はてなキーワード: 東欧とは
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山の中。以前の「カリフォルニア村」の感じに近い。
しばらく走り回っていると小さな町に出たが、どうも「BOW」という名前らしい。
だいぶ道が広くなってきたし、もうちょっと道路標識が欲しいな。
州間高速道路は青地に赤い冠を被せたような標識でいちばんわかりやすい。
89号線はだいぶ北東部だな…バーモント州とかニューハンプシャー州とか。
89号線を辿っていって93号線と交わるあたりで「BOW」を発見した。
誤差は1.7km。4994ptだった。
ちょっと荒れた平野という感じだが少し離れたところに町が見える。
しかしあっという間に町を通りすぎてしまった。線路と並走する道路だ。
道路脇に小さく「3A」「Fetesti」と書かれた標識があった。道路の名前かな。
地平線の彼方まで緑の平野だ。穀倉地帯なのかな。壮観だけど道路と線路以外に何もないぞ。
しばらく走って標識を発見。「Tudor Vladimirescu」と書いてある。町の名前っぽい。
「ヴラディミレスク?」という響きはなんとなく東欧っぽいけど。
看板にURLを発見。毎度のごとくドメインを確認してみるが「.ro」だった。どこだ。ルーマニア?
地図でルーマニアを拡大してみるとそれっぽい「3A」という道路があった。
辿っていくと「Tudor Vladimirescu」も発見。そこからさらに西へ進んだあたりかな。
回答すると誤差200m。4999ptだった。
また似たような風景だな。ひたすら畑が広がってる。
西に進むと小さな町に出た。そこからさらに進むと大きめの道路に。
山が見えないから開放感がある。車でかっ飛ばすと気持ちいいだろうな。
看板に「MERCEDES, TEXAS」と書いてある。確かに風景もテキサス州っぽい。
83号線はテキサス州を南北に貫くようにながーく伸びてるんだけど、
南部も南部のメキシコ国境付近に「MERCEDES」があったので回答。
誤差は2.4km。4992ptだった。
めっちゃ日本っぽい。標識も看板も見つけてないのに「日本だ」って思ったな。この道の狭さ。建物の密集具合。
住宅街なので道路標識とかは無いけど…電柱に「箕面市半町2丁目」とあるな。大阪か。
日本はあちこちに地名が書いてあるから楽だな(それが地名だとわかるだけか?)。
地図から箕面市を探して半町2丁目を見つけたのでサクっと回答。誤差は100m。5000ptだった。
ただ二車線あるしそんなにド田舎という感じではない。
道路脇に何の前触れもなく星条旗が掲げられている。アメリカは本当に国旗が好きだな。
なんかさっきから看板に「Lake」とか「Bayside」とか「Harbor」とか書いてあるなと思ったら湖がちらっと見えたぞ。
たぶん湖だよな。「Lake」だし。「ELK LAKE」という名前っぽいが。どこだ。
おお、なんか地図のアメリカ北部をずっと眺めてたら、めちゃくちゃ偶然に「ELK RIVER」という小さい町を見つけたんだがどうだろう。
アイダホ州の北部か。湖っぽいものとして「エルク・クリーク貯水池」というのがある。「Reservoir」であって「Lake」でないのが不安だが。
撃沈した。誤差2381km。1013ptだった。
五大湖のほうだったな。ミシガン湖の脇に「エルク湖」があった。無念。
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閑静な住宅街という感じ。芝生の上に家が等間隔に建てられている。アメリカの都市部ってこういうイメージだな。
道路の狭さからイギリスかとも思ったが、車が右側通行なのでやはりアメリカだろう。
でも住宅街すぎて、大きな道路に出ないと街の名前がわかるような店や看板がないんよな。
とりあえず近くの道はWalnutストリートという道らしい。
途中の建物に「ここはジャーマンシェパードに守られている。盗みに来るなら気をつけな!」みたいな張り紙があって笑った。
ようやく大きな道路に出た。駅の名前が「Linden Station」だったからLindenという街なのか。州の名前がわからん。
お、高速道路の番号が95。これは大きい。
95を辿っていくと…ニューヨークの近くにLindenを発見。
そこから辿ってWalnutストリートの近くで回答。誤差は700m。4998ptだった。
山、というほど起伏はないし、森、というほど木々があるわけでゃないが、
建物も標識も何かしらの人工物も(道路以外は)見えない感じ。めんどくさそう。
しばらく進むと小さな町が。標識が英語ではない。ダイアクリティカルマークがぐりぐり付いてる感じ。
「Juršeti」「Blaškovići」「Radovići」…東欧?
