はてなキーワード: 眠剤とは
表題通りです。
2階の自室にいるときに母の声に呼ばれた気がして慌てて下に降りて「呼んだ?」と聞くと呼ばれてない時がある。でも、気づかないでいると、あるいは気のせいだと思っていると2回目には怒号が飛んでくるから怖くて無視出来ない。
母は声が大きかった。そして常に苛立っていた。
私はただ母が怖かった。
近づくと「来ないで!」と怒られるのでなるべく近づかないよう、話しかけないよう息を潜めて生きた。それでも、子供だから限界もあった。私は毎日母にはしゃぐたびに怒られていた。
いっぱいいっぱいだったのだと思う。子供を育てるのは大変だってネット上でいくらでも見る。
子供は自分勝手で親の気持ちなど知らず利己的で理性が無くて甘ったれで騒々しい。親はそれに苛立つのなんか当たり前なのだと教わった。1日も早く「人間に成れ」と言われていた。
またそれを補完するためなのかネット上の育児ブログなんかもよく読まされた。ブログの中でも概ねそのような内容だった。どの母親も子供の未熟さに悩んでいた。生きているだけで迷惑をかける生き物なのだと思った。
虐待の記録を目の前で読み上げられ「あんたはほんと幸せね」と言われた。
本当は私も虐待を受けていたのだと気づいたのは大人になってからだった。
私は小学校の頃、母に「子供を堕していいか?」と相談された。「お金がないの。この子を産むことも出来るけど、そしたらあなた達にかかるお金がなくなっちゃう。それでも○○は兄弟が欲しい?」
私はそう問われ、何日も体調が悪かった姿や、すでに金銭的な悩みを日常的に相談してくる母のことを思い出して「兄弟はいらない」と答えた。
婦人科まで私も一緒に行った。
母は妹が先に産まれていれば私など産まなかったという。
祖母にお金を借りるのに、母が行きづらくて私が行ったこともあった。
母は金銭的な悩みでよく私の前でだけ泣いていた。慰める言葉の出ない私は黙って「そう…」と言うしかない。
子が近づくことを許さない母に名前を呼ばれる時は、大体悪い出来事の前兆だった。
幼少期から不眠症と夢遊病、また自傷癖があった。口の中は常に血が滲んでいて頭はマダラに禿げていた。
何度も体調不良を訴えては病院で「気持ちの問題ですね」と言われて、いつしか病院に連れて行ってもらえる機会は減った。
メンタルクリニックは「頭がおかしい人みたいだからやめてよ」と言われて行けなかった。成人するまで、保険証は母が携帯していた。
成人してから親に内緒で病院に行きまくった。3ヶ月連続で採血された。
くつろいでいて、隣人の声が聞こえると「呼ばれた」と思って焦って飛び起きるがそもそも母はここにはいない。実家を出る時も見送りも何もなかったし、興味もなかったから、私が住んでいる場所も知らないはずなのに。
過去のことを思い出す時間が増え、不眠症が悪化し、メンタルクリニックで入眠剤をもらおうと思った。
常に思い出す過去のことを一通り聞いたあと、カウンセリングの心理士は言った
「その家庭で育って、よくもっと大きな病気にならないでいてくれましたね」
私の家、おかしかったのか……と思った。
過去を振り返ると、母を、父を助けてくれる人は周りに誰も居なかった。両親も様々な虐待を受けていて、でも子供が産まれてしまったから祖父母に頼らざるを得ない環境だった。
今でも私は「私の家がこうだったのは仕方なかった」と思う。そう思うしかなかった。心の壊れた父や泣き叫ぶ母を見てもっと頑張れなんて子供の身分では言えないししっかりしてくれよとも言えない。
ただ怯えて隅で固まっていただけの役立たずだった私がいまさら言える不満なんてない。
何も言えないまま、助けにもならないまま、大人になって逃げ出した。
ネットで毒親や、被虐待児の相談を見て、回答で言われる「自分の人生を生きて」「子供を産んで優しくしてあげて。自分がして欲しかったことをしてあげれば癒しになる」「子供を産めば親の気持ちもわかる」
そして失敗した両親を私はよく知っているのだ。
色々調べて、家族は要らないなと思った。子供も欲しくない。親の気持ちを理解する努力を20年間ずっと続けてきたから、もうわかっている。
私に出来るのはせめて両親を祖父母にしないこと、もう苦しませないこと、この血筋を終わらせることだけだ。
もう何代前からこの血は虐待を受けているのだろう。親戚の話を思い出しても、虐待、虐待、虐待。戦後の世代から養子を受け入れ兄弟をたくさんもうけても、一人しか結婚しない。親戚には初老にまでなった独身者が異常に多かった。
呪われているんじゃないかとすら思う。
さて、私は血を残さず死ぬまでの自分の人生を歩み始めた結果、このようにいきなりつまづいてしまい薬の世話になっている訳だが、なんとか頑張って生き抜きたいとは思っている。
