はてなキーワード: 福利厚生とは
なんだか今の自分を見ているみたいだった.自分は18年新卒で就職先を選んでいる段階(IT系なので良くも悪くも就活が終盤に入り始めている).
就活中の私,夢を追ってやりがい搾取っぽいITベンチャーに行くか,大学の推薦を使って堅実に大手のSIerに行くか,母を養うことを念頭におきつつ考え中.
みたいな感じ.
もう少し詳細に書くと,もともと仕事としてはゲームプランナーとかWebディレクターとかプロダクトマネージャーとか,そういう仕事がしたかった.
でも,業界が業界で転職が多いし年収は上下しそうだし雇用形態も雑だし(裁量労働制で残業なしは当たり前)体壊さない自信がない.
そもそもそこで生き続けられる技術が現時点の自分には欠けていると思うが,それでもWeb系,ゲーム系からそれぞれ内定は貰えたので全く向いていないというわけでもないらしい.
ちなみにどちらも従業員数100は越えているし,10年以上続いているところもあるので,入ったら入ったでまぁ何とかなりそうな気もする.
また,ラッキーなことに大学院の推薦を使えば比較的簡単にそれなりに福利厚生も良い大手企業に入れる可能性があり,
いっそのことこちらを使って安定した生活をするべきなのではないかと考え始めている.
ここで問題は家族の方だ.家族は母と妹が一人(両親は離婚済み).今は良くても十年後あたりからは母を養う必要がある.
就職先がどこだとしても,新卒初任給から母親のために貯蓄を始めるつもり.ただ,母にいくら用意するべきか相談すると
平然と「50で仕事を止めて100まで生きる,年金は当てにならないから6000万用意しろ」とかほざく.
今までの経験上,母はいつどのタイミングで金を無心しにくるかわからない.
妹は家の事なんて微塵も考えずに私立の4大に無理やり入学するような人間なので,相談してもそんなこと知るかの一点張り.
結果的に(実際に使う金額はさておき)自分だけが母に資金提供をする人間になりそう.
夢だ何だと言っていた話は,もっと言えば学生時代から開発すれば既に叶えられていたような気もしていて(という話を関係各所からされた),
結局自分の夢なんて,仕事にするレベルのものではなくただの趣味レベルだったのではないかと思い始めた今日このごろ.
だったら収入や転職が比較的不安定であろうベンチャーに入って親からの無心にビクビクするより,
大手企業に入って稼ぎを堅実にした方がいいかもしれない.土日休めて残業が少ないところに入れれば趣味開発で何でもできる気がするし.
なんか,まとまってないし,既に自分の中では答えが出ているような気もするけど,一応増田に垂れ流しておく.
どちらが正解というわけでもない気がするけど,どちらに倒れてもある程度納得できてしまう自分がいるので,色んな方々の意見は聞いてみたい.
どうでもよい話,なんだろうけど.元増田は優しいなと思うのは,なんだかんだ言って自分から親を養おうとしているところだよね.
結局親が自分で自分のことを何とかしてくれればそれで済む話だから,私なんてさっさと親消えてくれないかな,とか思ってしまうもの.
彼氏とは大学で知り合った。大学在学中ずっと、私が彼に片想いしていた。
卒業後しばらくしてから遊ぶようになった。私は「今の仕事はずっと夢だった仕事で、実際楽しい(そして福利厚生もいいw)から、辞めたくない」という話を何度かした。
その上で告られた。
彼は「俺はいつか結婚して家庭を持つのが夢。だけど、お互いの仕事のこともあるから、付き合う中でお互いが納得できる答えを探したい」と言ってくれた。
でも最近、彼が「早く仕事を辞めて静岡に来て、専業主婦になってほしい」と言うようになった。
年齢のこともあるから、これ以上は待てない。来ないなら別れると。
私は彼氏が好きだよ。学生時代から好きで、付き合って数年経った今も心底惚れているんだよ。
けど仕事も好きだよ。子供の頃からの夢で、この仕事に就いていることは私の誇りなんだよ。
ついでに言うと両親が高齢なので、できるだけ側にいたいなっていうのもある(私は一人っ子)
年度内に答え出さなきゃいけない。どうしよう。
昨年春社会人になってから毎日死にたい死にたいと思うようになった。穏やかだった大学までの人生に比べて、あまりにも体育会系の(自分にとっては)理不尽な性質の会社に入ってしまった。もちろん自己責任だと思う。入社するまで社風なんかわからんけど、福利厚生とかに目が眩んでそういう会社を最終的に選んでしまったのは自己責任だと思う。
入社半年で自己肯定感がゼロになり、何をするにもビクビクして、朝晩の通勤電車では気づくと涙が出てしまってほんとに辛い。でも客観的に見てもブラック企業ではないから、こんなことで辛いと感じる自分が社会不適合者なんだと痛感させられてまた自己否定感が強まる無限ループ。
死ぬ勇気欲しい。死のうとすると無駄に具体的に死ぬことをイメージしてしまって思い切りがつかない。あと死にそこねて障害者になるのが怖い。自殺した人って勇気あるなあ。すごいよ。計画的に練炭自殺とかする人すごい。どうやって死の恐怖乗り越えたのかな。
大学生の頃、付き合っていた人に、君を一生養えるようにきちんとした会社に入ったと言われた。
