はてなキーワード: ゾンビランドとは
今期も時間の制約を考えて、新作16枠、旧作・再放送12枠の28枠視聴です。これ以上視聴時間を取ると日常生活で支障が出るし。
なお、1枠は30分と換算してます。続き物で見ていないものは視聴しないので、SAOとかサイコパスとかの大作の続編はほぼ枠から外れます。ちはやふる3は見たかったけど関西で放送しないからね。ネット配信では見ない奴。
分割2クールの後半戦。前半とノリが同じで安心出来るね。今期も不人気なりずっちを推したい。
これ、ゾンビランドサガのニオイがしない?「ゾンビ×佐賀×アイドル」という、何でそれかけ合わせるの?っつー構成が、「プロレス×異世界転移×ケモみみ」のこの作品にも似てるかなって。面白くなるのかは別問題として、こういう「混ぜるな危険」系統は話が読めないから好き。今のところ押し切られ感すごいけど、前期のダンベルみたくうまくやっていけば面白くなると思うの。ケモみみ大好きなので期待大。しぐれ、いいよね。花子さんも気が強そうなのでいい感じかな。
アニメオリジナルはなるべく見るようにしている。この作品もそう。1話の脚本の出来が非常によくて、各キャラクターの癖であったり小物の扱いが細かなところまで描写されている。シナリオ・演出・監督の息が合わないとここまで難しいんじゃないかな?アニメ脚本じゃなくて、元々ドラマや映画向けのシナリオだったんじゃ?と思いたくなる。それほどの出来。2クールなんで最初はつらいかもしれないけど、後半じわじわ面白くなってくると思うよ。どこまでの変態で攻めてくるのか、そのあたりに注目したい。
刑事物に当たり外れなし。まずは無難なスタート。刑事物の強みは対立構図が分かっているから見やすいしね。ナインって何?ってところから展開するので王道のストーリーならそこそこ面白くなるんじゃないかな? ただこの作品タイトル長過ぎ。警視庁~が正式名称でトクナナがサブタイっぽい。こういうのやめて欲しいんだけど……
異世界転生系は多いので厳選して見ているのだけれど、今期これを視聴リストに入れたのは大正解だったかも。かなりメタネタを入れてくるのは自重してもらいたい。楽しいんだけど多いとウザくなる。きらら代替作品と言われてるけど、これはどう考えてもえんどろ~!だよね。
2クール目。前半には辛口コメントでイマイチ盛り上がらない感があったけど、今回からは対立構図がはっきりと固まったので話しについて来られるかもしれない。と思うようにしたい。この作品は構図が複雑すぎて、しかも登場人物も多いのでとっつきにくさがあったもんね。
個人的な意見として、また京都か……って感じ。最初いきなり鴨川デルタが出てきた時はこれで何作目?四畳半/たまこ/有頂天……今思いつくだけでこんなにも……。まあいいけど。湘南に比べたら全然少ないか。もうひとつ、出てくる京都ことばが古くさい。関西在住民にとって方言は鬼門。これだけで見る気を無くす。ライデンは京都にスタジオ持ってるんだからそこら辺しっかりやれよと思ったら、京都のスタッフがロケハンしたってマジかよって思った。監督とか主要スタッフは手間でも現地に行ってほしいし、ユーフォが京都ことば使わなかったのは本当に大正解だと改めて思ったよ。アニメの方は時間の流れがゆったりとしていて癒し枠。ボードゲーム見て何が楽しいという意見はわかるものの、見せ方で変わるので今後に期待です。
NHKでやれ、名作劇場枠だろという意見は確かにその通りだと思う。脚本からも演出からも、原作をどうアレンジしようか迷っている感がありありと見てとれる。正直なところ中盤まで見ないことには面白いかどうか評価出来かねる。いまのところは名作劇場みたいな感じで見るのが無難かな。
ちょっと毛色が違うラブコメというのはよくわかる。いきなりの修羅場展開は原作どおりなんだろう。久々に原作を読みたくなるアニメに出会えた感じ。今後の展開次第かな。
最初はクソアニメだと思ってて、どこで切ろうかと迷っていたら2クールってわかったので我慢して見てました。1クール目中盤からそこそこ面白くなったのでこのまま続けてくれればいいんじゃなかろーか。やはり対立構図と科学を使ってのものづくりさえやっていればそこそこ面白いね。
ブヒアニメ。AT-Xで見ているのでおっぱいもばっちり。シリーズ構成雑破業さんなんで安心して見られる。サープリのように謎競技で感情移入できなくて置いてけぼりも多分なさそう。わかりやすさは正義。ゲームも売れるといいね。
間違いなくこれがきらら救済枠でしょ。よくもビームライフルっつーマイナー競技を見つけてきましたね。こちらは女子高生がきゃっきゃうふふしていれば問題ないと思う。しっかし展開が早いよね。
原作知らないんで今のところ面白さがわかんない。どういう感じで見ればいいのか……
ストーリーに悲しいところがあってきついんだよな。しょうがない。最後まで見ると思うけど、展開次第では切っちゃうかも。
もう惰性で見ているアニメ。野球マンガなんで面白いっちゃあ面白いんだけれど、どこがって聞かれると最初から追っかけてるアニメだからって感想しかない。マンネリ化しているカップル状態。録画失敗したらはいそれまでよって感じ。
NHKの夕方アニメとしてはこんな感じか。異世界転移系でチートすぎて、正直お腹いっぱいなのです。
再放送にあまりいいものがなかったので、枠を新作に振り替えて見ているやつ。しかし、笑いのツボがわからん。何が悪いのか…… とりあえず原作をニコニコ静画で無料の部分だけ見たんだけど、ここでも笑いのツボがわからん。というわけで、私に合わないアニメだった。3話見てから切る予定。
