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はてなキーワード: 進学校とは

2020-10-28

北海道は別枠

正直北海道の進学事情は特殊すぎて地方じゃ括れないと思うんだよな

義務教育教師が全道で転勤させられてるって言う異常なところだし

出身でも山出身でも高校から下宿進学校に通える普通地方県とは格が違う

北海道田舎比較的近いのは、沖縄離島かなあ

2020-10-27

anond:20201027110530

お茶の水女子大なのだが。元増田女性なのか?

田舎封建的だぞ。いくら勉強出来ても女子場合は有無をいわさず商業高校通わせて、地元銀行農協役場勤務、というのが世間常識

遠方の進学校に行かせたり、ましてや東京に進学させるなんて「ちょっと変わったお家」がすることで噂になるレベル

一橋大あたりに入った北海道出身男性だと思う。

anond:20201027193430

地方都市進学校の半分は都会に出て、半分は地方にいつくからまぁそういう人もいるよね

anond:20201027135654

進学校定義が違うんだろうな。「工業高校商業高校でない、大学進学を目指す普通高校」が進学校だと思ってた。

通学できる範囲地方中核都市が無いような田舎でも、「その地域では選りすぐりの秀才」が集まるような普通高校はある

地方民だけど自分の周りで自衛隊行った人とか殆ど居ないなあ

しかも数少ない自衛官なった人は進学校から防衛大に行った人だからむしろエリート枠って感じだったし

まあ東大に行くのが標準の世界の人からするとそれでも行けなかったがわって話なのだろうけど。

地方ガリ勉優等生だった自分東京移民一世自覚で生きてる

anond:20201026003439

便乗して。

完全な地方都市に生まれて、国立大早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。

周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分

勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。

高校電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベル学校

そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系国立大一橋大学だった。

東大京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大社会の科目が一つ多く、

京大数学範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)

この頃から自分地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが

上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体ほとんどすべてを費やして

なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。

話してみると、同級生の大半は東大医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋限界だったとか

高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。

で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。

卒業できるのか不安になったけど宿題芸人気質のある自分単位はなんとかとれて滞りなく卒業就職できた。


民間就職に強い大学ブランド恩恵にあずかって世間的には立派な会社就職できた。田舎の出の自分

こんな会社入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。

もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティ東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである

留学したり帰国子女英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと

通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)


その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。


で、いつからか思うようになったのは「自分東京移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくま東京という国においては外人で異物に過ぎない。

結婚して自分の子供が生まれたら、その子移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た

地頭のいい純粋培養都心エリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方都心では格差があることは事実だなーと。

一方で就職してから仕事関係アメリカアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。

anond:20201026003439

東大卒地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。

増田は、「東京国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。

東京国立大学東大の他に、東工大一橋大、お茶の水東京医科歯科大学東京学芸大農工大芸大電通大といったところがある。インカレサークル東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田お茶の水ではないかと思う。

大前提として、東大入試問題比較オーソドックスであるお茶の水学生が、高校予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大入試は、赤本チャート式で行けてしまものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。

入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校中高一貫進学校メリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。

一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大一橋大や外語大であれば、東大本質的入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学学生には自分東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通感覚ならこれらの学生自分東大はいることを想像しない。

増田お茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である

anond:20201026003439

いや嘘だよ

俺も田舎出身で、親は中卒で大学地元駅弁東大しか知らない人だったけど

地域の一番の進学校公立からは、毎年東大に現役で数名入ってる

田舎であっても東大目指す環境はあるし、田舎で一番になれるやつは東大入れる

環境のせいにするためにいろいろ歪めてる

地方都市部教育格差

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

バズってる増田を読んだ。

日本海側の3万人クラス田舎出身人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。

大卒で就ける仕事ロールモデルがいない件

元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業イメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人ロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。

医師→都会から来る偉い先生か町1番の秀才

公務員市役所職員(官僚なにそれ?)

金融信金さん(都銀外資系存在しない)

弁護士ドラマ世界の住人

工学部卒のエンジニア→箔のついた工業高校出の現場作業員

建築士→箔のついた大工さん

研究者少年マンガサポートキャラコナン阿笠博士的な発明家ぽい人

その他商社マン広告代理店とかの文系花型の仕事司法書士公認会計士等の仕業そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!

