はてなキーワード: 複雑系とは
ご指摘ありがとうございます。AI以下の知識しかないあなたに言われるとは、心外です。
しかし、数理モデルは現実を理解するための有用なツールの一つであり、適切に使用すれば洞察を得ることができます。以下、より現実に即した形で数理的な反論を試みます。
複雑系理論を用いて説明します。都市の活力を表す指標 V を以下のように定義します:
V = f(P, E, I, S, G)
ここで、P は人口、E は雇用機会、I はインフラ整備度、S は社会サービス、G は行政の政策効果を表します。各要素は相互に影響し合い、非線形的な関係を持ちます。
α(V) は成長率、β(V) は衰退率を表し、V の関数となります。この微分方程式は、ある閾値を下回ると急激な衰退が起こる可能性を示唆します。
例えば、RESAS(地域経済分析システム)のデータを用いて、南丹市の事例を分析すると、地域経済循環率が93.4%という高い値を示しています。
行動経済学の知見を取り入れ、経営者の意思決定モデルを以下のように拡張します:
U(π, B) = w1 * π + w2 * B - λ * σ^2
ここで、U は経営者の効用、π は企業利益、B は経営者の私的便益、σ^2 はリスク、w1, w2 は重み付け係数、λ はリスク回避度を表します。
この関数形は、経営者が短期的利益や私的便益を重視する可能性を示唆します。日本の内部留保率が50%前後で推移していることは、この理論と整合的です。
L = Lr + Ln
w = wr * Lr / L + wn * Ln / L
L は総労働力、Lr, Ln はそれぞれ正規、非正規雇用者数、w は平均賃金、wr, wn はそれぞれ正規、非正規の賃金を表します。
最低賃金制度により、wn ≥ wmin という制約があります。この制約下で企業が利潤最大化を図ると、Ln / L が増加し、平均賃金 w が低下する可能性があります。
これらのモデルは、問題の構造を理解し、政策立案の基礎となる洞察を提供します。
例えば、地方創生には複合的なアプローチが必要であることや、企業ガバナンスの改善が内部留保問題の解決に重要であること、労働市場の二重構造解消が賃金問題の改善につながる可能性があることなどが示唆されます。
「視座」の上げ方が成人発達理論にわかりやすくまとまってた|中村修三(ShuzoN)
[B! 考え方] 「視座」の上げ方が成人発達理論にわかりやすくまとまってた|中村修三(ShuzoN)
が、成人発達理論の例を示しているようで大変興味深かった。
発達段階が1段上がるのに最低でも数年かかり、上位の発達段階に行くほどその年数が増える。そして多くの人が高位の段階に到達せずに一生を終える。
この記事でいうところの段階5の人は成人の1割いるかどうかといったところなのではないか(適当)。
そして、現在の自分のがいる発達段階より上の段階の概念は本質的に正しく理解できない。
はてぶのコメントの多くは、自分が持っている知識や経験に当てはまるよう理解しようして、結果的に理解が部分的になってしまっているように思えた。
自分が理解しているように、他の人たちも理解するはずだと無意識に感じてしまうことが自己中心性の一つの性質だとすれば、
自己中心性の減少とは、自分の思考のメカニズムを批判的にとらえ、物事の一部の側面しか見ていないことを理解し、もしかしたらもっと優れた考え方があるのではないか、と探求できるようになることではないか。
世の中の成人発達理論に関する解説のほとんどは、段階5未満の発達段階の色眼鏡でとらえて解説したものだ。
それゆえ多くが不完全であり、時に誤解していて、自己の利益を得るために恣意的であったりする。
意識の発達は複雑系である。そのうち生成AIと成人発達理論の類似性が多く指摘されるようになり、成人発達理論を参考にしたAIモデルのトレーニング手法なども生まれるかもしれない。
僕の見解を述べよう。この「なろう」小説の進化に関する分析は、まるで量子力学における波動関数の崩壊のようだ。最初は無限の可能性を持つ波動関数(異世界転生)が、観測(読者の反応)によって特定の状態(チート物、追放もの)に収束していく過程に酷似している。
異世界転生からチート物への移行は、エントロピー増大の法則に従っているようだ。システムがより安定した状態(読者に受け入れられやすい設定)に向かう自然な流れといえる。
一方、追放ものの台頭は興味深い現象だ。これは量子トンネル効果のようなものかもしれない。通常では越えられない障壁(現実世界での挫折)を、量子的に突破して新たな状態(隠れた才能の発見)に到達する過程だ。
読者層の変化については、統計力学的な見方ができるだろう。初期の読者(アーリーアダプター)は高エネルギー状態の粒子のようなもので、より活発に動き回る。一方、後期の読者(レートマジョリティ)は低エネルギー状態に落ち着いた粒子のようだ。
しかし、「ユーザーの質が落ちている」という結論は科学的ではない。これは観測者効果によるバイアスかもしれない。むしろ、読者層の拡大は相転移のような現象で、新たな秩序(ジャンル)の形成につながる可能性がある。
