はてなキーワード: 足軽とは
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
エキス集めやろうかと思ったけどちょっと飽きたからカレー切れたらイノセント服従させにいこと思ってそれをやってた
耐槍屋は上限20なんだな
上限100は炎水風の3属性だけか
ちょこちょこエキス食わせてたら親衛隊と足軽の組み合わせその他マビセットでラハールちゃんにウサリアをまちぇんじさせて兵ストラッシュで2階ビックバンで安定して倒せるようになった
あとよーやく日給すてっく入手したけど練武で使うとアイテム盗んだダイアログがうざいからむしろはずした
↓これ試してみよう。練武4のクマ降伏頼みはちょっとしんどいわあっという間にカレー効果なくなっちゃうし
131 :助けて!名無しさん!:2015/04/12(日) 04:41:35.83 ID:5/or60/a
アサギMAPでやってるのだと、キリアをメインのディザスター仕様にして
肉球スティック(ねこばば屋)+メガホン(降伏勧告屋)装備させ
・固有は 新薬投入 (補助魔法によるステータス上昇量2倍) + 運気好転(9本で45%UP)
5死狂い (リベンジモード時、攻撃力+100%、防御力-100%)
これに支援で
クリスト(命中補整+支援) + ギース(敵弱体全能力-5%)
低レベル賢者x2(ランド~でボーナスゲージ9本化+リベンジ用餌) + 適当な低レベル汎用x2(リベンジ用餌)
ウサリア(マジックアップ70%+予備でムルムル支援) + プレネールさん(白と黒で全能力30%支援+出すだけで全キャラ10%能力UP+予備ディザスター)
装備と欠片で約14ページ分(130~140アイテム)獲得して20~40人くらい捕虜獲得。
数回こなして捕虜MAXなったらミニ魔界戻り。アサギ汁化&欠片まとめ処理にアイテム処分でアイテムポイントかHL化。
141 :助けて!名無しさん!:2015/04/12(日) 05:24:44.63 ID:goX3GQS3
>>131
結構低ステータスでいけそうで良いね。ちょっと気になったので試したんだけど
練武1の敵単体に攻撃50%パネル無しの場所テラスター撃ったら
最初に評価を述べておくと、100点満点なら70点は与えられる出来だ。
『信長の野望』および『三國志』のファンは、新作に対してだいたい脊髄反射的に酷評をつけるものだが、でも近年のシリーズはどれもそんなに悪くないと思うぞ。
本作の最大の特徴は、しばらく採用されてきた空き地に施設を立てていく箱庭内政ではなく、
「商圏」への進出や投資、「農地」への支援などを指示するだけの、より抽象的な内政システムを採用している点にある。
最初は「やることが少なすぎる」と思ったが、続けてみると意外に奥がある。
というのも、本作ではこれまで以上に内政・外交・軍事とが密接にリンクしているからだ。
いわゆる技術ツリーである「方策」の種類も豊富で、どれを習得するかを考えるのはとても楽しい。
(時間をかければほとんど全ての方策を習得できるのは明確な難点だが)
とはいえ、街づくりを進めるのが楽しいというプレイヤーには、どうしても物足りなく感じられるだろうし、
個々の武将へ指示を出すわけではないので、プレイを通してなかなか武将の顔が見えてこないのも残念である。
軍事面は本当によく出来ている。
兵糧の消費が早いので無理な行軍はできないし、足軽を多く雇えばあっというまに資金が枯渇するので、
軍事行動を起こす前から兵を招集しはじめ、終わればすぐさま解散する、といった史実に近い運用になる。
外交も重要で、いざ戦が起きればどちらの味方であるかを表明し、時には兵士を貸したりすることになるので、
どの大名同士と仲良くするのか、あるいは敵対するのか、常に意識せざるを得ないようになっている。
「決戦」も、創造PKをベースにしたリアルタイムの合戦となっていて、特に「作戦」によって戦い方に変化が付くのが良い。
囮部隊で敵軍を引きつける、単独で本陣に切り込む、伏兵で相手を包み込む、といった戦術をお手軽に実現できるのは嬉しいところ。
兵数の削り合いというよりは士気の削り合いになっているのもリアリティがある。
(決戦をスキップできない点について批判を見かけるが、本作は決戦がメインディッシュなのでここをスキップして他に何を楽しむんだと思う。でも退却は欲しい。)
『大志』の売りとして一番に挙げられている敵AIもなかなか上手い。
桶狭間後の今川に徳川で宣戦布告したら、後乗りで今川に宣戦布告した武田がハイエナのように駿府城を取っていったのは笑ってしまった。
おそらく評価が分かれるのが内政に関してで、面倒くさい箱庭よりも簡略化されたこちらのほうが好きだというプレイヤーも多いだろうが、
個人的には、やはり内政でも個々の武将を活躍させたいと思ってしまう。
PKではそのあたりが強化されてくるだろうと期待したい。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ芝刈りに。
おばあさんは川に洗濯に行きました。
