はてなキーワード: 小路とは
日常系のサブジャンルとして最も注目されているのが女子高生が男の趣味をやるタイプ――『けいおん!』や『ゆるキャン△』、今季だと『スーパーカブ』がある。
女子高生が鉄道ファンをやる漫画がまんがタイムきららMAXに掲載されている。
その名も『初恋*れ~るとりっぷ』。作者は永山ゆうのん。作者の名前なら『Summer Pockets』で知った人もいるはず。
タイトルが示す通り、仙台を舞台に鉄道と旅行をテーマにした4コマ漫画。仙台にある駅や観光スポットから踏切まで出てくる。
現在は、きららアニメと深いつながりのある叡山電鉄とのコラボで描き下ろし小冊子が配布されており、ヨドバシカメラマルチメディア仙台では壁面がれ~るとりっぷ仕様になっている。
単行本の20ページまで電子書籍サイトで公開されているが、ニコニコ漫画では1巻の1話から8話まで公開されている。
初恋*れ〜るとりっぷ / 永山ゆうのん おすすめ無料漫画 - ニコニコ漫画
天満そらは、小さい頃に電車の中で面倒を見てくれた「お姉さん」を追って鐘ノ台高校に入学。しかし、その「お姉さん」はすでに高校を卒業していることに気づき落胆していたところでまひろ先生に出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
鉄道は苦手だが、なんだかんだで部活を楽しんで克服してきている。
ピンクの髪を水色のリボンでくくったツインテール。いつも、ニーハイソックスを履いている。
小さい頃、電車の中で泣いていた自分の面倒を見てくれた「お姉さん」を探すために、とわちゃんとともに鐘ノ台高校に入学。「お姉さん」からもらった切符を大切にしている。
しかし、この「お姉さん」の話は8年前で、すでに高校を卒業していた。そのことに気づき落胆しているところでまひろ先生と出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と思い出の切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
最初は、まひろ先生のために頑張る健気な女の子という印象だったが、話が進むうちに「オタサーの姫」、いや「オタサーの百合姫」と呼ばれそうな気がしてきた。
女子高生が特定の趣味をやる作品は、おっさんの美少女化もとい、鉄オタの美少女化と言われる風潮があるけど、そらちゃんに限っては正真正銘の女の子に違いない。
鐘ノ台高校の教師。担当教科は美術。鉄道部と美術部の顧問を掛け持ちしている。
廃部寸前の鉄道部の部員探しに奔走していたところ、そらととわに出会う。
筋金入りの鉄道ファンで、部室にはまひろ先生のコレクションがいっぱいある。
校内の服装は不思議な国のアリスを彷彿させる。金髪碧眼に青いカチューシャ、青いワンピースに白いエプロン、そして、黒い車掌かばん。
そらちゃんが探していた「お姉さん」の正体。しかし、正体が分かったときの出落ち感が半端ない。なぜなら、見た目があまりにも幼いから。そらちゃんと同い年に見える。
作中でもその見た目の幼さが言及されて高校の制服を着るネタがあるけど、高校生どころか、小学生に見える。
だから、まひろ先生の初登場シーンでは、ツッコミのコメントが殺到するに違いない。こんな感じで。
「合法」
「お姉さんとは何なのか」
「とわちゃんのほうがよっぽどお姉さんだろ」「いや、あれはママだろ」
『テニスの王子様』や『スラムダンク』とコラボしたら大変なことになりそう。おっさんたちが多人数で一人の幼女を囲む構図が見えて色々と危ない。
おそらく、作者の性癖が最も現れているキャラ。前作にも見た目の幼い教師が出てきたし、作者の看板娘には飛び級した教師もいる。
まず、きららでは女子学生の部活や日常を描く作品で、メインキャラの教師はまず見かけない。
また、見た目の幼い女子学生がそのまま教師になったキャラは、きららでも非常に珍しい。少なくともアニメ化したきらら作品ではまずいない。
きららには、たいてい年不相応に見た目が幼いキャラが必ずと言っていいほど出てくる。しかし、教師になると、年相応の見た目でどころか、メインの女子学生よりも大きめの体型になる。
したがって、まひろ先生は、きららでは割と斬新なキャラだと言える。
見た目が幼く、性格も子どもっぽいが、面倒見が良いため、そこに母性を感じるかもしれない。
黒髪ロングのおっとりお姉さんだが、別に鬼畜要素があるわけではない。
料理を食べることも作ることも好きな健啖家。それが高じて、入部後には駅弁に詳しい駅弁鉄になる。
恋愛感情に敏感で、百合ップルを見るのが好き。そらちゃんを応援している。
ゆるキャンだと、各務原なでしこと犬山あおいを足して割ったような感じ。
まひろ先生の妹。
姉とは対照的に年相応の見た目で、長い金髪を赤いリボンでくくってポニーテールにしている。
最初は、鉄道の知識が豊富でないと鉄道部に入れないと勘違いしていたが、そらちゃんととわちゃんに説得され、鉄道部に入部する。
時刻表が大好きな時刻表鉄。部活では時刻表を読んで暗記している。
強気な性格で、作中のツッコミ役。ただし、本人も少し抜けているところもある。
姉のまひろ先生に憧れているが素直になれず、ツンツンしている。
地下鉄でそらちゃんと乗っているとき、まひろ先生への好意をそらちゃんとの秘密にするために「おねえちゃんだいすき同盟」を組む。
おとなしい性格で、語尾に「~だよ」と付けるのが口癖。
発車メロディや電車のモーター音に詳しい音鉄。その他、鉄道知識にも詳しい。鉄道の話になると、まれにオタク特有の早口になる。
最初は、鉄道趣味は一人で楽しむものだと考えていて鉄道部から距離をとっていたが、鉄道が苦手なのに入部したそらちゃんに興味を示し入部。廃部寸前の鉄道部を救った。
普段の表情と感情を露わになったときの表情のギャップが魅力。それが最も現れた1巻の温泉回や2巻の横浜回は必見。
ごちうさやきんモザにも言えるけど、かわいい女の子がかわいい事をする漫画を読むと、読んでいるだけで幸せになれる。
まひろ先生が出てきたとき「幼すぎんだろ…」と突っ込んだけど、この子がそらちゃんが憧れている「お姉さん」の正体だと分かると「お姉さんとは何なのか」と言いたくなった。
そらちゃんは、恋と鉄道を頑張る健気な女の子という印象だったけど、2巻で人間関係が進んでいくにつれて、ある意味ヤバいと感じた。
琥珀ちゃんは、普段の表情と感情を露わにしたときの表情のギャップがたまらない。1巻の温泉回と2巻の横浜回は必見。
「鉄道と旅行というテーマ」と「かわいい女の子がかわいい事をする」という塩梅がちゃんとできている。
きららの部活ものは後者に傾倒してテーマがおろそかになりがちだと言われるけど、だからといって前者に傾倒すると「オタクの早口言葉」や「学校の居眠り授業」のようになってしまう。
