はてなキーワード: 創作物とは
フィクション作品の影響
息子の義信の謀反、諏訪氏の出身の側室、諏訪御料人(諏訪御寮人)の子の勝頼が武田氏の家督を継いだ史実や、テレビドラマや小説などの創作物の影響により、信玄との不仲説や悪妻説などが流布している。また不器量で暗愚な上に公家の家柄を鼻にかけ、高慢で嫉妬深い悪妻という否定的イメージを持たれることもある。
これらのイメージはほぼ全て新田次郎作の小説『武田信玄』によって作られたものである。ただし、新田原作の映像化である1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では、紺野美沙子が演じる三条夫人自身は信玄を慕うあまり南野陽子が演じる側室の湖衣姫(諏訪御寮人)への嫉妬心を抱く、「恋敵」としての役回りという感が強い。小説内の悪女要素は小川眞由美が演じる侍女の八重が演じた。また、小説版でも中盤以降は禰津御寮人や嶺松院と良好な関係を築こうと努力したり、自分の意固地さを反省したりするなど善性の面も描かれている。
2007年NHK大河ドラマの『風林火山』(井上靖原作)では、原作とは違い、可憐で繊細な少女というイメージに転換。池脇千鶴が演じる三条夫人は全く高慢なところがなく、ひたすらに晴信を慕いながらも芯の強い女性を演じている。唯一、偶然に晴信から柴本幸が演じる由布姫(諏訪御料人)への恋歌を目にしてしまい、女心から嫌味を言うシーンがあるが、その直後に目に涙を浮かべるなど一貫して純情な乙女として描かれている。また一方では諏訪御料人のイメージも「軟」から「硬」へ180度転換していることから、一般的に浸透してしまった歴史通念に対する、制作側の意図的な挑戦であると言えよう。なお、同じ井上原作の映像化である1969年の邦画『風林火山』では久我美子が演じている。
(異性間の話も同じくらい好きなので性別を問わないというのが本当かもしれない)
最近、ご自身がLGBT当事者であると公表されている作家さんが
作品内でも同性間で恋愛や結婚するのはまったく普通のことだという前提で作品を描かれているのをよく見るので
自分はマイノリティの消費をしているんだなと感じ、作品を発表することが不安になることが多くなりました
同性婚も当たり前にできるような、そういう世界になって欲しいと本当に願っています
でもそれと同時に私は、創作物の中での、
恋人同士にならずとも、結婚などせずとも、ずっと特別でいられるような同性愛の関係が好きなので、
そういう関係にならないことを結論にするみたいな話ばかりを描いているのですが
それはもしかして当事者の方の祈りの否定になるのではないかと…
例えば同性に惹かれることへの葛藤とかも表現として好きなんだけれど
誰かを、とくに当事者の誰かを傷つけてしまうことになるのではないかと思うことが増えました
自分が好きなものの加害性に気がつけただけでもいいことなのかなとは思うし
加害性の全くない創作物などないというのはわかっているんですが
どうにもまだ折り合いがつかないでいます
こういった時代の文明崩壊後の世の中を描いたフィクションが読みたいんだよなあ。
別に200年前でなくてもいいんだけど、当時の人たちが考えていたであろう
当時は最先端だった自分たちの文明が崩壊してディストピアというか
人類は衰退しました、みたいな我々から見たら全然文明が発達していないんだけど
二次創作同人をやってる人の愚痴を聞いたことがありますが、創作活動というものは自分の創作物が承認されたい評価されたいという欲求があるからこそやるものなんだそうです
自分の内なる欲求が何なのかということを改めて確認し明瞭に言語化し、それを実現可能な形に擦り合わせていくことが肝要かと思います
つうか日本の創作物って8割ぐらいがコミュニケーション能力皆無人間が勝手に問題広げてそれでワーワー騒いでるのばっかだよね。
「SHINE」って書いたお守りを「輝いて欲しい」って意味で送って、相手がそれを「シネ」と解釈して殺人事件に発展みたいなのばっか。
ほーんとくだらなすぎるわ。
シナリオライティングの能力も0なら人間を書こうともしないしまともな伏線も貼れない話はいつも滅茶苦茶キャラは作者の泥人形。
ゴミばっかだな。
職場の同僚に常識や倫理観の一部が欠落してたりずれていたりする人がいるんだけど、その人の身の上話を聴いてみたら(てかそも同じ職場に勤めてるだけっていう間柄で唐突に生い立ち話を一方的に語ってくる時点でおかしいんだけど)、元放置子だった。祖父母両親と暮らしていたそうなのだが、大人全員が働いていたので、食料だけ持たされて朝から夕方まで家に一人で缶詰め。保育園に年中で入園するまでずっとそんな暮らしをしていたらしい。