製造業だからそれほど給料が高いとはいえないかもしれないし、転勤もあるかもしれないが
世界中どこに行くことになっても、福利厚生がしっかりしてるから問題ないし、
転勤中はむしろ手当なんかで金が溜まるって先輩も言ってる、海外でも君は英語が喋れるから大丈夫だよね、
本社に戻ったら東京の近郊に家を買おう、僕の会社は本社のそばに病院も持ってるから安心だよ、などなどと。
とても優しい人だったし、私はボンヤリしていて社会に出て働くには向いていないかなぁと自信がなかったので
その人と結婚してもいいな幸せだろうな、と思っていたのだが、いざ色々安心材料を羅列されてみると、
養ってもらうというのはこれほどの人の助けが、労力が必要かと思って茫然とした。
ひょっとして、自分が自分を養えるようになるほうが、養ってもらうよりもずっと気が楽なのでは…という思いが固まっていくのに
それからまた1年ぐらいはかかってしまったが、結局、私を養うために会社選びをした人とはお別れすることにして
当面は、自分で自分を養えるようになること、を目標に、ボンヤリ者なりに仕事を探すことにした。
結婚をやめたことで両親と折り合いが悪くなってしまっていたので、実家を出て一人暮らしのアパートも探した。
しばらくして、共通の友人から、付き合っていた人が会社の同僚と結婚するらしいよ、と聞いて、とてもホッとした。
彼の養いたい気持ちが向けられる相手は、私じゃなくて別の人でも良かったのかと思ってホッとしたし
彼と同じ会社なら養われ性は高いだろうから、相性も良いはずだと思った。
正直を言えば、私個人は、夫が務める会社の名前がついた病院で子供を産んだりするのはちょっと笑っちゃうからやめたいわ、というタイプの人間だったから。
ボンヤリしているだけあって、仕事して自分で自分を養えるな、と実感できるようになるのにはずいぶんかかった
自業自得とはいえ新卒カードを使わなかったので、あまり待遇が良い仕事にはありつけなかったし。
とはいえ何年かやっているうちにコツも覚えてきて、仕事も面白くなって報酬も見合うぐらいには上がってきて、
共通の友人からたまに伝わってくる昔の彼氏のうわさ話(転勤続きで大変そう、とか子だくさんらしいよ、とか奥さんの尻に敷かれて幸せそうだよ、とか)を
私にも信用できるパートナーができて、まぁ多少風変りではあるけれどそれなりに楽しく暮らしていた。会社の名前のついた病院はないし社宅もないけれど
自分で自分を養えるようにはなれたし、パートナーに何かがあったところで彼を養うことぐらいならできそうな場所にはたどり着けた。
交友関係もだんだん変わってくるもので、共通の友人からうわさ話が入ってくることもあまりなくなった。
どうしてるかなーと思うこともなくなっていたのだが、「私を養うのに適した会社」が色々大変なことになっているとこのところ連日ニュースになっている。
養われる適性がない私がごやっかいになることがなくて、本当に良かった。
危うく、ご本業も色々大変だろうにいやいや養われている状態になるところだった。それではさすがに申し訳ない。
それと同時に、あの人は無事にサバイブしているだろうか、元気でやっていてくれるといいな、と思う。辛い立場になっていないといい。
社会人って案外楽しいんだよってエントリーに対していやいや無能だと社会人地獄だよ、というエントリーも立ち上がっていて考えさせられたことがあったので考えを整理するためにもメモ。
私-29才、転職1回、現在外資系金融系、年収750万(年収高めだが福利厚生無しです)
結論から言うと私は社会人楽しい派。理由はお金と自由を手に入れたってことが一つ、人間関係が楽になったっていうのがもう一つ。
「勝ち組の寝言でしょ?そんなの分かった上ででも仕事が出来ないと責められたりして地獄なんだよ」って言われそうだけど、誤解を恐れず言えばはっきり言って普通の仕事なら、誰でもできるよ!
(会社を創業する、とかまだ30代の若手なのになのにいきなり社長に任命される、とか超絶ブラック企業であり得ないノルマを課される等、よっぽど極端な仕事内容はこれに限りません。)
あ、あと大事なことですが仕事の出来る、出来ないに学歴も全く関係ないす。「いや私発達障害です」とかそういうのは流石によくわかりませんので専門家の指示に従った方がいいです。
そんな訳ないじゃんと思いました?では「仕事が出来る人と'評価される'人になるため」の極意を伝えましょう。
注意して欲しいのは仕事が出来る人になる方法ではなく、あくまで仕事が出来る人と評価される人になるための方法です。
仕事の基本ですが、出来てない人多すぎ。例えば出社したら自分から笑顔で毎朝挨拶してますか?席に着くまでに全体に向けて一回、席に着くまでにすれ違う人に個別に数回。笑顔で!挨拶しましょう。座るときに両隣の人にも個別に挨拶できたらベストですね。
人は自分に無条件に好意を向けてくる人に対して敵意で返すことはできません。逆に自分に敵意を向けてくる人に対しては、敵意を返すことに対してのハードルが一気に低くなります。駅の雑踏で人とぶつかられた際のことを想像していただくといいかもしれません。すみませんね、と笑顔で申し訳なさそうに一声かけられたケースと舌打ちをされたケース、あなたの反応はどのように変化しますか?
