はてなキーワード: オリジナリティとは
アンティークな土台、ただ沢山取り付けた歯車、スチームパンク、ラメ、グラデーション、猫。
この手のモチーフは色んなイベントやネットで見かけるので目新しさがない。ゴテゴテキラキラなデザインは普段着にも合わせにくい。
axes femmeとか、ゴスロリとか、フリフリな服には合うと思うけどこの手のデザインを作りがちな20代後半以降が着れるかと言うと怪しくなる。
オタク界隈で個人サイトが出来始めた頃、Photoshopで作りましたっていう感じの蝶や羽のモチーフが流行ったじゃないですか。
黒い背景に合いそうなグラデーション、キラキラ、ゴシックな厨二病溢れるデザイン。
なんか今レジンアクセサリー界隈で溢れているのはこうしたセンスを今に受け継いだ古き良き女オタクなのかもしれない。
「自分には高いと感じるから買わない」「デザインがイマイチだから買わない」
つい先日もハンドメイドの値段設定が話題になりましたけど、様々な理由を胸に買い手は黙って買わないという選択肢をとれば丸く収まっていたのが今度は売り手が「売れない」とぼやき始めた。
こういうの作ってる人達が果たして本当に欲しいと思って作ってるのか疑問なんですよね。
自己顕示欲丸出しでこういうの作ってるんですよ~とアピールしてくるけど。売れないのはPR不足ではなく魅力不足なんだ。
紙と鉛筆さえ与えれば、大人しくしている子だったと母から教えて貰った。
そのまま小学生になっても絵を描き続けた。漫画家になることをぼんやり夢見つつ、父に買ってもらった原稿用紙に、Gペンで少女漫画の模写をし続けた。
絵画系は毎年何かしら賞を取っていた。小さな小学校の中で一番絵が上手かった。
中学に入った頃、初めてネットの世界に触れて、自分は全国的にも絵が上手い方なんじゃないかと言うことに気がついた。
当時はお絵かき掲示板やお絵かきチャットが全盛期で、ありとあらゆる場所で「同年代とは思えない!」と褒められた。
たまに信じられないぐらい上手い人を見つけると、こなくそ、と必死でデッサンや着彩を勉強した。
負けたくなかった、絵が上手な私でいたかった。
高校2年生の頃、絵を描く機会がパタリと減った。
隠れオタクになったので、年相応にファッションや恋愛、生徒会や学業に打ち込んだ。
ある時、ふとネットの世界に戻ったら、当時絶賛してくれていたお絵描き仲間の絵のレベルが相当に上がっており、オリジナリティに溢れた素敵な絵が毎日上げられていることに気付いてしまった。
同時期に、美大専攻コースの授業を受けていたところ、普通の男子生徒だと思っていた人たちの凄まじい画力にうちのめされた。
彼らは今、広告最大手の会社でデザイナーやってたり、某有名デザイン事務所に勤めていたりする。
毎日描くことを怠らなかった本物がそこにいた。
愕然とした、うちのめされた。途端に描く手が止まって、もうどうでもよくなった。
美大は諦めた。私には写実力しかないことに随分前から気付いていた。
そんなことを言い訳にしたけれど、本当は恥ずかしくて悔しくてどうにかなりそうだった。
私の方が上手かったのに!
そんな行き場のない悔しさだけが湧き上がってきた。
その頃には、もう滅多に絵は描かなくなっていた。
当たり前の結果に納得出来ず、絵を描くことをやめた。
あのまま描き続けていたら…と考えることもある。
結局表現したいものなんてなくて、賞賛が欲しかったのかなとも思うことすらある。
周りに差をつけられるのが怖くて逃げた井の中の蛙。
あれから10余年。絵にまつわる仕事をしている。描かないけど。
この人たちは、周りの人に打ちひしがれることもなく、毎日書き続けていたんだなと思うと頭が下がる。
NAVERまとめって、こんなに稼いでる人が居るの、すごく驚きました。
https://netacore.jp/naver-matome-kasegu/
そんなNAVERまとめって、「明らかに引用(他記事の単なるコピー)だらけ」のまとめであっても、なぜかGoogle検索の上位に上がっています。
最近では、Googleが検索結果を「オリジナリティの無いブログ記事は検索上位に上げない」と大幅に改善したにも関わらず、NAVERまとめの検索結果は変わらず上位にあって困ります。
何が「困る」のか。
それは、「NAVERまとめの内容が薄過ぎて、検索結果で得たい情報が得られないことが多い」からです。
https://storialaw.jp/blog/2526
ぜひともこういう方々にがんばって頂きたい。
私もがんばろ。
永野護「ファイブスターストーリーズ」を読み返すたびに、思い出す話がある。
私の父は満州からの引き揚げ者で、戦後這々の体で京都は一乗寺下り松にあった親戚の家に身を寄せた。艱難辛苦の末やっと帰国した父がみたのは……
「その時な、となりの漬け物屋のおやじが坊主でもないのに法衣着て漬け物売っとるんだよ。もう力が抜けるなんてもんじゃなかったわ。こっちゃ、やっとこさ帰ってきてやれやれと思ってるところで出会ったのが、おやじが偉そうにとうとうと講釈して漬け物売ってる姿だものな。あー、京都やー、と思うたわ」
FSSには、この法衣着て偉そうな講釈と共に漬け物を売る漬け物屋と重なるところがある。すごそうに見えるし偉そうにみえる。しかし、よくよく観ていくとFSSの世界は、この我々が生きる世界に存在するものを分解して組立直したものが分かる。つまり当たり前に存在するものだ。