で、保育園に入ってからは集団行動に全く馴染めずに一人で全然違う事をしたり、授業妨害をしたりしていたそうだ。それだけなら発達障害とかがあまり知られていなかった当時、普通級にたまにそんな子が混じっているのはよくある事だったのでスルーされていた。
だが、ある日どうしようもなくアウトな行動をしてしまう。クラスで飼われていた小動物を生きたままハサミで切り刻んでしまったのだ。この動物はどんな動力で動いているのだろう? という疑問を解消するためだったという。
それで保育園の先生達と同級生の親や同級生達から気味悪がられるようになり、無視されるようになった。集団の中にいて完全に孤立状態となり、以降、小・中学校でその人の過去を知らない友達が出来るまで、好きなように振る舞って(そして問題行動を起こしまくって苦情は全部母親に行っていた)いた。
そんな訳で基本的な常識や倫理観がインストールされるのが常人よりも遅かったらしいその人は、今でも思いもよらない事で非常識ぶりを発揮する。「自分は大丈夫だと思ったから大丈夫だと思った」と行動して客を怒らせる事がよくある。自分の気分だけで異性に過剰に親切にしてトラブルを起こしたこともある。その時も「自分は相手に恋愛感情を持っていないから相手も自分を何とも思っていないと思ったのに、両想いと思われるなんて心外。何で怒られなきゃいけないのかわからない」などと言っていた。
その人のしでかす事を見聞きし、本人から直接話を聴いて思ったのは、その人は誰か大いなる他者を一切内面化していないのかもしれない、ということだ。例えば神様であったり、自分を可愛がってくれた家族であったり、創作物に登場する大好きなキャラクター、尊敬する大人etc.がその人の心のなかにはいないのかもしれない。そのため「こんな事をしたらバチが当たる」「お母さんが悲しむ」等という、何かをやらかそうとしている時のストッパーがない。また、「神様なら自分にこうして欲しいと望むはずだ」「誰々さんだったらこうする」みたいな内なる模範も持っていない。
何か行動をする直前に思い止まらせ熟考を強いてくる内なる誰かがいないと、自分の独断と衝動だけで行動してしまうんだと思う。だが、脳に障害があるわけではないので社会生活の中で経験を積むにつれマシになっている部分もあるようだ。(しかし大いなる他者の内面化というのは子供のうちに癖づけないと一生出来ないものなのだろうか?)
日本と全く違うムスリム文化の女の人の話を日本人に読ませてどうしたいんだろうと思う。
フェミニストたちがあーだこーだ騒ぎそうだし、あくまで創作物であってどこまで実態か違う文化圏の日本人には確認しようがない。
価値観の違う文化圏があるんだなという知見は得られるが、これを読んでどうしろというのか日本でなぜこの漫画を出そうと思ったのか、読んでもらってどうしたかったのか、作者の意図は理解しにくい。
あれだね、大学の頃からすでにもうおかしなレベルのものつくっててビックリしてしまいました。
例の庵野監督が素顔でウルトラマンの役を演じている作品とかって
たしかにこんなものつくってたら大学に行く暇なんてなくなるな、と納得。
それを読むと、そのコンテを全く再現できていなかったりもして
なるほど、こういうところがプロの仕事では無いとも言えるのだな、と思った。
ああこれCGがない時代に描いたエフェクトなんだよね?って信じられない思いがする圧巻のものばかりだった。
ただ疑問を感じたのは、これほどのものが描けるのにどうして人間は下手、というと言葉が過ぎるかもしれないけど
あと今更ながらアニメとか映画、って色んな人が参加して出来上がっているプロダクトワークなんだな、って実感できた。
もともとの庵野監督のイメージがあって、それがどんどんと膨らんでいって完成度を増していく過程を一部垣間見える部分があって興奮しました。
おじさん向けのばっかでおばさん向けがない、というのがまず分からん。
あと、普通に言えばカルチャースクール的なとこに行けば、って思うけど、
増田は趣味が創作系(読書会に興味あるんだから文章系の創作か)で、
読書会なんか、特にこのご時世はリモート開催も多かっただろうから、
SNSでは「構ってもらえない」と言っている。
結局ここが一番問題で、
「構ってもらおう」という「待ち」の姿勢だったらなかなか友達なんかできないんじゃないかな。
そりゃあ発表してる創作物にめっちゃ興味持ったり、それを評価してくれる人がいて
そっちからアプローチしてきてくれるという形は理想なんだろうけど、
そんなことそうそうあるわけないよね。