挨拶、ランチタイム、日々の仕事の中での接し方、飲み会で好意を振りまくのです。そして出来れば心の底からの好意を抱きましょう。人間ひとつはいいところがあるのでそれを見つけるようにすれば意外と好きになれますよ。社内の人から好きになって貰うだけで仕事がやりやすくなります。社内の人を好きになるだけで仕事に行くモチベーションになります。
とは言ってもあくまで仕事上の付き合いでですから、学生時代のように濃密な感情は必要ないです。あーいい人だな、この人もいい人だな、よっしゃ今日はあの人と飲み行くか!ぐらいの軽いのりで付き合えるようになれば必要十分。内面を曝け出して本気で人生相談するような人間関係は社外で築けます。
過度に休むと当然ですが信用を失います。自分の休暇状況を振り返ってみて、月曜や仕事が忙しくなるタイミングに休みが集中しているような人は要注意です。「嫌なことから逃げる逃げグセが付いている人」というレッテル貼りをされることに直結するからです。このレッテル貼は意外と厄介で、人はあなたのことを信用しなくなったり、仕事を任せられないようになったり、アウトプットが同じでも上司や同僚からの評価が下がったりします。尚、心の強さは簡単に鍛えることができます。自己啓発本(7つの習慣、ラッセル幸福論)を読みましょう。カウンセリングに行ってもいいかもしれません。
あとは行きたくないと思ってもえいや、で行ってしまうことです。行ってみると大したことはないし、行ってみてやっぱり無理だったら午後休を貰えば済む話なので。
体調が本当に悪くて高熱が出ているときは普通に休むしかないと思います。但し十分体調管理には気をつけましょう。例えば今年インフルの予防注射はしましたか?毎日外から帰って来たら手洗いうがいをしていますか?
二日酔いによる体調不良はそもそも論外ですが、もし二日酔いになってしまったときは自己責任なので午前中だけでも来て最低限の仕事はこなしてから帰りましょう。
ちなみに私は微熱ぐらいでは休みませんし、事務仕事なので普通に仕事はこなせます。また、そういう人は意外と多いです。それを奨励する訳ではありませんが休みに対してそれぐらいの認識でいる人からあなたの休みがどう見られるかぐらいは想像した方がいいと思います。休みが多い人は他のもっと休みが多い人に視点を合わせて物事を考えがちで、どんどん自分に甘くなって行くのかと思います。
事前申請の有給休暇はどんどん取って有意義な休暇を楽しみましょう!その方が仕事行きたくない病で休んでダラダラ過ごす一日よりもはるかに有意義ですし、事前に引き継ぎをした上で休めば周囲に迷惑も最低限しかかかりません。
すみません、営業と事務仕事しかしたことがありません。以下はそうした仕事にしか当てはまらないかもしれません。
「拙速は巧遅に勝る」を意識しましょう。100%の仕事はどっちにしろ1人ではできません。締め切りまでに提出し、その後に100%になるように社内でブラッシュアップしていけばいいのです。「締め切りを守る」をまず優先して仕事を進めましょう。そんなこと言っても仕事が多すぎる!と貴方はいうかもしれませんが、同じ時間でその仕事をこなせてる人が社内にいませんか?
最低限のpcスキルと知識は必要ですが、それは多くの人が普通に仕事をすれば身についていると思います。(社内で必要とされるレベルと比較して明確に劣っている場合はまずそのスキルを磨きましょう。)
仕事が遅い人はなんと言っても無駄が多いです!!特徴はメールが多い、メールが長い、電話が長い、社内向けの資料を過度に凝りすぎている、社内会議を過度な人数/頻度で開催したがる、優先順位を付けられていない、手を抜けるところを抜かないです。
そしてこれらは全て完璧主義や不安感から来ていらケースが多いです。
完璧主義者の場合は拙速は巧遅に勝るを意識して仕事をしましょう。
不安感、つまり責任を取りたくないあまり、社内への根回しや確認を必要以上に行ってしまう場合は「限られたリソースの中でベストを尽くしたのだから、自分は何一つ悪くない」と割り切ってしまうことです。判断に迷うときもあるかと思いますが、迷ってる時間が無駄です。「プランaとプランbがありますがこういう理由でプランaを選びました。問題があればいつまでに連絡ください。」とメールでチームや上司に送っておきましょう。ここでチームや上司にどっちがいいでしょう?と相談したりましてや会議を開催するのは悪手です。(会議を開催するとなると資料の準備が必要になりますし、場所や時間のアレンジも必要になります。ポジショントークに陥ったりもします。)
当たり前ですが上司も基本的には不安で、責任は取りたくないと思っているのです。相談や会議は議論を長引かせる割に得られるものが少ないです!せめて「プランaとプランbがあります。自分はこういう理由でaがいいと思っていますがこれで進めていいでしょうか?」という形で相談しましょう。
今までの話と矛盾するように聞こえるかもしれせんが、会社として大きな判断を必要とする事項についてはなるべく早めに、承認会議の前にプレミーティングを開きましょう。これは各会社によって異なり、肌感の中でやるしかないのですが...例えば投資するかしないかを決める会議があるとすれば投資する前提で細かな事務をずらずらと進めていたのに投資しない、と決定されてしまえばその事務が全て無駄になるので早めに根回ししてしまいましょう。
最初に述べた自分で決めちゃった方がベターな事項は、細かな判断の方です。例えば契約書の文言をどうするか、など。不安感が強い人は安易に多くの事項を後者に分類しがちですが、殆どの事項は前者に分類されます。例えばキメの問題だよね、という事項は全て前者です。
すでにエントリーにありましたが、どれだけ頑張っても評価がついてこない場合は、そこが貴方に向いていない場合がありますので気軽に転職しましょう。得意なスキルを活かせる職場が必ずあります。ただしお金は大事なので出来れば年収が上がるか同等のところを転職先として選べれるといいですね。お金である程度幸福感は買えます。