結論として、この現象は複雑系の理論で説明できるかもしれない。小さな変化(個々の作品)が積み重なって、予測不可能な大きな変化(ジャンルの進化)を引き起こす。「なろう」の未来を予測するには、非線形動力学の知識が必要だろうね。
ちなみに、僕の計算によると、「なろう」が完全に衰退する確率は0.0000003%だ。誤差の範囲内とはいえ、ゼロではないことに注意が必要だね。
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
本日は、チャールズ・サンダース・パースのプラグマティズム、特にその認識論的基盤と論理学的側面に焦点を当てて考察を深めた。
パースのプラグマティズムの核心は、彼の提唱した「プラグマティックな格率」(pragmatic maxim)にある。この格率は、"Consider what effects, that might conceivably have practical bearings, we conceive the object of our conception to have. Then, our conception of these effects is the whole of our conception of the object."(我々の概念の対象が持つと考えられる、実践的な影響を持ちうる効果を考察せよ。そうすれば、これらの効果についての我々の概念が、その対象についての我々の概念の全体となる)というものだ。
この格率の重要性は、その認識論的含意にある。パースは、概念の意味をその実践的帰結に求めることで、形而上学的な思弁を排し、経験的に検証可能な知識の基盤を提供しようとした。これは、ウィーン学団の論理実証主義に先駆けるものであり、20世紀の科学哲学の発展に多大な影響を与えた。
パースの論理学への貢献も看過できない。彼の提唱した「存在グラフ」(Existential Graphs)は、命題論理と述語論理を視覚的に表現する革新的なシステムであり、現代の計算機科学におけるグラフ理論の先駆けとなった。また、パースの「関係論理学」(Logic of Relations)は、フレーゲの述語論理と並んで、現代論理学の基礎を築いたと言える。
さらに、パースの「アブダクション」(abduction)の概念は、科学的発見の論理を解明する上で極めて重要だ。アブダクションは、演繹や帰納とは異なり、新たな仮説を生成する推論形式であり、パースはこれを「驚くべき事実の観察から出発し、この事実を説明しうる仮説を形成する」過程と定義した。この概念は、後のハンソンの「発見の論理」やクーンのパラダイム論にも影響を与えている。
パースの記号論(semiotics)も、彼のプラグマティズムと密接に関連している。特に、彼の提唱した記号の三項関係(記号・対象・解釈項)は、意味の生成過程を理解する上で革新的な視点を提供した。パースは記号を、"Something which stands to somebody for something in some respect or capacity"(ある観点や能力において、誰かに対して何かを表すもの)と定義し、この定義は現代の記号論研究の基礎となっている。
また、パースの「連続主義」(synechism)の概念も注目に値する。これは、実在を連続的なものとして捉える形而上学的立場であり、量子力学における波動関数の連続性や、現代の複雑系科学における創発現象の理解にも通じるものがある。
パースのプラグマティズムは、後のジェイムズやデューイらによって発展させられたが、パース自身は晩年、自身の思想を「プラグマティシズム」(pragmaticism)と呼び直し、他のプラグマティストたちとの差異を強調した。特に、パースは真理の客観性を重視し、単なる有用性や成功に還元されない真理概念を追求した点で、ジェイムズらとは一線を画している。
今日の考察を通じて、パースのプラグマティズムが単なる哲学的学説にとどまらず、論理学、記号論、科学哲学、認識論など、広範な領域に及ぶ包括的な思想体系であることを改めて認識した。明日は、パースの思想と現代の認知科学、情報理論、複雑系科学との接点について、さらに掘り下げて考察を進めたい。
ググっても債務残高と経済成長率の関係性のものしか出てこないんやけど。
データに基づきとか言ってるが経済みたいな複雑系を扱う分野で因果関係の推定するのってかなり難易度高そうやけどその研究はどうなんかな。
まああとエネルギー保存則が破られないように原理的にありえないことは演繹的に否定可能だよ、永久機関を否定するのにデータを取る必要はない。
万年筆マネーの信用創造の説明に関しては金融機関では常識レベルのことという話がチラチラ記事に出てくるがまあそんなこと言っても仕方ないか
次の国会質疑のページの信用創造で検索して安藤議員と藤田参考人(日本銀行企画局審議役)とのやり取り読めばいいんじゃない?