見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方高校生認識ってマジでこんなもんだと思うよ。

公立中学校の劣悪さ

個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校ダメダメ動物園状態英語リーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブ教科書を燃やしたりする馬鹿かいしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシン過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地中高一貫受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫自体が無かったりするのがザラなんで。

学習方法や教材の情報の無さ

コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策全面的高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任地方国立数学科院卒の経歴で、難関大学入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身ちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。

まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋ジュンク堂的な大型書店があって多種多様参考書を手に取って見れらし、進学校存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウエピソードを聞いたりできそうだし。

そんなわけで

俺も普通に地方は不利だと思うよ。特に県庁所在地以外。

2020-10-26

anond:20201026161015

田舎医者公務員の子供(※田舎の二大セレブ)でも所詮田舎セレブだよ。「○○さんは私立大を受験するんだって、流石セレブだね」くらいのもんで。

自分元増田ではない田舎公立進学校出身だけど、周りに海外留学したり予備校に通ったりする同級生はいなかったしもちろん商社もなかった

2020-10-25

anond:20180314001059

そもそも地元進学校学年トップという人で東京進出を果たした人はみんな挫折するんだろうなって思った。

自分いか井の中の蛙としていきってたのかを思い知るという点でね。

2020-10-23

俺のまわりには女性差別存在しない

『82年生まれキム・ジヨン』を読んだ。
男性にこそ読んで欲しい、自分無自覚だった女性差別に気づくはずだとラジオで言っていたから。

結論として、そういった発見はなかった。
この話に出てくる女性差別は、全て知識として知っているものだった。
でも実際に目にしたことや聞いたことはなかった。

小学校も、中学校も、生徒会長女の子がやっていた。
高校大学も、大した進学校ではなかったが、男女比率は同じ程度だった。

結婚して、子供もいる。
妻は出産を期に仕事を辞めて専業主婦になったが、それは妻の希望だった。
妻の務めていた会社産休・育休が終わったら復帰して欲しいと望んでいた。

俺の務めている会社日本有数の「女性が働きやす会社」らしい。実際にそうだと思う。
男性の育休取得率はまだ低いが、目下全社で推進活動中だ。
もしもう一人子供が生まれたら、自分も躊躇いなく育休を取るだろう。

自分の両親も、妻の両親も離婚しているからか、「家族」というもの押し付けてくることはない。
双方とも、老人ホームに入るから老後は放っておいてくれと言っている。

から、俺のまわりには女性差別存在しない。
でも社会存在していることは知っている。

自分女性に対して差別的なんだとしたら、直そうと思う。
自分のまわりで差別的なことが起きたら、それを止めて是正させようと思う。
でも何も起きないから、何もできなかった。

じゃあどうしたらいいのか考えた。
自分が知らない誰かが差別的な扱いを受けているなら、どうやったら助ける事ができるのか。

それは社会の役目だと思い至った。

俺が支払っている税金が、この社会存在する差別や不平等解決に使われて欲しいと思う。
そういう行政が為されるように、そういう視点をもった人が政治の場に立てるように働きかけようと思う。

2020-10-21

ただ高学歴になりたかった・・

 自分現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・

しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ

高校友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。

それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。

おそらく大学に落ちて地方大学に入ったことが原因だろう。

県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。

そもそもこの大学に入ってしまったのは自分理系選択してしまたからだ。

自分はもともと英語国語地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった

高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。

何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。

高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。

自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴大学に行っている。自分浪人が許されなかった・・。

そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・

でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学社会に出たら関係いかもしれない悔やむこと自体時間無駄 十分に頭ではわかっていた

でもどうしても納得がいかないのだ。自分低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるか高学歴大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学スタートしてからはずっと仮面浪人編入することしかやってこなかった。

編入が許されても常に自分学歴イライラしていた。中学生とき自分より成績が悪かったやつが・・ はるか高学歴になっている。

その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大編入学することができた。

最初コンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった

何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。

俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・

しか自分編入したとはいえ結局自分地方大学にいたという経歴は残るのだ。

いまだに自分京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある高校合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ自分低学歴時間があることが許せないのだ。

最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。

そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。

Twitter編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。

高校の頃大学在学中に億稼ぐのが夢だった。残念ながら100万行けばいい方だろう。

日本入試は一度失敗するとあまりにも大変すぎる。自分のような人が他に出ないことを望むばかりだ

俺が本当に逃げたかったのは母親だったのかも知れない

19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキー講師陣に必死でついていくこと一年代ゼミ英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリ合格したと言った塩梅センター自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校同級生)がいた)どんどんバツがついていくものから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢しかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題

んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。

堕落ではあるもの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。

長々と前段が続いたが。

最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。

ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。

俺の母親死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。

今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。

うちの母ちゃん母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親子供の時になくなったらしい。

それから生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子ども自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。

ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。

極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。

なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものしかなかった。

うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯料理掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。

でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。

一個言いたいこととしては、「俺はあなた感情ホストクラブではない」と言うこと。

あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。

お互いに理解して、別々の人間として尊重あいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。

悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。

京都に来れたのは、そういう意味で本当に良かったと思う。

しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女子ども支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。

母親が死んだとしてもなんの感情も湧かない予想を確信しているし、でも、それが少し寂しい。わかりたかった。

2020-10-19

考えることってすごく疲れる。

何も考えないで生きていけたらどんなにか楽だろうって思う。

私は自分の母が虐待(今どきの言い方なら毒親から虐待だよありゃ)されてて、何も本当に考えられない人で……でも今になって、考えなきゃいけない板挟みに苦しんでいる。

でも今まで半世紀以上考えることをしなかったつけと考えることの苦しみに耐えられなくて、

結局ここに書いている自分にとっては生みの母として愛したいのにどうしても愛せなくなってしまった、悲しい対象として認識されている。

面白いことに、母は私が地元の一番の進学校に私が合格したとき、辞めさせたい祖母彼女にとって実の母親)と対立した。

頭だけは何があっても持って逃げられる財産だって、母はそう言っていた。私もそれはそう思う。

考えない人生考える人生、どちらの方が優劣なんてない。

でも、私は考える人生の選択肢を貰えた。

そして考える人生と考えない人生、どちらが楽しいかと言われたら多分、どちらも楽しいんだと思う。優劣はない。

以前の自分なら考える人生だ、と即答していたけれど。

何となくだけど、母とは関係なしに最近そう思える出来事があった。

そして考える人生と考えない人生、どちらが辛いんだろうって言われたら多分、どちらも辛いんだろうと思う。

そうであっても、私にとっては考える人生を選ぶ。

世界は悲しいかな、楽しくて嬉しいこともたくさんあるけど、それ以上に何も勝ったもののない私には厳しい。自分人生価値なんてなくて、ただそこに生きているという現象があるだけ。

でも生きているとまだ自分人生には楽しいことがたくさんある、ありがたいことに。

それを味わいたい欲深い私のことを、私は恥じるつもりはない。

生きていくには、考えなければ多分私の能力ではすぐに他者に食い潰される。

優劣じゃなくて生きるために考えるんだ、自分の為に。考えることは武器で、考えた結果は自分財産だ。

じゃないと、考えなかった結果生まれた私が、

何故苦しくて死んだのか両親にすら、考えても貰えないことを知っているから。

2020-10-15

友達0人の理系大学院生23

僕は友達がいない。



大学1年の時がコミュ力の頂点だった。

学部理系女子率が5%だったので、「理系の割にはイケてる見た目をしている」というブランディング確立した。

新歓はいろいろなサークルのタダ飯を周り、いろいろな人にチヤホヤされた。

高校の同期と二人で新歓に行って、後日の飲み会自分だけ誘われたりした。

いろいろな人に話しかけて、大学ミスコンに出るような人と知り合いになったりした。

高校はそこそこ知名度がある進学校で、同じ大学に行く人も多かった。田舎から上京してきてギリギリで受かったような他の新入生に対しては、言葉には出さなものの心の奥に小さな優越感を抱いていた。

なんとなくテニスフットサルサークルは斜めに見ていて、入る気はしなかった。

サークル高校の時から続けていたマイナースポーツサークルに入った。サークルは6割チー牛男、3割変人、1割女子という構成だった。

そのスポーツ個人スポーツだった。練習自分とだけ対話すればよく、また自分一人で勝手練習に行けるので、そこが魅力だった。1, 2年の頃は、暇さえあればずっと練習をしていた。

同じクラスの人たちが授業終わりに食堂でダラダラしているのに一回参加してみたものの、中身のない会話とただ過ぎる時間に飽きて、その場には行かなくなった。

サークルでの実力はメキメキ上達して、部内大会では3年連続入賞した。

練習もまともにせず飲み会だけ参上する先輩を心底軽蔑していた。その先輩は飲み会に行くノリしかない一方、「自分は実力もあって飲み会に行くノリもある」と内心ずっと思っていた。時に飲み会で、その先輩の秘密を公にして喧嘩したりもした。内心、「お前なんかすぐにサークルやめるだろ」と思っていた。

