はてなキーワード: オリジナリティとは
著作権32は「引用は無罪(公正さや目的ももとめてるが基準なし)」っていってるだけで、さっき書いたような「出典かけ」とかの具体的要件はなんとこれもインフォーマルにも「判例法」によって定められている業界慣行のようなもの。ちなみに、正しくは「引用元出典を書く(区分が明瞭)」「一字一句かえない(正当目的性、著作物改変の罪が別条に存在するため)」のほか、「主客逆転しない=地の文の方が多く引用部分を超える主張やオリジナリティがある」の全部で3つの要件があるとまとめられることが多い
https://pf.bunka.go.jp/chosaku/chosakuken/naruhodo/answer.asp?Q_ID=0000304 著作権の大元じめ文化庁
なお法学者に引用を説明させると判例もってくるからとにかく長い(しかも判決文以上のオリジナリティがない)・・
著作権32の中(またはそこで引用する政令などの中)でもっとわかりやすく
「文章の著作物で引用するときは出典をしっかりかけ、一字一句かえるな」とか
「タイトルなどの恣意的でない要約は著作物の引用ではないのでもともとやってよい(タイトルは著作物でない判例あり)」ってこれからみんなで決めたらそれが新しい正義になるよね
現状はバカが「引用無罪」を拡大解釈して改変でもいいとこどりの趣旨改変でも何でもやりたい放題やる(「判例法?しったことか!」)から問題のタネにしかなっていない条文
だから論文かくひともわざわざ32条なんか調べたりしないのもある意味正しいよね、同じ無法者として
いつ自分も他人もうっかり著作権侵害するかわからない世の中でよくみんな平気で「執筆」してるなぁって思いますわ
エネマグラって何ができたら「俺エネマグラだぜー」って言っていい?pearlとかAnalとか何がどのくらいできれば、その健康器具を使えるって言っていいものなのか。
言語の使い方やたいていのアルゴリズム実装も調べたら出てきそう。ググった結果のコピペエネマグラも何も考えずに使うのはよくないけど、アナルの再開発はしない方が効率よさそうだし。
括約筋もアルゴリズムも調べれば分かるとなると、エネマグラの価値ってなんだろ。作りたいものを理解して、世の中にあなるものをうまく組み合わせて繋げて動くようにすること?その後のメンテのしやすさとか、考えることはあるだろうけど、そんなにパールにオリジナリティを発揮することある?
プログラマって何ができたら「俺プログラマだぜー」って言っていい?CとかJavaとか何がどのくらいできれば、その言語を使えるって言っていいものなのか。
言語の使い方やたいていのアルゴリズム実装も調べたら出てきそう。ググった結果のコピペプログラムも何も考えずに使うのはよくないけど、車輪の再発明はしない方が効率よさそうだし。
言語もアルゴリズムも調べれば分かるとなると、プログラマの価値ってなんだろ。作りたいものを理解して、世の中にあるものをうまく組み合わせて繋げて動くようにすること?その後のメンテのしやすさとか、考えることはあるだろうけど、そんなにコードにオリジナリティを発揮することある?
