はてなキーワード: 尊厳とは
ウマ娘だっけ。最近やっとゲームが出たあれ。日本の擬人化、美少女化コンテンツの多さは元から有名だけど、特にウマ娘は韓国で批判の声をよく聞いている。「競馬が好きなら実際の馬でやれ」「女性の体と人格をわざわざ檻に入れられて競争させられる対象として使うな」と。
これに関して言っていると多分「ゲームだから別にいいじゃん」とか「表現の自由では」というリプも来ると思うけど、実際のところ「娯楽だから」という理由だけで人権や常識が通じないコンテンツを長らく生産、消費し続けている日本は文化方面で相当閉鎖的だというのが海外のオタクからよく出る話。
こんなん言っても日本作品の海外での年齢規制やイラスト修正に対して「やっぱ海外厳しすぎwww」くらいの感想しか持てない「一般オタク」には何言っているのかわかんないと思うけど...
個人的な意見だけど「普通のオタク」って自分達が楽しむコンテンツはあくまで自分達だけのもので、別に社会の流れとは無縁だと勘違いしているところあると思う。確かに作品一個の存在がすぐ社会を変えたりしないけど、それを見続けている自分達が社会の一員としてその感性を維持していること気づけよ。
それが結局今の世代が人権と尊厳を語ろうとする度に「昔はそんなの普通だった」「自分は子供のころからそういうのを見て育ったから変わる必要はない」という圧力になっているのでは、と思う。
https://twitter.com/osekkaikorean/status/1366549291871821826?s=19
どこにあるんだ
人類機械文明の代表としての車を、大自然の暴威・非科学の化身としてのドラゴンが犯す そこにマゾヒズム的快楽を見出す、みたいな話だろうと思うと理解できるし、そもそもセックスの延長である時点でまあ普通性癖(誤用)の範疇だ
ドラゴンカーセックス絵を見たって、「面白い」「世界は広いなあ」「これマジなのか?」くらいの感想しか湧いてこない べつにダメージは負わないんだ
やっぱり、人格排泄くらいの、見ただけでわりと忘れられないほどの衝撃を受ける性癖(誤用)になってはじめて最強議論の俎上に乗れる感じがある
増田にすら書くのをためらう感じがある スカトロ度は低いんだけど、ジワーっとくる嫌〜な感じがある
なんか、消化器官にとどまってるうちに、人間の人格を吸収する、謎のゼリーみたいなものがあるんだ
それが体内にあるうちは人格を保ってられるんだけど、排泄してしまうと、ゼリーに人格が乗っていってしまって、廃人になる
スカトロ系の、「尊厳を保つために我慢していたが、ついに限界を迎えて決壊してしまう」っていう要素をさらに強化した感じなんだろうな、理屈としては
ただ我慢できずに排泄をしてしまうだけではなく、その行為によって自身がもの言わぬゼリーになり、実質的に死んでしまう その要素を加えることで、一種リョナ的な雰囲気も足されている
すごいんスよマジで 個人的には四肢損壊とかより全然怖い しばらく嫌な気分が残るもんな
<モルゲッソヨ化>みたいなジャンル(?)もあるっぽい 人格排泄の人と同じ人が描いてた気もするから、もしかするとひとりとんでもない奴がいるってだけなのかもな
モルゲッソヨ化は、比較的オーソドックスな石化あたりの延長にある なぞのずた袋みたいなものを被せられた人物が、モルゲッソヨと呼ばれている像に変質する まあまあ怖い
その関連で言うとショッカー戦闘員化みたいなのも見たことあるな カッコよく戦っていた強い人物が、洗脳されて「イーッ!」しか喋らないモブ戦闘員と化す 悪堕ちに尊厳破壊を足した感じなんだと思うけど、正直俺には理解できん
やべ〜と思った奴を思い出してみたけど、こうしてみると尊厳破壊みたいなのが多いな
個人的には、「オーソドックスな性行為がまったく含まれていないが、あきらかに性欲を原動力としている」ような性癖(誤用)ほど凄みを感じる
結局セックスしてるようじゃあ雑魚感が否めなくて、そういう意味では石化やマミフィケーション(人間が包帯や蜘蛛の糸などに巻かれてミイラみたいになる)はカッコいい
やっぱでも、人格排泄が忘れられねぇわ
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