練習しても上手くならずスランプに陥っていた同期は、物に当たる癖から他の人から嫌われていた。僕は彼に対する直接のバッシングには加わらなかったが、彼が嫌われていることは内心気味がよかった。

大学2年になると、サークル内で年下の彼女ができた。見た目はそんなに可愛いとは思えなかったが、自分のことを好きになってくれたので付き合った。

その彼女サークルの中では男女問わずいろいろな先輩と仲が良かった。僕は彼女が男の先輩たちとの距離が近いことを口酸っぱく咎めた。僕は自分よりも格下の相手と仲良くしていることが心底気に入らなかった。



転機になったのは、大学3年の秋だ。サークルの仲間と行った海外旅行代を稼ぐために単発バイトに行き、そこで知り合った女の子と連絡先を交換した。

その女の子の顔はとてもタイプだった。ちょうどサークル彼女に飽き飽きしていた頃だったので、その女の子デートに誘った。

その後の話はトントン拍子に進んだ。

3回目のデートの前に、僕はサークル彼女に別れを切り出した。

彼女最初は動揺していたが、不誠実極まりない僕の行動を厳しく責め立てた。僕は自分が責められることが気に入らず、先輩との距離が近いことを粘着的に言い続けた。

これが仇となった。彼女は一連の経緯をサークルの有力な先輩や同期に言いふらした。

サークルの人たちは噂好きだったので、一連の経緯はOBから一女まで幅広く広まった。

また、サークルは陰の者の集まりだったので、他人不貞には人一倍しかった。

OBの集まる飲み会に行くと、元カノと仲の良いOBの女の先輩から出会って1秒で罵倒された。同期女子から無視され、サークル練習に行った時の話し相手が消えた。

僕は自暴自棄になっていた。

物に当たる癖があった同期が、僕の悪口twitter公然と書き込んでいた。僕は自分より格下の相手が僕の悪口を行っていることが許せなかった。

次の日、練習に行き、休憩時間そいつに話しかけた。

今日も上手いね。そういえば膝の怪我は治った?どっちの膝を怪我してたんだっけ。」

彼は「左」と答えた。このスポーツでは膝を痛めることは致命的になりうる。

僕はそれを聞き、そいつの左膝に渾身の飛び蹴りを命中させた。

そいつは倒れこんだ。

再度掴みかかろうとした時、周りの人が全員がかりで止めにかかった。

人生で初めて、他人暴力を振るった瞬間だった。

僕のサークル人生の終わる音がした。



その後の1年間は記憶があまりない。

他のコミュニティ友達を誘う気力もなく、昔仲の良かった人たちは次々に疎遠になった。

当然、サークルにも行けなくなった。

僕は自分他人暴力を振るったというショックから、いわゆる鬱状態になった。心療内科にも通い、投薬治療を受けた。

就活に乗り遅れた僕は、3社だけ受けて未内定に終わり、そのまま大学院に進学することになった。

唯一の救いは、新たに付き合った彼女だった。僕は一連の騒動のことを彼女には黙っていて、彼女はそのこともつゆも知らず僕を愛してくれていた。

友達のいなくなった僕にとって、休日に気軽に遊びに出かけられる唯一の存在彼女だった。



この春、その彼女もついに別れた。コロナ禍でしばらく会っていなかった中、zoomで別れを切り出された。それ以来、その人とは会っていない。



今僕は、週6で研究をしている。

研究以外にすることもないし、かと言って飲みに行くような友達もいない。一人で旅行に出かけられる金もない。

日曜日は16時間寝て、起きている時間をぼけーっとtwitterを眺めながら過ごしている。

ペアーズにも登録してみた。写真微妙なので全然マッチしないし、会話も当たり障りのないことしか言えずメッセージを切られることの繰り返し。

twitterを見ると、あの時見下していた先輩は同期と仲良くしながら、なんだかんだでサークルに残っている。いざこざのあった同期はその後スランプを克服し、全国大会で優勝したりしているらしい。そして自分が振った元カノは、ゆるっとサークルに顔を出しながら、当時から仲の良かった人たちとゲームをしたり飲み会に行ったりして楽しそうにしている。



