はてなキーワード: USTREAMとは
ustreamは2007年3月に一般向けサービスを開始、ニコニコ生放送は2007年12月にサービスを始めたが一般ユーザーが配信できるようになったのは2008年12月。
https://b.hatena.ne.jp/site/live.nicovideo.jp/?page=209
https://b.hatena.ne.jp/site/ustream.tv/?sort=eid
スマホ用配信アプリが提供され始めたのがustreamは2009年12月、ニコ生は2010年5月だったらしい
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/keyword/393661.html
https://blog.nicovideo.jp/niconews/ni007519.html
新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。
この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。
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この文章は現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。
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本作のあらすじを簡潔に書く。
九州に住む主人公の少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中の廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズが地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)
抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程で東北の被災地を訪れることになる。
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これは2011年3月11日、日本列島を襲った未曾有の災害、東日本大震災を主軸に据えた映画だ。
いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。
「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」
一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨の言葉が語られる。
「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。
後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。
この映画は我々が体験してきた被災の記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。
映画館に足を運んだとき、自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズが地震を起こし、物語の舞台が神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカーが首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。
忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送、津波で一掃された土地、そういったものの映画の中での情報の感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベルで自分の記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフの美術や演出の面々に感服させられた。
だからこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。
その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。
これが少しでも YouTube の予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。
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この作品について語る上で、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。
こんな話だ。
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東京で働くうだつの上がらない銀行員の中年男性が、ある日かえると出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトとミミズが現れ、男性の身体がミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。
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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。
この小説は1995年に日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本の安全神話が崩れた年だ。
作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件の関係者・被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会、他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。
氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉で表現している。光の一切届かない暗闇、自身の身体と周囲の空気、現実と非現実の境界が曖昧になる。死に近い場所だ。
人の日常生活では感知し得ない深い場所・心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。
翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身のルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実と霊界の境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。
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「神の子どもたちはみな踊る」は善悪の二元論ではなく陰陽論の物語集だ。
太極図、という白と黒の勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。
こんなのだ☯
善悪、明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。
太極図について、ちょうど三角関数を学んだときに単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。
日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。
「かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公がミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。
この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。
宗教二世を描いた表題作「神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクのホテルで神戸に住む男の存在を思う研究者の女性にせよ、海辺で焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないものが存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ。
その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分は勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。
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我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはらむ危険性をつい忘れてしまう。
東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズの描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震の前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。
そこの描写が本当に良かった。地震とはいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。
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東日本大震災の発災当時、自分は東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。
2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。
インターネットに張り付いて、東北地方や東京の情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。
当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。