どんな過酷な肉体労働を課されてもいいが意に沿わないセックスするのは嫌だ。心が死ぬ。
肉体労働と性労働は違う。肉体労働が、ピラミッドの建設みたいに雇い主から物理的に鞭打ちされながらやるとかであればまだ検討の余地はある。
タイトル通りで俺はこのコロナウイルスにハッキリ言って感謝している。
チー牛顔の彼女いない歴=年齢33歳、軽度で発達障害入ってしまってる年収900万のweb系エンジニアという、年収以外では正直IT業界の中でも下位の負け組、恋愛市場的には石の下のダンゴムシやナメクジレベルであるこの俺が
このコロナが流行って一年足らずに、セフレ合わせて10人近くとの女からかしずかれるハーレム状態に成功したのだから
ぶっちゃけ世間ではコロナ不況で半端ない失業者とか社会恐慌が出て、戦々恐々で出勤を繰り返しているのだろうけど、テレワーク主体のITエンジニアからすれば全く関係がないので寧ろ電車を乗り継ぐたびに
不況で仕事なくなったり生活不安になってギスギスして電車とか町中で暴れてるのを見かける基地外ジジイや叫ぶクソフェミくさそうな基地外ヒス女、負け組半グレや底辺DQNどものやけっぱちにビクビクしながら出社しなくてよくて
紅茶片手に優雅に自室でテレワークできるようになったので、世間的にはどんな大変なのかマジ他人事、寧ろ負け組どもが醜く争い合っているのを天上から眺める優越感に浸れて「ああ今俺は勝ってるんだな」って気分に浸れて気持ちがいいのが本音
きっかけは岡村発言問題のニュースを見ていて、これなら今の俺でもイケるんじゃないか?って思って勇気を出してナンパというか女漁り初めてみたら、魚心ありまくりで釣れるわ釣れる、芸能だの風俗だの飲食だの観光だので食えなくなった、若くてピチピチの20代前半の上玉が、コロナクライシス前なら相手にされないどころか遠目にキモッ!キモッ!KKO!とか言われてからかわれることは間違いないレベルの女どもが
食うに困って生活不安を覚えるほど金がないからなのか、収入だけ見てラブコメアニメ並みに俺に媚び媚びで媚びてくる。
あまりの拍子抜けっぷりに、俺も最初は「これは食うに困って基地外と化した半グレや考えなしの底辺DQNが美人局を仕掛けているのではないか?後ろに隠れているんじゃないか?」とビクビクしていたが、どうやらそんなことは本当になく、もう俺の言うことなんだって聞いてくれるっつーの?家事力あるところアピールしようと飯の世話までやってくれてマジで恋愛市場の強者に上り詰めたんだなと思うようになった。
使〇済みゴ〇を新聞紙で包んでゴミ袋に入れるなんて、恋愛強者の勝ち組だけがするべき所作をする日が来るとは夢にも思わなかったわw
それにしたって、脱童貞してヤりまくってからと思うもの、幾らコロナ不況だからと言って冷静に考えたら遊ばれてんの一発でわかるし、都合のいい女ポジなんて危険なことこの上ないのに、そんなこと考える余裕さえなく、マジ都合のいい女に自らなりに来てくれるとか、笑えて来る滑稽さと同時に、「ああ、こいつら今まで努力とかしなかったから、ここまで尊厳捨ててでも普段なら見下すような相手に媚びなきゃいけないんだな」と憐れに思うと同時に、それ以前ならきっと罵詈雑言でキモがられたんだろうなと思うと、頭がカーッとなって胃袋がキューッとなってアウトプットのパフォーマンス落ちてくるときあるから、アンガーマネジメントの練習がてらに、たまに意味もなく理不尽な理由つけてキレたりして遊んでるww
リゼロのレムみたいな彼女が、理解できずに顔面蒼白でボロボロ泣きながらごめんなさい連呼して泣きじゃくり、何とか機嫌を直してもらおうとさらに怯え切った座敷犬の様に媚びてくる様は、内心笑い転げるほどおもしれぇw
そのあとベッドでヒィヒィ泣かせてやるんだけどなwww
他人の尊厳まで踏みにじる快感っつーの?上級国民はこんなのおもしれぇことできるならそらマジでハマっちゃうわって思う訳
ホントに重ね重ねいうけど、コロナウイルスさんにはマジ感謝しかねえっす、マジリスペクトしか感じてない
俺がICTで世界を変えるなんて、新卒や大学の頃言ってたら、憐れな目で意識高い系だのなんだのと見ていたアフターコロナワールド弱者見てるか~?
