はてなキーワード: 農業とは
世界城を読んだ。ファンタジーなのにこの薄さ。読みやすさは抜群だったけど、案の定一巻で終わる物語じゃあなかった。残念。
最近?の小林泰三に特徴的なセリフを重視した物語だった。言い換えればラノベちっく。矢継ぎ早に展開される台詞で話が進む物語はテンポは早くなるけれど、重厚さや世界観の深さをなおざりにしなければならないのが欠点だと思う。
しかしながらこの作品、ある一点だけでもって強烈なファンタジー性を輝かせている。なにかってーと、タイトルにもある世界城。文字通り城が世界になっているのです。
この辺り描写が少ないので詳しくはわからないのだけれど、城の遺構をめぐる物語や、城の外に対する憧憬など、料理できそうな素材はたくさんあるので面白そう。
土壌が貧相なので農業が上手くいっておらず村人がみんな困窮しているのも、短い地の文だけどうまく表現されていたように思う。
ただ展開が早く、題材となっているエピソードの貧相さもあって最後の盛り上がりも今一つだったのが残念だった。続編ありきなら仕方がないのかもしれない。
昨日ですが、ガイアの夜明けが放送され、ホクレン社員の近藤さんの発言で若干賑わってますね。
それ関してですが、最近テレビ番組の編集における”ツギハギ”に関してどうも思う事があります。
確かにツギハギというのは発言した本人の意図とは違う意図の発言に捻じ曲げる事ができます。
番組には尺があるので、インタビューをそのままフルで流すことってできないと思うんですよ。
それをツギハギだから悪意があると断定してる人が多すぎる。
問題は、視聴者にその発言が捻じ曲げられた様な意図が伝わってしまう事です。
果たして今回のガイアの夜明けの発言は意図的に捻じ曲げられたツギハギでしたか?
番組の意図をそのまま受け取るのか、ホクレンさん可哀想と思うのかはその人次第ですけどね。
私は、番組全体を見て悪意のあるツギハギにはは到底思えなかった。
実際にホクレンがやっている事(農協(指定団体)以外と取引をしたら販売価格の値上げ、契約解除等)は
あまりにも利己的でMMJの言うとおり、生産者も消費者も考えていないだろうなと思いました。
そんなシステムができちゃってるから、農協はメーカーも農家も、消費者も全部抵抗できないのを
知っているからナメてるように思えなかった。
バターが足りない?バターに卸すと安いからね、無かったら輸入したらいい
と言わんばかりの発言をテレビの取材で平気で言えるホクレンの近藤さんの図太さには言葉もでませんでした。
先々週のお米回に続き、JAに喧嘩を売る内容を放送をしたガイアの夜明け。
MMJさん頑張ってください
トランプが大統領になったら、TPPは随分変わったものになるか、なくなってしまいそうだ。個人的にはTPPには賛成だったので、なくなるのはとても残念だ。
私がTPPに賛成なのは、野菜や肉が安くなるというだけの理由ではない。
いつだったか忘れたが、衆院選のときJAか何かの組織が、TPP断固反対を唱えて自民党に投票するキャンペーンを打っていた。当然自民党は選挙に勝てばアメリカの言いなりでTPP交渉をして締結寸前まで持っていったわけだが、おそらくTPPが発行すればそれらの団体が唱えていたように、日本の農業畜産業は結構な打撃を受けるだろう。もちろん税金漬けにして保護したりなどの対策はするんだろうが、それでも経営が苦しくなって廃業するところなどが出てきてもおかしくない。
TPPに賛成する最も大きな理由は他でもない。これら選挙のときに思考停止で自民党を支持した零細農家畜産家が崩壊していくのを見るのが楽しみだからである。本当に経営が立ちいかなくなったら彼らは誰のせいにするんだろうか?JA?政府、自民党?それとも自分たち?農家の自殺や農村の荒廃などが社会的に問題になりでもすれば、彼ら、そして我々も投票行為や政治についての自分たちの責任を少しは感じられただろうか?