りませんでした。
むしろ別に勝手にチュッチュブラブラやればいいじゃんぐらいに思うし、本家のYouTuberがそんなもんだからそこに仮想現実が混じろうがてめーらやらかすときはとことんやらかすだろうがという気持ちです。
まぁ、結局その一生モノの存在をちゃんと素晴らしい存在として確定させるつもりもないのに目立ちたいという気持ちだけでVTuberやってるとか、神経がバイトテロやらかす中高生並の神経なんだなぁと思いました。
だからアライさんは自分の中の人が割れてしまった時にどういう目に合うかだけ考えておいた方がいいんです。
中の人が裏事情を暴きながら生きようとしたらその時点でスター手に入れたマリオが来るぐらいに思ってればいいんです。
そのマリオが何歳かなんて考えなくていいです。
ピンポンダッシュに怯えて生きればいい。
お前みたいなのが存在してるからダメだったんだなとか言われて、その責任を全てぶつけられながらピンポンを押され続ければいい。
そして同じようなのが現れる度にベンチャーの若造が描いてたチャンスというものの門をどんどん狭くしていけばいい。
才能もなく、勤勉でもなく、真摯ではない存在が慣習で残されるような風潮を無くせばいい。
現時点ですら、もう門は狭くなっており、それでもガチガチに台本を固めて、Twitterも熱烈に対応して、配信や動画もしっかりと演じていなければ成功できないような業界なのに。
そんな肝心要の中の人がそういう意識で成り立たせられてると思い込んでるなら、今度から体調不良か別の夢を持って頂いて卒業していただければいい。
声優としてのキャリアも一人のキャラクターを扱いきれずに殺した存在として認知されればいい。
そして、そのキャラクターを好きだった人々にスターを与えればいい。
たくさん居る中の、もしかしたらその中のたった一人が何を間違えたか中の人の情報を得て、何を間違えたか道端でたまたま中の人を見つけ、何を間違えたかそのまま家まで見つけて、何を間違えたか近所のガキンチョに飴でもやってピンポンダッシュさせた後に何を間違えたかTwitterでの反応を見て仄暗い笑いに包まれようと、
その監視者の数の多さ=生涯を通しての試行回数の多さだと気付かなかろうと
面倒だからやらないだけだ
てめえらのヌルい理論なんぞ通り抜けてなんでもやる連中がYouTubeの視聴者層の中にいることに何で気付かない?
都市伝説の類だと思ったか?挫折して人生なんてどうでもいいから推しのために生きたいと思う層がいないと?
そんなゴミクズに迷惑だからやめてよなんていう言葉が効くとでも思ったか?
てめえがてめえの商品を穢すなよ、何故理解出来ない?許されると思ったか?
フェネックに止めて貰えば良かったな、お前がアライさんになってその臭い文章を書いた時点で害獣駆除は水面下で始まっている
まさか電話番号も登録せずにTwitterをしてるとは言わないよな?
お前はまだアライさんになるには早かったようだし、それも台本で終わらせることも可能だものな。
でもアライグマが狩人に狩られればアライグマもアライグマになって適当抜かそうとする森の仲間達も動画サイトという街が怖くなって降りてこれなくなるだろうね
だから、その生贄になろうねアライさん
もちろんこれは単なるジョークだし、VTuber業界とは何の関係もない話だよ
みんな一生懸命自分たちのやらなきゃいけないことをやってるし、
クリエイターになりたい人はクリエイターになる為にファンとの距離感を測りながら作品を作っているし
YouTuber崩れみたいな動画しか作れない子も頑張ってオリジナリティを模索しながらニッチな需要に応えているよ!
しょうもないクソ台本とクソ集客とクソ再生数でイキってる馬鹿は例外なく潰れるよ。
そのファンの形すらわからない馬鹿はやめていいし、今のうちにやめておけばまだ大丈夫だと思うよ。
臭いオタクくんを煽って金をもらえてる臭い蛆虫だと気付けない、蛆虫だから成長してもウンコ掴んだ手をこすりながら金下さい金下さいと媚び続ける病原菌を撒くハエにしかなり得ない存在だとしても。
まだ大丈夫だと思うよ!