この漫画は読んでいるだけで幸福感が得られると前述したけど、鉄道ファンからの評価も高い。連載開始時点で聖地巡礼する人が出てくるレベル。
ちなみに、いまのところ撮り鉄は出ていない。
どちらかというと鉄道よりも旅行の要素のほうが大きいかな。まさに『かわいい世界の車窓から』。
鉄道をテーマにしていると、どうしても鉄道界隈の人間が読む漫画だと思われがちだ。
しかし、鉄道界隈にいない人でも十分に楽しめる作品だ。癒やされる。かわいい女の子たちのかわいいやり取りを見るのが好きな人は、ぜひ読んでもらいたいところだ。
めぞん一刻では、一人旅に出た五代が響子以外の女性を相手に初体験を遂げるという筋書きを、作者の高橋留美子は考えたと聞いたことがある。結局のところ、五代は悪友に誘われてソープランドに行ったが。
当時、男性が主人公に据えられたラブコメ作品は、主人公にとってヒロインは最初で最後の女性であるという形式が主流だったと思う。しかし、めぞん一刻のヒロインである響子は、主人公以外の男性を知っているという意味では主流から外れていた。一人旅の旅先で初体験をするというアイデアも、物語の結末で最終的に結ばれる相手以外の異性を知っているという意味で、五代と響子を対等な関係にするという意図が有ったのだろう。
うる星やつらも、ヒロインのラムは主人公の諸星あたる以外の男を知っているので、この点は音無響子と同じである。しかも、おそらくラムが元彼のレイと付き合ったのは、単にレイがイケメンだった(※人間形態時)からである。その上、後から登場するテンの存在は、実際の作品上での設定はラムのイトコであるが、要するにコブ付きの結婚や男女交際のメタファーであることは想像に難くない。
絵柄がかわいいし、ほとんどの場面では虎縞ビキニ姿というセクシーな姿で描かれているから忘れがちであるが、そもそもラムは別に、男性にとっての理想的ヒロインではない。当初はヒロインとして三宅しのぶが予定されていたが、読者の反応が良かったからラムにヒロインの座が回ったという意味で言うのではない。
味覚の好みは異なるし、コブ付きだし、すぐ暴力を振るうし、元彼を選んだ理由は面食いだからだし、要するにラムは普通の、愚かな部分も併せ持つ女性なのである。これは別に悪口で言っているのではない。
うる星やつらもめぞん一刻も、そこで描かれる男女たちは均しく愚かである。現実世界の我々と変わらず、彼らは等身大の人間である。もちろんうる星やつらに登場するのは宇宙人だの幽霊だ大財閥の跡取りだの様々だが、私が言いたいことは分かってもらえるはずだ。
彼らは、人間の逃れ得ぬ本質として、欲望だって持っているし愚かだから、若さゆえに何となく見た目で相手を選んで交際に踏み切って、結果として失敗したりもする。音無響子が高校を卒業して間もなく、母校の教師だった惣一郎さんとの交際・結婚に至ったのだって、ある程度は響子の若さゆえの未熟さや愚かさに起因する暴走という側面が有ったであろうと思う。読者も大人になると、響子の父親が惣一郎さんとの結婚に反対だったことにも何となく共感できるようになる。卒業まで待ったとはいえ、教え子に手を出した形だし。しかし、人間は生きていれば色々有るものである。元カレや元カノがいたり、周囲から良く言われない交際や結婚をしたりするのも、よく有る、ありふれた話である。
話が少し逸れたが、男性作家・編集者が男性読者向けに作る作品で、ヒロインが主人公以外の男性経験が無いとか、逆に主人公が最終的に結ばれるヒロイン以外の女性を知らないように描かれることは、当時から既にウソ臭い描写になりつつあった。だからこそ高橋留美子は、ラムや音無響子のヒロイン設計に一癖を持たせたし、五代にも響子以外の女性との性体験を持たせようとしたのだろう。
作者である高橋留美子は、作品を通じて「それで良いのだ」と言っている。人間は、生きているかぎり失敗だってするものである。しかし、そんな愚かさも含めて、だからこそ、人間は愛おしい存在なのである、と。
高橋留美子作品のヒットを受けて雨後の筍のように、美少女や美女が大勢登場する後続漫画作品が多数生まれたが、このような人間の内面に対する理解や暖かい(しかし生温くはない)人間観までも見習うことができた後続漫画作品は少なかったと今でも思う。
ここではヒロインたちのことばかり書いてしまったが、もちろん男性キャラたちも平等に馬鹿な感じで描かれている。梅を口にして酔っ払ったラムが、教室で学校の制服を脱ぎ出したの見て、男子生徒たちが興奮で色めき立つと、それを見た女子生徒たちが「バカじゃないの?普段着姿(虎縞ビキニ)になっただけじゃん」と呆れる場面。水乃小路家の一人娘(トンちゃんの妹)との見合い話を渋る面倒終太郎に「もったいない。婚約して許婚になれば堂々とすけべえができるのに」と身も蓋もない誘惑の言葉を面倒の父親が言う場面。これらの場面やキャラを描きながら、しようがない困った奴らだなと作者は苦笑しつつも温かい眼差しを注いでいたのだろうと、ついつい想像してしまう。
ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜ひのきのまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。
坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影かげぼうしは、だんだん濃こく黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ふったり、ジョバンニの横の方へまわって来るのでした。
(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配こうばいだから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越こす。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た。)
とジョバンニが思いながら、大股おおまたにその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖とがったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路こうじから出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫さけびました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向うのひばの植った家の中へはいっていました。