おじいさんは芝狩りに行く途中、景色が綺麗だなと思いました。
おばあさんは川で洗濯をしていました。
すると、上流からどんぶらこっこ、どんぶらこっこと大きな大きな桃が流れてきました。
「あら」
おばあさんは驚いて洗濯物を全て川に流してしまいましたが、気付きませんでした。
「よいしょ」
おばあさんは勇気を振り絞って上流から流れてきた大きな桃を掴み、岸にあげました。
「ふう。こりゃ大きい。これでしばらく食べ物には困るまい」
おばあさんは桃を家に持って帰りました。
「ひゃあ!なんだいこれは」
大きな桃を見ておじいさんは驚きました。
「なにって、桃だよ」
「はあ。こんなに大きな桃があるんだねぇ」
「とりあえず、食べましょ」
おばあさんは大きな鉈を取り出して、真ん中に切り込みを入れた後、
すると、桃が一度大きく揺れて、中からなんと赤ん坊が出てきたのです。
「「どひゃぁぁぁ」」
「おんぎゃあ!おんぎゃあ!」
「あ、赤ん坊じゃと?!」
おじいさんとおばあさんはそれはそれはとても驚いて腰を抜かしましたが、
桃から生まれた赤ん坊を桃太郎と名付けて育てることにしました。
それから桃太郎はおじいさんとおばあさんに育てられ、すくすくと成長しました。
しかし、その間に鬼が度々世間を賑わせており、何度かおじいさんとおばあさんの家には来て、
幼心に桃太郎はそれを覚えていて、鬼は悪い奴という認識を持つようになりました。
そして物心がつくと、桃太郎はおじいさんとおばあさんに言いました。
「僕、鬼を滅ぼします」
「えっ」
「も、桃太郎!」
「おじいさん。おばあさん。今まで育ててくれてありがとう」
「……そうか」
「わかったよ」
おじいさんとおばあさんは桃太郎の話を聞いてなんと無謀なと思いましたが、
村の相撲大会ではいつも熊を倒していたので、ひょっとしてと実は期待していました。
「よし!わかった」
「これを持っておいき」
おばあさんはご自慢のきび団子を渡しました。
「ありがとう!おじいさん!おばあさん!」
そうして桃太郎は家を出ていきました。
「鬼倒すとかさすがに草」
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る犬を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。君は大変かしこい犬だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
そしてまたしばらくすると、桃太郎の前に雉が現れました。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る雉を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。君は大変かしこい雉だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る猿を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。猿は大変かしこい犬だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
こうして桃太郎は、犬、雉、猿という心強い仲間と出会ったのです。
しばらくすると港町に着きました。
「鬼ヶ島に行きたいのですが」
その後も何人かの漁師に聞きましたが、いい返事はもらえませんでした。
しかたが無いので桃太郎は漁師から安い船を購入し、それで鬼ヶ島へと向かいました。
鬼ヶ島に上陸すると、直ぐに鬼の形をした大きな門がありました。
「ようし。ここだな。ここに鬼がいるんだな。行くぞ!」
「はい」
「ええ」
「いきましょう」
桃太郎は勢い良く門を叩きました。
「はい。どなたですか?」
門の中から鬼の声が聞こえました。
「はあ。今開けますね」
すると門が開き、中から大きな鬼が現れました。
「どちらさ……ひゃぁ!」
「くたばれ!」
「ワン」
「ウッキー」
桃太郎は刀を鬼に向け、犬は牙を向け、雉は目をつつき、猿はひっかきました。
「うわぁ……ちょ、まってwwww」
鬼は言いました。
「それなら」
桃太郎達はつづらに入っている綺羅びやかな物品を目にして、刀を下げました。
「あっはっはっ!」
「ワン」
「ウッキー」
桃太郎達は手に入れたつづらを荷台に乗せて、おじいさんとおばあさんの所に帰ってきました。
「やや!」
「も、桃太郎!」
「おじいさん!おばあさん!つづら貰ってきました!」
「鬼を倒したんだね!」
「これで安泰だ」
「いや。鬼はまだいますよ」
「えっ」
教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。
経営者や管理職が自己や組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。
桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人の時代に再び戻された。
