はてなキーワード: 50%とは
最低限の前提(下記に記載)は踏まえることが出来ている前提で書くけど
ポリコレはぶっちゃけ環境に優しいエコなボクワタシ(Conspicuous conservation)と
似たようなもんだからな?
気を使えることが即ち社会ステータスなのだ。もちろん社会的ステータスのためにやってるからアピールもする
ひたすらに憐れだから
その1:
社会性動物は不平等に敏感。犬さえも🐕 自身の生存やコミュニティの存続に関わるのだから当たり前
日本語記事:イヌのジェラシーを検証(ナショナルジオグラフィック)
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
日本語記事:ラットも他者を傷つける行為を嫌がることが判明:研究結果(WIRED)
その3:
利他の精神は生まれつきで一部は遺伝子特定済み。生まれつき親切ではない身勝手な人は存在する
○ その親切な行動、50%が遺伝!?
あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。
バスでお年寄りや妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。
見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うのかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。
研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%が遺伝要因による先天的なもの、50%が環境要因による後天的なもので形成されているそうです。
他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人に共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります。
研究の結果、ドーパミンの代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合の金額を募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。
SNPにはGG,GA,AAの遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると
[mycode]
その4:
個人間の争いでは利己的な個体の方が有利だが、集団になった場合、利他の精神を持つ個体の集団の方が有利
個人間の争いでは利己的な個体の方が強いので遺伝子を残し続けるが、蟻🐜と同じく常に利他的な個体が増える速度の方が速い
「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析
日本語記事:『裏切り蟻』が増えるとコロニーは過労死で滅ぶが利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので滅ばない
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf
記者会見開催ごとに支持率が大幅下落! ついに日経・テレ東調査でも、不支持率が上回る(安積明子) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/azumiakiko/20201228-00214863/
日経新聞とテレビ東京が12月25日から27日まで行った世論調査では、内閣支持が前月比16ポイント減の42%で、不支持が前月比16ポイント増の48%と、不支持率が支持率を上回った。
菅内閣の支持率45%、16ポイント減…読売世論調査 : 世論調査 : 選挙・世論調査 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20201227-OYT1T50157/
読売新聞社が26~27日に実施した全国世論調査で、菅内閣の支持率は45%となり、前回(今月4~6日調査)の61%から16ポイント下落した。不支持率は43%(前回27%)に上昇した。
不支持と回答した者以外は全て支持と同じなので、
全員が回答したとしても57%となる。
仮に回答率が50%だとすれば、
当事者が余裕しゃくしゃくなのも十分うなずける。
ワイは自分の責務をプライドを持って果たすことに理由は要らないが増田は理由がいる
それだけのことだね
交わらぬ線〜〜
能力・学歴問わずいる利他の精神ゼロの生き物かつ、増田のいう “恥ずかしくない生活” とやらのために要らんことする生物が滅したのだと思うよ
利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだってさ
琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授と日本学術振興会の土畑重人特別研究員の研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働にただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。
個々が社会の目標より自分の目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間と微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。
辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。
「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。
研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合いの利益にただ乗りしている。
研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。
自由競争の下では相手からの助けにただ乗りし利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合いの社会が発生することについて辻教授は、自然科学と社会科学の両分野で重要なテーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会の助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf
○ その親切な行動、50%が遺伝!?
あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。
バスでお年寄りや妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。
見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うのかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。
研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%が遺伝要因による先天的なもの、50%が環境要因による後天的なもので形成されているそうです。
他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人に共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります。
研究の結果、ドーパミンの代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合の金額を募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。
というSNPにはGG,GA,AAの遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると
[mycode]
(当たり前の例)
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。中学校入学時点で問題行動を取るような生徒はせいぜい10人程度なので、その人たちだけ少人数制の特別クラスにぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民の学ぶ権利の敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、都市と地方の教育リソースの差は簡単には埋められないので、現状こうでもしなければ私立進学校の選択肢のない地方民は安定した中学校生活を過ごせないのではないかと思う。
あのさぁ……。はてなでは定期的にADHDネタがバズるからそれで例えてみるよ。
はてなでは知らん人が多いだろうけど、実はADHDは犯罪とすごく親和性が高い。
100のうち99の研究がADHDと反社会的行動との親和性を報告している[142]。ニュージーランドで行われた大規模調査では、ADHDのうち60%が非行化したと報告されている[143]。またアメリカで行われたADHDと診断された児童と一般の児童に関するコーホート調査では、ADHDと比較群において、青年期の犯罪はADHD群が46%で比較群は11%、成人期における犯罪はADHD群が21%で比較群が1%、成人期の服役はADHD群が11%で比較群が0%という結果であった[144]。実際にADHDの児童や人物は、一貫して世界中の少年鑑別所、留置所、刑務所において大きな比率を占めていた[145]。グジョンソンたちは、成人の服役者に対してさまざまな診断基準を使用して、多数の国々におけるADHD率をレビューした結果、ADHD率は24~67%であった[146]。ドイツの研究では囚人の45%が何らかのADHDであったが、一方で対照群では9.4%であった[145]。2007年に発表された日本の研究によると、少年院生185名(全員男性)を対象にLD・ADHDスクリーニングテストを実施した結果、ADHDと疑われる者は153名で全体の82.7%を占めていたことがわかった[147]。また、同じく2007年に発表された日本の研究によると、女子少年院生70名を対象にLD・ADHDスクリーニングテストが行われた結果、ADHDの疑いがある者は36名で全体の51.4%を占めていた[148]。このようにADHDと犯罪行動の親和性は極めて強く、ADHDは犯罪学で頻繁に登場する概念の一つである低セルフコントロールとの関連性が高いことが指摘されている[149]。
ADHDの児童や人物が素行障害(CD)と診断された場合、成人まで犯罪を持続させる可能性が劇的に高まるとされる[150]。これは、ADHDは行動抑制系の機能障害でCDは行動賦活系機能の亢進異常であるので[151]、ドーパミン行動賦活系機能の亢進(ドーパミンレベルの上昇)によって人は刺激的な場所へと誘われ、行動抑制系機能の低下により、意識的に立ち止まって思考することが制限されるためである(低セロトニン機能)。また、ADHDの人物、そしてADHDとCDの合併者は自律神経系の覚醒度が低下しているため[152][153]、そのことも犯罪行動に影響するとされている[154]。ADHDとCDの合併率は30~50%であり[150]、CDは5歳時辺りで発症する遺伝的基盤が極めて強い神経学的障害である[155]。
アメリカではADHDの人物が犯罪や非行を行うことで、年20~40億ドル相当の国家的負担となっていると試算されている[156]。
で、こういうのはどうよ。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。人生で反社会的行動を取るような人間はせいぜいADHDやダークトライアド程度なので、その人たちだけ少人数制の特別区にぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民に対して犯罪を行う敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、知能指数や自己コントロール能力、ADHDの遺伝率は60~70%ほど高く、環境による対処は簡単ではないので、現状こうでもしなければ発達障害者や精神障害者の犯罪に不安になっている一般国民は安心した人生を過ごせないのではないかと思う。
はてラボの注意みたら
> すべてが実験的なサービスです。完成度は総じて50%未満です。
> サービスが突然現れたり、突然無くなったりします。お預かりしたデータの保存は保証いたしません。
って書いてたらからいつか突然消えるやろ
このブコメに対して
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1634214
エアコン使わなくて良くなったからなんだけど、自分と同じ現象が起きる人はけっこういるはず、人口分布的に
その辺書きつつ他のコメントの誤解も解いていければと思って書く
濡れタオルで済ましている人はそれだと全然湿度足らないよって思うけど宗教の違いだと思うので言及しないでおく
持ってる加湿器はこれ
https://www.zojirushi.co.jp/syohin/humidifier/eedb/
象印の加湿器としては最もデザインが良く、商品のクオリティも高いと思う
スチーム式(加熱式)だとそれだけで部屋が暖かくなるからエアコン不要
住んでいるところの気候や部屋のスペックに依るところは大きいとは思う
俺は都心住みで使用しているリビングの広さは30平米くらいで集合住宅
持っている商品は22平米目安(集合住宅の場合)だけど強モードや一番強い自動モードの出番はなかった
湿度60%目安でね
うちと同等か、より有利な環境の人ってけっこういると思うんだよね
都内で30平米以上の部屋がある家の人って少数派だと思うから、都内だけでも相当数の人が同じような環境であり、そして都内は母数が多い
超最新のエアコンで効率いいやつと比較するとわからんけど、それでもめっちゃ電気代かかるってのは想像できない
もちろん条件次第だしエアコン併用した途端やばそうではある
でもエアコン使って湿度50%超えってどんな加湿器でも大変だよね
お手入れ必須なのは間違いないが、スチーム式以外だとお手入れもっとヤバい
最悪お手入れサボっても体に害はない(?)、あったとしてもスチーム式以外は害ありまくりだし
ちなみにお手入れなしで1シーズン買い替え戦略は見直した方がいいよ
カビについては夏の湿度を考えてみてほしい
部屋に湿度計つければ誰でも理解するけど、夏の部屋の湿度の方がハンパないから
夏越えの湿度達成しようと思ったら、狭い部屋で強モード運転24時間(就寝中に起きて水入れ必須)を何日も続ける苦行しないと無理
そもそも超高湿度運転をしようとは絶対に思わない、水入れだるいからむしろ50%でおさめたい
加湿器のタイプは関係なくて、部屋の湿度をどの程度にしたいかで結露が起こるか決まる
湿度60%だと冬なら結露は発生するけど俺は健康を優先しているし結露で問題が発生した事がない
夏超えできないから大丈夫と言いたいところだけど、適度な湿度ってのがあるのも事実
安いよ、風邪薬代一回分だよ
12月なら自動モード使わない方が良かったりするし、もう少し乾燥してくると逆に自動モードが良かったりもする
それでも危険と思うなら、もうこの話に限った事ではなくあらゆる部分で過保護になりすぎていると思うのでむしろそれが心配
スチーム式に限らずだけど湿度50~60%を目指すならタンクはでかい方がいい
水入れる頻度減るからそりゃそうでしょって感じだけど、想像より水入れる頻度高いし、そしてそれは想像よりだるい
直入れできない人(パワーがなくて持ち運びできない人、蛇口が伸びないタイプの家の人)はバケツ等の少し大きめの水差しが必要になるけどね
実家が太いので親はしっかり学業に投資をしてくれたが、馬鹿で勉強する気がサラサラ無く親の期待に答える気も皆無で反抗的というフルコンボで
当然結果がでないまま偏差値40ぐらいの滑り止めの中学校(大学までエスカレーター)に入った
そこは同じように、実家が太いどうしようもないクズ系ボンボンの集まりでそれはもう酷いものでした
当然のように学級崩壊していてまともに授業が行われるわけもなく
ごく一部のまっとうな人はやばいと気付いて高校で別の学校に抜け出したので、高校ではより純度が高まりとてもカオスだった
ちなみにそんな環境なので付属の大学には行ったのは20%ぐらいで、それ以外は高卒で就職したりひきこもりになっていた
自分は付属大学に行った人間なのだが、そこで外部の人間としっかり接して自分が馬鹿だと知った
(試験では上位10名とかに入るので頭がいいと勘違いしていた)
25% : 会社員
ぐらいな感じになっている
※追記
大事なの書き忘れた
起業したり、まっとうに昇進したりしてなってる
なんでなのかはよくわからん
将棋は楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスがディフェンスのゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスのゲームと言ってもいいでしょう。