だが、どうしても、一人で部屋にいると「もうどこにも帰れないのか」「私には頼れる、愛してくれる人は誰もいないのだ」と思ってしまい眠れなくなっていく。
寂しさに負けたら同じ歴史が繰り返されるとわかっているのにただ寂しい。
それだけがまだ辛い。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
これを書いた者です。死ぬ覚悟がまだできなくて生きています。クズなのはわかっている。うじうじでもなんでも言ってください。傷ついてあげるから。
https://anond.hatelabo.jp/20210216093051
なお、こちらの記事に少なからず影響を受けています。良い方向に向かってよかったですね。
https://anond.hatelabo.jp/20210302041924
今日、生活相談センターのようなところに行ってきました。相談に行っただけで自分えらいと思う。そして詰んでいることを確認できただけでも少し心が軽くなった。
①国の貸し付けや給付は受けられるか
→コロナのせいで困窮している人向けの貸し付けしかないため該当しない
②住宅確保支援金はわたしは条件を満たすか(わたしの住んでいるところは家賃3.5万、共益費1.5万(電気・水道・ガス・ネット代をまとめて共益費扱いで請求される)
→①と同様、そして求職者向けなので派遣社員のわたしは該当しない
③ここのところ症状がひどく(朝起きても支度する気力体力が起きない)、仕事を休みがちで収入が10万円を切っている
(心療内科には2年ほど通って自立支援(精神)受給者証は持っている)
④手持ちのお金が1.6万ほどだがお給料が入るのが15日(月末締め)、そして10万を切る見込み
→健保に連絡して傷病手当金をもらうのがよいが、派遣元に記入してもらう手間と、ただでさえ所持金が少ないのに4000円くらい支払って医師に診断書を書いてもらう必要があるのでとても厳しい。生活保護は最終手段。
→フードバンク(セカンドハーベスト)にお世話になることになり、相談の帰りに食糧をいただいた。今週中に1箱目をいただける予定。ごはんの心配はしなくてよさそう
→③、④と同じ答えで、傷病手当金をもらい、あと障害者手帳(精神)を申請してメリットを享受する、それから最終手段として生活保護を受ける
1.食べるものがない問題はなんとなりそう(今日相談して今日食糧をもらえた)
そして生活保護についてお決まりの「親族・親戚に扶養照会がいくか」を尋ねたところ、「原則そうです」と。
・実家に戻るという選択肢はなし(戻ったらきっと弟がまたストレスで病に伏すか二度目のてんかん発作を起こすだろう、もしくは奇声を発するとともに手をあげられる)
・私自身も「夜に友人とたわいもない話(通話)をする」という日課ができなくなりつらい(田舎の木造なので丸聞こえ)
・公共交通機関が皆無で私は車を持っていないので実質軟禁状態になる
・再就職・・・就労が満足にできないから困窮しているのだが・・・
・結婚の可能性がある恋人が都内にいる(けど彼も人生の分岐点らしいので私に構っている余裕が今はないという)(彼に頼る選択肢はないと思っている)
・親がうつなど精神病について理解がない(気合の問題だろう派)
生活保護はないな。特にそう考えるのは、親は「恥」をひどく嫌うからです。
世の中を見る時間を1秒でも減らしたくて処方薬を飲んでさっき寝たが3時間ほどで起きてしまった。
できないから困っている、「毎日ちゃんと働く」しか金銭的には解決しないことが分かった。
気分障害のようなものは古い記憶で小学生のころから自覚しているが、あらゆる内科の検査で異常がなかったので、頭の中の異常は見た感じなさそうですよ、と5年ほど前に言われている。超短期記憶が人よりも弱いですね、くらい(これについての自分の対応「〇〇会社の△△ですが、□□さんはいらっしゃいますか?」と聞かれると、〇〇会社の記憶がもうすっこ抜けるので、「△△様ですね、いつもお世話になっております。確認いたしますので、簡単にご用件と、恐れ入りますが御社名をもう一度お伺いできますか。」と毎回確認するようにしている。)
幼いころからそうなのにそう結果が出たのだから、また検査を受けるだけお金の無駄だろう。
毎回変わる心療内科の先生によれば躁うつ病らしいが、しばらく診てもらっているかかりつけ医(内科)の先生の見立てによれば「専門家ではないので確約はできないが、話を聞く限り『不安神経症』だろう、と。見るものすべて、聞くものすべてに不安を感じ、さらに理由に不釣り合いな強い不安を感じるという。
およそ2年、毎日10種類くらい薬を飲んでいるが、つらいのはほとんど変わらず、処方薬の中の頓服で唯一こころを平穏にできるくらいである。耳栓必須。
相談所に行くことで、ほぼ詰んでいるという確認ができただけでも良かった。