日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリーは被災地に飲料水を発送し、ソフトバンクは公衆 Wi-Fi を無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本の若者が NHK による被災状況の中継をカメラで撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者が自身の責任と判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote は有償の容量無制限サービスを日本人に向け一時無償提供を行った。
今ではウクライナと戦争真っ只中のロシアはプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍は作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。
悔しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅、避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。
あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。
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働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事ももう若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。
10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの、体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。
あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場で唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。
そこに前述の草太のセリフだ。2011年に東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。
あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。
新海誠の新作となれば中高生も大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代が災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。
もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。
この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。
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これで最後だ。
東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災者であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。
遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。
やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこの文章を不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。
またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。
いくつかのバンドはそのうち完全に忘れてしまいそうなので書いておく
なんか嘘書いてるかも
初めて行ったライブハウスが渋谷屋根裏で、神聖かまってちゃんを見に行った
UStream かなんかで下北沢駅前でポイフルを配る配信をしていて、実物見たいなと思ってライブハウスに行った
https://www.youtube.com/watch?v=qVz7xN8Pimc
https://www.youtube.com/watch?v=ZRRCrC5kvww
# Mr Freddie Mercury
後に Mr.Freddie&The Mercury devil に改名してたけど当時は Mr Freddie Mercury だった気がする
このバンドは神聖かまってちゃんを見るために初めて行ったライブハウスに出演してて最終的に神聖かまってちゃんよりもハマった
ベースの人が全裸で出てきて人前に全裸で出てきていいんだって思った記憶がある
それ以降頻繁にライブを見に行った
下北沢DaisyBar が多かった気がする
毎回異常に盛り上がっていた
夏の魔物にも行った
ミイラズと戦ってたやつ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14140713964
https://www.youtube.com/watch?v=9WWwx_2_CKg&ab_channel=mamyu01
ライブ見に行ったら新町ばっかり10回くらいやってたような気がする
そのライブでめちゃくちゃ酔っ払ってる女の人に「オワリカラのボーカルの人ですよね!!」って声をかけられた
特に似てない
「ひぐらしの鳴く頃に」という曲がアルバム出る前は違うタイトルだった記憶がある
多分デモとかだと思うんだけど全く思い出せないので誰かわかる人いたら教えて下さい
https://www.youtube.com/watch?v=Wnmlib_K240&ab_channel=acidlandcolor
https://www.youtube.com/watch?v=z9gEimPVIDU
# THE BOHEMIANS
THE BOHEMIANS も確か渋谷屋根裏の同じライブに出てたはず
その時は全然ピンと来なかった
衣装にお皿みたいのついてて衣装にお皿ついてんのかっこいいなとだけ思った気がする
その後好きなバンドを見に行くとボヘミアンズが出てくることが多くて結局好きになってしまった
「私の家」「ロックンロール」が好きだった
Ustream…なんでつぶれてもうたんや…
ここですら全く言われないUstream
2ちゃんにあった実況板にあったskypeで知らない人・国に安価で突撃リレーラジオ
DJ名はひろしの嫁で、
繋がりも薄くなってしまったけれど基本はPCを使ってインターネットをする時代で。
2019年の今と違って、youtuberなんかいなくてUstreamがちょっと出てきたくらいで、
今みたいに実名ありきでなくて、
世界中の知り合いでない人とも繋がることができる世界だったのかと思う。
だいぶ長くなるかもしれないけど、今日のことは記しておきたくなった。
2019年3月23日に心不全で亡くなったと彼のお仕事仲間の方から
facebookのメッセージを通して3月28日の夜に連絡がきた。
3月30日の13時から火葬場に行く前に斎場でお別れの会を開催しますと。
12年前のリアルな世界では、プロデューサーとして一流な仕事人と聞いていた。
でも、Skype上では酒、タバコ、女、鉄道、アニメが大好きで
すぐに下ネタに走るし、ド変態だし、セフレいるし、すぐにヤろうとかいうし、
お金持ってるはずなのに、たまに本当に金欠でお金貸してとか言って踏み倒すし、
強引でくずだなあwだと思っていた。
本名も知っている仲で、オフあったのも数える程度だったけど会っても同じ感じで
でもなぜか、嫌いになることができなくて、
猫が好きで、酔っ払ってすぐ仕事とはこういうものとチャットで語り出して
むしろ仕事の姿勢の話はほんと尊敬していて不思議な魅力のあるナイスミドルだった。
ここ5年くらいは全く連絡していなくて、
こないだつい3週間前に偶然facebookで誕生日のポップアップが出てきて
おめでとうとメッセージを入れたぐらいだった。
そんな彼が亡くなったと。
そんな彼の訃報が本当だったら?
12年前に、俺を呼べるくらい仕事で成功するいい女になれよ、と口癖のように
チャットでも、通話でも、オフで会った時も言っていた姿がよぎった。
嘘だったら、嘘でもいいし。
本当に最期なら挨拶したいと思って、今日、3月30日に横浜の斎場に足を運んだ。
もし本人が生きていてちゃんとした喪服で行かなかったら、
怒られるなと思って喪服も昨日急いで10着ぐらい試着して1着買った。
電車の中で、もしかしたら生前葬かもしれないとか考えたりしていたら目的駅に着いた。
話しかけると目的地は一緒で、彼に仕事を頼んでいたクライアントさんだった。
彼女も先日これからお願いしますと挨拶したばっかりで、びっくりなんですと。
そんな話をしていたら、斎場に。
受付して10mもしない先に彼の棺と思い出の品々があった。
お線香の匂いがして、棺の右隣にお母様とご親類の2人立っていて。
女性が2人泣いていて。
お焼香の仕方もおぼつかなくて、きたよと挨拶したけれど本人と顔をあわせるのが怖くて
棺の中は見れなかった。
棺の横にはサッカーのユニフォームの写真や猫を抱っこしている写真もあって、本人だ。と思った。
仕事仲間で今回の会をお手伝いしている方が
時間になったら献花とお見送りに向けて声をかけますと言われて待機することにした。
同じように待機している人20代くらいの2人組に話を聞くと、
4、5年前に知り合ってスポーツ関連の仕事を紹介してもらったんです。
お酒とタバコがだいすきで、仕事のオンオフがはっきりしていて熱い人でしたよ。と。
もう一人同世代の方とも話したら、
仕事に熱く、クライアント先で話し出したら10分ぐらい一人ノンストップなんですよ。と
笑いながら話してくれた。
12年前に私が思った印象とあまりリアルも変わらないんだな。と思った。
私も正直にネットで知り合った友達と伝えると、みんな意外そうな顔をしていたけど、
彼らしくいろんなことに手を出してるね。と笑っていた。
そんなことを話していたら、時間になってお母様のご挨拶があった。
お母様に挨拶させるなんて。
彼のお父様が若くに亡くなって、形見の結婚指輪をはめて大事そうにしていたことを思い出し、
なにやってんだと悲しくなってしまった。
ご親族がお棺を開けてYシャツにネクタイ、上着、彼の苗字が書いてある日本代表の青いユニフォームをかけてあげて。
マルボロだったり、ミニカーだったりを入れて献花の時に最期に顔を見て挨拶した。
昔と比べて白髪やしわが増えていたけれど安らかな顔をしていた。
ぽんさん、
相変わらずスーツが似合うね。
なんでか涙でちゃうなあ。
スカ凸のDJさんたちもきたがっていたよ。
リアルの人の話きいたけど、あいかわらず若い人への応援が熱いね。
喪服6万円のなんだけど、もっとちゃんとしたやつ買ったほうが長く使えてよかったかな?