今でも、兵士と民間人を区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しかし現実には、民間人は普通に兵士として使われる。
「大東亜戦争」では、通称「赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵。軍事工場を普通に空爆しても、そこで非戦闘員が労働している。学徒動員とかいうのは、職業・学生を軍事産業に就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾で空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである。
全国民が一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)、一般人を犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織の論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代の戦争までさ。
前近代の戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道を知行するという補填が行われている。そうして大名が移住して開拓したり、下級士族が屯田兵に転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。
絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人はビビったんだが、ビビったからなおさらに無差別に殺戮してきたさ。そいで、広島と長崎は原爆の実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞を捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。
歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会の歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公の時代から変わっていないしな。丁稚奉公の時代だから未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日を国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑
景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得や雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。
某戦国ゲームから入り、好きが高じてキャラや時代の歴史書や史跡巡り、伝記なども読みあさる所謂“にわか歴女”というやつです。
“歴史”“戦国”という世界に惹かれたきっかけがゲームとは言え、モデルとなった偉人達に対する敬意は持っているつもりですし、書物や残された書状などの研究書を一通り読み、ゲームとは切り離してその生き様に改めて惚れ込んでいます。
そんなこともあり、定期的にそのモデルとなった偉人達のお墓や城など“聖地”を巡礼することもしばしばあるのですが、最近は大河ドラマなどの影響もありどこも大盛況で、祝日ともなると各地域でイベントも多数開催されています。
中にはその偉人を主役とした劇のようなものも上演されています。有名なところだと名古屋の“おもてなし武将隊”かな?一般の方や役者さんがその武将になって…いや武将達が現世に蘇って史実を元にした物語をちょっとした舞台のように演じられるのです。
前置きが長くなりましたが、今回のテーマはその戦国舞台の演者さんのことです。
今までもその存在は知っていましたが、なかなか機会に恵まれず先日ついに初めての舞台を拝見しました。そして同時になんとも言えない気持ちになったのです……原因はその…演者様の「女性率の多さ」
姫役ではなく、足軽や大将にも女性、女性…その数ざっと見積もっても半数以上。
冒頭に書いた通り、私も女です。同じ女として、勇ましい衣装に身を包み凛々しい演技を目の当たりにし、女性でもこんなに格好良く演じられるんだ!という感動とともに感じたのは大きな違和感でした。
違和感……というよりはまぁぶっちゃけほんの少しの嫌悪感があったんです。だって、歴史上の“史実”において、足軽にこんなに女性がいたなんて記述はどこにもありません。0ではなかったかもしれない、でも半数以上が女性の足軽隊なんて聞いた事がありません。それだけではなく、実在する武将まで人によっては女性の方が演じていらっしゃいました。それは私に、昨今の漫画やドラマでよくある「男性の振りして足軽になったけどイケメン武将に女であることがバレてしまって~?!☆」系の少女コミックを想起させるに充分でした…もしくは…女体化…?