今期の貴重なショート枠。だけど、ショートは判断するの難しいよね。
前期予想記事
https://anond.hatelabo.jp/20170120191138
もうすぐグランブルーファンタジーのアニメの2期が放送されます。
プレイヤーにとってもBD購入特典がどうなるかしか関心が持たれていない現状ですが、
今回も前記事に習ってグラブルアニメ2期がどれくらいのレベルになるのか考察してみましょう。
とはいえ、グラブル2期について予想する前にはまずはグラブル1期の評価について書いておかなければなりますまい。
しかし実際に見てみると意外に悪くない。
もちろん、事前の期待値がゼロだった分、少しはマシに見えてしまうという事もあるのでしょうし、
私がグラブルプレイヤーである故、限りなく甘い評価を下してしまっているのも否定できません。
しかし少なくとも最悪(Dランク)は免れたのではないでしょうか。
あのどうしようもないメインシナリオを面白いと思える変わり者がアニメスタッフに何人もいるとは思えないので、
サイゲームズより変えるなとのお達しが下っていたのでしょうが、そこはプロの仕事人、
ダメダメ原作より少しでも見れるものにしようという努力の形跡は見られました。
最も大きいのがルリアの扱いで、原作に比べてちゃんとメインヒロインしている。
原作ではずっと裸足のままだったり、主人公の体の中に入れる謎設定がうやむやなまま消滅したり、
4コマ漫画の大食いキャラに完全に食われていたりと、とてもプロの仕事とは思えない酷い扱いですが、
アニメでは靴も買ってもらえたし、過去も断片的ではあるものの描かれたり、アウギュステのデート回はなんだかんだいって微笑ましかった。
のっぺり気味のキャラデザに比べ背景美術も大分頑張っていました。
あと個人的には原作オープニングで流される、寒い上に今後展開されるストーリーから見ても意味不明な駄ポエムが省略されていたのも大きい。
もっとも、それでは誰にでもおすすめできる良作なのかというと、駄目なところもたくさんあって、
ビィが物理法則を無視したような謎の浮遊をしていたり、コロッサス編でのキャラクターの芝居がおかしかったり
全体的に演出がちぐはぐなのが気になりました。
また、敵側の帝国軍幹部、ポンメルンとフュリアスですが大組織の幹部とは到底思えない小物のゲス野郎で
有能だと思えるような描写もないので何の深みもなく、これは原作からしてそうなので原作が足枷になっているのでしょうが、
ポンメルンに関しては1話の時点では少なくともルリアの危険性や帝国の大義のようなものを語っており、
また、原作帝国編後半の取って付けたような職業軍人の葛藤らしき描写との整合性をすりあわせるためにも
もう少しなんとかならなかったのか…と思わずにはいられません。
BGMの使い方も原作BGMをただ流しているだけ…と思しきシーンが目立ちます。
最終盤及びEX回のガチャキャララッシュも、そこに何のドラマもないので、あーあのキャラが動いてるね以上の感慨が生まれるべくもない。
結論をいうなら、前記事の評価基準でいうとどう甘くしてもCランクがいいところでしょう。
(ところで前記事のコメント欄で2017年1月21日の段階でけものフレンズをSとする米があって、本当、見る目のある人はいるものであると空恐ろしい気分になったものである。)
前述の記事で願ったような、アニメをきっかけにして新しく騎空士になる人が増えてグラブルがかつての盛況を取り戻すということもなかったが、
かといってアニメがマイナス効果となることもなかった。良くも悪くも空気アニメだったといえるでしょうか。
まあ、ヒヒイロカネ商法で、アニメ自体は全く話題になっていないにも関わらず、同時期のアニメとしては圧倒的な売り上げを見せたという、
外部の人間からすれば不気味としかいいようのない現象は、アニメの円盤ビジネスおよび一部で見られる売り上げ至上主義を見直すいいきっかけになったかもしれませんが・・・。
さて、こうして1期についてつらつら書き連ねてきましたが、これから放映されるグラブルアニメがどのランクになるか前記事同様確率予想したい。
評価基準は以下の通り。
Sランク・・・ソシャゲアニメの枠を超え、日本のアニメ史に残る傑作
Aランク・・・原作を知らなくとも、一つの映像作品として楽しむことができる良作
Bランク・・・欠点もあるが、原作プレイヤー以外にもおすすめできるそこそこの出来の作品
Cランク・・・原作をプレイしていないと楽しめない部分が多い、欠点が多い微妙な作品
ガチャで例えるなら、SランクがSSR、AランクがSR、BランクがR、Cランクがハイノーマル、Dランクがノーマルですな。
おっ、前期よりも期待度高いじゃーん。それでも絶望的な確率ですが・・・。
Sランクの確率はグラブルのガチャの目玉SSR確率のピックアップ確率をリスペクトしてみた。Aはそれ以外のSSR確率。それでも高いと思われるでしょうけど。
けものフレンズというソシャゲアニメからもSランクと呼びうる名作が生まれたことにより、Sランクの夢を見られるようになったのはとても大きいです。夢見させてください。
それに少なくとも前期よりは期待できる部分がなくもなく、さらにその前期も最悪ではなかった…。そんな気分からこの確率を出しました。
○ご期待したい点
制作会社はMAPPAに変更されましたが、これまで「神撃のバハムート GENESIS」シリーズや、「ゾンビランドサガ」とCygamesとはもっとも懇意にしているスタジオですね。