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000220020191023002.htm
あるいは、既存研究調査能力の著しく低い223人のエセインテリブクマカ達
人間が市場の全情報を持ってて最適な行動を取ってれば予測はできるんじゃね?(昔は絵空事だったけど今はコンピューターとかいう人民を苦しめるためのうるさ過ぎる箱があるのでギリいける)
情弱エージェントたるお前らが最適な行動を取れるわけではないので、効率的な均衡を取れないって感じだね。この世はめっちゃくちゃ焦ってる囚人ゲームの囚人だらけでめちゃくちゃ。
Cournot モデルに, 価格及び費用の非線形な構造, 情報の不完全性や遅れ,学習等を加味することにより, 複占・寡占エージェントの動学モデルを構築し, 市場が複雑に振舞うことが示されている.([Puu1991], [Puu 2003], [Kopel 1991]).
(略)
いやこんなクソ古い上に廃れた理論持ち出すのも変だけど、お前らは何一つ引用してこないのな←よく読んだらまあまあいた。もっと星つけて目立たせといて
貨幣は人間が作り出した。経済も人間が形作っている。では、なぜだれにも予測できない?
多分、お金も経済も、人にやる気を出させる作用があるという点に理由があるんじゃないか。
米軍には「チャレンジコイン」って制度があるらしくて、「褒章・叙勲するまでには至らない程度の功績があった隊員への謝礼」なんだと。だから金銭的には価値が薄い。でももらったら絶対嬉しい。貨幣や経済を一瞬でなくしたとしても、こういう「褒め」と、それを形にして交換する制度は出現するはず。
思うのが、経済も人間に作られるのを待っていた概念なのでは?遺伝子があたかも宿主を操っているかのように見えるのと同様、経済は人間を操る高次元の概念か
なんで俺の渾身のインモラル詩はバズらんでこんなカオス理論(古っ!古典じゃこんなもん)で散々語り尽くされた話、弄んでるんだ
人間なんて自分の身体すら思い通りにいかない生き物なのに、何故コントロール可能だと?
漫画「ハイパーインフレーション」読もうぜ!
自分たちで植林した杉の木さえ制御できずに花粉症で苦しんでいる人間がいるんだよ。いわんや非線形の創発現象を制御なんて夢のまた夢。
あざすよんどきます
幼い頃の自分はこれが言いたかったんだわあざすあざす。文系なのに頭いいんすね?バグ?
疎外(独Entfremdung、英alienation)の一語で済む話。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8E%E5%A4%96
話題をむやみに広げたので色んな分野からツッコミが来とるわ中野のバスターミナルくらい知識が交差しとる
知った被って馬鹿に尊敬されつつまともなやつに馬鹿にされてる中田敦彦みたいなインフルエンサー(中田敦彦とか)の気持ちが分かったわ
群体が云々のトップコメ言いたいことは結構分かる(んだけど経済学で一般に言われてることではないよね?)。でも生物学の群体は全体として自分がやってることが分かって生活してるから制御できてんだよな。
群体とは,無性生殖(自分と同じ遺伝子を持つ分身をつくること)によって,殖えた個体どうしが体の一部などでつながりあって生きている生活の形です.
