はてなキーワード: 農業とは
電通の過労死事件で長時間労働は問題だ、という意識が高まり、労働生産性についての議論がWebで行われている。だけど、どうも「労働生産性」という言葉を素朴に受け取りすぎてて、議論が迷走してる(というか入口にたどり着いてない)ことも多いようなので、いくつかの点をメモするよ。
辞書的に言うと「就業者一人当たりが働いて生み出す付加価値の割合」がその意味となる。どうやって労働生産性を算出するの? について、すごいざっくり計算方法をまとめると「その会社の粗利益/就業者の人数」したものだ。細かく言えば粗利の定義が同行とか、長時間働いた人と短時間の人がまざったらどうすんだとかあるんだけど、それは詳しい人に任せるとして、要するに「一人あたりにあげた利益だ」って思っておけば、とりあえずはOK。
しかし、その理解(つまり、一人あたりにあげた利益)を表面的な理解しかしていないと、「日本の労働生産性が低い」と言われたときに「日本人は無能なのだなあ」と思ってしまう。事実、マスコミやWebではそういう論調の人も少なくない。それは事実なのだろうか?
ある村に農民がいたとして、彼は大根を一人で作っている。一人で作っているので、この場合粗利=労働生産性だ。ある年度、彼は非常にまめに働き、好天にお恵まれて、大根が2倍とれた。(市価を考えなかったとして)つまりは2倍の利益になった。労働生産性も2倍だ!! 労働は美しい、勤勉と努力が生産性を上げる――これはそういう話として理解できるし、原始農業で考えた場合にはさほど間違ってもいない。
しかし、現代的には間違いだ。農業増田があるときから2倍の生産性を手に入れたとするならば、それはトラクターか何かを買ったからだろう。
この話をすると不機嫌になる人がいる(とくに左翼の人はすごく不機嫌になる)けれど、それでも正面から言うならば「日本の労働生産性のほとんどは、人間が稼いでるわけではない。機械が稼いでいる」のだ。
たとえばトヨタの工場で車がバンバン完成しているとき、その利益の大部分は機械が稼いでいる。「いいや、人間が操作しないと機械は動かないだろう」とかいうコメントがつくかもしれないけれど、そういう話ではない。「機械ゼロで同じ利益を上げようと思ったら、人間を何人増やせばいいのか?」「そしてその増えた人数で割り算したら一人当たりの利益(=労働生産性)はどうなるのか?」という問題なのだ。
そんなわけで、ある労働生産性のうち、その手柄としては「個人の努力(労働)」よりも「機械(設備)の割合が大きい」というのは説明できたと思う。では「個人の労働能力」と「設備の力」だけで労働生産性の功績評定は終わりかというと、そうでもない。そのほかにも「組織のノウハウやブランド」「ビジネススキーム」などがある。
例えばバッグを作ってる会社が二つあり、「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力」と「ビジネススキーム」がほとんど同じなのに片方だけが大きな利益を上げている場合、そこにある差はブランドだと理解できるだろう。
「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力(資本力でもいい)」と「組織の知名度(ブランド)」が大体互角な2つの企業があり、片方が新事業に切り込めて片方がそうでないのは「ビジネススキーム」の構築で差がついたからだ。
何が言いたいかというと、「労働生産性」といったときじつは労働者の能力に由来する部分は少ないということだ。「労働者一人当たりの利益」だなんて、労働者が主役のイメージがあるので誤解しがちだが、労働生産性という概念において、その主役は労働者ではない。その何割がどんな要素に由来するか? を考えれば「個人の労働能力や労働時間」なんてものは、実はたいした影響力がないのだ。
だからこそ資本主義において資本家は尊重されている。つまり、利益の手柄のうちかなり大きな部分が設備投資から得られたのだから、利益のうち大部分を得てもよいはずだ、という理論だ。
電通の2014年度の利益は1323億円で社員数7261人だそうだから(ざっと調べただけなので間違いあったら指摘お願いします)、労働生産性は1822万円であって、日本人の労働生産性の平均700万程度と比べて低いわけではない。そこまで業種別に詳しく調べたわけじゃないけれど、これはかなり高いんじゃないかな
この高い労働生産性(というか、ぶっちゃけ利益)はどこからもたらされているかというと、社員のモーレツな頑張りからではなくて、業界の寡占(ノウハウやブランドの一種といえるのか。あんまり言いたくないけれど)とみなすのが自然だ。
つまり「労働生産性が低いから長時間労働をしなければならない」というのは全くの虚偽で、そんなに長時間働かなくても電通は利益をおそらく落とさない。
というと、これは企業内文化の問題や、報酬体系(基本給を抑えて残業代で生活費を支給している)や、マネジメント能力の問題がある。