サイゲ関連作以外にも、「この世界の片隅に」「ユーリonアイス」「さらざんまい」といった質と売り上げを両立させた作品を何作も手がけており、
今最も勢いのあるアニメ制作スタジオの一つではないでしょうか。
もっとも、酷い出来の作品もあるが、当たり外れがあるのは1期のA-1ピクチャーズも同じか。
1期では脚本“Cygames” となっており、EDでは社内の素人ライターと思しき名前がクレジットされていましたが、
今回はちゃんとプロの脚本家がシナリオを担当しているようです。
シリーズ構成の吉村清子さんはWikiなどを拝見するとあまりヒット作の構成作家というわけではないですが、
個人的には牙狼-GARO- -VANISHING LINE-は割と良かったです(前シリーズがイマイチだった反動もあるかもしれない)。あと鉄のラインバレルの前半くらいでしょうか。
監督とのタッグではヴァンガードGシリーズを担当されているようですが未見なので詳細コメントは伏せます。
Cygamesのアニメもゾンサガやウマ娘のおかげか1期の頃に比べると注目度が上がっているのではないでしょうか。
この注目された中で駄作を生めば、これまでの評価が一気にひっくり返りかねません。なのでこれまでのように、潤沢な予算をかけた良作になる可能性が・・・あれば・・・いいのになぁ。
○ご不安な点
多すぎる上1期とほぼ同じなので箇条書きで
・結局メインシナリオをなぞること。
・メインシナリオの中でも盛り上がりのないところ。
CMの作画もそうでしたが、なんでグラブルの作画はこんな酷いのだろうか。もちろん作画がいいだけで名作ならば神撃のバハムート GENESIS virgin soulは名作になっているが。
どうやっても原作絵と比較されて貶されるのがわかっているので手を抜いているのか。
・どんなに手を抜いて作ってもヒヒイロ効果で売れるからいい加減に作られる可能性大
・相変わらずゲーム内ではろくな告知がない
結局1期同様アニメファンにとっては全くの空気だが、円盤だけはなぜか売れている・・・(ただし今のグラブルのゲーム事情を考えると1期ほどの売上は望めない可能性大)
という不気味な状況が繰り返されるだけな気もします。…と油断しているととんでもない糞を投げつけられる可能性もありますが…。
来期はソシャゲアニメではFGOやアズールレーンといった注目作が控えています。グラブルアニメもそれらに負けないような存在感を見せてくれればと1プレイヤーとして願うばかりなのですが・・・。
前期だと見るタイツ。今期でいえば手品先輩やダンベル何キロ持てる?とかかな。
20代後半~30代前半までは割と真剣に「かわいい」と本気で思っていたが、
驚くほどに何も感じなくなってしまった。
悲しい。
逆にこういうアニメには興味が無かったのに。
追記2
まちカドまぞく1話をまた見ている。
そうか。これだわ。萌えアニメが見れなくなったんではなく、3次元では直視できないエロい構図を2次元に焼き直したようなアニメが
見れなくなったんだ(暴論でごめんね。仕事終わりかつ酒を飲んでいるのでまとめ方が凄い雑)。
萌えアニメの定義は人それぞれなので割愛するけど、まちカドまぞくは久しぶりに見た正統派萌えアニメだわ。これよこれ。
追記3
しかし逆にいえば萌えアニメ(元増田が定義するやつ)のあざとさが嫌いっていう人もいるだろうしね。
うんうん。
今更ながらゾンビランドサガをみました。
今回は当たり回とハズレ回を見比べて話作りのお手本とやってはいけないことを考えたいと思います。
比べるのは
8話を当たり回、9話をハズレ回として考えます。
なぜこの2つなのかというと、内容が近かったからです。
だいたいこんな内容になっています。
※ここでいう「話作り」というのは「短編」
アニメなら20分程度、漫画なら32ページ読み切り、くらいで考えています。
○登場人物
この2つの話ではメンバーの他に、リリィとサキの生前の関係者が登場します。
8話
・リリィのお父さん
8話では主に絡んでくるのはリリィのお父さんだけです。
話自体がお父さんを救う話で、お父さんの心情を掘り下げることが話を進展させることになります。
短い話の中余計な人物を出さず一人に絞るのはお手本になりますね。
9話
・親友の娘
と、絡んでくるのは三人となります。
短い話で主役以外に三人は多い、そのせいで一人一人の心情を表現しきれていません。
8話
「リリィが死んだことで不幸になったお父さんを救う」
話となっています。
これは
お父さん→リリィと接触するにも、リリィ→お父さんと接触するにも、自然にストーリーが進められます。
9話
「仲が悪くなった母子を救う」
話となっています。
このストーリーでは、
母子→サキと絡んでも、ストーリーは進展しません、「サキと母子の接触」→「仲が悪くなった母子を救う」と二段階必要となります。これでは短編としてまとめるのは難しくなります。
この違いによって
8話はじっくりライブシーンをいれて、しっかりまとまった話
9話はまとまりきらず、後ろに無理にライブシーンを入れた話になったと思います。
○死因
8話
リリィの死因は
これを重い話にしないでギャグとして済ませたのはすごいと思いました。
たとえばこれが「仕事をさせすぎて過労死」とかにしてたら話がブレブレになってました。
「リリィを過労死させた父親を救う必要がるのか?」といった疑問が出てきたと思います。
これでは話がブレてしまうのでギャグとして済ませたのだと思いました。
9話
「度胸試しで止まるず死亡」
今思い出しながら書いていてあやふやなのですが、止まらなかった理由ってとくになかったですよね?
