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2021-07-24

ゲーム業界人間としての率直な感想

五輪開会式ゲームBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。

世界中選手が入場し、天皇陛下総理なども列席するイベント音楽ゲームBGM採用され、アナウンサーは「日本世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。


これ自体文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。

しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。


というのも、私の実感ではいゲーム国家の一大イベント音楽採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないかである

思えばリオ五輪閉会式でも当時の安倍総理マリオコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府世界通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲーム選択したと言うことだ。

しかし、日本政府はそこまでゲーム産業知名度競争力理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在特にしていない)。

クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーター低賃金長時間労働は一向に解決されていない。

マリオの生みの親、宮本茂2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府から表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。


世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルト蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみゲーム規制が進行している。

そもそもゲームお茶の間話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。

例えば日本ゲームがGoTY(その年に発売された全世界ゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまゲームメディアだけで、一般メディアには触れられさえしなかった。

国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率産業の大きさを考えれば「邦画アカデミー作品賞を受賞する」「日本ワールドカップで優勝する」といったインパクト匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。

しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画サッカーに全く負けていないはずなのに。

ちなみに日本2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。


このようにして、日本ゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームアイデア日本独自テーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。

そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的ジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。

自分認識している日本におけるゲーム立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。

からオリンピックの式典のようなハレの舞台唐突日本ゲームが登場し、「日本世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。

「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。

2021-07-20

anond:20210719061500

「今までアベやスガがのたまった目的目標らしきものはことごとく達成失敗に終わりそうだ。」

東日本大震災以降ずっと旧民主党政党与党を担い、今回のコロナ禍と同様のタイミングと規模でコロナ禍となった場合、についてのシュミレーションと言うか想像自分の持っている諸々の情報不足で出来ない。

ifの世界、と言うかパラレルワールドの話として、どのような対策を行い、どのような結果になったのか、貴殿のご意見を伺いたい。

2021-07-17

世界を握った政治垢が正しくないものを消していった結果、先鋭化した。だが、そのままでも生きていけるように宇宙ルールを歪ませた。この選択によって出来た未来はやばすぎて、パラレルワールドに影響を与えていた。なので、世界世界戦争となった。

2021-07-16

anond:20210222072757

エロゲだけど「もんむす・くえすと ぱらどっくすRPG」とか

世界にちらほら謎の穴が空いていて、その先にはパラレルワールドが広がっている

パラレルワールドのいくつかは作中で穴に飲み込まれる形で消失してしま

主人公はそんな穴を渡れる中で世界を守るため冒険するって感じのストーリー

こんな舞台設定だがどうだろう

2021-06-27

anond:20210627201900

いや、安倍首相積極的に動いたおかげで、北方領土問題は後腐れ無く解決しただろ

え?どこのパラレルワールドの話だよ?

愛国主義者の風上にも置けんな。

2021-05-20

アニメ漫画版ウマ娘改善案

アプリ版は下手にいじるとバランスなうし混乱するからしばらくこのままでいいと思う。

アニメ漫画には多少物足りないところがあるので提案してみたい。

恋愛要素

正直ウマ娘トレーナーでは無理がありすぎる。

かといって、男性キャラを増やしても意味がない。

となれば、ウマ娘同士での恋愛要素を強めにしていく。

スペちゃんは二人の母が居たが、実質ウマ娘アプリ版)にも二人の母が居るようなもので。

オリキャラ二世三世と紡いでいく時に、なんかぼんやりした存在父親と実母、因子母の3人からまれ、因子母と実母の絆が子供に影響あたえるみたいな。

チーム戦

各チーム個性があり、それぞれ敵対しながらもリスペクトしているいい関係だとは思うがぬるい。

ここは多少不自然でも、悪のウマ娘組織(学園)を登場させるなりして、チーム対抗戦をやる。

パラレルワールド的な話でもいい。シン・ウマ娘として、スピカ、リギルその他チームの精鋭や、他のウマを勝たせるために、大逃げしてペースを乱す師匠とか色んなウマにスポット当てつつ、努力友情勝利

