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はてなキーワード: 足軽とは

2024-03-25

anond:20240325115112

実際に殺し合うのは末端の足軽たちで、武将たちは下を従わせるための格闘術とか威圧術が上手いだけで殺し合うことはほとんどないだろうよ

2024-03-06

増田1万3000名が本能寺を急襲

ネトウヨ方面軍2000(実質300)はダンマリを決め込む

はてサ連合8000(実質300)は、足軽はてな~を罵倒

足軽はてな~3000は、戦わずして退却

増田軍は敗北した

その後明智軍1万3000が襲撃、信長建物に火を放って自害した

2024-01-10

拙者、魔女でござる

武者鎧に身は包めども、身軽、足軽、空を飛ぶ

飛脚七里悪事千里、拙者駆けるは夜の巴里

拙者、主君はおらねども、自由を愛すマリアンヌ

黄昏迫るは紅の伝言、目下すべてがメッセージ

遠く東方より馳せ参じました

正真正銘!完全無欠!

ちちんぷいぷい盛者必衰サボタージュ

火刑時計無礼講永久に生きるが最強おなご!拙者!魔女でござる!

よし、一人称が拙者の魔女口上書たから寝ます

おやすみ

2023-12-01

彼女は相当な足軽女で頼めば誰にでも寝返るんだって言ってた

2023-10-17

同僚に「もう営業から帰ってきたの?足軽だね」と言われた

フットワークが軽いって言いたかったんだと思う、多分

2023-08-23

anond:20230823005529

大統領責任とか全く俺が書いてること読めてないじゃん

西側論理で測ること事態的外れであって、家康庶民ぶっ殺しても家康日本の事を考えてないとは言えないのと同じようにプーチン国民をぶっ殺す事とプーチンロシアのことを考えていないというのは別の話だってことやで?

戦争に負けたからすぐ引けば国民が助かるなんてのも西側論理であって、家康戦争に失敗してここで引いたら徳川幕府が潰れるとなった時に足軽大量にぶっ殺してでも続けるのは当然オプションとしてある

そしてプーチンが負けて暗殺された場合より強硬派がでてきたりロシアが分裂したりしてロシアがより悲惨になる可能性は十分以上にあるわけだからその場合兵隊いくら人権無視してぶっ殺してもロシア利益、あるいは損失の低減化ではある

2023-08-01

anond:20230731112153

うちの祖先は正に江戸時代地方の下級武士家禄が80石だったそうだが、それでも大方の庶民よりは遥かにマシだったようだ。小さいながらも自分の家を持って庭もあるくらいの生活はできていたわけだし。今だと県庁職員くらいの感じかも。

なお、勝海舟の勝家は江戸旗本の最下層で家禄が40石、福沢諭吉の福沢家に至っては家禄20石くらいで他に塾経営。それでも足軽よりは遥かにマシだったとか。

2023-07-21

anond:20230720155537

ひと昔前の標準的な、定価で10万円行かない位の価格のわりとちゃんとしたスーツを着ていると

「怒られ」が発生したときに軽く済みやすい。理由は分からないけど、足軽でなくて侍大将扱いされるからかも。

それから仕立ての良いスーツを着るとなぜか姿勢が良くなって空気をたくさん吸えたりして頭もよくなるような気がする。

仕事死ぬような思いをすることはまあまあある。素材感と仕立ての良いちゃんとした、手入れしてあるスーツを着ていると

それ自身MPダメージ緩和効果があるし、行き倒れそうになっても割と助けてもらいやす効果もある。

ホテルレストラン飛び込みでも割といい部屋、いい席がもらえたりするような気がする。

ただ程度問題もありそう。麻生大臣クラススーツになると逆に威圧感出すぎかもしれない。

2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

2023-05-02

今みたいな人の多い時期の繁華街

大きな横断歩道の向かい側に大量の人間信号待ちしているのを見ると

「俺は今からここに突撃していかなければならないのか…!?