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠ねずみのようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ。」
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯あかりや木の枝えだで、すっかりきれいに飾かざられた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼めが、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子ガラスの盤ばんに載のって星のようにゆっくり循めぐったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形だえんけいのなかにめぐってあらわれるようになって居おりやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発ばくはつして湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしろには三本の脚あしのついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたしいちばんうしろの壁かべには空じゅうの星座をふしぎな獣けものや蛇へびや魚や瓶びんの形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蝎さそりだの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立って居ました。
それから俄にわかにお母さんの牛乳のことを思いだしてジョバンニはその店をはなれました。そしてきゅうくつな上着の肩かたを気にしながらそれでもわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。
空気は澄すみきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢ならの枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山たくさんの豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛くちぶえを吹ふいたり、
「ケンタウルス、露つゆをふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。けれどもジョバンニは、いつかまた深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。
ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本いくほんも幾本も、高く星ぞらに浮うかんでいるところに来ていました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂においのするうすくらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子ぼうしをぬいで「今晩は、」と云いましたら、家の中はしぃんとして誰たれも居たようではありませんでした。
「今晩は、ごめんなさい。」ジョバンニはまっすぐに立ってまた叫びました。するとしばらくたってから、年老とった女の人が、どこか工合ぐあいが悪いようにそろそろと出て来て何か用かと口の中で云いました。
「あの、今日、牛乳が僕ぼく※[#小書き平仮名ん、168-12]とこへ来なかったので、貰もらいにあがったんです。」ジョバンニが一生けん命勢いきおいよく云いました。
「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さい。」
その人は、赤い眼の下のとこを擦こすりながら、ジョバンニを見おろして云いました。
「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでした。
「そうですか。ではありがとう。」ジョバンニは、お辞儀じぎをして台所から出ました。
十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火あかりを持ってやって来るのを見ました。その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。ジョバンニの同級の子供らだったのです。ジョバンニは思わずどきっとして戻もどろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっちへ歩いて行きました。
「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、急いで行きすぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラが居たのです。カムパネルラは気の毒そうに、だまって少しわらって、怒おこらないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
ジョバンニは、遁にげるようにその眼を避さけ、そしてカムパネルラのせいの高いかたちが過ぎて行って間もなく、みんなはてんでに口笛を吹きました。町かどを曲るとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。そしてカムパネルラもまた、高く口笛を吹いて向うにぼんやり見える橋の方へ歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん跳とんでいた小さな子供らは、ジョバンニが面白おもしろくてかけるのだと思ってわあいと叫びました。まもなくジョバンニは黒い丘おかの方へ急ぎました。
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処 やぶら小路の藪柑子 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イクルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッターナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシット・ピカソ
二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。