長いのに読んでくださってありがとうございます。
速やかに生活保護を受けよとのご助言、ありがとうございます。家族との関係がグチャグチャになり親に小言を言われ親戚に恥を晒すくらいなら黙って困窮する、それが私の答えなので生活保護は選択肢に(ほぼ)ありません。
傷病手当金について診断書の記入はもっと安価だろうとの情報も、ありがとうございます。健保に確認します。
彼がいるという微妙に無駄なような情報は、都内にいたい大きな理由の一つだからです。友人もパートナーも失って要介護の弟と、弟を溺愛する両親のところで寂しい思いをするくらいなら彼の近くで困窮したい。
→可能性がある、という書き方が悪かったです。結婚を前提にお付き合いをしている方というだけです。まだ日が浅く、「結婚したい!」とお願いできるほど進んだ関係でもないし、困窮したまま籍を入れるつもりはありません。
生活相談センターのようなところとは、ここに書いてある自治体です。共産党の方とかに連絡取ったら助けてもらえるかな…下のリンクはビッグイシューのサイトが開きます。
https://bigissue.or.jp/action/guide/tokyo_housing/
社協にも相談の電話をかけたけど「コロナにかかって困窮した、でないと通らない」と断られた。
死にたい度合いが時期にもよるのも疾患の一部なのでさっさと死ねなくて申し訳ない。さっさと死ねと言われると、そういえば自分は死ぬつもりで最初ここに書いたんだと思い出す。思い出させてくれてありがとう。有り金はたいて初めての極寒地で眠剤飲んで寝ながら死ぬのがやはり最も簡単だろうか。
16:16 共産党事務所に電話したら「わたしの名前を出して交渉してください、どうにかなるはず」と議員さんに言われて、福祉事務所にいくところです。結果次第ではその土地の人には申し訳ないがそこで自死させてもらいます、それ以外に選択肢がないから
働くことを止めてから、はや数か月が経とうとしていた。
小説を書くなどと嘯き苦し紛れに書き始めた原稿も、誰にも責め立てられずただ時間ばかりが過ぎて遅々として進まない。今ではただ実体のある焦燥感の源と化している。
文才があるんだなんて言われ、それを真に受けて売文屋になろうとした。なれなかった。一昨年から昨年にかけてそのことは十分確認したはずだ。
では何故文章から逃れられないのか。書かずにいられないからだ。
これはクソみたいなものだと思う。
トイレみたいな臭い箱に閉じ込められるなんて誰でもご免だが、それでも内臓を汚物が圧迫していることの方が遥かに不快だから、自らあの不衛生な空間に進んで入ろうとする。
じゃあ今は便秘みたいなものなんだろう。だとしたら苦しくて当然だ。だけど文章はクソではないので、浣腸をする穴なんて無い。
夜は眠剤も飲むし、他にも色々なものを食っているから、いずれにしても酒なんて飲むべきじゃない。
それでも今日は浣腸の代わりに一杯だけ口に入れた。まずくて後悔した。
けれど少しだけ正気が戻って、一つだけ思い出したことがあった。
部屋の片隅に雑然と置かれた段ボール箱、その中には職場から持ち帰って来た文房具やメモ帳、カレンダーが入ったままになっている。
その奥の奥、そこを探ると、やはり思ったとおり、吸いかけのタバコが入っていた。
数年前、女友だちと二人で酒を飲んだあとで買ったのだった。
二人で何本か吸ったあと、女友だちが「これ、持っていて。次に飲むとき持ってきてね。」と私に手渡したものだった。コロナ禍が来て、「次に飲むとき」が来ないまま疎遠になった。
これを書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20200630021035
今晩、眠剤を飲んで公園で野宿しようと思います。凍死(低体温症)で死にたい。それか不審者や若者に蹴ったくられて死にたい。ただ、都内の寒さ程度では体調を崩す程度で終わるかなと懸念しています。行ったことない北海道に行って決行したほうが確実かしら。
先月から仕事を休みがちになりました。うつで通院していますがコロナで休んでいるわけではないので公的支援は受けられません。お金がありません。
知的障害者の弟が最近てんかんで救急車に2度運ばれました。「弟を捨てて施設に入れるのか」「姉と2人で弟を支えなさい」これが父親からの、わたしが上京する条件でした。母は「お父さんの言うことだからわたしは何も言えない」と、わたしの気持ちには寄り添う気は当時なかったようです。いまは気持ちが変わっているかしら。ちなみに、姉は結婚して数人子供を産んで育てています。良くも悪くも、「うまいこと逃げたな」と思ってしまった私は性格が悪いかもしれない。