これはもしかしたら農業畜産業の屍を糧に、日本人が政治を問い直す最後のチャンスになるかもしれなかった。もっとも行き着く先はトランプでありヒトラーだったかもしれないが…。
TPPがなくなって本当に残念だ。
そんな稲作はやってられんし別に農機具使っても米の品質は変わらん(むしろ上がる)
というか日本人が試行錯誤しながら頑張って発展させてきた農機具を使わないで
一人二人でやってて作付面積も小さいから手作業、ってのはまだ分からんでも無いが
(それでも借りてやるのが普通)
大の大人が7、8人横に並んで手植えしたり稲刈りしたりしてるのは見ていて滑稽
一万歩譲って田植えと稲刈りはそれっぽさを出すための演出だったとして
どういう線引きしてるんだ。テレビ局は。
そもそも結婚というのは農耕をするにあたって、
一人で生きていくのはほぼ不可能。
家族を嫌でも維持しなければ飢え死にしていたのだ。
そこで子供を産んで、
そうしないといけなかった。
農業を営んでいない人たちでも同じことだ。
でも外食店なんてない。
じゃあ風呂に入って休もうと思っても、
また次の日は仕事がある。
これじゃ生きていけない。
でも現代は、農業機械や化学肥料が生まれ、外食店が街に建ち並び、
世の中は技術によって大きく変わった。楽になった。
昔の人間は、結婚しないと生きていけなかったから、結婚には「恋愛」と「生活」この両方が揃っていた。
昔なら、パートナーが嫌いになっても命がかかった状況では我慢できたものの、
アメリカこそ悪の枢軸。人類の歴史の中で、イラク戦争ほど無意味な戦争はあったでしょうか。フセイン大統領は暴君と思われている方が多いかもしれませんが、独裁者の中では比較的善政を敷いていました。サウジアラビアには言論統制もとんでもなく、反対者は処刑されるというのに、アメリカは何も言いません。アメリカは最初からイラクが兵器を持っていないことも分かっていたようです。
アメリカが潰したカダフィー政権下のリビアもそう。アメリカが『悪』とした、カダフィーは国の富を国民に分配し、国民を思い、国民の幸福のために頑張っていた。
医療費、水道代、電気代はタダ、ガソリンも1リットル10円という格安価格。ローンに利子はなし。全国民に家を持たせ、失業者には家等の生活に欠かせないものを無料で支給。農業を始める人には農地を無料で支給、政府の売り上げの一部を国民に現金で支給、識字率を90%まで上げた。スウェーデン顔負けの高福祉の社会主義国家でした。
アメリカが挙げてる悪態は『カダフィーは独裁者である』以外すべて嘘。反政府勢力もアメリカの犬。カダフィー信者と言われるかもしれませんが、そう言う人たちも大体はアメリカ信者です。今のリビアになって国民幸福度も下がってるし、識字率も下がってる。貧富の差は拡大し、失業率も増えた。アメリカとアメリカの犬になった連中や、リビア人の少数派が多数のリビア国民の生活を破壊したのです。
NATOが攻撃したとき、リビア国民の約1/3に当たる170万人が、反対デモを行っていたといいます。西側諸国のマスゴミはそのデモを報道しませんでした。マスゴミは都合の悪いことはすぐに隠したがります。中立的な立場で、事実を報道しなければならないはずのマスゴミが、事実を報道しないのです。
『民意を踏みにじるな!悪者め!』と叫んでいる西側諸国が民意を踏みにじったのです。最低最悪です。西側諸国が殺した数万人をカダフィが殺したことにし、悪者に仕立て上げる。プーチン大統領も、各国の政治家もこのアメリカを初めとする西側諸国の悪事を批判しています。現地にいた外国人たちも、そのような事実はなかったと主張しています。私も当時リビアに行ったとき、良い国ではないかと思った。国民の1割にも満たない人たちによる反政府デモをいいことに、反アメリカ主義の国を潰そうとしたアメリカ。『民主主義』を口実にいろんな国を潰していくアメリカ。世界で一番悪なのは北朝鮮でも安倍政権でもなく、アメリカです。独裁が必ずしも多くの国民を不幸にするわけではないのです。
しかし、人が変われば政治が変わる。1代目がどんなに良い人でも2代目が恐ろしかったりする。ユーゴスラビアもチトーが死んだら内戦が始まったし、北朝鮮も金日成は庶民の気持ちを良く分かってたが、2代目の金正日は国民を不幸にし始めました。
ソ連は例外的で、レーニンが指導者になっていたが、レーニン本人はスターリンを後継者にする気など全くなく、彼の遺書には『スターリンは決して権力者にしてはならない。私の後継者は民を思い、忍耐強く、思いやりがあり、指導力もある者を指導者に…』と指示があり、後継者を決める選挙もされようとしましたが、この遺書はスターリンの命で封印され、政敵と思われるものを排除し、権力の座に就き、独裁を開始しました。
アメリカは自分の利益になる独裁国家は放置するどころか関係強化!