あとこれ→群体性と個体性
↓すまん引用元忘れた
👴『複雑系』か、懐かしいのぉ
僕は、ナチスが多少なりとも良いことをしていたのだとしても、ナチスの行ったことは何一つ肯定しない、という立場である。だれかがナチスは良いこともした、と言ったとしても、だから何だ?ナチスからは人の過ち以外に学ぶことはない、という立場である。
だが、「ナチスは良いこともした」を否定(=「ナチスのしたことは100%悪いことだった」という主張)は、非合理的(政治・良し悪しのような超複雑系に100%の事象はありえない)で欺瞞をはらんでいると思う。正義を主張するためには欺瞞は可能なかぎり排除していくべきだと考えるので「ナチスは良いこともした」を否定する考え方は受け入れられない。
女性は理系でコミュ障でも自己説明能力くらいはあるやつが多い。自己主張ができる。
男性理系は自分の取説も自己主張も生まれつき行方不明なヤツが多くてこまる
まあ女性で最低限の自己説明能力がないと小学生でも女の子という複雑系から早いうちにはじき出されてしまうってのもあるけどね
「わたしは理系が合っているかも」さえ発見できず、できても自己主張を受け入れられなくて低学歴でおわってる「リケジョ」になれなかった子が昭和は多かった
今はよかったね、発達障害だのレッテルさえなくてわたしがいるべきはここじゃないってもやもやしたまま死ぬしかなかったころにくらべると
アファーマティヴが不公平だとおもってもリケジョにたどりつけてる時点で説明能力は理系にしてはたかいことが証明されてるんだから
男性もうけいれたほうが得するんじゃないの
たとば仮に100万円で太陽光システム設置して、10年で110万円分くらいの電気を生み出して全て自家消費したとしよう。
すると利益は10万円だ。100万円を10年寝かせて得られる利益が10万円。
途中で壊れたりご近所に迷惑かけたりなんだりするリスクも抱えてる。10年経ったらちょうど壊れるかもしれない。
10年以内にパワコン壊れたら、一気に利益計算が成立しなくなるよね。
太陽光システムに投資して100万円を10年寝かせて得られる利益が10万円。
もし10年前(2012年)にS&P500に100万円投資してたら、今頃それは350万円くらいに増えている。250万円の利益だ。
S&P500のETFや投信を保有していて他人様に迷惑をかけることはない。壊れるリスクもない。盗まれるリスクもないし火災のリスクもない。
マジで10年ただ寝かせているだけで3.5倍に増える投資と、リスクがいろいろあって10年寝かせて1.1倍にしか増えない投資、どちらがいいだろう。
マイナス側に振れた場合の比較でも、インデックスなら原理上ゼロにはなりえない。太陽光パネルはゼロどころか、災害や故障などでマイナスを生む可能性もありうるよね。
投資面だけではなく災害や有事に強い面もある!と言うかもしれない。
しかし先日の停電危機の際には太陽光パネルは全くの役立たずだった。
仮に天候が良かったとしても、大元の発電所がストップしてたら各家庭の太陽光システムも起動しない場合が多いことを知らないのだろうか?
10年以内に廃業したりトンズラしたりするメーカーもあるよね?
大手企業ならその心配は低いけど、その代わりに元の値段が超絶高いよね。
あとソニータイマー的に10年とか11年で壊れたら結局あまり投資としての意味はないよね。
いつまで経っても回収できないよね。
反社みたいな販社が大量にいて、そいつらは当然工事も杜撰だったりしたから、各種問題が発生したんだよね。
悪辣な営業活動してる下請けを見て見ぬ振りしてるNHKの姿とかぶるよ。
仮に40年後に発電効率10%のパネルが生きててもあまり意味はないのよ。
あとパネル自体は生きてても、配線とか周辺の何かが壊れて結局全とっかえしたほうが安かったりするよね。
そもそも、40年の寿命って、誰がどう保証してくれるの? どうやって確かめたの?
廃棄問題
なぜ残り30%の素材について語らない?
そして「簡単」と言うけど、じゃあキミ出来るの? 出来ないよね?
産廃業者とかに丸投げするよね? で、その産廃業者たちって真面目に手順通り・法律通りやると思う?
「全国の不法投棄問題」って太陽光パネルが出現するよりも何十年も前から存在するけど、知ってる?