なので、弟が普通に生活できなければ、わたしは自由を無くして実家に戻り介護で軟禁状態になる可能性があります。軟禁生活になって自分の人生がなくなるだろうということは中学生のときにふと気付きました。わたしの人生はおよそ30〜35歳までだろうと思い嘆き、おそらく鬱自体は相当昔から患っています。
しかし、わたしが家にいると弟(自閉症)の思い通りに事が運ばないことがあり、そうすると弟は大声で奇声を発して手を挙げる(だけで叩かない)か、嘔吐します。実家で一緒に生活している時もそうだったのですが、わたしがたまに帰省した時も「お姉ちゃんが○○だから△△には行けませんか?」「お姉ちゃんが○○だから△△できませんか?」と不機嫌になります。親は弟を相当可愛がっておりますが、おそらくわたしについては大人(30歳)だからもう大丈夫だと親は思っているのかもしれません。親の気持ちはあくまで想像ですが、弟の振る舞いが変わらないことは、弟が生きている限り、自閉症である限り変わりません。
人生の終わりが見えてきてしまった。あと少し、もう少し自由でいられるかなと、10代から毎日のように考えてきましたが、弟が救急車で搬送されたと聞いてから、弟の心配はもちろんですが、わたしの終わりが近いことを意識して嘆くしかできなくなってしまいました。
人生ってなんでしょうね。もちろん軟禁されるのも第二の人生です。軟禁状態でもいまはwebで繋がったり、地元の何かのコミュニティに入ったり、やれることはあるよ、という声もあるでしょう。
てもわたしは冒頭の記事で書いた通り、薬を飲まなければ本来は「息をしているのもつらい」人間です。
ここらで終わりにしたい。
皆さんもそんな瞬間があると思いますが、最近僕も『サピエンス全史』を読み上げてもらいたいな、と思ったのでAmazon Audibleを契約した。
未だに無料キャンペーン中なのでよく料金体系とかが分かってないのだが、要するに月1500円払うことで、月あたり希望の一冊が新たにプラス+玉石石石石混交の無料本が聞ける、ということらしい。
(実際にはこの「月あたり一冊」は「任意の時点で任意の一冊を聞く権利」に近い物らしく、公然の裏技として「返品して新たな読み上げを取り寄せる」というものがある。Amazonの側も「当会員特典はお客様のご理解の上に成り立っています」とメリケン企業らしくないことを言いながら暗黙に認めているように見える)
これがいいのだ。不眠に。
当然はてなメンヘラ界隈の皆様は僕と同じく眠剤を服用されていると思うのですが、それで問題が解決するなら話は早いというもので。
実際は眠くなるタイミングがシビアで、それを待ってる間ネットサーフィンしてて逃すとかは日常茶飯事である。
何がこの悲劇を引き起こしているのかと問えば、おそらく國分功一郎のいう「退屈への向き合いがたさ」があるのではないかと思う。
眠剤の効果で40分後に眠くなるのは分かっている。でも40分も退屈したくない……あっ1時間過ぎてる……。
これを解決するのがAudibleである。僕がこのアプリを開いて最初に驚いたのは「スリープタイマー」がとても目立つ位置に設置されている点である。
で、実際に『サピエンス全史』をワイヤレスイヤホンで聴きながら何日か横になってみた。すると寝られるのである。おまけに起きたときには興味深いセンテンスの一つや二つも頭に入っている。
しかし問題点が2点あった。寝てる間にワイヤレスイヤホンをどこかへ放り出すこと、普通にサピエンス全史の講義を受けて5時間くらい経ってしまうことがあること。
どちらの問題も簡単に解決できた。1つ目の問題はスマホのスピーカーから流しておけばよく、2つ目はすでに読んだライトノベルを流して横になること。
かくしてメンヘラは退屈さもなくば不眠という不毛な二者択一から解放されたのである。僕はこれから『無職転生』(フィッツとなんやかんやあるあたり)を聴きながら一歩先に眠ります。おやすみ。
精神科になんとかかかり、鬱症状が見られるとされて服薬中の人間の備忘録。少しでも似たことがあるなら、早めに対処した方がリカバリーしやすいのではないのかなという自戒も込めて。
まぁ記憶がやられているので時期とかは記憶違いない可能性もあります。
以前の私は日付が変わる前に寝て6時から7時に起きる生活を毎日繰り返していました。しかし、昨年ごろから異変が。眠れない。体は疲れているはずなのにいつも通り布団に入っても何時間も眠れない。しかし翌日は平日なので7時までには起きなければいけない。蓄積された疲労は時に限界に達して化粧も落とさず布団もかけずに気絶する、という日々を繰り返しました。
ストレッチしてから〜とか白湯を飲んでから〜とかあらゆる方法に手を出して改善しなかったのですが、一番効果があったのが酒でした。アルコールに弱かったので缶ビール1缶飲んでそのまま寝る、という生活でなんとか行き止まってましたが、今思うとアル中まっしぐらでしたね…(現在は飲んでません。)