地図で見るかぎり地名に「š」が使われているのはチェコ・スロバキア・リトアニアあたり?
もうちょっと地図を拡大して細かく見れば国くらいはわかったかもな。
誤差は581km。3388ptだった。
かなり大きな街だ。道が広い。アメリカっぽい。道路脇に溶け残った雪。北部か?
いや街というより大都市のなかの地区の名前なのかもしれないが。
しかしノースダコタでもサウスダコタでもない「ダコタ」ってどこなんだ?
ノースダコタやサウスダコタのあたりを眺めても見つからないな。
カナダの国旗付きの運送トラックがいた。やっぱり北部なんだろうか。
カナダに近いアメリカじゃなくてカナダそのものなのか、ここは。
カナダの国境沿いを見ていくと「Winnipeg」という街を発見。
「Winnipeg」が街の名前で「DAKOTA」は通りの名前か。
なんとかダコタストリートを見つけ出して回答。誤差は3m。5000ptだった。
道路の脇に小川が流れていて、その反対側は広い土木現場(畑を作っている?潰している?)。
山に囲まれていて辺境っぽい雰囲気だが、離れたところに町が見える。
これ畑っていうか田んぼか? 東アジア? もしかして日本じゃね? やったぜ!
工事現場の「発注者」のところに「熊本県県北広域本部阿蘇地域振興局」って書いてあるな。
阿蘇市で間違いなさそうだ。「古城公民館」。「古城保育園」。見つけた。
誤差は70m。5000ptだった。
英語じゃない。またポルトガル語か。看板にブラジルって書いてあるな。
道路の番号は「PR317」。東へ向かうとき「Toledo」まで45kmとある。
ブラジルの道路(州道?)のアルファベット部分は州を表していて「PR」はおそらく「パラナ」だ。
パラナで317番の道路を見つければいいんだが、Googleマップをそれなりに拡大しないと表示されないんだよな。大変だ。
なんとか見つけた。317番の道路を辿って…Toledoを発見。
そこから西に45km、道路の形からしてサン・ジョゼ・ダス・パルメイラスという町かな。
誤差は5m。5000ptだった。
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道はちゃんと舗装されているが、パッと見の雰囲気、南米っぽいか?
看板の文章はスペイン語? ポルトガル語? 少なくとも英語ではない。
だいぶ進んでようやくちょっとした町に入った。
ブラジルの国旗が掲揚されていて「Espumoso」という看板がある。
そんな大都市ってわけでもないけど、そこそこの町並みという感じなんだよな。
だからわりと沿岸部というか、奥地とかではないと思うんだが…絞りきれないな。
大外れ。誤差は1496km。1835pt。もっと南部だった。
いや、言い訳なんだが、正解地点は地図で重点的に見ていたあたりだったんだよな。
それで見つからなかったから、逆にそこから離れたところで回答したんだが…単純な見落としか…。
小さな田舎町という感じ。木々を見るかぎり緯度は高め。北欧っぽい雰囲気。
「LOPÚCHOV」という標識が立っている。町の名前だろうか。東欧っぽい響きだが。
とりあえず町を出てみたが、何もない緑の丘が広がってるなあ。
しばらく進むと次の町。標識に「RASLAVICE」。LOPÚCHOVよりはちょっと大きい町だ。
標識に「Prešov」「Bardejov」「Koprivnica」といった地名。
広告に書かれていたメールアドレスが.skドメイン。skってなんだ、スロバキア?