アメリカはフルシチョフ以来のソ連にもいちいち細かいところまで非難しました。そして、何かしらの行動をしました。
しかし、ソ連と対立していた中国に対しては激甘。毛沢東はスターリンの倍の人数を殺しました。それを認知している人間はどのくらいいるでしょうか。
また、チベット人の虐殺も見て見ぬふり。騒がれると口だけで非難をして、一切制裁無し。残虐な独裁者を許さないのなら、チベット人やウイグル人の支援をすればいいのに...
第二次世界大戦後の戦争は間接的なのも含めて7割アメリカからおこしたものです。戦争をすれば、アメリカ経済が潤うのだからアメリカは戦争を繰り返すのです。人の命より金が大事というアメリカの腐った思考は本当に考えられません。スターリンみたいなものです。
原爆を落としたことをアメリカの大統領は謝罪するべきなのに、一度も日本に謝罪しに来ていません。保守派の方々が言う『日本の誇り』を奪ったのもすべてアメリカ。日本人を沢山殺し、戦後の日本に不平等条約を押し付けたのもアメリカ。
それなのに、日本人がアメリカを恨まないのは、アメリカに洗脳されている証拠。北方領土の領有を主張するくせに、アメリカが武力で日本から奪ったグアム島の領有を主張しないのは、アメリカを贔屓しているってことではないのでしょうか。
ソ連軍が北方の島々に侵攻しようとしたときも、事前に出ていくように警告し、日系住民の命をできるだけ助けようとしました。それに引きかえ、アメリカは事前通告も無しに、罪もない市民を何人も殺害したではないですか。
アメリカはソ連への見せしめの目的(口実:戦争を早く終わらせるため)だけに核爆弾で数万人もの日本人の命を奪った『犯罪国家』です。
全国にその名を馳せ、DVDがいまだに出され、出演タレントは全国区になった。
悲しいことに、北海道の深夜番組では、2016年の現今でもなおいまだにあの深夜番組と同じようなネタを繰り返している。
若手の劇団員や芸人を中心に、道内や国内をある一定のルールの下で移動する。
要するに北海道の深夜番組は、水曜どうでしょうのパラダイムを抜け出せていない。
というか、それしか知らないのだ。
だから、いつまで経っても同じことの繰り返し。そして、徐々に先細って言っているように思う。
これがことさらにさびしい。北海道のモノカルチャー的な産業を如実に表しているような気がするからだ。
石炭だったら石炭。小豆だったら小豆。鰊だったら鰊。魅力あるコンテンツを、ただそれだけに特化して生産流通消費させるシステムを構築させる。
コンテンツの需要が減れば、当然システム全体が廃れる。夕張を見よ。小樽を見よ。
実際には鉱業・農業・水産業はモノカルチャー的なシステムから脱する場合も多い。
しかし、テレビ番組という文化というか放映というかマスコミはどうだろうか。
そうした番組しか作れない、というのは今だモノカルチャー的パラダイムを抜け出せていないということだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140507012359
えらい昔だが、オススメエントリーにあがっていたので、なんか思ったこともあってこの人のように上手くは書けないが書いてみる
生まれ育ったところは、地方県の電車も通らない山の中で、バスも1日に朝と夕方に2本づつ程度しか出ていない。
スーパーも広大な村に2件しかなく、売れないから新鮮なモノはほとんどなく
冷凍販売じゃないものも冷凍されて売られている(賞味期限が切れる前に冷凍される)
かといって、針葉樹林で紅葉もせず、景色が特別良いわけではない。
