はてなキーワード: 創作物とは
俺、政治のことよくわからねぇけどさ、今年の選挙に赤松健って漫画家が立候補してるらしい。
正直漫画家が政治家になるってだけでもワクワクするんだがすげーところが単なるタレント議員ってやつじゃねーとこなんだ。
めっちゃ実積あるやん。って。
最もよく聞くのが「表現規制」ってやつでこれ何かって言うと絵を描いたりとか字を書いたりとかそう言うのを禁止にしようって動きがあるらしい。
何でも男女平等や子供の権利が理由でそうした観点からよくないとされてるのを描いた作品をやめさせようみたいな。そう言ったのに「待った」と声を上げてる1人が赤松健だとか。
俺、それ聞いて反対すんの何で?って思って色々調べたんだけど「作品内で描かれてるキャラクターは実在する人ではないので取り締まっても実際の被害を防いだにも、被害者を救ったことにもならない」と言う意見にはすごく納得した。
その中でスウェーデンの話もあって、スウェーデンってマンガとかの創作物も取り締まってたらしいんだけどその警察は「性的虐待にさらされる恐れのある子どもたちを、空想のイラストと同レベルに扱うべきではない」と既に警察は虐待の加害者の取り締まりで手一杯で「イラストまで捜査対象に加えれば、被害に遭っている子どもたちを助けるための時間が削られてしまう」とハッキリと言ってたらしい。
ちなみにスウェーデンでは昔、日本のマンガのデータをPCに入れてて裁判にかけられたことがあってその時は無罪判決を出している。
確かになぁ…って思ったよ。
人を被害から救わなきゃいけないのだから、実被害を阻止できてないのにそっちに時間を削られてしまってたら本末転倒だもんなぁ~
こうした表現規制って動きに異議を唱えるのを「表現の自由を守る」って言うらしいんだ。
そのとき思ったよ。
あぁ、子供の権利とか男女平等とかを真剣に考えるからこそ表現の自由を守るって必要なんだなって。
こういう表現の自由に関する主張には差別とか加害を肯定するかのような主張も多いが、赤松さんは候補者アンケートで「緊急避妊薬(アフターピル)を、薬局で処方箋をなしで販売するなど、入手しやすくすることに賛成」とか、「出産費補助の出産育児一時金は全額公費負担で、自己負担なしであるべき」って回答しているんだよ。
そう言ったことも真剣に考えて表現の自由を守るって主張なんだと思うんだ。
……と、書いていたら少し話が長くなっちゃったな。
とにかくすごいのが上記の話に加えてそれを政府に直接やり取りをして日本の創作文化を守っていったって話だ。他にも色々あるのだけどこれ以上書くと余計に長くなってしまいそうでな。
2つだけ話すとすれば「漫画村」っていう海賊版と呼ばれるマンガが読めてしまうサイトがあったのだがそれがお金を払わずに内容を読めてしまうものだから漫画家さんとかの売り上げに大打撃を受けて深刻な問題となっているのだが赤松さん、これの対策にも取り組んでてな。
それも「マンガ図書館Z」ってのを展開してクリエイターの活動支援と収益面のカバーも考えながらやっているんだ。
素人の考えなんだけど政治ってある問題に対していくつかの視点を考えながらそれらを平行しながらこなしていけるスキルと視野の広さってのが必要なんじゃないかなって思うんだ。
あとは柔軟さ。
やっぱり赤松さんもクリエイターな分、クリエイターの待遇改善にも意欲的でその改善案を発信したところ色々な意見が出たんだけど、赤松さん意見を広いながら案を組み替えてより良い案を作っていく姿勢も見られたんだ。
こう……あれよあれ。
やっぱり大事なのってどうすれば趣旨通りの仕事をこなせるかってところだから、その目的を実現できるように意見を広いながらプランを組み替えていけるスキルも重要よなって。
つまるところこういう姿勢も実積もあるから赤松さん、国政に送る価値があるんじゃないかな?
今、フリーランスや個人事業主の間で問題になってるインボイスにも反対してくれていて、何と「消費税5%に下げればインボイスは要らない!」って街宣で言ってたものだからあーすごいなこの人って。
何のことかは忘れたけど多分皆問題視してるであろう「軽減税率」の被害者になりかけてたらしくってね。
そりゃ「減税しろ」と訴えたくなるよな。
それに減税しちゃえばインボイスも軽減税率も必要なくなるし一石二鳥どころか一石三鳥って感じ!?