陰キャ、とかじゃなくて、もしかしたらプライドが高すぎるだけなんじゃないの、と思う。
趣味の範囲を広げて地元のカルチャースクールに飛び込んでみたり、
SNSで自分から創作系の趣味の人にガンガンアプローチしたり、
そういうことが必要なんでは。
15歳ーserial experiments lain イキリキモヲタになった
20歳ー素晴らしき日々 〜不連続存在〜 メンヘラ気取りイキリキモヲタになった
創作物によって人生観を構築することの限界が来たのかもしれない。
アイカツシリーズを通じて働くことに意味を見出そうともがきはしたが、俺は彼女たちのようには輝けないと心が折れるだけに終わった。
俺にはもう何もない。
他の人間はラブライブやアイマスの中に人生の光を見出して必死に命の火を燃やし続けている。
俺の心は冷え切りすぎてもうすぐ火が消えそうだ。
何かを見つけなくては。
新しい何かを、人生の指針を見つけなくてはならない。
カルトではなく、イキリではなく、まっとうな指針を人生に持たなければいけない。
見つからない。
もうだめなのかもしれない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masato009/status/1533376068325089280
この監督が普段どんな映画作ってんのかなーって気になったので見た
ふ、普通すぎる。まあ普段ジャンキーなゴテゴテの創作物摂取していてい俺の感性が、薄味の物語に反応できなくなってるってのはあるんだろうけどね。
ずっとドキュメンタリー番組風青汁CMを眺めているような気分で、まあよくある不幸のはなしだよなーってのと、
でもお前ら若い体でセックスを楽しんだじゃん。もう人生の勝ち組じゃんっていう目線しか入ってこない感じで、はぁそうっすねって感じだった。
まあキチガイキャラが暴れまわったりとか、みてて胸クソが悪くなるようなキャラクターの思考がばぐってるゴミみたいな作品に比べたら余裕で見てられるけど、とりわけ面白い作品って感じでもないかな。まあタイトルサムネイルみて、想像がつくような話でしかない感じで。
そういう意味ではタイトル詐欺でもないし、見たまんま、こんな感じ毒にも薬にもならないほんのり薄味不幸ごっこ作品を見たいときに、見たら良いんじゃないかな。
ドキュメンタリー風に作るのが見せ場というか売りで、その作風で臨場感を高めたいんだろうなっていう戦略は見えるけど、自分にはハマらなかったな。
あっそ、っていう感じ。本当の不幸ってのは割ともっと悲惨だし、不幸なんて日常だから、どうせひどい目にあうのであればもっと、心の中をえぐられる狂気とか悪意のかたまりを表現してほしかったってのと、現代社会を舞台にするとそうそうそういったジャンキーな物語にしちゃうとくどくなってしまって
難しいんだろうなとか、あっさりした作品を作るために頑張ってあっさりした作品を作っているのに、俺みたいにノットフォーミーな奴が現れて、いちゃもんつけるのもまあお門違いだよな〜って感じだな
ドキュメンタリー番組風に作っても、どうしても作り物臭は臭ってくるし、よくできた偽物を楽しめるほど俺の感性は成熟してないし、この映像を本物だと錯覚して感動できるほどには幼稚でもないってのがつらいかもな
昔、お化け屋敷に言ったことがあるんだけど、あまにも作り物過ぎて、お化け役のアクターの人の演技が過剰演出すぎて偽物感丸出しで白けたこととか、PS4のサメのVRで、深海にいるカニのモーションがお前本物のカニの動きなんも見ないで適当に作ったな!ていうくらい適当な動きしててシラけたのとか思い出した。
本物に似せようと必至に作ったけど、本物になりきれず、偽物としての長所も塞いでしまった中途半端な作品って感じ。
いや言い過ぎなんだけど、なんかそんな雰囲気を感じてしまった。
ストーリーの主軸がまあよくある不幸話なんですわ。そいで、わりかしみんな恵まれた家庭環境からの転落と言うか、社会的には恵まれてるとされる立場にいつつそのなかでも苦悩や葛藤がありまんねん、つー話なんだけど、下民であるところの俺から見たら、
高等民様のお悩みであらされるぞ〜、しっかり泣きましょうー、みたいな空気をかんじてしまって、なんだろう。まあノットフォーミーなんだろうけど、共感が得られないと言うか、あまりにも現実の自分と立場とかが乖離しすぎててなんも話とか感情がはいってこねーなーってなってしまった。
うまい作品だと自分とぜんぜん違う属性のキャラでも、その感情がしっかりと伝わってきて、本当に悲しくなったり、悔しくなったりするんだけど、ほんさくだと、はへーほへー、おこったー、ないたー、ほうほう。で?