噂話が大好きで、隣の夫婦はけんかが多いだとか、あそこの家はしつけをしっかりしていないとか、公民館の会議に出てこないだとかの噂話ばかり。
隣町にいくにも峠を越えていかないとたどり着けない。
そんな村にある中学校は、1学年2クラスで70人くらいしかいなかった。(案外多い?とにかく面積は広大な村だった)
友達というのは都会だったら気の合う人と自然と仲良くなっていくのだと思うが
例えばこんなこともあった
「カネ持ってこないと殺す。明日XX時にXXへ来い」と電話をしてきたこともあった。
(姉はいじめられていたわけでもなく、手当たり次第電話していたのだと思う)
(その不良は僕が25歳くらいの頃に交通事故で亡くなった)
僕が小中学校の頃に一緒に登下校をしていた同級生は、暴走族に入り高校を中退
その後、その彼は19にして某事件を起こし逮捕され,懲役4年となった。
(彼の力を借りたこともあった。18の頃予備校の同級生が街で暴走族に囲まれてリンチされた。
彼に相談すると、その暴走族を特定し、その集団を集め謝罪と今後手を出さないことを誓わせてくれた)
(その事件の半年くらい前に会ったのが最後で、二度と会っていない。消息不明)
そんな村で育った割りにその頃の僕は、中学ではトップクラスで成績も良く普通の人だった。
偽善かも知れないが、どちらかというとクラスのいじめを撲滅することが生きがいだった。
同学年の不良も僕に手出しをしてこれないことを、ここぞとばかりに活用した。
(中学の頃の庇護もなく、クラスの人からは、3年間無視されるという闇にもはまった。
これに運良く耐えられたことがストレス耐性を得ることに繋がったのかもしれない)
(ちなみにいじめられたきっかけは、授業中居眠りしている前の席の人に、先生にあてられそうになっていることを伝えようと、消しゴムのカスを飛ばしたことが発端だった)
それでも1浪して学費のかなり安めの関東の3流私立大学に、返済ありの奨学金で通うことになった。
3流大学あるあるだと思うが、入学するとみんなモチベーションが低い
狙って入ったというより、滑り止めで本当はこんなところに来たくなかったとみんな文句を言う
専門学校のように技術力を高めるような講義が多かったが誰も真面目に講義を受けていないし
飲み会だの、サークルだのが中心となっている。大学院に入るやつなんて全然いない。
そして卒業後の就職も、びっくりするぐらいの3流企業のリストが軒並み勢揃いしていた。
僕の悪いところは、そんな中、大学にも通わず、遊び続け2年も留年した。
クラブに通ったり、ホストをやってみたり、絵に描いたような堕落具合だった。
本当に親に迷惑をかけた。
そんな中、ようやく卒業した。
そこで僕には、変な能力があることに気付いた
(前述:高校の時に培われたモノかも知れない)
僕はバカなのか、これを2年も続けた。(1周すると、部署を変えて何度でも電話をかける)
3ヶ月ほどやると、1日にアポが1件か2件とれるようになった
1年ほどやったら、案件が2本くらい取れた。
精神的にけっこうくるので、後で入社した人はみんな2週間ももたずにやめていったが
こんなことできるの自分しかいないと思い頑張った。それだけがモチベーションだった。
その後のどの会社に行っても、業種・業態の違いから発生する課題やポイントの把握が得意になった。
また、徐々にではあるが、堂々とプレゼンすることができるようになった。
会社としても、使えない新卒をこきつかって潰してやろうくらいの感じだったと思うが
思いのほか戦力になったことで喜んでくれたようだった。