まぁなんつーの?ITで世界は変わったよ、前なら発達障害ってだけで忌避されてたのに、今なら俺様の優秀な遺伝子でハーレム築いてオレ氏族とか作れそうなくらい俺を無敵にしてくれたコロナウイルスに、重ね重ねサンキューフォーエヴァーっすわ
何かタイツがどうのこうので炎上してっけど、暇そうで羨ましいっすわw
アホなフェミどものあさましい争いを肴にワイン飲んでセフレにタイツ履かせて破いて後ろからガンガン突くプレイ用に使い捨て買っちゃうべw
軽蔑されるのなんて慣れてるよ。
お前らこっちのこと何にも知らないのに、
シングルマザーっていう属性だけで石投げてくるの好きだもんな。
こちとら15年?16年?数えるのもめんどくせー。
今までに受けた礫やら何なら岩級のやつとか、
ってか、そもそも女ってだけで社会では舐められに舐められまくるのに、
こっちは後ろに控える男いないのがバレてるから、
そりゃやりたい放題言いたい放題されるよなー。
でも、まあ、もう慣れてる。そういうの全部慣れてる。
好きに言えばいい。
そんなのどうでもいい。
たださ、
シングルマザーのキツいとこってそんなことじゃないんだよね。
子に何かあった時に、共有できる相手がいないんだよ。
良いことならジジババに教えればいい。
ぜーんぶ1人で抱え込んで解決しなくちゃいけない。
ってみんなが親切で言ってくれる。
分かってる。分かってるよ。
しっかり。そうだよな。しっかりしないとな。
でもさ、たまーにしんどくなるんだよ。
シングルマザーになったのはお前の自己責任なんだから、ちゃんとやれ
って言いたいのはよく分かる。
って言うのもよく分かる。
そうだよな。本当にその通りだよ。
でも、たまーにしんどくなることもあるんだよ。
ただ、そんな時にちょっとだけ寄り掛かる相手がいないのが私たちシングルマザーの宿命。
嵐がきても、槍が降っても、
自分の2本の足で子の前に立ち続けなくちゃいけないのさ。
こういった人並みの感情や悩みがあるんだよ。
分かってくれなくても、別にいいけどさ。
慣れてるし。
あと、最後に言っとくけど
強者になる理由よりも弱者になる理由の方が多いから。強者もいつ弱者になるか分からないし、何も弱者救済しないことはシリアルキラーを街に放つことと同じことだからね。
弱者の死に尊厳を与えられるならともかくそうでないでしょ?都合のいい生け贄と思っている。
もし強者のままでいたいなら迂闊にそれを口にしないことだね。
理不尽かつ不愉快なイジリに対して、即座にキレ返す事自体が間違いだとしたらどうでしょう。
もちろん笑ってやり過ごすことが正解だともいいません。
自分の中で、相手はそういうことでしか自己を満たせない哀れな人種なのだと考えればいいのだと思います。
もし、そういった相手に対して切り返す能力を育てたいなら、つねに頭の中でシミュレートして言われたらどうやって返せばよいかのパターンを蓄積する以外ありません。
そのためには、元の増田で描かれたような日常いつでも周囲に不満を持ち、反論を準備するためのトレーニングが必要です。
もし同じだけ時間と労力をかけるなら、あなたにしかできない、あなただけの価値や特技を更に伸ばすために使うべきです。
そうして自分の中に確固たる何かを掴むことができれば、別にそうした人種の言葉なんて痛くも痒くもなくなるはずです。