誤差は40m。5000ptだった。
似たような白い家の並ぶ、計画的に開発された感じの町だが、その町全体がごつめの岩山に囲まれている感じ。
道路標識の感じはアメリカだが…「Grand Coulee Dam」という標識も立っている。
確かに大きなダムがある。この町が「Coulee」だか「Coulee Dam」だか言うらしい。
標識によると、北に行けば「Omak」、南に行くと「Seattle」「Spokane」らしい。
そして南というより東のSeattle・西のSpokaneのちょうど中間あたりに「Coulee Dam」を発見。
ダムや橋の位置から推測して回答。誤差は25m。5000ptだった。
南国っぽい開放的な感じ。幅の広い石畳の道。背の低い街路樹。観光地のような町並み。
高い建物がなく、少し離れたところにある教会っぽい建物がいちばん立派か。
町の入口のアーチに「POÇO DE JOSÉ DE MOURA」と書いてある。たぶん町の名前だが。
町を出ると道も舗装されていなくて一気に鄙びる。不思議な場所だ。
1問目とは逆になんか奥地のほうに局地的に町ができてるって感じか?
いやもうぜんぜん分からんので回答。
ブラジルは合ってたが、わりと海の方だった。
道路は舗装されているものの何もなさそうな山道。また面倒くさそう。
だが道路脇の標識に「California」とある。本当か。信じるぞ。
南西に進むと「A.J.JOLLY ELEMENTARY SCHOOL」があった。
こんな山奥に通う子供がいるのか…?
ようやくちょっと開けたところに出た。まともな道路標識もある。「Augusta」「Newport」。
仕方がないのでカリフォルニア州の山のあたりで回答したら、シンシナティの近くの「カリフォルニア」という町が正解だった。
ふざけとんのか!
誤差は3213km。580ptだった。
そんなのどうでもいいだろ…いや良くない、以前自分の家族がこれやってたので不愉快だったし逮捕事例があると言って止めさせた。
…けどやっぱどうでもいいんだよこんなの。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/53ce68ff885c04097de63c3ced07f95e9e29a31a
増田はTV見ないんだが、たまに夕方のニュース見るとこういうマナー的なものを糾弾するのが多くてうんざりする。
多分TVいつも見てる人は麻痺して気にならないかと思われるが、たまにしか見ないと異常性が際立って見える。
しかも夕方のニュースではこの手のネタの比率が高い。その上政治経済国際といったニュースはあっさりしか触れないし詳細な解説を付けるでもない。見識が全くないのだ。
だから「これ見てるのって脳みそが蕩けだしたオヤジとか働いたことがない主婦なの?」という印象が強くなる。大人の鑑賞に耐えられるレベルじゃねぇ。
で、舅小姑ネタはルポルタージュやドキュメンタリ形式で15分ぐらい掛けてやる。ポリ袋持ってくのいけませんねぇキャベツ触って戻すのいけませんねぇと憤る為に15分掛けんなよ。そこまでの問題じゃないだろ。
大体、スーパーでインタビューしたら取材者に阿って「べたべた触って不潔です」みたいな事を言うに決まってる。日本人なんだから。フランスで同じことやってみろや。
ルポルタージュってのは表層的ニュースじゃ落ちてしまう深層を抉りだすための形式なのよ。小姑の為のものじゃない。
小姑ルポに並んで6時のニュースで人気なのがドライブレコーダーネタだ。
これが煽り運転事故のようなものなら世間にアピールする価値はある。
だが単に危ない運転、迷惑な運転などを放送する理由ってあるのか?単に小さい憤りと小さい糾弾を集めて「バズる」ダメだけのものじゃないんか?