昔、服を買うなら一流のやつを買って長く使えって言ってたもんね。
ちゃんと仕事できてるかな。ぽんさんがいういい女になれてるかなあ。
そんなことを心の中で思いながら最期のお別れをした。
霊柩車に乗って彼の棺はお母さんと、弟さんと彼女さんの3人と斎場を離れて
お別れの会は終了した。
どういった人選をされたかわからないけど、この場に来れてよかったと思う。
なぜかと言ったら失礼だけど、意外と彼が亡くなったことが悲しくて、
亡くなっても、なお人の死に慣れろよと、勉強させてもらっている気がする。
笑いながら、俺職場でも私生活クズだけど仕事は尊敬できますよねって言われんだよね。と
語っていたのを思い出した。
彼と色々12年前に話した思い出の中で一番印象に残っている言葉がある。
よく聞く「俺は会社の歯車だ」と愚痴るやつは歯車じゃねえ、会社にとっては埃なんだからと。
いま社会人として仕事をしている私の礎になっている言葉でもある。
実行できているかはわからないけど、これからもこの言葉を大切に仕事人として歩んでいこうと思う。
先に逝った飼い猫のポン太を撫でられているかな?
落ち着いたらまた、お墓に会いに行くね。
安らかにねむってね。
きこより。
「多角的な視点から分析を試みる」とあるが、客観的なデータが一切なく、
「ではないか」「と思われる」「興味深い」と主観的で一面的な感想に終始しているため、
内容に一旦疑問を持つと、それ以上読み進めることが難しい。
「関係性消費」についても下調べが不足している。
最低限、日常系以外のコンテンツとの「関係性」の比較・検証をし、内容の客観的な違いや売上、言及数などのデータがないと、この仮説は成り立たない。
また、腐女子にとって「関係性」が重要だというジェンダー比較が出てくるが、なぜ現在の日常系は腐女子からではなく男性向けから出てきたのか。
・同じくバーチャルYouTuberの人気も「関係性消費」だけで説明できるのだろうか?
前段となるニコ生やUstreamやYouTuberなどの動画配信、また声優ラジオなどの類似コンテンツの調査・比較は少なくとも必要。
また、キズナアイ登場時は、関係性よりも単体のコンテンツとして人気だった印象があるが、その変遷も調査しデータとして述べる必要がある。
全体的に最も信憑性に乏しい段。
「ホモソーシャルな絆」がキーワードのようだが、「腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く」という文言があるが、単なるイメージでしかない。
「BL研究家」を名乗るものがマイノリティへの差別意識を吐露し、またそれに追従するBL愛好家たちが炎上した件が有名である。
逆にホモソーシャル的な絆を強めるためには「攻撃対象」を用意することが有効という事例もある。
主観的な意見だけで不用意に書かれているので、要調査の上で客観的なデータを伴って修正する必要がある。
また、旧来の男性おたくが少女漫画と親和性が高かったという事実も、本稿では重要なポイントになるのではないだろうか。
全体としてデータ不足が顕著。
床屋政談が盛り上がるのは、その結果が予測できないから、と言える。
ニコニコ動画にインフラ整備を求めるのは、ビジネス面から見れば荒唐無稽にしか見えない。
例えば「ニコニコ動画がインフラ投資をしていれば」「お金を払ってCDNを使えば」という予測は、
『無料会員でも快適に視聴でき、ライブ配信も満員にならず、少しのノイズもなく配信できる』
という状況に繋がる。
ユーザーは、大変に嬉しいだろう。視聴に限ればabemaTVがコレに近い。
月額課金の形態で品質が高いものには、NetflixやHulu, Amazon Prime Videoがあるだろう。
さて、ニコニコ動画がabemaTVと同じ状況になったとして、有料会員は増えるだろうか。
減るだろう。激減するだろう。
無料で快適に観られるものにカネを払う客は、少なくともニコニコには居ない。
現在のニコニコ動画の有料会員は、「ライブ配信にスムーズに入れる」「視聴環境が良くなる」「タイムシフト再生ができる」等の、ユーザー体験にカネを払っている。
簡単に言えば、家でダラダラ動画を見る時に、イライラしたくないことに月500円払ってるワケだ。
さて、他の月額課金の動画配信サービスは、何に対してカネを払うだろうか。
名探偵コナンの一挙放送?ブレイキング・バッドの新シーズン?The Grand Tour?