しかし、何の才能も技術もない、期待もされてないで、当然給料も安かった(年収240万程)
その後、冷静に考えた
どうせ今の僕ではどこへ行ってもさしたる技術もなく使えないし、給料は安い
30歳までにいろいろ給料は安くても広告界隈の経験と知識を積み
30歳をスタート地点にしようと
そして、1社でキャリアを作るのではなく、いくつかの仕事をしっかりステップを踏んで総合的なキャリアを作ろうと考えた。
例えば:デザイナー→デザイナー→デザイナーみたいなキャリアではなく
営業→デザイナー→エンジニアみたいな感じでトータルでしかできないキャリア
やはりほとんど給料は上がらないが、専門的な知識と技術が身についた。
過去の友人などはほぼリセットしたといっていいほど会わなかった
というか会えなかった。
まず遊ぶお金をそこまで工面できなかった。
一緒に住んでいる友人はフリーターだったが、自分より給料も良かった。
服も、ルームシェアしている友人からのもらい物で過ごして、服に興味が無いと自分に言い聞かせた。
そんな友人は毎日楽しそうに遊んでいた。
フリーターの方が稼げるという友人を見ても
いつか絶対に自分の学んだことの方が、今後絶対に活きるのだと言い聞かせた。
かろうじて会う人も仕事に活きるような人との接点を深めた
仕事ができる人の考え方や話し方などあらゆるものをマネをした。
上流の広告関係の会社に転職することができた。(年収500万程になった)
それは、僕の出身大学では、新卒では逆立ちしても入れないところだった。
その後3年ほど働き、現在では年収は750万くらいになり、ようやく結婚もした。
地元の人とは違う華やかな世界に身を置きたいという欲求もあったと思う。
しかし、学歴に失敗した僕は20代は死んだが、30歳にゴールを置いたことで今もここにいられるのだと思う。
もうとっくの昔に実家に帰っている。
自分の出身や学歴にコンプレックスがあっても、成功の仕方はあって
学歴の高い人が、新卒入社して勝ち組と誇らしげにしているのは本当に羨ましかった
もちろん失敗してしまう人もいるのかもしれないが
就職の失敗なんてまだまだやり直しできるはずだと思う。
それは自分のツケで苦しんだだけ
どこかで見通しを立てて20代を過ごして
まだまだ英語もできないし、やらなければいけないことは多いので
その短い人生をなぜ目を犠牲にしてどこの誰が作ったかもわからない体に毒しかもたらさない悪魔の供物に心奪われるかが俺にはわからんね。
俺もPHPを仕事で書いてるけど、この言語を使う奴らってのは、言語に対する愛着も好奇心も向上心も全くなく、みんなが通る道はみんなが使ってきた方法(フレームワークなど)で解決したがる、いわば横着な真面目系クズばかりだと思ってたのが違うのか。
農業もしてないのに背は曲がって、目は悪くなり、自分の成果は専門的すぎて誰にも共感されない。オナニーの頂点に立つことがそんなに心踊らせるものなのか、俺にはわからない。わからないから、今日も寝て、明日また死んだ目でPHPを書く。
農業はやめといて正解。
TOKIOのせいか、わからないけど農業に夢抱いている人多いね。
年金もらってるひとが暇つぶしにやってるから、ってのも大きな要因だけど
農協儲けすき。農協とうして買うと高くなるけど、それ以外から買うと農協の扱いが悪くなる。
自分で道を開拓できない高齢者が多いから殿様商売してるよね。非営利団体じゃないのかよ?
農薬規制厳しいわりに規制がどう変わったか指導してくれる人少ない。
無農薬、減農薬が表示は法律違反になるとか、みんなしってるのかな?