特にマネジメントの問題は大きい。日本の会社組織は伝統的に人員管理業務を非常に低く評価してて、昇進して中間管理職になった場合、部下の管理を行う業務は増えるが、現場の(つまり自分自身の)仕事は減らない。「人員を管理して適切にマネジメントをする業務は片手間でできるものだ」と考えられている。
中間管理職視点で見た場合、マネジメントを省力化するためには「人を増やさない」「教育をしない」「マネジメントを部下に丸投げする(仕事が終わるまで無償労働をさせて帳尻を合わせることをを要求する)」などといった手法が伝統的にとられる。
これは何も中間管理職に悪意があるからそうというわけではなくて、人員管理業務のための十分な時間や教育やリソースを上が用意してくれないので、中間管理職本人だっていいとは思ってないけれど、そうせざるを得ないという形が多いはずだ。今回の電通過労死事件は新人だったけれど、「中間管理職になれば自殺が減る」というデータはない。というかいっぱい死んでる。
電通に関して言えば先にあげたように利益は出ている。残業代だってごまかしはあるだろうが、出ているし、出せないってことはない。つまり、本当にこなせないほど業務があるなら人は増やせるし、そういう風に解決すべきだ。しかし、そういう問題ではない。企業文化の問題で人を増やす発想がない、増やした以上に無償労働を増やしてしまう、管理リソースがない。だから長時間労働が発生している。
残酷に言ってしまえば「長時間労働が常識なので長時間労働をしている。意味や効果はない」。
というわけで「労働生産性が低いから(つまり、労働者の能力に問題があるから)長時間労働をしなければならないのだ」ってのは嘘だ。
むしろ逆で「なんらかの不思議なチカラ()の結果、労働者が長時間労働をしてるので、結果として数字の労働生産性が低く見える」が正解だ。
不思議なチカラについてはいろいろある。ただの慣習とか、上層部の精神主義とか。ただし「お金がないから人が雇えない」というのは、少なくとも100人以上の企業の場合眉唾だ(非常に少人数の企業の場合はありえる)。
なんにせよ、労働生産性を労働者の問題として引き受けるのは間違いだ。それは主に経営者の経営能力とか資本家の投資の問題でだ。また、長時間労働は企業文化やマネジメントの問題、新人とるのが面倒くさいとか教育するの面倒くさいというのが問題の中心だ。こっちは生産性とはあんまり関係ない。
もちろん日本の場合、起業することとか管理職になることに対して、全体的な忌避感があって、その結果有能な経営者や管理職が増えないというのは、可能性として高い。日本の労働生産性が低いのは、経営者や管理職になって合理的な経営をするインセンティブが低く、そういう人材がいないことが一番の原因かもしれない。
浜松市北区三ヶ日町で農機具小屋ばかりを狙って放火を繰り返していた放火魔が捕まった。
犯人は地元大福寺に住む29歳の清水●●容疑者(ぐぐれば出てくる)。元警察官で、今は警察を辞めて農業に専念するため自宅を新築していたところのようだ。
この件で、奥さんとは離婚、子供にも会えなくなっているらしい。
うわさでは相当の示談金を積んで事件をなかったことにしようとしているらしい。
田舎特有の家同士のつながりがあるため、金で解決できることなら、金で解決という流れのようだ。
貧困JK は美術学校に進学したがっているが、そうするべきか?
いや、違うだろ。就職するのが正解だろ。
就職先は、どこだ? アニメ業界か? 映画会社か? 一流大企業か?
いや、そのどこでもない。
事務系の仕事とは限らず、手足を酷使することもあるが、農業よりは楽だろう。
とにかく、建築系の会社に行け。そこなら、ちゃんとした就職ができる。
カッコいいオフィスで、楽しい絵を描いて、遊んで金を得よう、……という発想がまずい。
「ちゃんと汗水垂らして、真面目に働いて金を稼ぐ」という道を、教えて上げるべきだ。
《 追記 》
求人先がわからない人がいるようなので、以下に記しておく。若い高卒なら、求人はいっぱいあるぞ。
→ マイナビ
→ とらばーゆ
→ リクナビ
日本人は、一方的な自虐史観を止めるべきである。特定の思想(自虐史観)に偏らず、事実を正しく伝えること、ひとつの物事の正解をひとつに決めてしまうのではなく多方面からの視点があること、様々な考え方があることを許容することを教えるべきである。
日本も十数年以上前までは学校で自分の先祖がどんな人だったか調べる授業があったが、特定の圧力団体に配慮して廃止してしまった。その上、自虐史観に基づいて、自分の両親や祖父くらいの年代の人たちが侵略戦争したと一方的に弾劾されてきた。
このような教育を受けていて、どうして子供が親や先祖を敬えると思えるだろうか?自分の親や先祖がどのようなことをしてきたかを知らずして、どうして先祖に感謝し、敬い、自分のアイデンティティを確立させることができるだろうか?