和食さとでは刺身と天ぷらといくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。
店を出て先の地図の記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれ、セメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。
次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形の区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民に迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。
その区画の境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪(つきのわ)だという。
この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。
その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的な怪談の舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。
やがて参道が果て、二つ目の鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からはわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方から微かにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったから幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。
正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。
東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめでもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。
ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路を下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々とホテルへと向かう。
しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意は限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路や建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所の存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かに「トイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンのライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。
風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。
翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。
日の光の下では龍王神社はありふれた田舎の神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。
(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)
昔こういう企画はVシネマでしか見かけなかったのに、時代は変わるもんだ。
という冗談はさておき。
今や2大VTuber事務所に成長したにじさんじとホロライブが、奇しくも同時期に新人女性VTuber5人組をデビューさせた。
で、このご時世どこにも行けずヒマなこともあり、10人全員の初配信を見てみた。
双方の戦隊()の方向性の違い以前に、配信者のポテンシャルや画作りの質で圧倒されてしまう。
それくらい、今のホロライブの採用とプロデュースが、神懸り的に噛み合っているというか。
それこそ尾丸ポルカなんて「お前今度こそ天下取れよ」と言わずにはいられないわけで。
まあ、世界中のキモオタからスパチャを毟り取る野望を持つホロライブのことだから、これくらいは先行投資として当然なんだろう。
だって結構なカネ取るわけだから、払うだけの付加価値がないとっていう。
そんなこんなで目的がどうあれ、結果的に色々クリエイティブなことやれていると。
とはいえ、にじさんじの子らも「ギャルとチンピラの寄合所帯」みたいな現状に対する新風にはなりそうだけど。
実際、Live2Dをデビュー前に漏洩させた件で謝罪来てるし、しかも、お子様が不自然な内容の原稿読んでる+舌足らず感が酷すぎるし。
某所に上がってた、去年のツイキャスと思しき配信の録音でも、社会人経験皆無としか思えない発言がバンバン出てたし、引退したにじさんじ所属のVTuberのこともベラベラ喋ってたりと非常識極まりなかったので、こうなったのは無理ないかな。
正直、即解雇ヘタすりゃ損害賠償請求来てもおかしくないのが、ここまで甘々な処分で済んだのが奇跡むしろこんな奴残しといて大丈夫か?ってくらいの話なので、これから心入れ替えて頑張ってというか、マジで今後絶対他所に迷惑かけんなよって感じ。
まあ、誰にでも若い時期はあるし、採用したカバー側もガバ過ぎる(google並にエグそうな反面、とんでもなく迂闊なところもある)と言えるし。
ほろふぁいぶさんのほうはまだあまり見ることができてないので避けますが、せれ女のほうはヒスピさんがクリティカルでした。同期コラボも始まるみたいでたのしみ。
こっちは逆にせれ女の方をあんまり見れていないのだが、確かに北小路さんは歌つよつよなうえに器用万能感がヤバいね。
歌もミュージカル出身ぽいのが個人的に好み?昼小路/夜小路も用意がいい・センスがいい。
それにしても同期コラボまだー?という感じではある。自分も早くコラボ見たいわ。
まあまずはピンでじっくりキャラ立ちさせてって流れなのかもしれんし、「てぇてぇ」を売りにしているホロライブのコラボとは色々違うんだろうなーと。