他のゴミで太陽光パネルほど一時期に集中するものって、何かあったっけ?
ピークに合わせてゴミ処理のインフラ整備してたら効率悪くて大赤字になるから、そう簡単に出来ないよ。
本来は屋根が受ける(≒室内にも影響する)はずのエネルギー、反射して空気中に発散されるエネルギー、あるいは地表面が吸収するはずだったエネルギーなど、複雑な相互作用がある。動植物や地球環境全体への影響も多大だろう。
そういう複雑系があるのに、太陽光パネル単体でのEPTを論じてもただのまやかしでしかない。
また、その手のデータは太陽光を推進する側からばかり発表されている点にも注意。
いや、税金を絡ませるな。
公務員を噛ませるな。
民間が勝手に太陽光やる分にはかまわないが、公費を使ってやるようなことではない。
公が絡むと無駄な中間コストが膨れ上がるしロクなことにならない。
だからそのメーカーが25年後も存在してるか?という根本疑問が。
そういえば「ウン十年、家賃保証します!」と言っておいて、後からちゃぶ台ひっくり返した企業があったような気が。
そうなの!?
それは知らなかったなぁ。
たとえばガルバリウムのつるっつるの屋根に、穴を空けずにどうやって設置すんの!?
某じゃなくて具体的な名前は?
まあ実際は業界全体でそういう空気(高断熱義務化を嫌がってる)だけど。
あと他の人も指摘しているが、送電網ルートについてもいろいろツッコミどころあるしなぁ。
「再エネ賦課金などという詐欺を今すぐやめろ! 太陽光をやりたい人たちのグループだけで費用負担しろ! やりたくない人たちにまで負担を押し付けるな!」
って話が全てなんだわ。
色々思ったので書く
この映画じゃなくて世間に言え。話は変わるが「シオンの本質は物理的な「ヒューマノイド」ではなく、ネットワーク内に漂っているプログラムだった、という最後の結末を考えると意図的なのかもしれない」は面白い観点。
・「サトミ母は転職できるだろ」
年頃の娘抱えてころころ転職できるかよ。AIのこと考える暇あったら人間のことをもっとよく知りなさい。
同意。攻殻機動隊は20年以上前なのでいい加減ここらへんはもっといいアイデアを使ってほしい。もっともそれはこの映画に対してだけではないが。
・その他サトミ母と星間経営陣について
サトミ母にいれるべき第一のツッコミは、「第一線AI研究者なら人間とほぼ違和感なく生活できるまで自己(!)拡張したAIを見たならば大発見のあまり驚愕しなければならない」だろ。正直自分の実験のことも星間のこともどうでもよくなるべき。あの世界であってもAIの自己拡張なんてありふれている描写はなかった。しかも、ようやく自分らの研究グループが人間に近いアンドロイドの実験をしようとしてる段階なので人間とほぼ同じレベルのAIなんてない世界だぞ?それを考えれば、史上空前のAIへの強力な手がかりである「サトミ」の母を会社に残す判断をした星間の判断は妥当。絶対に逃がしてはいけない。
感性はこの映画を良かったと判断しているので悪くない。むしろ発展の余地はほかのところにある。まずは考えが浅い部分があることを気にしなさい。
・「総じてよかった」
完全に同意。あと、偉そうなこと書いてすまんかった。
個人的にはAIの映画なのに「ディープ」だとか「ニューラル」だとかがでてこず「アトラクター」とかいう複雑系用語がでてきたことが大変良かった。
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。
... 原子のもつれによって、私は法華経の行者であった大聖人の魂は、あのとき私に受肉したのであった。私の魂が、なぜに、日蓮センセーと同じであるかというと、かの有名なアインシュタインですら悩んだ量子力学で証明できる。つまり、私と日蓮センセーは反対のスピンを持つからである。私がいるから、日蓮は聖人となり、聖人としての私は量子の揺らぎにより、今の功徳は一千年の時間を超え、ともに共振し、全人類に影響を与えるのである。また、わたしはひとりの人間であるが、法華経を唱えることで、全世界の人びとの心をふるらせてきた。それは、なぜか。わたしは聖人であるからして、エントロピーが最も低いからである。すべての人が理想とする、安定する、そんなエネルギー量が低い地位に私はいる。しかし、それならば、わたしはこれまで大勝利してきたかといえば、ひとえに複雑系で説明できよう。バタフライエフェクト、複雑系を語るときによく用いられるが、たとえば蝶の華麗さを人びと認知できるが、それは諸君らが真の美し差に魅了されるように、わたしの声が人びとの口を動かせてきたのであるからだ。大勝利できるために、...