これが現代社会の抱える問題、核家族化、孤独死、社会的孤立化などを作った一因だと思う。
移民国家の米国では、ファミリーヒストリーといって生徒が家系図などを調べて自分の先祖がどんな人だったか、どのようにして米国に来たか、どのような生活をしていたかなどを調べるクラスがある。移民国家だろうが外国人が多かろうがどのような背景があろうが、自分の先祖の人柄や生活ぶりに触れることは情操教育、アイデンティティの確立にあたってとても大切なことだと思う。
第二次世界大戦は日本の侵略戦争と言われるが、それならなぜ、日本が占領していた台湾、パラオ、タイなどは、今でも親日国なのだろうか?
学校教育では日本は侵略戦争をしたからアジアから恨まれている、アジアには親日国など存在しないかのように教えこまれ、そこに疑問を差し挟むことは決して許されないどころか、少しでも否定しようものなら、極右、危険思想を持ちはじめた生徒として弾劾され、洗脳まがいの自虐史観に基づく教育を受けてしまう。
中国人や韓国人が70年以上経ってもまだ恨み続けるほどの残虐行為を日本人がアジア各国でしてきたのなら、前述した親日国の台湾人やパラオ人、タイ人なども中国人や韓国人のように国家ぐるみで日本を恨むのではないか。
しかし、実際には親日国の国民は、日本人に親切で、日本語を喜んで使ったり、日本を好きでいてくれている人も多い。
そして中国や韓国は未だに国家ぐるみで反日教育を続け、日本を恨み、日本で強盗などの犯罪を重ね、最近は竹島問題、尖閣諸島問題、慰安婦問題のように日本の領土を強制占領し、侵略し、世界中で慰安婦像を作ったりしている。果たして中国や韓国の主張する日本人の当時の残虐な侵略行為は事実だったのだろうかと疑問を持つのはおかしなことではないと思う。
ここで大切なのは、反日国の話だけに耳を傾けることだけではなく、反対の親日国の話も、同じくらい丁寧に耳を傾けること、そして単純な白黒判断をするのではなく、それぞれの立場について、その考え方の背景やメリットなども考えた上で、自分自身がどのように思うかである。今までの日本には、このような姿勢が全くなかった。
反日国の話は今までの日本の自虐史観のベースになっているのでこの内容について深く言及することはここではしない。他方、日本では全く触れられることのない親日国の話の中には、日本人が当時、その国のための偉業をなしてきたことを逆に教えてくれる。
例えば日本統治下の台湾で八田与一はダムを作って台湾南部の嘉南平野の農業をおおいに発展させ、今でも現地の人はこの名前をよく知っているという。ところが日本人のほとんどはこの人の名前を知ることはない。
また、近藤兵太郎が指導した嘉義農林学校は台湾の学校だが、1931年第17回の甲子園で準優勝した。現地の人たちは近藤兵太郎を今でも尊敬しているという。
八田与一、近藤兵太郎のなした偉業を知ることは、ひいては自分の先祖に対する尊敬の念を生む。自分の先祖の人柄を知ることは、家族の絆を強くしてくれることでもある。
さらに、こういった事実を知らずして外交をするのは目隠しをして挨拶するようなもので大変危険である。日本は外交オンチと言われるが、その一因はこの一方的な自虐史観に基づく洗脳まがいの教育にあると思う。
まとめるが、親、祖父母、先祖を敬うということは、先祖のしてきたことを正しく知ることが前提となる。
しかし戦後の日本の教育は、自分の親、祖父母の世代で侵略戦争という罪を重ねてきたという一方的な視点に重点をおいて教え込んできた。
自分の親や祖父母と同世代の人間が、つまり自分の親や祖父母と変わらない人間がこのような罪を重ねてきたと教えこまれて、自分の親、祖父母、先祖を敬う気持ちが育つものだろうか?
この戦後の日本の反省教育が、現代日本社会が抱える孤立化、核家族化、孤独死などの問題を作った可能性があると思う。
一方的な敗戦国としての自虐史観以外を決して許さないという考え方は改めるべきである。多種多様な視点を持ち、多種多様な考え方が自由にできるようにしなければならないと思う。
セルフサービスの店に「大した手間じゃないんだから食器の上げ下げくらいしなさいよ」と気軽に言えば、現場は死ぬよね。そりゃ、客は自分のことしか見えてないから、その1名のことであれば手間はかからないけれど、サービス提供側はその視点で動いていない。「より良い店にするために提案するのが悪いことなの?」って言われても、その提案を判断するのにだってコストはかかるわけだ。
これは何も顧客からだけじゃなく企業組織内でも全く同じことが起きる。「よりよい業務にするために改善しよう!」とか平気で言う人。そうやって気軽に「組織を改善すればいい」とかいうけれど改善には莫大なコストがかかるんだよ。お金がかからない規則面の改変だとしたところで、それを周囲に説明して理解をしてもらい同意を取り付け運用してメンテをするのは、どんな些細なことであれ気が遠くなるほどかかる。
たぶん本当に気づいていないんだろうけれど、気軽に改善を求める人は、その改善コストを絶対に払わないよね。そしてそうやって上積みしたコストを周囲に要求することが、ブラックな組織を作り出すんだわ。
農業やらテクノロジーがこれだけ発達しているのだから,効率や生産性だけを追求するのは,そろそろやめるべきだ.
こういうのは自分でコスト出して自分の所属組織を全部「改善」してからいってほしい。借金の連帯保証金みたいなものに周囲を巻き込まないでほしいんだよな。
※民主党政権がやろうとしたこと(実績)
それが良質だったので他にも検索をかけてみたところ少しだけ存在した
まとめていくので他に知っている人は書いてけ
http://wikiwiki.jp/kancolle/?%A4%AA%A4%B9%A4%B9%A4%E1%B1%C7%B2%E8%A1%A6%BD%F1%C0%D2
Civ5
http://spoiler.sakura.ne.jp/srv/mugenk/E3-82-AA-E3-82-B9-E3-82-B9-E3-83-A1-SF.html
ミリ姫
(追加 7/14
cider_kondo さんの紹介
Crusader Kings
http://ck.paradwiki.org/index.php?CK%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%83%8C%E6%99%AF
c_shiika さんの紹介
Mount&Blade
http://www5.atwiki.jp/mountandblade/pages/134.html
なぜ今上がった。どうやって見つけたし
海外のwikiとかは意外と関連本映画は、普及してたりするのかな?
ウイイレ・パワプロなら、有名な選手の解説本、打率などの数値関連、戦術解説サイト(http://pal-9999.hatenablog.com/)
GTAなら、麻薬売買組織のやり口やマネーロンダリングの手法の本
とかあってほしい
(追加 7/14
croissant2003さん希望
自分を振り返ると、BTTFが好きだったので、物理・宇宙関連の本を中学校の時に読んだし
世界史も古文漢文も大嫌いで地理を履修することになったのだけど、civilizationのおかげで、大国の興亡、文化の進展なんかにも興味があったりで
デスクワーク中心だと、どんなに意識して運動していても運動不足になるんだってね。
土方仕事みたいに肉体労働なら別みたいだけど、中高年になったら続けるのは難しい。
だから最近ではスタンディングデスクみたいのも流行り始めているけど、まあ付け焼き刃だよね。
理想的には、昔の農業のように常に軽作業を続けるような生活がベストらしいけど、
現代ではそんな仕事ほとんど残っていない。農家や土方仕事ですら機械化した時点で運動にならない。
逆に、ジムで短時間に負荷の強い運動をすると、短期的には健康になるけど、中長期的に見て心疾患の原因になる。
この前、大阪都心で自動車の運転中に心臓発作を起こして歩行者を次々と引いた男性も、休日のジョギング・マラソンが趣味だったとか。
あと、アルコールにも「適量」がなくて、少しでも毒になることが最近判明したよね。健康効果ゼロどころか基本マイナスだったって。
それに一晩だけでも飲み過ぎると腸に炎症を起こして、バクテリアが血中に漏れ出して全身に悪影響を及ぼす。
だからといって、あなたは社会人として生きる上で一切の飲酒を避けられますか。まあ日本では無理だね。
そんなわけで、運動不足を避けようと思ったら、ソロー『森の生活』みたいな生き方をするしかないんだけど、
現代人にはどうしたって無理だよね。野菜の栄養価も昔と違って低くなっているし、
衛生的過ぎる環境のせいで健康維持に必須の腸内細菌の数も激的に減ってしまっているから、
皆さんは月面基地で排泄物をどう処理しているか考えたことがありますか?