「度胸試しで突っ込んで死亡」は一見かっこいいのですが、よく考えると「止まれよ」と思ってしまいます。
これが「命より大切な物のため」とかならかっこいいのですが、理由がないのはどうなんだろう。
これをゾンビになった終盤でもやるのですが、これを特に理由がなかった気がする。
死因を繰り返して乗り越えるのは愛がやっていましたが、それとは話が全く違います。
愛は雷が原因で死にました。
そのせいで全てをかけて上り詰めたステージを完遂できずに死んでしまいます。
そのステージをゾンビならではの方法で乗り越え、最高のライブを成し遂げました。
サキは同じことやって死ななかっただけ、特になにかを乗り越えたなどはなかったと思います。
○土台とストーリー
ゾンビアイドルアニメなのでゾンビアイドルを生かしたストーリーを作る必要があります。
8話は
お父さんはリリィが死んだことが原因でテレビをみなくなります。
みなくなったテレビではゾンビアイドルとなったリリィが活躍しています。
お父さんが会いに行った場所はチェキ回です。アイドルが活躍する場所です。
お父さんを元気付けたのはライブです。
リリィと仲間がたくさんを思いを込めて曲を完成させ、お父さんに聴いてもらい、お父さんは前を向きます。
それによってお父さんはテレビをみるようになり、活躍するリリィの姿をみます。
9話は
こういう回があってもいいのかなとは思いますけど、やはり土台と絡んだ話の方が綺麗になりますよね。
まとめると
○登場人物は適切な人数にする
あとまとめられるとこはまとめる。
9話が散らかってまとまりきってないのは、
母親と仲直りする話なら、敵は母親に絞って、そこにサキが絡むって方がわかりやすかったと思います。
9話はサキが関係ないところに首を突っ込んだように見えました。
例えば、死因の度胸試しが娘を救う為とかなら、ゾンビになってからも首を突っ込んで当たり前になるのかなと思いました。
キャラができてないからストーリーが不自然になったのだと感じました。
たぶんもっと書きたいことがあったのですが、とりあえずここまでにします。
これから俺がやろうとしているのは、オタクにありがちな、しかし絶対にやってはいけないとされる
『新しいコンテンツにハマった時に、前にハマっていたコンテンツを腐して後ろ足で砂をかける』という行為だ。
こんなことをしても誰も得しない、双方に悪印象を与える。ツイッターや某匿名掲示板で対立煽りに使われるのがオチだ。
だがしかし、書かずにはいられないのだ。書くことで救われるものがある。これは俺のエゴだ。
某アイドル育成ゲームをプレイする人々の目的はなにか、愛するアイドルを育成して、トップアイドルに導くことか、違う。
某アイドル育成ゲームをプレイする人々はある暗黙の了解のもとにプレイをしている
某アイドル育成ゲームをプレイする人々の目的は、某アイドル育成ゲームが続くことにある。
某アイドル育成ゲームの運営は某アイドル育成ゲームが続くために、あらゆる手段を講じる。
ゲームにとどまらず漫画、アニメと多方面に展開する。矢継ぎ早に新展開、ここぞという時に新アイドルを登場させる。
だがそうする中で、設定はとっちらかって、媒体ごとにブレが生じる。
新展開、楽曲、グループの活動はやがて人気のある特定のアイドルに偏り始める。アイドルの人格もウケが良かったものに矯正される。
気がつけば、自分の愛するアイドルは他のアイドルの割りを食って無下にされることが当たり前。活躍したかと思えば別人のようになり
それまでのそのアイドルの歩みを否定するような望んだ活躍とは程遠い。お前はそんなことを言わなかったはずだ、と思うことがざら
にある。
でも仕方がない、全ては某アイドル育成ゲームを続けるために必要なのだ。人格が変わったのは成長したからだ決してキャラ崩壊ではな
い。人気のあるアイドルに活躍を集中させるのもビジネス的に考えたら当たり前だ。それが運営の判断なのだ。それが正しいのだ。
そう自分に言い聞かせてるのが某アイドル育成ゲームをプレイする人々だ。
だが冷静になって考えて欲しい。いちプレイヤーに過ぎない俺達が、なぜ運営の言うことに盲従しなければならなかったのか
今ならハッキリ言える。某アイドル育成ゲームは、アイドルを人質にした運営のやることなすことに盲従するゲームだ。
俺達はもっともっと運営に対して抗議の声をあげるべきだった。もっとちゃんとアイドルたちのために考えてくれと、愛するアイドルの
ために声を上げるべきだった。もっと自らのエゴを隠すことなく表に出すべきだった。
某アイドル育成ゲームは人生に例えられることがある。だがいつしか自分を押し殺して運営に盲従することで、心は疲弊して、その人生
は生き地獄となる。終わりのないのが終わり、それが某アイドル育成ゲーム。
そうだここには物語がある。
某アイドル育成ゲームで僅かな描写から限りない考察を続けたが、ろくすっぽ設定も顧みられず憤懣やるかたない思いをしたあなたの望みを叶え
るものがある。
愛するアイドルが成長したかとも思えば、別人格のように変わり果ててなかったことにされてやるせない思いをしたあなたの望みを叶え
るものがある。
アイドルたちに平等に活躍して欲しいという当たり前のあなたの望みを叶えるものがある。
ここには、成長がある。物語がある。私達が滂沱の涙を流したことに意味がある。なかったことにはされない。
そして何よりエゴがある。
某アイドル育成ゲームをプレイする中で一度ならずも思ったはずだ。「なぜこの子はアイドルをやっているのだろう、この子にとってのアイドルとはなにか、アイドルを続けることがこの子にとって本当に幸せなのか、こんないい子が自分なんかに追従しているのが幸せなのか、なんのために自分が居るのだ、自分とアイドルの関係はなんなのだ」
アイドルとして活躍してほしいと思う一方で、アホみたいなクソでかい思索があった感情があったエゴがあった。だがそう思いながらも関係なしに運営に盲従してきたのが私達だった。
ゾンビランドサガのアイドルたちはゾンビである。アイドルとなりアイドルとして生きる、死んでるけど生きる。それ以外に道はない。
そしてゾンビランドサガのアイドルたちの目的は佐賀を救うことある。そのために無茶振りをされる。それに応えるのがゾンビランドサガのアイドルたちだ。
ゾンビランドサガには理屈を超えたでっかい何かがある。そしてその裏には無私の心などではない。どでかいエゴがある。
ゾンビランドサガには、理屈抜きにもっともっとアイドルとして活躍しろという純粋なエゴをむき出しにしていい。それが俺達にとって救いにもなる。