みんな楽しそうだ。



孤独なのは俺だけ。

2020-10-13

博物館/美術館/図書館っていらなくね?360映像4Kで見る方がコスパいいよね

でっかい箱物作ってモノ集めてそこにわざわざ人間が移動して見るってバカバカしくないか

縄文土器360映像とかモナリザ4K写真アップすればいいだろ どうせ見るだけなんだから

学芸員解説プロ映像編集してクオリティの高いものYoutubeにでもアップすれば一回ですむよね 何度も何度も同じ話をするために人間雇うとかアホすぎ

そんな施設アクセスすることもできない貧乏人や田舎者が払った税金が都会の文化資本豊かなエリートや暇なジジババのために使われるのは逆再分配

どうしても生で見なきゃ臨場感がないとかいう贅沢な人は税金ではなく民営化して自分の金で楽しんでください

図書館小学校図書レベルの所蔵しかないド田舎日本出版された書籍の全てが納められる国会図書館に行ける東京とでは格差ありすぎだし全部ぶっ潰して電子書籍化したデータインターネットで見られるようにしたほうがいい

公共の福祉とかなんかの特例で著作権なんて無視してスマホから見られるようにすれば、地方民や貧乏人、忙しい社畜にとっては今よりはるか文化知識アクセスできるようになる。しかもローコストで。

これで困るのはリアル箱物文化知識を閉じ込めておかないと税金で飯が食えない役人学芸員、そして都会の施設アクセスできるという特権を失ってしまエリートぐらい。

金持ち個人コレクションではなく国が集めて国民に公開するというのはその時代にとっては画期的ですばらしいことだったんだろうけどさぁ、いつでもどこでもインターネット簡単情報アクセスできる現代では、その美術館だとか博物館自体文化知識牢獄になってるんだよね

あと大学原則すべての授業をYoutubeにアップするよう義務づけよう。国立大学はもちろん私立も膨大な助成金経営してるところはすべて公開すべき

象牙の塔の中に高等教育を閉じ込めるな

さすがにYoutube学位付与できるわけないか大学を潰せとは言わないけど

ついでに田舎者不登校引きこもりのためにスタディサプリみたいな感じで小中高や予備校の授業もアップしよう 東京お受験して超進学校に通ってる子供が受ける教育治安の悪い地域公立動物園全然同じじゃないしな

俺はわりと本気で言っている。さっさと箱物ぶち壊してインターネット大海解放しようよ

知識は水だ独占してはいけない

社会から早々にドロップアウトして人生ヌルゲー状態

タイトルのとおりなんだけど

小学校サッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。

普通公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。

パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽命令みたいなのも普通にあった。

最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど

なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。

こりゃいかんと思ってソッコーでサッカー部をやめた。

もともとサッカー特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。

未練はなかったし、

何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、

さらに先輩の上には先輩がいてさらサッカー部顧問先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて

その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。


まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。

まりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。

くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。

幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強シフトすることにした。


で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って

マイナースポーツをはじめた。身バレ嫌なのでぼかすけども

マイナー故に男女が別れていないような運動部だ。

男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。

で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。

理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。

中学経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。

センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。

これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります


でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。

無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。

じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。

なぜそこに入ったのか。おそらくそしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社労働環境凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)

なんか書くの飽きてきたな。増田長編書くモチベってなんなの?

で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性出世できるわけではないので、大卒男性なんて勝手出世するんですね。女の人って大変ですね。

しかも、もともとが時代遅れブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。

そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子どもまれて、まさにヌルゲー人生謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。



自分がカラッカラのペランペランだということに。



なにか仕事ヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったとき自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。

今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。

手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。

退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。

正面切って正攻法努力する方法知らないんですよ。

どうしたらいいですか?

僕は何を恐れてるんだろうか?

どうしたらいいんだ。


こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。

「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。

なんだこれ。最悪じゃん。


もう寝よ。最悪だ。

2020-10-07

あの人は頭はいいけど機会に恵まれなかった

これって逆を言えば、頭が悪い奴だったら機会に恵まれてても駄目だって事だよな。

実際、進学校に6年通っといて数Ⅱで脱落するようなカスがウジャウジャいるわけだし

2020-10-05

ただ高学歴になりたかった・・

 自分現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・

しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ

高校友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。

それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。

おそらく大学に落ちて地方大学に入ったことが原因だろう。

県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。

そもそもこの大学に入ってしまったのは自分理系選択してしまたからだ。

自分はもともと英語国語地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった

高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。

何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。

高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。

自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴大学に行っている。自分浪人が許されなかった・・。

そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・

でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学社会に出たら関係いかもしれない悔やむこと自体時間無駄 十分に頭ではわかっていた