騎手要素

競馬には必要不可欠な存在。現状、トレーナーからの指示やアドバイス、本人の作戦観などで多少は補強されているが弱い。

また、一部(ズっ友コンビ)を除くウマ娘にとってレース孤独ありすぎる。それはそれでもいいが……。

物理的に騎手を載せるなんて無理なので、浮遊する妖精パートナーに着けるなど考えたらいけるかとも思ったが、ファンタジーが過ぎる。

唯一の打開策は、小動物(しゃべれる)を頭にのせたりポケットに入れて支持を仰ぐことであろう。

ねずみとかが適任だと思う。

おっさんへの配慮

まりにもおっさんが登場していない。

せめてレース場の観客はおっさんで満たすべき。この際全裸でもいい。

2021-05-19

ウマ娘 タウラス杯総括

ウラス杯お疲れさまでした

僕は予選の勝率は4割ちょい、A組進出したけど決勝は3頭で2着、5着、6着で総合2位という結果でした

称号は得られずです

やった感想をまとめます

ゲームバランス

やっぱり追い込み馬、主にゴルシ強すぎ問題は何とかすべき

後ろから追い込むのって実際は相当難しいし、ゴルシみたいに中盤から大外まくって勝つのは相当スタミナが抜きんでてないと無理

マンガみたいな馬を毎レースマンガみたいに再現できるような仕様おかしいので、ゴルシの専用特性の発動率は下げるべき

少数立てレースほど、後ろ有利なシステムはなくしたほうがいい

というか、そもそも脚質の概念自体、少数立てだと本来は薄まるはずだよな、と思う

馬群集団の大きさと、集団との位置関係によって正しく空気抵抗でのスタミナ消費と軽減率を算出して当てはまるシステム理想

だけど、まあ、実際はそこまでせんでいいから、もう少しゴルシ品評会な感じを減らしてほしい

あと、デバフ強すぎ問題

これ自体問題はないけど、じゃあデバフ対策ってどうすんの?というのが不透明なのは問題

賢さが高いほどデバフ回避できる、みたいな仕組みがあればいいし、実際あるのかもしれないけど、よくわかってないからやられ放題なのがきつい

現状の対策としては、全プレイヤーがデバッファー1人いれれば全員等しくデバフ受けるし対等、という形に落ち着いてしまっている

これだとなんだかゲーム性に幅が出ないんじゃないか?というのが少し不満

デバフいれないとひとり負けだし

王道エースチーム<デバフチーム<デバフ対策チーム<王道エースチームみたいなじゃんけんになるのが理想じゃないか

あとは調子問題

予選では調子ランダムから、勝ちがたい人も勝つ可能性が増えていいのかもしれない

決勝では各チーム絶好調1+普通2という調整がされているみたい

それは平等でありがたいけど

デバフ要員が絶好調もらってて泣いた人いるんじゃないか

調整するなら全員絶好調、または全員普通でいいんでないのかなと思った


リーグ階級

グレードとオープンがあったけど、これ自体はいいことだと思う

ただ、グレードは無差別のパワー勝負なのはいいとして、オープンは決まった数値での調整勝負という、勝負の中身が違うというのが現実だった

初心者リソースが足りないものオープンだって当然勝てない

よって、ふたつのリーグ上級も中級もない

勝負の内容が違うだけ

多少グレードのほうが景品がいいとしても、オープンもグレードとそこまで変わらない景品でよかったんじゃないかなと思う

称号も、グレードプラチナオープンプラチナがあればよかったのではないか

で、あとはほんとの初心者用、新馬リーグみたいなのはあってもよかった

「うまぴょい伝説」の称号未所持トレーナー限定、というのが条件のリーグはどうかな?


育成

オープン用の育成の話

まず、いま育成をやめたら評価点が何点になるかわからないのがきつい

サード計算ツールあるのに終盤で気付いて使わせてもらったけど、あれあるのとないのでは大きく違う

公式評価値が常に出ていたらサードに頼る必要がないから助かる

あとは試走がしにくいのがきつい

ストーリー上のレースを利用できるけど、せめてそこに自分の愛馬2頭は出せるようにできないかな?