とかそんなんやってける人じゃないと
これから儲けていくのは難しいんんじゃないのかね
元増田だ。
前提として、政府は最初から農業民から税金を取ろうとしない(農業民を無視している)というのがある。
だから、国内の農地にインフラを整備しようとしない。道路とかね。
農業民の税金を当てにしてるなら、必死でインフラ整備するが、そうではないんだよね。
インフラが整備されないので、都市に作物を売りに行くのは非常に難しい。儲けようと大量に持っていけば行くほど難しい。
こんな状況では、農業民は「自分が食べられるだけ」の作物を育てるのでいっぱいいっぱいになる。それにプラスして旱魃や軍閥の略奪がある。
軍閥の鉱山占拠と、農業民の困窮と、行政が農業民を見捨てることは、原因を一つにして同時に起こる。順番に起こるわけじゃないよ。
でも、原因が「行政が行き届いていないこと」であり、軍閥が割拠し、農業民は希望を持てず、都市だけは援助と輸入で独立してやっているというのは事実だ。
レタスなどの店頭価格が、例年の2倍とか3倍とかになっています。
この価格は、どのように決まっているのでしょうか。
初めにことわっておくと、農産物の価格の決定権は、基本的に農家にはありません。
誰が決めているかと言うと、青果市場で農産物を買い付けるバイヤーの権利を持った人たちです。
(一般には仲卸とか言われますが、必ずしも仲卸とは限りません。所定の条件を満たせばバイヤーの権利は買う事が出来ます。ただしかなり高額です。)
、
値段が2倍になった、とかいうと、「供給が半分になったのか?」と思うかもしれませんが、多くの場合、そこまで供給は減っていません。
しかし、バイヤー達の買い付けノルマ(今日は最低でもこれだけは仕入れなくてはならないという量)の総量よりも、青果市場に出荷されている物量の方が少ないとなると、バイヤーどうしで争奪戦になります。いわゆる「せり上がる」ってやつです。
供給量が1割足りないだけで、価格が2倍ぐらいに跳ね上がる事もあります。つまり、農家にとっては、この状況はオイシイ。
逆に、生産過剰になると、卸値が半分になることがあります。どのぐらいの生産過剰で半値に下がるかと言うと、ほんの1割程度の過剰生産でそうなってしまうこともあります。
バイヤーがあせってせり落とさなくても、確実に自分の買い付けノルマを達成できそうだ、となると、値段がまったく「せり上がり」ません。
バイヤーとしては、仕入れ価格が下がっても、小売の値段はそこまでさげる必要は無いので、商売としてはオイシイわけです。
しかし、バイヤーとして新規に参入する人というのは、今どきそう多くはありません。そういう状況が長く続くと、バイヤー同士も顔見知りで仲良し、なんていう状況になります。そうすると、「逆談合」とでもいうべき状況が発生します。
入荷量と買い付け量がほぼトントンだったとしても、バイヤーどうしがみんなで共謀して、買い付けの値段を底値まで買いたたくのです。
バイヤーみんなで安く買えて、みんなでWin-Winです。農家にとってはたまったものではありませんが、それが今日の青果市場の日常だったのです。
そういう状況がもう何十年も続いてきました。そして農家は疲弊し、高齢者ばかりになってしまいました。
高齢になると、年金がもらえるので、農産物の利益が無くとも食べて行く事は出来ました。
しかしそういう高齢者も、いよいよ年を取って農業ができなくなりつつあります。ごく少数の若い農家に依存する状況に変化しつつあります。
このことは、覚えておいてください。
もし、レタスが今後、ずっと今ぐらいの値段だったなら、野菜工場も軌道にのるでしょうし、これから農業をはじめようとする人も、サラリーマンなみの収入を得て、地方が復活するかもしれません。
まぁ、きっとそうはならないのでしょうけど。
長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。
このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。
まぁ、多分そうはならないとも思うが。
アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国の問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。
1.アフリカは近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治がリセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。
2.独立国家となった後の収入は、地下資源と他国からの援助である。これが、「行政を国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業を生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。
3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。
4.政府が国民(農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ、邪魔な存在となった。農業民から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿でかい。
5.こうして、行政の行き届かない地域に軍閥が跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態。地方の顔役、豪族、長老が行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。
6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間は無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から。
7.こうして地方軍閥は肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。
改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。