転職活動では大手はなるべく避け、自分が行きたい業界に特化した転職業者を採用しましょう。新卒時の「学生時代に頑張ったこと!」「圧迫面接!」「将来の夢!」みたいなバカバカしい就活と違い、何のスキルがあるのか、どういう仕事をしてきたのか、どういう仕事をしたいのかを伝えるだけの活動なので転職活動は全然辛くないです。シューカツの辛かった記憶が重荷となり転職活動を躊躇っている人がもしいたら、是非まずはその一歩を踏み出してみてください。
恋人いない歴イコール年齢を更新し続けて何年経ったかわからない。出会いがないのと他人に興味がないのと、という言い訳を繰り返していた。そんな折、友人の旦那の友人を紹介していただけるとのオファーがあった。こじらせ気味の自分は、恋人ができれば、だの結婚ができれば何か変わるんじゃないかなんて期待する。そして彼とLINEを交換した。頻度は高くなかったけどやりとりを続けてる間は楽しかった。2週間くらいして、食事に行きませんかと誘われ、私はとびつく。あまり背伸びしていない感じのレストランで閉店近くまでずっと話していた。彼の話はとてもおもしろく、仕事の話から趣味の話まで、すべてにオチがついているような感じで、ずっと私は笑っていた。とても、とても楽しかった。でもその食事の後、私に連絡をくれることはなかった。1週間くらいはもうこれを逃したら結婚できないかもしれないと焦った。ただひたすら焦った。何か、何か送らなければ。振り向いてもらわなければ、もうあとはない。もう私には彼しかいない。勇気を出して送ったLINEは既読スルーを受けている。
理由はいろいろあるかもしれない。似たような業界で働いているため、仕事上の付き合いをするかもしれなくて面倒だとか、趣味があんまりあわないだろうとか。お金の使い方もちょっと私と違うかなとか。でもデートした日の自分の中での一番の違和感は、自分のことを話せないことだった。「増田さんはどう?」みたいな感じで彼は聞いてくる。「増田さんの趣味はなんだっけ?」「本結構読んでいるんだよね?」だとか。ほとんどの時間、彼が喋ってくれたのだけど、ときたま自分に与えられる質問を、なぜかうまく答えられない。やっぱり自分のことがそんなに好きじゃないから。自分は後ろめたい存在なんだと、迷惑な存在なんだと、ずっと思って生きてきた。
私の家庭はいわゆる機能不全家庭で私の親はいわゆる毒親で私はいわゆるアダルトチルドレン。子供の頃、父親に殴られて生活していた。しつけなんだろうと言われるかもしれない。でもなんで殴られるようなことをしたのかは覚えていない。自分がしたことの何が悪いかがわからないまま、殴られた記憶しかない。殴られずに済んだこともある。それは父の機嫌をとった時だけだった。母親は母親で、頭も容姿も悪い自分をボロクソに言っていた、ボロクソに。なんの才能もないのに、容姿もよくないのに勉強すらできないとは。小学校くらいから言われていた。中学高校と部活もやらせてもらったが、部活で大学行けるわけないじゃないの、と本気で言われたこともある。当然自分のレベルなんて知っているけど。とまぁそんなわけで自己肯定感というものが私の中で育つことはなかった。
私は頭がいい方ではないので、高校も大学も彼らの望むようなレベルの学校ではなかった。就職活動も苦労したがなんとか今の会社に入社することができた。そこは両親に文句を言われるような会社名ではなかった。私の存在は会社名だけで決められている。たぶん私が会社をやめれば両親は悲しむだろう。会社を辞めたい理由なんてそんなものくらいだ。本当に辞めたい理由もなければやりたい仕事もない。
彼に振られたことで、自分のことを見つめ直したら、ここに行き着いた。今は会社の福利厚生を受けてカウンセリングを受けたり、本やインターネットで自分の問題のヒントを探している。
自分のことを気づかせてくれた彼のことはますます好きになった。けれど、連絡はない。
両親には私の今までを、私の今までを返して欲しい。
2年前の3月。自分は就職が決まらないまま卒業式に臨み、そのままフリータールートへ突入した。
就職課をはじめとする大学関係者には「某生命保険会社の営業に内定が出た」と嘘をつくことで、表向きは「社会人生活へ向けて巣立ちを迎えるフレッシュな若者」になりきった。
就職が決まらないということが何より恥ずかしかったし、周りには心配をかけたくなかった。
今思えばそんなクソみたいなプライドで嘘をついた自分の方が恥ずかしいのだけれども。
早くこんなつまらない地方都市から抜け出して、レインボーブリッジでシーマ転がす業界人になってやる。
なんて時代錯誤でクソダサい動機を孕みつつ、鼻息荒く就活がスタートした。おったまげ。
エントリーシートは通る。筆記試験も通る。しかし面接でことごとく玉砕。
気づけば残り弾数はゼロ。そして静かにマスコミの就活シーズンは収束。
就活の良い思い出?履歴書の文字が綺麗って褒められたことくらいかな。ファック。
「まあそれでも?どこかには決まるし?ドンウォーリービーハッピー的な?」と楽観的に考えていたのと、内定承諾までの返答期限という事情から、他企業は内定を辞退してしまっていた。
その後は流石に「転がすのはライトエースでも小型セダンでも、なんでもいいから、もうシーマなんて言いませんから…助けて…」と、ブットビまくってた理想をかなぐり捨てた。
どこでもいいから拾ってくれと地元の中小企業などを血眼で受け続けたが、軒並みお祈り。
自分はシーマどころか社用車にも乗れない人間。この事実を認めざるを得なかった。
冬ごろには就活をする気力も、今までの根拠のないプライドも、全て灰燼と化した。ぼくの心を就活は奪い去った。俺は空洞。でかい空洞。
全て残らず就活は奪い去った。
俺は空洞。面白い。