ぶっちゃけて言えば、自分をバカにした相手を見返してやりたいって私怨を解消したいだけですよね。
愚かな相手にバカにされた事を仕返してやると考えている時点で同じ穴のムジナですよ。
相手にとってあなたの反撃は新たな攻撃を正当化する根拠にしかなりません。それはもう戦争の始まりでしかないです。
しかし、もし本質的な勝利を望んでいるのであれば、相手にとって最大のダメージは、寛容を見せることによって自らの過ちに気づいてしまうことによる羞恥です。
あなた自らの努力で人格を引き上げることで、相手に自分のほうが愚かだと気づかせてやること以外にありません。
これからの人生に残されたリソースをどちらに使うか、それはあなたの自由です。
もしかするとあなたはそうした相手に依存する環境でしか生きていけないという呪いにかかっているかも知れません。
尊厳を切り売りして生きることが果たして自分の人生にとって不可欠なことなのかどうかから見つめ直してみるのも一つの手だと思います。
私は生来のマイノリティで、物心つく頃から辛酸を嘗め続けるような人生を歩んできました。
意図せず、切り返しを用意するための経験回数が人よりずば抜けて多いだけのことです。
今の姿だけを見て「上手でいいなぁ」と言われることは悪い気はしませんが、「なりたいなぁ」と言われれば、ならないに越したことはなんだよってことに気がついてほしいなとは思います。
すぐにキレ返す人って、要するにいつもキレ散らかしてる人だよ。
それを外に出してないで普通なフリしてるだけで。
とにかく全てが気に入らなくて、何でもいいからキレる相手を探しているような毎日なんて送りたいと思う?
例えばラーメン店に行ったとする。
まず外観にキレます。
店員の対応にキレて、出てくるまでの時間にキレて出てきたラーメンにキレます。
他の客の態度にキレて、食べ終わった感想にもキレて出ていくときの店員の挨拶にもキレてそれから別のキレる対象を探します。
だけどここまで表情にも出しません。心の中だけで常にキレてます。
そうするとこちらとしてはすでにキレているので、すぐに不満を言い返せます。
もちろんキレているのはこの日だけではないので、いつも何でキレているかの蓄積があります。
言われてからすぐにキレ返したのじゃなくて、いつもキレてる。だからすぐにキレ返せただけの話。
似たような人に、常に勝ち続けている人もいます。
何かといつも勝負していて、それでいて常に勝ち続けている人です。
もちろんなんでもかんでも勝てるわけではないです。
自分でも気が付かないままに、自分が勝てる勝負しかしてません。
こういう人も何かを言われるとすぐに反撃ができます。
そりゃそうです。いつも戦っているのだから、自分が勝っている内容をすぐに口に出せるは当たり前です。
普通の人はキレ返すとすぐに反撃ができないことも知っているので、そういう人は迷いなくキレ返します。
1回2回の反撃も想定内です。
キレたことのない人が1回くらいキレ返してきたところで、怖くもなんともないです。
もちろんある程度腕っぷしにも自信があります。
でも自分より強い相手には喧嘩を売るなんてことは絶対にしません。
要するに、即座に言い返せる人は頭がよいわけではないです。
いつもそんなことばかり考えていて、一度でもそういう目にあったことを忘れていないだけです。
あなた方だって、一度そういう目にあったら、次はこうしてやろうって考えるでしょ?