2頭出せたら比較ができる

比較ができたら得られるものが増える

本番での試走ができないからこそ仕上がってるかわからなくてドキドキする、という意味では、リアル競馬っぽいし、まあ、そう開き直ればこれはこれでいいかもしれないけど


全体的に

途中、デバフネイチャ+ゴルシに蹂躙されるゴルシゲー、デバフゲーでクソかと思ったけど、終わってみたらやっぱり面白かったな、と思った

ウマ娘は育成でのストーリードラマ面白いけど、やっぱり君の愛馬がズキュンドキュンと走り出すほうがもっと面白

そしてレースは勝つか負けるかわからない、そしてやり直しの効かない一発勝負から燃えるし、興奮するし、面白いし、そこにドラマがある

それはウマ娘たちからすでに教えてもらってたことだったな、って思った

パラレルワールドの育成を繰り返し、時を戻し、失敗したら出荷、みたいなスレプレイヤー気持ち彼女たちは走ってないんだった

久々に彼女たちと同じ気持ちになれたのはよかったと思うよ

自身負けたんだけどね

勝てないからつまらない、という気持ちはわかるけど、ネイチャがストーリーで「勝てないからつまらない」って言ったら嫌いになるだろう?

負けて悔しいからつまらない、という言葉が出てしまうのはわかる

でもそこは「なに期待してたんだアタシ」くらいでいいだろう

負けたからこそ次勝てばドラマになるんだよ

から次勝とう

次は菊花賞ベーススコーピオ杯かな?

それか早くも来月ジェミニ杯があんのかなー

ま、次勝てばドラマ、とか言っても、今日レース出たマックイーンとはパラレルマックイーンが次のレース走るんだろうけどね

かなしー




あと、世界観壊す妄想

ウラス杯は勝ち馬投票券マニーで買わせてくれたらと思う

絶対てんやんと投げやりになるくらいの戦力差がレース前に見えてしまったら、相手の馬の馬券を買えばいい

まりそんなレースは、ラッキー、儲けるチャンスやん、ってなる

レースは負けたけど競馬は勝ってマニー増えた、みたいな気分になれば自分ウマ娘が負けた時の気分も少しはましになるんじゃないか

2021-04-29

anond:20210429174854

フェミそもそも弱者男性を殴ってなくない?

この時点で「パラレルワールドにお住まいの方かな」以外の感想が出てこなくて議論が止まる

しかしどう殴られたかは言えない。

状況報告が必要ときに、感想しか出せない。

現実世界にお住まいでない方かな。

やっているのは議論じゃなくて、空論。

anond:20210429174659

フェミそもそも弱者男性を殴ってなくない?

この時点で「パラレルワールドにお住まいの方かな」以外の感想が出てこなくて議論が止まる

2021-04-24

競馬ファンVSウマ娘ファンの構図

MERVELファンだった自分MCU一般層に流行った時に感じたことと似てるから気持ちはわかる

ファンタスティックフォーが一番好きなのでシビルウォーとか辛かったわ

そもそもコミック自体一枚岩じゃないしパラレルワールドへの耐性が異様に高いので受け入れられたけど

なかったことにされてる要素がたくさんあってそれが正史扱いされてるのは寂しい

映画きっかけに日本語訳された作品も多いからもちろん良いことだったと思うんだけどさ

2021-04-14

アラサーOLパラレルワールドメモ

在宅ワークの昼休みにうとうとしていたら、金縛りに遭った。若い人に多いとどこかで聞いたことはあったが、アラサーでもなるらしい。

ベッドでは動けず、目も開けられない中でシャワーの音が聞こえた。今は部屋に誰もいないのに、はっきりと誰かがシャワーを浴びる音が聞こえる。怖くなり辺りを見回すと、そこは自分の家のようで自分の家ではなかった。青を基調としているはずの寝室が黄色い。もしかしたら、パラレルワールドに来てしまったのかもしれないと思った。

