はてなキーワード: カムバとは
応答ありがとう。確かに AWS や GCP は素晴らしいテクノロジーだよ。だけど、あれだけベンダーロックインに絶望してきた我々は、なぜクラウドだけは別モン扱いするのか理解しかねる... とは言うのは嘘で S3 は本当に代替がない。S3 の互換はあるけど、オリジナルが S3 であるから仕方ないけど。絶対に AWS が S3 のオリジナルを OSS にすることないし。
AWS の次は Azure で良いのじゃない?なんか、評判良さげだし。GCP はアリババクラウドに負けている時点で、ちょっと残念。ちなみに GCP 自体は好きだよ。(さくらクラウドのカムバックまってるぜ!)
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
本人たちの努力や時間も含めた大量のリソースを投じられたカムバを、オタクである私は無心で楽しみたい。
カムバ前〜カムバ期間に考えたいことなんて「楽しい!!!最高!!!!!大好き!!!!!!!!!!」しかない。
それなのに雑念が入り込んできて悲しい。
自主制作を掲げる推しグループは楽曲制作にメンバーがかなりの割合で参加している。
今回、私がモヤついているのはタイトル曲の制作に買収元の代表である某🍞PDが参加となったことだ。
Twitterを見ていると「これまでも外部のクリエイターが制作に参加してきた。それを考えれば🍞PDの参加も特別気にするようなことではない。」「過去にクリエイターとして成果を残しているのだから心配することはない。」という意見を多く目にする。
だが私個人としてはとっっっっても気にすることだし、心配することである。
それは私がモヤモヤしているポイントが「外部の人間が制作に関わること」ではなく、「直接彼らに影響を与えられるような権力者が制作に関わること」だからだ。
クオリティに対して全く心配はしていない。だってとても誠実にアイドルをやってくれるグループだから。これまで通りの制作陣が中心にいるならば、きっとずっと良い曲を届けてくれる。数時間前にあげられたハイライトメドレーも期待を裏切らないものだった。
これまで色々な外部クリエイターの方が制作に参加してきたが、彼らと🍞PDの大きな違いは「権力者であるか否か」である。
買収されてからというもの、無茶苦茶な公式通販ショップを出してきたり、良好な福利厚生をぶち壊すような采配を多々見てきた。このようなこともあって私個人としては買収に対するポジティブな感情はゼロに等しい。
そんな中で、「買収元のトップである🍞PDが制作に関わること」と「変えないでほしい部分(今回は自主制作)が変えられるのではないかという不安」が結びついてしまった。
正直、彼らのアイデンティティである自主制作に手をつけるとは考え難い。今後もメンバーや馴染みのPDが中心にいることだろうと思う。
それでも🍞PDが関わった曲を聴くと、「自主制作じゃなくなったらどうしよう」という考えが思い浮かんでしまう。
実際ハイライトメドレーを聴きながら、そんな考えが頭をよぎってしまった。
まだ買収されて日も浅く、信頼関係が築けているとは言い難い。
そんな中で直接的に彼らを取り巻く環境を変える力のある人間が、彼らのアイデンティティに踏み込んでくること、私はそこに不安を禁じ得ない。
これまでの「楽しい!!!最高!!!!!大好き!!!!!!!!!!」に不安という不純物なんて混ぜたくないのにな〜〜…………。
おっす。元ケンモメン、現増田のどうしようもない人生を過ごしている俺だ。
その昔、売りスレというものがあった。正確には「【速報】アニメDVD・BDの売り上げを見守るスレ」だ。スレタイの通り、アニメDVDやBDの売上を追いかけるスレだ。
このスレのおかげでアニメオタク業界にも「数字」の流れが押し寄せて、やらおんなんかにめちゃくちゃ転載されまくって界隈はボロボロになってしまった。ひどい話だ。アニメを数字でしか語れない悲しい人間が量産された。
「覇権」という言葉が広く使われるようになったのもここからだったと記憶している。ゲハかもしれん。今でこそ「その時一番面白いアニメ」みたいなふわっとした感じで使われているが、元々は「そのシーズン最も売れたアニメ」のことを「覇権アニメ」と呼んでいた。
ちょっと脱線するが「質アニメ」という言葉も当初からちょっと意味合いが変わっている。今も使われているかは知らんがある時期以降「質アニメ」というのは、まぁ、文字通り「良質なアニメ」というような意味で使われていたと思うが実は出自は違う。
売りスレでは当然、売り上げが高いアニメほど評価が高く、売り上げが低いアニメほど評価が低かった。その中で売り上げが低いアニメのファンがよく持ち出すのが「質」だった。数字は出なかったけど質はよかったから、と。そういう「売れなかったけど信者がついているタイプのアニメ」を嘲笑気味に「質アニメ」と呼び出したのが始まりだったりする。負け犬の遠吠えの類義語と思っていい。