更に外国の事故映像に至っては単に映像が衝撃的というだけで、「ザ・ショックス」みたいなモンド番組と動機が同じだ。
6時のニュース番組はアジェンダセッティングの機能を全然果たしていない。
この最前線がFNN(フジTV)で、小姑ニュースとドラレコ映像ばかりだ。
FNNは全国ニュースネットで断トツに取材力と実力が無く、外信との提携もない。故に東欧崩壊時のニュース番組乱立時も箸にも棒にもかからずその後も質が断トツで低いまま。311で取材力が無いので延々と被災者の涙を引き出そうとした映像を流して炎上した事もある。
そんな箸棒FNNが飛びついたのが小姑ドラレコ路線で、YoutubeのFNN動画には脳みそが蕩けた舅小姑のコメばかりが並んでいる。
例えば、右折車が向こうから横断してくる歩行者を気付かず轢いてしまったとする。それをそのまま流せば脳トロ舅の「こんなやつからは免許取り上げろ」のコメにイイネ!500とかとなる。
でも「最近の車は衝撃安全性の為にAピラーが太くなっていてミニバン形式だとAピラーの全部が顔に近いので死角が大きい。右折時に歩行者が歩いてくるとこの死角に入った状態が継続する」と説明すればニューバリューは上がる。ニュースのアジェンダってこういうのだろ。
教習所や免許更新のビデオでもこういう例を流す。これは「危険性の類型を覚えて考えて運転しろ」という事だ。
でもそんな建設的な事をやってしまうと脳トロジジイ達のキャパを超える。何よりアイツらの「考えずに刺激に反応して憤って気軽に気持ちよくなりたい」というガキみたいな欲求を挫いていしまう。
だからFNNではそんな客層に冷や水を掛けるような残酷なことはしない。
そんなこんなでFNNのYoutube動画には脳トロジジ達の失禁痕のようなくっさいコメントが今日も並ぶのであった。
こういうドラレコ憤りは今やFNNだけじゃなくてYoutubeで大流行ジャンルで、Youtubeに言語日本語でアクセスするとレベルがぐっと下がる原因になっている。
コメントは大人のものか?と疑うような阿呆なものばかり。免許持ってるなら事故に至った原因を探求する見方すればいいはずだが、反射的なコメントが人気だ。
こういう人らが脳トロになった原因って、2chのニュース速報→まとめブログと流れてきたせいじゃないの?
で、それらに迎合した6時のニュースやらFNNやらがああなってるんじゃねーのですかい?
6時の小姑ニュースで最悪だと思ったのが数年前にあった、河原で誰かがガンダムの大きい彫刻作ってるってニュース。
Twitterじゃ単に変人が居るらしいwって扱いだったが、それを6時のニュースで取り上げて、河川局に聞きに行った。
河川局としては河原にモノを設置しちゃダメって建前があるから「これは撤去するしか」って話になりますな。
でもこんなものどっかの変人のやる事で放っておけばいいし、河川局にカメラ持ち込んで聞いたら建前上ダメっていうしかない。
そこまで考えたらこんな取材すべきじゃなかったのだが、このニュースではそれが当然みたいな扱いだった。成り行きで大げさなことになったのでそれを肯定して製作者を断罪、みたいな構成にしたってのが見て取れる。
そういうわけで、はてなーもポリ袋泥とか「あれクソだよな」という気持ちが刺激されても、そこで反応して書き込むとそういう記事のPVが上がる原因を作って下らねぇ小姑ニュースが増える動機付けを形成する事になるし、自分も気が付きゃ脳トロジジババの仲間入りよ。はてな社が対処するまで痛ニューが毎日ホッテントリはいってた頃もあったのを忘れない方がいいよ。
でもウクライナのEU・NATO加入(を目指す動き)が戦争の引き金になったのは事実だしね(別にウクライナが悪いという話ではなく客観的事実として)。
たとえば日本が憲法9条を改正して自衛隊を「日本軍」にして、短期間で軍事費を何倍にもしてアメリカ以外とも軍事同盟を強化していったとき、それで現実的に中国は大人しくなるだろうか?
