はてなキーワード: 進学校とは
でっかい箱物作ってモノ集めてそこにわざわざ人間が移動して見るってバカバカしくないか?
縄文土器の360度映像とかモナリザの4K写真アップすればいいだろ どうせ見るだけなんだから
学芸員の解説もプロが映像編集してクオリティの高いものをYoutubeにでもアップすれば一回ですむよね 何度も何度も同じ話をするために人間雇うとかアホすぎ
そんな施設にアクセスすることもできない貧乏人や田舎者が払った税金が都会の文化資本豊かなエリートや暇なジジババのために使われるのは逆再分配
どうしても生で見なきゃ臨場感がないとかいう贅沢な人は税金ではなく民営化して自分の金で楽しんでください
図書館も小学校の図書室レベルの所蔵しかないド田舎と日本で出版された書籍の全てが納められる国会図書館に行ける東京とでは格差ありすぎだし全部ぶっ潰して電子書籍化したデータをインターネットで見られるようにしたほうがいい
公共の福祉とかなんかの特例で著作権なんて無視してスマホから見られるようにすれば、地方民や貧乏人、忙しい社畜にとっては今よりはるかに文化や知識にアクセスできるようになる。しかもローコストで。
これで困るのはリアルの箱物に文化や知識を閉じ込めておかないと税金で飯が食えない役人や学芸員、そして都会の施設にアクセスできるという特権を失ってしまうエリートぐらい。
金持ち個人のコレクションではなく国が集めて国民に公開するというのはその時代にとっては画期的ですばらしいことだったんだろうけどさぁ、いつでもどこでもインターネットで簡単に情報にアクセスできる現代では、その美術館だとか博物館自体が文化・知識の牢獄になってるんだよね
あと大学も原則すべての授業をYoutubeにアップするよう義務づけよう。国立大学はもちろん私立も膨大な助成金で経営してるところはすべて公開すべき
さすがにYoutubeで学位を付与できるわけないから大学を潰せとは言わないけど
ついでに田舎者や不登校引きこもりのためにスタディサプリみたいな感じで小中高や予備校の授業もアップしよう 東京でお受験して超進学校に通ってる子供が受ける教育と治安の悪い地域の公立動物園は全然同じじゃないしな
タイトルのとおりなんだけど
小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。
普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。
パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。
最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど
なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。
もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。
未練はなかったし、
何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、
さらに先輩の上には先輩がいてさらにサッカー部顧問の先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて
その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。
まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。
あまりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。
くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。
幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強にシフトすることにした。
で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って
男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間に漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手に合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。
で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。
理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。
中学の経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。
センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。
これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります。
でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。
無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。
じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性が活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。
なぜそこに入ったのか。おそらくそこしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社の労働環境は凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)
なんか書くの飽きてきたな。増田に長編書くモチベってなんなの?
で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性が出世できるわけではないので、大卒の男性なんて勝手に出世するんですね。女の人って大変ですね。
しかも、もともとが時代遅れのブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。
そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子ども生まれて、まさにヌルゲー人生を謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。
なにか仕事でヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったときに自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。
今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会の盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。
手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。
退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。
どうしたらいいですか?
僕は何を恐れてるんだろうか?