そんな売りスレのちょうど10年前。2011年を取り上げる。個人的に思い入れがあるのは夏だ。
2011年は波乱の幕開けとなった。
2011年冬アニメ。その後のアニメ史を語るうえで絶対に外せない、歴史に名を刻むレベルの超特大の一発が界隈にぶち込まれた。しかも「当たらない」とされていた新作オリジナルアニメでだ。
座組の段階で注目しているスレ民もいた。中堅アニメの王「ひだまりスケッチ」の原作「蒼樹うめ」とニトロプラスの「虚淵玄」のタッグ。ただ、当時は「オリジナルアニメ」は当たらないという風潮があった。が、そんなものはぶち壊された。
内容のセンセーショナルさも相まって1巻はゲボほど売れた、集計期間中に80000枚弱。ちなみに2010年の売上トップが「けいおん!」の39000枚。ダブルスコアである。それでも2009年「化物語」には及ばなかったので、あっちも正真正銘のバケモノである。スレは化物語棒とまどマギ棒を持ったバーサーカー達の戦場となった。
その裏で、こっそりとウサビッチs4が40000枚以上売り上げていたり、えちえち同人誌を量産したIS<インフィニット・ストラトス>が30000枚以上売り上げていたりと一発がデカいシーズンだった。4位は「君に届けs2」の6000枚強と急激に落ち込むんだけどね。
12か月10万円の悪夢の角川マラソン、走者はゴシッカーと呼ばれ称えられたアニメ「GOSICK -ゴシック-」の放送もここ。後にBOXが発売された。僕はBOXを買いました。
2011年の春アニメ。冬アニメから始まった「新作オリジナルアニメ」の波は収まらなかった。しかも今回は2発だ。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」「TIGER & BUNNY」
売上としてはまどマギには遠く及ばなかったが、どちらも界隈に大きな影響を与える作品となった。どちらも30000枚以上売り上げている。普通に年間10本の指が入るレベルの売上。また、作品として非常に評価の高い「Steins;Gate」16000枚弱もこのシーズンである。これだけ売れると「質アニメ」とは呼べない。
一発一発はやや小粒だが、弾数が多いのが春シーズンだった。シュタゲの後にも「銀魂’」「青の祓魔師」「ファイアボール チャーミング」と10000枚以上が続き、「よんでますよ、アザゼルさん。(9000枚)」「花咲くいろは(8000枚)」と続く。
ラインナップが発表されたとき、みんな死んだような眼をしていた。
ギリギリ知名度があってこん棒になりそうなのが「アイドルマスター」。そして安定感があり評価がすでに固まっている「夏目友人帳 参」。それ以外はもうなんというか、小粒……という評価。そんな2011年夏アニメを制したのは
だった。1巻は24000枚。まぁ、ボチボチといった感じだった。ちなみに、その後うた☆プリはシーズン2、シーズン3の1巻を60000枚売り上げるバケモノコンテンツに育っていくのだがそれはまた別のお話。
ただ、売りスレ民は男が多いのでぜーんぜん盛り上がらなかった。というのはウソで、実は「アイドルマスター」の評価をめぐってちょっとしたいざこざがあった。
「アイドルマスター」の売上はなんとびっくり6000枚弱だった。私の売上やばすぎ!? というのも、実はアニメ「アイドルマスター」の特装版はPS3用ソフト「グラビアフォーユー!」と同梱され「ゲームソフト」として流通してしまったのだ。そして、この同梱版の扱いをどうするかで界隈はモメた。同梱版と合わせると平均して30000枚弱は売れており、十分な売上となったが、アニメ単体だと中堅程度。アイマスをこん棒として使いたい組とそうじゃない組で喧々諤々のののしりあいが続いた。だが何の結論も出なかった。そりゃそうだ。アホらしい。
ちなみにこの夏の2位は「夏目友人帳 参」の10000枚。安定感がある。そして10000枚を超えたのはこの2作だけになる。3位につけたのは「ゆるゆり」8000枚程度。4位「ロウきゅーぶ」6000枚。萌え豚。不作である。ひどい。飢饉だ。
「猫神やおよろず」「神様のメモ帳」「神様ドォルズ」という、タイトルに「神」がつくアニメが3作同時に放送されたのだ。そして、どれも、いかにも「売れなさそう」だった。
秋の新作発表まで大した盛り上がりもないまま、3爆神は出してもスレが荒れないマスコットのように静かに擦られ続けた。そして売り上げは爆死した。普通に爆死した。
その後、なにかにつけて3〇〇とか4〇〇とかつけたがったか定着はしなかった。奇跡のユニットだった。俺は全部嫌いじゃなかったよ。全部リアタイで完走して、猫神は円盤買いました(半ギレ)
2011年秋。
