これから俺がやろうとしているのは、オタクにありがちな、しかし絶対にやってはいけないとされる
『新しいコンテンツにハマった時に、前にハマっていたコンテンツを腐して後ろ足で砂をかける』という行為だ。
こんなことをしても誰も得しない、双方に悪印象を与える。ツイッターや某匿名掲示板で対立煽りに使われるのがオチだ。
だがしかし、書かずにはいられないのだ。書くことで救われるものがある。これは俺のエゴだ。
某アイドル育成ゲームをプレイする人々の目的はなにか、愛するアイドルを育成して、トップアイドルに導くことか、違う。
某アイドル育成ゲームをプレイする人々はある暗黙の了解のもとにプレイをしている
某アイドル育成ゲームをプレイする人々の目的は、某アイドル育成ゲームが続くことにある。
某アイドル育成ゲームの運営は某アイドル育成ゲームが続くために、あらゆる手段を講じる。
ゲームにとどまらず漫画、アニメと多方面に展開する。矢継ぎ早に新展開、ここぞという時に新アイドルを登場させる。
だがそうする中で、設定はとっちらかって、媒体ごとにブレが生じる。
新展開、楽曲、グループの活動はやがて人気のある特定のアイドルに偏り始める。アイドルの人格もウケが良かったものに矯正される。
気がつけば、自分の愛するアイドルは他のアイドルの割りを食って無下にされることが当たり前。活躍したかと思えば別人のようになり
それまでのそのアイドルの歩みを否定するような望んだ活躍とは程遠い。お前はそんなことを言わなかったはずだ、と思うことがざら
にある。
でも仕方がない、全ては某アイドル育成ゲームを続けるために必要なのだ。人格が変わったのは成長したからだ決してキャラ崩壊ではな
い。人気のあるアイドルに活躍を集中させるのもビジネス的に考えたら当たり前だ。それが運営の判断なのだ。それが正しいのだ。
そう自分に言い聞かせてるのが某アイドル育成ゲームをプレイする人々だ。
だが冷静になって考えて欲しい。いちプレイヤーに過ぎない俺達が、なぜ運営の言うことに盲従しなければならなかったのか
今ならハッキリ言える。某アイドル育成ゲームは、アイドルを人質にした運営のやることなすことに盲従するゲームだ。
俺達はもっともっと運営に対して抗議の声をあげるべきだった。もっとちゃんとアイドルたちのために考えてくれと、愛するアイドルの
ために声を上げるべきだった。もっと自らのエゴを隠すことなく表に出すべきだった。
某アイドル育成ゲームは人生に例えられることがある。だがいつしか自分を押し殺して運営に盲従することで、心は疲弊して、その人生
は生き地獄となる。終わりのないのが終わり、それが某アイドル育成ゲーム。
そうだここには物語がある。
某アイドル育成ゲームで僅かな描写から限りない考察を続けたが、ろくすっぽ設定も顧みられず憤懣やるかたない思いをしたあなたの望みを叶え
るものがある。
愛するアイドルが成長したかとも思えば、別人格のように変わり果ててなかったことにされてやるせない思いをしたあなたの望みを叶え
るものがある。
アイドルたちに平等に活躍して欲しいという当たり前のあなたの望みを叶えるものがある。
ここには、成長がある。物語がある。私達が滂沱の涙を流したことに意味がある。なかったことにはされない。
そして何よりエゴがある。
某アイドル育成ゲームをプレイする中で一度ならずも思ったはずだ。「なぜこの子はアイドルをやっているのだろう、この子にとってのアイドルとはなにか、アイドルを続けることがこの子にとって本当に幸せなのか、こんないい子が自分なんかに追従しているのが幸せなのか、なんのために自分が居るのだ、自分とアイドルの関係はなんなのだ」
アイドルとして活躍してほしいと思う一方で、アホみたいなクソでかい思索があった感情があったエゴがあった。だがそう思いながらも関係なしに運営に盲従してきたのが私達だった。
ゾンビランドサガのアイドルたちはゾンビである。アイドルとなりアイドルとして生きる、死んでるけど生きる。それ以外に道はない。
そしてゾンビランドサガのアイドルたちの目的は佐賀を救うことある。そのために無茶振りをされる。それに応えるのがゾンビランドサガのアイドルたちだ。
ゾンビランドサガには理屈を超えたでっかい何かがある。そしてその裏には無私の心などではない。どでかいエゴがある。
ゾンビランドサガには、理屈抜きにもっともっとアイドルとして活躍しろという純粋なエゴをむき出しにしていい。それが俺達にとって救いにもなる。
そして俺は確信しているゾンビランドサガには、こうしたエゴを何ともしない何かがあると、そして某アイドル育成ゲームにはない。