そして俺は確信しているゾンビランドサガには、こうしたエゴを何ともしない何かがあると、そして某アイドル育成ゲームにはない。
元増田です。
去年のアニメでは最高傑作の呼び声高いゾンビランドサガについてもう少しだけ。
ラスト3話のについてのわだかまりは元増田に書いた通りである。
書いた通りだったのだが、あれを書いてなお、どういうわけか、見返さずにいられない程度に最終話に惹かれ、結局何度か見直す事になった。
以下、たかが娯楽に過ぎないアニメを見た程度で青臭い感想を垂れ流すキモオタ仕草。
自分が一番気になったのは、さくらが生前の記憶を取り戻しことで、必要以上に過去の不運な結果に、頑ななまでに拘り、自分の殻に閉じこもった展開だ。
仕事に限らず、結果だけ見て評価が決まることは世の中にありふれている。
でも結局の所、物事の結果の成否なんて、最後は時の運だ。残酷なまでに運次第だ。
それどころか恋愛のように、自分の努力や工夫とは全く関係ないところで結果が決まる話はいくらでもある。
さくらはそういう結果の良し悪しがモノサシになる世の中の風潮を、感じ取れない・あるいは気にしないタイプのキャラではないだろう。
であれば、あれくらい、それこそやさぐれと言っていいレベルで暗い人間になるのも不思議な話ではない。全く不思議ではない。
心理的バイアスで、努力と勝利を無批判に結びつけている限りは。
でも生前のさくらがその生い立ちで証明した通り、現実はそんなに甘いモンじゃない。
しかし彼女は自身が無意識に持つ公正世界仮説を、厳しい現実を前にしても、否定どころか一度も顧みることすらなかった。
そういう意味ではさくらは努力家であり、これ以上ないくらい真面目な人間なのだと思う。
他にも記憶喪失中に見せていた、たえを始めとする他のメンバーへの面倒見の良さ、人当たりの柔らかさ、アイドルユニットのセンターとして申し分ないルックスなど、余人を以て代えがたい、良い所をいっぱい持っている。
でも、積み重ねてきた無力感は、それらを全てスポイルしてしまう。
そんなさくらが立ち直るきっかけをくれた二人の人物、愛とゆうぎりもまた、真面目な努力家である。
しかしさくらと決定的に違うのは、公正世界仮説というバイアスを持たない・あるいは過去に捨てた上で、物事を真摯に捉える点だ。
ゆうぎりのビンタと口上には、挫折を味わった人間の、厚みと優しさが滲み出ている。
個人的に、挫折を重ねた人間はやさぐれるか優しくなるかの2つに1つと思っているが、やさぐれたさくらに対し、この2人は実に巧く過去を糧にしたのだと思う。
さくらとの違いは、やはり持って生まれた性格の違いなのだろうか。
米軍で最も厳しいと言われる、海軍特殊作戦部隊Navy SEALsの基礎訓練課程は、その厳しさ故、実に志願者の2/3以上が自己脱落すなわちリタイヤを選ぶ。
自己脱落を選んだ志願者は自分のヘルメットを地面に置き、真鍮の鐘を3回鳴らしてその場を去る。
「これ以上出来ないと言えるくらい、全力を出し切ったか?」
と応じて見送るのだが、これは別にお愛想やお義理で取り繕っているセリフじゃないと思う。
多分、真剣に物事に取り組むとしたら、結果すらどうなってもいいくらいの必死さが全てなのだろう。
ゾンサガ最終回の愛とゆうぎりの姿に、そんな事を思い起こされた。
ともかく、最終的にさくらは愛とゆうぎりと、更に他の仲間や幸太郎に引き上げられ見事復活する。
その復活の様(「♪たちあがれ~」のシーン)は、死神にはもちろん、幸運の女神にすら中指を立てていくスタイルであることを明確に示した。
一方で、アンコール前の楽屋では、すべてを思い出してなお、まだまだ暗さが残る面持ちだったが、過去の傷はそう簡単に癒えないということだろう。
いや、いつになっても血が滲み、古傷が疼くほうがより人間らしい。ゾンビであっても。
2週かけて傑作アニメを2本、ほぼ毎日各1話ずつ見るというのは、十分贅沢に含まれると思うのだがどうだろう。
なんでそんな事になったのかは今でもよくわからないが、とにかくゾンビランドサガとケムリクサを同時並行で見始め、昨日見終わった。
てか、リアルタイムで話題になる程度に人気だった両作を、1~2シーズン遅れで見ることになった理由の一端は、半年前にこれまたふと始めたアズールレーンに、通勤時間と家で起きている時間の多くを取られたことにあるのは間違いない。
現代人のオフタイムはアニメ・ゲームがごたまぜになって、ユーザ時間の取り合いでしのぎを削るという現実の証左かも知れない。
ちなみにアズレンもずいぶん遅れて始めたあたり、自分が筋金入りの流行遅れなのは確かである。
ともかく、熱心にやりこんでいて気がつけば寒さも緩み、お陰様でゲームも9章まで行って個人的に一段落したタイミングで、魔が差したかのように上述のアニメに見入った次第。
その感想を一言で言い表すなら、とにかくすげー疲れたに尽きる。
出遅れて見始めたアニメを一気見する人は多いと思うが、傑作の理由の1つである密度の濃い作品を、しかも全くジャンルが違う作品を2つ立て続けに見るのは、相当にエネルギーが要ることを思い知らされた。
もちろん、仕事の疲れや駄作につきあわされる徒労に比べたら、遥かに心地よい疲れだったが。
むしろめったに出来ない贅沢な経験という意味で、ここまで素晴らしく心地よい疲れを提供してくれてありがとうと言うべきかも。
なんでゾンビランドサガを見ることになったのかは、今以てよくわからない。
わからないが、当初は物凄い事故に遭ったかのような衝撃、いや笑撃だった。主人公もいきなり衝撃を受けて死んだわけだし。
マジで冒頭の軽トラ、あれ初見で笑わない人なんているのだろうか。
興味はあれど全く楽しむ気ゼロの状態で見て、それでも初っ端から声を上げて笑った作品なんて、もしかすると、ハルヒのみっくるんるん以来かも知れない。
ちなみに2周目もう1回あのシーンを見たら、今度はしっかり悲しかったので一安心である。本来人が死ぬのは悲しいことだし。
さすがは傑作。
ただし、じゃあ2018年のアニメとして、宇宙よりも遠い場所やゆるキャン△、はたらく細胞より凄いかといえば、そこは微妙。
気になったのはラスト3話。ラブライブ!第1期でやらかしたことまんまじゃねーか。
ラブライブ!でもラスト3話は当時から評価が微妙だったのに、また繰り返すってどういうこと?
問題は、あの話を描くことで主人公さくらのファンが増えるのか?という疑問。
この展開の先行者たるラブライブ!で主人公の高坂穂乃果は、件の展開が原因かはわからないが、特に女性ファンからの人気がワーストだったと聞く。
ゾンビランドサガの源さくらは、そこら辺どうなるんでしょうね?