思うところはあるけどもし叶ったらそれはそれでいいなと思うから「やって見せろよ!」って感じで投票するのもありかもな。
なので、赤松健さんを国政に送りたいって方は2枚目の全国比例の投票用紙に「赤松健」って候補者名を書いて投票するんだって。
「あかまつけん」とひらがなでも良いらしいけど「さん」とか「先生」とか加えて書いちゃうとそれは「無効票」と言って赤松さんの票としてカウントされないらしいからそこは注意みたいだ。
あくまでも「赤松健」と名前だけを書いて投票ってところが肝らしいね。
して欲しい仕事とか望む未来とかを一番マッチさせやすい上で意思表示できるんだもの。
だからこういうシステムをうまく使いこなしながら俺たちの民主主義ってのを日常を作っていきたいよな。
赤松さんを国政に送るには2枚目の投票用紙の全国比例で「赤松健」と書いて投票だ!
(ちなみに候補者のことを応援したり候補者関係の情報を共有できるのは7月9日土曜日の23時59分までってことなのでそこだけはお気をつけください)
次に、改行の癖を覚えます。
すぐ改行する、スペース開けがち、長文書きがち、などで増田を分類します。
次は話題です。
特定の話題(フェミ関係、特定の社会問題、政治、弱者男性など)を話してる人は特定しやすいです。
その次は時間帯。
平日昼間に多いとか、夜によくいるとか。
ほぼ毎日いるとか。
また、増田をブックマークするブクマカ(最初の1〜3ブックマーク)は
そのブクマカの口調を分析し、ブコメの投稿時間と増田の投稿時間を比較、
そうやって私が数えた増田の数は、メインの増田で250〜300人ほど。
特に嘘松増田は、基本的に追記や返信をしません。嘘がバレるからです。
まとめます。
メイン増田300人と時々参加する増田の創作物が、はてな匿名ダイアリーです。
高校生の頃、自転車の二人乗りが道交法違反って知らずにやってておまわりさんに止められたの懐かしい
自転車なしで歩くには少し遠出だったので、帰りどうするか悩んで、結局とぼとぼ歩いたっけ
創作物の中でも正しくないことはさせない!って何でもかんでも縛るのは好まないんだけど、実際自転車二人乗りは完全に創作物を模倣してやったのでこればかりはなんとも言えない
元々正しさの話より個人的な違和感の話なんでそこんとこは納得してもらいたい
あと、ずんだもんを使った個人の創作物でずんだもんがどんなキャラにされててもそれは自由だと思う
元増田で書いたのは他人のやってるニコ生のコメント欄という限定された世界での話なんだ
ずんだもんのキャラを守って欲しいわけじゃなくて、わざわざこぞってずんだもん語尾使って有象無象のずんだもんぶるなら有象無象の視聴者たちってとこからはみ出ないで欲しいって思ってしまう
具体的な例なんだけど、配信内容とは全く関係なく唐突に「今から風俗行ってくるのだ」とか「クソフェミのことは無視するのだ」とか言い出すずんだもんがいてね…うん
どんな内容だったか簡単に説明すると、人気を出すためには何より知名度が重要っていう話。
これ、音楽に限らず創作物全般に言えることだけど、増田も同じだなぁって思ってしまった。
話題になった投稿の内容をよくよく読むと内容自体はそれほどでも…っていうのが大半で、
ブクマ大量についてるのは話題になって注目を集めたからで、結局は多くの人の目に付いた結果なんだなと。
増田ってさ、ブクマが一定数つけば話題エントリ入りするじゃん?
そうなると多くの人の目に付き、結果的にブクマが伸び易くなる。
だから言ってしまえば話題エントリ入りしたもの勝ちみたいなところがあって、だから増田は複数人でやってると強い。
たまに政治的なこととか、穿った考えの投稿がブクマ大量についてることあるでしょ?