そう、コンテンツに対してカネを払う。
快適な視聴体験は当然の前提であり、「コンテンツを観ること」に月1000円前後払っている。
じゃあビリビリ動画やYoutubeみたいな、無料でCGMやってる他のトコロは?
ビリビリ動画は「無料で公式のアニメが観られる」ことに価値があると説得でき、
Youtubeは「考えられないほど広大なロングテールに広告を載せる」ことに価値があるとみなされ、
いずれにしても、投資家からカネを巻き上げるか、広告主からカネを払ってもらうかが、儲け方になってる。
ニコニコ動画は、とてもカネを払いそうにもない限定された客層からカネを巻き上げる、世にも奇妙なビジネスモデルになっている。
だって、「品質は悪いが無料で観られる」と「カネを払うとまだマシになる」の状況で、カネを払ってもらえるんだから。
面白く演出されたカビキラーの動画を観るために月500円払うわけじゃない。これは強調しておきたい。
投稿される動画の偏りから、広告主を集めづらく、大規模な契約が得られない
適当なことをやって資金調達が出来るほど、運営主体が小さくない。
月に10億のオーダーで収入があるおかげで、辛うじて動画配信サービスの元締めでいられるニコニコ動画が、
リア充御用達の動画ばかりにして広告主を集める集金マシーンになるところも
小さな子会社に落ちぶれて、華やかなビジョンで株価を上げ続ける資本主義の権化になるところも
どうなるにせよ、ニコニコ動画はニコニコ動画では居られなくなる。
他人の動画にコメント載っけて流すみたいなネットミームもどきが、
曲がりなりにも合法化して、摩訶不思議な課金形態でそこそこの規模の集金をし、
未だにゲームの実況配信だの素人コンテンツ動画だのが結構な頻度と物量で更新される
恐らく世界最大規模にうまく行ったコンピュータ部の継続して行われている部活動状態ってのは、
日本みたいな強烈に締め付けの強い地場で上場企業の中で一部サービスとして行われてるってのは、
これは一瞬で消える流れ星を流すつもりがデケエ流星痕が残ってんな―という状況なのが正しいのではないか。
面白く演出されたカビキラーの動画を観るために必要なのは、4K画質とスムーズなローディングじゃない。
それは人類には早すぎた動画を集める名伯楽だったり、人類には早すぎた動画を作成する暇人だったりする。
そして、綺羅星の如しユーチューバーでは眩しすぎるし、人生を切り売りするほど覚悟も持てない人が、
思いつきで動画を上げて、必死で作成して動画を上げて、知恵と勇気と技術を注ぎ込む壮大な「場」だろうと思う。
ここで敢えて名前を出さないのは個人的には好きになれないからだが、N高や超会議やカクヨムを見ていて思うのは、
オタクという単語で括るには特殊な分類の、しかし間違いなくある種の人間が集まる場所を、
継続して維持するために、キチンと稼ぎ続けて次に繋げ続けている人が音頭を取っているのは、大変に幸運だと思っている。
Ustreamが潰え、Justin.tvが消え、ニコニコ生放送がまだ生き残っているのは、やはり何度考えても奇跡みたいなものだ。
ある種のヘボコンさを残したまま(ある種の人にとっては)とてつもなく価値の高い動画が生まれ続けるのは、「場」があるからだろう。
ジェフ・ベゾスみたいにeコマースだと思ったらクラウドサービスも販売しまーすみたいにならない限りは、
果てしなく分の悪いマラソンを延々続けていくだけだろう。
だって考えてもみてくれよ。まだ200万人も500円とは言えカネ払ってんだぜ?