いまの自分意識の他に、ここでの自分意識があるようで、数日後に同窓会が控えていることを憂鬱に感じていた。それでも会場は好きな店らしく、「私」はメニューを思い浮かべることに楽しみを見出していた。意識をもう少し探ると、この部屋はいまの部屋よりも少しだけ広く、リビングまでもが黄色統一されていることがわかった。好きな色は緑なのだけども。

シャワーの音が止まる。出てきたのは、いまの世界同居人だった。数年同棲してこの先の望みが薄い恋人と、この世界でも一緒にいるんだなあと落胆しながらも少し安心した。

私の姿を見ると、この世界の彼は言った。「四千(頭身)の都築くんと飲みに行ってくるわ」もちろんこちらの世界で彼は都築さんと面識があるわけでも芸人というわけでもない。有吉の壁で見るくらいの距離感だ。すぐに彼が出て行き、鍵がガチャリと閉まる音が確かに聞こえた。

本来誰もいないはずの空間に人がいなくなったことに安心し、金縛りにじっと耐えているうちに目が覚めた。単なる明晰夢かもしれないけれど、今とほんの少し違う世界存在を期待するのは悪くない。

休み時間を長く取りすぎた。左半身に痛みを残したまま、仕事に戻る。

2021-03-14

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇で描かれなかったこと、その感想

もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。

見終わった感想は、「本当に終わった」だった。

すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。

それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。

これまでのあらすじ

きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画象徴しているといっても良い部分。

復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。

忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。

から題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。

そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけものときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。

NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。

Qの続き

パリでの、序の裏返った模倣

冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレ侵略する側。

派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。

第三の村

アスカケンスケと合流したのち。

直接の描写牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。

トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車メンテはできない」。

まり、あの村にはまともな医者エンジニアも居ない。

食事配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。

綾波初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。

そしてそこにいるのは老婆が中心。

若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。

銭湯図書館牧歌的ではあるが、つまり個別風呂嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。

でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から

でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。

たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。

第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。

ひどい経験をしたシンジ家出をして、ケンスケとキャンプする。

TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分意志では電車に乗らなかったと言う流れ。

ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。

「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。

今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。

あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。

あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。

で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリたか家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。

その後の、ケンスケとの見回りと治水管理で「基幹産業たる農作業免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。

村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。

プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。

その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験従事しているというのも、良かった。

ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。

あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。

シンジ好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。

シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。

最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分レーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。

自分で食い、自分で泣き、自分時間をかけて、最後無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。

アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。

で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉綾波初期ロットとのやりとりでカバーされてる。

TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで

落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。

時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。

でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。

親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。

で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。

それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。

ヴィレヴンダー艦内

前後関係あいまい

アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。

シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。

あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリアスカに言ってなかった?

そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。

シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから綾波初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。

しかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。

あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手パーソナルスペース内に入ってんだよね。

破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。

アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだっていかける。

古今東西書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのはイメージとしては「魔女」だよな。

アスカ死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、

そのタイミング再見って、もう一回会う気満々なのも強い。

新劇場版通してみて、マリだけ高次の存在に見えるんだよな。

ブンドド

わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。

そういや、エヴァで誰を殺せば世界平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。

Q以降、ほぼ単独組織的攻撃対応してるのとか、そもそも研究室の件と言い、このオッサン元凶だろう。

舞台を整えるの全部やり切ってるしな。

甲板上になぜかみんな集まる

セカンドの海の浄化サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい

あとゲンドウがきっちり葛城大佐赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。

ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。

自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初相手ミサトさんなのは結構グッと来た。

アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。

宇宙

ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。

きっちり旧劇っぽく親子喧嘩メタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。

よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。

息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。

聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。

異様に手際の良い冬月先生と対抗するマリ

やるべきことを完全にやり切って、マリ必要ものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生

やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。

ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。

ゲンドウの話

ゲンドウが大人理解力表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。

ユイ出会い、楽しかった、ユイけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える

あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。

新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。

ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。

最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、

繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。

渚カヲルの話

狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション

ここからは、シンジくんからの別れの挨拶なんだよね。

旧劇の場所アスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー

カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置カヲルくんが居るんだよね。

シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー

加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。

時間世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。

時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。

しかマリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。

てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。

あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力大人で成長したなあと。

アニメーション世界

ヒトから高次の存在ってよく映画では描かれるけど、

それを、アニメーションセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。

リアリティのある世界

マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、

いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。

そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。

最後シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。

というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。

ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。

ああ、エヴァンゲリオンアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。

終わりに

一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。

この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。

鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。

加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。

アスカは素直になれた。ゲンドウは折り合いを付けた。レイは居場所を見つけた。シンジ大人になった。

あり得たかもしれない世界の中ではなく、序破Qの世界継続した上でシンジ大人になったのが、本当に良かった。

2021-03-01

Twitterをはじめたら、そこには既に私がいた

自傷行為はしていない。

難病を患っていて余命幾許もない、なんてこともない。

踊りも歌も平凡で、ネット社会で注目を浴びるには、なんのインパクトもない自分

ただ、誰かに構って欲しい、誰かと傷を舐め合いたい。だけど、病み垢はしたくない。彼らはTwitter界のお荷物からね。


そんな理由病気垢を始めた。“幸いにも”私には持病があったから。

発作が起きたらツイートをする。

大丈夫ですか?」

辛いですね、我慢せずに病院へ。」

ああなんて気持ちいいんだ。

体調が悪くなればなるほど、心は満たされていった。

そんな日々、毎晩発作を起こしツイートをするフォロワーが目についた。こういう人は好都合だ。なにせ、私がかまってあげれば、私のことも構ってくれるから

でも数ヶ月して気づいた。彼女の発作も、そもそも持病も全部嘘だ。彼女は、いくつもの病院に行き毎度起こりもしない発作で何人もの医師困惑に陥らせていたのだ。

所謂ミュンヒハウゼン症候群

そこで私は我に返った


……わけではなかった。

「なにこいつ超おもしろい」

わざと心配するふりをし、彼女の“病気”を悪化させた。

彼女根本…いや、ミュンヒハウゼン患者根本は寂しさだ。だから自分に注目がないと満足できない。

Twitterフォロワーに体調悪化する人がいれば、彼女はその人を超える重い症状を発症する。

それが面白くて、私は毎晩のように家のソファツイートした。

今日病院です」

「救外に行ったら、緊急入院と言われましたアセアセ」

色んな人からリプはくるし、聞けば30代後半だという彼女からDMまでくる。

大丈夫ですか?お互い辛いですね」

私たちばかりなんでこんなに苦しい思いしてるんでしょうね」

馴れ合う言葉を投げかけあった。

そこでやっと気がついた。

私も彼女と同じじゃん!!!

Twitterで嘘のツイートしてリプされて喜んで。

彼女は、20年後自分だったんだ。


この記事投稿したら、パラレルワールドに行けるよう、アカウントごと消すことにする。


なんて、この記事の内容ごと、嘘かもね。

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-02-18

anond:20210218174843

そもそも刀剣乱舞は「審神者は沢山おり、審神者の数だけ本丸の形がある」というスタンスなので、どんな形の審神者がお出しされても「このメディアミックスではそういう設定なのね」程度。

今回の騒動刀剣乱舞ユーザーは静観している印象だが、ツイステッドワンダーランドパラレルワールドとして複数存在している設定がないので刀剣乱舞よりは紛糾しやすいのは確か。

2021-01-20

「鬼がいる世界の時点で現実と同じなはずない」とか言ってるブクマカたち

鬼滅の刃読んでないけど、鬼の存在は結局一般人にはバレずにENDだろ?

ということは「この世界に鬼なんかいいから鬼滅世界とは違う(キリッ)」とか言っても無意味なんだよ。鬼滅世界の人々も同じこと思ってるから

仮に鬼など現実歴史とは異なる存在事件一般人が知ってる世界観だったら

「この世界パラレルワールドから現実世界と違って戦争がないんだろう」でもいいが

鬼滅の刃あくま現実大正の裏にあったかもしれない歴史として描かれてるから表向きの歴史特に断りがない限り現実準拠と受けとっていいだろう

https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/01/19/111952

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