どうしたらいいんだ。
こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。
「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。
なんだこれ。最悪じゃん。
もう寝よ。最悪だ。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
最初に、こういったものは初めてなので読みづらいかもしれません。暇だしやってみっか!!ってなっただけなので暖かい目で読んでやってください。
今年から女子大生になって堂々と化粧ができるようになった。高校は自称進学校で化粧なんてしようものならハチャメチャに怒られる。なので小心者の私はせいぜい休日に友達と遊ぶ時にちょっとリップとアイシャドウを塗るくらいだった。なので高校生の時は「大学生になったら好きなようにオシャレしたりできるの楽しみだな~~」と思っていた。
受験でひいひい言いつつもなんとか私は大学生になれた。が、コロナのおかげで今日までほとんど登校していない。入学式もなくなり授業もオンラインやらオンデマンドやらで同級生ともまだ数人としか知り合ってない。小学生の頃から筋金入りの出不精アニオタなので自粛ライフもそれなりに楽しんでいたがさすがに暇。ということで化粧の練習をすることにした。
最初はもう酷いものだった。濃すぎたり、眉毛がおかしなことになったり、アイラインも全然引けなかった。美容系YouTuberの皆様の動画を死ぬほど観たりTwitterの美容垢を死ぬほど見たり母親に「変じゃない!?どう!?」と死ぬほど聞いたおかげでやっと人並みにはできるようになった、と思う。インターネットの発達した時代に死ぬほど聞いても怒らない母のもとに生まれて良かった。
さて化粧にそれなりに慣れてきた今、化粧が結構楽しい。これから今までの生活に戻って毎朝するようになったらどうなるかわからないけれど、自分の顔が少し華やかになるのはやっぱり気分がいい。ちょっとつり目気味なのが気になっていたけれどアイラインを跳ね上げて描くとなんかカッコイイし。ラメを瞼にのせると全人類に勝てる気がする。気がするだけだけど。「メイクは武装」と誰かがツイートしているのを見たけれどまさにそんな感じ。元々どちらかと言えばポジティブなので「今日のわたくし最高ですわよ!!!!!」とツイートする日が増えた。楽しい。何が言いたいかよくわからなくなってきてしまったがとりあえず私は今化粧が楽しいのだ。
ルパン三世を観ながら化粧をしたらなんかいい女になれた気がする!楽しい!!と思ったので文章化してついでにインターネットに晒そう!!と一気に書いたらものすごい長文になってしまった。こんな中身もないただの長文を最後まで読んでくれた方がいたらありがとうございました。
10年以上は前の話。
田舎出身。都会に憧れがあったので、首都圏の難関ではない某国公立大を志望した。当時の自分の学力に合っていて、希望する学科があるのがそこだった。田舎の県立高校で地道に勉強し、受験し、合格した。他の大学のことはよく知らなかった。国立単願だったし、元から偏差値が合わない大学は眼中になかったので。俺はただ憧れの大学に通えることが誇らしく、新生活に胸を躍らせていた……
4月。新入生オリエンテーションが終わり、同じ学科の数人で集まって話していたときのことだと思う。経緯は忘れたが、同級生の1人が「こんなBランク大学」と言ったのだ。「本当はこんな所に来るはずじゃなかった」「俺の同級生には東大生がたくさんいる」と。(今考えるとFランではなくCランでもなく「Bラン」をチョイスしたところに彼の葛藤が伺える)
それを聞いてとてもショックだった。なぜかは分からなかったが、ものすごくショックだった。地道に勉強して、希望どおりの大学に入ったのに、目の前のこの人はそうではないんだと。当時は学歴コンプレックスというものの存在がよくわからなかった。ただ、全く違う価値観で生きてきた人なんだということは感じた。まさに異文化との遭遇。田舎の高校にも、難関大学を志望したりそれで不合格だった同級生はいたが、それとは違う何かを感じた。
それからしばらく経って、大学の同期の中にも「中高一貫の進学校」出身者が多くいることに気づいた。そこは田舎の県立普通高校とは全く違う何かであるようだった(今だによくわからない)。また、関東出身の同級生たちは殆ど皆、受験予備校に通っていた。河合塾とか駿台予備校とか。都会出身の同級生たちは受験戦争の荒波に揉まれまくった生き残り(または、当人の感覚では敗残兵)だったらしい。東大とかナントカ難関大学とかの高みを目指し、そこにたどり着いた、またはたどり着かなかった、妥協して腰を落ち着けた…。マジかよ。田舎の価値観と違いすぎるだろ。そら学歴コンプにもなるわ。子供のうちからそんな生活してたら心が荒むに決まってるじゃん。
とくにオチもないんだけど、このことは何故かふとした時に何度も思い出すし、地域間格差とか、学習機会の均等とか、受験戦争の過酷さとかなんかそんな話題が出るたびにジワーっと思い出してモヤモヤするので吐き出したかった。
中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分は学生時代恵まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。
小学校から中学校までは地元の公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。
成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。
友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーやギャルが多かったから積極的にいじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。
勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験も問題なく志望校に合格した。
楽しかった。
公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソな世界を垣間見ることができた。
色々自由にやらせてくれる校風だったので、部活にイベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。
授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学を勉強したいことベースで選べたのは特に恵まれているなと感じる。
地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。
自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベルは進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標の大学に入れた。
楽しかった。
学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。
友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ。
高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分の世界が地理的に広がった。
公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。
楽しかった。
人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。
こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境が人生を豊かにしてくれているようだ。
昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。
私立中学に行ってたら、地元の高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。
でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。
東大に入ったからといって自慢気に勉強法を語るやつは、未だに勉強法でしかイキれないつまらないやつに違いないので私は大嫌いなのだが
一回り年下の弟が現在高校生ということで、100% 彼のためにこの記事を書く。
先日勉強法を聞かれたが、SMS や LINE で長文を書く気にはなれないのだ。そのため、この記事の URL を君に共有する。
note あたりは新規登録が面倒だったからこの匿名ダイアリーで許してくれ。
わからないことに慣れるな。
東大入試といえども所詮高校までの範囲なんだから、ガチれば誰でも理解可能だ。
あるのは高校3年間という時間制限だけ。私もギリギリではあるが合格水準レベルには理解した。
今まで習ったこともこれから習うことも君が理解できないわけがない。勉強に関して傲慢であれ。
一方で、わからないことに関しで敏感であれ。
例えば化学で「液体を加熱する際に沸騰石を入れる理由を答えよ」という問題があったとする。恐らく君はこう答えるだろう、「突沸を防ぐため」と。
テストではこれで十分かもしれない、でもこれで本当にわかったと言えるのだろうか?
そもそも突沸とは何か?急な沸騰だ。急な沸騰を防ぎたい理由はなにか?急な沸騰により容器からあふれた液体が予期せぬ場所にかかるため危険だからだ。
高温でやけどするもそうだし、常温でも人体に危険な液体を取り扱っているかも知れない。
では急じゃない沸騰があるのか?そもそも沸騰とはどのような現象か?沸騰石とは何か?沸騰石である必要性とはなにか?
これらの問に答え、自分の中での論理の飛躍を解消して初めてわかったと言えるのだ。
丁寧に論理の間を埋める癖をつけよ。これはすべての教科に、ひいては今後の人生において必ず役に立つはずだ。
私の高校時代と変わりがないなら、君の高校では批判的思考を身に着けろと先生方が口を酸っぱくして言っていることだろう。
しかし批判的思考の定義を教わった記憶はないし、君も教わってないであろうことは想像に難くない。
その上で私は「批判的思考」を「世間一般で言われている当たり前のことを、分解し、自分の中で再構築することで理解や議論を深めるための営み」だと解釈した。
批判的思考を無批判に身につけさせる教育方針はどうかと思うが、この「批判的思考」を身につけるのは悪くないのではと言いたい。
私が受験生のときに本屋で勉強法について書かれた本をあらかた立ち読みして実感した。
異世界転生チートのような簡単に劇的に成績が上がる勉強法など無い。
ググればすぐ様々な文献が出てくる通り、成績と最も強い相関があるパラメータは勉強時間だ。
朝起きて身支度をする時間、通学時間、お風呂に入っている時間等、隙あらば自分をテストしろ。
「点と直線の距離の公式を導出できるか」「because of とほぼ代替可能なほかの言い回しは思い出せるか」といったことを考えるのだ。
思い出す訓練、これも勉強だ。これで勉強時間は飛躍的に伸ばせる。
逆に、机に向かって参考書を開いただけで勉強しているつもりになってはいけない。
君のクラスにもいるだろう、君より勉強時間が長いはずなのに成績が君より下なクラスメートが。
勉強時間は集中力という名の効率パラメータで容易に裏切られる。