いや、わかっています。彼女たちは高潔な心意気のもと純粋な気持ちでこの演舞に臨んでいること、それがひいては地域活性化などに繋がり、大好きな武将達が語り継がれていくことに大きく貢献されていること。わたしみたいなにわか歴女とは違ってその知識も深く、また比例して歴史や偉人に対する愛情や尊敬も人一倍いえ一百倍以上であること。ひたむきで真剣な眼差し、目に焼き付いています。
でもね、見ている方にとってはそうじゃない。演技から真剣な気持ちは伝わってきました。でも、そうじゃない。だって、歴史はそうじゃないから。武将も足軽も男性だから。演技力とか、美醜とか、そういうことでもないよ。
こんなことを言うと、男尊女卑とかジェンダーとか、そんな問題にも発展しそうですが、何度でも言います。そうじゃない。
だってね、わたしだって演者さんと同じくらい…いえおこがましいかもしれませんが、武将が大好きです。戦国が大好きです。その好きな理由として、私は「男同士の友情、義、好敵手」という要素があります。これ…結構みんなもそうなんじゃないかなぁ…と思うけど。
“作中では男役”とされていても、だって女性じゃん?!恋愛ドラマでさ、女役が男性だったらどうなる?作中では女っていう設定でもさ、純粋な気持ちで見られる?うっとり出来る?ホモじゃん!!ってなると思う。
これは、わたしが腐女子だからとか、そういうことでもないと思う。純粋に歴史のドラマ、群像劇が見たいのに…その気持ちはどうでもいいのかな。
戦国が好きだったら自分も一緒に何かを作り上げたい気持ちってすごく大事だし尊いと思う。そういう気持ちがたくさん集まって、何百年も昔にあった出来事が現代に蘇ってもっとたくさんの人に感動を与えている。
すごく素敵なことでこれからも是非続けて欲しい。でも、その中にはこんな気持ちを抱くひねくれ者もいるんだってことを少しだけ知って欲しいというか…届いたらいいなというか…もう届かなくてもいいや……どこにも言えないから匿名でしたためたかった。
実際に演舞に出演された方がこの日記を見てしまったらごめんなさい。でもこれだけはわかって欲しい。女は演舞に出るな!なんて言いたいわけじゃない。軽い気持ちで出ないで!っていうことでもない。なんていうかただの愚痴。忘れてください。
でもほんの少しでも…共感してもらえたらいいな…と思わなくはないです。偉そうに色々書いたわりに適当な終わり方でごめんね。
最後に、思ったことをわかりやすく書くために一部適切でない表現や蔑視表現があったかもしれません。その点についてまとめてお詫びいたします。
かつて十一を数えた増田家のうち、すでに四家が領土を喪失した。
明日は我が身に同じ苦難が降りかかることを恐れず、あるいはその恐怖から逃れるために
最北の増田家(一)は、せっかく手に入れた増田領(二)を増田家(三)に奪われ、増田島の北に押し込まれている。
そこで、ゆいいつ残された海路で増田家(四)と連絡し、増田家を挟撃することを目標にしている。
だが、増田家(四)は他方面も抱えており、なかなか色よい返事をしてこない。
増田家は足りない兵力を補うため、豊富な資金を放出して北方の異民族を傭兵にしはじめた。
滅びた増田家(二)であるが、落城前に降伏したため、当主以下おおくの人物が生き延びている。
現時点の増田島では城主切腹の代わりに城兵を助命する風習はさいわい存在していない。
そもそも攻めた増田家と守った増田家も親戚なので、あまり目覚めの悪いことはできなかった。
旧増田領が失陥したあとも、旧増田衆の大半は人質がいるために、増田家(一)で働かされている。
しかし、根無し草の使い走り状態に耐えかね出奔するものが後を絶たない。
サバイバルに成功した増田家(三)は、被害をおさえて増田家(一)を確実に詰め、
地道に南北軸の鯖街道を一層整備して増田家(四)の急襲や北方三家統一後の兵力移動に備えている。
現状では増田家(一)との海上での戦いが最も激しかったりする。
主な戦力:譜代衆、カラトラヴァ騎士団、旧増田家(二)国人衆、水軍衆
恐ろしき当主がひきいる増田家(四)であるが、周辺諸国に比べると勢力の伸張に劣る結果になっている。
最初につぶして手に入れた増田家(六)領は四方に通じる土地であり、
土地を交易路に活かせればよいのだが増田家(七)が潰れてしまったことで、その意味も失われてしまった。