元々は食べるの大好きな私。しかし、一時は一日一食でもいいなーというか食べなくてもいいかなーとなっていました。
あといろんなものを食べたがっていたのにウィダーインゼリーみたいなのでいっか、ってなってました。
胃腸が弱りすぎているのか脳は食べたいと思うものでも胃が受け付けてくれないのはよくあります。
その3:趣味への興味が薄れる
私の趣味の一つは漫画を読むことです。近年電子書籍に切り替えたことで収納を気にする必要がなくなり、月10冊以上は買っています。
しかし、頭に話が入らない。面白いと思えない。数ページ読むだけで疲れてしまう。などといった傾向が突然見られるように。この時は私も成長して趣向が変わったのかな、とりあえず買って今度読めばいいや、と放置していました。
他の趣味でも似たようなことがみられ、共通していたことは「集中力不足」でした。30分程度のアニメを見ることもできない。数分の音楽を一曲聴くことが限界。とりあえずツイッターでは周りに合わせて普段通りに振る舞う。
このような状態が続いていたにも関わらず放置し、加えてその他要因が諸々絡み合った結果、今の私は毎日起き上がるのもやっとの生活?になってしまい、毎日泣き死ぬことだけ考えていたので流石にまずいと思い精神科を受診、抗うつ剤と眠剤を服薬をしています。
一番虚無だったのが睡眠だったのですが、睡眠導入剤を処方していただき、寝ようと思ってから30分で寝れる現在の生活は少し楽です。寝れるようになってから酒を飲みたいという感情が一切なくなったのも衝撃的でした。
あと、少しずつ漫画も読めるようになってきました。難しい漫画も楽しめるようになったらいいな。
私はもう限界だ、となってから初めて精神科にかかったのですが、診察の時間が内科などより基本的に長いので予約制のところが多いところがハードルが高いだけで、普通の病院、なんなら普通よりも穏やかなところだな、と感じました。異変をある程度わかりやすく伝えられるスキルさえあればきっと大丈夫。
長文失礼いたしました。
十代の頃からずっと、抑うつ状態を伴う精神疾患を患っているが、薬を飲んでごまかしごまかしクローズで働いている。
仕事ができるわけでも熱意があるわけでもないが、見抜かれなかったのかそんなことはどうでもいいのか、今の会社にはあっさり就職できてしまった。
能力が低いからといって勉強をする気も全く起きないので、IT業界で長く暮らすことはできないと悟っているが、あまり考えないようにしている。
中長期的な視点を人生に持ち込んだことはそもそもないが、長年の抑うつも手伝ってか、将来をしっかり想像することは少ない。
そんな私が珍しく、未来のことを考えていた。
それは「男女平等がもっと進んだら、自分のような能力の低い男性は相対的に割りを食うかもしれない。」ということ。
女の兄弟がいるし、大学ではジェンダーやフェミニズムを主な関心のひとつとして勉強した。
だから自身は絶対に男女平等推進の立場であるにも関わらず、だ。
もしも私が女性だったら、これまでの人生だって可能性は大きく狭まっていただろう。
大学附属の男子校出身だが、附属に絞っても受験校を選び放題だった。
たまたま男だったので、ずいぶん楽して大学に行けてしまったのだ。
高校生の頃から疾患持ちだったので、内部進学以外の方法で同じ大学に現役合格するのは非常に困難だっただろう。
いや、仮に疾患がなかったとしても自信がないというのが正直なところ。
今の職場は圧倒的に男性の数が多く、数少ない女性はひときわ優秀に見える。
同期を見ても、男性は自分のようなポンコツも何人か混じっていたが、女性は精鋭だった。
もちろん、男女の不平等だけでその人数比が形成されたわけではないだろう。
それでも「いろいろな格差が解消されていくと、私のような属性の男性は今の立場を守りきれないのではないか?」と感じるにはもってこいの環境だ。
今ここ立っているのは、男性として甘い汁を吸ってきたからだと感じている。
女性が不利益を被ることなく活躍できるようになれば、そうなる前の社会よりも早く、「俺」の地位は下がっていくだろう。
それでも、それがいつか自分の首を絞めるかもしれなくても、信念として男女平等には賛成だ。
とはいえ、どんな社会が待っていようが、私にはあまり関係のない話かもしれない。
なぜなら、私が肩を叩かれるとしたらその理由は「男余り」ではなく「能力が低い」だからだ。
こんな日記を書く暇があれば、無能だなんだと嘆く前に勉強するなりしてその椅子を守るべきだが、やりたくないものはしょうがない。
「努力ができない」というのは、私が能力の低い人間であり続けることを大いに助長しているし、これからもそうし続けるのだろう。
はてなのみんなーーー!!やっほーー!!!今日はこんなメンヘラの記事開いてくれてー!!!ほんとにありがとーっ!!!!!!!
クソザコ底辺のチラ裏だけどせーいっぱい書き散らすのでー!!!!!!!最後までよろしくね!!!!!!!!!!
ダメなひとはー!!!!!!!!黙ってブラバ推奨うううう!!!!!!!
さてさてわたし、メンヘラ歴10年↑のどこにでもいる普通のメンヘラ増田!!
一番最初のきっかけは中学生のとき。超絶過干渉な親&担任教員による性的虐待だったんだけど、内申点あげて推薦受ける前に自殺ミスってそのまんま人生ドロップアウトしちゃったんだよね。あれを耐えてたらワンチャンあったかな??ないかも!!!!
そんなこんなで重度の反復性鬱、あと実はADHD&ASD、PTSDも持ってたりしておかげさまで精神2級でっす!!!!これからもご愛顧のほどをよろしく!!!
まー当時は大変な修羅場で、町役場役員の父親と小学教諭の母親は大騒ぎ!もち勘当!ヤられたのが私なんだけど私を勘当www
やーマジイミフってゆーか田舎社会の闇を見たよね!事を公にすると教育委員会の父が役所で指指されたり、内申点ちらつかせて脅してきた担任を母親でありながら教師的立場で免職させるのはなんかヤだってゆー母親のお気持ち的な理由により、よくわかんないけど向こうから勘当してくれたよ!警察の介入は中学と親が潰したみたいだね。子供できなくてよかった!!あのあとすぐ生理きたときはガチで泣いたもん。
あとはなんだかんだほんとめっちゃ色々あってなんかもー説明聞くのも大変だろーから省くね!ごめんね!
まーでもでも、こんな私でもなんとかかんとか低賃金でも猫と共に暮らせていて、身体とか売らずに済んで生きてる!!ステータスは幸運に全ブリ!!アイデアがゴミだからSAN値は割とギリギリだけど生きてる!!ウケる!!生きてるだけで褒めて!!私すごい!!私えらい!!私さいこー!!!
あ、躁鬱ではないから安心して!超安心して!何を安心したらいいのかわかんないけど!草www
それはそれとして、婦人科に行ってるだよ。PMDDってゆー、なんか生理が超つらい感じで。非正規だとかの話はとりあ置いといてさ、まー生理なっちゃったら布団は血の海で3日くらい水だけで生きてるというか眠って耐えるみたいな感じで。この辺は女の人でも個体差あるから、あーなんかそんなかんじー?みたいなノリで聞いてくれていいんだけど。
月2000円の課金で多少生理がマシになって仕事もなんとかかんとかでみたいな。使ってないけど避妊効果もあるしね。100%無いと思うけどこれで深夜拉致られて回されてエロ同人誌みたいなことになっちゃってもなんとかなるかなー????なんないかもー???みたいな!!!
で、ピル飲んでると血栓症の可能性とか万一あるからさ。基本安全とかいうけど年1で採血はするんだよね。まあ人間ドックも健康診断も受けられない身分だから軽いノリで受けるよね。
血栓症じゃなくて肝臓引っかかっちゃったよ、うっわあああああああああああああああああ!!!!!!!!!
まさかって思うじゃん!!!マジか!!マジでだった!!!!γ-GTP、AST、ALT、倍満!!!16000点です本当にありがうっわああああ!!!!!!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああやっべーどうしよう通院費も入院費もない!!!!!!めっちゃやば!!!
さすがに泣きそーなって友達に電話しちゃった!平日に!!ごめんね!!!こんなん初めてで立ち直れそうになかった!!
友人「でも、いうて肝臓やろ?」
友人「γ-GTPは私と同じねー。我々も年だということですよ。私が痩せられないのと同じ」
ああああああ理解!!!そういえば、友人、体は外食でできていた!!!!!身体は揚げ物、血はアルコール!!!!!!なんか度々、健康診断あるからって2週間くらい耐えてたりした!!!!!!私の残念オツムようやく理解したテンキュー!!!!!!!
色々出てくるじゃん????
さっきまでナニコレ怖い私死ヌみたいなのがいちおー冷静に読めるわけです。
「薬剤性肝炎」
黒ずくめの男と同じくらい怪しい!!!!!!めっちゃくちゃ怪しい!!!!!!!真犯人は別にいる噛ませ犬と思いきやマジで真犯人だった時のパターンだ!!!!!!悲恋湖なやつだ!!!!!!!!