って戦場に立った足軽みたいな気持ちになる

2023-03-20

信玄もさすがだが、綱成の死去3年後に北条が滅亡したとかんがえると、傑物ですなあ

北条綱成は北条家中随一の猛将として他国にも知られ、戦場において常に勇敢で、特に野戦では大将であるにも関わらずに常に先頭に立って「勝った! 勝った!」と怒号しながら真っ先に敵陣に突入したと言われる。

指物は朽葉色(黄色)の練の四隅にそれぞれ「八幡」と墨書きしたもので、その武勇高き北条綱成の姿は「地黄八幡」と呼ばれた。

この地黄八幡の旗指物現在長野市松代真田宝物館に現存する。

1571年、北条綱成が駿河深沢城を開城した際に城内に残されていたものだ。

武田の兵は置き去りにされた「地黄八幡」の旗を見つけ、北条綱成と玉縄衆の慌てぶりを嘲り笑った。

 

しか武田信玄は「左衛門大夫(北条綱成)は、逃げ惑い、旗を捨てたのではない。

あれほどの勇将なれば、次の合戦では必ずや地の利を計りて、必死の戦を仕掛けてこよう、さすれば、その鉾先支え難し。

旗印を捨てたのは、ひとえに旗持ち足軽の罪なり」と語り、真田幸隆の子真田源次郎(真田昌輝)に「左衛門大夫(北条綱成)の武勇あやかるように」と旗を与えた。

のちにこの事を伝え聞いた北条綱成は「信玄言葉で、我が恥辱は雪がれた」と悦んだとされる。

2023-01-21

サムライマック名前負けしすぎでは?

これじゃ竹槍の足軽だよ……。

1セット800円払ってコレ?

2022-12-17

戦国大名が乗りそうな車

今なら年収1億は超えているだろうからどうせ外車だろうな

とはいえ日本の車を買うことは決してダサくはない

足軽日本しか買えないかもしれないが日本車がダサいかどうかに関係いね

戦国大名日本車を買えばすごく心意気だな

2022-09-20

anond:20220919073444

ほんとにそう思う?

士官学校卒業年次と成績順で出世が決まるのが近代軍隊では?

豊臣秀吉足軽からのし上がりましたけど?

2022-07-01

https://yururito-sengoku.com/sengoku9/bushinikushokuji.html

戦国時代武士食事!~お肉事情編~

『腹は減っては戦はできぬ』という言葉があるほど、戦国時代武士にとって食事は大切なもの

食事をとらなければ力がでない!

力がでないという事は動けない!

動けないという事は戦に勝てない!

そう、食事は戦に勝つ為のパワー!

食事を怠れば死、あるのみ!

それなのに、なぜか戦国時代武士達は肉を食べるという事をあまりしていなかった?!

なぜなのか??

戦国時代、肉を食べるという事はどういう事だったのでしょう??

今回は戦国時代の肉食文化についてゆるりと解説しております

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戦国時代以前にあったらしい『肉食禁止令』・・・

そもそもの話…、

戦国時代より昔から日本人仏教の影響で肉食文化にあまり馴染みがなかったようです。

はいってもまったく肉食文化があったわけではなく、これにいたっては身分の高い人がその傾向にあったようです。

歴代天皇は『肉食禁止令』なるものを出していたそうで、公家などの貴族なんかはこのお触れを守り肉を食べる事をしなかったそうです。

『肉食禁止令』なんかがあるくらいだから、肉食は普通に行われていたと考えられるわけですが、

武士というもの貴族文化マネしたがる傾向にあるようで、

肉なんてヤダわはしたない~時代魚介類っしょ~!

ってな感じで魚が副食の定番となっていったそうです。

ちなみに鯉や鯛なんかが高級食材だったらしい。

宣教師登場で変わる日本食事文化・・・

日本人なら魚っしょ!ってのが当たり前だった昔の武士達…。

そんな武士達の食事常識を変えたのが、キリスト教文化日本に広めに来た宣教師だといいます

日本人ってなんで肉食べないの?

肉、美味しいんだよ?

首回りのピラピラした衣装マント動物の毛皮なんかの南蛮アイテム流行に敏感な武士達に多大なる影響を及ぼしました。

南蛮文化イケてる、だぜ?

食うしかねぇだろ。肉!

