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2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

 
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