大金かけて製作されたドラマシリーズを大量に有する動画配信サービスの会員数と匹敵するぐらい
面白く演出されたカビキラー動画とか、良く判らないテニス合宿ゲームの実況配信がウケてるってことなんだぜ。
これは誇って良い。
オレが家でダラダラと動画を見続けるにあたって、ゲーム実況だの、タイヤが転がり続けるのを追いかけるドキュメンタリーだのが、
Googleの謎の超技術で「オマエの脳波的にこう言う動画が良かろう」とリコメンドされる未来が来たときだと思う。
(あと、YoutubeLiveとTwitterが4chanと魔合体して、ゲーム実況主がこぞって移籍して視聴者とゆるく対話が出来るようになったとき)
ドワンゴがカドカワだまくらかしてなんか面白いことずっと続けていけるのは、実務面での超技術だと思うんだよね。
2003年開始。
2006年ごろに日本でも話題となり、現在では「バブル的な流行」の代名詞として何かと引き合いに出される仮想空間サービスだが、もちろん現在でも運営は続いている。
このジャンルのパイオニアらしく最近はVRにも力を入れており、「Sansar」と呼ばれるVRプラットフォームのβ版が先日公開されたばかりだ。
2008年開始。
2011年のおせち騒動など日本では何かと悪評がつきまとった共同購入型クーポンサービス。
2015年に大規模なリストラを断行するなど長らく低迷が続いていたが、その甲斐あってかこの四半期の業績は好調だったという。
2003年開始。
一時はSNSの覇権を握ったかに思えたが、2009年に後発の「Facebook」に追い抜かれたあとは、すっかり存在感をなくしていた。
2011年にジャスティン・ティンバーレイクが資本参加し、2014年には利用者の増加率からリブランディングに成功したと話題になったが、まだまだ往時の隆盛を取り戻すには至っていないようだ。
2003年開始。
はてなブックマークのパクリ元海外版とも言えるソーシャルブックマークサービスの草分け。
2005年に「Yahoo!」に買収されたあとは低迷し、売却されていくつかの企業を転々とした末に、現在は同種のサービスである「Pinboard」のもとでかろうじて生き延びている。
2004年開始。
かつては「Delicious」と並んでソーシャルブックマーク/ソーシャルニュースサービスとして隆盛を誇ったが、2010年のバージョンアップでユーザーが離反、競合だった「Reddit」に敗れ去った。
現在は別の企業のもとで全く作り直され、ややソーシャル要素を減らしたニュース配信サイトとして存続している。
1999年開始。
P2Pのファイル共有サービスとしてその悪名を世界に知らしめたものの、2000年に全米レコード協会などに提訴されて敗れ、2003年に倒産した。
その遺産を買い取った別企業により音楽配信サービスとして再起した「Napster」は、2012年に競合の「Rhapsody」に吸収されたものの、2016年にブランド名が「Napster」と変わったことで再び復活している。
2012年開始。
個人向けのマイクロペイメントサービスとして、ちょうど最近の「Mastodon」のように日本でも利用者を増やしたが、それ以降はあまり話題になっていない。
とはいえ特に大きな失敗があったわけではなく、機能を追加しながら順調に運営されているようだ。
2007年開始。
動画ストリーミングサービスの嚆矢としてその地位を確立しかけたが、モバイルシフトに乗り出すのが遅れ、「YouTube」や「Twitch」などに追い抜かれることとなった。
2016年にIBMに買収されたあと、2017年に「IBM Cloud Video」へ移行されることが発表され、「Ustream」ブランドは消滅することとなった。
2009年開始。
当初は位置情報を共有するSNSとして注目を集めたが、資金調達に苦労するなど低迷した結果、2014年に「Foursquare」と「Swarm」という二つのアプリに分割された。
前者は「Yelp」のようなローカルビジネスのレビューサービス、後者は従来の位置情報共有サービスである。現在は再起に成功したという。
2004年開始。
写真共有サービスの先駆けとして人気を博し、2005年に「Yahoo!」に買収されたが、モバイルシフトが上手くいかなかったこともあって伸び悩んだ。
現在では「Pinterest」や「Instagram」といった競合サービスの後塵を拝しているが、とはいえ「Delicious」に起きた悲劇ほどではない。