ならないよね。
「軍備を増強すれば相手は手を出してこない」というほうが理想論で、現実には逆に相手は過激化する、むしろ戦争の引き金にさえなりうる、ということがウクライナで証明されてしまった。
いま東欧・北欧諸国がNATOに加入にしたがってるのも、「近隣で銃乱射事件が起きたからとりあえず銃買っといた」みたいなパニック的な行動であり、「みんなが銃を持ってたら銃乱射事件は起きないよ」なんていうお花畑論は全米ライフル協会くらいしか信じてないと思うけどね。
それは国内(ローカル)と世界(グローバル)をうまく使い分けているからだと思う。
実際国際的な話と国内の話を区別して比較しながら話すのは難しい一方でごちゃまぜにしながら誤魔化すのは簡単なのである。
海外ではーなどという言葉山上事件以前よく見かけたと思うが海外は日本以外の国を指す言葉であり欧米はヨーロッパと北米を指す言葉である。
さらにヨーロッパには西欧東欧中欧がある。これに当てはまれば嘘でもデマでもなんでもないわけである。事実なんだから指摘しようがない認識を間違えた受け手側の負けである。アメリカ人がアジアではーと言った場合日本中国韓国その他アジア諸国どこを指してもいいのと同じ事だ。
実際アメリカ人の多くは日本人と中国人の区別はつかない。イランイラク戦争というのがあったがイラン人とイラク人の区別を多くの日本人はつくかい?地図を見てここがイラクでここがイランだと指で指せるかい?
これが国内問題と国際問題を同時にやってくことの政権のメリットであり、旧民主党はこれがからっきしダメだった。こういったペテンスキルを持っていなかった。メディアとの精通も敗因だろう、安倍はここだけは100点だった。
女一人旅を満喫する過去20年を送っている中年です。日本と海外と安全快適に女一人旅をする勘所は大体同じです。
国内の場合最低限ビジホを選ぶこと。大都市で5千円以下の宿は輩遭遇リスクが高過ぎる。安全の為に地方都市であれば6~9千円レンジのビジホをお勧めする。ビジホでも1万前後ぐらいの価格帯チェーンを選ぶと、例えホテル内のランドリーに酔っ払ったおっさんが居たとして、そのオッサンはご機嫌にビートルズを英語で鼻歌歌えるある程度偏差値が高そうな具合。ただ、輩リスクは少ないがストーカー等のヤバい奴はあるかもしれない。フロントマンの仕事ぶりがこういう時は大事です。「一人でも食事、飲みに行けるお勧めの居酒屋」とかフロントに聞いたりなどレベルチェックをすると良いかもしれない。
海外でも同じで、一晩あたり100ドルを切るローカル宿はやめとけという感じ。より安全を担保したいのであれば欧米資本のグローバルチェーンホテルをお勧めする。発展途上国ほど、ヒルトンやマリオットの方が良い。ヒルトンやマリオットに泊まらなくても、例えば夜間に移動する必要がある場合の安全なタクシー手配等は、ヒルトンやマリオットといった欧米資本のグローバルチェーンホテルに行くと良い。綺麗な格好してふらっと入ってベルマンにちょっとタクシー呼んでください、と頼めば別に泊ってなくたっていいです。
海外の女一人旅は国にもよるが欧州や北米の先進国だと問題になるのがあちらは「基本カップル文化圏」なのでバーやカフェなどに中年ボッチ女一人いるとちょっと目立ってしまったりナンパがうざいというのはある。目立たないようにするためには、文庫本を持っていくと良い。本を読んでいる人を熱心にナンパする人は少ないし、周囲と軽くトークするとしてもひとりぼっちで間が持たないというのを回避できる。
東欧や旧ソ連圏などそこそこ治安がよろしくないところにも行きましたがこの対処で危ない目にあったことは無いです。
なお海外旅行の手配をすべて個人でする場合、ホテルをネット予約すると語学力があったとしてもブッキングサイトの評価がほんとにその通りか?は鵜呑みには出来ないです。ブッキングサイトに載ってて予約してあっても現地着いたら「存在しない」とかもあり得ます。ので、個人手配するのは良いとしても、安全度等を判断するためのベンチマークとして、大手旅行代理店のパッケージツアーカタログを参照するとよいです。例えばJTB等は、欧州どこどこツアーの場合ホテルランクによって金額が動くのですが、ホテルランクは4★はこれらのホテル、3★はこれ、とそれぞれのランクの現地ホテルがリストアップされてるので、自分が予約したローカル宿が乗ってれば判断に役立ちます。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
傷ついた。
宗教2世は親と一緒に好きでイベントに参加して、やりがいを感じている人も多いのに。
番組であたかも宗教2世全員が不幸で嫌な目に遭っているかのように言っていて、傷つく。
あと、障がいのある弟と二人三脚で生きていこうとしている人が、ヤングケアラーときょうだい児の特集で傷ついてた。