ああいうのって、数人が協力してまずホットエントリ入りさせれば多くの人に目に付くようになるから、自然と伸び易くなる。
だから「増田って匿名性だから多種多様の意見が知れていいよね!」と思っていても、実際には恣意的な思想を人為的に見せられ、押し付けられている。
ここは匿名性ならではのやらせというか、やりやすさがあるんだと思う。
で、パリピ孔明の話に戻ると、バズらせ狙いの投稿が増田でも結局はバズるから、意味はなくとも耽美な文章や純朴でも心を揺さぶるような投稿は目立たないんじゃないかっていう話。
昨日こういう増田を書いた。
参院選の投票期間も後一週間なので、本当の表現の自由を守る候補者を教えてもらえたらその人に投票しようと思って書いたものだ。
ありがたいことにブクマしてくれた方々のおかげで注目エントリにも入っていたので少なくないはてなーの皆様にもご覧いただけたのではないかと思う。
本当の表現の自由を守る候補者を書いてくれた方もいた。はてなも捨てたものではない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220703012840
では福島瑞穂に投票を // 簡単に言うと、2000年代以降、児童ポルノ法に「単純所持」処罰化を含めようとした(そして成立させた)のが自民、それに反対していたのが民主・社民・共産。福島瑞穂は一貫して反対していた。
このように福島瑞穂氏が本当の表現の自由を守る候補者であると教えてくれた。しかし残念なことにトラックバックで福島瑞穂氏は
子供、又は主に子供のように見えるよう描かれた者が明白な性的行為を行っている画像及び描写、又は、性目的で子供の体の性的部位の描写を製造、流通、頒布、提供、販売、アクセス、閲覧及び所持することを犯罪化すること。
という請願を出していると教えてくださった方がいた。
俺は最初から「俺にとっての一丁目一番地は創作物の表現の自由なので例えば特定のエロ漫画を違法化するような請願を出している方は除いて欲しい」というのを条件にしていたので、残念ながら福島瑞穂氏はこの点で条件に当てはまらなくなってしまう。
ブコメで福島瑞穂氏のことを教えてくださった方はきっとこの請願のことを知らなかったのだと思うが、ともあれ俺が投票できる候補者ではなかった。
最初に書いた増田は半日以上注目エントリに入っていたし、はてなーのうち表現の自由に関心の高い皆様の少なくない数が目を通してくれたことと思う。
しかし福島瑞穂氏以外の本当の表現の自由を守る候補者を教えてくれた方はいなかった。
従って賢明なるはてなーの皆様の言うところの本当の表現の自由を守る候補者であって俺の投票できる人は、今回の参院選にはいないことになるのだろう。
いないのであれば仕方がない。本当の表現の自由を守る候補者ではないのかもしれないが、俺にとっての一丁目一番地である創作物の表現の自由を守ってくれる候補者である、赤松健、藤末健三、栗下善行の誰かに投票することにする。
残念な結果には終わってしまったが、これで赤松らに投票したやつは本当の表現の自由を守る気がないとかいうコメントを見ても後ろめたさを感じる必要がなくなったので良しとしよう。
なにせ表現の自由について一家言ある者たちの最前線であるはてなで聞いた上で、本当の表現の自由を守る候補者の名前は出てこなかったのだ。
なぜ投票したのかと言われても選択肢がなかったのだから仕方がない。俺にとって本当の表現の自由を守る機会は元々なかったのだ。
ところでブコメで「てけとーに共産か社民に入れとけばいい。」などというふざけたコメントがあった。
ある政党に属する議員は全て同じ意見を持っているはずだという幼稚な意識の発露であろうが人をバカにするにも程がある。紙屋氏の提言で共産党の公約が変わったのを見ていないのだろうか。
参議院の比例代表選挙は日本国民が国政選挙において「党」ではなく「人」を選ぶことのできる数少ない貴重な機会である。
反面教師にするにも値しないが、氏のコメントは一事が万事この意識で書かれているものなのだろう。以前から目立つ方ではあったが名前とともによく覚えておく。
ttps://twitter.com/kafkaesque1924/status/1543144934387384323
【続報】昨日のアキバでの、赤松健ことレドマツによる嘘八百のアジ演説。とある筋から、現場の貴重な動画が寄せられました。動画の00:52〜頃から、レドマツご本人の「麻薬や拳銃と同様に、漫画の単行本を所持禁止にする。それが規制派の夢なんです!」との爆弾発言が、改めて確認できます。#赤松健
このツイートでは嘘八百だと書いているが、実際に請願で同じようなことが書かれており演説は嘘ではない。規制派の夢という表現は大げさではあるが。
ttps://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/208/yousi/yo2080020.htm
一、子供、又は主に子供のように見えるよう描かれた者が明白な性的行為を行っている画像及び描写、又は、性目的で子供の体の性的部位の描写を製造、流通、頒布、提供、販売、アクセス、閲覧及び所持することを犯罪化すること。
このことはコメントでも指摘されている。
ここから先に書くのは、このコメントより後に書かれたコメントである。
公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。
ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。
表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。
かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。
このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利の侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現・出版の自由』を主張した。
そして最終的に『ジャニーズのメンバーのような社会的影響力のある芸能人のプライバシーの権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社の表現・出版の権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。
あるいは、「萌え絵は性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在の法律上、誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻は殺人と地続き」だろうが「洋画は差別と地続き」だろうが”萌え絵、日本画、彫刻、洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。
一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合はプライベートで運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)
で制作している特定の作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuberは性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)
さて、フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
似たような『市営地下鉄で不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。
見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。
『女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民だからフルスペックの人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。
そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者を不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書が不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。