チェスの競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋の競技人口は一千万人程度とガラパゴスの様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っています。チェスの公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率は50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け(千日手)の確率は2%前後であり、引き分けの可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率が拮抗し合っているため将棋はボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。
更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェスが10の120乗程度なのに対して、将棋は10の220乗程度ということですから、ゲームとしての奥深さも将棋はチェスを上回っています。因みに、宇宙に存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲームは宇宙それ自体より『深い』のです。
僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力が必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋を普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。
将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋の名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)
将棋のプロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われています。しかも、この奨励会に入会するのは小学生や中学生の少年少女です。つまり大の大人が血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまりは天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。
さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグを突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーションが存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います。
才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?
先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーションが存在しており、将棋のトップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。
つまりトッププロとは、仮に将棋人口が1000万人だとすれば上位0.0001%の人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的な日本のトッププロ達です。
羽生善治、藤井聡太、渡辺明、豊島将之、永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したものを意味する視線が、彼らには注がれることとなります。
つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます。
人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります。人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋の情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。
以下コピペ。
羽生四冠
「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」
森内九段
盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生。普段は自室の背景に板盤。」
「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書の文字1字だけが駒として自動的に動く。」
渡辺二冠
「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」
「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いか分からないまま何かある感じ。」
「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」
(出典:AERA No.38増大号'12.9.17『天才たちの「脳内パネル」』)
さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標がピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というものは将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提のアイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります。
つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは、脳内将棋盤が「ない」ということなのです。
頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることなく思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。
「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
つまり、常人は基本的に画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的に将棋を考える際には視覚的なイメージを媒介とするしかないのです。
しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます。藤井聡太や増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。
では彼らはどのように思考しているのでしょうか。
将棋の符号とは、数字と文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います。
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758
例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である「棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。
いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。
以下の記述はあくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考を追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります。
先程書いた将棋の符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。
「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分の文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考は基本的に符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分の思考を確認するために思考を画像に起こす、という作業はありますが、基本的に画像で思考することはありません」とのことでした。
先に書いた通り、画像で物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。
となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。
ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディーを脳裏に想起することができるようになりました。将棋の棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。
つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音が脳裏に浮かぶのと同じように、将棋のトッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須の能力ですし、実際に高位のプロ棋士やトップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています。
とは言え、そのことと「思考に符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。
勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽を継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味を圧縮することができ、効率的な情報伝達を行うことができるのだと。
勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的に実践することとは、また別問題です。
というわけで、画像を媒介にした思考と文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考の抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚的イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます。
さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。
その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502
――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。
「はい」
――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?