でもどうしても納得がいかないのだ。自分低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるか高学歴大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学スタートしてからはずっと仮面浪人編入することしかやってこなかった。

編入が許されても常に自分学歴イライラしていた。中学生とき自分より成績が悪かったやつが・・ はるか高学歴になっている。

その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大編入学することができた。

最初コンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった

何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。

俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・

しか自分編入したとはいえ結局自分地方大学にいたという経歴は残るのだ。

いまだに自分京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある高校合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ自分低学歴時間があることが許せないのだ。

最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。

そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。

Twitter編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。

高校の頃大学在学中に億稼ぐのが夢だった。残念ながら100万行けばいい方だろう。

日本入試は一度失敗するとあまりにも大変すぎる。自分のような人が他に出ないことを望むばかりだ

化粧が楽しいなって話

最初に、こういったものは初めてなので読みづらいかもしれません。暇だしやってみっか!!ってなっただけなので暖かい目で読んでやってください。

今年から女子大生になって堂々と化粧ができるようになった。高校自称進学校で化粧なんてしようものならハチャメチャに怒られる。なので小心者の私はせいぜい休日友達と遊ぶ時にちょっとリップアイシャドウを塗るくらいだった。なので高校生の時は「大学生になったら好きなようにオシャレしたりできるの楽しみだな~~」と思っていた。

受験でひいひい言いつつもなんとか私は大学生になれた。が、コロナのおかげで今日までほとんど登校していない。入学式もなくなり授業もオンラインやらオンデマンドやらで同級生ともまだ数人としか知り合ってない。小学生の頃から筋金入りの出不精アニオタなので自粛ライフもそれなりに楽しんでいたがさすがに暇。ということで化粧の練習をすることにした。

最初はもう酷いものだった。濃すぎたり、眉毛おかしなことになったり、アイラインも全然引けなかった。美容YouTuberの皆様の動画死ぬほど観たりTwitter美容垢を死ぬほど見たり母親に「変じゃない!?どう!?」と死ぬほど聞いたおかげでやっと人並みにはできるようになった、と思う。インターネットの発達した時代死ぬほど聞いても怒らない母のもとに生まれて良かった。

さて化粧にそれなりに慣れてきた今、化粧が結構楽しい。これから今までの生活に戻って毎朝するようになったらどうなるかわからないけれど、自分の顔が少し華やかになるのはやっぱり気分がいい。ちょっとつり目気味なのが気になっていたけれどアイラインを跳ね上げて描くとなんかカッコイイし。ラメを瞼にのせると全人類に勝てる気がする。気がするだけだけど。「メイク武装」と誰かがツイートしているのを見たけれどまさにそんな感じ。元々どちらかと言えばポジティブなので「今日のわたくし最高ですわよ!!!!!」とツイートする日が増えた。楽しい。何が言いたいかよくわからなくなってきてしまったがとりあえず私は今化粧が楽しいのだ。

ルパン三世を観ながら化粧をしたらなんかいい女になれた気がする!楽しい!!と思ったので文章化してついでにインターネットに晒そう!!と一気に書いたらものすごい長文になってしまった。こんな中身もないただの長文を最後まで読んでくれた方がいたらありがとうございました。

2020-10-01

anond:20201001164342

本人がなんだけど、当時マンションを買ったばかりで家にはお金がなかった。親は共働きで送り迎えも無理。

学校はかなり偏差値の高い進学校で、途中で他の学校編入するのは自分も嫌だった。

初めて痴漢にあって報告した日、父親は泣いていやがる私に嫌な顔で「自衛しろ」としか言わなかったし、母親も慰めてくれるだけだった。

当時の彼らに出来ることはそれだけだったんだと思う。

2020-09-30

anond:20200929112219

小説だけど

学生兄弟間のマウント生活。家だから逃げ場がなく煮凝りがひどい。主人公(兄)は進学校だけど学校もたいがいだったような

就活大学生ものマウントというか内心の見下し描写など

いじ「り」>いじ「め」 マウンティングもそうだけど拒否した方が「本気かw」「怖w」と場を壊した敵認定されるのでピエロにならざるを得ない、そういう空気を描いた小説だったような

気分が悪くなって通読できなかったけどある種のマウンティングホモ小説かと

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