元増田です。
去年のアニメでは最高傑作の呼び声高いゾンビランドサガについてもう少しだけ。
ラスト3話のについてのわだかまりは元増田に書いた通りである。
書いた通りだったのだが、あれを書いてなお、どういうわけか、見返さずにいられない程度に最終話に惹かれ、結局何度か見直す事になった。
以下、たかが娯楽に過ぎないアニメを見た程度で青臭い感想を垂れ流すキモオタ仕草。
自分が一番気になったのは、さくらが生前の記憶を取り戻しことで、必要以上に過去の不運な結果に、頑ななまでに拘り、自分の殻に閉じこもった展開だ。
仕事に限らず、結果だけ見て評価が決まることは世の中にありふれている。
でも結局の所、物事の結果の成否なんて、最後は時の運だ。残酷なまでに運次第だ。
それどころか恋愛のように、自分の努力や工夫とは全く関係ないところで結果が決まる話はいくらでもある。
さくらはそういう結果の良し悪しがモノサシになる世の中の風潮を、感じ取れない・あるいは気にしないタイプのキャラではないだろう。
であれば、あれくらい、それこそやさぐれと言っていいレベルで暗い人間になるのも不思議な話ではない。全く不思議ではない。
心理的バイアスで、努力と勝利を無批判に結びつけている限りは。
でも生前のさくらがその生い立ちで証明した通り、現実はそんなに甘いモンじゃない。
しかし彼女は自身が無意識に持つ公正世界仮説を、厳しい現実を前にしても、否定どころか一度も顧みることすらなかった。
そういう意味ではさくらは努力家であり、これ以上ないくらい真面目な人間なのだと思う。
他にも記憶喪失中に見せていた、たえを始めとする他のメンバーへの面倒見の良さ、人当たりの柔らかさ、アイドルユニットのセンターとして申し分ないルックスなど、余人を以て代えがたい、良い所をいっぱい持っている。
でも、積み重ねてきた無力感は、それらを全てスポイルしてしまう。
そんなさくらが立ち直るきっかけをくれた二人の人物、愛とゆうぎりもまた、真面目な努力家である。
しかしさくらと決定的に違うのは、公正世界仮説というバイアスを持たない・あるいは過去に捨てた上で、物事を真摯に捉える点だ。
ゆうぎりのビンタと口上には、挫折を味わった人間の、厚みと優しさが滲み出ている。
個人的に、挫折を重ねた人間はやさぐれるか優しくなるかの2つに1つと思っているが、やさぐれたさくらに対し、この2人は実に巧く過去を糧にしたのだと思う。
さくらとの違いは、やはり持って生まれた性格の違いなのだろうか。
米軍で最も厳しいと言われる、海軍特殊作戦部隊Navy SEALsの基礎訓練課程は、その厳しさ故、実に志願者の2/3以上が自己脱落すなわちリタイヤを選ぶ。
自己脱落を選んだ志願者は自分のヘルメットを地面に置き、真鍮の鐘を3回鳴らしてその場を去る。
「これ以上出来ないと言えるくらい、全力を出し切ったか?」
と応じて見送るのだが、これは別にお愛想やお義理で取り繕っているセリフじゃないと思う。
多分、真剣に物事に取り組むとしたら、結果すらどうなってもいいくらいの必死さが全てなのだろう。
ゾンサガ最終回の愛とゆうぎりの姿に、そんな事を思い起こされた。
ともかく、最終的にさくらは愛とゆうぎりと、更に他の仲間や幸太郎に引き上げられ見事復活する。
その復活の様(「♪たちあがれ~」のシーン)は、死神にはもちろん、幸運の女神にすら中指を立てていくスタイルであることを明確に示した。
一方で、アンコール前の楽屋では、すべてを思い出してなお、まだまだ暗さが残る面持ちだったが、過去の傷はそう簡単に癒えないということだろう。
いや、いつになっても血が滲み、古傷が疼くほうがより人間らしい。ゾンビであっても。
2週かけて傑作アニメを2本、ほぼ毎日各1話ずつ見るというのは、十分贅沢に含まれると思うのだがどうだろう。 なんでそんな事になったのかは今でもよくわからないが、とにかくゾンビ...
anond:20190424233640 元増田です。 去年のアニメでは最高傑作の呼び声が高いゾンビランドサガについてもう少しだけ。 ラスト3話のについてのわだかまりは元増田に書いた通りである。 書い...