注目は信者の声が大きいで有名なFateシリーズの新作「Fate/Zero」。同じく強い信者力をもつ「Persona 4 the ANIMATION」。オリジナルアニメカムバックの「ギルティクラウン」、PVはめちゃくちゃよかった。
ただし、「Fate/Zero」には懸念があった、制作スタジオ「ufotable」である。当時の「ufotable」はクオリティは高いが売れない、というのが一般的な評価だった。
結果は「Fate/Zero」が50000枚強売上て圧勝。年間2位につけた。ふつーにめっちゃ売れた。あ、みんな知ってると思うけど、2019年に「ufotable」は「鬼滅の刃」を作ります。
「Persona 4 the ANIMATION」も30000枚以上を売り上げ地力を見せつけた。続いて評価の高い「境界線上のホライゾン」が20000枚以上、人気シリーズのシーズン2となる「WORKING'!!」が12000枚ちょい、当時最強ラノベと名高かった「僕は友達が少ない」が10000枚ちょい、前評判は高かった「ギルティクラウン」は8000枚売れなかった。
まどマギ、あの花、タイバニ、Fate/Zeroと話題性、売り上げともに強力なラインナップ―しかもすべて新作の―が揃った一年だった。しかもオリジナルが3作。後に人気シリーズ化していったり映画化する作品も多かった。鮮烈なシーズンだった。
2011年の周辺でも2009年には「化物語」が生まれ、2010年には「けいおん!」、2012年には「ソードアートオンライン」「ガールズアンドパンツァー」が生まれている。俺にとっての黄金期だ。
思い返してみればあの頃が一番真剣にアニメを見ていたと思う。スレでは「売れないアニメに人権なんかねーよ」などといいながらも、そんなに売れなかったアニメも楽しんで見ていた。ヴィクトリカちゃんかわいいよ。スレ民が思ったより円盤を買うから俺も結構買っていた。
その後売りスレは数字叩きが苛烈化し、売り上げの数字は基本オリコンから勝手に獲っていたのだが声がでかくなりすぎた結果、オリコンを怒らせ規制を食らったり、まとめサイトからの流入が多くなり(まぁ2011年時点でも普通に地獄絵図だったが)収拾がつかなくなったりして勢いが少しずつ薄れていった。俺も昔ほど張り付かなくなり、いつの間にか見なくなった。
今ではそこまで真剣にアニメを見なくなったし、サブスクでのストリーミング配信の普及もあって円盤もほとんど買わなくなった。少し寂しい気持ちはある。
たぶん小学校ではかなり勉強ができて周りからもたくさん褒められたタイプ。
中学、高校でもそれなりに「学校のお勉強」は頑張ったタイプ。ただ、高校生くらいになると周囲の人間の評価における「学校のお勉強」の比率はドンドン下がる。顔面偏差値やスポーツ、ファッション等の比率が上がり、知識だけ持っていることの比率が下がる。大学、社会へと進むごとに「実行力」の比率が割り込んでくる。
そうして「知識だけ詰め込んできたあたまでっかちな元優等生」の価値がなくなる。学校でも会社でも、しょうもない蘊蓄を垂れるだけの人間なんて大した価値がない。蘊蓄垂れ蔵に価値があるのはせいぜい中学生くらいまでだろう。
異世界転生モノで「〇〇の知識を持った俺が~」系が多いって結局、これに対するコンプレックスなんだよね。知識を持っているだけでチヤホヤされた時代カムバック! ついでに生まれ変わることで見た目もリセットしちゃお☆
なろう系なんか読んでる奴は底辺って言われることが多いけど、ガチのマジの底辺はなろう系なんか読まない。小説を読むってこと自体ができないし、そもそも一瞬でもちやほやされた時期がないから、生まれ変わったところで自分がちやほやされるなんてまったく期待してない。夢を見る余裕もない。
それこそコロナ以後は「今タクシー大変でしょ」から話題始まること激増したから、「東京五輪どうなるんですかねえ」系の世間話はリアルに100人くらいとしてきてると思う。
サラリーマン、OL、主婦、爺さん婆さん、若い兄ちゃん、同業者含むブルーカラーのあんちゃんetc...属性は完全にランダム。
でも「東京五輪開催して欲しい」って人はマジで1人しか遭遇しなかった。
その人は「中止なんてバカ言ってんじゃないって思いますよ!経済死ぬわ!」ってハッキリ言ってた。
それ以外の人は全員「できるわけないじゃん」とか「オリンピックなんか別にやんなくていいよ」とか「とっとと中止しろ」とか完全に切り捨ててた。
「すっごく楽しみにしてたから残念だけど、コロナも収まらないし中止したほうがいいですよね……」みたいなニュアンスの人さえいなかった。
池江璃花子のカムバックに猛烈な感動して「なんとしても東京五輪やるしかない!!!!!みんな力わ合わせれば開催できる!!!(`・∀・)ノイェ-イ!」みたいな人Twitterにめちゃくちゃいたけど、ああいう人ってリアルでどこにいるんだ?