増田家(八)が商売相手なら大量輸送が可能な海路を使えばいいのである。
仇敵である増田家(五)との休戦を何とか成立させたが、敵意は残留しているため、
まだ北にも南にも進めずにいる。
プリンセスめいキングに定評のある(新情報)増田家(五)は、はやばやと地方勢力としての生き残りを模索しはじめた。
彼らが陰に依る大樹に有望視しているのは前から繋がりのある増田家(三)であるが、
国力差が大きくなりすぎたら家臣扱いされてしまう。発言力を確保するためにも戦力増強は必要なのであった。
しかし、現実は西で接する増田家(八)からの散髪的な攻撃を受けはじめ、領土は守り通しているものの、
消耗戦により頭が寂しくなりはじめている。
無惨にも最初に滅びた増田家(六)の名跡はいちおう姫を捜し出した増田家(四)が継いだ形になっている。
だが、増田家(五)も縁のない土地をこじつけで治めるノウハウは豊富なので、内政状況は悪くない。
いずれ旧増田領が大規模な戦場になることが多くの島民に予想されていて、人口の流出が進んでいる。
主な流出先であった増田家(七)が先に戦場になったのは皮肉であるが、そこから人が戻ってきているわけでもない。
占領されたて増田家(七)領では、増田家に保護されていた宗教が水面下で一揆の準備を進行させている。
新領主が自分たちの既得権益に少しでも手を入れられたら実力を誇示する構えだ。
それどころか、領主が変わったのを奇貨として、権益ではなかったものまで既得権益に組み込もうと図った。
さいわい増田家(七)の公文書が無事だったため、それには失敗したが、
頭の弱い雑魚ナメクジ当主を言いくるめて増田領(八)での布教活動を認めさせた。
軍事方面では北方の国境要塞には占領軍の支配に抵抗する旧増田家(七)の武将も一部に存在する。
しかし、皮肉にも旧主が地方軍の反乱をおそれて中央集権体制を構築していたため、
独自に補給する組織のない地方軍の抵抗は長続きしないものと観測されている。
増田家(八)は成功体験によって妙な自信をえた。それがプラスに働くか、マイナスに働くかはまだ未知数である。
占領地行政の関係もあり、元々強かった文官系人材(ただし彼らも戦場に立つ)の力がいや増している。
当主は「領内の全公衆便所に紙運動」をはじめた。財政的に無理なので相伴衆が当主に先回りして誤魔化している。
「東に進み、西は防御」の方針だけは当主が便所でうなりながら確定させた。
主な戦力:官軍、譜代衆、地侍衆(草を含む)、傭兵軍団、水軍衆
主な家臣:増田大学、増田出羽守、増田金吾、増田中弐(元増田家(十)当主)ほか
動きの鈍い増田家(九)であるが、増田家(士)の圧力が刻々と増しており、
東での火遊びをする余裕が失われつつある。
彼らには戦力を集中して決戦に勝利するしか生き残る道はない。
国力の差を領内で戦い補給を円滑にすることと、内線作戦による各個撃破で埋める計画である。
主な家臣:増田うこん
陥落した増田家(十)の領地は、剽悍で飢えた増田軍(士)が賢者モードに入るまで散々劫掠された。
中心地の増屋を筆頭に先進地域のダメージはきわめて大きく、他の地方へ散っていった住民も多数にのぼる。
だが、増田(十)領といえども人口の大半を占める層は他の地域と大差のない一次生産者の人々であり、
増田家(士)も一度破壊しているが、全体が文明の価値に暗いわけではなく、
元当主が増田家(八)に加わり再起を図っている。後から彼の元につどう旧臣も多い。
増田家(士)に迷いはなかった。彼らにとって天下統一とは目の前に現れる敵を倒し続ければ自然と成るものなのだ。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160606192640
次回
http://anond.hatelabo.jp/20160608191431
開始時点
http://anond.hatelabo.jp/20160529195407
/\
| / |
増田 |
/ |\ |
/ \ /
\ /
増田家(二)は、領内に古くから根付く某氏族に小九年間ほど粘着していた(これを右九年の役と呼ぶ)。
その結果、力の分散を招き、見せ場もなく滅亡の瀬戸際に立たされた。
北の国からやってきた増田家(一)によって本拠を包囲されていたのだ。