みたいになってしまう。俺の感性が擦り切れてるだけっていう説ありますが、なんかそうなっちゃったんだよねー。
児ポ法改悪、創作物の表現規制に反対 TPPから同人誌とコミケを守ろう
(略)
しかし、児童ポルノ法「改正」によって、単純所持を一律に規制したり、漫画・アニメーションなどの創作物も規制対象に加えたりすることは、児童ポルノ問題の解決に役に立たないだけでなく、逆に、人権の侵害や表現の自由の萎縮につながりかねません。
(略)
コミケを守り、表現の自由を守るためには、たたかいが必要です。そして、たたかえば勝利することができます。
(略)
日本のアニメや漫画文化は世界に誇るべきものであり、コミックマーケットも日本の文化の一つとして定着してきています。今後も、アニメや漫画文化がいっそう豊かに発展できるよう、私も力をつくしていきたいと思います。
(略)
夢精で済ませばいいよ。
実際、可能性としては「性欲は結構あるしムラムラするけど、逆に理性を高めて邪心を抑える」って方法も、ないとは言い切れないはず。
同級生って未成年も想定しているだろうか。イマイチ自信がないが現時点の個人的な理解では、尊厳の考え方は、クラス全員の男にヌード写真が出回るのと、クラス全員が彼女の裸を妄想して自慰するのは、実質的には変わらない、とすると思う。
「マスターベーションって具体的に何を想像して行えばいいんですか?」
——…クラスメイトの女子でいいですよ、って答える教師は皆無でしょう。
性的なものが自分の周りに現れることを嫌う人達からすればデコイとなってくれるようなエロ創作物との関係は水魚の交わりみたいな所さえあるんじゃないのか?
バランスを取るために何かが受け皿にならなくちゃいけない。
あるいは、実は子どもの頃から性加害を煽るような文化に囲まれてきたために、恋人以外に眼差しを向けるのに慣れきって—— 増長しているのだとしたら?
どちらがより事後の性欲が高まるだろう?
元増田さんは混乱しておられるようだけど、私も強い衝撃を受けてる。それだけ衝撃の大きい状況にある。そんな中で内省と考察を促す問いかけは、とても重要で意義深いと感じます。いいね!
1 性欲が完全に枯れている人
うーむ……最初は「4だ!」って決めつけようと思っていたのだが、意外といろいろなパターンが考えられるな。
思考力のありすぎる頭脳というものは時に自分の人生から「真実に気づいた!」と思い込む快感を奪ってくれるから困りものだ……
追記:
これならたしかに創作のエロが全部消えても大丈夫かもしれない。
というか性描写が創作物から消えていくに従ってこういう人が増えていく感じはする。
でもそれって本当に「女性が望まずに性的消費される世界を嫌う人たち」が満足する結果を招くのか?
今までAVで蒼井そらとかを見て抜いていた連中が同級生や同僚をオカズにオナニーする機会が増えていくんだぞ?
性的なものが自分の周りに現れることを嫌う人達からすればデコイとなってくれるようなエロ創作物との関係は水魚の交わりみたいな所さえあるんじゃないのか?