でも、それ以外は本当に面白かった。
1話からどんどん盛り上がるその勢いは、間違いなく2018年アニメでは最高のアツさだったと思う。
そして一番の山場が中盤の6話7話。アイドル経験者の純子と愛、pixivでは純愛コンビと言われている2人のエピソード、まさかアイドルアニメで「尊い」気持ちにさせられるなんて思ってもみなかった。
特に純子の可憐なルックスにお淑やかな喋りと、低くパワフルな歌声のギャップにはやられた。
対する愛の、今となっては懐かしいゼロ年代JKなルックスとキャラに、種田梨沙氏のキャスティングは本当に見事。
無理矢理まとめるなら、これは正しくラブライブ!2.0になるかもと思った(サンシャイン何それ美味しいの?)。別にそれが一番言いたいことじゃないけど。
ともかく2期は見逃せない。今から楽しみにしておこう。
けもフレという「他人の褌」から決別し、ケムリクサを作ったたつき監督はまさしく天才現るという形容が相応しい。
たつき監督の作風の根幹は優しさであるとは各所で言われてきたが、その真骨頂は会話劇だろう。
どうやったらこんなに、不快なキツさのない会話が展開できるんだ?と思わずにいられない。もはや異能という他ない。
赤い木の発端も、その根っこには真剣な想いが流れていることを、誰の言動にも怒りを感じることなく見進められたのは、今振り返るととんでもない完成度と言わざるを得ない。
てか、個人的にはこういう展開を途中で白けず、逆にかなり真剣に見入ってしまったのは、実は色々アニメを見てきて初めてかも知れない。ちゃんと作られてれば面白いんだね。
もちろん、絵も素晴らしい。
物凄いディストピア感溢れる世界なのに、不思議と見ていて退屈だったり辛かったりというのがない。
これまた逆に「ここって、元々こういう場所かな?」と思いを巡らせたのだが、これも個人的には滅多にないことである。
そこに来てラストのあの光景、まさに「驚きの白さ」であり、絵だけで喜びと安らぎが余すことなく表現されていたと思う。
ちなみに最終回といえば最後の歌、エモかった。あんなに歌が神々しく聞こえちゃっていいの?みたいな。
というわけで、たつき監督が未来の宮崎富野押井レベルに到達するまで、頑張って生きてみようと決意した次第。
宮野真守氏・野島健児氏ともに、あんなに難しい人物を完璧に演じていた。
どちらも一歩間違えれば、かなりサムい、イタいキャラになりかねないし、そうなったら作品としておしまいと言っていいくらい、物語上重要なポジションである。
けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)
所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。
それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。
もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。
吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間が必要かを知っているはずだ。
人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。
けものフレンズは吉崎先生がキャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。
鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。
彼に出会えたことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。
また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生はアニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。
たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。
しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続中なのだろう。
木村監督はアイカツで名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。
ただ、木村監督はたつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。
世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客の選択と作家同士の切磋琢磨が生じる。
監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。
ただ、第3回上映会にて、かばんちゃんとサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。
アニメ監督は演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから、監督が設定を知らないことは異常事態と言える。
理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からぬものが出来てしまう。
吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。
その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないかと想像してしまうのだ。
いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。
それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。
ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。
<結局何が言いたいかというと>
けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。
もちろん、動画もどこまで信じていいか分からないし真相は闇の中だ。
この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから、外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。
今回書けなかった脚本のますもとさんは、正直私はよく知らない。
ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。
やっぱり何か、監督や脚本が自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。
ナンバリングのついた続編を作らないで「新」や「魂」「GT」などをつけることで続いてはいるけど心機一転感がある。
「2」ってつくとやっぱ12.1話以降の続きが見たい…見たくない…?
そもそもかばんちゃんと旅をしたと思われるサーバルではなく別個体のサーバルとカラカルを出せばよかったと思った。
前期でも映像とはいえ野中藍声のサーバル(アプリ版)が出たんだから別のサーバルだって出していいじゃん…
ゲーム版をやっていないので、もしかして1作にはフレンズが1体しか出れないみたいなのがあったらごめんなさい
ポケモンのゲームで御三家を選ぶのとは違いアニメでは相棒をピカチュウにしたように案だけフレンズがいるんだから主人公のフレンズを前作と同じ
むしろここで新しいフレンズを主人公にすることで人気出て前作と差別化できたかもしれないし、カラカルとキュルルでサーバルを探すみたいな感じで話作れてたかもしれない…
ZからZZに乗り換えたし、ガルダフェニックスもマッハジャスティスになったし、メタビ―からアークビートルみたいなのがあると思うんだ
今作の監督や脚本家が合わないと思った方は他の作品を見て評価を考え直してみるのもどうでしょうか?
ちょうど来週4/11(木)から今作の監督木村隆一が監督を務めるアイカツ!の再放送がMXで始まります。
https://twitter.com/TOKYOMX/status/1113750055494856705
そして来週来週4/12(金)から今作の脚本家のますもとたくやも脚本を書いているゾンビランドサガが、早いところでは今日から再放送が始まります。
【再放送決定!】
4月よりTVアニメ「ゾンビランドサガ」の再放送が決定しました!
TOKYO MXにて4月12日(金)24時30分~
サンテレビにて4月4日(木)24時30分~
放送をお楽しみに!https://t.co/YIi9HiwpVJ#ゾンビランドサガ pic.twitter.com/BomvCmtBzF— ゾンビランドサガ_TVアニメ公式 (@zombielandsaga) 2019年3月17日
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
多くアニメを見ていると好きではない作品も中にはあると思います。
だけど、それを作った人に親を殺されたかのように憎む前にまず同じ人が作った別の作品を見てはどうでしょうか?
そしてそもそも前作が人気になった経緯やその時の様子、この作品を作ることになった原因やそれを取り巻く環境を改めて考え、そこから自分の伝えたいことは何なのか考えてみてほしいです。
一体なんの作品ってゾンビランドサガの話なんですが、まずはライブお疲れ様でした。
いろいろ二次創作界隈の扱いをみて嫌いでは無いけど、純粋に見られなくなったお話を愚痴として書こうと思いますが、紺野純子×水野愛のコンビがお好きな方で、二次創作のように二人がイチャイチャする関係性を好む方はブラウザバックを強くお勧めします。
さて、大丈夫でしょうか?