籠城軍は粘り強く戦ったが、食糧は底をつき、城内ははてなーの人生並みに悲惨な状況に陥っていた。
そこで増田家(一)はあるはてなーを使者に送った。傘を棒の先に掲げた足軽を背後に、そのはてなーは言った。
「食糧にたいへんお困りのようだね」
「よけいなお世話だ。帰れ!」
「いい方法があるよ。人間永久機関になるんだ。まずは、胃腸を守るために~~」
「」
「~~~……~~~――」
はてなーはひどく残念そうな顔をした。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160531120901
次回
どんなに内容がくだらなくても(実際くだらないのだが)、ツッコミどころ満載で笑えるからだ。
中国や、どこの国か分からないけど何となくオリエントな要素がごちゃ混ぜになっていたり、突然忍者が出てきたり、坊さんのように意味もなく合掌したり。
批判を予期してか、本作は赤穂浪士をモチーフにしたファンタジー・フィクションと銘打たれている。予防線を張っているわけだ。
しかしいくら『ファンタジー』と断りがあっても、『ラストサムライ』がまともに見えるほど本作はぶっ飛んでいる。
まず冒頭、モンハンに出てきそうなバッファロー然としたモンスターが現れる。
オッコトヌシ様みたいな化け物ではなく、地球外生命体みたいなやつだ。
監督の"殺る気"を感じる。
ちなみにこのモンスター、ストーリーの本筋とは関係がない。完全に『この作品はファンタジーなんですよ!』という監督のエクスキューズである。
おかしなところを挙げればキリがない。以下、ひときわ突き抜けている点だけを挙げていきたい。
まずキアヌ・リーブス演じる主人公カイ(オランダでもポルトガルでもなく英国人とのハーフという設定だが特に意味はない)
なんとなく才能がありそうだからという理由で赤穂藩浅野氏に可愛がられるのだが、召し抱えられるわけでもなく身分は不明なまま。
ベンチでぼぉ~っとしているキアヌみたいに、訳の分からない小屋で暮らしている。足軽くらいにでもさせてやれよ。
赤穂にはもう一人珍客が来る。赤穂の"隣国"長門(?)の吉良だ。……う、うん。
そして真剣を使った赤穂 VS 長門の1対1ガチ真剣バトルが将軍様の面前で始まる。……う、うん(2回目)
そのバトルにキアヌが闖入し、「身元不明なキミがバトっちゃダメよ」と将軍がキレ、浅野氏は詰め腹を切らされる(物理) 気の毒だ。
キアヌは「俺は悪くない。悪いのは妖怪なんだ」とアニメみたいな言い訳をし、お取り潰しの憂き目にあった赤穂浪士たちはその言を信じる。
浪士たちは散り散りになるが、なぜか大石蔵助だけ「危険だから」という理由で吉良によって1年近く投獄され、その後なんのお咎めもナシに釈放される。
晴れて自由の身となった大石はキアヌ、そしてかつての仲間を集める。
ちなみにキアヌは「ゴロツキで溢れかえる出島」でファイト・クラブの真似事をしているところを大石に拾われる。私の知っている出島と違う。
仇討ちを決意する浪士たち。しかし「刀が無い」というよく分からない理由でキアヌのふるさとである天狗のすみか(!!)へ行く。
天狗のすみかへ行くと、スター・ウォーズのヨーダとチベットの僧侶を足して2で割ったような生物がキアヌを迎える。どうやらこの生物が天狗らしい。
キアヌは天狗とちょっぴりバトルし、怪しげな妖刀を47本くらい手に入れる。ちなみに妖刀である設定は英国人なみにどうでも良く、のちの展開には全く影響しない。
赤穂藩を併合した"長門"の吉良は、赤穂藩の城で妖女(狐になったり竜になったり髪がメデューサみたいになったりとキャラが定まらない)と暮らしている。
吉良を討ち取るべく赤穂に向かう浪士たちは道すがら、かつて浅野氏に召し抱えられていた臣下たちに出くわす。
大石内蔵助「47人じゃ勝ち目ないからさ、協力してくんない?」
元臣下たち「……はい(パイセンに言われちゃ断れないよな……)」
巻き沿いにするな。
"大勢の赤穂浪士"はノリと勢いで討ち入りし、吉良と妖女を倒す。
最後、浪士たち(47人のみ)は切腹を命じられるのだが、大石の息子(赤西仁)だけは「お前、許してあげる」と将軍に言われて助かる。事務所圧力だろうか。
以上がストーリーの概略だ。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。