「シルバーウイーク」を含む日記 RSS

はてなキーワード: シルバーウイークとは

2016-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20161023102338

同じ会社の同じ給料で転勤で

・最寄りのコンビニまで片道6kmのど田舎

ギリギリ東京通勤圏内郊外利根川渡った向こう)

・都23区

政令指定都市100万人クラス

と、暮らした身からすると、どこでもやり方と環境次第としかいいようがない。

一律に田舎と都会なんて雑な分け方は無理だ。

関係固定費10万円以内として、パラメータの割り振りだ。

ただ、東京都23区内で3部屋以上はキツイギリギリ板橋区江東区の端っこ。JR外すのがポイント都営かな?

実感としては

「(平均的な給与暮らしで、一部の資産家を除き)政令指定都市学校に通わせられる程度の田舎で親の代から持ち家、そこそこの企業工場製造現場づとめ正社員社食付き、作業服安全靴交通費支給基本的福利厚生完備)、ゴールデンウイークシルバーウイーク田植え稲刈りの程度の規模の兼業農家)、(奥さん公務員事務職だとなお理想的)」

あたりがもっと昭和家族観における日本的理想暮らしにおけるコストパフォマンス最大値に近いかもしれないとは思う。

2015-09-18

シルバーウイークってなんだ?

と思ったら水曜まで休みなのか。へー。

俺には関係ないけど。

2015-09-07

母親が死んだ

母子家庭だった。

母ひとり子ひとり。

はいえ、実家に帰ってきていたので祖母がいた。

僕の教育は祖母がした。

母は仕事がきつかったのか、よく僕にあたっていた。

僕を管理しようとし、意にそぐわないことをすると叩く、怒鳴るという人だった。

僕は祖母が大好きだった。

祖母が死んだ。

これ以上ないくらい泣いた。

それから10年経って母に癌が見つかった。

町医者では見つけられなかった結果、ステージ4になっていた。

母の知り合いの息子さんは脳外科だったが、腫瘍マーカーの結果を見てすぐに大きな病院紹介状を書いてくれた。

1度目の手術は大成功。ただ、浸潤していたので転移の可能性はあると。

術前から僕は無宗教から、各地の癌にまつわる神様仏様に参る多宗教信仰になった。

術後の1年間、会える時間実家の母と過ごすようになった。

「お母さん、地元で飲むときは泊まっていいかな」

「うん、いいよ」

結局、泊まらなかった。

1年が過ぎたころ、母は2年の余命宣告された。

転移していたようだったが、今までと変わらない元気な姿だった。

その頃、初めて「小さい時にすぐに怒られて辛かった」という話をした。

母は僕を無視した。

でも、「それでも僕にとって、お母さんは大事なんだ」ということを伝えた。

大学にまで行かせてくれたことに感謝を伝えた。

目の前で「生きてて欲しい」と泣く息子を見て、母は喜んでくれていたらしい。

「あの子は優しい子」だと自慢していたらしい。

正月を過ごすたび、「お母さんと過ごす正月最後かもしれない」と覚悟したりしていた。

同時に「このままずっとこういう調子なのかもしれない」とも思っていた。

2回めの正月を迎える直前、母は歩けなくなった。

転移だった。

放射線治療で杖の生活になった。

今年の正月最後かもしれないと思って、おせちを食べた。

帰り道の車の運転は嗚咽しながらだった。

3月

週末に行ったらクリームシチューを作ってくれた。

テレビ料理番組の録画を見ていたら美味しそうだったとのこと。

しんどくなったのか、途中からは僕が作って二人で食べた。

母は食事の10分後に食べたものを吐いた。

腸閉塞だった。

手術で食べれるようになったが、母は以前の食欲を失っていた。

ある日、母は僕に「大好きだ」と言った。

僕も即答で「僕もお母さんが大好きだ」と言った。

母は泣いていた。

近所のおじとおばに「最高の答えだった」と言っていたらしい。

その後すぐに母は入院した。

先月、母が死んだ。

意識を失う前日、母が「本当にありがとう」と言った。

「何言っているんだよ、当たり前じゃん。また時間作ってお見舞い来るね」と答えた。

これが最後に交わした会話だった。

息を引き取った時、びっくりするほど泣いた。

泣かずに通夜を終えて、翌日、葬式挨拶をしはじめた瞬間びっくりするほど泣いた。

母が「この人達だけに知らせて」と呼んだ参列者は全員泣いていた。

今日相続が終わった。

僕が本音で思っていることを伝えても問題ない人は、この世に存在しない。

本音を言える人はいる。全ての本音を言える人はいない。

相続手続きをしたときに、僕は初めて父親の名前を知った。

会おうとも思わない。

死んでから一ヶ月近く経った。

祖母が死んだ時は「まだ病院入院してそう」って思っていたが、母のときは「いなくなった」という喪失感がすごい。

後悔しているのは2つ、仕事なんて辞めて同居すればよかったこと。

手術前、恥ずかしくなって母を抱きしめなかったこと。

なんで恥ずかしがったのかわからない。

親戚の手前、かっこつけてしまった自分が情けない。

「お母さん、相続終わったよ。役所手続き終わったよ」

仕事柄、役所への手続きが得意だった母。この報告ができない。したい。

孤独感がすごくて、最近、夜眠れない。

まわりは親をなくしていない友達が多い。

親をなくしていても、片方だったり。

から誰にもこの気持ちは伝わらない。

仲の良い女の子に思い切って話してみたら、「ちょっといね。私にはわからないけど辛いんだね」と言ってくれたが、僕と別れた後のSNSでは楽しそうにしている。

当たり前だと思う。僕もきっとそうだっただろうし。

「わかってくれない」と嘆いたりはしない。わからないのが当たり前だ。

親と死別しているという人は少ない。

から、どんどん誰にも話せなくなっている。

辛い。

闘病中に行った飲み会で「親と会える時間って計算してみ。本当に無いから。だから、みんな実家帰れよ」って言っても、「真面目だな」としか言われなかった。

そんなもんだ。

失って初めて気づくんだし。

そんなわけで、オチはない。

みんなは親を大事にして欲しい。口うるさいだろうけど、親身で口うるさく言う人なんて親ぐらいだよ。

嫌味で口うるさい人は会社に山ほどいるけど。

シルバーウイーク実家に帰るのをおすすめする。

残り時間は思っているより少ない。

イライラするかもしれない。でも、優しくしておいて損はない。

優しくしていないとびっくりするぐらい後悔する。

誰に「十分よくやった」と言われても、十分なんて絶対に思わないから

最後に、僕に悲しみを癒してくれる彼女ができるように祈ってくださいお願いします。

2010-08-13

夏休み旅行

ヨーロッパにいる友人宅に、お土産もって会いに行きがてら泊めてもらおうかな、と考えている(友人の都合は確認済)

勤め先の会社はまとめて夏休みを取得しても、1日ごとに取得しても良いという比較的自由なシステムなのだが、

自分の業務の都合で「どうしても会社にいなければならない日」があるため、友人の予定と自分の予定をかねあわせて往復の時差とかフライト時間考えると、どうしてもシルバーウイークにひっかけた3泊4日が限度。

で、飛行機代調べてみたら、往復で19万ぐらいかかるのだね。

さほど裕福ではないので、「友人に会い、さらに海外旅行という経験価値」と、「ホテル代はかからないとはいえ、数日しかないのに飛行機代だけでそんなにかけていいのか?」というところで、行こうかどうしようか揺れている。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん