十代の頃からずっと、抑うつ状態を伴う精神疾患を患っているが、薬を飲んでごまかしごまかしクローズで働いている。
仕事ができるわけでも熱意があるわけでもないが、見抜かれなかったのかそんなことはどうでもいいのか、今の会社にはあっさり就職できてしまった。
能力が低いからといって勉強をする気も全く起きないので、IT業界で長く暮らすことはできないと悟っているが、あまり考えないようにしている。
中長期的な視点を人生に持ち込んだことはそもそもないが、長年の抑うつも手伝ってか、将来をしっかり想像することは少ない。
そんな私が珍しく、未来のことを考えていた。
それは「男女平等がもっと進んだら、自分のような能力の低い男性は相対的に割りを食うかもしれない。」ということ。
女の兄弟がいるし、大学ではジェンダーやフェミニズムを主な関心のひとつとして勉強した。
だから自身は絶対に男女平等推進の立場であるにも関わらず、だ。
もしも私が女性だったら、これまでの人生だって可能性は大きく狭まっていただろう。
大学附属の男子校出身だが、附属に絞っても受験校を選び放題だった。
たまたま男だったので、ずいぶん楽して大学に行けてしまったのだ。
高校生の頃から疾患持ちだったので、内部進学以外の方法で同じ大学に現役合格するのは非常に困難だっただろう。
いや、仮に疾患がなかったとしても自信がないというのが正直なところ。
今の職場は圧倒的に男性の数が多く、数少ない女性はひときわ優秀に見える。
同期を見ても、男性は自分のようなポンコツも何人か混じっていたが、女性は精鋭だった。
もちろん、男女の不平等だけでその人数比が形成されたわけではないだろう。
それでも「いろいろな格差が解消されていくと、私のような属性の男性は今の立場を守りきれないのではないか?」と感じるにはもってこいの環境だ。
今ここ立っているのは、男性として甘い汁を吸ってきたからだと感じている。
女性が不利益を被ることなく活躍できるようになれば、そうなる前の社会よりも早く、「俺」の地位は下がっていくだろう。
それでも、それがいつか自分の首を絞めるかもしれなくても、信念として男女平等には賛成だ。
とはいえ、どんな社会が待っていようが、私にはあまり関係のない話かもしれない。
なぜなら、私が肩を叩かれるとしたらその理由は「男余り」ではなく「能力が低い」だからだ。
こんな日記を書く暇があれば、無能だなんだと嘆く前に勉強するなりしてその椅子を守るべきだが、やりたくないものはしょうがない。
「努力ができない」というのは、私が能力の低い人間であり続けることを大いに助長しているし、これからもそうし続けるのだろう。
その通りだと思う。 ただ、これを堂々と認められる男性ってあんまりいない気がしていて(ほんとはわかってるけど、声に出しては言ってない感じ…認めたかないのだろう)、あなたみ...