それと同じです。自ら呼び込むことで他の人より回数が多いだけです。
ただ、こういう人は常に不機嫌なので、周囲も不機嫌になります。
自分が不機嫌にしていることにも気が付かないで、相手が不機嫌になったらキレ返します。
自分がキレさせたことにも気づいていないので、どうして周りの人間がいつもキレてるのかに気づくこともありません。
さらに周りが反論できないから自分のほうが正しいと思い込んでいるので見つめ直すこともありません。
そうして意見をしてくれる人もいなくなって、孤立してさらに尖ります。
情けでそういう人のそばにいてはダメです。むしろ相手のそういうところを悪化させます。
その人がそんなことになってしまったのはあなたの責任ではないので、そんな関係は捨てましょう。
あとは付け加えるなら、そういう目にたくさんあってきた人はすぐにキレ返せます。その分心に痛みを抱えてるけど。
みたいな人になりたいって思うならどうぞご自由に。
そんなことより、自分はそんなことで腹を立てない寛容な人間なんだって誇ったほうが何億倍も健全だし魅力的だと思うよ?
速攻でカウンターしてくる人は、表に出してないだけで常に内部でキレてるからすぐに殴り返せるんですという話。
参考増田の保育士さんだって、別にキレてきたわけじゃないじゃないですか。
ああいう調子に対してもキレ返せるってことは、何か少しでも言われようものならキレ返してやる!って常に思ってないと難しいのよ。
普通の人ならダメージにもならないことを痛い!って感じられるくらいの感度がないと無理。
それに、練習したこともないことを上手になりたいっていうのも無理な話。
キレ返しでも切り返しでもうまくなりたいなら練習すればいいじゃん。
ただそれの行き着くところはここに書いたような人です。
ところで本当にそんな状態になりたいの?という問いかけがこの増田の本題です。
「あの保育士さんにはそういう考えがあったのかもしれないな。次同じことが言われたときは、やんわりとでも自分も参加させてもらえるよう返せるように準備しておこう。」
それでいいんじゃないの?
くっそう!尊厳を傷つけられた!今度は絶対にキレ返して恥をかかせてやる!
って考えている時点で、この増田に書いたキレ続けてる人と何が違いますか?って話。
そんなんで傷つくケツの穴の小さい尊厳なら捨てちゃえ捨てちゃえ。
なんて煽ってごめんね。
自分はわりかし切り返しが上手な方だと思っているんですが、頭がよいわけじゃなくてそういう経験が多い境遇だっただけなので、そんな風にならないで済むに越したことはないと思うよと添えておきます。
オフィス勤務時はなんとなく1時間に1回くらいは気晴らしも兼ねて自然にトイレに行ってたんだけど
今はずっと部屋にいるせいか尿意に気付いて立ち上がった次の瞬間には決壊寸前になっててタイトル通り10回は漏らしてる
座り続けてるとこんなに尿意に鈍感になれるんだね初めて知った
図書館は法律がそうだからというのは理解している。
はい、非常に真っ当な疑問ですね。図書館法というのはいかにも特別法特別法していますし、
そんな特別法をあえて作った理念はなんぞや?という疑念を持つのは論理的思考の当然の帰結です。
こういう時は当の法律を見ましょう。
図書館法
図書館法第1条 (この法律の目的)
この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
社会教育法第一条 (この法律の目的)
この法律は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
はい、また飛ばされました。特別法の濃い匂いが漂っていたのは伊達じゃないですね。
教育基本法 前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
はい、「前文」ですよ、前文。さすが基本法、憲法級の重厚さです。
読みましたか? 前文だけに、その内容も高邁な理想と理念を謳う大上段な代物です。
さて以上からわかるのは