ゾンサガの二次創作のうち全体の6~7割方が純愛コンビ物で、二人が恋人のようにイチャイチャしてるのはまだ良いのですし、純子の身体が他人のパーツを合成してできたみたいな話もまだ許せるのですが許せないのが、かなりの割合で愛の頭の花飾りがポップコーンのように炸裂しながら「純子かわいい」みたいな純子age要員に使われるオチが非常に多いんです。
もちろん逆も有るのですけど、一般的に愛から純子に対しては、ポップコーン炸裂させながら余裕が無い感じで「かわいい」と言うのに、純子→愛は余裕綽々で「かわいい」という感じでヘタレキャラ扱いされているのです。
さらには純子絡まなくても焼肉好きを弄られたり二次創作愛は全体的に弄られキャラ扱いされてるのですけど、そのうち「水野愛は無能なコメディリリーフ」みたいな認識が一般化して公式に逆輸入されるんじゃないかと不安に思います。
本来、フランシュシュって「時代も性別も世代も超えて」伝説を築き上げたもの立ちが集まってお互いに助け合うって話なんだから7人に序列は無いはずなのですけど、暗に純子>愛みたいな序列づけがされてるようで気に入りません。
これは公式への愚痴にもなるのですが、純子は河瀬茉希さんの歌唱力という説得力に裏付けされたけど、愛は特にダンスが自信ありというのに、コーチ役としての役割以外にダンスが凄いって描写が無かったり、「死んだから伝説になれた」と言わんばかりの劇中の追悼サイトもあったり、純子はほぼ独白頼みで想像に任せきりで生前の活動実績は愛と比べて想像の余地も現時点では大きくて、微妙に公式からも愛sageみたいなものがあるような気がするのですが邪推しすぎなのかな?
そもそも、純子の生前の芸能界の立ち位置って視聴者のうちの少なからぬ人がまだ権威のあった時代のレコード大賞をもう取ってて松田聖子と中森明菜と山口百恵を足して三で割らない凄い人みたいなイメージをされてて、愛が前田敦子(インタビューでもモデルと公言された)って感じで、松田聖子+中森明菜+山口百恵とマエアツならどっちが芸能人としての格が上かと聞かれたらそりゃ殆どの人が前者と答えるよねって感じで、対等感が無い感じがするんです。
初の九州ツアーに行く途中に夭折したんのだから、公式の想定した立ち位置ってもしかして本当に火を付けただけで、(昭和)アイドル好きからは神格化されたけど一般的な知名度があまりない知る人ぞ知るみたいな立ち位置なのかもしれないけど、そのあたりの描写が無かったんですよね。 まあ、多分知名度は全局ゴールデン制覇をして、東日本大震災の年にそのまま死んでさほど時間も経ってないリリィが一番上だと思うのですけど。
どうも、二人はライバルなのかな?とも思ったのですが、よくよく考えたら6話の喧嘩を除けば、意地の張り合いもする事もお互いに競い合う訳でも無い。巽から「お前は昭和のアイドルのままでいい」(要約)と言われた時点で、同じ目標を共有することはあれど、「競う」関係ではなくなったと個人的には思います。
そもそもステージ以外で絡んだのって10話でイノシシ捕らえたときにハイタッチした程度で、7話以後純子が愛をどう会話しているのかまだ解ってないくらい会話してないですよね。
最初の頃は同じ芸能界のアイドル同士って事で一緒に抜け出そうとしたり、ゲリラライブには参加しなかったりしてましたけど、純子はさくら、愛はサキの方が気が合う感じがするんですよ。現代の風俗を愛に聞くってそれこそ二次創作でよく見るシチュエーションですけど、実際には芸能界の事を除けばむしろ最終回後ならさくらに話しかけるんじゃないかなと思うのです。
ライバルじゃ無く以心伝心で伝え合える戦友だから良いと言われるかも知れませんが、それだったら7人全員がそう有るべきでしょう。
結局、純愛ばかり二次創作書かれるのってさくらやサキが方言キャラで、リリィが男の上にロリキャラだからてっとり早く描けるキャラなんでしょう。でも、それってキャラのガワだけはりつけたハリボテですよ。
ちゃんと見てたらそこまでイチャイチャするような関係じゃないと思うのですが、まあ、どっかのガルパンのケイダジとかまほチョビとかのように劇中一度でも会話も交わしたかも怪しいカップリングがあるくらいですから、それに比べたら遙かに接点はあるでしょうが、イナゴのどこか二次創作なんですか(純子風)
どこぞのけものなフレンズのように裏事情ヲチや推測の方が面白いコンテンツに成り下がったってなら幾らでも他界もしますが、最初は燃料不足と最終回ロスでむさぼるように二次創作を読んでたのですが次第に、描き手は違えとやってることが殆ど同じチュチュイチャイチャばかりなのに違和感を覚えて、今では不満のほぼ8割は二次創作の風潮が嫌いなだけなので嫌いになれない苦しみこれが一番辛いです。
現代オタクの大半は「(そのクールで)名作だった」ことだけを重んじるんだよ。経済によい。
オールドタイプオタクは「(人生通して)名作」を重んじる。内向的だな。
今日も帰ったらSPEED GRAPHER見ようっと。
私はこれまでライブもライブビューイングも行ったことなかったんだが、画面越しでは何度か見たことがあった
メディアで話題になりがちな陽のヲタクとか、声優好きなヲタクとかではない、「それ以外」のヲタクはかなり多いと思う
理由は長くなるので省くが、ゾンビランドサガはそういう層のヲタクに結構刺さったらしい
これは5chやTwitterを1クール以上観察して感じたことだ
※もちろんアイドル好きオタクにも刺さったが、全体の割合は体感少なかったと思う
アイドルやアイドルアニメについて議論するシーンでも「他見てないから分からん」が多数派だった
だから今回が最高だって言っても、Twitterで5万ツイートされトレンド入りしたとしても、他のライブと比べてどうたったかという答えは出づらいと思う
でも、視点を変えれば今回は「アニメの一部として」最高だったんだと思う
普段ライブを見ないような人達が最高だったと言っていたら、その理由しか考えられない
そもそも、このアニメはライブ押しの方針がなかったのか知らないが、歌って踊れる声優は半分と言った所だった
その割に難度は高く、楽曲を収録する際にも音楽担当に何度もリテイクをうけながら作ったらしい
視聴者も「実際にライブやる用じゃないよね」という感想だったと思う
歌うだけでも何度もやり直しを食らう楽曲を、経験が乏しい人が激しいダンスありのライブで歌うのは相当厳しいだろう
だからファンも声優ライブはおまけとか記念程度に思っていたと思う、少なくとも私はそう思っていた
12月に行われたサイゲフェスは実際にそのくらいの出来だったし、ファンも内情を理解して「みんな頑張っていたな」という感じの感想だったと思う
それでもアニメがそもそも素晴らしかったのと、「頑張っていた」のがアニメ内のフランシュシュと被っていたので十分感動的で好評だったのだけれど
今回のライブはそんな初々しさまみれの状態で行われた、初単独ライブだった
ファンの間では「ライブには何を持っていけば良いのか」「何を着ていけば良いのか」「立つのか座るのか」「サイリウムは買えば良いのか」「どこで買えるのか」「いつ行けば良いのか」と言った初心者丸出しの質問が相次いだ
ほとんどがライブビューイング参加だったからというのもあると思う
明確に回答できる者も少なく「俺はこうする」「周りに合わせる」などという腹の探り合いに発展しているのは面白かった
当初BD購入者先行抽選で、1000人の箱で行われる予定だったこのライブは、アニメの人気によってライブビューイング69劇場の追加が決まり、
運営の柔軟な対応によりファンはこぞって応募し、ライブビューイングはほとんど満席だったらしい
※ちなみに私のBD抽選は落選、ほとんど皆落選してた(倍率10倍位?)