「を」の発音問題に関しては、現在「を」しか残っていないわ行の問題と考えるべきなのか。「わゐうゑを」「ワヰウヱヲ」だよなあ。だったら/w/を頭子音とする行だ、で済みそうな話だ。
でも何か引っかかることもある。たとえば、今我々の身近で「を」以外のわ行が出てくるものとして「ヱビスビール」の「ヱ」があるわけだが、これはローマ字表記では昔から"YEBISU BEER"と書かれる。でもや行のえ段は旧仮名の時代から「エ」って書くんだよな。
あと、井関農機株式会社というのがあって、これは昔から片仮名表記で「ヰセキ」という記法を使い続けていた。ところがローマ字では"ISEKI"なんだよな。
これらに対して「ニッカウヰスキー」なんかの場合は、まさに whisky の whi を「ヰ」で書いているわけだよな。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』も、現行の本で見ると『ウィタ・セクスアリス』になっている。これはラテン語の vita sexualis だが、この場合のラテン語における v の発音は /w/ だからこの表記は納得がいく。
これらからすると、わ行の仮名表記ってのは実は結構いい加減に使われていたんじゃないか? ただ商標の場合、オリジナリティを主張する為にわざとわ行の旧仮名を使ったんじゃないか、という疑念も拭えないけど。「を」は助詞の「てにをは」の「を」で現在までがっつり出てくるから、wo というかたちで厳然として残っているのか。うーむ、日本語って難しいよなあこういうところが。
たつきくんへ
いやあ、君を信じでよかった。2年間信じてたんだ。
じつはね、10話までは見るの苦痛だったんだよ。なんか画面が暗くて主要キャラの赤色が見づらくて、ストーリーも緩慢だったと思ってたんだよね。
主人公たち御一行は水不足のジリ貧でカワイソで見てるのが辛かったよ。なんか謎は散りばめられてるけど、あまり前に進んでいる感じがしなかった。
このころぼくは「ああ、たつきくんは終わったんだ」と思ってたよ。かつての熱狂はけものフレンズという特異点で奇跡が起きてただけだったと絶望しながら惰性で見ていたよ。
それで、11話。あそこから、きみの真価が発揮されてなるほどと思った。これまで暗かった視界が一気に開けるカタルシスを感じたよ。
きみはまだ、枯れてない。すごい作品が作れるすごい監督なんだって、誇らしく思ったよ。
君がすごいのは主人公のピンチを我が物のように感じるくらい物語の中に視聴者を引き込んでいること。正直最終回前はドキドキして、手に汗握ったよ。そして、最終回を見て泣いた。
そして安っぽくなりがちな「自己犠牲」を物凄く美しいものとして表現できることだね。
こうして困難を乗り越えて初めて、すごくキャラたちに親しみを感じた。
物語の結末を知ってから、エンディングテーマがメチャクチャ好きになったよ。
きみは、けものフレンズの焼き直しをきちんとケムリクサでやってくれたね。
まず主人公は自己犠牲のためにピンチに陥り、次に主人公を助けるためにこれまで出会った仲間たちが集結する。そして最後に、主人公は救済されつつピンチを切り抜ける。物語は更に続く可能性をのこして終わる。
いいんだよ、これで。ぼくたちが待っていたのはこういうアツい展開を丁寧な構成で描き出してくれることだったんだからね。
これで、このやり方は2回めなんだけれど次はどんなものを見せてくれるのか、楽しみにしているよ。
蛇足だけれど、けものフレンズ2は骨格を失って想像で作ったエセ剥製みたいだし、ケムリクサは骨組みに別の毛皮をかぶせて作ったキメラみたいだった。
だから、きみの場合はキャラとか背景とかを他の人に作ってもらって限られた枠の中でオリジナリティを発揮するほうが良いものが作れるんじゃないかな。困難がよい仕事をもたらす稀有なタイプの人だと思う。
物語の根幹に関わっていることは分かりますよ。でも挙げられた三つの特徴のために主人公が誕生したところのメインの世界とは別に異世界を用意する必要ないですよね。勇者の特異性とか孤立とか、そういう舞台一つの英雄譚はいくつもあるわけで。だからメインの世界から転移したという設定にオリジナリティやらを見いだすわけですが、では別の世界に移った人たちがメインの世界に対してどういう心情を抱くのかとか、メインの世界で抱いた心情が異世界でどのように作用するのかとか、例えば仲間がテーマの場合に、異世界という舞台がどういう意味を持つのかとか、せっかく用意した新しい舞台についてのそういう問いに答えようとする作品はあるのかどうか、私の主な疑問はそこにあります(最初の疑問を読んでわかるように) 。