好きで助け合いをやっているきょうだいも多いのに、全員が親に強制されてやらされているように番組で言う。
そもそもケアを悪いものとして扱うのは、障がい者差別につながりかねない。
好きなアイデンティティを、馬鹿にしてきたり、嫌々押し付けられたように言っている番組が、傷つく。
1968年 世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が国際勝共連合を設立
1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]。
また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清、箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[16]。
1986年の第38回、1990年(平成2年)の第39回、1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子[17] は、霊感商法の霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている[18]。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[19] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない」[20] と歯切れの悪い回答を残している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%88
統一教会においては「天皇であろうが大臣であろうが、祝福(合同結婚式)を受けないと救われない」と教えられている。(中略)それにしても皇太子を伝道師、合同結婚式に出ることも「夢の様な話ですが、これは可能なこと」という文鮮明教祖の発言について、「勝共文化人」と呼ばれてきた人たちは、どう答えるのだろうか。
共産主義に対抗し、勝利することを使命として連帯してきた彼らは、多くの場合、熱烈な民族主義者でもあり、皇室崇拝論を展開してきた。勝共連合の背景にこんな「教え」があったことを知っていたのだろうか。
92年の合同結婚式直前に、『産経新聞』(8月12日付)は、「私たちは〝国際合同結婚式〟を応援します」という意見広告を掲載した。そこには大学教授や評論家たち97人が名前を連ねた(もっとも勝手に名前を使われた人もいたが)。この広告を出したのは「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」。世話人には政治評論家の細川隆一郎氏がいた。細川氏は、90年4月10日から13日までモスクワで開かれた世界言論人会議(文鮮明教祖が主催)にも参加している。文教祖の発言について聞くと、こんな答えが戻ってきた。
「まったく話になりません。論評する必要もなく、皇室を侮辱するものです。(中略)こんなことを言うとは、失礼極まりない。余計なお世話もいいところです」
あれは、桜田淳子さんの結婚をおめでたい、とお祝いしただけですよ」
(中略)
「勝共を応援する会」の活動を熱心に行ってきた一人に木内信胤氏がいる。木内氏はこの会の会長を長年務めてきた。「勝共を応援する会」とは、統一教会の友好団体である国際勝共連合を応援する団体である。
この木内氏は、ソ連、東欧の急変を目の当たりにして「我々応援する会としては、目得たく解散すべきものである」ということを、国際勝共連合の名称変更とともに久保木会長(統一教会および国際勝共連合の会長だった)に申し入れていた。ところが久保木氏からはっきりした返事だなかったため、木内氏は国際勝共連合と袂を分かった。その理由を木内氏はこう書いている。
〈共産主義が今日の状態になつたにも拘らず、引き続いて『国際勝共連合』と関係をもつといふことは、自然に文鮮明という方の特殊な宗教的な活動の片棒を担ぐことになる。そのことを私としては、厳密に避けたいと考へたからに他なりません〉(『私の宗教観』91年)
(中略)
木内氏は、問題の文鮮明発言についてこう語っている。 「こういう発言は無視すればいいんです。黙殺するのがいい。ああいう人間とは議論すべきじゃありません。私はソ連がこうなる前に勝共連合はやめました。統一教会とも文鮮明ともとっくに縁を切っている。もう反共などという時代じゃないし、それよりも文鮮明がヘンテコリンな男であることも分かって縁を切りました」
統一教会のこんな韓国中心主義に対して、民族派からの反発は強い。一水会の木村三浩書記長は、統一教会会員が国会議員の秘書になっていることをふくめてこう語る。