作者の手つきは卵の殻を割って彩色し、画用紙に貼っていくモザイクと似ている。現実に存在するファッションや流行や伝統をサンプリングし、違う手つきで違うように組み上げる。手法そのものは、オリジナリティを生む母胎となるものだ。が、年表から始まりトイズプレスで出版した設定書に至るまで解説を繰り返す姿には、「坊主でもないのに法衣を着てとうとうと講釈をする漬け物屋おやじ」が重なる。根底にあるのは「すごいだろ、ありがたいものだろ、ひれ伏せ」と繰り返し説くことで、漬け物をあたかも今すぐ買わねばならない価値のあるものと見せる姿勢だ(ヤクト・ミラージュなんか、出現までさんざんじらされたものだ)。
漬け物は漬け物として売ればいいものを、法衣と講釈で誇大な印象を作り上げて売る——それを父は「京都だ」と感じたのだが、気が付けば著者は京都出身ではないか。なるほど、FSSとは京都の商売手法の展開か、と私は納得している。
京都という土地のテクスチュアと付き合うには、それなりのやりかたがある。付かず離れず、普段は横目で眺め、なにかあったとき(つまりは、新しい巻の発売だ)には、拍手を送っておけば良い。
今は全然関係ないことに従事していて、それが大して面白くもないのだが。
たまにはラズベリーパイを弄ったり組版ソフトで面白いものを見つけて弄っている。
そんな私が何年か前に30日でできるOS本とDIrectX9入門の本を買って触っていた。昔話だ。
Cを最初にやるときののヘッダーファイル、あるいはwindowsプログラミングでウィンドウを表示するときの様な「おまじない」だ。
ロクな説明もされないまま、写経しているうちにコードが増えて行き、なんかサンプルに毛が生えた様なものができて満足するが釈然としない。
分かった気がしない。
OpenGL/GLUTを後年マニュアルを参照しながら一生懸命やったときの方が理解できた気がしたし、オリジナリティのあるコードとなった。
やはりこういう根幹部分の知識は悪戦苦闘しなければ、身につけないのだろうかと少し思う。
昨今大量に溢れるラッパーやフックを見て様々な機能が便利になったと感心する。
プログラマとして働いたことはないが、車輪の再発明は学習以外においては悪だと学んできたので、それは大変結構だと思う。
ライブラリの再利用は良い。だが、その便利さがかえって学習者の成長を妨げるのではないか。
オリンピックにアイドルが出ていけない理由って、そいつがAKB48を恥ずかしい目で見てるからだよね。
何でもかんでもエロで説明しないといけないフロイト先生みたいな人。
まあ、そのなんだ。
うん。
なんだ。
安倍晋三が、マリオのコスプレして土管を突き破って世界の裏側に行っちゃう国なんだよ。
アニメゲームマンガ萌キャラアイドルぐらいしか、新しい文化がない国なんだよ。
恥ずかしいというのなら、ものまねHIPHOPのMCバトルを「ありがたやありがたや。イケてる文化だ」と礼賛するそのしょっぱい精神をまずなんとかしたまへ。
XJAPPANより水樹奈々のほうが海外から見たらオリジナリティあるのだから。
初音ミクの千本桜を愛子様が踊る時代に「キズナアイは恥ずかしい~」とか、自分がじじーの老害になってしまったことをまず嘆いて、ボケ防止トレーニングでもやっておきたまへ。
そういう俺も「いまの若いオタクはガンダムも見てない。エヴァすら見てない」
魂が若返る方法を誰か教えてくれ。
論文が単なる研究報告ではなく同時に文芸作品でもあることを求められるような分野では、たとえ査読誌システムが確立していても単行本化されたモノグラフの地位は高いのです。歴史学とか人文系の多くはそう。ただ単行本にも査読があってしかるべき、とは言える。— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) 2018年10月8日
某氏の記事で議論中にひたすら個人の体験談や感想が書かれていた理由がこれで理解ができた。
論理ではなく相手の感情を揺さぶることで勝敗の決まる分野であるのならばあのような書き方になるわけか。
ついでに言うと、小保方さんへの反応の違いもわかってきた
当時理系が「捏造だ!」と騒いでいる中、一部の文系の人たちは「コピペだ!」と騒いでいた。
ある種の文芸作品であるとするならばたしかにコピペは重罪だろう。
オリジナリティを出すべきは研究と考察に関してだ。文章にオリジナリティを出すのは嫌われる。文章はなるべく短くシンプルにわかりやすく。
当初コピペが発見された箇所が method の部分であったこともあり、理系のコピペへの反応は薄かったと思う。
業界ごとに決まっている定型文も多いし、装置の設定なんてたまたま一致してしまうこともあるだろう。
これが後に小保方さんの使っていない装置だったと判明、つまり捏造ということで一気に炎上した。
理系は大体こんな流れだったように思うけれども、文系の方は一貫して「コピペだ!」と言い続けていた印象がある。
理系にとってコピペが「信号無視」だとすると捏造は「殺人」レベルの重罪だ。
もー聞き飽きた!もういっそのことデレマスは声付きアイドル全員リストラ、エムマスはゲーム両方店じまいでいいだろ!
