http://anond.hatelabo.jp/20160609124904
色々な答え方があると思う。
戦前の軍隊では「故郷では食べられなかった白米を食べられて嬉しい」という兵隊が多くいた。
稗、粟、黍などを主食とする地域、白米を主食とする地域など、日本の農業は多様性に富んでいる。一地域内での多様性という意味でも同じ。
比較史的にみて日本の人口変動がかなり安定的に推移しているのは、そのことと無関係ではないだろう。
日本においてジャガイモは「飢饉対策」として導入されており、要するに「主食の変更」というより「農業多様性の増加」を目的としていたように思われる。
ちなみに最近は「主食」という概念自体があまり普遍的ではない(特定の地域でしか通用しない)概念であるという指摘もされているのだが、ややこしいので略。
2.税と米
こうした多様性にも関わらず、米が「主食」とみなされていることの一因は、いわゆる「年貢」の存在に求められるだろう。
白米が貨幣的な性格を持ち得たのはなぜなのか、「私鋳銭や破欠銭などの悪銭が一般に流通し、貨幣の価値が安定していなかったから」と言われている。
16世紀ごろから戦国大名が年貢を銭納から穀納に切り替えるので、そのころに画期があったのだろうと思われる。
要するに、ジャガイモが伝来した16世紀以降においても、米は作らざるを得ないものだったのである。
「税の徴収」という観点から江戸幕府が農業政策の中心を米においていたとして、
「農民・商人による自発的な変化」としてジャガイモ中心の食文化が生まれる可能性はなかったのか、という疑問は当然生じるだろう。
結論としては、「可能性がなかったことを否定するのは悪魔の証明に等しく、困難」だが、17世紀以降、国家の干渉によらずして自発的に食文化が大きく変化したという事例は極めて稀であり、日本においてもまずなかった、ということになるだろう。
不安定な生活を送る農民にとって主要作物を変化させることは大きな博打である。プロイセン、ロシア、(イギリス支配下の)アイルランド。ジャガイモで知られるこれらの地域は、いずれも専制君主や植民地政府の苛烈な支配のもと、ジャガイモの普及を進めていった(中公新書『ジャガイモの世界史』を参照)。日本においても明治以降、北海道や、満州においてジャガイモの作付が奨励されている。その意味では、日本では明治以降にこそ「ジャガイモの主食化」の可能性があったということになるのかもしれないが、一方では「日本食」という観念が広がりを見せ、他方では食の多様性が増大しつつあったのだから、ジャガイモが「唯一の主食」の地位を占める可能性はもはやなかった。