
以下のサイトを見ていると、まずアニメ制作会社のポジションは広告代理店、テレビ局が受注した案件を受ける形のようだ。ここでアニメ会社に入るお金の割合は800(万円) / 5,000(万円) * 100 = 16(%)と低い割合だ。どうにもこうにも30%〜40%位は欲しい所。
スポンサーが5,000万円を払うが、広告代理店や放送局が介在して、最終的にアニメ制作会社に入るお金は 800万円(「アニメ産業の低賃金:Open ブログ」より)
さらに一件当たりの案件単価の平均を800(万円)と仮定し、1年当たり10本アニメを作ると仮定すれば、アニメ会社の年間総売上 = 800(万円) * 10(本) = 8,000(万円)、月平均 = 8,000(万円) / 12(ヶ月) = 666.7(万円)と受注した単価を割る模様だ。
机上の計算から、アニメ制作会社の年間売上を推定した所で本題といこう。こういう制作業界がみなし残業になる理由は、契約上一定の額で制作を請け負う形になり、その額を社員(複数人)に割り振る形になるからだ。会社側は固定費として足がでないようにしたいため、業務委託や歩合制と言った都合の良い労働契約(詳細は労働基準法を参照)を社員に吹っかける形になる。冒頭の16%(800万円)の話でもそう。広告代理店やテレビ局サイドは頭が大変良く、肝心な作業を安く押し付け、残りの84%(4,200万円)を形で制作会社を利用する訳だ。
ともするとこういった会社だと、残業を顧みず沢山働いてくれる人を欲しがるはずだ。求人広告の「○○が好きな人」と言うのは、残業して給料が出ないけど大丈夫ですか?と言う意味と言っても過言でない。
id:TM2501さん 何が問題かというと、コンテンツ系は安かろうとハードだろうと「好きでやっているんだろう?」と偉くなるまでそれを当たり前にされちゃうこと。いや、偉くなっても資本家から買い叩かれちゃうこと。構造的欠陥
id:Arturo_Ui さんところで奴隷は嫌々働いてるから「程々に手を抜く」ことを学ぶもんだけど、「仕事が好き」という使命感だけで続けてると、却って歯止めが利かなくなるのかもしれない。
とこの方々の指摘通り、社員がコンテンツが好きな事を会社に利用されてしまうんだよな。さて自分は「程々に手を抜く」ではなく「程々以上に手を抜く」人間だった(笑)。かつてソーシャルゲームの会社で仕事していたが、残業代が出ないから、大変な仕事は敢えて受けず、デバッグだけやって定時に上がっていたものだ。それでもって上司に退職を迫られたとき「周りが残業してるから残業しろ」と言われた。空気を読まない自分であったが、過労死で倒れなかったから今があると考えると辞めて良かったと思う。
無論こうした業界の制作で働く場合は、制作手法を覚えて独立、コミケの同人誌のネタ探しなど自分で稼ぐ勉強として働くのが良さそうだ。要は好きに流されず、自分の目標みたいな物を持っておくとよい。
一方で会社としての理想論を言うならアニメ制作で余った人員を、キャラクター原案などを担当させたり、CGM(Consumer Generated Marketing)など最初の広告費がかからない案件などに回す。上手く当たれば初音ミクのようなブランドが登場すれば、既存の広告媒体から独立する事が可能となる。いずれにせよ自分自身で利益を生み出せるように持って行かないと、下請け産業はきついと思う。