というかどいつもこいつも同じ事しか言わなすぎ。多少オリジナリティがあれば聞いてやってもいいが2度3度4度5度と出て来やがる。当世界は自動移籍機能はまだ未実装なんですー!
で、ちょっと文句言われれば「吐き出したいだけ」「愚痴を言うことすら許されないのか」
うるせーーーーーーーー!!!!!文章化してネットに載せている時点でもう誰かに読ませること前提じゃねーか!!!誰かに読ませて心を闇に染めさせる気が見え見え!、!、!!!!攻撃性が丸見えじゃねーーーーーーーか!!!!!!!!
理由は以下のつだ
1.声付きばかりを優遇している。
デレステの新規カード及び、コミュでは声付きしかほとんど登場していない。
これに対し、「声なしは儲からないから」という人がいるが、それに対する反論を述べていこう。
まず、なぜ儲からないのか。それは以下の二つ。
1)単純に引く人が少ないから。
こればかりはどうしようもないことだが、声がついているアイドルだって、50以内にすら入ったことないアイドルもいる。声の有無はガチャに関係ない。事実、声付きSSRが実装されてセルランが下がるアイドルもいれば、その逆もいる。
声がない=人気がないというのはあなたの思い違いだ。
2)再登場までのスパンが長すぎる
これが一番の問題である。デレステでは再登場までに大体1年といったところだろうか。、それだけの期間ジュエルを一切消費しない場合、
仮にログボだけだったとしても、7,500(150×50)個のジュエルが手に入る。ログボだけでこれだ。これに特別ログインボーナスやイベントを合算すれば20,000個くらい溜まっているだろう。ピックアップ時のSSR排出率は0.75%
20,000分のジュエルを消費し目当てのキャラを当てられる確率は46%(1-(1-0.75/100)^80=およそ0.46)ほぼ半数の人が一年分のジュエルを消費すれば当てることができてしまうのだ。
当たらなければ課金して引くが、当たればスタラン20にでもしたい人じゃない限り課金しないだろう。これは、声付き人気アイドルだって同じだ。(複数担当のひとには関係ない話ではあるが)
つまり、悪いのは声なしアイドルではく運営のほうだ。課金してほしいなら、登場スパンをもっと早くするとか、同時実装にするとか、やれることはある。(どうして運営は頑なにRを増やさないんですかねぇ……)
2.頭の悪いライターがいる
真偽のほどは不明だが、デレステには複数のライターがいる。そのなかにどう考えても頭のおかしいライターがいる。件の杏botやみじゅきごちゃいとかだ。あんなものは氷山の一角に過ぎない。
その中で私が一番酷いと思ったのは、水野翠さんのコミュだ。あれはあまりにもひどい。
アイドルにかける言葉ではないだろう。どう酷いのかは語るだけで胸糞悪くなってくるので、時間があれば見て運営の頭の悪いライターのひどさを目の当たりにしてほしい。
だが、そういったゴミみたいな話しかかけないライターをいつまでたっても外さないのはあまりにも愚かとしか言えない。
3.オリジナリティのなさ
デレステのいいところはオリジナリティだ。デレステでは自分の好きなアイドルを組み合わせて踊らせることができる。すべてのアイドルを。
モバマスの既存ユニットを使ってばかりだ。時々くらいなら全然構わないのだが、ああも連続して出されると何のためのデレステなのかと疑問を抱いてしまう。せっかくの良さを自ら台無しにしているとしか思えない。
まあ、デレステはガチャアイドルにイベント特攻がないのでイベントでの収支はガチャに比べればあまりないので、人気ユニットを起用しようというのは分からなくもないが……。
これはMVのことだ。確かに最近のMVはすごい。どこがと言われればもちろん背景だが。ぶっちゃけそこはどうでもいい。
これは個人的な感想にしかなっていないが、背景なんてスマフォのスペック上どうしても限界がある。それゆえにどうしてもチープさは抜けないのだ。
自分ははっきり言って背景はどうでもいいと思っている。それよりも、モデルの物理演算とかモーションのほうに力を入れてほしい。(ちなみに筆者が一番好きなのはお散歩カメラである。あれは神)
以上がデレステがクソだと思う理由だ。おそらくここまで読んで「じゃあデレステやめれば?」と思った人もいるだろう。しかし、そうできない理由があるのだ。
何故ならデレステが全員実装してしまったからだ。そうなった以上人は期待してしまうのだ。期待することはいけないことだろうか?