「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」
――盤は思い浮かべない?
「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」
「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」
――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。
将棋のプロの世界は腹の探り合いであり、自らの能力の本質である「思考の方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士の思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます。
さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。
全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。
以下のインタビューで彼は次のように語っています。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1
彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。
このような、実際の目視確認→脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考→符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。
さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在、12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段と豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。
最近の世界の流れで、2030年代に内燃機関を積んだ自動車の新規販売を禁止しようという動きが盛り上がっている。
ただなんというか、どうもコロナ後の経済対策をかねて強引に需要創出したいからだろうか、電気自動車=エコ=ガソリン車をなくすのが社会正義的な短絡的な思考回路が気になっている。
またマスコミ等の、1日でも早く電気自動車に舵を切らないと電動化による部品点数削減のあおりを受けて、PCやスマートフォンで電機業界がやらかしたように日本の自動車産業は壊滅するといったパニック的な論調にも違和感を覚えるので思うところを書きたい。
ちなみに筆者は非自動車業界のエンジニア、ただし工学部出身なので自動車業界の友人は多く、友人経由で業界の話はよく聞いている。
新し物好きなので2010年代の日本で市販された電気自動車である三菱のi-MiEVや日産のLeaf、トヨタのMIRAIは乗ったことがある。
残念ながら、テスラはレンタカー代が高すぎるのでいまだに乗ったことがない。
・電気自動車が必ずしも内燃機関を積んだ自動車よりもエコであるとは限らない。
・内燃機関を積んだ自動車が電気自動車に置き換わることが即部品点数減になるとは限らない。
・パソコンの自作のように簡単に自動車が作れるようになって新興国のメーカーにすぐに置き換わられることはない。(スマートフォンのHuaweiのように、研究開発能力の高い企業が台頭してくれば話は別)
Well to Wheelって言葉がある。ざっくりいうと、化石燃料を油田から掘り出して、自動車のタイヤを動かすまでのエネルギー効率がどれくらいになるかという話である。
例として、最新のガソリンエンジン車と現在の日本で最大の電力源である火力発電所の電力で電気自動車を駆動させた時を比較してみる。
議論の単純化のために、ガソリンや、発電用の重油やLNGを精製するまでの効率は一旦無視する。
現在、市販車の中で熱効率が最も良いガソリンエンジンはリーンバーンエンジンだが、一番効率の良くなる回転域で熱効率40%程度である。
それに対して、2020年時点で最も効率の良い火力発電所やリチウムイオン電池の効率は下記のようになる。
送電ロス:3%
0.6*0.97*0.9*0.9 = 47%
日本にある火力発電所のなかで、熱効率60%を達成しているものはまだ少数であること、リチウムイオン電池の特性は経年劣化することを考える。
発電効率が50%、充放電効率が80%に低下してしまえば、エネルギー効率は0.5*0.97*0.8*0.8=31%まで悪化し、内燃機関に効率の上で勝てなくなる。
現状の発電所の電源構成をとる限り、電気自動車にエネルギー効率上のアドバンテージはない。
火力に代わる安定的なベース電力といえば、現状原子力の比率を上げるしか選択肢がないわけだが、果たして社会的なコンセンサスが取れるのだろうか?
余談だが、電気自動車にはエンジンの排熱が存在しないので冬場の暖房効率が悪く、ものすごく早く充電量が低下する。
(レンタカーで電気自動車を借りたときに、上記現象を経験して効率の悪さに驚いた。)
逆に、下り坂などでのモーターの回転を利用して充電できる回生充電という内燃機関にない特徴があるので、この辺りは一長一短か。
自動車の動力が内燃機関からモーターに代わると、エンジン、トランスミッション、ブレーキの油圧機構等が不要になり、
現在5万点といわれる自動車の部品点数が1万点程度に減るのではないかといわれている。
代表的なGPUメーカー、NVIDIAの最新GPUであるGeforce RTX3090のTDP(熱設計電力)は350W。
10年位前まではハイエンドモデルのGPUでもせいぜい200W以下であったことを考えると、世代が進むごとに熱問題が深刻になってきていることがわかる。
実用的な自動運転が実現可能なレベルまで性能を上げていけば、冷却用の機構部品が新規に必要になるのではないか?