100%:気がついたら時間が経っていたといったようなある種のトランス状態
自分の中で今どれくらい集中できているか常に意識せよ、でもって 50 % を切るようなら気分転換をするか寝ろ。
私にとって一番成績が伸びた勉強法を白状すると、大学合格後に経験した大手予備校の採点アルバイトだ。
具体的には予備校生が解いた過去の入試答案にひたすら赤ペンを入れる作業である。
私が最も得意とした化学を担当した。東大だけでも過去 10 ヵ年分について各年度ごとに少なくとも 10 人分は採点しただろう。
1 答案に付き○円の出来高制で結構稼がせてもらった記憶がある。
過去問を 10 周もやると東大といえども入試問題がパターンゲーだということが見えてくる。
現役時代私の化学の得点率は6〜7割程度だったが、荒稼ぎ後に気まぐれにその年の東大入試化学を解いてみたら9割ほど得点できた。
また、採点バイトは、ただ過去問を何周もする以上に内容が身についた。
なぜなら各回答に対し模範解答と答案をにらめっこし、生徒がどこで躓いたのかを明らかにした上で
正解までの道筋を相手がわかるように文章で説明する必要があるのだ。
すべての問題に対して、解ける、ではなく、教えられるの水準を要求されるのである。しかもお金をもらっているので逃げることが許されない。
同級生に東大志望の人が他にいるようなら実践模試の返却答案を土下座してでもコピーさせてもらうといい。できれば5人分ぐらい。
それに赤ペン先生になったつもりで添削指導をしてみてほしい。その添削結果を再度同級生に返却するかはおまかせする。
騙されたと思って試してみてほしい。普通に解く以上に身につくから、マジで。
勉強法以外で私が高校時代に知りたかったのは、東大生にもアホはたくさんいるということだ。
日本地図がまともに描けない人(本州を北東から南西ではなく北西から南東に向かって描くのだ、その人、関 "西" 出身なのに)とか、
2を素数じゃないと勘違いしている人(英語が得意で合格した人は数学が壊滅的がち)とか、
魚が跳ねるの跳ねるという字が漢字で描けない人(私)とか...
こういう等身大の東大生にふれる機会がないので、あんなアホどもが合格できるんだから自分も合格できると錯覚できる機会がないのが地方の痛いところだなと。
東大を目指す目指さないに関わらず、あまり東大・東大生を神格化すべきでない。彼・彼女らも君と同じ所詮人間なのだ。
というわけで、これ以上私をつついても勉強については何も出てこないので、ここまで読んだなら今後勉強に関して私に質問はしないでほしい。
TwitterにもFacebookにも書けないのエモい内容なので増田に書く。
荒れていていじめられ、勉強も振るわなかったが、何故か親が一念発起し家庭内に塾が出来ていた。
1-2年生のテスト前は勉強を教えてくれ、結果も出て地元の進学校に入れた。
高校の内容は親が教えられないということでまた成績が下がる。
2年生までは地を這うような成績。
でも大学行きたい(遊びたい)という意志を出したら、祖父が私の為に残してくれた遺産をすべて予備校費用に充ててくれた。
河合や代ゼミよりも数倍費用が掛かったと聞いているが、MARCHクラスの大学に行けた
そのとき遊んでいた友人が丁寧に勉強の仕方からテスト対策まで教えてもらって、何とか留年コースから復帰。
リーマン前の好景気ということもあり、たいした苦労もせず今の会社に就職。
今になって見ると、合う合わないがはっきり出るような癖のあるブラックめの会社に入社。
仕事らしい仕事もさせてもらえず、パワハラもあり、早々に異動。その後も仕事のやり方に癖が付いてしまい3年間は落第生状態。
その人は、仕事は出来るが厳しすぎて直属の部下がほとんどいない人だったが、奇跡的にウマが合った。
部下がいないのでその人の仕事はガンガン振ってきて、辛かったけど全部こなした。
気づいたら、通常よりも早いスピードで出世させてもらっていた。
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
※一部汚い話になるので注意
きっかけはダイエットだったんだけど、もっと根本的な原因があったんだと思う。
よく摂食障害は母親との関係が原因とか言われてて、認めたくないけど本当かもしれん。
自分は母とわりと仲がいい方だと思ってたし幸いお金に困るような家庭じゃない。だけど小学生の頃、やたらと私の体型をいじってきた。お尻大きいとか、足太いとか。今思うといたって普通体型だったし写真を見てもそう思う。むしろ他の子より痩せてるくらい。でも母の言うことを気にして、小5くらいからカロリー計算を始めた。小学生のくせに食べ物とか栄養にやたら詳しいっていう(笑)
中学生になったらもっと気にして、減量を始めたら面白いほど落ちて、気付いたら自分でも引くほど痩せてた。数字よりも体の脂肪が嫌で、そのことを考えるとものが食べられなかった。ガリガリになった私を見て母親は「ちょっと痩せすぎちゃっただけだよね?もう少し食べなさい。」と言った。そのことに何故かイライラして部屋で泣いた。30kgしかないの知ってるくせに。
高校進学して過食症に転じてしまってからは食べる量がめちゃくちゃ増えて体重も戻った。ある日私が食べたパンの包装(ゴミ)を見て母は「またこんなもん食べてる!だからブクブク太るんだよ」って言ったんだ。その日を境に吐くようになった。
半年かそれくらい続いた。最初はもうあれもこれも食べたい!って頭がいっぱいで、とにかく好きなものを食べた。1日の終わりにはいろんな人に申し訳なく思って泣いて、そのくせ翌朝はまた食べ物のこと考えてた。自分じゃセーブできない。歯も心配で必要以上に磨いていた。(止めれば済む話なのに)
とはいえ何故かだんだん飽きてきて、食べたいものがなくなってった。あんなに食べたかったのに、もうめんどくさかった。脳が、受験勉強の方がやばいよって思ったのかも。進学校だったし周りに負けたくなくて勉強に集中した。