・「図書館法」(昭和25年制定)というのは、教育基本法、社会教育法を受け、その目的を直接に受け継いで補完するために制定された。
・その目的というのは「民主的で文化的な国家を更に発展させ、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」という「新憲法の精神」そのもので、
・新憲法の精神実現のためには、「我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る」のが重要という認識がなされています。
・具体的には、憲法公布(S21)→教育基本法(S22)→社会教育法(S24)→図書館法(S25)、というダイレクトな流れがあり、GHQと国会は新憲法制定後、大急ぎで、この教育関連法セットを整備してるわけです。
当時の情勢的には、とりあえず占領して、「自由な民主主義国家」を作ってみたものの、GHQにしてみればこの間まで「天皇陛下万歳!」とやってたファシズム国家の人民がいきなりこれを使いこなせるのか甚だ不安だったわけです。ならば対策は教育、それも学齢のみならず社会人も含めた全国民の教育が必要、という危機感があって、教育基本法の大上段な前文と大急ぎの教育関連立法の背景になっているんですね。
(そんな事情なので、「大急ぎ」と書きましたが、実際にはGHQは基本法から図書館法の整備まで3年かかっていることすら苛立って督促かけまくってます)
この「【日本国民再教育計画】になんで図書館まで含まれるのか?」というと、そこは(欧米的な)「議会制民主主義のイデオロギー」の部分になります。
・「議会制民主主義」は健全で良識ある市民がいてこそ成り立つ。
・健全で良識ある市民が育つには自由な言論と知識へのアクセスが必要
これが欧米的ポリアーキー(おおざっぱには「自由を重んじ議会を中心に据えた民主主義体制」と思ってください)を支えるイデオロギーの柱の一つなのです。
大日本帝国は法的な主権者こそ天皇でしたが決して絶対君主ではなく(機務六条)、普通選挙による衆議院を持ち、三権分立を整備し、(憲法上の規定外ですが)議会が首相任命に影響力を持っている、という結構民主的な制度を持つ国家でした。それがガチガチのファシズム国家として(ワイマールドイツはもっと民主的だったわけですが)連合国に挑んできたわけですから、連合国としては戦後日本の「ファシズム再発防止」にはかなり細部まで気を使いました。その重点施策の一つが「全国民再教育」で、とはいえ全国民対象の「再教育キャンプ」を作るのは手間も費用も膨大。ということで社会人教育向けとして白羽の矢が立ったのが広報宣伝やマスコミ統制と並んで図書館だった、というわけです。そりゃ気合も入りますし特別扱いもするってもんです。
大日本帝国にも無論図書館はありましたし、「図書館令」という法令(勅令でした)もありました。ところが、この図書館令は「この令を守れば作っても宜しい」という認可のための法整備で、
など、欧米的な「健全で良識ある市民の拠り所たる図書館像」とはかなり方向が異なるものでした。
この違いが「健全で良識ある市民の育成に失敗した」(欧米的観点では、そうでなければ民主的な国家がファシズム化したり革命が起きたりするはずがないのです)原因の一つに見えたため、この認識に基づいて、
・市民の知識へのアクセシビリティの確保(無料で全国津々浦々に)
・改正図書館令のような「図書館が思想統制の末端機関となる事態」を防げる図書館の独立性
「自由な知識の集積、その集積への市民の自由なアクセスなくして民主主義なし」というのは、自由な議会制民主主義の根幹をなすイデオロギーで、だからこそGHQは全力で推進したわけです。
あくままでイデオロギーですから、「功利の観点で利が多い」という判断から図書館を特別扱いしているわけではありません。「民主主義が成り立たない」という「(エビデンスがあるとは言い切れないにも関わらず)重要過ぎて試すことすらできない根幹の部分」を盾にとっているからこそ特別扱いOK、というか「特別扱いしなければならない」という理念なのです。