いつも都心エリアも城西エリアも城南エリアも走り回って色んな人を乗せまくってる自分の観測範囲ですら全然いなかったから不思議で仕方ない。
※ フィクションです。
昔から思うんだが、何かのコミュニケーションツールの一種みたいになってるんだろうな。と思う。
「彼氏はいないの?」「そろそろ結婚しないとじゃない?」「子供は作らないの?」に進化していくのがまた腹立つ
うるせえな!!!お前に関係ねえだろ。さっさと死ねや。という気持ちに必ずなってしまう。必ず。
「この仕事は難しいと思うから俺がやっとくね・やっときますね」
みたいな事を言われて下心丸出しで仕事を持っていかれることがある。
ラッキーと思って放っておいたら炎上して手元にカムバックしてくる。
「お前私文の癖に賢ぶるなや。死ね」という気持ちで仕事を片付けることになる。
責任者は誰だと言われて謝りに行ったら「男の責任者出せ」みたいな事を言われる。あのなあ。
君らのゴミみたいなプライドのために時間使いたくねえんだけど。それともあれかい
「弊社の責任者は女となっておりますが、事前にチンポコを着けてから伺いましょうか」みたいなチンポコリーマン仕草があるのか?
私は不勉強で大変恐縮ながら、存じ上げないんですけれども。
大体が「おっぱいのサイズ」「彼氏とのセックスの頻度」「性感帯」「経験人数」みたいな
ちょうどイヤ〜なラインの話をしてくる。あと全員面白くない。「特殊風俗でバトルセックスした結果うんこ出た」みたいな話とかは一度もない。
あと、もしかして全員「これってセクハラになっちゃうかなあ」って言うとキャンセルになるって思ってる???ワザップに書いてあった??
これはホンマに腹立つ。結婚して子供も欲しいと思っているだけで昇進のチャンスが薄くなるのズルくね。と思う。
男だとむしろ子供産まれたりすると「給料あげて囲い込もう」みたいな謎の配慮が働いてプラス査定になるみたいな話聞いて気が狂いそうになった。
お前ただセックスしただけやんけ。ずるいずるい。セックスしただけなのに給料上がるのマジでずるい。意味わからん。
仕事をしてそれなりに稼いでくると、必ずこのゴミムシが湧いてくる。銀行マンの嫁に多いゴミ。
「うちは旦那(奴隷)が稼いできてくれるけど、あなたは労働していて身分が低い」という糞を投げてくる。
本当に「結婚が最高」と思っているだけの純朴な人間との見分け方は簡単で、
「増田ちゃんはかわいそう」という謎の上から目線のスタンスで話し始めて、
「一方で私は。。」という自分目線での話に持ち込んでくる。やかましい。お前もお前の話もおもんないねん。
基本ザコなので気にしなくていいが、下記の呪文を唱えると消えるので、害虫駆除に困っている人間はぜひ使ってみて欲しい。責任は取らないが。
で、いざ子供が産まれて普通に仕事してたら取引先のジジイから「子育ては?」みたいな事を言われる。
「旦那がやってますけど」と返すと、「考えられないなあ」みたいなコメントが返ってくる。考えろやハゲ。
昔はそうだったんだろうな。と思うし価値観のアップデートをしろ。とも特に思わないけど、
この辺りの世代の人間はマジで脳の老化のせいか「それを聞いた相手がどう思うか」を配慮する能力に欠けているため
悪気のない言葉が猛スピードで投げられてくることが多い。誰も悪くないと言うことは分かっていながらも、イライラしてしまう。
色々手伝ってくれて嬉しいんだが、それとセックスするかどうかって別問題すぎるからな???