トリプタノール、セーフ!!(たぶん)
ロヒプノール、セーフ!!(たぶん)
犯人(たぶん)がわかったらもう何も怖くない。いや、マミっちゃうかもしんないけど怖くないぞ!!!!
たて、立ち上がれ、病院前の自販機で涙拭ってる場合じゃねえ!!!!
私の帰りを今か今かと待ってる家族がいるんだ!!!!!!(金魚と猫)
精神科への連絡は!!!!時間的に明日!!!!!怪しい薬は特定したが自己判断での停止はマジあぶねーからダメ!!!!何回かそれで解離性遁走とかフラバとかマジで起こしてっから!!!!!!!フラバはマジでやっべーから!!!!!
あー、でもコンサータとルネスタがダメそーなのは哀しいな。去年本当にやっと巡り合えた入眠剤。クソみてーに苦いし寝起きに口の中がウイスキーみたいな味になってっけどスルンと寝れるのにな。
コンサータも。軽くナルコレみたいな意識飛ぶ事頻発してたけど、コンサータ飲むと頑張れるんだよね。まー成分がリタリン的なさもありなん、みたいな??????
あー、薬と共存したい。リボトリールだけ悪人にできないかな???やっぱ無理よりの無理???
はーーーー、そんなことよりも精神科嫌いだから行きたくなーいいいいい!!!!!!!長男だったら我慢できたかもしんないけど私三女だから無理!!!!長男でも無理かも!!!!!きっと無理!!!!皆無理!!!!!!!!!
はいっ!!!突然ですがここで私が通院している精神科のホームページを開きます!!!!
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以下の疾患や状態の方に対して、専門性や医療設備上の点から当クリニックでは十分な治療を行えないため、入院施設のある医療機関や専門外来での治療をお勧め致します。
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え、うん?え?精神科、だよね…??で、主に何を診るん…???
いや、私が転院して1年お世話なってるけど久々にトップページ見たら書いてた。え?暗に私、転院促されてる……?????
今転院でごちゃごちゃすんのめんどくさいし、あとは野となれ山となれ!!!!!!!!ふぁっきゅー!!!!!!!!
泣いたり落ち込んだりしたけどなんとか今日も生き延びたよ!!!!!
人の家でテレビのリモコンの調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいいかもしれない。
当然だよ。と、言いたげなお前らの呆れ顔が目に浮かぶ。状況を整理する。
あれは新宿界隈のバーでだらだらとバイトをしていた。20歳前後の頃でした。お客様ですごく可愛らしい女性が来た。
目が大きくて、黒目も(カラコンかもしれないけど)大きくて、細くて、年齢も近かったので意気投合し、バイト後に飲みに行くことに…。
で、瞬く間に付き合うことになった。
きっとお互い暇だったんだと思う。出会ってから付き合うまで1週間くらい。
当時バイト先は新宿だったんだけど、自宅は新宿から離れていた。
彼女は俺に比べると新宿の近くに住んでいたため、付き合いをきっかけにバイト後は彼女の部屋に泊まる日もあった。
彼女、やけに元気な日もあれば、ものすごく落ち込んでいる日があって、そこに周期的なものや規則性が全く無い。
原因不明の浮き沈みの激しい女性は初めて付き合ったので、どうしたらよいのか対応が難しかったのを覚えてる(今だったらシカトして寝る)
ある晩、キスとともに彼女が何かを口移ししてきた。すると、俺はすぐに眠くなってしまった。あとからそれが睡眠薬であることがわかる。
それと、同時に彼女が複数の処方薬をアルコールと共に乱用していること、気持ちの浮き沈みもそれによるものもあるかもしれないと推測した。
余談だけど、大事な身体にセルフでつけたであろう傷も沢山あった。
一度、性的な行為の最中に、違う男の名前を呼ばれ続けたこともあった。
一回とかじゃなくて、最中ずっと。きっとラリってて、俺じゃない誰かと行為をしてたんだと思う。
今でこそ、相手が薬を服薬をしていようとも「あぁメンタルそっち系の子ね…」くらいで、どっしり構えていられそうなもんだけど、
当時はまだ少年の心を持ってたので、なぜ彼女はそうなってしまったのか、何か自分にできることは無いのか、薬漬けの彼女を助けたいと、思い悩んだ。
(きっと、他人にはどうすることもできない)
ある日、彼女が友達との約束で家にいない時に、彼女の家で一人でテレビを見ていた。
番組がつまらなかったのか、音量を変えたかったのか、リモコンを操作すると、
どうにもリモコンの効きが悪かった。リモコンの電池を交換しようと思った。
そうは言っても彼女の家だから、電池がどこにあるかはわからない。