それに対して異世界設定いらないという発言だけが一人歩きしてるように思えてなりませんね。書き方が悪かったのと、現行のアニメである盾の勇者を挙げたのは誤りだったと思いますが。
……と、なろうしか知らない奴が言うほどに、なろうにオリジナリティがないってことだろ。全部二千年の昔に書かれていました、ってだけの話。
どうやって生かしてやればお互いが幸せに生きていけるんだろう。
自閉症ぎみでも一点に注意力を注げるタイプの奴はまだ使い道がある。
何かしらの専門技能を身に着けさせた上でコミュニケーションの必要が少ない職業に就かせればいい。
完全にコミュニケーションを排除して社会に組み込むことは不可能であっても、それを限りなく減らすことは出来る。
こいつらは使いみちがない。
下手に専門技能を身に着けさせると他の人間に分からない部分で致命的な問題の種を植え付けかねない。
注意力散漫タイプの自閉症にとって「当たり前の事を当たり前にやる」のは最も適正がない分野だ。
結論から言うと、このタイプは中途半端な仕事を中途半端にやらせつつソイツがつまらないミスをしていないかを他の人間が監視してやるというのが一番マシな使い道となる。
勿論、それによって発揮される能力は間違いなく一般人より低いものとなる。
悪い意味でオリジナリティを発揮するだけのこいつらは下っ端としては扱いにくく、コミュニケーション能力の欠如だけでなくメンタルの脆弱性も併せ持っているため上層部に組み込めば自分ごと組織を破壊していく、専門性を持たせるには信頼性が低すぎるし、何より純粋に学習能力が低い(他人に物を教わることが極端に苦手であるため。学校教育のように教科書が用意されていない物を学ぼうとするととんでもなく学びが遅くなる。最悪なことに他人を教育する能力はさらに低い。組織に下手に組み込むと知識のミッシングリンクを生み出しかねない最悪の爆弾なのだ)。
サブスクリプションサービスの発達で、毎年どんどん見る本数が増えてく。
「バッカーノ!」
1930年代、禁酒法時代のアメリカを舞台にした群像劇。オシャレな雰囲気の絵柄・音楽が大人にとってもグッとくるアニメだが、とにかく話が面白くなるまでが長い。ほんと、長い、時系列がバラバラのストーリー、名前を覚えきれない大量の登場人物に、多くの人が挫折するかもしれない。でも、9~10話までは頑張って観ていただきたい。最後にはすべての話が繋がり、「そ、そういうことだったのか~!!!」と納得させられる。そんなジェットコースター級のカタルシスのあるアニメ。原作の成田良悟は後述する「デュラララ!!」でもこの手法をとっている。OP曲はニコニコ動画で手書きパロディが流行した。
働くすべての人に見てほしい、PA WORKSのお仕事アニメの傑作。目指した理想と追いつかない現実、社内や外注先との仕事に対するモチベーションの違い、破綻するスケジュール、板挟みの調整やスランプに陥る焦り……など、誰かがどこかで体験したであろうトラブルを共感できるよう描いている。むしろ、共感しすぎて胃が痛くなるレベル。転職する人や、業界自体を去る人を描くのも印象的。こう……アニメって、強いヒーローが主人公となって大逆転をかますものが多い中、SHIROBAKOは「目立たないけど、仕事にしっかり向き合う、頼れる大人の仲間」がたくさん描かれてる。そこがいい。こういう社会人の活躍するアニメ、もっと増えてほしいよね。
大ヒットを記録した男子フィギュアスケートのスポーツアニメ。なかなか結果が出せない日本代表フィギュアスケーターの勝生勇利は、ひょんなことからロシアの伝説的スケーターのヴィクトルをコーチに迎え、グランプリファイナル優勝を目指すことになる。作画の美しさも話題となったが、このアニメの良さはストーリー構成にあると思ってる。今後の展開を期待させる導入の1話、3話のライバル対決、各国を舞台に繰り広げられるGPシリーズ、そしてクライマックスのGPF。12話をバランスよく完璧にいかしたストーリー構成で、最終回ギリギリまで予想できない展開を引っ張りつつ、最後はきっちりと話をまとめる。アニメのお手本のような構成である。なお、アニメ放送後に現実の競技がアニメを超えてしまったため、2017年以降に放送していたらイマイチになってただろう奇跡のタイミングにも注目。