期待しいていたのに、裏切られてしまった気持ちがあなたには分からないだろう。
可能性がある限り、私は期待し続け、少しずつ心がすり減っていき、少しずつ絶望させられていくのだ。
最初からこうなるくらいだったら、美鈴ちゃんのサプボも全員実装なんてせず、声がついたアイドルだけでデレステをやってくれたほうがよかった。そうすれば、デレステは声付きPと声なしPの不毛な争いは起きなかっただろう。
最後に一つだけ、声がつかなかったのは努力が足りなかったからなどというPもいるがあなたは努力しただろうか?
この世界は努力だけではどうにもならないのだ。精神論を嫌うくせに、こういうときに精神論を振りかざすなよ。私からは以上です。
匿名の場で(匿名じゃなくてもネットは気をつけるべきな気がするが)
同じ意見で埋まったら強烈な流れになるけど
果たしてそこまで強烈に感情が動いているかというとそれも嘘くさい
オリジナリティを出そうと周りと同じうがった意見を書き込むくらいなら
それまでの意見をきちんと読み込んでバランスを調整する書き込みをした方がいいと思う
ようやく本編を見てきた。エンドロールには確かに原案として「GHOST IN THE BOX」とあった。映画を見た感想としては、そもそもパクリであると言うのは少し無理があると思った。
「GHOST IN THE BOX」は舞台である。「カメラを止めるな!」の映画としての魅力は舞台では再現不可能だと思った。ネタバレにならないようにしたいけど、この映画は非常に映画的で、映画でなければダメな作品だ。この一点に置いて舞台のほうを「原案」とするのは合ってると感じる。
恐らく監督本人が言ってるように舞台「GHOST IN THE BOX」の内容と基本的な構造は同じなんだろう。それが例えば謎解きが逸脱などミステリーだとか、人の心を見事に映し出すような優れた人間ドラマであるとか、そういうのならこれは問題に感じると思う。でも「カメラを止めるな!」はそういったタイプの映画ではない。
自分が見た限り、これは映画、広義では映像作品じゃなきゃダメな映画だと感じたし、それこそがこの作品のオリジナリティ、ヒットした要因だと思った。
バンド活動とかって本当にただただ時間の無駄でしかないのにね。
コピーバンドで譜面を丁寧になぞろうと必死になっても何にも残らんよ。残らなかったよ。
旗から見てどんなにレベルが低くても自分で何かを作っている人間と、必死になって延々と写経を繰り返しているだけで終わる人間なら、前者の方が絶対に優れている。
知りもしない下手くそな曲、その割にはどっかで聞いたようなコード進行でなんのオリジナリティも感じられない曲をいきなり聞かされるぐらいなら、知ってる曲のカラオケでも聞かされたほうがまだずっとマシだってのはよく分かるよ。
それを目の当たりにするだけの日々なんて虚しいだけだぞ。
文章も話も技術である程度なんとかなるので、まずは写経をやるんだ。
まるまるパクるんじゃなくて、イケてる部分をうまくパクって、今度は少しオリジナリティを加えて自分のものにしていく。
我々がいま使っている文法も、所詮だれかのコピーでしかないんだ。
自分の言葉ってのはどの言葉を選ぶか、ということでしか無いんだ。クリエイトではなく、セレクトだ。
一度自分の型を作ってしまえば、あとはいろんなとこからパクって融合してもいいし、思いつきを散りばめてもいい。
ここから先は好きなようにすればいい。
うまく喋るやつってのは、何度もいろんな場所で同じネタを繰り返し話してるんだ。
それで少しずつクオリティを高めていって、感動する話の上手さに繋がっている。