国際協約において、月面への汚泥の投棄は緊急時を除いて禁止されています。
ですから、もちろんきちんと処理をしているのです。
現在月面基地には、国際月面開発機構の職員の他、各国から派遣された研究員などが駐在していますが、その数は全部で約千人になります。
男女比は現時点でおよそ8:2となっています。
みなさんが気になる便器の数ですが、月面に存在する大便器の数は現在わずか30器に過ぎません。
みなさんが想像していたよりも多かったでしょうか。それとも、少なかったでしょうか。
と言っても、基地に滞在する全員がこれだけを使っているという訳ではありません。
20世紀の宇宙開発と同じく、現在の月面基地でも宇宙服を着て活動することは少なくありません。
宇宙服とは小さな宇宙基地であり、基地外活動中に催した場合も対処可能です。
また、閉鎖空間である月面基地で漏らしてしまうと大変なことになりますから、トイレ以外の場所にも、「緊急時」に備えて排泄物を収納するための専用の袋が各所に用意されています。
さて、そうやって発生した排泄物の処理ですが、原則として小は全量、濾過システムで清水に戻して再利用されています。この濾過システム用のフィルターは地球から運んでくる、もっと重要な物資と言っても過言ではありません。
一方、大は真空曝露によって乾燥・殺菌後、全量が農業ブロックで利用されています。
ところで、トイレの別名として「お手洗い」とか「洗面所」という言葉がありますが、実際には「水」はほぼ使われていません。
「行為」の後は使い捨てのペーパータオルで拭き取った後、殺菌灯付きのジェットタオル(月面基地用の専用機種です)で手を処理することになっています。
本当の意味での「洗面台」は、3年前に完成したシャワーユニットの付属設備だけです。
そう、3年前まで月面基地では汗をかいてもシャワーを浴びることもできなかったんです。
たしかに月面基地は完全空調で湿度も安定していますから、汗をかいてもすぐに乾くのですが、それでも、ちょっと嫌ですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20160609124904
色々な答え方があると思う。
戦前の軍隊では「故郷では食べられなかった白米を食べられて嬉しい」という兵隊が多くいた。
稗、粟、黍などを主食とする地域、白米を主食とする地域など、日本の農業は多様性に富んでいる。一地域内での多様性という意味でも同じ。
比較史的にみて日本の人口変動がかなり安定的に推移しているのは、そのことと無関係ではないだろう。
日本においてジャガイモは「飢饉対策」として導入されており、要するに「主食の変更」というより「農業多様性の増加」を目的としていたように思われる。
ちなみに最近は「主食」という概念自体があまり普遍的ではない(特定の地域でしか通用しない)概念であるという指摘もされているのだが、ややこしいので略。
2.税と米
こうした多様性にも関わらず、米が「主食」とみなされていることの一因は、いわゆる「年貢」の存在に求められるだろう。
白米が貨幣的な性格を持ち得たのはなぜなのか、「私鋳銭や破欠銭などの悪銭が一般に流通し、貨幣の価値が安定していなかったから」と言われている。
16世紀ごろから戦国大名が年貢を銭納から穀納に切り替えるので、そのころに画期があったのだろうと思われる。
要するに、ジャガイモが伝来した16世紀以降においても、米は作らざるを得ないものだったのである。
「税の徴収」という観点から江戸幕府が農業政策の中心を米においていたとして、
「農民・商人による自発的な変化」としてジャガイモ中心の食文化が生まれる可能性はなかったのか、という疑問は当然生じるだろう。
結論としては、「可能性がなかったことを否定するのは悪魔の証明に等しく、困難」だが、17世紀以降、国家の干渉によらずして自発的に食文化が大きく変化したという事例は極めて稀であり、日本においてもまずなかった、ということになるだろう。
不安定な生活を送る農民にとって主要作物を変化させることは大きな博打である。プロイセン、ロシア、(イギリス支配下の)アイルランド。ジャガイモで知られるこれらの地域は、いずれも専制君主や植民地政府の苛烈な支配のもと、ジャガイモの普及を進めていった(中公新書『ジャガイモの世界史』を参照)。日本においても明治以降、北海道や、満州においてジャガイモの作付が奨励されている。その意味では、日本では明治以降にこそ「ジャガイモの主食化」の可能性があったということになるのかもしれないが、一方では「日本食」という観念が広がりを見せ、他方では食の多様性が増大しつつあったのだから、ジャガイモが「唯一の主食」の地位を占める可能性はもはやなかった。