「赤髪の白雪姫」
純粋さと爽やかさの心地よい、王子様と薬剤師の王道ラブストーリー。少女マンガ原作の中でも、花ゆめ系が万人にオススメできる理由は「女の子が芯のあって強い」点だ。ヒロインの白雪は、ゼン王子の隣に立ちたいという目標のために、宮廷に使える薬剤師として試験を乗り越え、人との関わりの中でしっかりと信頼を得ていく。たとえ悪人に囚われても、王子様の助けを待てない、知恵と行動力で自力解決しちゃう自立派の強いヒロイン。そんな強さが最高にかわいいくて、かっこいい。少女マンガは、冴えないヒロインになぜかクラス1のイケメンが強引に言い寄る~、といった受け身モテモテ展開が多くみられる。けど、赤髪の白雪姫は「白雪ちゃん堂々としててイケメンすぎて惚れてしまうわ~」とヒロインの魅力に納得させられる、そんな恋愛アニメ。
「91days」
マフィアに家族を殺された主人公が、狡猾な作戦と駆け引きで繰り広げる91日間の復讐劇。攻勢も陣営もどんどん変化していく息つく暇ない展開な上に、ポンポンと人が死んでいくので、公式サイトの相関図を見ながら視聴すると話がわかりやすい。「ゴットファザー」とか好きな人ならハマるかもしれないちょっと硬派なドラマ。そして、いかついオジサンばっかり出てくる。各話のラストの引きがすごく計算されていて「どうなっちゃうの~?このあとどうなっちゃうの~?」とソワソワさせられる、緊張感あるアニメ。放映時は中盤に総集編が入ったのだが、もともと密度が高いストーリーだったせいで4分おきに登場人物が死んでくすごい総集編になってた。視聴後はなぜかラザニアを見るとドキっとしてしまう。
「桜蘭高校ホスト部」
お金持ち学校に入学した庶民の主人公・ハルヒが、ひょんなことから学園の女子をもてなす「ホスト部」に入部してしまうとこから始まる物語。個性豊かな部員とど派手な学園生活を過ごすお金持ちラブコメディ。男子制服を着ているが、ハルヒは実のところ女の子。タイトルだけ見ると女性向けのアニメに見られがちだが、ストーリーは破天荒で常識破りなお金持ち達がおりなすコメディが中心。主人公のハルヒのボーイッシュな見た目や、無頓着で歯にきぬ着せぬツッコミ、時折見せる女の子らしさにノックアウトされた人は少なくないと思う。リボンの騎士もベルばらも、いつの時代だって女の子の男装はぐっとくる。連載が続いていたため、アニメオリジナルのラストになりながらも、ほぼ矛盾なくすっきりとまとめあげた傑作。ボンズの作画の美しさや、人気の高いOPも必見。
「巌窟王」
小説「モンテ・クリスト伯」を原作とするSFアニメ。モンテ・クリスト伯爵の復讐劇を、復讐相手の息子アルベールを主人公にして描いた人間ドラマが見所。伯爵の博識で理知的なふるまいと、その不気味な魅力にひかれていった人は多いはず。アルベールの両親達の隠してきた過去が少しづつ暴かれ、伯爵の目的と悲しい真実が明かされていく。最後に救済はあるのか、本当の愛と友情をアルベールら子世代が体現していく。欠点は、序盤のアルベールがあまりに無知で純粋すぎて、見てる側が若干イラッとしてしまうところ。また、この作品の特徴は何といっても映像。テクスチャをふんだんに使った革新的な映像は、最初のうちは見づらいと感じるものの、慣れてくるとその美しさや世界観のとりこになること間違いなし!
「デュラララ!!」
首なしライダーのセルティと、一癖ある池袋の人々との群像劇。散りばめられた伏線やそれぞれ登場人物の行動が、物語終盤に一気に収束していくさまが、なんともスカッとするアニメである。主人公・セルティは妖精デュラハンで、首がない。首がなくても、その人間味あふれるしぐさと時折見せる乙女な発言(?)に、「頭なんてもんはな、飾りなんだよ」という新たな発見を私たちに与えてくれた。登場人物には、主人公が首なしライダーであることが気にならない、ED曲もこれまたニコ動でパロが大ヒットした。
オジサンのベテランヒーローと、若手のイケメンヒーローが街の平和を守るバディものヒーローアニメ。スポンサー企業がつき広告を背負いながら戦うヒーローは、働く中年の歯がゆさも共感できるよう描かれる。メインコンビの虎徹&バーナビーのかっこよさもさることながら、濃すぎる各ヒーロー達のキャラクター性が素晴らしい。王道アメコミな要素、まっすぐなストーリーで老若男女問わず楽しめるアニメだったと思う。アニメ放送時は、ルナティックさんの決めセリフから「タナトスの声を聞け」が私の観測範囲でよく聞かれたと記憶している。