ほろふぁいぶは、ねねちゃんのオタクでありつつも人懐っこくてニュートラルな感性がツボだったかな。何より本人が雑談で心底楽しそうに配信していたのがgood。
どちらもまだちゃんとは見てないけど、(大物)転生者がそれぞれのリーダー格っぽいのが面白いなと思った。尾丸ポルカならワンチャン魔乃アロエを救えるかもしれない。知らんけど。
双方のリーダー格とも、5人の中では抜きん出た配信力で甲乙つけがたいわ。まさしく東西横綱級の「強くてニューゲーム」系。
このうち尾丸ポルカは、先に初配信だった西園チグサの配信内容を踏まえて、自身の配信内容を変えるとか、よく行き届いていると感心したよ。
以降、両者ともあの手この手でネタを繰り出して、既にそれぞれの箱のファンの間でレジェンドになりつつあるし、大物っぷりがマジで凄い。
特定の性別や嗜好や趣味やなんやかんやを叩く為に書いてはいない
夏に遭った妖怪がおり、未だ夏になると思い出して気分が沈むのでネットの海に流して供養したい、そういう話だよ
オカルト話を期待した人はごめんね
■悪魔爺
趣味を同じくする友人らと遊んだ帰り道、此方を見て悪魔だと罵倒する爺に遭遇した。
一行で済む話なのだが、供養であるのでもう少し語りたい。語るね。
その当時私は二十歳手前くらいの年頃だった。
高校生活は闇色を煮詰めた肥溜めのような暗鬱たる日々だった。要するにカースト最底辺のクソ陰キャだった。
しかしインターネットを通じて共通の趣味を持つ他人と出逢い、親交を得て、なんだ生きるの楽しいじゃん、広いじゃん世界、インターネットありがとう、という救済を得てもいた。
インターネットの海は広く、必然的に現実世界での住所は遠い事が多く、オフ会となれば一大イベントだった。
少なくとも当時の私にとってはそうだった。
大学には行かず就職をする道を選び、そこで働いて得た給料を握り締め、バスに乗り電車に乗り飛行機に乗り、初めて『友達に会いに行く為のひとり旅』を経験した。
うきうきとわくわくでいっぱいだった。
冒頭に一行で纏めた『趣味を同じくする友人らと遊んだ』というのは、つまるところこの『オフ会』の事だ。
集まった面子と一頻り語り合い、飯を食べ、ショッピングに興じ、おやつを食べ、カラオケで歌い、プリを撮り、オフ会は至極健全に盛り上がり、感極まって泣く程楽しかった。
宿を取っていたので、いや、旅行だから泊まりたいじゃんね。日帰りはやってやれないことはないが、余韻に浸る時間が欲しかろう。欲しかったのだ、私は。
ビジホの一室でひとりゆっくりとこの日を噛み締める為の時間が欲しかった。
泊まっていきなよと言ってくれる面子も居たが、それは畏れ多すぎてできなかった。比喩でなく嬉しさで爆発して死ぬと思った。
じゃあ次に逢う時はうちに泊まってねと言ってくれたその友人に、(また逢えるの!!!!????来てもいいの!!!!!!????)と内心で爆発しながら頷いてハグをして手を振った。
その、帰路だ。
とんでもなく楽しかった、私の青春は今からなんだ、皆やさしくて面白くて素敵な人達だったな、等というような幸せに酔いながら人気のない暗い夜の道をひとり歩いていた、その時。
幸せに酔いながら歩いていた、とはいえ、そうかそれでは道の端に寄って自転車の通行を妨げないように歩こう、と思う程度には素面だった。
素面だったが、酔ってもいた。
道の端に寄って歩きながらも心は此処にあらず、楽しかった思い出ばかりを反芻していた。
であるからして、自転車を漕いでいるその人物が割と結構な声量で何か言葉を発しているらしいと気が付いたのは、すれ違うまさにその手前だった。
ところでそのオフ会というのは、ゴスロリを愛好する者達の集いであった。
ゴスロリの是非だのなんだのについてはここでは省く。
初めての友人と初めてのオフ会。
それどころか、皆が皆思い思いに目一杯ドレスアップして集う。
加えて、何より、若かった。
要するにこの日の私は勿論どえれぇ気合を入れたコテコテのゴシックファッションに身を包んでいたのだ。化粧も然り。
ゴシックとか言われてもよう解らんという場合は概念的な魔女を想像して頂ければ、それで解釈はふんわりと一致する。
言われた私はこう思った。
しかしながら見知らぬ爺にすれ違いざま大音量で罵倒されるという体験は思い返す限りこれが初めてであった。
あまりに驚いたものだから足を止めてその爺が去りゆくのをぽかんと見送る格好になってしまったのだが、すれ違い終えて去りゆきながらもまだ尚爺は此方を振り返り振り返り、私を罵倒し続けていた。
否、爺が罵倒していたのは私ではなかった。私を通して何か概念的なものを罵倒し続けていた。
悪魔(チリン)、女(チリン)、売女(チリン)、悪魔(チリリン)、女(チリン)、悪魔(チリン)、悪魔(チリン)、悪魔(チリン……)……
通り魔に遭った気分だった。
しかし私は魔女なので、えぇまぁ売女ではないのでそこは否定しますけど悪魔だったり女だったりはしますね…????????????????
という気分でもあった。
わけが分からなさ過ぎてそういう妖怪なのだと思うことにして正気を保ったのかもしれない。
元より私の好むファッションは一般には受け入れられにくい傾向であることと、虐げに慣れきった高校生活も一因としてあったのかもしれない。
当時の私はこの爺が一体何であるのか全く解らなかったのだ。ただ辛うじて、爺の見た目をしているから爺だということだけは解った。
この妖怪悪魔爺はそれから数年経った今でも夏のこの時期になると私の心の中に勝手に蘇り、なんとも言えず遣る瀬無い虚無感を齎してはベル音を響かせ去っていく。
嘘だ被害妄想だ幻覚だなんだと言われるのも辛い気がしたのでこれまで誰にも言わずにいたのだが、例のポテサラ爺が現れたことにより、おそらく同類の妖怪であろうこの悪魔爺の話もネットの海に流して供養したく、こうして記事を書いている。
アイドルマスターシンデレラガールズが僕の中で終わってしまいました。大雑把に言うと、運営やキャストよりもこのコンテンツが好き過ぎたのだと思います。
モバマスを遊び始めたのは新聞記者やってて過労で倒れ療養生活を送っていた2014年春。その後資格取得のための大学再入学や現職への転職を経ながらやり続け、2017年からライブにも行き始めました。昨年11月の7thツアー名古屋が本当に夢のようでそこからはかなり本格的に。復刻イベントやデレステからのイラスト逆輸入など縮小路線は目に見えていたので、少しでも延命できればと、12月はガチャじゃぶじゃぶ回しながら全イベ上位入賞しました。他にはデレステも面白いけどモバマスもいいよって意図的につぶやくようにしたり、名刺作って選挙活動したり。永遠に続くものはないと理解しながらも、出来る限り続いていて欲しいと思っていました。