運良く大学に進学した今では本当に不思議なくらい食べ物への執着がない。カロリー計算もしようと思えばできるけど、前みたいに無意識にできない。
自分がなんで摂食障害だったのかすらわからないし、もう戻らないだろうと思っている。完治はしない病気と言われているが、私はもう二度とあんな風にならないというか、なれない。正直、摂食障害患ってたときはすごく頑張ってた。勉強も部活も何もかも頑張ってた。今はあの頃に比べたら怠けすぎて無理だ。だからああはなれない。無理に食べないようにするのも、異常なほど食べるのも吐くのも泣くのもすごく疲れる。
Twitterには長く苦しんでる人の声が沢山あって、偶にそういったツイートがバズるたびに少しだけ思い出してしまう。自分はあくまでギリギリ引き返せただけだから、もっと苦しんでる人たちの痛みはどれほどのものかと考えると泣きそうになる。彼らのほうが泣きたいはずなのに。
成人してからやっと母と喧嘩もできるようになって、その精神性というか人間性がやっとわかってきた。私に言われたくないだろうけど、子供のままなんだなって思った。
そういう意味でも反抗期ってあったほうが絶対いいやつやん〜親は完璧じゃないし完璧を求めちゃいけないんだって早く気づくべきだった。
まーでもあの頃は親が全てだったから無理か。
長くてすまん
読んでくれた人(もしいたら)ありがとう
どこにも書けなかったから増田に投稿する。初めてはてなのアカウントを作った。認証が大変だった。深夜にノリで書いているので読みづらい文章だと思う。申し訳ない。
元々は情報収集の為にTwitterを始めた。だけど同じ趣味の仲間と話すのが楽しくて、いつの間にか暇さえあればTwitterを見ていた。
そこである1人の男性と知り合った。彼は私より歳が1つ上で、いわゆる進学校に通っていた。
趣味が同じでよく話したし、勉強で分からない事があれば要領よく教えてくれて私の憧れの的だった。
繋がった時は私も彼もTwitterを始めたばっかで自然と仲間意識があった。(私が勝手に思っているだけだと思うが)
私は他人と話すのが苦手なのでフォロワーと良好な関係をあまり築いていなかったのだが、彼はゲームのグループなどに入り人脈を徐々に広げていた。
それから三年の月日が経った。彼とはあまり話さなくなっていたし、だからといって自分から彼のアカウントを追う事もなかった。
久しぶりに見る彼は別人のようになっていた。私が見ていた頃は多くても10人くらいとしか話していない細々としたアカウントだったのに気がついたらTwitterで有名なアカウントと多々繋がっていて、1ツイートにつくいいねの数、リプライの数も同時期にTwitterを始めた私よりも遥かに上で彼のツイートも内輪向けのネタツイートや空リプばかりになっていて、色んな人と交流を楽しんでいた。
囲い、とまではいかないが皆からチヤホヤされている彼を見て激しく嫉妬した。みんなでワイワイしている彼を見て心底羨ましいと思ったし、有名なアカウントにRTされてバズっていってどんどん有名になっていく彼を見ていられなかった。
私は我慢出来なくて彼をブロックしようと思ったのだが、久しぶりに話した際に紆余曲折あり恋人関係になってしまっていたので(とは言っても毎日していた通話もLINEも最近になってパタリと音沙汰がなくなって自然消滅しかけているのだが)なかなかブロックやミュートも出来ずツイートが更新されるたびに劣等感に苛まれている。
もちろん勝手に嫉妬して悶々としている私が悪いのは自覚しているが、今年は受験もありそんな事で悩んではいけないと思っているのに長年使ってきたアカウントを消しきれずに未だにずっと悩んでしまっている。Twitterに疲れた。やめたいのにやめられない。
受験までにはどうにかしたいなあ
noteなどと違って匿名だから文章が気楽に書けて少しすっきりした。いないと思うが、この文章を読んでくれたあなた、最後まで読んでくれてありがとう
高校:背伸びして難しいところに入りすぎて挫折、プライドだけは高いので「今は本気出してないだけだから」と努力することすら放棄
同じような境遇かもしれない。
親がほんのり学歴を気にする人だった。
小学生の時に出会った本がきっかけで社会全般に興味があった。中学生のときに女性の年収が低いこと、再雇用の難しさを見て資格を取りたいと思った。会計士になりたいと思っていた。もちろん社会の成績、他の教科も良かったし高校は進学校に入れた。
親に経済学部とかの文系の学部に行きたいと言えばその学部を出ても職がないよと言われた。考えてみれば文系の人は沢山いて職に就いてる人はクソほどいると思う。でも就職できない未来が怖くて理系に逃げた。
それでも理科科目も好きだったし、これもいいかもと思ってた。生物が好きだったので親に生物系の学部に行きたいと言ったら辞めなさいと言われた。女性の研究は向いてないと言われた。就職も厳しいと。文系とかそういう学部に入ったら、両親がどうなるかは予想がついた。学費とか何やら言われるのが嫌だった。両親は職について欲しかったらしい。それで結局薬学部だ。
薬剤師はいらないと思う人、何をやってるのか知らない人が多いと思う。
業務の一部が人工知能に置き換わっていったら食いっぱぐれるだろう。
23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記の主題ではない。
先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23歳である。
まずは現状をつづりたい。
東大京大には及ばないものの世間一般からは高学歴といわれても差し支えのない大学の
卒論以外の取得単位を得たのち自大の院試を受け落ちてしまった。
その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから
「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」
次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強やインターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず
滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか
自身の半生を振り返ることで考えていきたい。
小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。
ただし、家庭環境は非常に良かった。
小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり
学業で大きく後れを取るようなことはなく、
そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。
(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立の中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校は受験していない)
中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。
今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。
しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。
ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。
(生来の身体の弱さから部内での活躍は底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)
したが、
その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身の長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。
その娯楽とはオタク文化なのだが、自身の集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンがオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。
中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間と自分の学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。
そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では
その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。
ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。
英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在。
数学、中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。
国語、中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。
理科、物理化学生物地学のなかで唯一化学だけが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。
化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。
3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学を第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚し夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間の勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験に突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題にたまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、
その後にすべてうまくいくわけではない。
大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。
大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。
何も成しえないがしかし学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。
教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」
とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実。
院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。
自分はもっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。