「ハイキュー!!」
ジャンプ原作の高校バレーボールアニメ。低身長ながら驚異の運動神経を持つ主人公と、「コート上の王様」と呼ばれる天才セッターのコンビを中心に、チームメンバーの成長と情熱を描く。テニプリのようなトンデモ展開はほとんどなく、ギリギリ人間的な試合が行われるのでご安心を。このアニメ、ライバルチームの描き方もすごく丁寧で、主人公のチームが勝っても負けても複雑な感情になる。どっちにも勝ってほしいと願っちゃう。特に好きなのが山口。目立たないキャラなんだけど、とても努力家。同級生たちの活躍に影響され、サーブに特化した猛練習をするんだけど、強靭なメンタリティの選手が多い中、山口は弱さも逃げも見せてしまう。自分に対するふがいなさに涙をためる姿に、グッと共感したくなる。ストーリーでは、練習の伏線の回収のしかたも優秀で、技のインフレや、突然のスーパープレイが少ないのもよい。あくまで練習で学んだことをベースに試合が進んでいくところ。
説明不要の大ヒット魔法少女アニメ。魔法少女アニメの定石を覆し、すべてのマスコット動物に不信感を植え付けるきっかけになった作品(個人の感想)。衝撃の3話の噂を聞いて見始めたクチだが、10話の真実が明かされた時にはもう号泣しすぎて目パッサパサにしてしまった。すべてがFになるもびっくりの叙述トリック系アニメだと思っている。2010年代のアニオタ共通認識的な作品として、広く根強いファンを持つ。
コンクール全国出場を目指す北宇治高校吹奏楽部の青春を描いた部活アニメ。演奏シーンの作画の美しさ、音へのこだわりが前面に出ていて、最高クラスの質のアニメになっている。人間関係もリアリティとファンタジーのバランスがちょうど良い。吹奏楽部って強豪校は実力主義だけど、人数も多いからトラブルもあったりして。先輩を退けて合格する居心地の悪さとか、部員間の噂で不信感が広がるとか、ソロパート再オーディションでは部員達は実力差を感じながらもどちらにも拍手できない描写とか、揺れ動く高校生のリアルな反応がすごく良い。そういった衝突やさまざまな想いを経て、ラストのコンクールへ。演奏シーンでは色んな感情が詰まって大号泣します。
「スタミュ」
ミュージカル学科を舞台に繰り広げられる青春男子ミュージカルアニメ。うたプリ的な突然に歌いだす展開+ジャンプスポコン的熱血要素+アイドル性を全部混ぜ合わせて昇華させたようなトンデモ内容。最初のうちはギャグ的なツッコミを入れながら楽しんでたら、いつの間にかデコボコなチームメンバーがひとつになって目標に向かう姿に涙してた、そんなアニメ。注目したいのは、物語中盤のミュージカルダンスの作画演出。優等生で完璧なチーム柊、それと対照的な主人公チーム鳳の「荒削りで伸びしろだらけだけど、オリジナリティがあって、引き込まれるダンス」が、ちゃんと作画でわかる。これだけ細かい演出は、ダンス作画だと難しいところ、こだわりが光っていた。そして、主人公・星谷くんがメンタル鋼すぎてすごい。どんなに相手に冷たくされてもめげない圧倒的コミュ力でばったばたと反発キャラを懐柔していくところも見所。
ブランコ以外は最近の複合遊具一台で賄えるしそっちの方が良いと思う。
ただ最近の複合遊具スゴいけど当たり外れ大きくて、子どもと色々公園巡りしているとコンパクトで簡単な作りなのに感動するほど遊べる奴(余裕で2時間くらい遊んだ)もあれば、でかくて金かかってそうなのに遊び方の幅が無くてびっくりするほどつまらない奴もある。それも新しい奴で。
注文が自治体単位なのと、遊具同士のプレヤビリティを比較した客観評価とか親からのフィードバックとかないからなんだろうけど、公園毎に違う遊具入れるとか、クソみたいなオリジナリティ加えるとかホントにいらない。(なんか変にうねうねしてると思ったら、地元のシンボルマークかたどってるとかさ)
シンプルで高評価の奴を量産してあちこちの公園におけば、量産効果もあって安くなるし、親子のUXも高まってWIN-WINだと思うんだけどなー。
「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。