そういう背景ですから、例えば体育館を図書館と同じような強力な法的地位を与えるよう運動する際には、「図書館が特別に位置付けられている理由」は全く参考になりません。図書館のケースと全く別の論理、例えば「功利のエビデンスを示して財政難でも優先すべき、と多数の賛成を得られるよう説得」なんかを行う必要がありますので、なかなか実現は難しいのではないでしょうか。
もし図書館同様の理由で体育館が特別で強力な法的地位を得ようとするなら、まずは「健全な精神は健全な肉体にしか宿らない」とかの、現在の民主主義と異なるイデオロギーを持った国家体制に作り替えるところから始める必要があります。
僕のこと嫌いな人は嫌いだね。嫌いな人が僕のせいで嫌な気分をしてるのは気分がいい。僕が息をしてるだけでストレスを抱えてくれる人たちのお陰で、僕は常に気分がいい。
可哀想な人を可哀想だと慰める行為は、相手を余計に惨めな気持ちにさせるだろう。自分の時間を使って相手の尊厳を貶めるほど僕は悪人ではないから、可哀想な人は努めて無視してあげるのさ。
自分の幸福も不幸も自分にしか分からないものなんだから、それを比較して不公平なんて宣うことは第三者にしか不可能だ。そもそも公平である必要もないんだから、不幸な人は一人で不幸を抱え込めばいいし、幸福な人は幸福を享受すればいい。相互不干渉でいい。
みたいな性根の腐り落ちてそうな理論を皆で考えよう。
・足のある動物すべて食う=命を奪う
・質の悪いものを売る=金を奪う
こうしてみると、すべて「食う」「奪う」ことに関連している気がする。
何かを作ったり育てるのは「食う」ための前段階にすぎないという考え。
フェミは負け組女じゃなく(底辺からみれば)勝ち組イージーモード女が娯楽でやってるのが多い。
真の負け組(貧乏かつブス)はそれどころじゃなく、寄生先探すのに必死だからな。ネットでフェミ活なんてやってられるのは学歴か寄生か何らかの方法で食ってける女だけ。金持ちはそういないが、中卒ブスでそんなこと言ってたら生きてけないからガチで詰んでる奴もいない。
モテなくて絶望してフェミになるルートってそうそう無いんだよ。絶望して自棄になって手段選ばなくなれば、体を差し出すにいたりそうすればよっぽどじゃなきゃ相手がいるから。最低限の承認欲求は満たされるわけ。
じゃあフェミは誰で何が不満でなるかっていえば「私の好きな男が振り向かない」「振り向いたけど本命じゃなく遊ばれた」「仕事はあるけどもっと男並みに出世したかった」層。最低限の承認欲求だけじゃ満足できない、けして底辺じゃなくむしろ多少はちやほやされた経験のあるが故にもっと好待遇を寄越せと思える高望み女。たまにガチで酷い目(性虐待とかDVとか)に遭った人々もいるけど、それだってまだ被害者の中で余裕がある層。ガチの底辺女は社会に物申すどころか「今のDVだけど一応定収入はある彼氏か優しいがバイト暮らしのネトゲの男どっちを選ぶかはたまたセクハラ義父のいる実家にとりあえず身を寄せるか」みたいなサヴァイヴして生きてる。尊厳がどうのとか言ってられない。
つまりガチの底辺女は学もモラルを保つ環境も与えられなかった売春女で、フェミは売春を選択肢にいれる必要が無い(たとえ今無職だとしても支援みつけて生きて蹴る)強者女。AV女優を可哀想!騙されてる!と言うフェミが、女売る以外の選択肢無くてそれ取り上げられたら生きていけない売春女から仕事を奪おうとしてたりするだろ?あれは真の弱者である売春女の生き残る手段をつぶして、食ってはいけるが精神的に満たされないフェミが自己満足する搾取構造なわけだ。フェミが「女は性的消費される客体ではない!」って誇り高く宣言する為に、生計を奪われる売春女のなんとあわれなことか。昔の貴族がドレスをしつらえる為に重税を課されてやせ細る平民並みの理不尽さである。むしろ「平民なんか知ったことか!」「女なんかオ⚪︎コするだけの道具やんケ、何ムキになっとんねん」という貴族やクソ男の方が、そんな酷いことをしといて「私たちは弱者女性の為に戦ってる!」というフェミよりなんぼか潔いとすらいえる。