年末年始にかけ、5人のキャストが結婚を発表し、そんな中モバマスでも今後サービスが縮小される旨のリリースがありました。個々のご報告に対しては、同世代の結婚に焦りを覚えつつも、祝福の気持ちで一杯です。またサービス縮小に関しても、JAMやヒストリー等、モバマスでしか出来ないことを利益出る形で継続する意思の表れと感じ好意的に受け取りました。
しかし、ビジネス、コンテンツの継続という観点からみるとどうでしょうか。ドル売りしていたキャストが結婚を発表したことは売上の減少に繋がれど、プラスに働くことはないでしょう。祝福のコメントはすれども、アクティブユーザーが少しずつ減っている流れは加速すると思います。亜美菜さんの結婚が7th幕張で好意的に迎え入れられたことを踏まえてのこの年末年始のご報告ラッシュなのでしょうが、だから大丈夫だろう、まとめればヘイトが分散されるだろうという思惑が透けて見える点も非常に引っかかりました。AKB商法はじめ、ドル売りをするからって人としての幸せを求めてはいけないのか、って議論はありますが、夢を見せるのをやめるけど変わらず応援してね、ってのは都合が良すぎると感じます。自身、ガチ恋ではないと思いつつも、1%もそういう気持ちがなかったかというと否定はできません。ここら辺、ビジネスとしては駄目だろって判断をできなかったのか、した上でゴーサインを出したのかはわかりませんが、可能性に思い至らないわけはなく、コンテンツに見切りをつけられたと悲しくなりました。
アイドルマスターのユーザーはファンではなくプロデューサーと呼称し、より主体的に作品世界へ没入します。キャラクターの物語、キャストの歩んできた道、ライブを経ることで曲に蓄積されるメッセージ性、それを楽しむプロデューサーの思い。それらが重層的に絡み合うことがこのコンテンツの魅力でした。だからこそ、その終わりの合図を「現実を見ろ」と言わんばかりにこうした物語世界の外側から持ってくるのは最悪の手法だったと憤っています。
12月にはアニバーサリーイベントがありましたし、7thツアーは2月まで続きます。もっと丁寧な魔法の解き方は確実にありました。令和最初の年末年始って記念日のためなら人はなりふり構わなくなるんだなって人間の性は微笑ましくもあり、プロなんだからちゃんとやれやとも思います。
冒頭に書いたように、これは僕がアイドルマスターシンデレラガールズという世界を好き過ぎたからこその思いであり、当然キャストは自身の幸せを優先する権利があるでしょう。キャラと心中しろと言うのは酷な話です。それでも、強制的に12時を回らせる形でシンデレラの魔法を解いて欲しくはなかった。だから僕は引退します。
41:03ごろ 「やだ寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ィ…」という声が初めて入る。ここで母親が死体発見らしい
その後20秒ほど「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ぃ!寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃん!」と呼び続けるも母親が涙声に。
41:38ごろ 「やだちょっと寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助自殺しちゃった…。お願い、首つってるぅ」と母親が何者かを呼ぶ。恐らく家族
42:42ごろ 母親が救急車へ第一報。住所氏名がばっちり入ってる
43:41ごろ ここから約十五秒ほど「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃーん、ごめんよぉ。寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃん、ごめんごめん」と懺悔の声
44:36ごろ ここ辺りから母親の呻くような鳴き声が約40秒続く
45:15ごろ 母親が泣きながら誰かに返答。口調から恐らく救急隊の電話と思われる
「重いんで」「待っててください」等の声が聞こえるが文脈は不明
46:47ごろ 再度母親が「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃん」と呼びかけ出す。「これもうだめだな」と小声で呟く母親
「重くて無理」と言っている為、死体の引き下ろしを試みた模様
山本常朝
山本常朝
山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。
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1 略歴
3 史料
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
略歴[編集]
万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路(現在の佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。
11歳で父に死別し、14歳のとき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳に元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。
この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚に仏道を学び、21歳のときに仏法の血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。
『葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田(現在の佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。
天和2年(1682年)24歳のとき、6月、山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月、御書物役を拝命。28歳のとき、江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。
5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授(古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事に京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。
同年5月16日、藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日に藩主の菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロの山地来迎寺村(現在の佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。
田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年)3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。
のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分の墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方約11キロの大小隈(現在の佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。
享保元年(1716年)9月10日、田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年)10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所は八戸龍雲寺。
辞世の歌:
重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵
虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしものを
大きな川に掛る橋を渡って隣の町へ自転車に乗って出掛けた
団地の中に自転車で乗り入れてみると建物は老朽化しており陰鬱な場所だった
棟と棟の間の小路も手入れが行き届かないのか雑草と樹木が生い茂っており森の中にいるようだった
ふと足元に倒れている子犬を見つける
喉のあたりが血で赤くなっているので近くの水道で洗ってやった
だが子犬はぐったりしたままだ
すると子犬は胃の中のものを吐き出し吐しゃ物でまた汚れてしまった
可哀想に思い近くの樹の根元に穴を掘って埋めてやろうとした
だが俺が穴を掘っているのを木陰からずっと見ている女がいる
この状況では俺が子犬を殺して証拠隠滅の為に埋めようとしているみたいではないか
子犬は埋めてやった
しかしあの女に見られた
なんとか口をふさぐしかない
団地の棟と棟の間、街路樹で暗くなった小路を行く女を捕まえて傍にあった水路に突き落とした
首がもげて顔だけが流れて行った
これで大丈夫だ
自転車に乗って家に帰る
自転車のタイヤ痕を辿れば警察は容易に俺を特定するのではないだろうか
いやタイヤ痕など残っているはずはない
だが、団地の小路のぬかるんだ泥の中を通った際にタイヤ痕を残してしまったのではないか
きっと警察はここにやってくる
別に他人の文章指南するほど書けるつもりじゃねーけど、これじゃ変な奴になってんぞ? いや変な奴好きだけどな、俺は。w
これさ、クラスの取り巻きに囲まれた最近ちょっと目立つ奴にいきなり怒鳴りつけてから振り向いてもらえずにいきなり通行人に向かって次々と指さし、
「オマエだ!」「オマエだ!」「お前はアイツか?」「お前はアイツが化けてるんだろう?!」
「お前らみんな同じなんだからな?!」
って感じで絶叫。注目を浴びてアジテーション始めるかと思いきや、
「――もちろん俺も! 同じ! ……かなぁ? なんかよくわかんなくなっちゃった。でもアイツと同じでボクも狭いセカイにいるんだ…。ホントはダメだってわかってるんだよ? もっと広いセカイに出たいなぁって…、思ってはいるけど……、もにょもにょもにょ…。」
みたいに見えるんだよ。
なんだよオマエ? ツンデレなの? こんなん狙ってできねーよ、いや寧ろ狙ってたらスゲーよ、もう後半とか可愛く見えてくんじゃねぇか、っつか萌え狙いなのか? って……。
思っちゃったりしたの……。(ゝω・)てへぺろ。
公衆に向け大路で声を張るは、其闘い也。
挨拶をする者在り、思索に耽る者居り、且つ又大路を夢見るも大義や何処か、と。
いや別に悪いとか言ってねーけど。
そういう風に俺は見えたってだけで正しいとは限んねーし、webってプライベートパブリックの境界が滅茶苦茶なんだよな、元々。
ある意味凄く面白いんだよ、揺らぎが。普通に出てる商業誌とかの記事じゃ味わえない感っつーかさ。
あ、俺がこの間行った南町(3丁目な?)の駄菓子屋なんだけどさ、そこでビッグカツ買った時の話とかしてもいい?
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/3772/bigkatsu2.html
俺がガキの頃買ってたのって"すぐる"のだったんだけどさ、そこの店にあったのは"菓道"のだったんだよ。
んで思い出したんだけどさー、中学校くらいの時になんかクラス替えしてから駄菓子屋行こうぜってなって何人かで行ったのな? そしたら普段と違う店に行く事になってそこにあるのが"味の彩"だったんだよ。
「何だこりゃ?! パチモンじゃねーかよ!」とかキレたら大喧嘩になってさーww
増田主のよく食ってたのってどこのだった?
の、ドイツ語はよくわからないのでいいとして、フランス語はおかしかった。
要するに、北海道を「北」と「海」と「道」にわけて単語を当ててもフランス語の響きにならない。冠詞がないとフランス語にならない。「のーるめーるりゅ」じゃなくて「りゅどらめーるでゅのーる」でないと(ドイツ語として意味が通ってるのかどうかは知らない。英語は冠詞について適当な言語なので、ノース オーシャン ロード、でふつうに英語の響きになっている)。あと、「Rue」はどっちかというと街の小路とかの意味で、北海道の道にあてるならアベニューかルートかなぁ。でも、そういうのをきちんとやろうとすると、2ちゃん的な面白みなくなるなぁ。
ということを思いつつやってみた。ちょっと適当なのもあるけど。
県 | まちがい | ただしい(多分) |
---|---|---|
北海道 | ノル・マリン・リュ Nord Marine Rue (北の海の道) | アベニュー・ド・ラ・メール・デュ・ノール Avenue de la Mer du Nord |
青森 | ブル・フォレ Bleu Foret (青い森) | ラ・フォレ・ブルー la Foret Blue |
秋田 | オトムナル・シャン・ドゥ・リ Automnal Champ de Riz (秋の田) | リジエール・ア・ロトン Rizière a l'Automne |
岩手 | ロシュー・マン Rocheux Main (岩でできた手) | マン・ロシュー Main Rocheux |
宮城 | パラタン・シャトー Palatin Chateau (宮殿の城) | パレ・ロワイヤル Palais Royal |
山形 | モンタニャール・フォルム Montagnard Forme (山間の形) | フォルム・ド・ラ・モンターニュ Forme de la Montagne |
福島 | ジョワイユーズ・イル Joyeuse Ile (幸福の島) | イル・ド・ラ・ボヌール Île de la Bonheur |
新潟 | ヌーヴェル・ラギューヌ Nouvelle Lagune (新しい潟) | (たぶんあってる) |
石川 | ピエルーズ・リヴィエール Pierreuse Riviere (石の多い川) | カイヨー・ド・ラ・リヴィエール Caillou de la Riviere |
富山 | リッシュ・モンターニュ Riche Montagne (富んだ山) | ラ・フォルチュン・ド・ラ・モンターニュ la Fortune de la Montagne |
福井 | ジョワイユー・ピュイ Joyeux Puits (幸福の井戸) | ル・ピュイ・ド・ボヌール le Puits de Bonheur |
山梨 | モンタニャールド・ポワール Montagnarde Poire (山間の梨) | ポワール・ド・ラ・モンターニュ Poire de la Montagne |
長野 | ロン・シャン Long Champ (長い野) | (たぶんあってる) |
岐阜 | フルシュ・オ・コトー Fourche au Coteau (丘にある分かれ道) | (よくわからない) |
栃木 | マロニエ Marronnier (トチノキ) | (たぶんあってる) |
群馬 | トゥルポー・ドゥ・シュボー Troupeau de Chevaux (馬の群れ) | (たぶんあってる) |
茨城 | シャトー・デピーヌ Chateau d’Epine (茨の城) | (たぶんあってる) |
埼玉 | プロモントワール・デュ・ロワ Promontoire du Roi (王の岬) | (なぜ王) |
東京 | エスト・キャピタル Est Capitale (東の首都) | キャピタル・ド・レスト Capitale de l'Est |
神奈川 | ディヴィーヌ・ポム・ドゥ・リヴィエール Divine Pomme de Riviere (川の聖なる林檎) | (よくわからない) |
千葉 | ミル・フォイユ Mille Feuille (ミルフィーユ…じゃなかった、千の葉) | (たぶんあってる) |
静岡 | カルム・コリーヌ Calme Colline (静かな丘) | コリーヌ・トランキル Colline Tranquille |
愛知 | フィロゾフィ Philosophie (哲学) | ラムール・ダンテリジョンス l'Amour d'Intelligence |
三重 | トリプル Triple (三重の) | (たぶんあってる) |
兵庫 | アルスナルArsenal (兵器庫) | (たぶんあってる) |
滋賀 | ヌリサント・ジョワ Nourrissante Joie (栄養のある喜び) | (よくわからない) |
大阪 | グランド・パント Grande Pente (大きな坂) | (たぶんあってる) |
京都 | キャピタル Capitale Citadine (都市の首都、もはや何が何だか) | キャピタル capitale |
奈良 | ポム・ボンヌ Pomme Bonne (良い林檎) | ボンヌ・ポム Bonne Pommeだ |
和歌山 | シャンソン・ジャポネ・ドゥ・モンターニュ Chanson Japonais de Montagne (山の日本の歌) | (たぶんあってる) |
鳥取 | シャス・ドワゾー Chasse d’Oiseau (鳥を獲ること) | (たぶんあってる) |
岡山 | コリーヌ・モンタニャール Colline Montagnard (山間の丘) | (たぶんあってる) |
広島 | ヴァスト・イル Vaste ile (広い島) | グランド・イル Grande Île |
島根 | イリエンヌ・ラシーヌ Ilienne Racine (島の根) | ラシーヌ・ド・リル Racine de l'île |
山口 | アントレ・ドゥ・モンターニュ Entree de Montagne (山の入り口) | アントレ・ア・ラ・モンターニュ Entreé à la Montagne |
愛媛 | エマーブル・プランセス Aimable Princesse (愛らしい姫) | プランセス・エマーブル Princesse Aimable |
徳島 | モラル・イル Morale ile (モラルの島) | イル・ド・ラ・モラール Île de la Morale |
高知 | オー・アンテリジャンス Haut Intelligence (高い知性) | (たぶんあってる) |
香川 | ヌイユ Nouille (麺類) | (たぶんあってる) |
福岡 | ジョワイユーズ・コリーヌ Joyeuse Colline (幸福の丘) | コリーヌ・ド・ボヌール Colline de Bonheur |
佐賀 | スュポール・ド・ジョワ Support de Joie (喜びのサポート) | (たぶんあってる) |
宮崎 | パラタン・プロモントワール Palatin Promontoire (宮殿の岬) | カップ・ロワイヤル Cap Royal |
大分 | グランド・ディヴィジョン Grande Division (大きな分割) | (たぶんあってる) |
長崎 | ロン・プロモントワール Long Promontoire (長い岬) | ロン・カップ Long Cap |
熊本 | ウルス・ヴレ Ours Vrai (本物の熊) | (たぶんあってる) |
鹿児島 | イル・ドゥ・ファオン Ile de Faon (子鹿の島) | (たぶんあってる) |
沖縄 | コルド・オ・プレヌ・メール Corde au Plaine Mer (沖にある縄) | (たぶんあってる) |
やってみたところ、やっぱりドイツ語ほどかっこよくない。結局、構造が英語と似てるからあんまおもしろくないのかも。ドイツ語は何でもかんでも一単語にしちゃうところが厨二病的にいけるのかなあ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。