さすがにYami Yami Day(※病み病みの日のこと)を送って震えるのは嫌だったので、バイトを詰め込みまくり、卒論を夢中で執筆することで現実逃避をしていたら、春なんてすぐだった。瞼閉じればそこに。
こうしてひとり、職無しのまま社会へ放流された死んだ目の若者が完成した。
卒業式後の飲み会で友人とフジファブリックの「若者のすべて」のサビを肩組んで歌った辛すぎる思い出。何年経っても思い出してしまうなあ。
毎晩内定のない人が見るまとめ速報を見て「自分マヂクズだゎ…ッラィ…」とか思いつつ、マンマのご飯はススムくんな、ナンダカンダ健やかなニート生活を続けていたある日。
「金を入れられない人間はこの家を出て行け。とりあえず働け。」
と母に某アルバイト情報誌でアタマをシバかれ、ぱみゅぱみゅしてしまった私。渋々実家から激近の某企業でアルバイトを始めた。
そこにいた先輩アルバイトのK氏は、大学を中退後、様々なバイトを転々として、今に至るらしい。「条件がかなり難しいから正社員にはなれないだろうけど、ずっと別にこのままでいい」と言っていた。
確かに仕事は楽だし、地元にしては時給もいいし、定時でしっかり帰れるし、人は優しいし、社食はおいしいし、福利厚生や社割もあるしで、バイト先にしてはマチャアキも文句なしの星3つだった。
しかし、そんなK氏を見ていると「自分はずっとアルバイトという立場でいいのだろうか?」という疑問が首をもたげてきた。
パン酵母か?というくらいに、その疑問は日に日に膨らみ、(マンマのご飯と社食で体重も膨らみ)ついにバイトを始めてそう日が経っていない初夏のある日、母にこう言った。
「は?東京?行ってどうすんの。」
「どうしましょ、どうしましょ、どうしましょったらどうしましょ」
[2]に続かせてください。
正社員経験なし20代高卒派遣女ですが転職活動をして初めての面接で内定をもらいました。
でも辞退したくなってきました。
就職に関する一般的な流れが分からないため、呑んでいいものかわかりません。
まず面接。
偉そうなおじさん4人に囲まれて経歴の説明を求められた時点で高校卒業年度が頭から飛んだ。
社長が助け舟を出してくれる有様の上その後も一答一問で進むような惨憺たる手応えだった。
唯一字が綺麗なことと簿記2級に独学で合格したことが褒められた。
「どうして合格なんですか?」と聞いたら(思わず聞いてしまうほどの出来だった)
「会社所在地と同市内に住むこと」、「試用期間3か月は時給制である」こと。
会社としてその土地に思い入れがあるのは承知していたので引っ越しは仕方ないかと思った。
けど「試用期間3か月は時給制である」ことは広告に載ってなかった。
電話口で突然告げられたことや合格と言われた手前突っかかることができなかったことから、
この時点で不信感が芽生えたものの「承知しました」と答えてしまった。…
一度不信感が芽生えると不自然な点が色々と思い浮かんできて、
なぜあの面接で内定なのかというところから疑心暗鬼になってきた。
なぜ二次面接まであると聞いていたのに始めから決裁者が出てきたのか?
面接のセオリーどころか会話が成り立っていたと言えるかも怪しいやりとりだったのに
「しっかりやってくれそうだから」で決まるのか?
試用期間中が時給制であることを伏せて採用活動をしていたということは、
それほど応募者がいないということでないか?
とりいそぎ入れてもらった連絡の中で知らせてもらった基本給が
広告掲載の月給の最低額より低いのも気になる。
ちなみに、いつ入社契約を交わすのか・試用期間中の保険加入…など
今後のスケジュールについての連絡は今のところない。
試用期間中時給であるということは正社員待遇と同じ福利厚生は見込めず、
知り合いのいない土地勘のない県外でそれなりの間極貧生活を送ることになる。
正社員後は手取り自体今の派遣の給料とそれほど変わらないものの
高卒にはこれ以上望めないだろうというくらいとても良い。
会社そのものとしては過去に採用に関わる訴訟があったようだけど、堅実な印象はまあ受けた。
でも、失敗したと思っても無一文になってまで県外の郊外に引っ越してしまった後では
自分の経歴では取り返すのも困難だろう…と考えると
この不信感を無視してでも飛びつくべきなのかとても迷っている。
断るにしても承知しましたと言ってしまった手前なんと言えばいいのか…。
正社員になるのってこんなもんなんでしょうか。
けれど、アドバイス以前に、
それは、学歴。
学歴フィルターなのか、優秀な子だけを採っていたらたまたま高学歴だったのかはわからないが、
早慶に入りなおしたほうがいいと思う。
でも、今更そんなこと無理だし
それでも「編集になりたい」という学生に、私はようやくアドバイスできる。
私は、低学歴だ。
どこに出しても恥ずかしくないFランだ。
そして入るなら、中小規模の版元だ。
そこは常に人手不足なので
人員の補充はこまめにしている。
そして人手不足という状態からわかるとおり、待遇はよくないので
入りやすいのだ。
それに中小の良いところは
人手不足ゆえ、社員と変わらない業務を任せてもらえるところだ。
間違っても、編プロなんかには入らないように。
あの仕事のやり方を覚えたって、なんのとくにもならない。
でも、それを気にしていいのは高学歴だけだ。
それなのに低学歴で編集をやりたいなら、もろもろの条件は諦めろ。
それに、編集の経歴さえついてしまえば同業転職は比較的ラクだ。
1社目、2社目と転職で条件をあげていけばいい。
または、フリーランスになればいい。
忙しくて金を使うひまもないし、編集になれたよろこびで
低収入は気にならなかった。
新卒正社員の編集は、高学歴のうえ、ほんの一握りの選ばれた人がなる職種だ。
そのことを忘れないように。
それなりに諦めなきゃいけないこともあるのだ。
それは高学歴に比べると、ずいぶんな遠回りに感じると思う。
損をしているように感じると思う。
でも、しょうがない。