戦国時代になると南蛮文化の影響を受け、肉はなんか食べちゃダメという感覚が薄れていったといいます

動物であれば猪、豚、ウサギ、狸なんかが食べられていたそうで、鳥であれば雉や鶴、小鳥なんかが食べられていたそうです。

基本的に、食べられるものは何でも食べちゃうというスタンスであったそうな。

しかし、意外にも現代では超メジャー牛肉は食べなかったそうです。

牛は農耕に使う生き物。

食べるもんじゃない。

という常識があったんですって。

食べた事ないけど絶対ウサギや狸より美味しいのに…

戦国時代の人に焼き肉の美味さを教えてあげたい。笑

ちなみに馬も食べなかったそうです。

牛同様に、

馬は交通手段や戦で使うもの

という感じだったそうな。

ちなみに猫や犬、猿なんかのペット系は現代と同じで「食べるもんじゃない!」という感覚ちゃんとあったんだって。良かった…。

豊臣秀吉、虎の肉食べてたらしいよ。

豊臣秀吉は虎の肉を好んで食べていたそうです。

戦国時代で虎といえば『加藤清正の虎退治』が有名ですが、朝鮮出兵では秀吉のご機嫌を取る為、他の武将達もこぞって虎を討ち取ったと言われております

武将達は討ち取った虎の肉を塩漬けにして日本にいる秀吉の元へ送ったそうですが、あまりの量に秀吉

もういらない…。

ウンザリしていたそうな。

ちなみに虎の肉は滋養強壮に良いとされていたそうです。

その味やいかに・・・。

絶対に美味しいチキン鶏肉が食べられなかったのはなぜ??

雉や鶴、小鳥なんかは食べられていたと言われていますが、実はこれまた意外にも鶏肉を食べていた記録はないらしいです。

鶏は昔から日本存在する鳥、手軽かつ美味しいのになぜ昔の人は鶏肉を食べなかったのか…??

それは、鶏は『神様に近い鳥』とされていたから。らしい。

白く美しい体に映える真っ赤なトサカは『日の出』を連想させ、日本の『旭日信仰』に通じるものがあるからというのと、

毎朝正確な時間に鳴いて日の出を告げるのが、当時の人々には凄く不思議神秘的に感じていたそうです。

鶏様は神の使いに違いねぇ!

鶏様を食べたら天罰がくだる!

という事ですね。

こんな感じなので、鶏の卵を食べていた記録なんかも見当たらないそうです。

戦国時代武士食事普段はどんな感じ?

肉が普及しだしたとはいえ戦国時代武士普段食事はと比べると極めて質素でありました。

戦のない時は朝と夕方1日2食がデフォだったという…。

しかし、それには…

戦が始まれば、毎日満足に食事がとれる保証なんてないからな。

長期戦になればなるほど兵糧の確保も大変なわけだし…

数日間食事がとれない状況になったとしても大丈夫なように、1日2食で体を慣らしておくのだよ。

このような理由があったと言われているようです。

とは言ってもその1日2食の食事量は凄まじく、1回の食事で2合半のお米を食べていたそうな…。

ちなみに米は米でもそこらの武士玄米を食べていたんですよぉ。

白米は当時、高価で貴重なものでしたから…

身分の高い大名毎日食べてたのかなぁ~いいなぁ~。

ちなみにおかずは、魚や大根や芋の煮物、菜物入りの味噌汁なんかがあったそう。

玄米漬物だけという質素メニューの時も多かったらしいので、その時の経済状況や食料事情、それぞれの地域結構格差がありそうですね。

世界各国から様々な食料を輸入してる現代とは事情が違うもんね。

日本国内だけじゃなかなか賄えないし、食糧難とかもあるよねぇ~。

ちなみに、いざ戦が始まると白米のほうが玄米より早く炊けて消化も良いとの理由足軽たちも白米を食べていたんだとか。

白米に味噌ネギ野菜を混ぜ、雑炊にして食べる事が多かったよ~!