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森の話に付随するモヤッとしていた内容を吐き出してから冷静に眺めて思ったことではあるんだけど、
普通に「女性も活躍できる世界」みたいな主張そのものを全員本気にしてない中で、お題目だけが掲げられていて
それを間に受けて働こうとすると、上記の敵が現れて戦わなきゃならなくなる。と言う状態が悲しくなってきた。
そもそも、真剣に「女性が活躍した方がいい」と考えている人間って少ないんでしょうね。
男性と戦っていてえらい、みたいな話をされる度に感じるけど、
仕事で男性と「戦う」って何?と言う気持ちになるので、そもそもの世界観が異なる気がしている。
・男女問わず、特にメリットがないので女性の社会進出に無関心な人たちが投げかけてくる言葉
・「女性なのにえらい」みたいなワードを出して分かってる感を出してくるけど、特別扱いしてることに多分あんまり気づいていない人たち
・女性の社会進出"事業"で小金稼ごうとしているフェミニズム界隈にいるバカのせいで降りかかってくる流れ弾
とかの方が多い。
個人的には、「女性がやることにより生まれる付加価値」と言う概念そのものには懐疑的(性器の有無で成果が変わることってあるか?と思う)なので、
「勝手にそういう生き方選んで勝手に苦しんでるだけじゃん。」みたいな話をされるとぐうの音も出ないんだけど、
裕福になろうと思って普通に頑張ってるだけでこうなるの結構めんどくせえな〜って思ってしまう。私も概念としてのチンポコが欲しい。
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。
そのグループはよくグッズでランダム(中身が見えずメンバーの人数だけ種類がある)のものを出す。
交換に毎回苛立ちが止まらず、ここで吐き出すことにした。
グループの中には人気のメンバーがもちろんいる。これをAとする。
一番人気ほどではないが、交換がまあまあ難しいメンバーをBとする。
好きな人も比較的多いが、2推し(メインの推しではないが、二番目に好きな人が多かったり、推しとのカップルで好きだったりする)にしている人も多いメンバーをCとする。
ファン数は少ないけれどコアな人気を誇るメンバー、グッズやその時期のビジュアルがよかったらついでに集めるかなぁとなるメンバーをDとする。
まず、私はトレーディングカードはコンプリートしたい。缶バッジなどのグッズは推しのなかの2人集まればいいかな、推しが自分で引けたら多めにとっておこうかなというタイプです。
交換してほしい!と申し出る前に、自分がほしいとBとあなたが欲しそうなCかDを交換するよ、と申し出てくれる方がいます。
何度も言うように、Dは交換がしやすい。
そういう人に限ってほかの人からは見られないtwitterのDMやLineで連絡してきがちです。
断る労力…と毎回思います。
交換してください、と声をかけてもレート考慮してください、や条件の良い方を優先して交換します。と言われたりします。
レートって何?わたしが上にあげたABCDのことです。人それぞれレートがあるのです。
私はエスパーじゃないからあなたの心のうちは知らないです。正直に明記してください、欲しいものを。
条件の良い方は、例えるならば私の推しはCなのでA1枚との交換はC2枚とね、ということです。もしくは手に入りづらい過去のものなどとの交換なども挙げられます。
こうやってレートを自分の中でつけてしまってイライラする自分にまず腹が立ちます。
人にランク付けをして嫌な人間だなぁ、なんでこんなにケチケチしてるんだ、バカみたいだと思い交換に挑みますが、毎回なんだか損した気分と交換できなかったDのグッズが大量に手元に残ります。
こんなのメンバーや一生懸命作ったスタッフが見たら悲しむよなぁと思いつつも、ランダムで商品を売っているのはそちらなので、と気持ちに線を引き続ける日々。
どんどん図太く嫌な人間になっていく。
私は人の気持ちにしこりを残すならば、得はしなくても損をしないで生きていきたいものです。
こちらを思ってお声がけしていただけるのは大変有り難いんですが、そっとしておいてください。気が向いたらメルカリで買います。
コンサートがなくなり、オンライン配信やCD音源リリース、グッズ販売でしか販路をなくしてしまったアイドルたち。
なぜか日本向けだけやたらグッズが多いとか、お金を回収するコンテンツが日本にだけ多様にあり、嬉しい悲鳴だったはずが近頃は恐怖となりつつあります。