それでいいじゃない。
今の会社でも、私はぶっちぎりの低学歴だ(どこでだってそうだった)
そんなことを思うのだ。
定年まで働くとすると、仕事をしている期間はとんでもなく長い。
20代は遠回りすることになるが、
それ以降は同じところに立てるのだ。
でも、なれなかったら一生後悔したと思う。
書いてみようと思った。
就職活動、がんばってください。
専業主婦なので、原資は夫のサラリーなんだけど「クリスマスプレゼント」や「お誕生日プレゼント」なんかを家計から出した方が良い?って聞いた。
節目に物をもらうより、「ちょっといいなと思った品をぱっと買ってゴチャゴチャ言われない権利」のほうが良いって返ってきた。
現状不満はないみたいで良かった。
夫は普段まじめな会社員だけど、上司のあたりが悪かったり、部下の転職引き留めで疲弊してると2~5万くらいの散財をする。
黙って買ったりはしないので、消費増えてるなと思ったら胃に優しいとか幸せホルモンが出るようなものを食べさせたり、何しろ眠れ!みたいな休日はお昼寝推奨シフトにしたりするんだけど。
頻度はひどくても2~3か月に1度なので貧乏になったりはしない額。
古い話だけど一番やばかった時期の夫は、ハルヒのエンドレスエイトを毎週きっちり見てたんだけど。
「同じ話を8週してること」に気づかず毎週ぼんやり見てた。
横で私が「違いわからんのやけど!」とかいつもどおりギャーギャー言ってた記憶もないってあとから聞いて。
もう二度とこんな目に合わせるもんかって思って、家庭内福利厚生に気を遣うようになった。
今週の文春。
連載なので、具体的に某ファストファッション企業の売り場から見える実態と闇の深さの考察は次号を読まねばならず、
今週は導入部分といったところか。
しかし、今回触れられていたバーゲンと呼ばれる催事期間中の販売員、店舗業務に従事する労働者の過酷な労働環境とプレッシャーは、
いくら初めから納得の上で課せられた「仕事」とはいえ、読んでいて本当に胸が痛くなる。
アパレル流通においてSPAの中で店舗型対面販売の部門は、その売り上げを通信販売・無店舗型のインターネット取引に取って代わられつつある。
販売員を長時間拘束し、人件費家賃含め諸経費がかかりすぎる店舗経営というのは、これから縮小の一途をたどるのは明白だ。
売り場は、今、時代に即したやり方でもっとスピーディーな情報伝達体系を模索して変化しなければ生き残れない。
しかし、記事を読む限り、そして同業他社の様々な人たちから聞く限り、
いまだに売り場というのは原始的かつ高圧的なトップダウン形態に支配されている。
ブランド名や商品力だけでは響かぬ、移り気で流動的なお客様が購入に至る過程において、
商品の力だけでは補えぬ「知識」「信頼」「安心」を生み、ブランドのファンを増やすという点において、非常に重要な仕事だ。
広告とネームバリューと商品力だけでは補えない、人と商品との「出会い」と「絆」は、
むしろ今こそ実店舗経営は他社との明確な差別化を訴求するための、強力な武器になりうると思う。
売り場は、そこに行った者にしか味わえぬ強烈な「体験」がある。
販売員はお客様の個性に合わせて演出し、魔法をかけ、喜びと優越感を体感してもらう。
だが、その売り場に今となっては「数字」「雑用」「クレーム処理」ばかりが、しわ寄せのように押し寄せる。
働いている人々のポジションも賃金も、本社に属する者より低く安い。
過去には現場重視の会社も多々あったが、この不況でグッと数が減った。
年齢が上がり売り場に立てなくなった古参販売員の他業種への流出も、具体的な受け皿がないままダダ漏れ状態。
数字がキッチリ取れるほどの販売力、心地よいサービスを提供する接客力というのは、数ヶ月〜1年ではなかなか身につかない。
しかし販売の離職率は上がり、キャリアの浅いバイトや派遣ばかりで、接客スキルの質の著しい低下も、最近はとても目に付く。
「売り場重視」「働きやすい環境」を謳う何社かも、比較すれば他の業界に比べ圧倒的に賃金・福利厚生共に水準には全く届かない。
東大女子が特定のマンションにすんだら家賃補助の話について、東大は男子大学生にむけた食事付き格安寮の募集が構内に貼ってあったり、県民寮の募集が男子限定だったりするので、おそらくこの処置で住居環境にまつわる援助の差が対等に近づきます。
東大以外、東大女子と東大男子の住環境の問題に興味がないのである程度は仕方ないんですが、ぶっちゃけてもいいんだからちゃんと実地調査して結果発表した方が納得されたのではないでしょうか。
個人的には、世間や他に楽しみのない男子大学生からのヘイトを考えるとこの制度ができる以前から東大理系への女子学生の入学はあまりお勧めしません。
また、性別関係なく親の収入による補助ですが、すでに学費免除制度はあり、自分の周囲だと、主に地方出身の男子大学生が利用していました。
地方出身の女性については男女で同じ割合の人が利用したとするとごく少数になってしまうせいか、耳に入ってきてないです。
研究内容や成績優秀者に対する奨学金もあり、学科の教務の前に貼り出してあります。
つまり、女性優遇の前にすることがあるだろうと言われていた類の話はすでに結構あります。
大学の教務や教室付近の掲示板にだけ貼ってある(特に大学以外からの団体からの援助)ことも多いので、学部学科によっては東大生でも知らない人もいます。
文系でずっと駒場にいた人とか特にそうです。また、特に理系ですが、そもそも東大生には書類をきちんと整理して揃える、掲示板で情報をこまめに収集するというのが苦手な人が多く、対人的にはいじけてる人もそうでない人もよくよく話を聞いたら素朴に夢と専門分野がロマン思考の人が多いので、気づいてない可能性も高いです。
本郷と駒場の全校舎の張り紙調べてみて定期的にネットへ流すサービスがあると学生全体の福利厚生上がりそうだと素直に思います。これ書いてる人も、今回の件で県民寮に入ってる女子は聞いたことないな、と思ったら男子限定だったらしい、と卒業してから知りました。書類を4種類以上そろえて出せと言われると辛いタイプの人も結構多いです。