例を挙げるならば、プレイステーションが新しい世代になるごとに冷却機構が大げさになっていくように。
一昔前にはバックモニター程度にしか使われていなかった車載カメラ。最近では自動ブレーキやドライブレコーダーの普及によって1台の車に複数積まれるようになってきている。
これに加えてドアミラーがミラーレス化されたり、自動運転が進歩するとさらにカメラやセンサーの台数は増える。
ちょっとしたドライブレコーダーでさえ、1つ1つのチップ抵抗やチップコンデンサを部品1つとカウントしていけば、トータルの部品点数は100を超えるだろう。
こうした車載電子機器の増加は、同時に電力や信号を伝達するためのワイヤーハーネスの増加も引き起こす。
少し考えただけでも上記2点のように部品点数が増加する要素が考え付くのだが、本当に自動車の電動化がすすめば劇的に部品点数は減るのだろうか?
動力源が内燃機関だろうが、モーターだろうが自動車が自動車である限り車体の構造は大きく変わらない。
燃費向上のためには車体を軽く仕上げないといけないが、十分な剛性を確保するためには強くしないといけないので、相反する要求を満たすため、車体に使用される鉄素材に占める高張力鋼の比率は年々上がっている。
一般的に、高張力鋼は加工性が悪いので、より高性能な工作機械を新規に導入したり、プレスや溶接の手法を研究していかなければならない。
また、自動車の安全性能に対する各国の基準は年々厳しくなっているため、横滑り防止安全装置等の機構を新規に搭載する必要が出てきたり、様々な角度からの衝突試験に耐えうるボディ形状を設計開発しなければいけなくなったりで開発や試験の工数が増加しているため、世界最大手のトヨタでさえ車体開発コスト削減のために車種数を統廃合しているご時世である。
この現状に対して、パソコンの自作のようにモーターを買ってきて車体に乗せれば誰でも電気自動車メーカーをつくれる状況が来るのだろうか?
自動車開発のノウハウも資金力も不足している新興国の新興企業が、日米欧の主要メーカーに対抗できるだけの設備投資と研究開発が実現できるのだろうか?
可能性はゼロではないだろうが、通信業界におけるHuaweiのように、国家の資金と研究開発リソースをぶち込んだほんの一握りの企業しか台頭できないのではないだろうか?
実現可能性90%
・docomoの新料金プラン(以下「ahamo」とする)にauとSoftBankが追従する
・MVNOはかなりの数が淘汰される
・ahamoへの乗り換えをdocomoショップでやろうとする人間が出てくる(諸々は全部ネットでやらなきゃいけない)
実現可能性80%
・不採算店の閉店が相次ぐ→これにより地方の年寄りは丁寧な対応を受けられなくなる
・ahamo等の割安プランを契約している人のショップ対応は有料になる
・日本全国にアンテナを設置しahamo等の割安プランを導入出来るのは大手3社くらいなので新規参入は今以上に困難になる
・楽天モバイルは散々アピールしてきた2980円に並ばれ電波網も大手3社に太刀打ち出来ずジリ貧になる
実現可能性70%
・ahamoが実質的にはサブブランドと変わらないというカラクリが政府にバレてしまい更なる値下げを要求される
・端末割引が無くなり通信費が安くなる分端末代が高くなり合計で見ればトントンになる
そろそろ話してる時に「で?」って言ってしまいそうなので増田でガス抜きさせてもらう。
たまにとかなら全然許せるんだけどね、毎日顔合わせると50%ぐらいの確率でそのゲームの話をされるレベルだとめんどい。最初は相槌うって興味を持とうとしてたけど如何せん回数が多いので面倒になってきた。イベント発表された時とかはそのキャラのエピソードとか聞かされるんだけど正直知らんし…ってなる。
あとリアルでCPの名前だすのやめてくれ…。恥ずかしいしそもそも私は腐を自分から見に行くタイプじゃない。
距離を取るにも取りづらい関係なので難しい。いっそ自分もそのゲームを始めてしまえば楽かなと思うけど興味あるジャンルでもないし。
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。