ついにTwitterの通知を切りました。
毎回苛立つので、ランダムものばかりかグッズ自体を買わなくなってきました。CDの購入枚数も1/10になりました。
楽しむためにやっていることなのにイライラするなんて、そもそもオタク向いていませんね。
無料配信されるyoutubeとTwitterの写真にかじりついて「髪色が変わってる!カムバ(新譜のリリースのこと)かな!?」と小さな幸せを噛み締めて生きていくオタクになろうと思います。
ご静聴ありがとうございました。
ストライクウィッチーズのシューティングゲームと聞いてやり始めたんだが、
リリース後2か月目にして、カムバックキャンペーンが始まってる。
https://twitter.com/w_witch_app/status/1339535175416381443
ちょっと楽しもうと思ったら、それこそ毎月10万円くらい払わないと楽しめない。
そのくらい課金圧が酷い。
数ヶ月前、母とテレビで見たとあるK-POPアイドルにハマり、CDを買ったり親子一緒にファンクラブに入ったりした。
最初のうちは、今まであまり注目してこなかったタイプのアイドルだったので、単純に楽しくファンをやっていたけど、私はだんだん疲れてきてしまった。
今まで私が追っかけてきたアーティストやバンドは、1年から数年に1度CDを出したり、それに伴ってツアーやったり、そこまで高い頻度でCD販売やイベントをする感じでは無かったのだが、
このK-POPアイドルは数ヶ月に1度CD出すし、その度にカムバックと言ってお祭り騒ぎで宣伝、テレビ出演、さらにグッズ販売……。何も無い時でも、メンバーが韓国版ツイキャスみたいなやつで生放送したり、YouTubeにバンバンMVが上がったり、かなりのハイペースで活動している。
このようにどんどん新しいものが供給されて、新しいCDやMVを堪能し尽くす暇もなくまた次……と言った感じの活動スタイルは私には合わなかったようで、今はメンバーの生放送やテレビ出演も見てないし、もう新しいCDが出ても買わないかな…という気分。金銭的にもキツいし。
ここまでだと私が勝手にハマって勝手に飽きただけなのだが、悩みの種は母である。
今年はライブやイベントが軒並み潰れて、買い物にも満足に行けないため、見知らぬ異国のイケメングループは母にとってかなりいい影響をもたらしたようで、楽しそうにライブ映像を見ている様子はまぁ微笑ましい。
が、家にいる時はずーーーーっとライブ映像orエムオンのMV特集or生放送の録画が、テレビで流れている。車ではもちろんCDが流れる。録音機能付きの車なので、このアイドルの曲が数十曲、もしかしたら三桁行くくらい入ってるかもしれない。車は母のものなのでここに文句つけるのはおかしいのだけど、流石にしんどくなってきた。
飽きたならもう見なければいいじゃん、で済むのだが、見たくなくても流れてるし聞きたくなくても流れてる。
垂れ流し状態なのが精神的にとてもキツい。正直、うんざり。こんなん好きなアイドルやアーティストであっても嫌いになる。
いつでも同じ曲、同じMV、同じステージ、同じライブ、母のお気に入りの生放送の無限ループ。テレビの録画リストは、そのアイドルの出演した番組やステージ映像、MV特集でパンパン。
そして外国語なのが何よりもキツい。何言ってるか分からない言葉が自分の意思に関係なく耳に飛び込んでくるって、結構辛い。
まぁこれが母のストレス発散になるなら…と思って何も言えないし、居間にいる時はイヤホンしたり、自分の部屋で過ごしたりする。でも、自分の部屋にずっと篭ってると出てこいと言われるので引きこもりはできないし、イヤホンしてても「○○がライブの時に泣いちゃうのって珍しいよね〜」とか話しかけてくる。
父もK-POPに興味を持ち始めて楽しんで見てるので何も言えない。
街中でlemonや紅蓮華が流れまくっててうんざりって人がよくいるけど、それと同じだなって思った。
疲れたなって思って遠ざかりたいのに、四六時中垂れ流し状態で遠ざかれない。今までは飽きたってだけで嫌いではなかったけど、ちょっと嫌いになりそう。
私には彼が総理をやっていた間の国会に褒めるポイントが果たしてあるのか?というくらいに評価していない。
一方で彼の政治で恩恵を被った人もいるだろうし、彼の人柄が好きな人もいるだろう。
安倍総理に対する見方、考え方、好き、嫌い当然色々あってよい。
表明したっていい、心の中にそっとしまっておいたっていい。
安倍総理が大好き、彼の政策は最高、日本は彼のおかげで発展した!やめないで!カムバーック!