将来、脳波や脳内物質から人の現在の感情を読み取る技術がさらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波や脳内物質がうつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことであると確信する。
「萌え絵やそれを含めた女性をアイキャッチャーにする広告が公共の場所にあることで現在の男性中心社会を拡大再生産する」というモデルそのものは小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。
現実には男性中心社会を拡大再生産するものの候補は萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などからの意見』『私企業の採用活動の実態』『女性向け創作物の刷り込み』など無数にある。
その中から「広告の効果が無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。
なぜならば経済的自由権は金銭で補償が可能であるが、表現や内心といった精神的自由権は規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。
以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。
全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法がダメな理由ってあるの?
だからこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。
ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。
"「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。
ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。
ブコメが言いたいのは通称「ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体に努力義務を課しているだけです。
“フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制を求めない むしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように
会社は従業員のパフォーマンスを低下させ利益に反する行為を排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為を排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。
「そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話が必要。
「同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書を聖典とする宗教の信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、
2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教の信者になるべきと考えているため、異教徒が不快です」を言い出した場合には
2022/07/04/21:40頃追記
賢明なるはてなーの皆様の言によるとヤマーダやレドマツは彼らの言うところの表現の自由戦士であって、本当の表現の自由に対してはむしろ敵であるらしい。
まあそれはいい。それはわかった。こちらとしてもあのサブイボの立つ宣伝漫画を描いてる候補者に積極的に投票したくないので別にいい。
ただこの二人が表現の自由の敵でしかないというのなら、それならばどの候補者に投票すべきなのか。せめてそれくらいは言及して欲しい。
俺としてはこの二人以外なら栗下善行に投票しようと思っているが、彼はネット上で目立つリベラルの皆様からは批判されている。彼もまた本当の表現の自由を守る候補者ではないようだ。
ならばと藤末健三はどうかと思ったが、彼もやはり月曜日のたわわを購入した画像を投稿したことでフェミニストを馬鹿にしていると批判されていたので違うらしい。(そもそも普通漫画を買った画像を投稿するのはその漫画を応援する趣旨であって、その漫画を批判する者たちを馬鹿にする趣旨ではないと思うのだが)
一体本当の表現の自由を守る候補者とは誰のことなのか。投票期間が残っているうちに賢明なるはてなーの皆様に教えて欲しい。
なお当然ながら遍く表現の自由は全て尊重されるべきであると考えるが、俺にとっての一丁目一番地は創作物の表現の自由なので例えば特定のエロ漫画を違法化するような請願を出している方は除いて欲しい。
本当の表現の自由を守る候補者が一人だけということはないだろうから、この条件に当てはまらない他の候補者を教えてくれれば幸いである。
下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。
目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。
ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来、ツイッターで批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスターを撤回すべし」等の意見をつぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。
はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるとしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所が肯定すれば、抗議者の表現に裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由の侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由の恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。
元々のエントリーでは次のような言明がある。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
これに対するブコメはこう言っている。
preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品のほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りでしかない/そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い
後段の「そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないから不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスターを掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは、表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損的言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要な利益であり、自己表現の利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様である。ノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科を実名で暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現が抑制されている(この事件では、慰謝料の請求を裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシーの保護のために表現を抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。