さて、東大女子の女子率ですが、自分が出てから数年で大幅に状況が変わっていなければ、農学部や文学部、経済学部は比較的状況がましだったはずです(少なくとも工学部と比べれば桁違いに)。
進学振分の枠の都合で女子に比較的人気の高い学科のうち教育系や不況時に女子学生の志望が増えやすい医学薬学は本当にそこ行きたいならよそへ行った方がよい状況があります。たとえば薬学部薬学科へ進もうと思ったら全校生徒の志望者の中で8人くらいに入る必要があります。
東大に来ない方が良い大学教育が必要な上で資格と結びつくタイプの学科については不景気だと志望者が増える傾向にあるので、景気が悪いんじゃないでしょうか。
極端なのは工学部、特に生物系、化学系でないところで、そういう学科は定員の枠も大きいことが多いです。
その学科の状況やどうしてそうなるかについては、関連しそうな学科のTwitter検索用リストを置いておきますね。
検索結果を見て、これと同じ温度の空気の中で研究室生活の間ずっと過ごしても平気、気にならない、と言い切れる人か、A先生のもとで何々学を勉強したい、という感じに目的意識がはっきりしてる人しか行かないほうが良いと思います。
とても後悔している
大学に行かなかったのは頭が悪かったわけでもお金がなかったわけでもない。ただ、勉強をするのが嫌だったからだ。目の前の受験から逃げたかった。
今の職場では給料はそこらの大卒初任給ほど貰っているし、休みもボーナスもちゃんとある。福利厚生も充実しているし文句を言ったらバチが当たりそうである。
しかし、周りの同期の大卒と同じ仕事をしているのに給料は大卒のほうが4万程高いのが嫌だ。同期で大学に行ったヤツらが楽しそうに遊んでいるのが嫌だ。上司にほんと使えないと怒られるのが嫌だ。ミスをして失望されるのが嫌だ。
私は社会人になるということを甘く考えすぎていた。もし過去に戻れるなら過去の自分に言いたい。目の前のことから逃げているだけではダメだと。
IT企業だが、給与・福利厚生もよく、残業代も50時間分が自動的に支給される。50時間を超えたとしてもその分の残業代は出る。
残業代が50時間でるが、基本的に残業が嫌いなので、月5時間くらいしかしていない。
ノルマとかも特にない。勝手に成果を出してね、というスタイル。
所属している部署は7〜8人のところで、全体的に酒を飲まない+個人主義なので飲み会もなし、昼食も一緒に行かない。なので無理してコミュニケーションをとる必要もない。
もともと仕事=趣味みたいな人間だったので、プライベート、仕事問わず同じようなことをやっていた。
そうした結果、仕事の実力はなかなかついてきて、外部から講演依頼とか多々頂くことも出てきた。取材とかも受けた。
どんどん楽しんで仕事をして成果を残していたが、なぜか徐々に辛くなり始めてきた。
俺は人より少しだけ承認欲求が強かったので、早く認められるようにと努力してきた。
人から認められるためには、他の人がやってないことをいち早く、周りが期待するレベル以上の成果を出し続ければいい。
そのためには、自分の能力を限界まで使い、見せ方を工夫し、少し背伸びして成果を見せてあげることになる。
それを繰り返すと、周りから周知され、またすごいものを作ってくれるのでは、という周りの期待感を生み出すことができる。
そうすると、期待感を込めてその人が新たな機会をくれることがある。
そうしたら、その期待感を絶対に裏切らないように、次の成果をひたすら出すだけ。
多分どんな分野でも、これを繰り返せば、その業界で名の知れた人間になれると思う。
だけど、これを繰り返した結果、俺はうつになった。
始めは自分の好きな技術を使って、便利なもの、面白いものを作りたいと思って色々作り、楽しんでいたが
それが評価され始めて、認められてしまい、その評価されている自分を演じるのが辛くなった。
期待を超え続けることが辛くなった。
期待を超えるアウトプットを短期的に出そうとしてしまい、自分の技術や能力を磨くことができない。
その結果、見せ方やネタの質で補うばかりになってしまう。本質的に技術力がつかないのに、求められる期待だけ上がってしまって、とても辛い。
趣味で好きな技術を使って遊んでいた頃の純粋な気持ちはあまり残っていない。
世間は、労働環境のひどいブラック企業でのうつや自殺が問題になってるけど、うつは労働環境が恵まれていても起きる。
正直、こんな良い環境でうつになるとか、贅沢だなとか言われると思うけど、うつっていうのは、相対的なものじゃなく、どんな労働環境でも起きうる。
俺の場合は、大学の研究室の教授が話してくれた経験があったから、うつに対してちゃんと向き合うことができた。
その教授は、昔からちょっとうつになりがちなことがあったのだが、結構気軽に精神科や心療内科に相談に行っていた。
どうしても、精神科や診療内科へ相談に行くとなると、頭がおかしい奴みたいな印象があって行きづらいと思うんだが
こんな大学の教授になる成果を残してきた先生が、そんな体裁や体面を気にせず、ちょっと気分が悪いなと思ったら相談しに行くレベルで
やってきたと聞いて、ああ、そんな気張らなくてもいいんだな、と当時は思った。
だから、気軽に精神科に相談しに行ってたし、今回も「本当にムリ」ってなった時は、すぐ診断書を書いてくれた。
うつ状態の診断書ってすごいのな。会社の人事に持って行ったら、すぐに休職手続きを進めてくれた。あれを出されたらやっぱやばいのな。
・都23区内
と、暮らした身からすると、どこでもやり方と環境次第としかいいようがない。
一律に田舎と都会なんて雑な分け方は無理だ。
ただ、東京都23区内で3部屋以上はキツイ。ギリギリで板橋区か江東区の端っこ。JR外すのがポイント。都営かな?