そんな人がいたって別にいい。
だが、そんな人にはこの世からご退場願いたいくらいに激しく感情をかき乱される人もどうやらいるらしい。
あなたが安倍総理のことが好きなことには私は全く同意できない、私は彼が大嫌いだ
までは言っていい。だが、
そんなこと言うお前はとっととこの世から退場すべき、まで言うと、まぁそういう思想の人なんだな、と思ってしまい、二度と絡みたくなくなる。
最悪なのはそういう人たちがおりにふれてブクマやSNSて注目されることだ。
自分と異なる思想の持ち主にはリンチOK、弾圧OK、なんて言う思想は半世紀前に安田講堂を占拠して機動隊にこっぴどく怒られたあたりでなくなったと思ってたけど、結構残ってるんだなぁ。
同じこと言ってそうだが、自分たちの意見をこれっぽちも調整する気なんかないばかりか、自分たち以外の意見を言う人たちがこの世からいなくなれば平和なんだがなぁとか無邪気に思ってる人たち、そんなに戦争したいのかなとか少し思ってしまうし、民主主義の良心が彼らを押さえつけ続けてくれることを祈るのみだ。
それまでは東方のオタクで幻想郷の与太話をこねくり回しながら、ボカロを聴いたりラノベを読んだりするライトなオタクだった。
最初にハマったのはてんたつだった。そこからながむつに言って、球磨型姉妹に紅魔館一家みたいな実家感を感じながら、
そこで、赤加賀にハマった。
ツイッターでグダグダ萌えるカプの話をしながらデジタル雑踏で深夜徘徊するのも日課になった頃、ツイッターの夜で出会ったのはなりきりアカウント群だった。
だからそういう文化と相性悪いのかな。って思いもしてたけど、ガチレズ大井bot、正規空母の赤城さん、ヘタレズ加賀が自分をいい感じのオタクにしてくれた。
最初の方にあった瑞阿武は未だに喉の奥に引っかかっている感じがするし、大井の部屋とか、ドスジャギィ金剛のこととかが今書いててとても懐かしい。
ヘタレズ加賀は伝説になったし、ちょっとだけカムバックしてくれた時は本当に熱いものが込み上げた。
ボットの中身さんはオルタの方で元気だし、身の方は色々と成功?されてるみたい。
慢心さんの方もちょっと横目に観測してたけど、結局中の人のことは知らず終いって言ってたのが(幻覚じゃなければ)ずっと心の何処かに突き刺さってる。
自分のおたくとしてのあり方と、いまいち波長が合わないんだと思う。
んだけど、かえみとの、2018年の8月時点で私たち終わってたかもしれないんだよね。っていう配信だけは、観測したし、おもいものが胃の中に落ちてきたし、そのフレーズ、空気感、言葉にできないものをずっと咀嚼してる。
どうあがいても、中に入っていけないし、入っていく気もない。
コミュニティとか界隈とかクラスタとか、そう言ったものの一歩外側でずっと眺めてるだけのぼっち、で、感傷マゾ。
ヘタレズ加賀の加賀屋万筆堂の「白い涙がきこえない」は結局プレビュー版をDLしたっきりで本編は永遠に買い損ねたままだし、EEAAの姫ってつまりこういう。は永遠に焦がれたままだ。
繋がってないようで自分の中では繋がってる話を戻す。
ありえたかもしれない可能性。もしかしたら失ってたかもしれない可能性。
そういうのが好きだ。
オタク(お宅)も、そういうの、好きだろ?