あんまりよくないんだけど、プライバシーの意識の低さもあって、テレビ台の引き出しを勝手に開けてしまった。
すると
探している単4電池の細さよりも細長い、それでいてプラスチック状の半透明な注射器がでてきた。
先端には針がついている。中身は空だけど、ちょっと水分が残っているような感じ。
前述の薬のこともあって、すごく嫌な予感がした。
引き出しをそっと元に戻した。見なかったことにしよう。
いや、見なかったことにできる?まだわからない、それじゃないかもしれないし。
いくら眠剤と酒でぶっ飛んでるメンヘラだからって、まさか20歳そこそこで、まだそこまで辿りついてないでしょ。と自分に言い聞かせた。
そこにあったもののこと、あれは一体、何なのか。と聞いてみた。
すると、忘れもしない。
それ系の返し史上、最も明るいテンションではないかと思うのだけど、
その日以来、彼女とは会っていない。
あの日、一体俺はどうするのが正解だったんだろうか。
関係を断つ以外にやりようはあったのだろうか。
今の俺に言えるのは、
人の家でテレビのリモコンの調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいい。
ということ。
と、いったところで終わりたいところなのですが、
もう少々お付き合いください。
当時アメブロとかブログ系のサービスが流行っていたんだけど、この女の子もブログをやっていた。
(俺のことを途中から遊びと割り切っていたことや、彼女が学生専門ヘルスでバイトしてることが書いてあり、少々傷ついたのを覚えている)
さすがに薬で警察沙汰は勘弁と思ったので、付き合いを断ったわけだけど、
数週間経ってブログを見てみると、そこに気になる記述があった。
なんかまたちょっと嫌な予感というか、
気になった俺はメールをすることに。
増田「どうしたの?」
女「足を怪我して」
増田「なんで?」
俺がシ○ブにビビって身を引いたことが一因となっていないかと、変な気持ちになった。
今も笑顔で前を向いていてほしい。
当方、躁鬱持ち。寝つきが悪く、睡眠導入剤の「マイスリー」を服用していた。
症状が安定していたので、躁鬱の薬(ラミクタール)を半分にすることになった。
しかしこの減薬以降、マイスリー服用後の奇行が目立つようになる。
まず、新海誠が好きな友人に、3000字くらいの長文で『君の名は。』の感想を送った。
文章は支離滅裂。狂気を感じる。一応、日本語として意味が通ってはいるが、まるで要領を得ない。
「ままごとの果てのハンバーグに、神聖性を感じるというのかい?」とかいう調子だったと記憶している。
しかし、新海を敬愛する友人に対しては失礼すぎるくらいに、激しいトーンで新海を非難してしまった。
後日、「あれは不愉快だった」と苦言を呈された。
男女がらみでも失敗した。長年来の異性の友人がいる。
今まで何度か近場の旅行に行っており、今回も行きたいと提案していた。
しかし、向こうの返事から察するにあまり乗り気でないようだった。
私は流れをぶった切り、どうしても今回行きたい!お願い!付き合って!との旨のメッセージを連投した。
翌朝スマホを見返し、自分のメッセージのキモさに血の気が引いた。
だいたいの場合、目覚めた直後は、前の晩にやらかしたことを覚えていない。
LINEなどの物証を確認して、「そういえばそんなこと送ったか」と思い出す。
その時点で記憶が回復はするが、記憶の確かさは非常に薄いままだ。
あまりにも嘘偽りなく、感情を開陳してしまう。受け取った相手がどう思うかと考えた形跡がない。
それでも、服用後に電源をつけて思いついたことを送ってしまった。
文章を書いている最中は「自分は至って正気だ!」と信じているのが恐ろしい。
躁鬱の薬を減らして抑制作用が弱まったところに、抗不安作用のあるマイスリーが効きすぎたのではないかとの見立てだった。
大学院時代から社会には向いてないなと思っていたがここまで向いていないとは思いもしなかった。
もともと対人関係が苦手過ぎて精神科に通院していたのだが、どんな仕事でも多少は対人関係があるものでやはり労働、社会は厳しすぎる。
何よりも労働は終わりがないというのがキツイ。どんなにその日一日を乗り切ってもまた明日が来てしまう。その日の終わりにはもう次の日の苦痛を想像してしまい耐え難い苦痛に襲われる。週末も同様で月曜の事を想像し発狂しそうになる。明日が来ることが恐ろしすぎて夜眠りにつくのもつらい。酒と眠剤をぶっ込んで気絶する様に眠ることしかできない。
睡眠時間が人より長いのもストレスの一因になっていると思う。平日はもちろん休日はほとんど寝てしまって何もできないまま終わってしまう。ストレスの解消ができない。そもそも趣味と言えるようなものが殆ど無いのでストレスのはけ口がない。