実感としては
「(平均的な給与暮らしで、一部の資産家を除き)政令指定都市の学校に通わせられる程度の田舎で親の代から持ち家、そこそこの企業の工場製造現場づとめ正社員(社食付き、作業服、安全靴、交通費支給、基本的な福利厚生完備)、ゴールデンウイークとシルバーウイークで田植えと稲刈りの程度の規模の兼業農家)、(奥さん公務員の事務職だとなお理想的)」
日本の雇用は極端に二分されている。正規雇用と非正規雇用だ。正規雇用は雇用の継続が保証されている。そして、社会保障費を企業が負担している。一方の非正規雇用は、雇用の継続が保証されていない。また、社会保障費は国が負担しているが、特に年金の分野においてその貧弱さが指摘されている。
そして、日本の労働者は雇用コストを下げようという動きに対して無力である。正規雇用者は長時間労働で雇用コストを下げられてしまう。残業代がつく場合でも、社会保障費は一定なので長時間労働することで雇用コストが下がるのだ。非正規雇用者はそもそもの雇用コストが低い。
そうやって正規雇用でも長時間労働をさせられた結果病んでしまったり、そもそも非正規雇用のまま時を経てしまったりして使い潰されてしまった人はどうなるのか?社会保障が充実し、安定した雇用が保証される正規雇用への道は閉ざされてしまうのである。
まず、正規雇用は高コスト人材だということが挙げられる。雇用者は正規雇用した人に支払う給料とほぼ同じだけの社会保障費を負担しなければならない。
また、正規雇用は高リスク人材だということも挙げられる。仕事が出来なくても、そう簡単には解雇できない。
なので、一度新卒正社員というルートからドロップアウトしてしまうと、「危険人材」として避けられてしまうのだ。
これは国の法制度上そうなっているので、経営者の努力だけでどうにかなる限界を超えている。むしろ、その法制度の中で経営者が努力した結果、正規雇用と非正規雇用の二分化が生まれてしまった。
では、どのようなルールがあれば正規雇用のハードルが下がるのか?
まず、雇用者にとっての低コスト、低リスクは、裏を返すと労働者にとっての高コスト、高リスクになる。社会保障費を企業が負担することなく、また雇用の安定が保証されないからだ。
しかし、正規雇用が雇用者にとって高コスト高リスクのまま現状維持されても、今の二分化社会は打破できない。
そして雇用者にとっての高コスト低リスクは最も避けるべきである。高いコストを支払ってでも得たい人材は労働者の中のほんの一握りであり、それであってもすぐに解雇できてしまうのであれば今以上の労働者サバイバルゲームが待っているだろう。
考えるべきことは、労働者にとっては生活の安定が第一であり、最も求めるものは雇用の安定であるということだ。
なので、正規雇用のコストを下げ、雇用の保障は現状のままが労働者の最適解だと思われる。
企業が負担する正規雇用のコストとして大きいには、社会保障費の負担だ。ここを改革しなければ正規雇用のコストを下げることは出来ない。
では、誰が社会保障費を負担するべきだろうか?国か、企業か、労働者か?
まず、労働者を見ていこう。
労働者が社会保障費を負担する理由として、自分の面倒は自分で見るべきであるという自助努力が挙げられる。だが、これを実施してしまうと、アメリカのように医療が崩壊してしまう。これは労働者としては辛いとしか言いようがない。
では、企業はどうだろうか?
今までは、労働者の社会保障費を負担することは企業の福利厚生の一部であると見なされ、企業が社会保障費を負担してきた。だが、そのことは企業の収益には何の利ももたらさない。むしろ足かせである。失われた20年までの社会は成長社会だったから、その足かせが大きな負担にならずに済んでいただけだ。
そうすると、国しかないのか?
だが、国の財源も有限である。現状の社会保障費だけでも辛いのに、企業が負担してきた分まではとても背負えない。しかし、労働者の社会保障費はこれから生きていき納税する若い世代を支えるものなのだということは付け加えておきたい。
例えば、企業が社会保障費を一旦負担するとして、その負担に応じて減税をするという形で、国と企業の間で社会保障費を分担するなどの仕組みはできないだろうか?
あるいは、個人の社会保障費の掛け率に応じて減税という手段で、国と個人の間で社会保障費を分担するなどの方法は取れないのか?
日本の労働市場の二分化を嘆くだけではなく、こうした議論を起こすことによってなんとか良い道を見つけていきたい。
国は政治家と企業人だけのものではない。我々国民のものなのだ。ひとりひとりが考え、声を上げることは決して無駄ではないのだから。