そんな寂寥。
戦艦土佐っていう概念とのファーストコンタクトは、艦これをやりだして、元になった艦船のwikiを足がかりに各種資料とかを漁り始めたまさにそんな時だった。
でも、そうはならなかった存在。
あるいはありもしない存在に(ゲーム的には実装されてない存在に)感情ベクトルを向けるゲーム内キャラ。っていう構図に、どうしようもなく心を惹かれたのかもしれない。
案の定マイナージャンルで、でも、業の深いオタクがエモくて重い作品を書いてくれてて。
そんな本を求めてコミケの会場中を探し歩いたりもしたけどそれはまた別の話だ。
どうしようもなく惹かれて、でも公式(艦これ)では未実装のまま。
ガワが固まりきらないキャラの輪郭っていうのは、そこが抜けた鍋のように、注ぎ込んでも注ぎ込んでも、いつまで立っても何かの形を結ぶことはなかった。
とは言え、そんな与太話をこねくり回しているのはそれはそれで楽しかったけど。
キャラの基盤を知ってるから、その流れでアズールレーンもやるようになった。
アメリカメイン?だからびっくりするほどキャラが多いけど、それぞれちゃんとキャラが立っててすごいなーと思いながら、のんびり気長にプレイしてる。
何かの記事で、中には土佐の名前も見受けられるから、いつかは。というのは思っていたけど、まさかそっちから来るとは。
って感じだったし、天城も土佐も履修済みの身としては、失った片割れを重ねて疑似姉妹ごっこっていう構図は随分とそそるものがあった。
基盤になるものはすでに履修済み。
起工日、なんていう今となっては意味の薄い日の話は置いておいて。
加賀が一月早く進水したけど、すぐに建造中止、2年ほど待って、身を作り変えるという決定を受けた側と、何もなさぬままに沈めと自決を言い渡された側と。
戦艦加賀が持ってた仮面が土佐に受け継がれてて、非常にエモくなった。
一つのたむけだったんだろうか。
その辺りも、これから本編(というかイベントストーリー)で実装してくれるんだろうか。
いつまでも形を持つことのなかった自分の推しキャラが受肉して、めんどくさいオタクたちの感情ベクトルが向かったり向かなかったりすると思うと、
そういえば最近だと夢見りあむお気持ち表明採点botも感情を食ってるって公言してたっけ。
あそこまで突き抜けてこそないけど、原作をぶつけられて吐かれる巨大感情が美味しいから、インターネットの徘徊はいつまで立ってもらやめられない。
※K-POPの話です
SMエンタに推しグループがある人にはわかっていただけると思うが、最近SMの看板グループに熱愛報道が相次いだこの年末年始、これからの1年で使うエネルギーを全部使ったと思うくらい疲れた。
東方神起、Super Junior、EXO……。
私はELFなのでヒチョルのモモとの熱愛にそれなりにショックだったし、「マジな恋愛対象だったのか……」という驚きで1週間は鬱々とした気持ちだった。
何も恋愛されるのがショックなわけではない。
恋愛していいし結婚だってしていいと思っている。ステージの上でこれまで通り素敵な姿を見せてくれればそれを応援する。
もちろん結婚にはタイミング(グループにとっての)があるから手放しで全部賛成はできない。
でももうSJは全員兵役終わってのカムバを一旦果たしたし、これから「今だけはやめとけ」なんていうタイミングは訪れないだろう。
できれば早いうちに、っていうか40歳になる前に。
今回ヒチョルの熱愛が発覚し、私の気持ちがなんとか落ち着いた後も心を抉られたのはモモのファンだかTWICEのファンだかにヒチョルが「おじさん」と言われていたことだ。
ファンとしてはまだ現役なのにそんな風に言われたくないのだが、正直そう言う人の気持ちもわからなくはない。
歳の差がありすぎる。モモと私は同い年だが、私にとって30オーバーはもう恋愛対象ではない。
もちろん芸能界と一般の感覚は異なるだろうし、相手だってそんじょそこらの36歳ではなくキム・ヒチョルだし、一般人にも恋愛対象が年上の人は存在するんだろうけど。
歳の差があるとやっぱりちょっと、成人した二人が決めたことなのだから外野が口を出すべきではないと思いつつも「気持ち悪い」と思ってしまう。
20代の女と結婚したいんだったら百歩譲って40までに結婚してほしい。せめて付き合う段階までいっていてほしい。
私が推しの結婚賛成派で一生独身でいてくれなんて思わないのは、自分の推しが誰かを愛することができ、その人と一生を共にするという決意をできる人だったらいいな〜と思うからだ。
ファンにできるのがアイドルとしての彼らを支えることだけだからだ。ファンは彼のプライベートな部分、彼が見せてくれない部分に関しては助けになれない。そういうところはもっと身近な人に支えてほしい。メンバーはたとえ家族のような存在だとしても、やっぱ仕事仲間だ。
推しがインスタに意味深なキャプションをつけるたびに私の心のどこかが死ぬので、パートナーには推しのメンタルを支えてあげてほしい。
欲を言えば結婚相手は我々には姿を想像できないマジの一般人がいいし、それがダメなら年齢差を10歳以内にしておいてほしい。
でもそれも全部ダメでもいいからとにかくメンタル強靭な人と結婚してください。
そうは言ってもやはり他人の夫の顔がデカデカと印刷されたポスターを部屋に貼っている事実と向きあい、折り合いをつける時間は必要なので発表から1〜2週間は寝込むと思うが、それが過ぎたら私は相変わらず推しのアイドル人生を支えたい。