名誉毀損やプライバシーは具体的な個人の利益が問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組の政治的公平性)を保護するために、表現を抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反が総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果をもつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事・大阪市長・橋下徹のトーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送は社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現を規制しろと言う主張」だから「規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。
なお、念のためにいえば、プライバシーも名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条が保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利は表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自の見解に過ぎない。
選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか。日本の表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制、公務員の政治的意見表明やストの広範な禁止、放送資源の分配問題、政府情報の保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガ・アニメ」の自由ということになっている。また、「アニメ・マンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える』事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノの合法化;「有害図書」販売規制の廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。
「表現の自由」を掲げる政治家の言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由を抑制している制定法を改廃するのではなく、規制の対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだから、お目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動を政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的・普遍的権利を掲げながら、規制の廃止を唱えるよりも、特定の表現に限って規制を免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物の意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物が特定の出版社や特定の作品群を代表している場合、その他の出版社・表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家の言動をナイーブに受け止めてはいけない。
なお、私は実は「アニメ・マンガ」の中の特定の作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体がけしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。
「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロ・ナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論は憲法上の権利として保護されないはずである。憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本の最高裁の考え方もそうであろう:
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
「エロ」の自由を擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理の桎梏をいかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノも出版の自由の対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデンの憲法典の一部を構成する出版の自由に関する法律は、出版の自由を制限できる場合を限定列挙する。児童ポルノは出版の自由を制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁は判例を変更していない。捜査機関が取締りの方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルト・ビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である。一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである。しかし、この最大の桎梏の存在を認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガ・アニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガ・アニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。
丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから、規制される前に対処する政治家が必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。
※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器が描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである。
※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。
※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノが合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集を日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲諸事件の流れだ。
※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的な規制の問題として評価できよう。
※5 むしろ、出版社の利益を守るためと考えれば、個別の出版について規制をお目こぼししてもらう活動も大事だろう。だが、あくまで出版社の権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。
※6 日本で出版されている成人向けマンガ・イラストが児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁はマンガの表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国の立法255号[2013年]223頁)。このような判断を日本の最高裁がするかというと、全然しないだろう。
たわわに対する個人的な意見だと、女の子からの積極的なアプローチは全然ありだけど、男が女に向ける性欲と同じノリで女の子が男に好意を向けてる描写になってるのが端的に言ってキモい
惚れられる要素など何もない男に性的アプローチするほど女子高生をバカだと思ってるように感じた
なら、性欲で惚れる男をバカだと思ってるのかよ!と問われれば、そうです、としか言えない、すまん
統一教会や安倍氏など自民”保守”派から出ていたのって、元増田が書いている通り
「セックスやエロスはフシダラで不適切で隠れているべきもので、適切な管理や規制の下に置かれるべき」とか
「行き過ぎた自由、自己決定を至上とするフシダラな性やその表現を許すことは社会を破壊する誤ったメッセージを発することになる」とか
「行きすぎた性教育というモットーで、支援学校の性教育を弾圧」とかだよね?
赤松がそういう思想の基に「過度なジェンダー平等」に反対しているって本当なのかな?