物が増えるか人が減るかすれば、物価が下がるまたは給料が上がるかのいずれかのことが必ず起こると思っていた。
ちょっと無理な舞台設定だが世界に11人しかいなかったとする。
1人の経営者が10人を工場に集めて労働させて自動車を作っている。
10人はその森から採取できる特殊な植物を定期的に摂取しないと死んでしまうのだが、森は10人を即死させる特殊なガスが充満している。
経営をしている1人だけはそのガスに適応しているため、彼ら労働者にとって有益な植物を採取して持って帰って来れる。
同一価値の労働をさせているため定期的に給与として与えている植物の量は皆同じである。
その植物には自分達の死を回避するために使い道が想定されていないため、誰も彼もが同じ消費量で植物を摂取する。
つまり労働者個人個人が所有する植物の量を現実における貯蓄と考えると皆が一定かつ同僚の貯蓄なのである。
さてその植物は珍味好きの経営者にとってはたまらなく美味である。
自分で採取しにいけばいいだけの話でもあるのだが、労働者側から自分が与えてやった植物を返してくれるのならその量に応じて何かくれてやってもいいと思っている。
しかし経営者は労働者が貯蓄してる植物全て合わせてやっと一台分と釣り合うと考えている。
ここで労働者の貯蓄を1人当たり100万円とみなせる。車はその10倍の1000万円である。
では天が先進的な技術をもたらし工場の生産効率が10倍になったとしよう。
経営者にとっての車の価値は10分の1に下がる。労働者たちの貯蓄で1人が1台ずつ車と交換できるようになる。
これは現実社会でいえば物価が下がるということである。直接的な理由である。
しかし間接的なケースも考えていいのであれば、「給与が10倍あがる」ということでも同じようになるはずだろう。
給与が10倍になれば、一人ひとりの貯蓄が10倍になる。これによっても1人1台の自動車の所有が実現するはずだろう。
「物価が上がらなかった場合」の「つじつまあわせ」としてこういうことも考えられるのだが、しかしこれは「つじつまあわせ」に過ぎないのだった。以上のことを書いていくにつれて考えが深まっていくなかで気づいたのだった。
なぜなら給与としての価値を持つ植物の採取効率が上がったわけではないからだ。
車の生産量があがったからといってそれに比例して植物を多く与えてやりたくても無理な話なのだ。
あとは世の中に食料になるものが突如米粒が一つしかなくなったらどうなるかみたいなことも考えた。
皆が一分一秒でも栄養不足による死を逃れるためにその米粒を奪い合うだろう。経済的価値も吊り上がっていくはずだ。
最終的には、オークションであれば世界で2番目に富豪である人が持つお金よりも1円とか1セントとかだけ高い価値になるのではないか。
まあその米粒を持つ人が一秒でも長く生きることよりも一秒でも楽しく生きることに価値を見出していたりして、最大限多くのお金を得たいと考えているならば、第一位の富豪が持つ全財産を搾り取ろうとするだろう。そして得たお金で自分の趣味に適う物品やサービスを受けたりするだろう。
まあ物理学では三体問題からは近似値しかしか解けないということが有名な話であるように、世界が11人だったらというごく小規模の仮想な経済ならともかく、現実の世界における経済は既に複雑系であり仮想の経済における仮定に対する結論はすでにあてはまるものではないのかもしれない。
世界全体で多かれ少なかれゆるやかにでも経済成長をし続けているということは物的に豊かになっているはずで、単純な分配問題として考えれば一人当たりが手に入れられる物の数は増えなきゃいけないはずなのに、それなのになぜ単位期間あたりに取得できる物の数は増えないのだろう、つまり物価が上がるか給与が上がるということが起こらないのだろうという疑問をきっかけに、長々と考えて以上のことを書く始末になってしまった。