アニメを見ているのか、声優ライブを見ているのか一瞬わからなくなるくらい、というのは言いすぎではない
違うのはせいぜい髪の色と次元くらい
これは錯覚する
思えば伏線はあった
本作のキャスティングはキャラクターと中の人が似ているように作られている
演技も「できるだけ素に近く」のようなオーダーを受けるくらいで
そして3ヶ月前の、まだ慣れていないパフォーマンスも、思えばまるで本編第三話のようだった
普通は他の仕事がある中、3ヶ月そこらでそんな完璧にはならない
皆そう思っていたはずなのに、彼女たちはやってのけた
しかも作中の曲をほぼ全部やった、3ヶ月前より7曲増え計9曲ある状況で、「すげぇ本物だ!」というくらいまで仕上げてきた
その「行間」がモロにアニメと被ってしまって、1曲目から勝手に涙が出てきた
誰かが「こんなのアニメの続きじゃん」とか言ったが、よもやそんな、昨日までなら一笑に付したであろう世迷い言を首肯する日が来ると思わなかった
元々作中の楽曲はよく練られている
「泣けば良いのか笑ったら良いのかよくわからないアニメ」と評されるだけあって
アイドルっぽい曲というよりは、友情・努力・勝利・生き様・死生観・家族愛・応援のような感情を揺さぶる曲が多い
一定のパフォーマンスが出せたら、感情を激しくシェイクするようなポテンシャルを持っていたのだが、それが完全に発揮されていた
と、この時点で十分絶賛するレベルなんだが、あと何点か追加ポイントを挙げたい
これは流石に「マジか」と呟いてしまった
だって本編に少ししか出ていない、2期があれば確実に絡むだろう重要な存在ではあったが「まさか出さないだろう」と思われていた
そのBDにしか付いていない楽曲は評判がよく、「出たらいいのに」とはよく言われていたが、練習もかなり必要なわけで・・・
しかもそれに対してファンが「まるで本当にトップアイドルが来た」かのような反応でこれまたアニメと被る
何で君たちBDにしか付いていない曲で乗れるんだ、ああ全員BD購入者だった
まんま本編じゃないか
こういう、大体100点だなというラインにさらに乗せてくるのはゾンビランドサガらしい、多方面から出るアイディアを何故か上手く昇華できてしまっている
かなり歌詞をこだわってくるタイプだったので脳の処理が追いつかなかった
眼の前のライブと、歌詞と、本編とが脳内でグルグルグルグルしていた
「これからもっと飛躍していきたい」という声優フランシュシュの状況が
同じスピードで完全再現していったら絶対面白い(ちょっと追い越しちゃったけど)
今回のライブの成功が記事になったのだが、作中と同じような写真の構図で記事にしているところがいくつかあった
演者、ファンどころか、メディアまで一緒に再現に加担しているのがとても楽しい
私がいた新宿ではめちゃくちゃ盛り上がった
あとやっぱ音響がいい
夜の部は家で見たが、5割り増しで良かったと思う
まだ語りきれていないが一旦ここまで
とにかくここまでアニメそのものなライブは見たことがなく、ひょっとしたら今後もないかもしれない
(でも次は佐賀でやるらしいから、また一歩アニメに近づくかもしれない。最後に一つ足りないとしたらたえちゃんだね)
衣装も極力アニメに合わせるし、「どういうストーリーの中での歌か」という文脈を大事にしていた
セトリはストーリーそのものだし、ファンを巻き込んでストーリーの一部にしてしまうのは上手いなと思った
この求心力はやっぱり本編ありきなんだと思う
お前まじ伝説やん
昼の部最高だったから見て
参考
https://zombielandsaga.com/event/detail.php?id=1070824
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ところで田中美海はここ最近、プリパラとWUGとゾンサガで同時にアイドルしてたってマジ?
To my Dearest、指先まできれいだった、2番難しすぎワロタ
エロがないアニメも大量に作られているので増田で聞けば教えてもらえるだろう
チアダンスなので脚を挙げるシーンもあるがスカートの中はフレームアウトしていて見えない
巨乳設定キャラがダンスしているのに胸が全く揺れないのでかえって不自然なくらいだ
これは「チアリーディングはいやらしいものではない」というテーマ(9話で明確に語られている)に則っているのであろう
それとおすすめしたいのが「邪神ちゃんドロップキック」主人公が全裸で、長い髪で乳首を隠しているのだが、これが全然エロくない
今期私が観ている物の中でエロくないのは「明治東亰恋伽」「ちとせちゃん」「バミューダトライアングル」あたり