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おまけ・武士定番携帯保存食

兵糧がん

そば粉に酒やはちみつ、すり胡麻を混ぜて蒸し、それにきな粉をまぶしたもの

焼きおにぎり

玄米おにぎりに赤みそを塗って焼いたもの。保存も効く。

みそ玉

味噌にすりおろし生姜や酒を混ぜ焼き、丸めもの

塩分補給に最適。お湯でとかせば味噌汁にもなる。

煮干

カルシウム満点の煮干し。多分、おやつ感覚で嚙んでたと思う。

干し飯

白米、玄米を一度蒸して乾燥させたもの。お湯や水で戻して食べていた。

インスタントライス

2022-06-28

anond:20220625112031

それでも気にして「承知しました」って言ってる

承知」ってすごく戦国時代感があって笑えるんだけど

御館様の下知を片膝立てて承ってる感すごくて

あ、職場戦国武将の館だと思って働いたら楽しい…わけないか

というか普通に戦場だったわ。全身に矢受けまくってるわ

足軽きちー

2022-06-20

黒田騒動は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

ほんとお家騒動の模範みたいな筋書きだな・・・

これを幕府がとりなすシステムを構築したのはさすが家康しか言えない。

まさに久能山東照宮から日本中を今も監視している存在である

2022-06-02

縁の下の剣士 武藤

主演:武藤 狡

その昔、日の下の国に武藤狡なる男あり。

とある足軽大将の娘に惚れて軍隊に志願するも、娘を娶りたければ足軽として縁の下の剣士になれと言われるものなり。

組めよ円陣

聞けよ鬨の声

鉄を響かせ

法螺貝いざ吹き鳴らさん

敗走危機一髪

突撃一触即発

夕闇へ溶け

暗黒を踊れ

夜這いしかけろ

一気通貫

敗走危機一髪

駆け落ち上等

人生間一髪

黒田騒動(くろだそうどう)は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動栗山大膳事件(くりやまだいぜんじけん)ともいう。伊達騒動加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。他の御家騒動では処分時に死者が出ているが、黒田騒動ではお預けなどはあったものの、死者は出なかった。

経緯

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

大膳も寛永9年(1632年)6月、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴した。藩側は「大膳は狂人である」との主張を行い、寛永10年(1633年)2月将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之の藩側の主張を認め、所領安堵の触れを出し、10年に及ぶ抗争に幕を閉じた。大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫高野山追放された。なお、十太夫島原の乱黒田家に陣借りして鎮圧軍に従軍したが、さしたる戦功は挙げられず、黒田家復帰はならなかった。のち上方で死去したという。十太夫の孫・倉八宅兵衛に至り、ようやく再仕官を許されている。なお、この時に盛岡藩へ預かりとなった栗山大膳は、藩祖・黒田如水所用の兜も一緒に持参した。現在、もりおか歴史文化館に所蔵されている。

題材にした作品

江戸時代中期には江戸中村座などにて黒田騒動を題材にした歌舞伎が数多く上演された。最初瀬川如皐作、外題『御伽譚博多新織』。のちに河竹黙阿弥により狂言『黒白論織分博多』として加筆集約化された。また幕末には合巻としては最長編である『しらぬひ譚』も歌舞伎化され、こちらも大好評を博した。

また、この事件森鷗外小説栗山大膳』において、改易を危惧した大膳が黒田家を守るために尋問の場で訴えたとして脚色して描いている。十太夫は、島原の乱一揆軍に加わり戦死したことになっている。滝口康彦小説『主家滅ぶべし』では、利章は真面目で実直なものの、その忠義独善的であるため主君家中からまれしまい、忠臣としての自身を保つために引き起こしものとして描かれている。

1956年には東映映画黒田騒動』が公開されている。監督内田吐夢、主演の栗山大膳役は片岡千恵蔵

1965年海音寺潮五郎が「列藩騒動録」新潮社上梓、のち講談社文庫化

2022-05-24

槍チンだったらセックスできないな。

刺さるから

足軽とかならいいのかも

2022-05-20

平成5年まれが選ぶ平成邦楽BEST50から漏れた曲。

anond:20220520013638の中に書いてたけど文字数制限で省かれてしまったので別に載せる。せっかくの苦労を無駄にしたくない。

以下、BEST50から漏れた曲。

2022-02-25

アシガールというマンガおもしろいのでぜひ読んでほしい。

今日最終巻が出た。

https://www.amazon.co.jp/dp/4088468074/

内容は、女子高生戦国時代タイムスリップして足軽になるって話なんだけど、

なんていうか、そういうイロモノではない深い作品になっている。

しいて例えるなら、よしながふみの『大奥』について説明しようとすると、「男女が逆転した大奥の話」ってなるじゃん。

でも読んでみると印象が全然違って、深い人間ドラマが描かれている作品だということがわかる。

アシガールもそんな感じ。

まあ気になったら読んでみてください。

おもしろいよ。

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