秀吉の刀狩りは、軍閥を解体しつつ農民の必要性を大幅に上げ、「農民が国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要な政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。
ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方と東京の対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。
お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方を無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選、自民党の広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言はダメだろと思うが。
日本の場合、地方に行政が行き届かなくなると、そこの領主が軍閥となる。昔で言えば国司や守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。
「地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方の軍閥度」だ。
行政が地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。
だから何としても政府は、地方へ行政を行き渡らせなければならない。これは国家の義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。
まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。
当たり障りのない結論になったが。
プログラマの時はLinuxのカーネル書き換えたり、Windowsのオリジナルのインストーラ作ったり、Pro*Cやったり、まぁとにかく時流に乗って色々やった。
SEになって、いきなり最上流工程やらされた。どんな人間でも1年はマニュアルと睨めっこするような複雑なサーバの運用ルールを決める仕事。会社同士のぶつかり合いを見た。地方に出張する楽しみを知った。某オープンソースのサーバアプリを調べろと言われ、オープンソースな上にプログラマ経験者だからとバグ解消までさせられた。一人で殆どの面倒を見たそのサービスは島耕作が宣伝してくれるまでになった。
去年、パワハラで適応障害になった。「使えねぇヤツと判断したらオレはすぐぶっ潰すんだ」と常日頃から言い切る定年間際の大手IT企業で出世せず現場に居座るオッサン、と言えば大体想像出来るだろうか。そんなのと対面させられ、間違った知識を正したら逆に「使えないヤツ」扱いされ、酷い扱いを受けた。
2ヶ月会社を休んだ。
それから社会復帰して、銀行システムの仕事をした。常に10個ぐらいの仕事が振ってくるような場所で、頑張った。SEじゃない会計の仕事なども回ってきた。今までに無い知識を次から次に求められた。仕事中にインターネットが出来ないので、電車の行き帰りでスマホで勉強しながら仕事した。
どんどん仕事が増えて、朝7:30から夜21:30までが常態化して、身体を壊した。
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クビになったその足で、前のプログラマだった頃にいた会社に行った。社長はアルツハイマーになって3年目、よろよろになりながらも、社長業を続けていた。中小IT企業は地獄だと思った。例え社長になったとしても、そこまで働かないと会社は成り立たないほどになっていた。
「派遣法改正からもう、ITの派遣は美味しくないよ、早くスピンアウトした方がいい」
社長は首を叩きながら言った。アルツハイマーの症状が首に出て、首が辛くて辛くてたまらない、との事だった。
「オレなら農業をオススメするよ。地方の、援助金が出るような所に行ってさ、楽に作れるような野菜だけ作って、それで暮らしていける」
あまり真に受けずにおこう、と思った。自分の将来は自分で決めるしかない。
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今月はもう働かないと心に決めた。
重労働で壊した身体を治さないと。精神の疲労、肉体の疲労、神経の疲労。それぞれ別で、それぞれ抜かないと大変な事になる。それは前回の適応障害の時に学んだ。
プログラマのときにも適応障害になったから、生涯3度目の適応障害。慎重に行動したい。
次は何をするのか、今の時点で全く決めていない。
知り合い連中には「文章を書く仕事をしなよ」と言われた。「自分は文章作法等、文章を書く仕事に求められる基本知識が全くない」と言ったところ「文章に力があるから、そんなの要らないんじゃないか」と言われた。自分の事ではない他人事なのだから、適当で当たり前、仕方ないなと思った。
漫画を描いてコミケでまだ現役サークルで頑張っているが、創作で食っていくのは難しい事を知っている。
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さて、次は何をしようか。
漠然と考える。
こんな文章を書くぐらいの暇はある。色々な事に挑戦してみたい。
サークルをもっと頑張って売上を伸ばしたところで、多分、生活できるほどには成長しないだろうし、同人はジャンルに引っ張られる上に売れ筋ジャンルは読めないし、そもそも好きでもないジャンルで同人をやりたくないしで、同人で生活する、というのは無理だろう。
今時個人で開発したスマホアプリで収入を望むのも難しいだろう。
農業は奥さんに止められた。
今までの自分には無い、新しい事に挑戦した方がいいのかも知れないな、とか色々思っているが、何しろ会社をクビになって二日目。状況がまだ自分の頭の中でまとまりきっていない。既に辞めたのに、職場のアレコレが気になってしまったりする。既に辞めたのだから関係ないはずなのに。
家族の理解さえあれば、少しの間、休みたい。その家族の理解がどこまで期待できるかなんだけど、まぁ3度目なんだから、いい加減、判ってくれているとは思うんだけど、うーん、判っていないかも知れない。