俺ぜんわんぜかん無くなってきた
当方25年ぐらいオタクやってて書いたり出したりもしてる経験からいくと
https://twitter.com/between_A_and_A/status/1528212999345180673
>「ジャンル分けは見つけやすくするためであり、住む場所を分けるためではない」が男性向けの認識ですね。だから「公式タグ+ジャンルタグ」が基本になってます。嫌なら各自ミュートしろの精神
基本認識はこれであってるんだけど多分これだけだと理解ができない状況を見たことのある女性がいるかもしれないので解説しておく。
これは太古の昔からそうなんだけど
男性向けは言葉が汚い。「死ね」は「おはよう」とかそういうスタンスだと思ってくれればいい(今はそうでもないけど)
だから「百合に挟まる奴は死ね」は強い言葉に見えるかもしれないがこれはポケモンの鳴き声みたいなもので
誰かを漠然と叩いてるみたいな人は"少ない" いないとは言わない。
基本的に男性は何かを名指ししない、漠然としたジャンルに対しての暴言はかなり広い範囲で許容される部分があるので
この男性向けのスナック感覚の暴力性を理解できない女性にとっては攻撃してるように見えるのだと思う。
あと男性は傾向として空中リプと鳴き声の区別がつきづらい部分があるので
女性から見ると空中リプで誰かを牽制してる!みたいな姿がただ遠吠えしてるだけみたいなことはザラにある。
これは先天的なものか後天的に獲得するものなのかは分からないが
男性は地雷踏んでも女性のリバやら解釈違いみたいなのを踏んだ時より
遥かにダメージが少ない、または大ダメージを食らってもすぐ回復する。
ダメージ食らったらうわっみたいなダメージボイスぐらいは皆出るじゃん?
それが「百合に挟まる奴は死ね」とかそういう言葉を出力する理由な訳だ。
女性向けで主流の「視界に入るのも嫌」という気持ちはあるにはあるけど
ちょっと視界に入ってしまうのは仕方ない 地雷を踏むのは仕方ない
適当にtwitterとかで吐き出してさあ次行ってみよう!みたいなスタンス。
純愛にNTR混ぜるな死ね、みたいな言動を見たことある人が多いと思う。
これに関しては前作が純愛だったのに次回作がゴリゴリのNTRになる
または不意打ちNTR(ページの7割が純愛に割かれて後編怒涛のNTR展開が発生する)の場合に多く
これはジャンルを叩いているというよりもパッケージにりんご書いてあるのにレモン味だったじゃねえかという文句であって
棲み分けとかそういう概念での攻撃じゃないのは理解してほしい部分だったりする。
そしてタグは本当に成分表でしかなく、見て欲しいと思ってつけてるものなので
キャラの受け攻めの表記が違ってたとしてもそのタグをつけてる人が多ければそっちに付ける
そしてそれを気にする人も少ない。
百合はカップリングと受け攻めが重要な部分から言っても女性向けの影響を多分に受けてるので
そこそこ小競り合いが発生するんだと思う。
それこそ男性向け界隈とは住む世界が違ってるという感想にならざるをえない
喧嘩しているように「見える」という部分は多分にある。
こういう思想の全ての根っこにあるのが「キャラそのものへの信奉」である
シチュエーションがどう、とか関係性がどう、とかそういうのではなくそのキャラだけを見てる
もっと簡単に言うと「多少アレでも○○(キャラ名)がエロければorかわいければor絵がうまければOK」の人が圧倒的にマジョリティなのだ。
男性向けはこういう適当な空気感で、pixivとかで漁るのもとにかくタグから辿って全てクリックして
地雷踏みながらえっちな絵を自分のHDDにおさめていくものなので
適性がないやつはどうしたんだろうかという話になると多分死んだんじゃないのとしか言いようがない。
そしてそういう奴の声は本当に少数派なので届かない。
たまに聞こえる声は断末魔かダメージボイスかの区別がつかない。
というか根本的なものの考えとして男性向けと言われる領域の住人は創作物で他人が死のうが傷つこうがどうでもいい。
むしろ存分に傷をつけてやろう爪痕を残してやろうと思ってるフシすらある。
だからタグの棲み分け等お気持ち表明しても殆ど誰も乗っかってこないのだ。
また何か思いついたら追記するかもしれない