という元増田の解説は間違っているのかな?文春によるインタビュー記事を見てみよう
「なんでよりによって自民党から出るんですか?」『ラブひな』『ネギま!』…ヒットメーカー赤松健を決心させたもの
https://bunshun.jp/articles/-/52455
赤松 その頃、野党の方々が、ジェンダー平等を過度に打ち出すようになったでしょう。
――立憲民主党は、2022年夏の参院選の公認候補は、半数を女性にする方針を明らかにしています。そういった姿勢のことでしょうか。
赤松 いや、2021年の衆院選の時点で、例えば共産党は公式な政策集に「非実在児童ポルノ」という言葉を登場させ、「非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。」と記しました。
これは石原都知事時代の「非実在青少年」を思い起こさせる言葉ですが、被害者がいなくても風紀が乱れるから創作物を規制せよということで、ずいぶん方針が変わったような印象を受けました。
――たしかに、「共産党は表現規制の容認に舵を切ったのか」と話題になったのも昨年の10月頃でした。
赤松 それ以前から、創作物について「女性蔑視だ」「過度に性的だ」と批判されることが目立つようになりました。
日本赤十字社がマンガ『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボした献血PRポスターが「環境型セクハラ」と非難されたり、千葉県警と松戸警察がVTuber「戸定梨香」とコラボした交通安全啓発のPR動画が「スカートの丈が短い」などの理由から、全国フェミニスト議員連盟に抗議されて削除されたりと、もはや女性キャラクターの“炎上騒動”は日常茶飯事となっています。
これは、実在の女性モデルを批判すると「女性vs女性」の構図になってしまうため、主に創作物の女性キャラクターの容姿が狙われるようになったのでしょう。これらの抗議活動は、本当に男女差別をなくすことに寄与しているのでしょうか。甚だ疑問です。
――「頬を赤らめている」とか「服の皺が多い」イラストを「過度に性的に強調されているから不適切」と言われていることも目にしますが、そのような方針で創作物を規制するのはよくない、ということでしょうか。
赤松 先述した児ポ法(児童ポルノ禁止法)と同様に、実在の女性や児童の権利を守ることに対しては賛同していますが、科学的な根拠も法的な根拠もない、感情論による行きすぎた表現規制には断固反対します。
どっちだと思う?
小学生の時、毎日だったか毎週だったか、日記を5mm方眼ノート2ページ書く宿題を課す担任に1年持たれていた。
その頃のおかげなのか、元々本を読むのが好きだったおかげなのか、どちらか分からないけど、今は二次創作の小説を書いている。小説を書いている時がとにかく楽しいのだ。自分の手で、好きな2人が好きなシチュエーションに基づいた世界で躍動しているのが堪らないのだ。
今になって考えてみたら、当時国語の教科書に載っていた話の続きを書く、という授業が楽しかったのも創作するオタクの素質があったんだなあと思う。オタク最高!
ラーメンやそばなどをズルズルと音を立てながら食べる人がいます。大変下品ですからやめましょう。誰もあなたの口内で発せられた音を聞きたいなどとは思っていないのです。
「普遍的」というのは、単に多くの地域で共通しているということではありません。「その背後に覆し難い道理が存在する」ということです。国連加盟国の多くが独裁国家であっても、人権や民主主義が普遍的な政治理念であるのと同様です。「麺を音を立ててすすらない」というのは、人を傷つけてはいけないのと同様の当たり前の常識なのです。
「麺をすするのは日本の文化だ」と言う人がいます。が、これはデマです。そのような「文化」があったことを示す文献は存在しません。
おそらく、そのようなことを言う人は、落語でそばを食べる場面で音を立てるのを根拠にしているのだと思います。しかし、それは単なる表現上の「演出」であって、そのような文化が存在するわけではありません。
たとえば、アニメで登場人物が歩くときに足音のSEが挿入されることがあります。が、それを根拠に「歩くときにわざと足音を立てるのは日本の文化だ」などと主張する人はいません。
創作物の表現上の演出を「文化」だと勘違いしてしまうのは、正直、かなり頭が悪いです。馬鹿だと思われたくない人は、そういうことを言うのはやめましょう。
「麺をすすると、麺と一緒に取りこんだ空気が鼻からぬけることにより、風味がよくなる」と言う人もいます。ソムリエがワインを鑑定する時にワインを口に含みながら空気を吸うのもこのためです。
しかし「あなたが食べ物を最大限美味しく味わう食べ方」と「公衆のマナー」は全く別のものです。「すすった方が美味しい」というのは、公共の場でズルズルと音を立てて食事をしていい理由になりません。
「動きやすいから」という理由で、結婚式や葬式にジャージで来るのがマナー違反であるのと同じことです。
そもそも「それ(麺をすすること)不快に思う人もいるからやめなよ」と指摘されれば、ほとんどの人は素直に改めるでしょう。
それを、あれこれ言い訳をして、挙句の果てに「これは日本の文化だ」などと言い張って改めようとしないのは、非常に幼稚でみっともないです。
いい加減大人になりましょう。