統一教会の阿部令子が渡辺美智雄の秘蔵っ子として登場して、自民党の公認で選挙に出た。当選には至らなかったけれど、自分たちが立ってだめだったら、まずは秘書として政権の中に入って、情報収集や懐柔をし、人脈や金脈を作っていこうというのではないですか。私たちが統一協会を批判するのは、天皇陛下の問題はもちろんですが、日本が過去に朝鮮を侵略した誤りにつけこんで韓国中心を唱えるのは独善だということです。しかも、これが文鮮明の利害のためとくればなおさらです。私たちは、ここの統一教会員に対してはむしろ哀れぐらいに思っています。人に対してではなく、その教義、さらに贖罪意識に乗ったやり方に抗議しているんです」
こういった批判は、一水会だけではない。戦前からの右翼で文鮮明や久保木修己とも親しかった畑時夫の証言を聞こう。 畑に言わせれば、文鮮明は「宗教を軸にした国際的錬金師」だと言う。私たちの前で、ある統一教会幹部に電話してくれた畑は、統一教会員が国会議員秘書にどれくらい入っているのかを聞いてくれた。その相手は「以前ほどではないが相当送り込んでいる」と答えている。
「勝共ということで日本の政治家はだまされた。これが統一教会ということなら、政治家もこれほどまでは接近しなかっただろう」というのが、国会議員に統一教会が浸透できた理由だと畑は見る。
それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。
安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているのである。
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/12d4d733eaea2d590f8b73716ce042ab/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/37e6d95f53187d5d2f48ab8bdb281d81/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/695fe400235e6e5706874dc9a7e17167/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/1230584c94947653d0e01007c631dc13/
霊感商法や集団結婚などの被害が長く社会問題になっている旧統一協会(世界平和統一家庭連合に改称)に関連する団体が開いた大規模集会に安倍晋三前首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと演説していたことが17日までに分かりました。旧統一協会が勧誘活動や宣伝に利用することで新たな被害につながるおそれがあり、安倍氏の道義的責任が問われます。
安倍氏がビデオメッセージで演説したのは、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで12日に開いた集会「シンクタンク2022 希望前進大会」です。UPFは統一協会の開祖である文鮮明(故人)と、その妻で現家庭連合総裁の韓鶴子が2005年にニューヨークで創設したNGOです。
同集会では、トランプ前米国大統領に続いて左胸に議員バッジをつけた安倍氏が会場の大型スクリーンに映し出され、約5分間の演説をしました。
安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、次のような発言をしました。
「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」。実質的なトップの名をあげ、旧統一協会を称賛した形です。
旧統一協会と一体の右翼団体「勝共連合」は、ジェンダー平等を「社会における男女のあり方、そして家庭のあり方を根本から変えてしまおうという危険な思想」としています。
安倍氏の演説の中で目立ったのは、旧統一協会の思想にある家族観への共鳴です。
安倍氏は「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」と褒め上げ、その上で「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と呼びかけました。
ジェンダー平等などを「偏った価値観」とみなし、個人を尊重する社会を目指す運動を非難するのは異様と言えますが、同集会の司会者は「たいへん感動的な演説」と評価しました。
本紙の取材にUPFジャパン(東京都新宿区)は、米国のUPFインターナショナルと「ワシントン・タイムズ」(旧統一協会系メディア)が安倍氏側にビデオメッセージを依頼したと説明しました。
旧統一協会系集会にメッセージ/安倍前首相「総裁に敬意」/宣伝利用で霊感商法被害拡大の恐れ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-18/2021091815_01_0.html